弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2013年7月 7日

闘う脳外科医

著者  上山 博康 、 出版  小学館

大学2年生のとき、学園闘争が勃発して・・・・、とありましたので、おおっ、これは同世代だと思って奥付を見ました。やっぱり私と同じ団塊世代でした。すごいです。毎朝8時からカンファレンスを始め、これまでの手術数は、なんと2万例以上です。信じられません。
 北海道大学の医学部を卒業し、旭川赤十字病院で20年も働いて、今は札幌の病院で仕事しています。
 クモ膜下出血は、手術によって未然に防げる。脳卒中については、イエローカードが出てきたら、要注意。大きな耳鳴り、気を失う、手足のしびれ・・・、など。
上山ドクターは内臓の絵を描くのも上手で、プロの画家並みです。
 手術するときに使う器具も上山オリジナル。他の病院で手術するときも、道具一式を持参する。腕が一流なら、道具も一流。器具の開発、手術手法の工夫をすすめている。
 著者によると、いま、脳神経外科をめぐる状況は大ピンチ。外科医が激減している。夜中まで働いているのは、脳神経外科。みんな家庭をかえりみることができない。そのうえに医師不足。信じられませんね。こんなに大変な苦労がきちんと報われないとは・・・。
 医療費の削減を撤廃して、働きに応じた報酬を支払うべき。まったく、そのとおりです。
 脳神経外科医は、顕微鏡をのぞいて、両手で針と糸を使って血管を縫いあわせる。その技術を何時間も続ける集中力、気力、体力、人間丸ごと全身力だ。すべてはトレーニングの積み重ね。毎日、一日も休まず練習する。一日休めば鈍る。
何より、患者を助けた命を救いたいという強い思い、病気とたたかう信念をもっていないとできない。
 手術のとき、もっとも必要なものは空間構成力。どこに何が、どのように位置しているのか、全体を把握する力だ。これがないと手術の設計図は描けない。
密室の手術室のなかでは長時間の緊張状態にある。看護師、麻酔医師、臨床検査技師、これらの全員が持ち場をまっとうしなければ手術はうまくいかない。
 人間の尊厳を保った状態で生存できる可能性が信じられたら、迷わず手術する。自分の受けたい手術をする。自分の受けたい手術をする。
脳手術の写真と図解もあって、イメージの湧く本でもあります。上山(かみやま)先生、健康に留意して、がんばってくださいね。
(2013年6月刊。1300円+税)

2013年6月17日

笑いのこころ、ユーモアのセンス

著者  織田 正吉 、 出版  岩波現代文庫

笑いは本当に大切だと思います。涙もストレス発散になるそうですが、やはり笑いにまさるものはないでしょう。
 私は事務所内で笑いの絶えることのないよう心がけています。みんなで気持ちよく仕事をしたいからです。もちろん、深刻な相談を受けているそばで高笑いがあるのは困ります。でも、ずっとずっと胸ふさがる深刻な話を聞いていると、それだけで気が滅入ってしまい、仕事に手がつかないというのでも困るのです。どこかで、気持ちをすっぱり切り換える必要があります。そんなときの救世主こそ、笑いです。
 この本は、この笑いを古今東西、あらゆる角度からアプローチして、その意義を真面目に考えたものです。
茶化すとは、茶にするとも言う。まじめな話を笑いごとにしてしまうこと。まじめな問題を冗談ごとにして話をはぐらかすこと。江戸時代の言葉である。
 ノーマン・カズンズは笑いによって病気も治ると主張した。しかし、笑いさえすれば病気が治ると言ったのではない。重症の患者に必要なことは不安の解消であり、笑いに代表される消極的情緒、つまり希望、信念、愛情、快活、生き甲斐などは医師と患者の協力関係を良くし、回復の見込みを大きくする。
 ギャグの原義は、口をさるぐつわでふさぐこと。セリフを忘れた役者がデタラメのセリフでごまかそうとするのを、相手がその口をふさいだことから、このギャグという言葉が生まれた。喜劇の部品としてのギャグは、日常性に馴らされた頭に瞬間的な刺激を与え、笑いを生む。
 ジェットコースターに乗ったあと、降りてくる人は例外なく笑いを浮かべている。
 緊張の持続に耐えられなくなると、無意識に緊張が緩もうとする。それを引き締めようとする気持ちと、緩めようとする気持ちが揺れ動き、笑いを呼ぶ。体温が高くなると汗が出て自立的に体温が調整されるように、緊張が続くと自然に笑いが起きて解消され、精神の平衡が保たれる。笑いは心の汗である。
 アメリカ人がパーティーや式典でスピーチをするとき、始めにジョークを言うのは、式が始まったときの固い雰囲気をほぐすため。
 ユーモアは、自然や芸術に接するのと同じように自分を見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、ほんの数秒間でも周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間という存在にそなわっている何かなのだ。それは生きるためのまやかしだ。
 大変な学識の詰まった300頁ほどの文庫本です。内容は濃いものがあります。
(2013年4月刊。1040円+税)

