福岡県弁護士会コラム(会内広報誌「月報」より)
月報記事
2012年1月 1日
シンポジウム 司法改革の光と闇 法曹人口大増員政策の行方
法曹人口問題シンポジウム準備会 委員 三 山 直 之(62期)
平成23年11月26日(土)午後2時から午後5時30分にかけて、福岡商工会議所において、標記シンポジウムが開催されましたので、その準備会の様子も含め、ご報告いたします。0 準備会・勉強会
平成13年の司法改革審議会最終意見書から10年を経た本年、3月27日付け日弁連緊急提言が出される等、司法改革の見直し、更なる改善の動きが見られるようになり、全国で法曹人口問題に関するシンポジウムが開催されました。
福岡県弁護士会においても、標記シンポジウムの開催に向けて、本年6月に準備会が設置されました。
また、本年8月以降、外部の方も招き、広く会員向けに告知をした上で、勉強会が開催されてきました。
1 当日-基調報告
当日、小林洋二先生の司会のもと、滞りなくプログラムが進められました。
まず、当会会長吉村敏幸先生から開会の挨拶を頂いた後、石渡一史先生から、基調報告として、法曹人口問題に関するこれまでの経緯報告と論点の提示を頂きました。
設定された論点は、以下のとおりでした。
・ 諸外国との数的比較
・ 弁護士過疎の問題
・ アクセスルートの問題等
・ 職務拡大の問題等
・ 法化社会とは
・ 法化社会と法曹像
・ 法化社会と法曹人口
・ 弁護士像について
・ 法曹人口問題と法曹(弁護士)の質との関連について
・ 法曹の質の問題と資格試験・OJT
2 当日-ディベート
次に、上記の各論点について、森裕美子先生、柴田耕太郎先生、伊藤巧示先生が増員賛成派、松尾重信先生、向原栄大朗先生、桑原義浩先生が増員反対派の立場から、それぞれ意見を戦わせました。
もちろん、ディベートですから、先生方個人としての意見ではありません。
しかし、いずれの先生方も、両者の意見をよく勉強された上で、それぞれの立場から、主張・反論をなさっており、準備会・勉強会の成果を遺憾なく発揮されておられました。
3 当日-パネルディスカッション
その後、前田憲徳先生がコーディネーターを務め、全国消費生活相談員協会九州支部長の井出龍子様、西日本新聞社編集局長の井上裕之様、福岡市医師会理事の原祐一様、エムクラフト・代表取締役の松波徳明様、石渡一史先生によるパネルディスカッションが行われました。
井手様からは、このような問題があること自体あまり一般市民に知られていないのではないかとの問題提起がありました。
松波様からは、「弁護士に頼むというのは、一生に一度あるかないかの経験。質の確保の問題は重要。」との指摘がありました。
原先生からは、教育・質の確保という観点から、医師の世界においてはこれほどの急激な増員というのはあり得ないとの発言がありました。
また、井上様からは、子どもが「弁護士になりたい。」と言える社会でなければならないとの意見を頂きました。
この他、いずれの方々も、多岐にわたる論点について、それぞれの立場から様々な意見を述べられました。それら意見の中には、弁護士同士での議論では必ずしも明らかにならなかったり、重要視されないものであったりするものもあり、極めて貴重なご意見・ご発言を頂けたものと思われます。
また、会場からも、試験制度の問題点に踏み込んだ発言がなされる等、活発な意見交換が行われました。
4 当日-まとめ
最後に、準備会委員長の市丸信敏先生、日弁連副会長の中村利雄先生からまとめの言葉を頂戴し、当会副会長の_橋直人先生から閉会挨拶が述べられました。
当初3時間の予定でありましたが、議論白熱のため30分ほど超過し、盛況のうちに閉会となりました。
中村先生が、ご発言の中でPDCA(Plan→Do→Check→Act)サイクルについて触れられ、検証の必要性を訴えられていたのが印象に残りました。
5 今後について
準備会については、標記シンポジウムの盛況により、ひとまずその役割を終えたということになるかと思います。
しかし、もちろん標記シンポジウムのみをもって法曹人口問題に解決の目途がついたというものではありません。
私が強く感じたことは、この問題は、「あるべき司法とは何か。」を考えるものであるということであり、したがって、・継続的に検証と改善を重ねていかなければならず、・身内の議論に終始せず、広く市民・国民の声を聞かなければならないという点です。
本拙稿が、会員皆様方がこの問題について再考察をするためのきっかけとなれば幸いです。
ITコラム
会 員 塗 木 麻 美(62期)
今年も後わずか、2011年は未曾有の大震災の年として記憶されるでしょうが、ことIT界においては、スマートフォン元年と位置づけられるかもしれません。昨年も既にiPhoneは珍しい存在ではありませんでしたが、今年は電車やバスの中で、人々がやや大きめのケータイに向かう様も普通の光景となりました。
ヒトにとっての外部記憶となる機器が、一部の好き者の「ガジェット」としてでなく、完全に市民権を得た感があります。
元祖ガジェット好き(現在は予算難らしく隠遁中)の私の夫に言わせると、「隔世の感、夢の世界まであと少し」といったところのようです。
さて、そんな相方がこれまで蒐集?したモバイル系情報機器は、覚えている限りでも、DataScope(京セラのでかいPHS)、Libretto70、jornada720、WorkPad30J、CLIE、ZaurusSL-C3000、sigmarionIII、ノートPCではvaioPCG-U1、 thinkpadやLet_sNote、Eee PC(ネットブック)、そしてiPad2...(知っている人だけ懐かしんでください)。
さて、これらのうち、いわゆるPalm系の機器は、ご記憶の方も多いかともいます。
Palmは、携帯情報端末(PDA。死語??)の一つです。99年、IBMから日本語版Workpadが出荷され、2000年にはSonyが独自にカスタマイズしたClieを出すなど、一世を風靡しました。形や特徴は概ね現在のスマホに近く、今でも現役で見かけますね。
PalmがそれまでのPDAと違って成功しかけた要因は、「Zen(禅) of Palm」という哲学で、機能をシンプルに絞ったことにあります。白黒画面にスケジュール、メモ帳等といった基本的なアプリケーションで、当時の貧弱な機器スペックでも軽快に動作するものでした(単にアプリ製作の技術力がなかっただけかもしれませんが)。
しかし、ご存じのとおり、Palmは一部好き者のための「おもちゃ」にとどまり、携帯電話の高機能化に伴い、日本からはほとんど姿を消しました。
ところが今年、PDAは一気に「スマホ」という形で復活し、反対にこれまでのケータイを駆逐しかけています。この違いは何でしょうか?
