少年付添人日誌弁護士会月報「付添人日誌」より転載したものです。

付添人日誌(1・10月号)
伝わらなかった思い 伝えたい思い

1 伝わらなかった思い

「少年を第一種少年院に送致する。」

裁判官がこう言い渡した時、審判廷にいた誰もが耳を疑いました。付添人席に座っていた私もその例外ではありませんでした。

少年のAさんが涙を流しながら審判廷で必死に紡いだ言葉の数々は、ついに一件記録のみから心証を固めて審判に臨んだ裁判官の心を動かすことができなかったのです。

「どうしてAさんが少年院に行かなければならないのか。」

わざわざ家庭裁判所まで足を運んでくれたAさんの同僚の怒りの矛先は、付添人である私に対して向いていました。Aさんの同僚の怒りは、審判に出廷しAさんの働きぶりを語ってくれたAさんの雇用主が止めに入らなければ収まらないほどでした。

私には少年院で法務教官として働く高校時代の同級生がおり、少年院が非行少年を更生させるための優れた施設の一つであることは十分理解しているつもりです。それでも、Aさんの成長にとって大切な時間を社会内ではなく少年院で過ごさせることになってしまったことについては、今でもやり切れない思いでいっぱいです。

1 Aさんとの出会い

私は、2017(平成29)年12月に弁護士登録しました。翌年の2018(平成30)年7月、付添人事件のサポート事件として配点されたのがAさんの事件でした。サポート弁護士には迫田登紀子先生に就いていただき、鑑別所での面会や調査官との面談に同席してもらったり、私が起案した意見書をチェックしていただいたりと、懇切丁寧な指導をいただきました。

Aさんは家裁送致後に観護措置となって鑑別所に収容されていました。Aさんは非行事実を認めており、専らAさんの要保護性が問題となる事件でした。Aさんは、前歴があって少年院送致を経験しているだけでなく、遠方にいる母がAさんに愛想を尽かして身元引受けを拒絶しているという、どこから手をつけてよいか全く分からない絶望的な状況でした。

他方で、Aさんと面会したり家庭裁判所で記録を謄写したりして検討するなかで、交際相手の母が身元引受人となっていることや、職場で真面目に働いてきたことなどが分かりました。

3 鑑別所に通って

私は、Aさんのためにできることは全てやろうと決心しました。

弁護士1年目の私には知識も経験もありませんが、フットワークだけは誰にも負けない自信がありましたので、とにかく鑑別所に足しげく通いました。Aさんは、初めて会った時こそ目つきが鋭く言葉遣いも適当で、付添人である私に対しても大人に対する不信感をむき出しにして接してきていました。

ところが、私が呼んでもいないのに何度も何度も面会に来るものですから、Aさんも次第に表情が豊かになって口数も増え、何でも話してくれるようになりました。この年の福岡は連日猛暑日が続いており、鑑別所に着く頃には毎回汗びっしょりになるほどでしたが、自販機で買った冷たい飲み物がAさんの乾いた喉だけでなくその心まで潤していくようでした。

4 木の幹と枝葉

私は、Aさんが鑑別所でしっかり反省し、事件や今後のことについて自分の頭でしっかり考えることができるようになったことを何とか形にして裁判官や調査官に理解してもらいたいと考えました。

それは、私が修習時代にとある裁判官から「弁護人や付添人の仕事は、一件記録から読み取れない事実を探し出して裁判所に伝えることにあるのではないでしょうか。判断者である我々裁判官は、そういう事実をもっと知りたいし、弁護人や付添人がそういう事実を我々のところまで届けてくれるのを待っているのです。」と教えてもらったことに着想を得たものでした。

ちょうどその頃、Aさんは、私に対して、鑑別所でノートを買って日々の思いや今後のことについて書き留めているという話を聞きました。

私は、「これだ。」と思いました。

私は、Aさんに、テーマをいくつか考えて、それぞれについて今の考えをノートにまとめるようにお願いしました。Aさんは、少し戸惑ったような表情でしたが、「やってみます。」と答えました。

