弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2023年5月28日
物語・遺伝学の歴史
人間
(霧山昴)
著者 平野 博之 、 出版 中公新書
遺伝学で高名なヨハン・メンデルは修道院に入り、そこでエンドウ豆の交配実験をしてメンデルの法則を発見した。なぜ、修道院で生物学の研究がなされたのか、できたのか...。この時代、修道院は単なる宗教施設というだけではなく、その地方の学術や文化の中心だった。蔵書も20万冊ほどあった。
なーるほど、そういうことだったのですね。いわば大学とか研究所のような存在だったのでしょう...。メンデルの法則を中学校(?)で学んだとき、私もその規則性には目を見開く思いでした。今でも、そのときの感触を覚えています。
メンデルは、自分の研究成果を論文としてまとめて、1866年に科学雑誌に発表した。しかし、この論文について、当時は、まったく反応がなかったそうです。メンデルの法則として学界で認知されたのは、1900年のこと。
遺伝学ではショウジョウバエとともに、トウモロコシが大活躍したそうです。というのも、トウモロコシの染色体は大きいので観察しやすいこと、雌花と雄花とが分化していて、交配しやすいことによる。
驚いたことに、大腸菌にも性があり、有性生殖をして遺伝子組み換えをする。
遺伝子はタンパク質ではなく、DNAであることが確認された。遺伝子配列の中に「CAT」というのがあります。この本では、これを「ネコ」と呼んで説明します。野生型では「CAT」の3塩基が「ネコ」というアミノ酸を指定しているが、第1の変異により、「G」の塩基が挿入されると、読み枠がずれるため、「タコ」(GCA)や「チコ」(TCA)という別のアミノ酸になってしまい、タンパク質は機能を失ってしまう。ところが、第2の変異により塩基(T)が1個欠失すると読み枠が元に戻るため、大部分のアミノ酸は「ネコ」となり、タンパク質の機能は復活する。
細胞は同じ染色体をもつにもかかわらず、なぜ、脳や肝臓など、いろいろなタイプの細胞が分化するのか。現在では、いろいろな細胞が生じるのは、遺伝子が共通していても、発現している遺伝子が細胞ごとに異なっているためだということが分かっている。そうなんですか...。
遺伝子について、少しだけ分かった気になりました。
(2022年12月刊。980円+税)
2023年5月27日
犬に話しかけてはいけない
生物
(霧山昴)
著者 近藤 祉秋 、 出版 慶応義塾大学出版会
タイトルからは何の本なのか、さっぱり見当もつきませんよね。「内陸アラスカのマルチスピーシーズ民族誌」というサブタイトルのついた本なのです。
マルチスピーシーズ民族誌というのは、人間以外の存在による「世界をつくる実践」に着目する。人新世が地球上を覆っているように見える一方で、実際には、人間と人間以外の存在とが絡(から)まりあって継ぎはぎだらけの世界をつくっている。「人新世」とは、人間の時代のこと。それは、人間が資源を枯渇させ、生物種の絶滅を引き起こし、自分自身の生存基盤を掘り崩しかねない時代である。
若者はアラスカ先住民の村で実際に暮らしました。「犬に話しかけてはいけない」というのは、アラスカ先住民のなかにあるタブー(禁忌)の一つ。これを破ると、病で人々が多く亡くなる異常事態を引き起こす。
犬は太古の時代には人間の言葉を話した。世界の創造主であるワタリガラスは、人間が犬に愛着を持ちすぎるのを嫌って、犬の言語能力を奪ってしまった。
内陸アラスカ先住民の社会では、ひどい飢饉(ききん)のときを除いて、基本的に犬を食べものとみなしていない。伝統的に、飼育動物を殺して食べる習慣はない。犬肉食は食人に限りなく近い。
ワタリガラスとオオカミは行動を共にする機会が多く、両者が相互交渉する頻度も高い。コヨーテは狩ったノネズミをすぐに食べてしまうが、オオカミは狩った獲物で遊ぶことが多く、食べないこともある。なので、ワタリガラスは、ノネズミをくすねることのできる確率が高いオオカミを選んでつきまとっている。
アラスカでは、カラス類は犬肉を好むという神話上の共通設定がある。
渡り島が何かの事情で渡りをせずにそのまま残ってしまうことがある。これは留島というより「残り島」。人の手に頼らずに生きのびることは現実には厳しいので、先住民のなかには次の渡りまで「残り島」を飼い慣らす人がいる。そうでなければ餓死するよりましと考え、ひと思いに殺してしまう。
アラスカ先住民の生活の一端を知ることのできる本でした。
(2022年10月刊。2400円+税)
2023年5月26日
郡司と天皇
日本史(古代)
(霧山昴)
著者 磐下 徹 、 出版 吉川弘文館
奈良時代を中心とする日本古代の地方豪族と天皇との結びつきを論じた本です。
かの有名な空海は、郡司一族、すなわち地方豪族の出身だった。
古代の僧侶は、郡と地方とを頻繁に従来して活動していた。郡司の上司にあたる国司は、都で生活する貴族、官人が選ばれ、任意に赴任する。いわば中央派遣官で、任期は6年、4年そして5年がある。
郡司は、現地の有力者である地方豪族のなかから選ばれ、任期の定めのない終身の任とされた。つまり、郡の統治は、現地の地方豪族にまかされていた。
郡司の負担が大きくなっていくと、地方豪族たちは、負担の大きい郡司の地位を忌避するようになった。郡司の任用では、定められたルールに反する申請があっても、直接天皇に認められたら、可能だった。