私は(というか相方が言うには)、人が携帯情報端末に求める機能(キラーアプリ)にあったのかと思います。実は人々は情報端末にスケジュールやメモ帳の機能は求めていません。紙の手帳で充分です。それよりも、ネット等への「つながり感」を容易に確保してくれるアプリやサービスを求めていたのではないでしょうか。
情報検索、SNS、Twitter、地図サービス...。情報端末は、単なる召使いではなく、社会への入り口となるスーパー秘書であることが求められているようです。今後は毒舌執事、能面家政婦など進化を遂げていくのでしょうか。
なお、つながり非重視の相方には、キラーアプリは議事録メモのようで、いまだにsigmarionIIIを現役で使っています。
インターネット被害対策110番
ホームページ委員会 松 尾 重 信(51期)
平成23年12月2日午後1時から午後5時まで、インターネット被害110番を実施しましたので報告します。ホームページ委員会では、インターネットがらみでのトラブルが多発しているにもかかわらず、インターネットが絡んでいるとなると及び腰になり、法的救済を受けられずにいるケースが多いという認識から、平成17年度よりインターネット被害対策110番と題して、無料電話相談を実施しております。過去の相談においては、ワンクリック詐欺、ワンクリックすらしていない架空請求詐欺、オークション詐欺、ネットによる名誉毀損、ホームページリース詐欺等、当時委員会として想定していた事件も多くありましたが、某通信会社の代理店詐欺、内職紹介トラブル(ないし詐欺)等相談を通じて手口を知るようなものもあり、被害対策弁護団を結成し、解決を得た事案もありました。ある意味ネットが介在すると被害が拡大する傾向にあり、今後消費者委員会等関連委員会と協力体制を作っていく必要もあると思われます。
本年の相談では、事件化に至った相談はなかったものの、ネット上での名誉毀損ないしプライバシー侵害や、パソコンを起動すると特定のサイト(出会い系やアダルトサイト等が多い)を自動的に表示するスパイウェアプログラムに関する相談、迷惑メールの対処法等の8件の相談がありました。もちろん、この中には、パソコンやインターネットの近時動向を知らなければ対応できないような相談もありましたが、相談内容としては、通常の法律相談と同様であるものもありました。
弁護士としてはネットやパソコンが絡むと、知識がないとして敬遠されがちな分野であります。ホームページ委員会では、今後会員へITがらみの事件に対する対処法や基礎知識を提供するための講演を企画していき、会員間で情報を共有していけるようにしていきたいと思います。
2011年12月 1日
「裁判ウォッチング」のご報告
会 員 中 村 亮 介(63期)
さる平成23年10月19日、福岡地方裁判所において、「裁判ウォッチング」が実施されました。参加者は約50名と非常に多かったです。私はその日の午後の担当で、田畠光一先生、梅津奈穂子先生、和智大助先生、鍋嶋隆志先生とご一緒することとなりました。まずは、参加者の方々に弁護士会館3階で、裁判に関する簡単な説明のDVDを観ていただいたあと、2つの班に分かれました。
私は、和智先生と鍋嶋先生と一緒に引率をすることになりましたが、鍋嶋先生から、参加者の方々に対して、これから傍聴する事件について簡単な説明をしていただき、その後、法廷へ向かいました。
まず、刑事裁判の傍聴に行きました。参加者のほとんどは、腰縄をまかれ手錠をかけられた被告人を見たということで、参加者のうちの一人の方は、「初めて手錠をかけられた人を見て、とても衝撃を受けました。」とおっしゃっていました。
次に、民事裁判の傍聴に行きました。傍聴前に、鍋嶋先生より参加者に対して「民事裁判を見る前にひと言だけ言っておきますが、民事裁判は、単なる書面のやり取りだけで、内容はよくわからないので、がっかりしないでくださいね。」とのご説明があり、その後法廷へ入りました。
しかし、その日の参加者は強運の持主が揃っていたようで、いざ法廷にはいると、傍聴した裁判は双方とも代理人の就いていない当事者裁判で、裁判官を通じて詳細なやりとりが丁寧になされました。参加者の方々も、「裁判らしい裁判」を見られて満足そうでした。
最後に、民事裁判の証人尋問の傍聴に移りました。この裁判は、請求金額が3億円という裁判で非常に緊張感のある裁判でした。しかし、私達に残された時間は20分ほどしかなく、尋問の途中で時間がきてしまい、仕方なく途中で退廷し、弁護士会館にもどりました。
弁護士会館に戻り参加者の方々にアンケートを書いていただく段になって、ようやく弁護士と参加者の距離も縮まってきました。参加者の方からも、弁護士に対して「(刑事裁判の)あの被告人はこれからどうなるのですか?」など、いくつか質問がありました。
「裁判ウォッチング」の参加者は、これまで裁判所や法廷には縁のない方々がほとんどで、傍聴を自由にできることも初めて知ったという方が非常に多かったのですが、この裁判ウォッチングを通じて、裁判所との距離が縮まったのではないでしょうか。これからも「裁判ウォッチング」を通じて、市民にとって裁判所が少しでも身近な存在になり、気軽に裁判所が利用されるようになることを願うばかりです。
拡がれ!『法教育』の輪! ~懸賞論文で優秀賞を受賞しました!~
法教育委員会 委員 春田 久美子(48期)
1 懸賞論文に応募した経緯私は、法務省が昨年初めて実施した「法教育懸賞論文」に応募し、平成23年1月、思いがけず、優秀賞を受賞しました。
テーマは「学校現場において法教育を普及させるための方策について」。この懸賞論文の存在を知ったのは、応募締め切りが約2週間前に迫ったころでした。偶然見かけた法テラスの広報誌(ほうてらす)の裏表紙にあった「締め切り迫る!!」「学校現場において法教育を普及させるための...」との文字が目に飛び込んできたのです。当時、手詰まり感を感じていて、ずっと何か法教育を拡げていくためのアイディアはないかな~と考えていたので、私は、これまでにやってきた活動を振り返りつつ、とりあえず自分が思っていることをまとめる良い機会だと思い、応募してみることにしました。
2 法教育と私
