少年付添人日誌弁護士会月報「付添人日誌」より転載したものです。

付添人日誌(26・8月号)

1 出動要請

ある日の夕方、天神センターから当番弁護士の出動要請書がFAXされてきました。「被疑者・少年、被疑罪名・道交法違反、拘束場所・朝倉署、サポート・井上敦史先生」。初めての少年事件がまわってきました。

「とうとうきたか。しかし朝倉遠いな。」などと思いながら、要請書を眺めていると、すぐに井上先生から「今から一緒に接見に行きましょう。」と電話連絡がありました。慌てて準備して、西鉄と甘木鉄道を乗り継いで1時間半位かかって朝倉署に到着しました。

2 接見・準抗告

少年との初接見ですが、物静かであまりしゃべらないといった印象の少年でした。少年の話では、友人らと無免許でバイクを暴走させていたところ逮捕されたとのことでした。そして、タイミングが悪いことに翌日が高校の入学式ということでした。

そこで、退学にならないように準抗告の申立てをしましたが、あえなく棄却されてしまいました。

それから3度接見して、勾留満期を迎えました。検察官は、少年は反省している、勾留延長はしないと言っていたので、観護措置もないだろうと思っていました。

3 観護措置決定・面会

観護措置をとらないように求める意見書も提出していたのですが、予想に反し観護措置決定となってしまいました。

その日、家裁で少年の両親と面会したのですが、二人ともショックが大きく家裁の長椅子から動けなくなっていました。そこで、とりあえずその日の少年との面会予約を取らせました。

その後、家裁から「少年の住居の関係で、管轄が久留米になりますが辞任されますか。」と電話連絡がありました。当然、辞任はしなかったのですが、「今度は久留米か、また遠いな。」と嘆きました。

それから6回くらい鑑別所に面会に行きました。会話は弾んだとは言えませんでしたが、少年は最初の頃と比べると話をしてくれるようになり、時折笑顔も見せてくれるようになりました。

4 高校との交渉

観護措置決定後、高校から呼び出しを受けたと少年の母親から連絡がありました。退学処分が頭によぎったので、少年の両親と高校に行くことにしました。高校では教頭と担任との面談になりました。高校側は少年に自主退学してほしいとのことでした。長時間の押し問答になりましたが、高校側の態度は硬く退学の方針は覆りませんでした。

少年にこのことを報告するのは気が重くなりましたが、少年は働きながら定時制高校に行って頑張ると新たな目標を立ててくれたので安心しました。

5 記録の閲覧・意見書

久留米の家裁まで法律記録を閲覧しに行ったところ、暴走行為の態様が非常に悪いこと、これまでに何度か補導歴があることなど、今まで知らなかった事実が色々と載っていて驚きました。

次に、社会記録を閲覧しに行ったところ、調査官の意見は保護観察でした。しかし、私の意見としては不処分でしたので、井上先生に何度も意見書の起案を添削していただき、不処分の意見書を完成させました。

6 審判・その後

審判では、少年は少し目を赤らめており、本件のことを反省していました。最後の付添人の意見では、調査官の意見に反論する形で意見を述べました。しかし、結果は調査官の意見どおり保護観察となってしまいました。それでも、少年と両親が嬉しそうに家に帰っていったのが印象的で、その後姿を見て少年事件やって良かったと思いました。
その後、1ヶ月ほどして少年の母親から少年が通信制の高校に入学することが決まり、また地域のソフトボールチームに入って頑張っているとの報告がありました。次の少年事件も頑張ろうと思いました。最後に、井上先生には手厚く御指導いただき本当にありがとうございました。

浅 田 憲太郎

目次