少年付添人日誌弁護士会月報「付添人日誌」より転載したものです。
不処分事件から見えてくる少年事件の問題(その2)(14・6月号)
六 少女Bの死
少女Bの審判を迎えた。付添人は、Aのときと同じように前の事件と本件事件とは 断絶があること中心に尋問していった。
しかし、結果はクロであった。やはり、前の事件に関与しているから、本件でも恐喝をまたすることを分からないはずがないというのが理由だった。処分としては、保護観察でBの身柄は解放されたので、本人や保護者らはとても喜んで帰途についた。特にBはニコニコと笑顔いっぱいであった。
付添人としては、非行事実が認定されたことが不服であったので抗告をしようと準備していた。
ところが、である。Bは審判の一週間後、抗告期間中に自殺してしまった。この連絡を高松弁護士から聞いたときは、全く信じられなかった。あんなに面会でも明るく振舞い、審判後もうれしそうに帰っていったあの娘が自殺するとは・・・・
我々は通夜に参列し、御香を挙げた。自殺の理由は、数日前に家族喧嘩をしたそうだが、真相はよく分からなかった。しかし、私としては、逮捕するまでの事件ではないのに長い間身柄を拘束したことに少なからず原因があるのではないかと思った。ただ彼女はもう戻ってこない。私たちには、とてもショックで辛い出来事だった。
七 非行事実は争えない?
さて、この場合の処理については、理論上は見解が分かれる。実務上は、「本人死亡」での抗告理由は認められるが、「非行事実なし」では抗告理由としては認められない。実際本件でも、少年の死亡を理由として原判決を取消し、原家庭裁判所に差戻し、不開始決定により手続きは終了した。
しかし、付添人として本件のように非行事実を正面から争っており、抗告する予定であった少年が死亡した事件において、このような処理が妥当とは言えない。すなわち、上記の処理だと保護処分自体は取消差戻された結果、審判不開始になり処分自体ははなかったことになる。しかしながら、なくなるのは保護処分だけでそれも遡及効がないならば(少年法では処分の取り消し等は将来効である。)、「非行事実あり」とされたこと自体については結局争う機会はなくなり、抗告制度の趣旨である原審の事実誤認によって傷つけられた少年の名誉を回復するという機能は果たせなくなるのである。
また、本件ではAについても後述のように「非行事実あり」の「不処分」という決定だったが、これもまた非行事実を争うために抗告することは判例で否定されているのである。我々は付添人として、2人の少年とも非行事実について不服申立てをする機会がなかったのである。
その他にも少年法には非行事実について争う機会を奪っている条文がある。保護処分の取消を規定した少年法27条の2第2項において少年本人が死亡した場合には除外されている。これは、保護処分と刑罰の違いから本制度趣旨を少年の名誉回復ではなく、誤処分により傷ついた本人の情操の保護、回復を目的とするところにあるので死亡した場合には取消す必要がないという説明がなされている。刑事訴訟法では、本人死亡の場合にも配偶者等が再審請求をできるのと比べると不均衡である。
このように、少年法においては保護処分に対する手当てしかなされていない。確かに保護処分さえなくなれば実際上はそれでいいのかもしれない(高松弁護士はそういう意見である。)。しかし、非行事実を争っていたのに、審判官から「お前はやったんだ。」という烙印貼付(スティグマ)は少年に残っているのであり、保護処分がなくなったのであれば、非行事実について争う必要はないと名誉回復の機会を奪っても妥当なのであろうか。私は疑問に考えている。
八 少女Aの審判
さて、Aの方はというと、審判がなかなか再開せず、裁判官を突っつき、2回目の審判を迎えた。裁判官との協議の中で、結局は、大きな間接事実の争いはなく、前の事件との断絶があったのか否かという評価での争いが主であり、関係者を尋問しても 不利な事実を固める危険があったので、再度本人を尋問し、結論を出してもらうことにした。
結論としては、非行事実は認めるが、不処分にするとのことだった。
(つづく)
弁護士 田中裕司