私が小学生を含む学生さんの相手をするようになったのは福岡地裁小倉支部に左陪席として働いていたときのことです。福岡地裁本庁を始め、裁判所全体が(一般の市民向けの)"広報"というものを意識し始めた頃だったと思います。初めのうちは、一体何をやったらいいんだろう、という感じでしたが、本庁にいらっしゃった広報上手な職員の方にアイディアを色々教えていただいたり(模擬裁判の体験と子供たちとの質疑応答・お話など)、他の庁の子供たち向けの取り組みの工夫例を色々調べたりするうちにドンドン楽しくなっていきました。一番忘れられないのは、小学校3年生くらいの子供たち10数人を担当したときのことです。引率をされた女性の先生が(感動しました!ということで)、後日、子供さんたちの可愛い感想文を郵便で届けて下さったのです。簡単な模擬裁判をやってみたのですが、『検察官と弁護人の言い分を聞いていると、どちらもそう思えるところがあるから、どうしていいかますます分からなくなりました...』という感想が忘れられません。また、時間内には出来なかった質問等も書かれていたので、嬉しかった私は御礼も兼ねて返事の手紙を出しました。今でもそのときの感想文は私の宝物です。もう一つ、私が法教育というものを続けていこう、と思ったエピソードがあります。毎年5月位に、最高裁判所の裁判官が全国各地の裁判所を訪問する、という企画があるのですが、山口繁裁判官がお見えになった際、昼食会の席上で予定の話題が意外と早く終わってしまったため、支部長が突然、私に話を振り「子供さん向けの相手をしている判事補です」と私に何か話をするよう向けられたのです。私はドキドキしながら活動の様子を報告したのですが、その後、山口裁判官が各裁判官室を回って来られた際、「さっきの方ね。これからは、若い人向けの裁判の世界の紹介、是非お願いしますね。」とお言葉をかけていただいたのです。あ~やっぱり大切なんだ、この活動は!と素直に嬉しく思えました。
3 論文に書いたこと
論文には、法教育にはどのような意義があるのか、どういう魅力が詰まっているのか、その有意義さと楽しさを踏まえ、それなのに学校現場(教師の方々)になかなか拡がっていかない理由は何なのか、などを私なりに考え、それを解消するためにやった方がいいと思うことを先ず書きました。そして、やはり、具体的に、じゃあ、どんな風に意味があるの?という疑問に応えるべく、授業例の紹介や、授業で取り扱う際の切り口の数々を思いつく限り書いてみました。自分の中で、クライマックスの部分は、NIE(教育現場に新聞を)とのコラボレーションの部分です。法教育の意義は、その捉え方によって様々あるようですが、詰まるところは、民主主義を支える将来の子供たちを育む、という点でNIEが目指すところと一致すると思えたのと、コラボ出来れば、メディアを介して法教育自体も拡がっていく可能性に魅力を感じたのです。
4 応募と発表、そしてその後
締め切り直前の日、もうキリがないよね、と事務員さんとも話して、論文を取り上げられ(!)、中央郵便局に速達で出しに行ってもらいました。発表は12月下旬となっており、御用納めの日までに何も連絡がなかったので、ダメだったのかな~と思っていたら、年明け、少年鑑別所での面会を終えて帰ってくる途中、携帯に電話がありました。最優秀賞(1名)と優秀賞(2名)の受賞者は、法務省にて授賞式が行われることになっていました(平成23年3月15日)が、東日本大震災の発生直後だったため急遽取りやめになりました。ですが、この受賞をきっかけに、色々なところから法教育について何かを書かせていただいたり、メディア(特に新聞)からの取材を受ける機会が増え、学校現場の先生方や教育委員会等に法教育についての広報に伺う際、一つの話題とすることが出来るようになったことは嬉しいことでした。
5 法務省でお話してきました
平成23年11月4日(金)、法務省の「法教育推進協議会」というところに招かれ、法教育の取組みについてお話をさせていただく機会を得ました。論文を書いてからちょうど1年が経っていましたので、当会の法教育の車の両輪としての"法教育センター"と"法教育研究会"の活動内容を含め、今、直面している課題等についてもお話してきました。
法教育、と一口に言っても、法務省・裁判所、そして司法書士等の隣接業のそれぞれが法教育に取り組んでおり、学校現場の先生方にとっては選択肢があり過ぎるように受けとめられ、何と言っても"何だか難しそう..."と思われているのが現状です。私自身は、今、日本全体で問題になっている、子供たちの言語能力の向上や対話力、コミュニケーション能力のスキルアップの観点からも、この法教育は有用なのではないか、と信じており、さらには、立場が異なり利害がシビアに対立する場面で普段仕事をしている私たち弁護士だからこそ伝えられる何かがあると思っています。その魅力を、法教育研究会に集まってきて下さる学校現場の教員の方々等と一緒に知恵を出し合い、良い教材を開発しながら、今後も地道に伝え続けていこうと思っています。
6 結びにかえて‐会員各位へのお願い
お子様を学校に通わせていらっしゃる世代の会員の皆さま、子育てはもう終わったけれど、教員に知り合いがいらっしゃるという皆さま、私たち法律家が日ごろから思っている知恵などを子供たちにも伝えたいという理念に共感して下さる方、PTA役員である方はもちろん、顧問先として学校現場の先生方にお知り合いがいらっしゃる皆さま、どうか、当会の法教育センターの、弁護士の出張授業のことをお知り合いの学校の先生、あるいは保護者の方に「これやってみませんか?」とご紹介いただけませんでしょうか!それを期待しまして、間もなく皆さまのお手元にレターケースを通じて法教育センターのチラシを一枚ずつお届けする準備をしています。今年度は80クラス無料キャンペーン実施中ですので、金銭面では学校の負担はありません(そこも売り込んで下さいね。)。世界一受けたい法教育の授業を開発するべく、私たち法教育委員会のメンバー皆頑張っています。福岡から「生きる力」を持った子供たちをたくさん育むため、法教育の輪が拡がっていくために、お知恵やお力を貸していただけましたら幸いです。あっ、そうそう!肝心の受賞論文は、法務省のホームページに載っていますので、ご一読いただけましたら幸いです。
2011年11月 1日
講演会「いま、原子力発電を考える」のご報告
会 員 中 鐘ケ江 啓 司(63期)
1 本年9月29日、天神ビル11階にて長崎県立大学講師(元・慶応大学助教授)の藤田祐幸先生の講演があり、その後、福留英資会員から原発問題と憲法上の人権の関係についての報告がありました。2 藤田先生からは、原発の問題点として、(1)大事故の危険性、(2)労働者被曝、(3)放射性廃棄物の3点が存在するとの説明があり、それぞれについての詳細と、福島原発事故後の放射能汚染についての現状、玄海原発の問題点、今後のエネルギー政策についての講演がされました。
3 (1)については、チェルノブイリの現状と、福島第一原発の現状が話されました。福島については、汚染が沿岸部だけではなく内陸部にまで及んでおり、広い範囲でチェルノブイリの強制避難区域レベルの放射線が観測されていることや、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)での放射能拡散の試算結果から、気流にのって全国に放射性物質がまき散らされたことなどの話がありました。そして、日本政府は福島だけが汚染区域のように言っているが、EUでは「福島、群馬、茨城、栃木、宮城、長野、山梨、埼玉、千葉、東京、神奈川、静岡」の各県の出荷物につき放射能検査が行われており、これは観測データとも一致するので正確な汚染地域と見るべきとの話がありました。全県について輸入規制をかけている国も複数あるとのことです。
