少年付添人日誌弁護士会月報「付添人日誌」より転載したものです。

付添人日誌(7・1月号)(連続掲載第1回)

1 はじめに

こんにちは。子どもの権利委員会に所属している筑後部会69期の鶴崎と申します。

さて、今回は私が被疑者国選の段階から担当した少年事件についてご報告いたします。
執筆者を割り振っている同期の某弁護士が担当者探しに難渋している様子をいつも見ているので、今回の報告は複数回にわたってお送りさせていただこうと思います。

いつ終わるかわかりませんが、私の拙い報告を何回も読んでくださる奇特な先生がいらっしゃるのであれば、どうかしばらくお付き合いください。

2 序章

(1) とある土曜日、法テラスから携帯にかかってきた電話に出ると、中学3年生の傷害被疑事件の国選弁護人を打診する電話だった。

承諾し、事務所に送られてきたFAXの被疑事実を確認すると、高校1年生の胸倉を掴んで押し倒すなどの暴行を加え、約5日間の療養を要する傷害を負わせたというものだった。
被疑事実を読んで、逮捕・勾留までしなくてもよかろうにという思いを抱きながらも、警察署に向かい初回接見に臨んだ。

(2) 接見室に入りアクリル板越しに見た少年は絵に描いたような不良少年といった佇まいで、話を聞くと、中学1年生のときに器物損壊、放火、窃盗、中学2年生のときに脅迫、暴行、別の暴行などでそれぞれ警察のお世話になったことがあるという。

暴行の相手には中学校の教師も含まれていたことから、学校では教師から腫れ物扱いされてきたであろうことが容易に想像できた。

もっとも、何度も警察のお世話になってはいるが家庭裁判所で保護処分を受けたことはないという。

さて、被疑事実について詳細を聞くと、中学校の友達と近所の川で遊んでいたところ、通りかかった高校生がスマホで自分たちの様子を撮影していたことから、追いかけて動画を削除させるなどしていたときにちょっとしたもみ合いになって暴行を加えてしまったそうだ。

勝手に撮影する方が悪いだろうといった言い分で反省している様子はあまりないが、とりあえずは頷きながら少年の話に耳を傾ける。

続いて日常生活のことを聞くと、授業が退屈だから学校にはほとんど行っていないが好きなメニューのときは給食だけ食べに行っており、メニューがダメなときは外食しているとのこと。

外食のお金をいつも親がくれるのか確認すると、自分で仕事をしてお金を稼いでいるという。しかも建設業で現場仕事をしているというから、よくある中学生のアルバイトとはちょっと次元がちがう。

ご飯を家で食べることもあるが、小学校低学年のときに両親が離婚して父親とは一緒に生活しておらず、母親は忙しいことから、ご飯を用意してくれるとすればおばあちゃんだという。家にはあまり帰らないとのことなので、少年事件にはありがちだが、複雑な家庭環境で育ったことが想像できる。

母親はどんな人物なのだろうかと若干の不安を抱きつつ、とりあえず母親に連絡することについて少年から承諾をもらい連絡先を確認すると、少年からは母親の携帯番号が淀みなく告げられる。少年事件に限らず、国選弁護人として活動していると電話番号をやたらと記憶している被疑者にしばしば出会うが、そのたびに感心してしまう。私がそらで言えるのは実家と事務所の固定電話番号くらいである。

接見を終える前に何か必要なものがないかを確認すると、留置場の中は暇だからマンガが欲しいとのことなので、警察署の近くのコンビニで5冊か6冊くらいのマンガ雑誌を買って差し入れをし、その日は警察署を後にした。

勾留は罪証隠滅と逃亡のおそれを防止するためのものなのに、なぜ自分でマンガを買うことすらできない生活を長期間にわたり強いられなければならないのか、いつもながら疑問に思う。

