少年付添人日誌弁護士会月報「付添人日誌」より転載したものです。

付添人日誌「子離れ親離れ」(25・3月号)

1 昨年まで在籍していた筑豊部会では、審判日の付添人を予め決めておくという方式なので、審判日の1か月ほど前に予想通り当番付添人出動要請が来ました。初めての付添事件でも一人でやるのが筑豊部会です。緊張しました。

2 初めての面会

本件は中学2年生の虞犯でした。少年は、友人らに勧められて一緒に1年ほど薬物を吸引していました。軽度の知的障害のためか、あどけない印象で、お母さんに会いたい、早く家に帰りたい、だからもう悪いことはしたくないと泣いていました。

その母親は、離婚して子ども3人を引き取ったものの、少年とその友人らと酒盛り・喫煙・暴走行為を楽しんで繰り返してきたうえ、ここ数年は難病にかかってしまい、監督能力を問題視されていました。しかし、今は毎日学校へ行かせて悪友とは関わらないように厳しく監督しており、少年に会いたい、一緒に暮らしたいと泣いていました。

同じクラスに優等生の彼女までいる素直で魅力的な少年は、観護措置を取られて修学旅行へ行けなかったことを悔やんでいました。担任の先生からは、クラスの皆で旅先の神社で少年が早く帰ってこられるようにお守りを買って願かけをしてきたが、お守りは鑑別所には規則で差し入れられないそうだと寂しそうに言われました。

反省点は、児童相談所が少年を指導していたこともあったので、児童相談所担当者にも話を聞くべきだったことです。

3 調査官の意見と審判

調査官意見は、当初から最後まで児童自立支援施設送致でした。施設では中学卒業までを目安に施設内で少年に応じた教育をしながら集団生活していくとのことで、本件では1年以上施設にいなければいけないことになります。私は、施設に行かずとも本人も家族も、少年の更生のためにそれぞれ一生懸命改めるべきところを改めて頑張っていたこともあり、試験観察を目指して、少年と何度も面会をしました。もっとも、施設送致処分となる見込みが高く、その処分を少年が受け入れられないと、かえって少年が更生できなくなるので、施設に行くかもしれないと釘を刺してもいました。

調査官からは、善悪の区別が付けられていないと指摘されていたため、何度も話し合いましたが、少年は深く考えることが苦手なようでした。それでも、少年なりに一生懸命考えていたと思います。審判でも号泣状態でしたが、母子ともしっかり自分の言葉で受け答えできていました。

しかし結局、調査官の意見通り、児童自立支援施設送致の審判がなされてしまいました。

施設送致処分の場合、処分確定を待たずに審判直後に施設へ送致されてしまいます。私も施設まで同行して少年と家族との別れに付き添いました。慣れるまでの1か月は誰とも面会できないのだそうです。やはり母子とも泣いていました。

4 後日談

少年が施設に送致されて1か月もたたないうちに、母親から少年が施設から逃走したと連絡がありました。結局少年は、寒い中お金も持たず、直線距離でも40km以上ある家までヒッチハイクをしながらどこにも寄らずに帰ってきたそうです。

母親は、相当に心配していましたが、帰ってきた少年にきっぱりと言ったそうです。施設に帰りなさい、そして春休みに正式に一時帰宅できるようになったときに帰ってきなさい、と。審判までは、施設送致処分を断れないのかと何度も聞いてきた母親でしたが、帰ってきた息子を匿うことなく施設に帰しますと冷静に言っていました。

母親にとって、少年と離れて後悔や寂しさを噛みしめながら生活した結果、子離れのチャンスになったのかもしれません。これから施設に戻る少年は、親離れのチャンスだと思います。審判以降でしたが、付添人活動の面白さを味わえた瞬間でした。

德 永 由 華

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