4 (2)については、藤田先生がライフワークにされている、原発に従事している「最下層労働者」の話がされました。原発の点検時に施設内にたまった放射性物質を除染するために日雇い労働者が大量に動員されており、多重下請け構造の下で犠牲になっているという話です。作業員に放射能計測装置は持たされるけれど、付けていたらすぐ限界になって仕事にならないので、付けずにやることになり健康を害して補償もされていないという話でした。原発が構造的に被爆者を生み出し、差別を生み出す構造になっているというのです。
5 (3)については、放射性廃棄物はガラスに閉じこめて、ステンレス筒に詰められて地中深く処分されることになっているが、無害になるまでには数万年単位の時間が必要であり、非現実的だという話がありました。この点に関して、藤田先生から処分場を巡るエピソードが話されました。藤田先生が慶応大学の助教授だった当時、東京大学の教授が3万年はこの方法で保管できると主張したのに反論して反対運動をしていると、役所の担当者が住民に対する説明会で「あちらは慶応、こちらは東大。どちらが信用できるか。」と説明しており、「どちらが正しいではなくて、どちらが信用できるか、では科学ではなくて宗教ではないか。」と思ったそうです。
6 玄海原発については、1号機の圧力容器の脆性遷移温度(金属の性質変化)が全国で一番高い98度に達しており(通常は−30度程度で、中性子があたることの劣化により温度が上昇していきます)、冷却時に破損する可能性があり、極めて危険な状態にあるそうです。
7 そして、今後のエネルギー政策について、現状から再生エネルギーなどでの代替という話は非現実的とのことで、火力発電(原発を作るときは必ずバックアップで同出力の火力発電所を設置しているので、こちらを稼働させれば補えるそうです)や水力発電の稼働率を上げること、民間の自家発電を解放して市場化を進めること、発電効率の良いコンバインドサイクルの導入を進めること、を提案されていました。
8 これらの話は、全て政府か電力会社が提供しているデータに基づいての説明であり、煽るような形ではなく淡々と説明されているからこそ、原発被害の問題が深刻だということを理解することが出来ました。
9 その後、福留会員から日弁連が原発に関して1976年から運転中止や廃止を度々求めてきたこと、原発が幸福追求権、生存権、国民主権、知る権利、居住移転の自由、財産権、地方自治の本旨など多くの憲法上の権利と関わりがあることの説明がされました。
10 今回の講演会の内容はいずれも興味深いものでしたが、その中で一番印象に残ったのは、藤田先生の「法律が扱えるのは3世代までと聞くが、放射能は数万年の単位で残る」という趣旨のお話でした。
原発の問題を、電力会社や立地自治体、周辺自治体の住民との利害調整の問題と捉えた場合、上関町の町長選で原発推進派の町長が三選したように、原発の立地自治体の住民にとっては、原発により得られる利益の方が、原発により受けるリスクを上回るということがあり得ます。
しかし、福留会員の発表にもあったのですが、原発については、放射性廃棄物や事故により実際に放射線の影響を受けるのは原発を誘致した世代以降が中心となるという特徴があります(原発の老朽化や放射性物質の蓄積、若年層ほど放射能の影響を受けやすい等)。そのようなものを現役世代の利害調整だけで決めて良いのでしょうか。
憲法上の人権については「他者の人権でなければ制約できない」などと説かれるので、その考え方だと生まれてもいない人の人権などを考える必要はない、となりそうです。しかし、憲法の判例で、ため池の破損、決壊の原因となるため池の堤とうの使用行為について、「憲法、民法の保障する財産権の行使の埒外」(昭和38年6月26日刑集17巻5号521頁)として何人も当然使用行為の禁止を受忍しなければならないとされているものもあります。原発についても、少なくとも福島原発の事故後は、安全性に問題があることがわかった以上、もはや原発の稼働は憲法上保障されている財産権の埒外になった...と考えることも出来るのではないでしょうか。
原発の危険性や現状だけでなく、通常の公害問題との相違点を意識させられる素晴らしい講演でした。藤田先生の講演はインターネット上でも見られますので、興味を持たれた方は是非ご覧下さい。
給費制維持緊急対策本部だより「第7回災害復興支援に関する全国協議会in神戸のご報告」
会 員 中 村 亮 介(63期)
1 はじめに 平成23年9月28日(水曜日)午後0時から1時20分まで、参議院議員会館1階講堂で、院内集会が盛大に行われました。院内集会には、鴻池祥肇議員、米長晴信議員をはじめ、多数の国会議員が参加され、約20名もの国会議員からのご挨拶がありました。 院内集会は、清水鳩子先生による開会宣言で始まり、その後、順に、法科大学院修了生、国会議員、大学学部生、日弁連から次々と発言がなされ、最後は、宇都宮健児日弁連会長による閉会宣言で集会は終りました。 発言の要旨は、以下のとおりです。
2 法科大学院修了生の声
アベケイイチさん(立命館大学法科大学院修了生)
自分は、宮城県仙台市出身で、今年の3月に法科大学院を修了し5月の新司法試験に向けて準備をしていた。しかし、受験の直前に震災が起き、過度のストレスのため今年の受験を断念した。その後、震災の影響で実家からの経済的援助が受けられなくなり、合格後は貸与制に移行し、就職難が待ち構えているという状況から考えて、弁護士になること自体を諦めざるを得なくなった。
貸与制になると、人のために役に立ちたいと思って弁護士になろうと思っても、裕福な人しか弁護士になれなくなる。お金のない人は、弁護士になりたいという夢を奪われる。
自分と同じような思いをする若者がこれ以上出ないように、貸与制への移行はするべきではない。
3 発言された国会議員の発言要旨
(1) 大口善徳議員(公明党)
給費制維持の問題については、3党協議も呼びかけている。法案成立に向けた時間は切迫しているが、給費制の維持に向けて頑張っていきたい。
フォーラムは、内容のない形だけの議論をしただけで、一時とりまとめをした。法曹養成は危機的な状況にある。根本的な議論の必要性がある。その議論をすることなく、財務的な問題があるからといって、貸与制にするのは、問題がある。なによりも他学部、社会人からの志望者が減っているが、このことこそ問題とするべきである。平岡大臣には、フォーラムの内容を否定して欲しい。フォーラムを継続するのであれば、根本的なところから議論して欲しい。
(2) 井上哲士議員(共産党)