2013年6月10日

腸のふしぎ

著者  上野川 修一 、 出版  講談社ブルーバックス

生来、腸があまり丈夫ではありませんから、とても関心のあるテーマです。健診のとき、腸のぜん動運動が少し弱いようですと言われたときは本当にショックでした。それもあって、毎晩、寝る前には腹筋を鍛える体操をしています。
 腸には立派な神経系がある。この腸神経系は、脳からほとんど独立して行動している。腸管ぜん動運動を支える神経細胞(ニューロン)の数は1億個で、脳からつづく神経組織である脊髄のニューロン数と同じ。腸は第二の脳である。
 脳に、からだ最大規模の免疫系があるのは、腸こそが外界とやりとりをする窓口であり、からだの中でもっとも外部からの危険な侵入者と遭遇する機会が多いからだ。
腸内には100兆個をこえる細菌が星のようにきらめいている。その重さは1キログラムにもなる。
ヒトの腸は、形や働きからみて本来は肉食であったものが、進化の過程で草食も取り入れるようになったと考えられる。
 ヒトは、1年間に1トン近い食物を体内に取り入れている。空腹時の胃の容積は50~100ミリリットル。それが満腹時には2~4リットルと50倍以上に拡張する。
腸の働きは腸神経系による自律運動である。
 小腸は、胃の次に位置する消化管の中心的存在である。小腸の働きなくして、食物はからだの中に入ってはいけない。小腸の働きの中心にいるのは、1600億個の吸収細胞である。この細胞の寿命は実に短く、誕生して死ぬまで1.5日である。しかし、代わりの細胞がすぐに交代要員として用意されている。
 大腸には小腸と異なり、ひだや突起は存在しない。口から侵入した病原菌のうち、食中毒菌などはかなりの部分が胃酸によって殺される。しかし、強い胃酸に耐えた病原菌は十二指腸を経て、小腸へ侵入する。小腸に120~130個あるバイエル板は、病原菌の姿や形の情報を収集し、抗体を生産する細胞をつくり出す最強の基地である。
 腸内細菌は、もう一つの生体器官である。
ヒトの胎児は、母親の子宮にいるあいだは無菌状態で大きくなる。
 腸内細菌は、平均して4~5日間、ヒトの体内に滞在したあと、体外に排出される。腸内細菌は、ヒトの免疫力を高める。
腸というのは、からだの中にある外界なのですね。毎日毎日、お世話になっている腸の話です。とても興味深い内容でした。
(2013年5月刊。860円+税)

