少年付添人日誌弁護士会月報「付添人日誌」より転載したものです。
付添人日誌 すべての少年に国選付添人を!(30・8月号)
1 当番出動
年の瀬が迫った金曜日、午後5時過ぎになって当番付添人の要請がありました。要請書によれば、少年は18歳、非行事実は道交法違反、同日に観護措置が取られており、家裁からの要請でした。
なんで逮捕されたときに弁護士呼ばなかったのかな?弁護士なんかいらんって言ってるのかな?鑑別所で年越しか~、といろいろ気になりつつ、明日の面会予約を取ろうと鑑別所に電話したところ、なぜか午後7時から面会させてくれるとのことで(審判日直前と間違われたのかな?)、急いで少年に会いに行きました。
2 少年との面会
面会室に入ってきた少年は、何が何だか分かっていない様子でした。私が名前と弁護士であることを告げると、申し訳なさそうに、「ぼく、弁護士頼んでないですけど・・・」と言ってきました。私は、なんで今まで頼まなかったかを聞きました。少年は、なんでそんなこと聞くんだろう?という感じでしたが、「弁護士頼むお金ないし・・・逮捕されただけで親に心配かけてるのにこれ以上迷惑かけれんと思ったし。それに弁護士に来てもらっても何してもらえるのか分かんないし・・・」と話してくれました。
そこで私は、当番付添人制度のこと、家裁から頼まれて会いに来たこと、少年保護付添援助のことを説明し、弁護士費用は心配しなくていいと伝えました。あわせて、これからどういう手続になるのか、その手続に弁護士がどういう関わっていくのかを話したところ、無事に付添人として選任してもらえることになりました。少年によれば、観護措置までに弁護士を頼めるということを何回か聞いたが、道交法違反は国選の対象事件じゃないとも言われたので、お金がかかるならいいや、と思っていたそうです。また、これからどうなるのかを誰かに聞きたかったけど聞けず(取調官に聞こうとしたが、こういうことを聞くと反省してないと思われてずっと拘束されるかもしれないと思っていたから)、そればかりが気になっていたし、せっかくちゃんと生活し始めたのに(これの意味については後述)また逆戻りやん、と諦めていたとのことでした。
1時間では話し足りなそうな少年でしたが、また月曜日に来ることを伝えると、「ありがとうございます。」と言って笑った顔が、最初の表情とずいぶん違っていて、早く会えてよかったなと思いました。
3 非行事実と少年の生活状況
少年との面会を経て、少年には、補導歴50件以上、非行歴2件(審判不開始と不処分)があり、(1)バイクの無免許運転、共同危険行為で送致されていましたが、他にも、(2)自動車の無免許運転、無車検・無保険車運行、ガードパイプの器物損壊、(3)(1)のバイク窃盗があり、(2)(3)の取調べも受けていることが分かりました。
少年は、小学生の時に両親が離婚して父親と暮らしていましたが、父の負担を軽くしようと中学2年生頃から仕事を始めたことをきっかけに、学校に行かなくなり、ついには家に帰らなくなりました。職場も転々とし、地元の友達や職場の先輩の家で寝泊まりする生活を続けていました。そして、友達と過ごすなかで、夜間徘徊を繰り返し、バイクの修理や運転の仕方を覚え、バイクの部品や本体を盗んだり、無免許運転したりしていたようです。
しかし、半年前に母親と暮らすようになって、少年の生活は一変したそうです。それまでは母親とはほとんど連絡を取っていなかったのですが、母親が、自分の生活が落ち着いたから少年と住みたいと言ってきて、仕事も探してきてくれたとのことでした。少年は、お金も仕事もなかったしまあいいか、という軽い気持ちで母親と住み始めたそうですが、母がご飯を作って少年の帰りを待ってくれ、また少年が夜に出かけようとすると、どこに行くんだ、何しに行くんだ、今から出かけたら明日仕事に遅刻するぞ、と口うるさく注意してくることから、だんだん夜出歩くことがなくなっていきました。初めはうざくて仕方なかったけど、そのうち、母親に心配かけられないと思うようになり、それまでの友達との付き合いはフェイドアウトし、バイクにも乗らなくなっていたとのことでした。