フォーラムは、弁護士の5年目の年収のことしか検討していない。そもそも司法試験を受けることすら断念するという状況を全く見てないし、給費制の意義についても、検討していない。
戦後の厳しい中でも、給費制を実現したことを考えるならば、むしろ今こそ、給費制は必要なのではないか。
(3) 福島瑞穂議員(社民党)
給費制廃止は、大反対。法曹養成が借金が前提になると、日本の司法制度全体が崩れていく。
法律家養成だけの問題ではない。社会の人材育成の問題。
もんじゅは、1日5,000万円、年間200億円も維持費がかかっている。給費制のことくらいけちけちするなといいたい。
(4) 照屋寛徳議員(社民党)
法曹志望者が経済的な理由で法曹になることを断念するようなことがあっては絶対にならない。それは国家の大きな損失になる。
沖縄銀行は、琉球大学法科大学院の学生を支援して7名合格者を輩出した。民間が支援しているのになぜ国が支援しないのか。
私は、1970年から72年まで司法研修所で勉強した。家族は9人兄弟で貧乏だったが、旧司法試験ではそのような私も司法試験に合格することができた。現在のように、法科大学院修了が受験資格である新司法試験制度だったら、私は司法試験に合格することができなかった。
(5) 今野東議員(民主党)
莫大な学費がかかり借金を前提とする法科大学院に行こうとする人がいなくなっている。
そもそも、小泉時代の司法制度改革が破綻している。そのことから議論を始めるべきではないか。法曹養成制度全体のことから議論を始めるべきであり、給費制の議論はその後にするべきである。議論の順番が逆になっている。
(6) 吉田忠智議員(社民党)
法案成立に向けた日程がタイトである。厳しい状況ではあるが、給費制を見直すことには問題がある。給費制は絶対に存続していかなければならない。
(7) 山本剛正議員(民主党)
借金が増えていくと心がすさむ。これから法曹となる者に借金を課してくことは、道理として許すことはできない。法曹界が目指すべきは、質の高い弁護士を育てていくことである。
(8) 松野信夫議員(民主党)
私は現在、法務部門会の座長をしており、給費制問題の責任者である。
法曹養成をどうするか、という姿勢を示していかなければ、単に給費制、貸与制の二者択一の議論にしてはいけない。
7年前の司法制度改革において、法科大学院は大きな柱であった。しかし、現実にはうまくいっていない。法曹志望者が激減している。新司法試験の合格率も低迷している。
お金がない人でも、志のある人は立派な法律家になってもらう、そんな仕組みを作る必要がある。とにかく、経済的な負担があるために法曹を断念することがないようにする。
(9) 仁木博文議員(民主党)
当面給費制の継続をみんなで一緒に勝ち取っていきたい。
(10) 横粂勝仁議員(民主党)
裁判員制度をはじめとした司法制度改革は、明らかに理念に逆行している。
現状は厳しいが、諦めたらそこで試合終了。諦めずに頑張っていきましょう。
(11) 牧山ひろえ議員(民主党)
私はアメリカで弁護士をしていた。アメリカのロースクールで学んでいたとき、友達のほとんどは借金していた。どういった経済状況であっても夢が実現できる、そんな社会にしなければならない。 (12) 道休誠一郎議員(民主党)
私は医療の現場から議員になった。医療も法曹界も、パブリックインフラとしてとらえていく必要がある。弱者を守っていくための弁護士を育てる必要がある。政治も志が必要だが、法曹界も志ある人がなる必要がある。
(13) 中屋大介議員(民主党)
私は、今33歳になる。ちょうど法科大学院が始まった頃には大学院に在籍していた。学部と大学院で併せて数百万円の借金があった。その頃、自分に万が一のことがあったら借金のことで親に迷惑がかかると思い、生命共済をかけた記憶がある。
若い人にとって、数百万円というお金がどれだけ大きなお金か、もう一度改めて考えてみる必要があるのではないか。
(14) 姫井由美子議員(民主党)
給費制がなくなるのは、国益を損なう。
この国はどうやって人の権利と財産を守っていくのか、というところから議論していきたい。
(15) 荒木清寛議員(公明党)
我が国は人材に対する投資を惜しんではいけない。
(16) 広野ただし議員(民主党)
よい人材を育成するためには、給費制は絶対に必要。日弁連の活動には、全面的に賛同します。
(17) 穀田恵二議員(共産党国会対策委員長)
今朝の宇都宮先生の話を聞いて、改めて給費制を守る意味合いの深さに気づいた。
4 大学学部生
ナガセヒロアキさん(青山学院大学法学部生)
学部、大学院、司法修習でお金を借りて、就職難も待ち構えている。そんな道を選ぶ人が果たしてどれだけいるだろうか。
貸与制移行は、司法修習生になった後にも、親のすねをかじるか、それができない者は国からお金を借りるという選択を迫るもの。そんな状況で、果たしてどれだけの人が法曹になる道を選ぶだろうか。
どうか、この国の若者の夢を崩さないでほしい。
5 日弁連からの報告
(1) 川上明彦会長代行
数字には表れていないが、なんと、高校生が法学部を目指さなくなってきた。これは非常に問題がある。
国会の日程から考えると、10月に給費制が法案には出ない状況で、厳しい。
1年6ヶ月たっても、まだ結論が出ない。長期戦になっている。われわれ自身との戦いになっている。
(2) 宇都宮健児会長
こういう集会をあと何回かやらないといけない。
フォーラムで決まったからもうだめだ、と思ったらそこで終わり。われわれは諦めない。給費制の問題は、国が財政難だからということで、やめていいという話ではない。
貸与制にするということは、弁護士の資格が個人のものになるということを意味する。それは、それまで公共的な役割を担ってきた弁護士の性格が変わることを意味する。
この運動は、日弁連だけではなく、市民団体も一緒に戦ってくれている。市民が政治に参加している。これこそが民主主義ではないか。
またビギナーズネットの皆さんと一緒にやってこれたことはすばらしい。
最後まで諦めないで、ビギナーズネットの皆さんと一緒に戦っていきたい。
6 おわりに
院内集会に参加して、ますます給費制維持の必要性を感じたとともに、諦めなければ、給費制維持は必ず実現できるのだという思いを強くしました。今後も、この給費制維持活動に積極的に参加して参りたいと思います。
2011年10月 1日
紛争解決センター便り
紛争解決センター仲裁人
山 内 良 輝(43期)
「また、夏彦が会社の金に手を付けたのか。」
兄の春助は、弟の夏彦の出鱈目な生活振りに翻弄され、疲れ果てていた。パチンコ好きの夏彦は、何度も勤務先の公金に手を付け、その度に律儀な春助がその穴埋めをしてきた。