2013年4月27日

動じない心

著者  宮城 泰年 、 出版  講談社

京都に聖護院があることは知っていました。昔、日弁連の夏期研修に参加したとき、聖護院別荘(ホテル)に泊まったこともあります。日弁連元会長中坊公平氏の関係するお寺だと聞いていました。
 聖護院は京都にある本山修験宗。山伏の総本山。これは知りませんでした。
 白河上皇が熊野詣するときに先達をつとめた功績で聖護院を賜ったとのこと。山伏を統括し、江戸時代には本山派修験と称して、修験道の一大勢力となった。今でも、毎年、100人ほどの山伏が列をなして吉野から熊野に向かい、厳しい奥駈修行をしている。
 現在の山伏にプロは少ない。本山修験宗で200人、全教団をあわせてもプロは1000人ほど。ほとんどの山伏は、ふだんは会社員であったり。こんな在家信者が全国に1万5000人ほどいる。
 1931年(昭和6年)生まれの著者は25歳のときに山伏となった。以来、50有余年。
山伏とは、山に伏して修行する者のこと。自然の中に入ると、とりわけ山中では、五感はいやでも研ぎすまされる。黙々と歩いていると、いつのまにか雑念が消える。すると、肉体的には疲れていても、感覚は鋭敏になる。わずかな枝葉の動きや物音もたちまち目や耳に入るし、土や風が運んでくる匂いも分かる。空気の変化は肌で感じるし、ひょっとしたら言葉にならないあの妙な感覚を、第六感が察知してくれる。
 昔も今も、行者は山に入ると、「サーンゲ、サンゲ、ロッコンショウジョウ」と唱えながら歩く。掛け念仏だ。サンゲとは懺悔。この世に生を受けてから今日までの罪過を神仏の前にさらけ出すこと。ロッコンショウジョウとは、六根清浄。眼、耳、鼻、舌、身、意の六つの気管を指して「六根」という。
 掛け念仏を一心不乱に唱え、足を一歩でも前へと進める。すると、いつしか身も心も掛け念仏に同化していく。このようにして掛け念仏の意味する境地へと自然に引き上げられていくのが、山の持つ力なのである。
 ひたすら歩く。全神経を足元に集中させる。みなに遅れまいと必死についていく。そうやって無心になれる。山伏の装束は買える。15万円から25万円くらいで買える。
法螺貝は大きな見だが、それにしても出る音はさらに大きい。また、山中では空気が澄み、適当な湿度があるので、音の通りがとてもよい。だから、優に5キロメートルは届く。そんなことから、法螺を吹くには、針小棒大、つまり物事を実際よりも大げさに言うという意味がある。しかし、それは決して嘘をつくことではない。
 動じない心とは何か?
 それは動かされない心であり、また自在に動ける心でもある。動じる心とは動かされる心であり、同時に自在に動けない心である。動揺や迷いは人生に付きもの。自分を動揺させているもの。迷わせているものが何か、その正体をしっかり見きわめることが大切になる。 正体のひとつは、真実を見きわめられずまどわされる心、もうひとつは我執やこだわりから道理を受け容れられない心である。
 五感が曇っていると、見るもの聞くものが正しく受けとれず、真実でないものに惑わされる。心に真実、真理の芯がなければ、空洞のまわりの堂々のめぐりとなり、果ては自分の不満や苦しみを他人や物事のせいにして避難する。
 自分を動揺させ侵す対象を心と五感を研ぎすまして正しく唱え、真実を受けいれる心をもてば、いっときの動揺であっても軸を失い、倒れることはない。軸のある心は倒れることなく、自在に動かせるのだ。
 いったん「動じない心」を獲得しても、放っておけば心の迷いやチリはすぐに積もる。ときどき掃除する必要がある。それが「六根清浄」である。山は、これにまことにふさわしい場所なのである。
 山伏の行の意義が分かりました。
(2012年12月刊。1500円+税)

2013年4月14日

患者も医療者も幸せになる医療をめざして

出版  患者の権利法を作る会 

昨年11月のシンポジウムが冊子になっています。つまみ喰い的に、いくつか内容を紹介します。
 アメリカの州の中にはアイムソーリー法というのを定めている州がある。そうです。そう言えば、アメリカでは交通事故にあったとき、決して日本の「すみません」という感覚で「アイムソーリー」と言ってはいけないそうだと聞いたことがあります。「アイムソーリー」と言うと、自分に非があることを認めたことになって、あとで不利になるというのです。でも、共感を表明するのと過失を認めるのでは違いますよね、ですから、アメリカでも、アイムソーリーと言ったからといって過失を認めたことにはならない。そのことを州法で定めたというのです。そんな法律がなければ、アイムソーリーとは簡単に言えないということでもあります。悪い結果に対して、素直に残念だ、申し訳ないと言えるようにしようという動きです。いいことです。
 患者や遺族が病院・医師を相手として訴訟を起こす理由は三つある。ひとつは、病状の急激な変化、また死亡に至る経緯が不自然であり、その不信感を払拭する説明がなかったとき。二つ目は、病状説明が二転三転するとき。三つめは、事故後の対応があまりにも不誠実または閉鎖的なとき。そうなんですよね。まったくそのとおりだと思います。
 患者・遺族側は、事故が起きたら、隠蔽することなく全てを正直に公開してほしい。この点も、まったく同感です。
最後に、患者の権利法を定めようというとき、そこには患者の権利だけが書かれていると誤解されていることが多いと指摘されています。もちろん、患者の権利だけでなく責務についても触れられていますし、それ以外に「共に」「関係者みんなで」とあるのです。
 お互いにまだまだ知るべきことが多いように改めて思いました。
(2013年3月刊。非売品)