数日後、Aさんと面会すると、例のノートを見せてくれました。そこには、今回の事件について、被害者について、交際相手について、仕事について、今後について等、自分で考えたテーマそれぞれについて2、3行程度の言葉が並んでいました。聞くと、「私に言われた通りに書いてみたものの、どうやって書いたら良いか分からなかった。」とのことでした。

私は、Aさんが自分なりに考えてノートにまとめてくれたことに感動しつつ、Aさんには考える力はある、考える方法をこれまで誰からも教わったことがないだけだ、と確信しました。

私は、Aさんに優しく語りかけました。

「よく考えて書いてくれたと思います。ありがとう。木でいえば、木の幹や太い枝はしっかりしていてとても良いと思います。ただ、細い枝や葉っぱがもっと付いたらさらに立派な木になると思いますよ。細い枝や葉っぱをもっと増やせるように、あなたの考えをもう少し深く掘り下げて書いてもらえませんか。」

Aさんは褒められたことに少し照れながらも、目を輝かせながら元気に「やってみます。」と答えました。私が数日後宅下げして証拠として家裁に提出したノートには、何ページにもわたってAさんの思いがびっしりと書かれていたことは言うまでもありません。

また、環境調整の結果、雇用主からの継続雇用の約束を取り付けることができ、雇用主は審判に出廷してAさんのこれまでの働きぶりや今後の雇用継続について熱心に話をしてくれました。Aさんは、雇用主が入廷するや否や堰を切ったように涙を流し始め、重苦しい審判廷の雰囲気は、Aさんが流した内省の涙で満たされていきました。

私は修習時代、とある検察官から「法律家の仕事とは、複雑に絡まった糸を解いていく作業のようなものです。その糸を解くことができた者だけが、事件の真相に迫ることができるのです。」と教えてもらいました。Aさんの事件は、まさに何本もの糸が解くことができないほどに複雑かつ固く絡まっているようなものでしたが、一本一本、丹念に、解いていくことができたのではないかと思います。

Aさんが当初置かれていた孤立無援の絶望的な状況からすれば、審判時点ではこれ以上ない環境が整ったと、誰もが信じて疑いませんでした。

5 動かぬ心証

それでも、Aさんの思いは判断者である裁判官には届きませんでした。

審判書では、Aさんが鑑別所で必死に考えてノートに認めた言葉の数々への言及はほとんどありませんでした。それもそのはず、裁判官は、事前に準備していた手控えを読み上げるような形で言渡しを行なったのです。それどころか、少年法やその規則の各条文に通底するはずの精神に悖る審判運営が行なわれ、Aさんは心理的に混乱したまま少年院送致の言渡しを受けることになってしまいました。

私は即日抗告し、原決定について審判の方式や言渡し手続に関する法令違反とともに処分不当を主張し、全面的に争いました。また、迫田先生と共に高裁の主任裁判官と面談し、抗告申立書で書ききれなかった思いを伝えました。

高裁の結論は抗告棄却でした。もっとも、高裁の決定書には少年の思いを汲んだと思われる次のような表現もあり、救われる思いでした。

「確かに、少年作成のノートを読めば、少年が、今後非行に及ばずに社会で立ち直ることについて、少年なりに考えて内省を深め、規範意識が少しずつ芽生えてきていることがうかがえる。」

「少年には、集団生活を通じて、努力は報われることを学んで、自信を持ち、健全な社会生活を前向きに営むための意欲を養ってほしい。」

私の付添人活動を振り返ってみて、至らぬ点がなかったかと言われれば自信はありません。たらればの結果論で語るのはあまり好きではありませんが、結論を分ける分岐点があったことも事実です。また、保護処分の内容に納得してもらうことは、少年の真の更生にとって必要不可欠のように思いますが、Aさんの事件では結果的にそれができませんでした。せめてAさんの思いを裁判官に伝えることができていればと、今となっては悔やんでも悔やみきれません。