今回は、勤務先の飲食店の売上金200万円を持ち逃げして、姿を消した。春助は、社長に被害弁償を申し出たが、社長は横領金全額の弁償を要求した。春助は60万円しか用意できず、話合いが行き詰まっていた。春助は、たまたま聞いた弁護士会の紛争解決センターの扉を叩いた。
2 第1回斡旋期日(平成22年10月7日)
斡旋担当の弁護士は、喋る黒猫を飼っているという。クロネコ弁護士は、春助と社長からそれぞれ事情を聞いて、考えた。「春助の手許には60万円しかない。60万円を頭金として、残金を分割という手もあるが、その後の履行過程でトラブルが再燃するかもしれない。紛争の全面解決を期するならば、春助に100万円を用意させて、一括払いで決着を付けよう。」
春助は、足りない40万円を親戚から借りることで斡旋案に同意し、社長も40万円を上積みする春助の誠意を認めて斡旋案に同意した。次回は示談成立の予定となった。
3 第2回斡旋期日(同年11月24日)
示談斡旋は決して順風満帆には行かない。春助に付き添ってきた親戚が「横領金が200万円だという確かな証拠があるのか?」と言い出した。クロネコ弁護士は親戚に説明した。「社長が水増し請求をするならば、それは許されないことであるが、示談斡旋は裁判とは違うので、あまり証拠を厳格に求めると、相手も引くに引けなくなり、200万円の半額でよいという譲歩ができなくなる。私が社長の話を聞く限り、一日の売上高や売上原価等の関係から、夏彦さんの在職期間中に200万円の穴が空いたという話には合理性がある。どうしてもと言うことであれば、日計表を社長に提出させるが、年内の決着は無理であろう。」その上で、親戚と社長を直接対面させて、社長の人柄を親戚に見てもらった。親戚は、誠実そうな社長の人柄を認めて、言い分をひっこめた。「12月29日限り100万円の一括払い」という示談が成立し、その支払もぴしゃっと行われた(と思う、何も言ってこないのだから)。
4 雑感
クロネコ弁護士とは、もちろん私のことである。私は交通事故紛争処理センターの示談斡旋を担当していたこともあり、示談斡旋の難しさを常々感じる。それは、情と理のバランスの上に成り立つ制度である。今回は情に重きを置いて解決を図ってみたが、本当にこれでよかったのかと思うことも毎回の常である。春助が懊悩から解放されますように。
ジュニア・ロースクール2011
法教育委員会委員
横 山 令 一(60期)
今回の題材は、法教育センターの教材「ホークスファンじゃなきゃ働けない!?」(福岡県弁護士会ホームページ掲載)を3時間30分の授業時間に合わせて改変したもので、福岡ソフトバンクホークスのファン向けの架空の居酒屋で起こった、労働に関する問題を扱いました。1問目は、店長が従業員を雇い入れる際にホークスのファンであることを条件とすることは許されるか、2問目は、店長が他の球団のファンであることが発覚した従業員を解雇することは許されるか、という問題でした。
各事例は、受講生の方々に親しみをもっていただけるよう、弁護士が寸劇を演じて紹介しました。人気芸人の名前を捩った役名を用いたり、応援グッズを用意してホークスのファンになりきったり、実在の選手の名を台詞の中に散りばめたりと、随所に工夫が凝らされていました。このこともあってか、引率の保護者の方からは寸劇が効果的とのご意見をいただきました。受講生の方々からも、面白かったとの感想が多く寄せられ、逆に事案が難解との感想はほとんどみられませんでした。
続いて、受講生が9つの班に分かれ、班ごとに議論が行われました。前半は、店長側又は従業員側のうち予め指定された立場での言い分の議論がなされました。また、後半は、両方の立場の受講生が混ざるように班を入れ替えたうえで、各自が妥当と考える結論についての議論がなされました。各班には弁護士が付き添って、議論の焦点や法的根拠について助言をしておりました。私がその中のある班を担当したところ、日常の授業とは環境が異なるためか、受講生の方々が緊張している様子であったので、積極的に受講生を誘導して意見を引き出すように努めました。かといって、弁護士が答えを教えるのでは議論をする意味がないので、あくまで思考を引き出す程度の助言にとどめておくのが最も効果的なのだろうと思われた次第です。
それぞれの議論の後、各班の代表者による議論の結果の発表がなされました。特に、前半の議論の結果の発表は、異なる立場からの意見が聞けるという点で受講生にとって刺激になったようで、後半の議論の中で各自の意見の形成に影響した例も散見されました。
最後に弁護士が事例の解説をして、閉校となりました。その解説の中では、当事者間の利害や意見の対立を調整するという法律の役割や、相手方当事者のみならず背後にいる他者の立場も考慮するという私的紛争の解決の心構えが説かれました。この、他の立場の意見を踏まえるという思考は、受講生の方々からいただいた感想の中で、難しいと思った点・悩んだ点として挙げられるとともに、その思考を経験できたことが良かった点として挙げられておりました。このような、法的思考の要点に触れられた感想から、受講生の方々の法教育に対する意識の高さを感じ取った次第です。
この企画を機に、受講した方々がより法律学に対する関心を高め、より多くの方が法曹を志すに至れば幸いであるとともに、是非とも来年度以降もこの企画が続けられることを願う次第です。
末筆ながら、会場の提供等、多大なるご支援をくださった西南学院大学法科大学院の皆様方に、厚く御礼を申し上げます。
2011年9月 1日
気仙沼・南三陸町被災地見聞録
会 員 菅 藤 浩 三(47期)
平成23年7月17日、仙台空港に名古屋経由の飛行機で降りたつ。3・11から4ヶ月、機内から仙台空港の周辺が見える。たくさんの樹木が全てひとつの方向になぎ倒されている、津波の跡が大規模に記されていた。その樹木の周りには潮だまりがまだ残っている。到着した滑走路はきれいに整備されていたが、使わないところはほとんど手が付けられていないということか。なんでも本来は仙台~羽田便の移動は、以前は東北新幹線で間に合っていたけれども、大震災後に政府関係者などが短時間で来れるように羽田便を設けたらしい。空港の荷物引き取り所の外のゲートをくぐるも節電のため空調はないも同然であり、ウチワで仰ぐ待合の人が目立つ。福岡よりも北なのに福岡よりずっと暑い状況、空港内の売店はまだ開いていず、3畳ほどのスペースで牛タンとか荻の月が売ってあるくらい。
仙台空港では日本の国旗にたくさんの激励の寄せ書きが書かれて壁に掲示されていた。また仙台空港が水に浸かった写真が拡大されて何枚も貼られていた。物凄い急ピッチで仙台空港が修復したことは写真を見れば一目瞭然。空港のバス待合所に壊れた自動車が何台も押し付けられている様子が写真に写っているのに、実際にバス待合所に行くとその形跡はなくなっていたのだから。
