会長日記
2017年10月1日 挨拶~憲法70周年記念シンポ~
会長 作間 功(40期)
(本稿は、本年8月26日、福岡市中央区津久志会館にて、福岡県弁護士会が主催(共催:日本弁護士連合会、九州弁護士会連合会)する「日本国憲法施行70周年記念講演会」(講演者:對馬達雄秋田大学名誉教授、演題:反ナチ脱走兵とドイツ司法~もう一つの「ヒトラーに抵抗した人々」を語る~)における、主催者としての挨拶文です。)
皆さん、こんにちは。福岡県弁護士会会長の作間です。
本日は、週末のお休みのところ、多数の皆様にお集まりいただき、有難うございます。
1 今年は憲法施行70年の年であり、新聞やテレビで様々な特集が組まれました。
日弁連も当会も、本年5月、現憲法により70年間平和を実感できる社会を実現したことを高く評価する決議を出しました。
2 しかし、ここ数年の我が国の動きについては、大変懸念されることが連続して起こっています。
まず、4年前、特定秘密保護法が制定されたことです。主権者たる国民が権力を監視しようとしても、逆に、国から監視する手段を取りあげられていっている状況が作り出されていることを、私たちは認識する必要があります。
次に、3年前、憲法をめぐる大きな変動が我が国で生じたことです。現内閣は、憲法9条に関係する集団的自衛権について、長年にわたる政府の見解を閣議決定で変更しました。解釈改憲と言われるものですが、その前に内閣法制局長官の交代があった事実を忘れてはいけません。
そして、本年、共謀罪が成立しました。沖縄基地問題が重大な問題になっているという状況があり、住民運動に対する萎縮効果がある、ということが心配されます。
3 私たちは、歴史に学ぶ必要があります。
ワイマール憲法。当時世界で最も民主的と言われた憲法です。しかし、ワイマール憲法下でナチス政権が誕生し、ナチスは、ユダヤ人はもとより、その他の少数民族、疾患をもった人々その他マイノリティの絶滅をはかっていきました。
4 個人的な話で恐縮ですが、私は、アウシュビッツに行ったことがあります。今年1月の弁護士会の集会で、次のような話をしました。
2年前、私は福岡県弁護士会有志が企画するポーランド視察に参加した。アウシュビッツ。ポーランドではオシフェンチムと呼ばれる都市だ。そこでは、山のように積まれていた亡き被収容者の眼鏡や、ガス室も衝撃的だったが、今は展望所になっている所から広大な敷地を見下ろしたとき、かつて収容所が建っていた場所に、多数の煙突がいまだ残っており、その煙突群があたかも墓石のように見えたのが強烈な印象として残っている。
第二次大戦前において、ドイツは、世界を代表するきら星のごとき、哲学者、文学者、社会学者、科学者を生んだ。そして、法学者がおり、法律実務家がいた。しかし、独裁者の出現・台頭を阻止できず、かえって、ドイツの法律家は、ナチス政権下の刑法を国民に適用していった・・・。
5 私は、第二次大戦中のドイツの法律家は、いかなる立ち位置だったのだろうかということに関心を持ちました。
戦後のニュルンベルク裁判。この12の「継続裁判」と言われる裁判の中で、「法律家裁判」が実施されました。16人の法律家が起訴、内1人が自殺、1人が重病のため免訴、4人が終身刑、6人が有期懲役、4人が無罪となったということでした。ある論者は、「独裁体制が崩壊した後に、それに奉仕してきたことを理由に法律家が裁判にかけられたことは、ニュルンベルグ法律家裁判以前にはなかった点でその意義を有する」、「法とは何であるべきか、法律家とは如何にあるべきかを不断に問い続ける生きた模範例」である、「戦後ドイツの法律家は法律家裁判の成果を継承する必要があった」と評しています。しかし、その後のドイツの政権の態度には批判があります。なぜなら、アデナウアー政権は、恩赦を出し、ほとんどが1950年代に釈放されたという事実があるからです(「ナチスの法律家とその過去の克服」本田稔立命館大学教授))。
ニュルンベルク裁判で起訴されたのは、司法大臣・裁判所長官・検察官・事務次官など、積極的に法の適用、執行を行った者のうちのごく一部でした。
さて、現代日本。わたしたち弁護士の責務、弁護士会の責務、法律家の責務、は、いかなるものでしょうか。
6 日弁連は、2015年と2016年の定期総会において、安保法制・立憲主義に関し、宣言を出しているのですが、2つの決議を読み比べると、同じフレーズがあります。
「戦前、弁護士会は言論・表現の自由が失われていく中、戦争の開始と拡大に対し、反対を徹底して貫くことが出来なかった」
この指摘は、極めて正当だと思われます。背後に痛切な反省があることを読み取ることが出来ます。
わたしたち法律家は、歴史の批判に耐えうる活動をしなければなりません。
法律家ならではの視点にたって、国民に対し、問いかけをしていかなければならないと思うのです。
本シンポは、こうした思いから企画されています。
7 1週間前、福岡県弁護士会は、共謀罪に関しシンポジウムを行いました。講演をしていただいたジャーナリストの斎藤貴男さんはシンポの中で、「昔、マイナンバー導入について反対をしない日本人を評して、外国のジャーナリストが、日本人は国の奴隷になりたがっているんでしょ、だって反対しないじゃないか、と言われた」。こうした話を披露されました。
従順な日本人。決まりごとは守る日本人。日本人のいい面でもありますが、局面次第では、極めて危険な性癖、精神風土です。
長いものには巻かれろ。なんでもお上の言う通り。お上も、ひどいことはしないだろう。
果たしてそうでしょうか。冒頭に指摘した、我が国の近時の動きを見ると、そのようには思えません。
「あんなにも造作なく騙されるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた」。
伊丹万作の一文です。先日読んだある新聞からの引用です。なんと1946年時の著作です。もう一度、読みます。
「あんなにも造作なく騙されるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた」。
そう、日本において、第二次大戦時と同じことが、将来、繰り返されない保証はありません。
防ぐには、ただ一つ。歴史に学ぶしかないのです。
8 本日の、反ナチ市民の抵抗運動の著作で著名な對馬達雄先生によるご講演は、私たちに、勇気と堅固な意思をもつこと、そして行動することの大切さを教えてくださるものと確信しています。ミュンヘン大学の学生であったゾフィ・ショルたちによる白バラ事件として有名な抵抗事件のほか、大いに歴史に学びたいと思います。おいでの皆様、どうか、對馬先生のご講演にご期待ください。
少々長くなりました。以上をもって主催者の挨拶といたします。