2013年3月 2日

僕の死に方

著者  金子 哲雄 、 出版  小学館

私はテレビを見ませんので、流通ジャーナリストとしてテレビによく出ていたらしい著者を見たことはありません。
 41歳で肺がん(肺カルチノイド)でなくなった著者が死の間際まで書き続けた本です。壮絶な、しかし、さわやかに明るい読後感のある本になっています。
 バリバリ仕事をしていた著者が長くせきに悩まされ、顔にむくみが出て、病院で検査してもらったところ、「末期の肺がんです」と宣告されたのでした。
 肺カルチノイドは、治療法のないタイプ。肺だけではなくすでに肝臓や骨などにも転移していた。肺の中に9センチ大の腫瘍があり、気管を圧迫している。いつ死んでもおかしくない。肺を全摘出することになったら、生きていくことはできない。
女性週刊誌の中吊りをよく見ると、役に立つ。中吊りの見出しは、編集部の知恵を結集させた、言うなれば「言葉のエリート」のもつ、数もスペースも限られた中で、どんな言葉で読者をひきつけるか、中吊りの見出しは、だからこそ時代をあらわす最大公約数といえる。
 朝や昼のテレビワイドショーは、女性視点でつくられている。午前8時前そして午後10時以降のニュースは、男性視点から番組がつくられている。
 牛肉の値段の高い安いが、その地域の商圏の経済力を端にあらわしている。その地域の経済力が高ければ当然、高い肉が売れる。田園調布なら100グラム800円。庶民の町では、100グラム298円。100グラム800円の牛肉を食べる人は、マンションも3LDK、8000万円くらいに住む。スーパーのお刺身が3点盛り398円には意味がある。
 週刊誌350円のなかに、芸能、事件ニュース、生活実用の3点をバランスよく盛り込む。すると、お得に感じてもらえる。そうでないと、350万円では高いという反応が返ってくる。
 このところ、タイムセールの1パック98円の卵を買うために、10時開店のスーパーに朝8時から行列ができる。その多くは年金生活者。これは景気の悪い証拠。景気のいいときは、行列ができても、開店30分前。
この10年、治療費を支払えない患者が急増している。
 著者は、自分の葬儀を全部、自分で準備したのです。信じられません。
葬儀の準備を自分でするなんて、あまりにも淡々と自分の死を受けとめているように思えるかもしれないが、がん宣告のあとは動揺が続いた。ここまでの気持ちになるまでには、ずいぶん時間がかかった。高野山大学大学院に入学したのも、そのせいだ。
 生きるか死ぬかについて真剣に学びたかった。正しい死に方を勉強したかった。
 がん宣告後の1週間は、ひたすら泣いた。
 死の恐怖から救い出してくれたのは、仕事だった。
 そうやって著者は、最後までテレビやラジオ、そして全国をかけまわっていたのでした。
 最後に、通夜・告別式の会葬礼状を著者本人が書いています。ここまで用意していたのです。
 今回、41歳で人生における早期リタイア制度を利用させていただくことに対し、感謝申し上げる。
 とあります。ユーモアも忘れないところがすばらしいですね。死の前日の日付になっています。とても読みごたえのある本でした。
(2013年1月刊。1300円+税)
 朝、雨戸を開けると、水仙の白い花(真ん中に黄色)が庭のあちこちに咲いているのが目に飛び込んできます。そして、白梅が花盛りです。なぜか紅梅は見劣りしています。
 チューリップの芽がぐんぐん伸びています。春に近さを実感します。
 そんな春ですが、花粉症には日夜、悩まされています。目はかゆいし、鼻は詰まるし、ティッシュ・ペーパーが手放せません。
 今年1月からヨーグルト(BB536入り)を250グラムずつ食べていて、花粉症予防になると思ってがんばったのですが、今年も発症してしまいました。
 めげずに仕事を続けています。