郡司を輩出するような地方豪族が複数競合していた。地方出身者に多く与えられる外位(げい)という職があった。郡司は実はひんぱんに交替していた。
耕地開発を率先していたのは、郡司層を構成する各地の地方豪族たちだった。
三世一身の法でも、いずれは開発した土地が国家に回収されてしまう。そこで、743年に、墾田永年私財法が制定された。
地方豪族から成る郡司に焦点をあてて論じている本です。
(2022年10月刊。1700円+税)
2023年5月25日
菅江真澄・図絵の旅
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 石井 正己(解説)、 出版 角川ソフィア文庫
江戸の旅人が旅先の各地を絵に描いて残しています。墨絵(すみえ)ではなく、カラーです。
菅江真澄は30歳のとき、今の愛知県を出発し、東北を経て北海道に渡り、その後、本土に戻って、青森県から秋田県に入って76歳で亡くなった。故郷に帰ることもなく、まさしく漂泊の人生。
真澄は、日記や地誌を丹念に残し、2400点ほどの図絵が添えられている、しかも、図絵は丁寧に彩色されている。真澄の肖像画も紹介されていますが、これまた見事な彩色画(カラー図)です。
1783年から1784年ころは信州を旅しています。和歌の力で北海道に入れたと紹介されています。いったい、旅人の収入源は何だったのでしょうか...。
風景画は、中国の山水画を彩色したようなもので、趣があります。
風景画だけでなく、植物画もあります。コタン(集落)のアイヌ婦人(メノコ)たちが草の根を入れた木皮袋を背負ってやってきた、その草の根もきちんと描いています。まるで植物学者のようです。牧野良太郎に匹敵するほどの詳細な写生です。
「てるてるぼうず」とほぼ同じ、「てろてろぼうず」も描かれています。
真澄は、北海道に渡ってからは、自らもアイヌ語を習得するよう努めた。
当時のアイヌたちは海上でイルカを狩りたてていた。北海道の沖にはイルカがたくさんいたようです。まるでドローンでも飛ばしたように上空からの図があります。
秋田の「なまはげ」は「生身(なまみ)剥(はぎ)だということを知りました。子どもは声も立てずに大人にすがりつき、物陰に逃げ隠れる。まさしく、その状況が描かれています。
草人形(くさひとかた)の絵も面白いです。杉の葉を髪にし、板に口鼻を描き、わらで胴体をつくり、胸に牛頭(ごず)天王の本札をつけて、剣を持っている人形(ひとかた)です。
村里の入り口に置いて、疫病を村に入れないように願ったといいます。
よくぞ、これだけの図絵と日記が残ったものだと驚嘆するほかはありません。
(2023年3月刊。1500円+税)
2023年5月24日
古代ギリシア人の24時間
ヨーロッパ
(霧山昴)
著者 フィリップ・マティザック 、 出版 河出書房新社
紀元前416年のアテネの日常生活を生き生きと再現しています。このころのアテネの都市人口は3万人。ただし、面積あたりの天才密度は、人類史上、ほかに例がない。
このとき、アテネはスパルタの軍隊との戦争の幕間(まくあい)として平和を楽しんでいた。
外国人居住者(メトイコス)は女性と奴隷と同じく民食に出席できない。また、裁判の陪審員にもなれない。それでも、アテネの裁判所に訴えることはできた。また、メトイコスは、アテネ軍に入隊できる。正式な重装歩兵にもなれた。
アテネでは、人はさまざまな事情から奴隷になる。海賊に襲われた船に乗っていて、身代金が払えないと奴隷にされた。奴隷は、重大な社会的不利益の一種と考えられていた。
貴族の娘は14歳で親元を離れ、人の妻となって自分の家中に入る。
オリーブは、アテネ人の暮らしに欠かせない。食事のたびに出てくるし、料理に、掃除に、身を清めるのに、医療にも明かりにもオリーブ油は使われている。
三段櫂船はアテネのテクノロジーの最高峰。世界で最先端の海上兵器。三段の漕手が同時に櫂を水に差し入れられるように工夫されている。櫂は合計170本。全長35メートルの三段櫂船は、最高時速15キロメートル。この半分の速度で、終日巡航できる(実際にしたようです)。この漕手は奴隷ではなかった。というのも、奴隷は反抗心から、いい加減な仕事をするので使えなかった。
三段櫂船は沈まない。水が浸入して操縦不能になっても沈没はしないのだ。
奴隷を貸すのは、良い稼ぎになる、主人は奴隷1人につき週に1ドラクマを受けとった。
学校ではレスリングを教え、また、音楽の授業もあった。哲学者プラトンもこのころ産まれている。
アテネでは市の公職は交代制。男性の市民は、一生に一度は公職につくことになる。評議会の定数は500人で、その議員は毎年交代する。再任なしで、一度しかなれない。
アテネの女性は、たとえ未婚であっても、夫以外の男性とキスしただけで、「姦通」の罪を犯したとされる。
強姦の傷は一時的なものだが、誘惑は妻を夫から永遠に引き離す危険がある。
ヘタイラは売春婦と違って決まった愛人がいる。アテネ人の女はヘタイラにはなれない。アテネの貴族の男が結婚するのは30歳過ぎてから。ヘタイラは、アテネの社交生活には欠かせない存在だ。
アテネには、女性も子どもも含めて10万人いて、政治に関われる成人男性は3万人。メトイコスが4万人、奴隷が15万人以上。つまり、人口の半分は奴隷。成人男性のメトイコスは2万人。なので、自由人の成人男性が集まると、5人に2人はメトイコスとなる。
ギリシアとアテネの市民生活の一端を知ることができました。
(2022年12月刊。2860円+税)