少年付添人日誌弁護士会月報「付添人日誌」より転載したものです。
付添人日誌(18・7月号)
この度、少年付添人日誌の原稿依頼を突如仰せつかりました。特にお話しするような経験があるわけでもないのですが、これまで自身が経験した少年事件の中で感じたことを率直に述べさせて頂こうと思います。
私が弁護士登録をして以来担当してきた事件の中には、重大事犯というほどのものも、否認事件もありませんが、やはり一件一件に違う顔があり、その都度いろいろな反省点や新たな発見があるというのが実感です。
これまで担当した事件の中で意外な難しさを感じたのは、受任に際しての少年の親との関係です。
私が担当したある事案(14歳少年虞犯)では、受任当初に母親に電話で連絡すると、いきなり必要ないと言われ、本人が希望していることや法律扶助制度の説明等をしても、なかなか納得を得られませんでした。結局、付添人就任には承諾を頂いたものの、父親には決して知られないようにして欲しいといって譲らないので、事情を伺うため事務所で一度会うことにしました。
最初は和やかに話ができていたのですが、いずれ分かることなので今のうち父親にも付添人就任の了解を取って欲しいと私が切り出すと、突如逆上されて、そのまま帰られてしまいました。
そこで、少し時間をおいてもう一度話し合おうと思っていた矢先、こともあろうに当日家庭裁判所でその母親とはち合わせてしまい(抗議のため来ていた様子)、ちょっとした騒ぎになってしまいました。その後ある程度誤解を解くことはできたのですが、家庭の状況を十分に掴めないまま審判を迎えることになってしまい、環境面において少年に有利な材料を提供できなかった感は否めませんでした。
少年本人から選任されているとはいえ、やはり親と対立した状態での付添人活動は非常に難しく、むしろ少年に不利益を与えかねないことにもなります。種々の事情により親から付添人就任に対する抵抗感を感じた場合は、受任当初の発言には細心の注意を払い、時間をかけて少しずつ理解を得られるようにしなければならないと反省した次第です。
逆によい思い出として印象に残っているのは、シンナー使用で審判で試験観察に付された少年の件です。単純なシンナー使用事犯だったのですが、高校中退後、母親の家を出て、仲間と深夜徘徊を繰り返している少年で、保護観察歴1回、補導歴が30回以上ありました。就業先のあても見つかりませんでした。
調査官の意見は施設収用だったので、再考してもらうよう交渉する中で、しっかりした身元引受と就業先確保ができないかとほのめかされました。そこで、何とか手がかりを探したところ、幼少時に離婚・別居している父親と連絡がつき、協力を求めたところ、父親の親戚にあたる会社経営者に頼んでもらうことができました。審判当日にはその親戚の方にも無理を言ってきてもらい、調査官に会ってもらいました。
その後開かれた審判では、裁判官から散々これまでの非行について叱責されたあげく、「この責任どう取るの?」と鋭く尋ねられ、「分からない?こういうときの責任の取り方は・・・少年院に行くんだよ」と相当脅かされていましたが、何とか試験観察に落ち着きました。少年本人も両親も相当ショックを受けたようで、身柄解放直後から両親に交互に説教され、当日はそのまま髪を短くするため床屋に直行させられたうえ、職場への翌朝7時からの出勤を命じられていました。いきなりの環境激変に耐えられるかと心配しましたが、適度なショックと規則正しい生活の契機が少年にとって効果抜群だったようで、その後少年は毎日職場に時間厳守で通い続け、昔の仲間との連絡も一切控え、試験観察期間を無事に過ごしました。
裁判所としても、少年に有利な処遇を出すための「理由」を欲しがっているケースがあるので、そうした場合に、迅速に材料を提供することが(本件は迅速とはいえませんが)、良い結果につながると認識した次第です。
藏 健一郎