6 Bさんとの出会い

あれからちょうど1年が経った今年の8月。私が事務所で当番弁護士として待機していると、当番付添人の出動要請がありました。私が接見に行くと、少年のBさんは警察署の留置場に逮捕されており、検察官からの勾留請求が見込まれる状態でした。

先のAさんの事件のように、家裁送致後の少年事件の場合、付添人が少年の思いを伝えることができるのは、事件の被害者と判断者である裁判官および調査官だけですが、家裁送致前の被疑者段階の少年事件の場合、弁護人は身体拘束を解くために、担当検察官、令状担当裁判官、準抗告申立てを審理する裁判所といった方々に対して少年の思いを伝えるチャンスがあります。

私は、ほぼ連日接見に行き、Bさんの思いを聴き取り続けました。そして、その思いを、被害者に宛てた手紙に綴って差し出すとともに、令状担当裁判官に宛てた意見書、勾留決定に対する準抗告申立書、勾留延長決定に対する準抗告申立書に可能な限り盛り込んで裁判所に提出しました。また、差入れた便せんにBさん自身の思いを数回に分けて書いてもらい、いずれも宅下げして準抗告申立ての疎明資料としました。

しかし、結果的に勾留決定がなされ、私の準抗告申立ては全て棄却され、Bさんは二十数日間を警察署で過ごすことになりました。Aさんの事件と同じく、Bさんの思いは届かなかったかのように見えました。

そんな中、私は、警察署の接見室でBさんから思いもしない言葉をかけられました。

「今日検事調べがあったのですが、検事さんから『いい弁護士さんが就いてくれてよかったね。』と言われました。先生のおかげで検事さんに私の思いが届いたみたいで良かったです。私も、先生みたいな大人になりたいです。」

担当の検察官がどのような意図でそのような発言をしたのかについては確かめようがありませんが、Bさんの思いが私の作成した準抗告申立書を通じて担当検察官にしっかり届いていたのです。こうしてBさんの事件は勾留満期日に在宅事件に切り替えられることになり、釈放となりました。

私は、残念ながらBさんの釈放の瞬間に立ち会うことはできませんでしたが、釈放後のBさんとは電話で話すことができました。Bさんの声は、警察署の接見室で話した時とは異なり、明るく、弾んでいました。

「今回は本当にありがとうございました。時間はかかりましたが、先生のおかげで外に出ることができました。先生、私が外に出たら、私が大好きなコーラを一緒に飲みましょうという約束、忘れていませんよね。」

7 伝えたい思い

私は、少年が真摯に反省することが非行事実を帳消しにできるなどとは決して思っていません。たとえ少年の弁護人や付添人という立場であったとしても、被害者の心情をも十分に汲み取りながら、少年に内省を深めさせることが重要であると考えています。他方で、少年事件を通じて出会う少年は、自らのさまざまな思いを大人に正面から受け止めてもらう機会に恵まれてこなかったという悩みを抱えていることが多いのも事実であり、まずは弁護人や付添人がその悩みを正面から受け止めて、さらには弁護人や付添人以外の大人にも少年のさまざまな思いを理解してもらうという作業が必要であると感じています。

そうはいっても、弁護人や付添人としての活動は、報われないことが多く、徒労に終わってしまうことばかりで、正直なところ投げ出してしまいたくなることもあります。私が何度も接見に行くので、周囲から奇異な目で見られることがあり、弁護人や付添人のあるべき姿とは一体何なのだろうと自問自答したこともあります。

しかし、私は、二つの少年事件を通じて、たとえ100回叩いても崩れない壁があったとしても、「あと1回叩けば崩れるかもしれない。」という強い信念を持って事件に取り組む姿勢が大切であると痛感しました。私が被疑者や少年の立場だったとして、接見に来た弁護士が自分の思いを受け止めてくれなかったら、それはとても悲しいことだと思うのです。被疑者や少年の思いに寄り添い、その思いを伝えていくことこそが、我々弁護人や付添人に求められている使命なのだと信じて止みません。

島 翔吾

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