少年付添人日誌弁護士会月報「付添人日誌」より転載したものです。
付添人日誌(6・10月号)移送前の少年事件(被疑者国選)でできること
1 はじめに
私が昨年担当した少年事件についてご報告させていただきます。
「付添人日誌」であるにもかかわらず、付添人活動ではありません(専ら被疑者国選弁護人の活動です)が、子どもの権利委員会の先生方にご推薦頂きましたので、僭越ながらこの場を借りてご報告させていただく次第です。
2 事案の概要
私が担当した少年(A君)は19歳の大学生です。同い年の友人B君、C君、D君と特殊詐欺をした事案(窃盗)でした。
3 配転時の感想―「年末年始、バタバタしそうだなぁ」
昨年11月中旬頃に配転を受けました。最初に思ったことは、「年末年始、バタバタしそうだなぁ」でした。勾留や鑑別の時間制限を考えると、12月末頃か1月初め頃に少年審判が行われる見込みであったためです。少し重い気持ちで、接見に向かいました。
4 ほっと一息、からの移送後のことを考えると・・・
A君は中部地方(Z県)出身で、大学進学を機に福岡に来て大学寮に住んでいました。しかし、令和5年8月頃に、大麻所持で少年審判を受けて保護観察中であり、同件についての大学の処分もまだであること、今度ばかりは大学を退学せざるを得ないと思うからZ県の実家に戻るつもりである、とのことでした。大学とやり取りをしていただいていたお母様からも、退学は免れない、とのお話でしたので、家裁送致後は、Z県に移送される見通しとなりました。多忙な年末年始を覚悟していた私は、ほっと一息ついたのでした。
しかし、移送後のA君の少年審判が年末年始休暇を挟んだタイトなスケジュールで行われることには変わりません。加えて、A君以外の共犯少年2名も少年審判はZ県に移送されて行われる見込みでした。移送後に付添人を引き継いでくれる先生のために、ひいては少年のために、今の自分に何かできることはないのか、と考えました。
このように考えたのは、当時「付添人研究会」で田村和希先生が、移送後の少年の付添人になって、短期間でご対応に苦慮された、というご報告を聞いた直後だったからだと思います。また、同研究会でアドバイザーの水野遼先生が、「移送先の弁護士と連携を取るべきだ」とご助言されていたことも思い出しました。
5 Z県に知り合いの弁護士がいない・・・
私にはZ県で弁護士をしている知り合いはいませんでしたので、水野遼先生にご相談をしてみました。
そうすると、水野先生は、お忙しい中快く相談に乗ってくださり、Z県の先生(S先生。子どもの権利委員会(類似の活動)でご活躍されている先生)をご紹介してくださいました。
私が(A君の同意を得た上で)、被疑事実の概要やその時点での移送時期の目安等をお伝えしたところ、S先生は、「どの弁護士が配転を受けるかは分からないけれども、委員会内等で情報共有をしておく」と心強いお言葉をくださいました。
その後、A君は2度再逮捕(詐欺、窃盗)されましたので、その都度、S先生に再逮捕されたこと、移送時期の見通しをご連絡差し上げました。S先生から「他の共犯少年の弁護士とも連絡が取れるとありがたい」とのお話がありましたので、B君(福岡で逮捕・勾留されていた共犯少年)の国選弁護人の先生にもご協力を頂き、S先生に情報の共有を行いました。
6 無事に引き継ぎが終わり・・・
結局、12月22日に家裁送致され、Z県への移送も決定しました。同月26日に、S先生から「A君の付添人になることになった」とのご連絡を頂き、ご家族とS先生をお繋ぎして、私の対応は終了となりました。しばらくして、S先生にお尋ねしたところ、少年院送致になった、という結果を教えていただきました。
7 本件を振り返って
私からS先生への情報共有が、S先生やZ県で付添人を引き継ぐ先生方にどこまでお役に立てたか分かりません。しかし、何もしないよりはよかったかな、と思うようにしています。
8 おまけ―少しだけ、少年ならでは(?)の対応
これは、少年事件一般というより、本件ならではの対応かもしれませんが、上記以外の私の活動について少しだけご報告させていただきます。
(1) 直近の少年審判の付添人の先生との連携
Z県への移送が決まっているA君に対して福岡で私ができることは、本件についての反省を少しずつでも深めてもらうことだと思いました。
そこで、まず、A君のことを知るために、令和5年8月頃の付添人の先生にご連絡を取らせていただきました。その先生にも快くご協力を頂き、当時のA君の様子や保護観察となった経緯、A君の課題だと思われるところ等を詳しく教えていただきました。
被疑事実やA君の話を照らし合わせると、A君らは特殊詐欺グループの末端の受け子・出し子のようでした。金を引き出す、金を運ぶ等の仕事内容に応じて分け前が貰えること、仕事が全国のあちこちであって共犯少年らみんなと車で(ドライブ・旅行感覚で)移動することが楽しかったようです。また、A君曰く、A君自身が役割を担ったのは2回程度で、その関与も大きくなく、当初は、「自分はほとんど何もしてなくて、誘われただけなのに…」という思いしかなかったようでした。しかし、特殊詐欺は社会的に大きな問題であることや、被害金額の重大さを問いかけると、(アルバイトの経験はある少年でしたので、これだけのお金を稼ぐためにどれだけの仕事をしないといけないのか、というところはイメージしやすかったようで、)徐々に、自分がしてしまったことの重大さを認識してくれました。
徐々に、自分の言葉で、何がいけなかったのか、今後どうするべきなのかを述べることができるようになるなど、反省が深まっていきました。
(2) ご家族とのご連絡等
ご家族はZ県(中部地方)にお住まいですから、面会に来ることはほぼできません。お母様とは早い段階で連絡を取り、日用品や便箋を郵送で差入してもらうようお願いしたり、お手紙でA君にご連絡をしてあげて欲しい旨お伝えしたりしました。また、接見に行くたびに、A君の様子(食事がとれているか、眠れているか、気持ちにどのような変化があったか等)をお母様にお伝えし、可能な範囲で、ご家族との連絡も密に行うよう心掛けました。
ある時、お母様から、「大学から早く寮を引き上げるように言われているが、警察からは寮の中のものには触らないように言われている。大学寮にはA君の父親と行く予定だが、仕事の都合で、大学寮の引揚までの間に、福岡に行くことができる日は、2日間しかない。できればこの時にA君と接見したい」と連絡がありました。私は、担当の警察官と担当の検事に、お母様のお話をお伝えして、何とかご両親の都合がつく日に大学寮の引揚をさせて欲しいこと、せっかく遠方から来られるのだから、接見をする時間が取れるようご配慮いただきたい旨を伝えました。担当警察官は「警察からお母様にご連絡しておく」、担当検事は「すぐに対応は難しいが、事情は把握した」とだけの回答でしたが、速やかに、警察立ち合いの上での荷物引き揚げの日の調整がされたようでしたし、無事A君とも接見できたとのことでした。
杉田 夕花