弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
人間
2015年4月 6日
続・自閉症の僕が跳びはねる理由
著者 東田 直樹 、 出版 エスコアール出版部
自閉症の本人が語っています。目が開かされる思いです。
どんな言葉が、いつ出るのか、自分でも分からない。昔おぼえた絵本の一節、繰り返し聞いたコマーシャル、記憶の中で印象に残っている単語などが、勝手に口から飛び出てくる。
話を途中で止めるのも大変。どうにかなりそうなくらい、せっぱつまった感じで話している。言葉は、自分の意思ではおさまらない。言葉は、なかなかコントロールできない。
いつもと違い状況で会うと、その人が誰なのか、認識できない。記憶で一番はっきりしているのは場所だから。違う場所で会うと、その人だと分からないのは、背景が違うので、大きなヒントがなくなるから。
話そうとすると頭が真っ白になってしまい、言葉が出てこない。話せない人は、みんなが思っている以上に、繊細だ。
気温にあった服装の調節、ジャンケンもうまくできない。手にもっている物など、すぐに何でも口に入れてしまう。汚い物ときれいな物の区別が、分かりにくいのも理由の一つ。
時間は、本当につかみきれない。時間の流れを記憶しにくいので、時間そのものが苦痛だ。自閉症の人の反復行動は、自分なりの「きり」がつかなければ、終わりにはならない。自分で納得できなければ、終われない。
自分が納得した仕事については、教えられたことをしっかりやり遂げることができる。
自閉症者は、光や砂、水が好きだ。光を見れば心が躍るし、砂を触れば心が落ち着き、水を浴びれば生きていることを実感する。
カラオケが大好きな自閉症の高校生でもあります。大勢の人の前で講演している写真があります。人前で声は思うように出ないとのことですので、どうやって講演しているのでしょうか。
すぐそばに母親がついています。著者の手を握って、パニックにならないようにしている感じです。
NHKテレビでも放映されたそうですが、とても貴重な体験記だと思います。これからも元気に過ごしてほしいと心から願います。
(2014年12月刊。1600円+税)
2015年3月30日
社会脳からみた認知症
著者 伊古田 俊夫 、 出版 講談社ブルーバックス
認知症とは、正常に成人になった人が、病気や事故などのために知的能力が低下し、社会生活に支障を来すようになった状態を指す。
64歳以下で発症した認知症を若年性認知症と呼ぶ。その多くは、40~50代で発症する。若年性認知症の患者は全認知症の1%を占める。40~50代で物忘れに深刻に悩む人は、高齢期に認知症になる確率が高い。
若年性認知症は、症状の進行が早いという特徴がある。異常タンパクの生成が早いためだと考えられる。若年性認知症は周囲の人の気持ちを理解できない。他人への関心が薄くなる。性格の変化が目立つのも特徴。
日本の認知症患者は460万人をこえ、その予備軍が400万人いる。
認知症の人には、「配慮を受けている」という自覚が乏しく、同僚に感謝の気持ちを伝えられない。
認知症の人に最初にあらわれるのは、新しいことを記憶できないこと。そして、物忘れしているという自覚が薄れてくる。
日課や予定、約束や期限といった緊張感が失われると、人間の記憶力は低下していく。
認知症の第二の重要な症状は、自分の置かれた状況が分からなくなること。さらに症状がすすむと、自分が病気であることを理解できなくなる。
人の心の働きのなかで、もっとも重要なのは、他者の心や気持ちを理解するというもので、これは人間特有の働きである。
認知症の人は、詐欺的商法の相手と長時間にわたって一緒に過ごし、すっかり信用しきってしまう。警戒心がまったくない。
認知症に陥った人たちからは、苦悩が確実に減少していく。悩まなくなるのだ。
うつ病が増加している。うつ病にかかった人は、羅患歴のない人に比べて、認知症になる危険性が2~3倍も高い。
私の同級生も認知症になった人がいます。とても生真面目な性格でした。それと関係があるのでは、と思っています・・・。