(3) その日はもう夜だったので、翌日に少年の母親に電話をして話を聞いた。

母親も昔はずいぶんとやんちゃしたようで、今回の件を重くとらえている様子はなく、勝手に撮影していたのだからそれくらいされても仕方なかろうといった受け止め方である。
ここでも母親の言うことにただ耳を傾け、学校に行っていないことについても確認すると、どうやら少年が自分の意思で学校に行っていないのではなく、学校から登校を禁止されているらしい。

髪の色やピアスなどを理由に中2くらいから学校に入れてくれないことが増え、今ではちょっと問題を起こすと自宅待機させられる状況とのことだ。

暴力や器物損壊などの他害行為に及んだときならまだしも(実際に少年はそのような行為に及ぶこともあったのではあるが)、髪の色を染めたりピアスをしたりなど、私からすると理由にならないようなことで登校を禁止されているようだ。

また、学校の教師が少年の友人に「あいつとつるんだら内申点やらんぞ」と言ったりしているとのことなので、予想どおりの腫れ物扱いぶりである。

少年が信頼している教師もわずかながらいるようだが基本的には教師のことを嫌っており、中学校を出たら仕事に就くのが少年の意向らしい。

一通り話を聞いて電話を切る前に少年に対して何か伝言があるか確認したところ、「ようと考えて行動しなさい」とのことであった。今の時代は手を出すとすぐに捕まるからそうならないように気を付けなさい、というような意味合いだ。

その翌日、まずは警察署に連絡して、被害者の保護者に弁護士が連絡をとりたがっている旨を伝えるよう依頼した後、少年が通う中学校に電話した。

電話対応したのは教頭で、弁護士相手だからか口調は落ち着いていたが、少年が学校で起こした問題行動(弁護士からすると問題行動にならないようなものも含む)についていくつも説明を受けた。

少年を登校させることに消極的な様子が電話口の対応からだけでも窺えるが、校則をちゃんと守るのであれば現時点で登校を拒むような事情はとくにないとのことだった。

(4) その日の夜、2回目の接見に行った。

その時点で私の関心の多くは少年が学校から登校を拒否されていることに向けられていたことから、警察からの取り調べ状況などを簡単に確認した後、学校のことについて確認した。

少年によると、小学校を卒業して中学校に入学する間の時期にピアスをするようになり、透明のピアスなので中学校1年生のときはばれていなかったが、そのときから髪を染めたりすると教室に入れてもらえなかったとのことであった。一時期は校則に違反しても入れてくれる時期があったものの、今は絶対に入れてくれないそうだ。

少年が学校からこのような対応をされる中で暴力を振るったりするようになったのか、あるいは暴力などの問題行動も相俟って学校が厳しい対応をとるようになったのか、その前後関係は不明だが、いずれにせよ現時点で学校と少年との間に大きな壁があることには違いない。

さて、あと10か月程度で中学校を卒業することを踏まえると、少年自身が学校に行かずに仕事をする生活に満足しているのであればまあそれでもよいかなどと考えつつ、念のため学校に通いたいかどうかを少年に確認してみると、予想とは異なる返事が返ってきた。

少年としては、今さら完璧に校則を遵守した髪型や服装はできないが、ある程度校則に近い範囲に戻して学校が受け入れてくれるなら中学校の残りの期間は学校に行きたい気持ちはあるという。さらに、卒業したら通信の高校くらいには行っておきたいという意向もあるようだ。

「学校なんてくだらない、あんなしょうもない教師がいるところに誰が行くか!」みたいなやさぐれた回答を予想していた私は、意外に感じるとともにどこか嬉しい気持ちになり、これはなんとしてもこの少年を学校に通えるようにしてあげなければ、と心に決めたのであった。(つづく)

3 結びに

文字数がいい感じになってきたので今回はこれで終了とさせていただきます。

ここまでを読んでおわかりかもしれませんが、今回の付添人活動のメインは、少年が登校できるように私と少年が学校相手に奮闘する物語です。

このペースで書いていくといつ終わるかわからないので続きはサクサク報告していこうと思いますが、付添人日誌は3か月に1回なので次回は4月号でまたお会いしましょう。

鶴崎 陽三

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