このように、逮捕された時点では、少年は、いわゆる普通の生活をしており、今回の送致事実(1)や、(2)(3)は、いずれも半年~1年以上前のものだったのです。
4 方針と実際の活動
せっかく仕事も始めてバイクにも乗らなくなっているのに、少年院送致になれば、職を失うかもしれないし、今母親と離れることで、少年の立ち直りの気持ちが削がれるのではと心配でした。また、(2)(3)の事実で改めて身体拘束されることも避けたいと思いました。一方で少年には、今はちゃんと生活しているからいいじゃないかと過去の行動を軽く考えている面もあったので、過去の行動にきちんと向き合ってほしいと思っていました。
まずは、裁判所には現在の少年の生活状況を知ってもらうため、雇用主から少年の仕事ぶりを聴き取って報告書にし、作業日報、給与明細、雇用主の誓約書等とともに提出しました。
また、(2)(3)について警察署に問い合わせたところ、送致予定だが(1)の審判までには無理と言われたので、少年と相談して、送致される前に(2)の際に乗っていた自動車(少年所有)を処分し、雇用主に預かってもらっている少年の給料から(3)の被害者に弁償金を支払い、(2)のガードパイプの修理代は分割弁済の約束をすることにしました。そして、それらが完了したことを報告書にまとめて家裁に提出しました。
一方で、少年に対しては、自分のこれまでの行動を振り返って、その原因は何だったのか、なぜ二度と同じ生活はしないと思うのかを繰り返し考えてもらい、反省を深めるよう促しました。
5 審判とその後
結局、審判直前に(2)が追送致され、(3)は事実上、(1)(2)とあわせて判断してくれることになりました。(1)~(3)の共犯少年のほとんどは少年院送致になっていたのですが、裁判所は、少年が母親の力を借りながら立ち直りつつあることを認めてくれ、保護観察処分で終わりました。
審判が終わった帰り道、少年から、「給料出たら焼き肉おごるけん。」と言われて楽しみにしていましたが、半年以上経った今まで何の連絡もありません。母親と雇用主は、「先生が心配しとったらいかんけん」と、何度か電話をくれ、少年の様子を教えてくれたのですが・・・
でも、『便りのないのはいい便り』だと思います。本来、少年に関わるべき大人たちがきちんと関わっていれば、付添人なんて要らない存在だと思うからです。きっとこの少年は、母親と雇用主の愛情を受けながら成長を続けていると思います。
6 全面的国選付添人制度実現に向けて
私がこの少年の立ち直りにどれだけ役に立てたかは分かりませんが、母親の粘り強い働きかけで変わってきた少年を見て、少年の可塑性や少年を支える大人の存在の重要性を改めて感じました(その意味で、少年法の適用年齢を18歳未満に引き下げることには反対です。)。
そして、付添人の意義を伝える機会の充実や、少年が金銭的なことを心配しなくていいように、国費で弁護士を付ける制度が必要だとも感じました。
被疑者国選の対象事件が全身柄拘束事件に拡大されたことから、勾留段階ではこの少年のような不安は解消されるともいえます。しかし国選付添人に関しては、未だ対象事件が限定されている上、選任に関し裁判所の裁量がある以上、被疑者段階で付いていた国選弁護人が、家裁送致段階では国選付添人として選任されないということが生じ、少年は再び不安を感じることになってしまいます。少年付添保護援助制度がありますが、「弁護士会がお金出すから申込書書いてね」と聞くのと、「国の制度だから当然付添人になれるよ」と聞くのとでは、少年にとっての分かりやすさも違うのではないかと思います。
子どもの権利委員会では、全面的国選付添人制度実現を目指すシンポジウムを企画し、準備を進めています。シンポジウムは、8月18日(土)の午後1時から、天神ビルにて開催予定です。広く子どもの支援に関わる公私団体の関係者に対し、弁護士付添人の意義を理解してもらい、国選付添人制度の拡大を目指す世論を形成することを目的としていますが、そのためには、付添人活動の充実が不可欠です。今後付添人活動をどのように充実させていくのか、多くの会員の方々とともに考える機会にもなればいいなと思います。
藤田 裕子