(2014年11月刊。900円+税)
2015年3月16日
跳びはねる思考
著者 東田 直樹 、 出版 イースト・プレス
自閉症の人の素顔を初めて知った思いでした。
本人の書いた文章とインタビューによって、自閉症の人がどういう状況にあるのか、どんなことを考えているのかが、よく分かります。
青空を見ると泣けてくる。空を見ているときには、心を閉ざしていると思う。周りのものは一切遮断し、空にひたっている。見ているだけなのに、すべての感覚が空に吸い込まれていくよう。この感じは、自閉症患者が自分の興味のあるものに、こだわる様子に近い。
ひとつのものしか目に入らないのではなく、言いようもなく強く惹かれてしまう。それは、自分にとっての永遠の美だったり、止められない関心だったりする。心が求める。
声は呼吸するように口から出てしまう。自分の居場所がどこにあるのか分からないのと同じで、どうすればいいのかを自分で決められない。まるで壊れたロボットの中にいて、操縦に困っている人のようなのだ。
ひとりが好きなわけではない。ありのままの自分で、気持ちが穏やかな状態でいられることを望んでいる。
必要とされることが人にとっての幸せだと考えている。そのために、人は人の役に立ちたいのだ。
動いているほうが自然で、落ち着ける状態なのだ。行動を自分の意思でコントロールするのが難しい。そのため、気持ちに折りあいをつける必要がある。だから、時間がかかる。
自閉症という障害をかかえていても、ひとりの人間なんだ。
表情を自由自在に変えるなんて、信じられないこと・・・。
現実世界は、ふわふわした雲の上から人間界を見ているような感覚だ。
話せない自閉症者は、人の話を聞くだけの毎日。知能が遅れていると思われがちだが、そうとは言い切れない。人の話を黙って聞く。こんな苦行を続けられる人間が、世の中にどれくらいいるだろうか・・・。
著者は、アメリカなど外国にまで出かけて講演しています。
講演会などで他の土地へ行くと、心が解放された気分になる。誰も自分を知らないという状況が心地いい。
質疑応答とは、疑問に回答するだけでなく、登壇者と参加者の心と心をつなぐかけ橋のような対話だ。相手を思いやりながら、言葉をかわすことに意味がある。
自閉症の人の置かれている世界を垣間見ることのできる本です。
(2015年1月刊。1300円+税)
2015年1月26日
自己が心にやってくる
著者 アントニオ.R.ダマシオ 、 出版 早川書房
意識の明らかな成果としては、生命の効率的な管理と安全の確保があげられる。
脳なんかまったくない生物ですら、単細胞生物にいたるまで、一見すると知的で目的性のありそうな行動を示す。
ニューロンは再生産しない。つまり、細胞分裂しないし、再生もしない。
植物はニューロンを持たず、ニューロンがない以上、決して心を持てない。水頭無脳症の子どもは何年も生き続け、思春期を迎えることさえある。決して、植物状態などではない。それどころか、目を覚まして行動している。世話係とも無視できないほどの意思疎通ができるし、世界ともやりとりできる。彼らは明らかに心をもっている。頭や目は自由に動き、顔には情動表現があり、おもちゃやある種の音にはほほえむ。くすぐられると笑って、通常の喜びさえ表現できる。痛い刺激には顔をしかめて手を引っ込める。
渇望する物体や状況に向けて、移動もできる。たとえば陽のあたっている床へはいって、日向ぼっこをして、明らかに暖かさから便益を引き出し、満足しているように見える。
さらに、特定の人物に対する選好を示す。知らない人にはおびえ、いつもの母親や世話係の近くにいると、もっとも幸せそうだ。好き嫌いは明確で、とくに音楽の場合には、それが著しい。子どもたちは、一部の音楽をことさら気に入る。耳の方が目よりもいいらしい。水頭無脳症の少女たちは、思春期には、生理にさえなる。
