会長日記

2020年10月1日

会長 多川 一成(45期)

皆さま、こんにちは。

◆新型コロナウイルスへの向き合い方

9月に、久しぶりに多くの人が集まる講演会つきの会合に出席しました。主催者によると、新型コロナウイルス感染症が広がりを見せた後、この規模での開催は福岡では初めての試みということでした。

そのときのお話に、「新型コロナウイルス感染症の影響で各国の経済は急激に悪化したが、ヨーロッパなど他の国では既に回復が進んでいる。日本人は新型コロナウイルスを怖がり過ぎているのではないか。万一感染すると、地域に迷惑をかけて申し訳ないと謝罪するが、アメリカなどではそんなことは一切なく、むしろ堂々と、感染した自分を支援して欲しいと訴えている。もうそろそろ日本人も元のような活動を再開し始めてはどうか。」というものがありました。

日本では、いよいよ10月から東京都もGoToキャンペーンの対象になる予定ですが、これから秋、冬を迎える中で、どのように新型コロナウイルスに向き合っていくかは、難しい課題だと思います。やはり、まず正しい知識を得て、その上で家庭や職場で様々な工夫をすることが求められるのではないかと思います。

◆作家・安部龍太郎さんのお話

その会合で、福岡県八女市ご出身の作家である安部龍太郎さんのご講演を聞きました。安部さんは2013年、「等伯」で直木賞を受賞されるなど、多くの時代小説の著作があります。

講演会でのお話も、日本の戦国時代の末期から江戸時代が始まる頃までについてのもので、日本の歴史を理解するには、世界史を理解する必要があり、今のように学校教育で日本史と世界史を分けて教えるのは問題があるとのご意見でした。

お話をまとめると、以下のようなものでした。

戦国時代の末期ごろ、多くのポルトガル人やスペイン人が日本を訪れていたが、彼らとの関係を抜きにして日本の歴史は語れない。この頃鉄砲なくしては戦に勝てなくなっていたが、鉄砲に必要な鉛や硝石は日本では採れなかった。そのため戦国大名は、ポルトガル人やスペイン人を通じて鉛や硝石を高値で買わざるを得ず、このことは多くのキリシタン大名を生み出したことにも関係している。その一方で日本では石見銀山をはじめ、生野銀山、佐渡銀山で本格的な採掘が始まり、大量の銀が鉄砲や渡来品の対価としてヨーロッパに渡っていた。石見銀山を開発したのは博多商人で、商業が飛躍的に発達し、市や座が拡大していった。豊臣秀吉は、武力を背景にこれらを掌握して中央集権国家を築き、莫大な富を利用して名護屋城を拠点に朝鮮出兵を行ったが、これもポルトガルやスペインの領土獲得競争が影響している。

また、豊臣秀吉は、大政復古の考え方を取り入れており、この時代はどこか日本の明治時代初期と共通したところがあるとのことでした。

九州の話も数多く出てきて、自然と親近感が湧き興味を引かれましたが、それだけではなく、戦国時代から既に日本国内の様々な問題について、当時から国際情勢が大きく関わっていたこと、それぞれの問題が互いに深く関連していること、国づくりに近代日本との共通点があることなどを聴いて、歴史を学ぶ面白さや重要性を改めて認識しました。

その後、安部さんがライフワークとして取り組まれているという、徳川家康の話に進みました。

家康は、商業が発展することで富の偏在や格差が広がることをおそれ、農本主義をとり、商業をできるだけ抑えた。また大名による地方分権を認め、こうしたことが江戸時代を260年続いたことに繋がった。現在の家康の評価は、江戸幕府を倒した明治政府により作られたため、それほど高くないが、実際にはもっと評価されてよいとのことでした。

◆将来を見据えた視点を持つには

徳川家康が、商業の発展による富の偏在や格差の助長が世の中の平穏を乱すと考えていたというのは、興味深いところです。戦争のない時代が長く続き、文化的水準も高く、芸術的にも高く評価される分野が数多く育ったことを考えると、変革時において、徳川家康が先進的な視点で様々な制度上の工夫を行ったことが、こうした時代を作った要因の一つとして評価されてよいことは間違いないと思われます。

コロナ禍で社会が大きく変化している現在、どのような視点で社会や生活の在り方を考えるのがよいのか、国際情勢や歴史からもヒントを得つつ、将来を見据えて考察する必要があると思いました。

福岡県弁護士会 会長日記 2020年10月1日