貸切タクシーを使って名取市ユリアゲ(閖上)の元漁港まで案内される。空港からわずか数キロの位置にある自衛隊の訓練基地の中に、何百台もの大量の車が廃棄場所もなくまとめて置かれている。でも車で移動する際の名取市内の主要道路は全く震災前と変わらない。クルマの量も多いし、ファミレスも客でいっぱい。道路も全く高低差もひび割れもない。あれから4ヶ月でここまで復興したのかと日本の技術力に驚く。15年前に旅行したアフリカなんて穴ぼこだらけのアスファルトが100km以上も続いていたのに。
貸切タクシーの運転手の話では、震災当日は関東地方へ戻る出張族を全社挙げて長距離輸送したし、震災後も全国から殺到する役人の送迎や案内で毎日てんてこ舞いの震災特需が発生し、震災前よりも空車率はぐっと低いと説明していた。仙台にはこんな形で中央からお金が落ちているのだ。
とはいえ、貸切タクシーの運転手には、ファミレス外食に地元客が殺到していたのは毎日おにぎりやカップラーメンの生活からようやく脱出できた反動のように見えるとのこと。たしかに、名取市内でもごくまれではあるが信号機に電気が通っていず、警察が手旗で信号機の替わりを務めていた。
「海から黒い巨大な壁が迫ってきた」
貸切タクシーの運転手が聞くところでは、津波について被災者は口をそろえてそう説明しているらしい。沖合の泥や堆積物を津波が侵食して迫ってくるからだとか。これは三陸地方の特色らしく、例えばスマトラ沖大地震の津波は白だったそうだ。津波が黒い泥と混じって背丈よりもはるかに巨大な高さで地上の建物や自宅や車やさまざまなものにぶつかっていく様は、ギリギリ安全地帯から撮影された素人動画でYouTubeでも確認できるが、実際に遭遇した人のトラウマは想像してもしきれない、そんな巨大な壁を見たことなんて映画以外にないからだ。津波が一気にざーっと引いたときに、地上のものを根こそぎ海に引きずり込み、海の底を初めて直に見た人もいる。
仙台市内では海岸から5キロの距離にある高速道路(仙台東部有料道路)が津波を食い止める堤防になったようで、その高速道路を境に海側に入ると、急にグチャグチャの廃車が何台もみつかる。まさに高速道路の右か左か、どちらに住んでいたが運命を分ける堤防になったようだ。廃車と言っても、フロントガラスは銃弾がぶつけられたような形で割れスクラップ同然で、まるで高速道路で猛スピードでぶつかった状態と同じ。プレスされたようにひしゃげたり屋根がもげたりしている。あれではクルマに乗っていても津波から助かるものではない、津波が起きたときはとにかく高い建物にのぼるしかない。貸切タクシーの運転手によると、その高速道路の脇でたくさんの遺体が津波で寄せられているのが自衛隊の探索で発見されたとのこと。
海岸に隣接するユリアゲ漁港施設は明らかに3階建ての建物だったのに、いまは上2階を撤去して下1階しか残っていない。上2階はどういう被害だったのか、想像できない形になったが、翌日赴いた気仙沼や南三陸町の建物被害から察するに残っていても骨だけだったのだろう。漁港施設から周辺数キロにわたって家屋も撤去されている。それでも道路だけは綺麗に凹凸なく整備されていた、道なき道を切り開く訓練はされているのだろうが、それにしても自衛隊の復旧力はすごい。
田には雑草が生い茂り、同じ緑でも経済作物を育てるような前向きな緑ではない。田の土も少なからず陥没してるし、塩に浸かった田を回復するには一体どれだけの土が要るのだろう。
ユリアゲ漁港のすぐそばに、墓碑銘のように小高い丘があり、卒塔婆が何本も刺され、たくさんの人が祈りをささげていた。小高い丘の隣にはボロボロのJAバスがまだ放置してあった。3階建ての市営住宅も残っているが海から数百メートルの位置では、電気もガスも水道もまだまだ復旧しようが無くまるでゴーストタウン。海に隣接する3階建ての団地では津波の高さを超えていず、付近の住民は屋上に逃げても助かりようがなかったのではないか、あくまで想像であるが。
防風林であったろう松の木が津波で根元から何本も抜きだされている。残っている松も揃って津波に押された方向に斜めに生えている。次に訪れたのは仙台で唯一の深沼海水浴場。ここでもクルマとバスがひしゃげていくつも放置してある。家はほとんど全て解体され、残っていたコンクリの個人宅は斜めに屹立していた。荒浜小学校には「たくさんの力をありがとう」の横断幕があるが、そのとき子供は誰もいない。ただ、こんなに人が殺到する場所ならば、移動式のアイスクリーム屋とか、有料の被災ガイドを置けば、不謹慎ではなく、地元の人にスピーディにお金を少しでも落とすことで寄与できるのではないかと思った。
1日目の夜は仙台市青葉区国分町で過ごしたが、今年急きょ開催することが決まった東北六魂祭の2日めにぶつかり、繁華街の人混みは半端ない。「みながにわか震度評論家になっているんだよ、あっ今震度いくつだ。TV見て外れた―とかほらーとかね。」
あれから4か月、すし屋の大将が明るく話す、躁状態にも見えたけどそうでもないのかな、当事者でないのでよくわからない。すし屋もどの店も大変混んでおり簡単に入れなかった。実際博多よりも混んでいる印象。仙台はしたたかで少なくとも東京よりもよほど力強かった。東京、元気出さないとみっともないぞ。東北復興のために地元に貢献しようと、普段は焼酎なのに、日本酒をしこたまたしなむ。
1日めの夜、ホテルで日本酒を飲み過ぎて7月18日午前5時過ぎに目が覚めてしまう。時間を確認しようとTVをつけたらなでしこジャパンVS.USAの女子サッカーWC決勝戦の延長戦に突入していた。日本が劣勢を跳ね返して澤選手のおかげで同点においついた瞬間を見てしまった、もうTVは消して寝れない。PK戦で海堀キーパーのファインセーブが続く、まさかの優勝である。結局、寝不足のまま出かける時間を迎えてしまった。
同行する会社社長やツアコン全員がなでしこジャパンの優勝に興奮していた中、東北自動車道を北上して内陸にある一関インターから気仙沼に向かう。所要時間は2時間半。一関インターは世界遺産の平泉に近く、向かう途中も降りてからも道路は大変混雑していた。貸切タクシーの運転手の話だと、休日は非常に混んでおり行くにしても平日を勧める、ただし山奥で雪深いので春から秋までが見ごろとのこと。せっかく世界遺産まで近づいたものの、移動そのものに思いのほか時間を要していたので気仙沼の方向に向かう。
道の駅かわさきでトイレ休憩するも、駐車場はクルマで非常に混雑していた。すわ平泉効果か?と思いきや人形芝居の慰問団の移動バス、子供たちを応援する川崎市民のバスツアー2台というボランティアグループが多いのが目につく。 道の駅では農産物が多く、要するに岩手県は第1次産業にほとんど依拠している地域ということだ。道の駅かわさきには達増拓也の「がんばろう!岩手」宣言(2011/4/11)が貼られていた。岩手は過去、明治の大津波・昭和の大津波・チリ地震津波など、リアス式海岸のため何度も大きな自然災害に見舞われてきたそうだ、知らなかった。