身体から脳への通信と同じように、脳には神経と化学の両方の経路で身体に語りかける。神経経路は神経を使い、そのメッセージは筋肉の収縮と行動の実行を引きおこす。化学経路は、コーチゾル、テストステロン、エストロゲンなどのホルモンを使う。ホルモンの放出が体内状態を変え、内臓の働きを変える。
脳内で生じた思考は、体内で生じる情動状態を引き起こせるし、身体は脳の風景を変え、したがって思考の基盤を変えられる。
脳の状態は、ある精神状態に対応するが、特定の身体状態を引きおこす。そして、身体状態が脳にマッピングされて、継続中の精神状態に組み込まれる。情動と感情とは区別される。情動と感情は、緊密に結ばれた周期の一部ではあるが、プロセスとして区別できる。重要なのは、情動の本質と感情の本質とか違っていることを認識すること。
情動の世界は、もっぱら体内で実行される行動の世界であり、たとえば顔の表情や姿勢から、内臓や内部状態の変化などが含まれる。これに対し、情動の感情は、情動が動いているときに、心や身体の中で起こることについての複合的な知覚だ。
感情は、行動そのものではなく、行動のイメージだ。感情の世界は、脳マップ内で実行される知覚の世界だ。情動は、アイデアやある考え方を伴う行動である。
情動は、脳内で処理されたイメージが各種の情動の引き金となる部位を活性化させると機能する。
目を覚ましているというのは、意識をもつ前提条件だ。
人は、レム睡眠中には活発に夢を見るし、一晩に何度も見ている。だけど、もっとも記憶に残るのは、睡眠から目を覚ましかけてだんだん水面下から、徐々にまたは急激に水面、つまり意識状態に戻ってくるときの夢らしい。
麻酔薬は、ニューロンを過分極させて、アセチルコリンをブロックすることで作用する。アセチルコリンは、通常のニューロン間通信では、重要な分子だ。
アルツハイマーは、人間にしか見られない病気である。典型的なアルツハイマー病をもつほとんどの患者は、病気の初期も、中期も、意識は阻害されない。初期には、新しい事実情報の学習がだんだん阻害されるようになり、過去に学んだ事実情報を思い出すのも、だんだん困難になっていく。初期には、この病気の影響は小さく、社会的な穏やかさは維持され、平常な生活に近いものがある程度は維持される。しかし、やがて自伝的記憶の基盤が浸食され、そのうちあっさりと消えてしまう。
意識と脳について、深く知ることのできる本です。
(2013年11月刊。2900円+税)
2015年1月 4日
香りの力、心のアロマテラピー
著者 熊井 明子 、 出版 春秋社
私は、あまり鼻が良いほうではありません。夏の夜に庭の夜香木の花から漂ってくる強い芳香も、よほどでないと分かりません。でも、ふっと、昔、子どものころにかいだ麦わらの匂ひを感じたとき、一瞬にして子ども時代に戻ってしまうのです。匂ひには、特別の力があることを実感します。
人生は「好きなもの」が多いほど楽しい。香りも例外ではない。ハッピーな気持ちをもたらす「好きな香り」を年ごとに増やしていきたい。それは、よい思い出を増やしていくことと比例する。うれしいとき、天にも昇る心地になったときには、意識して、その瞬間の香りを記憶しよう。
みかん類の香りは、きわめてヘルシーで、好ましい。心を明るく高揚させる効果がある。
『源氏物語』には、生まれつき体が芳しい香りを発する薫君(かおるのきみ。光源氏の息子)が登場する。彼に対抗して、なんとかして女性を惹きつけるセクシーな香りをつけたいと願い、努力する匂宮(におうのみや)という貴公子も・・・。
当時の貴族の生活に、香りは欠かせないものだった。庭には、四季折々の花の香り。部屋には空薫物(そらだきもの)の香り。衣服には、薫衣香(くのえこう)を焚きしめ、えび香を添える。さらに、生霊を退ける芥子の薫物や仏前の名香(みょうごう)も。
香料として、沈香(ちんごう)、蘇合香(そごうごう)、白壇(ひゃくだん)、丁香、甲香(見香)麝香(じゃこう)など。その多くがセクシーな香りで、匂宮が身にまとった薫衣香も、こうした薫りをアレンジしたものと思われる。
匂いを大切にした生活を送るということは、さらに人間の内面を大切にした、豊かな生活だと、この本を読みながら思ったことでした。再び、匂ひ立つ美女との出会いを夢見て・・・。
