少年付添人日誌弁護士会月報「付添人日誌」より転載したものです。

少年付添人日誌(6・4月号)

1 はじめに

私が、7件目に担当した少年付添事件について報告し、特に、私の行った就労支援活動についてご紹介いたします。

2 事案の概要

私が担当した少年は事件当時15歳、無職の少年でした。少年は、小学生のころから最近まで児童養護施設に入所しており、一度は祖母宅で引き取られたものの家族との不和から家出をし、友人や先輩方を転々としている状況にありました。そのような生活の中で生活費が底をつきてしまいました。少年は、福岡県警本部少年課の附置機関である少年サポートセンターともつながっていましたが、同所に相談に行く交通費もなく、同所で相談することができませんでした。そこで、少年は薬物を売って生活費を確保しようと考え、最近知り合った薬物の売人(少年)に接触をしました。しかし、薬物を売るためには仕入れをしなければならず、その原資がなかったため、売人から強盗を持ち掛けられ、売人らとともに通行人に対して強盗を仕掛けました。通行人に包丁を突きつけ強盗しようとしたところ、通報されそうになり未遂となりました。なお、同日のうちに凶器の包丁の窃盗(万引き)、器物損壊等を起こしています。なお、少年には、発達障害、知的障害があり、療育手帳(B2)を取得しています。

3 付添人活動

(1) 少年との面談

被疑者として事件が配てんされ、早速警察署に接見に行きました。
少年事件においてままあることですが、接見に行くと少年は大人を警戒しており、私からの問いかけにもあまり答えてくれませんでした。
そこで、私としては、まずは自分に慣れてもらうために可能な限りたくさん接見をし、世間話など事件とは無関係な話もしながら、少年の警戒を解きほぐしていくことから始めました。
他方で、少年が繋がっていた児童相談所や少年サポートセンターに連絡をとり、少年の成育歴に関する情報を集めることとしました。もっとも、児童相談所は裁判所を通じた照会でないと回答できないとし、少年サポートセンターは警察の機関であることから付添事件には協力ができないとし、少年の情報を集めることは出来ませんでした。

(2) 就労支援活動

少年が私に対する警戒を解いてくれた後、まず行った環境調整活動としては、住むところの確保でした。
母親の連絡先を聴き電話をしました。しかし、少年と母親は不和があり、母親に引取りの意思はありませんでした。そこで、生活費の確保と住居を確保すべく、住み込みの就労を検討しました。
早速、別の少年の関係でお世話になっていた、NPO法人福岡県就労支援事業者機構に電話をかけました。機構の方から、就労体験事業による就労を勧められました。同事業は、少年に対して、機構に登録をしている協力雇用主の下で5日間就労体験をさせる制度です。この制度は、受付窓口を通じてのみ申込みができますが、弁護士会の受付窓口となっている知名健太郎定信先生を通じて申込みをしました。
後日、機構側の担当者が選任され、私と担当者との間で、少年の状況についての情報交換を行いました。
もっとも、この事業で就労先を確保するためには面接を行う必要があるところ、付添人としては、試験観察を目指すこととなりました。

(3) 調査官面談

私は、調査官と面談をし、試験観察を目指す意向であるということを伝え、行っている環境調整の現状と今後の予定について情報提供をしました。

(4) 鑑別所における少年との面談

私は、鑑別所にも可能な限り通い、少年との面談を繰り返しました。
鑑別所では、なぜこのような事件を起こすことになったのか、その内的・外的要因とそれを解消するための対策について考えるように宿題を出し、この点について、少年と面会を重ねながら、一緒に考えていきました。
私としては、少年が適切な場所に相談できなかったことが、今回のような事件に発展する一因であったと考え、少年とLINEを交換し社会復帰後に困ったことがあれば、連絡をすることを約束しました。

少年付添人日誌_就労支援事例集

4 審判

いよいよ迎えた審判ですが、残念ながら審判にも母親は出席しませんでした。
少年は、今回の事件の原因を自分なりに分析し、それを解消する対策について、審判で述べました。この点は、審判書においても、少年の更生意欲が高まっているとして評価がされています。また、協力雇用主の下での就労が少年の更生の一助になると指摘されました。
しかし、少年が自らの境遇を受け止め、前向きな意欲を維持できるよう、強固な枠組みの中で丁寧な教育的働きかけを行うことが不可欠として、第1種少年院送致という審判がなされました。

5 審判後

審判後、少年が、少年院という結果には納得するが、試験観察や保護観察となった場合には、最後のチャンスと考え、一層がんばれるとして、抗告を申し立てました。
そこで、抗告審における付添人として活動すべく、少年が収容された人吉の少年院に少年に会いに行きました。少年と2時間近く面談をしましたが、少年は、少年院において高卒認定がとれるという話を聴いたが挑戦したい、数か月後の自分が楽しみであると発言していました。少年が自らの境遇に悲観するばかりでなく前向きにとらえてくれていることに嬉しくなりました。
しかし、残念ながら、抗告は棄却となってしまいました。
私としては、少年が少年院でも前向きにがんばってくれればと願うばかりです。私の活動が少しでも少年の力になったのなら幸いです。

6 さいごに

紙幅の関係で書き足りないことばかりですが、拙稿では少年付添事件における就労支援活動の一例をご紹介しました。
今まで7件ほど少年事件を担当してきましたが、私としては、やはり朝起きて仕事をして、夜寝る生活をすることが事件に巻き込まれない、不良交遊を断ち切るための第一歩になるのではないかと考えています。そこで、少年たちには常々そのようなお話をしています。現在担当している別の少年(薬物事犯)も、機構を通じた就労支援によって協力雇用主の下で就労をし、薬物や不良交遊を断ち切ることができました。
そのような就労支援活動の重要性に鑑みて、夏ころに北九州部会で少年の就労支援に関する研修を企画することとなっています。
拙稿を読んで、会員の皆さまの少年に対する就労支援活動の助力になれば幸いです。

北九州部会子どもの権利委員会 委員 梁  智元(73期)

少年付添人日誌_人吉農芸学院

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