人家で大規模火災が発生した焼け跡のある気仙沼に到着。下水がないため生臭いにおい。船が陸にあがっていたが、海からは何キロも離れた場所だった。いったいどうやってここまで船が移動したのか貸切タクシーの運転手に尋ねると、おそらくまっすぐやってきたのではなく、家などにぶつかりながらジグザグにやってきたのではないかとのこと。
電信柱が津波もしくは運ばれた物体にぶつけられて引っこ抜かれた跡、オバQの頭のように地面から鉄線が生えている。もろ1階が流されたセブンイレブンの中にあったカップヌードルは全て空っぽだった、たぶんカラスがついばんだのだろう。
ワンピース3月19日公開の映画前売券販売の垂れ幕が7月なのにそのまま残っているのが痛々しい。ナンバーのわかるクルマは勝手に持っていけないのか、移動を催促する紙が貼られていた。被災した自宅を延焼防止のために同意なく取り壊しできるのは阪神大震災後にそのような立法を講じたからなのかもしれないが、クルマを廃棄できないのはまだ立法措置がないからなのか、道路の上からの移動しかできていなかった、国会議員は早急に法律をつくるべき、菅総理はいつ退陣するとか次は誰だとか政争など税金の無駄。
気仙沼の港近くに移動すると、家屋を撤去した後なのか、家屋が流れたので鉄骨の建物だけ残っているのか、どちらとも判然としないたいへん酷い有様。クルマもおもちゃのように上に何台も積み重ねられている。地上では潮水がひかず水鳥が何十羽も足を休めている。スズキ自動車の販売店も壊滅していた。
それでも小さいながら気仙沼市場が開いていたのは、仕事をしないと回らないからか。海に近接していても高いところにある家は完全にセーフだったが、低いところにある工場は全壊アウトだったりと、リアス式海岸での津波被害は全く予測がつかない。
仙台への帰路は国道45号線をつかって松島経由。途中、被災の大きかった南三陸町を予期せず通過するが、気仙沼と変わらぬひどい被害。一時期町長が行方不明になったり、防災無線で亡くなる最後までアナウンスをしていた女性職員のいた町。気仙沼線の線路やコンクリート橋が至る所で破壊というか消し去られていた。
そんな中でも移動車両のセブンイレブンやガリバーを見つける。私企業はタフである。南三陸町では3階建てのビルの上にクルマが載っていた。一番びっくりしたのは、移動式のトラックにバイクを何台も積んで売っている業者がいたこと。地元民も屋根のないガソリンスタンドを営業中であった。地震に強い墓石とか、明らかに地震後につくられたリフォーム宣伝の看板もあった。
貸切タクシーの運転手によると、地震保険の加入率が高いこともあって意外と建て替えをする人も多く、住宅業者の下請負人にもバブルが到来しているとのこと。
南三陸町にある一番大きいホテルの隣の喫茶店で遅い昼食。そのホテルはクルマでいっぱいだった、なんでも報道関係の人が被災中継のためにずっと泊まっているらしい。喫茶店には、たくさんの寄せ書きが置かれていたが、営業時間は午前11時から午後15時と本調子の時間からはほどとおい。エアコンが効き水洗トイレが復旧しただけ最悪の状況を脱しているのだろう。
南三陸町は霧で覆われていた。松尾芭蕉で有名な松島にもちょいと寄るがトイレはまだ復旧していない。人も非常に少なかった。景勝地なのに全く記憶に残っていない。それほど被災のインパクトは大きかった。南三陸には気仙沼と異なり農業と軽めの漁業しかない。つまり加工業など第2次第3次産業がなく、回復はそのためかずっと後回しにされている。なんでも公民館や消防署を解体する費用だけで当年の町の税収に匹敵すると試算されたらしい。いっそ原爆ドームのように、あえて一部を復興しないまま残して、記念館を築造して数十年にわたりわずかでも雇用が維持され観光収入が入る形をつくるのが好ましいのではないか。不謹慎だが、南三陸町には役場の放送で最後まで呼びかけて亡くなられた遠藤未希さんという象徴的な存在がいる。津波を前にして彼女が呼びかけていた音声を流す施設を設けるなりすることで、修学旅行先なり職業とは何か、使命とは何かを考える機会を持つことができ、南三陸町のリピーターを増やすことにもつながるように思う、南三陸町には気仙沼や石巻のような大企業がかかわる産業がないからなおさらである。遠く九州から甚大な被害の復興に寄与するには継続的な消費活動しかない、産業のない南三陸町の人口や税収が自発的に復興するのは相当至難のはずであり、気が遠くなる。
2日目の夜も繁華街に赴いたが、祭りのあとだからか、灯りの自粛もあって暗かったし一般人の人通りも少なく呼び込みの方が多いくらいだった。青葉区国分町の規模は熊本市くらいか。店も日曜なので閉まっているところも多かったが、それでも開いている店はなかなか空いてなかった。よその店から手伝いに来たりと、仙台市内の繁華街はプチバブルが持続しているようだ。
とにかく東北全体を復興するには、第1次産業に依拠する町が多くて、とてつもない費用と時間がかかることは残念ながら事実のようだ。政府が赤字国債でも発行しないとどうしようもない。国会のグジグジした討議の仕方に腹が立つことしきりである。
平成23年7月19日帰りの仙台空港の規模は、佐賀空港とか天草空港くらいに小さくなっており、エアコンも建物設置のものではなく移動式のデカいものだったし、アナウンスはなんとマイクではなく、TVで学生運動のモノクロ記録映像に出てくるスピーカーをグランドホステスが使用していた。仙台空港は津波の被災地でありかろうじて稼働しているレベルということか。
同行者にはこのような時期に東北に行く機会を設けていただいたことに感謝したいが、余りに被害が酷い、繰り返しになるがこれしか伝える表現がないのが今の感想である。九州の人間はぜひ東北にあえて足を運んでほしい、そして、継続的にお金を落とすことを被災の現場を見て決意してほしい。それほどまでに甚大な被害としか言いようがない。
最後に、東北の現地では至る所で「がんばろう宮城」「がんばろう岩手」なるのぼりや個人宅にステッカーが貼られていた。被災者は生きていること自体ががんばっていることなのだから、そこにガンバロウということは禁句だとしたり顔の評論家もいる。
じゃあ、東北に住んでいる人たちが率先して「がんばろう」の言葉を至る所に頒布している現象は一体なぜなのか。私が思うに、山奥で遭難したチームがお互い「眠るな!」「歌を歌おう!」と励ましあっている姿に近いと思う。下卑た例でいえばリポDのCMで「ファイトーいっぱーつ!」といってお互いを助け合う姿だろうか。お互いに頑張っていることは知りつつも「がんばろう」とでも掛け声をお互いにかけないとくじけてしまうのだ。
あの言葉はかけられる相手と同時に、自分にあえて鞭打って生存本能の1つとして必要な行動なのではないか。被災者のその姿を見て感激すると同時に、原発と同じで評論家のしたり評論を鵜呑みにしてはいけないという教訓を1つ体感したのである。