(2014年10月刊。1800円+税)
2015年1月 1日
意識をめぐる冒険
著者 クリストフ・コッホ 、 出版 岩波書店
脳から末端までつながった神経システムは、数百億個以上ものネットワークとしてつながった細胞群で構成されている。そうした細胞の中でも、もっとも重要なのが、神経細胞(ニューロン)だ。ニューロンには、さまざまな種類がある。おそらく100種ほど異なるタイプがあるだろう。そのニューロンのもっとも重要な特性は、つながった先のニューロンを興奮させるか(興奮ニューロン)、あるいは抑制させるか(抑制性ニューロン)という点だ。
脳のなかで起きている電気活動が、どうして人間が主観的にしか感じることが出来ない経験を生み出すのだろうか・・・。
腸の内壁を覆う1億個あまりのニューロンがある。腸内には、「第二の脳」とも呼ばれる腸管神経系が存在する。腸管神経系のニューロンは消化管内で、栄養分の摂取と廃棄物の処理とを粛々とこなしている。しかし、この仕事は人間の意識にはのぼらない。
痛みや吐き気の原因となる情報は、胃の迷走神経を介して大脳皮質へと伝えられ、大脳皮質のニューロンが痛みや吐き気というクオリアを引き起こしている。腸内にある第二の脳で生じた神経活動が、人間の意識を直接に生み出すことはない。
映画は、日常の雑多な心配事、不安、恐怖、疑念といった自意識から引き離してくれる。上映されている数時間のあいだ、観客は別世界の住人になれる。そんなことが、このうえない喜びをもたらす。
自意識と並ぶ、人間固有の特性が言語能力だ。人間は言語を獲得したことで、概念を表現したり、記号を操作したりして、他人とコミュニケーションを取ることが出来るようになった。
この文章を読んでいるあいだ、眼球はせわしなく動き続けている。しかし、その動きによって生じるはずの画像のブレが意識にのぼって来ることはない。この非常に早い眼球の動きは、「サッカード」と呼ばれている。人間の目は、1秒間に数回のサッカードを起こし動いている。
このように人間の目は、忙しく動き続けているにもかかわらず、意識にのぼってくる映像は、目の動きを反映せず、安定している。
日々展開していく人生は、まだ書かれていない一冊の書物だ。あなたの運命は、あなたが決めていく部分もあれば、あなた以外の他者の行動や、自然の動きなど、宇宙のすべてのものの影響を受ける。
私たちには、信じたいものを信じるという性向がある。
一番大切なことは、自分に嘘をつかないこと。そして、これが一番難しいことだ。
私たちの人間の意識、そして無意識について深く掘り下げた本です。
(2014年8月刊。2900円+税)
2014年12月28日
アルピニズムと死
著者 山野井 泰史 、 出版 ヤマケイ新書
ここまでして山登りするのかと、ついつい深い溜め息が出ました。
何度も死の危険に直面し、山の仲間が何人も死んでいます。そして、凍傷のため手足の指は満足にありません。さらには、山の中を走っていて熊に顔をかじられ、鼻をなくしたというのです。いやはや・・・。
山に出かけるのは、年間70回。40年の間に3000回近くも山へ登りに行って、なんとか生きて返ってきて今日がある、というわけです。それでも、著者が死ななかった理由。
それは、若いころから恐怖心が強く、常に注意深く、危険への感覚がマヒしてしまうことが一度もなかったことによる。
自分の能力がどの程度あり、どの程度しかないことを知っていたから。
自分の肉体と脳が、憧れの山に適応できるかを慎重に見きわめ、山に入っていった。
山登りがとても好きだから、鳥の声や風や落石や雪崩の音に耳を傾け、心臓の鼓動を感じ、パートナーの表情をうかがいつつ、いつ何時でも、山と全身からの声を受けとろうと懸命になる。雪煙が流れる稜線、荒い花崗岩の手触り、陽光輝く雪面、土や落ち葉の色、雪を踏みしめたときの足裏の感触・・・。山が与えてくれるすべてのものが、この世で一番好きだ。
ソロクライマー(単独登山家)はリスクが高い。実際にも、多くの悲しい現実がある。しかし、この世のもっとも美しく思える行為は、巨大な山にたった一人、高みに向けてひたすら登っているクライマーの姿なのである。
山中でトレイルランニングをして身体を鍛える。家でも腹筋運動のほか、酸素をたくさん取り込めるように、15分間は腹式呼吸の練習をする。
脂肪はもちろん、大きな筋肉をつけないように注意し、毎日、体重計に乗る。
体力に余裕があれば、登山中でも視野を保て、危険を見抜く能力を保つことができる。
トレーニングは、肉体だけでなく、想像するイメージトレーニングもする。下半身に乳酸をためないようにする。
私は、著者が今後も無事に、好きな山登りを続けてほしいと思いました。
(2014年11月刊。760円+税)
2014年12月 1日
わたしたちの体は寄生虫を欲している
著者 ロブ・ダン 、 出版 飛鳥新社
1850年のアメリカの平均的寿命は40歳。1900年に48歳となり、1930年に60歳に延びた。
いま、北米には60万人のクローン病患者がいる。クローン病は遺伝的傾向があり、タバコを吸う人に発症しやすい。クローン病にかかった人の家には、必ず冷蔵庫がある。
このクローン病の原因は、寄生虫が体内に存在しないことではないか・・・。免役システムが機能するには、寄生虫の存在が必要なのだ。寄生虫がいなければ、免疫システムは無重力状態に置かれた植物のようになる。
寄生虫は万能薬ではなく、誰にでも効果があるわけではない。
人間の腸には、1000種類以上の細菌が棲んでおり、人体の他の場所にはさらに1000種が生息している。それらのほとんどは、見つかった場所でしか生きられない。
パスツールは、細菌と人間は相互に依存して進化してきたのであり、腸内の細菌を殺せば、人も殺すことになると述べた。
シロアリは腸内の細菌が死ぬとまもなく死んでしまう。細菌がいないと、分解しにくい好む食べ物を消化できないからだ。
おとなの犬は牛乳を消化することができない。乳牛、ブタ、サル、ネズミなど、哺乳類の成体すべてに言える。哺乳類にとって、乳はあくまで赤ちゃんの飲み物なのだ。
人間の祖先たちも牛乳を消化できなかった。しかし、今日、西洋人の大半は、おとなになっても牛乳を消化することができる。マサイ族は、牛の群れを追って移動しながら暮らし、大量の牛乳を飲む。
サバンナザルは、「ヒョウ」「ワシ」「ヘビ」という三つの言葉をもっている。おそらく人間の祖先も同じだ。そして、その次は「走れ!」という動詞だった。
チンパンジーは、一般に高さ3メートル以上のところに巣を作る。それは、ヒョウがジャンプできる高さより上だ。
地上で暮らすようになってから、ゴリラは大きく強くなった。それは、捕食動物に対する防御手段だろう。
人間の出産は午前2時前後が多い。夜中に赤ちゃんを産むのは、その時間帯なら周囲に身内が集まって眠っていて、何かあれば、起きて出産途中の母子を守ってくれるからだ。
進化の途上において、体にいい食べ物を美味しいと感じた人は、生きのびる可能性が高かった。舌は、人間の祖先をおだてて、正しい選択をするように導いた。味蕾が脳に味を感じさせるのは、食べ物の取捨選択を誘発するため。
人間の祖先がまだアフリカにいたころ、体毛がなくなると同時に、皮膚のすぐ下の細胞でメラニンが生成されるようになり、肌が黒くなった。その後、祖先の一部は暑い気候の土地を離れていったが、メラニンは相変わらず日光を遮り続けた。日光が遮断されると、体はビタミンDを生成することができない。日照量の少ない地域に移住した祖先のうち、肌が黒い人ほどくる病にかかりやすかったので、白い肌の遺伝子が優勢となった。
そもそも体毛を失わなければ、人類の肌の色はこれほど変化に富んでいなかった。
人間と細菌、寄生虫の関係をよくよく考えさせてくれる本でした。
(2013年8月刊。1700円+税)
2014年11月30日
井上ひさしの劇ことば
著者 小田島 雄志 、 出版 新日本出版社
井上ひさしの本は、それなりに読んでいますが、残念ながら劇はみたことがありません。
遅筆堂と自称していた井上ひさしの劇の台本は、きわめて完成度が高いことに定評があります。
著者は、井上ひさしの劇の初日に必ず行って、終了後にコメントするのが常だったそうです。すごいものです。
井上ひさしの劇は、ことばがコントロールされず勝手に飛び出してくる。その多彩さに、自由でムダな部分が面白い。
井上ひさしのことばのもつ遠心力のエネルギーには、ものすごいものがある。
ことばは、真実を掘り出すツルハシ。
ことばは、ボディーブローのように効く。
ことばは、常識を覆す。
ことばは、肩すかしを食らわせることができる。
ことばは、同音異義語で駄洒落ることがある。
ことばは、「死」と「笑い」を同居させることがある。
ことばは、ドラマティック・アイロニーを生むことがある。
ことばは、人間世界を俯瞰することができる。
ことばは、造語することができる。
ことばは、願い、誓い、呪いを短く強く発することができる。
ことばは、あらゆるものを対比・総合することができる。
井上ひさしは、思い切って「ことばの自由化」をやった。自由にことばの枠を広げたところから始め、近代劇の論理にとらわれないで、ことばが自由に飛び出た。
誰が演じても観るものを泣かせる芝居。それがすばらしい劇曲の証拠だ。
井上ひさしの本や劇をもっと読みたかった、観てみたかったと思いました。
井上ひさしも偉いけれど、この著者もすごいと思ったことでした。
(2014年5月刊。760円+税)
2014年11月22日
調理場という戦場
著者 斉須 政雄 、 出版 幻冬舎文庫
私とほとんど同世代の著名なシェフの体験記です。
フランスに渡って、その料理界に12年間いて、日本に帰って東京の「コート・ドール」の料理長に就任し、1992年からは、オーナーシェフとして活躍しています。
フランス料理界での苦労話は身につまされます。ひたすら堪え忍んだのです。
ひとつひとつの行程を丁寧にクリアしていなければ、大切な料理をあたり前に作ることができない。大きなことだけをやろうとしても、ひとつずつの行動が伴わないといけない。裾野が広がっていない山は高くない。日常生活の積み重ねが、いかに大切か。
窮地に陥って、どうしようもないときほど、日常生活でやってきた下地があからさまに出てくる。それまでやってきたことを上手に生かして乗り切るか、パニックになって終わってしまうか。それは、日常生活でのちょっとした心がけの差だ。
イザというときに、あきらめることはないか。志を持っているか。
相手に不快感を与えることを怖がったり、職場でのつきあいがうまくいくことだけを願って、人との友好関係を壊せないような人は、結局、何にも踏み込めない、無能な人だ。
自分の習慣を変えず、流れるままに過ごしていたら、きっと10年後も人をうらやんでいるだけだろう。だったら、仕事以外のものは捨てよう。
言葉は、人と人とのかけ橋であり、自分とまわりが一緒に生きていくうえでの潤滑油でもあり、個人がやすらぐメロディーでもある。そして、言葉は、体をつくるものでもある。
こいつは牙をむくかもしれないなという部分を相手にきちんと認知させないと、こちらがグロッキーになるまで、相手方からやられてしまう。
いい人なだけではないということを体から発するためには、勤勉なだけではダメ。のべつまくなしに働く甘さだけでなく、必要なときに必要な力を出せることが大切なのだ。
乱雑な厨房からは、乱雑な料理しか生まれない。大声でわめきたてる厨房からは、端正な料理は生まれない。
掃除することは、料理人としての誇りを保つための最低条件である。
日常性をすり込ませることで、お客さんとのコミュニケーションをとることができる。超絶技巧の積み重ねだけでしか出来ないものを出していては、お客さんは疲れてしまう。
一緒に食べている人との楽しい会話を促すような料理こそすばらしい。
採用するときの基準は二つ。気立てと健康。入ったら、まず片付けものと掃除。次にお菓子。その後、魚を下ろさせる。次はオードブル。
いやはや、料理の世界も本当に奥が深いですね。
(2014年8月刊。600円+税)