2013年2月17日

笑いは病を防ぐ特効薬

著者  松本 光正 、 出版  芽ばえ社

私の事務所の自慢の一つは笑い声が絶えないことです。深刻な相談を受けることが多く、ともすれば暗くなりがちですが、そこを明るい笑いによって吹き飛ばし、ストレスを溜めないように心がけています。
 人生、何事も前向きにとらえて生きていけば、きっと道は開ける、いいことがあるというのが、私の信条です。まっとうな努力が必ずしも報われるとは限りません。それでも、前を向いて、明けない夜はないという確信のもとに一歩一歩あゆみを進めていくことにしています。
 この本では、私より5歳も年長の医師が、どんなサプリメントよりも笑いが優ることを長年の医師体験にもとづいてやさしく語り明かしています。
 笑いは、どんな病にも効く万能薬だ。万能のサプリメント、総合ビタミン剤だ。そして、連効性があり、おまけに無料。副作用は決してなく、あるのは「福の作用」のみ。
 下手に健康診断を受けて、その結果の数値に心配するほうが、ずっと身体に悪い。
 マイナス思考が心筋梗塞を起こす。脳梗塞も、マイナス思考が要因となることがある。
 がんもストレスで説明できる。心が病めば、がんが生まれる。心が病めば、がんは進行する。
 毎日、だれでも1万個のがん細胞が生まれている。そのがん細胞を殺してくれるのがNK細胞。このNK細胞の活性度を高めるのが笑いだ。このことは実証されている。
 マイナス思考が、がんを発生させる。笑いこそが、がん予防であり、治療である。がんとたたかう武器は「笑い」だ。
病気は、「病」を気にするところから始まる。病を気に病むと、なかなか治らない。治らないのは、病だけでなく、病気だから。こんな病なんて、すぐに治るさ、大丈夫だと思う気持ちが大切だ。
 笑いって、毎日の生活で欠かせないものですよね。
(2012年12月刊。1000円+税)

2013年1月 4日

チンパンジーは、なぜヒトにならなかったのか

著者  ジョン・コーエン 、 出版  講談社

人間とチンパンジーは、どれだけ違い、また、似ているのかを探った本です。
 チンパンジーは泳げないそうです。だから、深い池にはまってしまうと、おぼれ死んでしまうといいます。犬かきみたいなこともできないのですかね・・・。
 そして、チンパンジーは人間の好むマラソンのような長く走ることもできないそうです。
 チンパンジーは、肝炎にかからない。
母親になったばかりのチンパンジーは、1時間に22回も赤ん坊の目をのぞき込むことが分かった。
人間の赤ん坊は夜泣きする。しかし、チンパンジーの赤ん坊は絶対に泣かない。なぜなら、母親が常に一緒にいるから。
 チンパンジーの雌は、授乳するときしか胸(乳房)はふくらまない。
 ヒトの男子の精液1ミリリットル中の精子は6600万個。ところが、チンパンジーは、25億個にもなる。
人間の女性は排卵の時期と受精のピーク時を隠すように進化してきた。父親をあいまいにすることで、女性とその子どもたちが守られるようにしたいということ。
野生のチンパンジーの平均寿命は13年。飼育下では42歳くらいまで生きる。チンパンジーは、30歳になるころには、狩猟採集生活者よりはるかに死亡率が高くなっている。
チンパンジーは、大人まで成長したら、最後に子どもを産んでから数年ほど生き続ける確率は1%でしかない。
人間は閉経後のおばちゃんが子育てに関わっていることが特徴です。
 チンパンジーは、今や絶滅の危機にある。野生のチンパンジーは多くて23万頭、少なくて16万頭ほどになった。人間が木を伐採し、土地を耕すことで生息地を破壊し、分散させてしまい、その結果、近親交配が増えていることによる。
 ニホンザルが減ったという印象はありませんが、アフリカのチンパンジーは劇的に減っているようです。心配です。
チンパンジーと人間の異同は、もっともっと知りたいところですよね。だって、人間とは何者なのかを知りたいものですから。
(2012年9月刊。2800円+税)

2012年12月31日

日本鍼灸へのまなざし

著者  松田 博公 、 出版  ヒューマンワード

息子が東京・西国分寺で鍼灸師として働いていますので、少しその世界をのぞいてみようと思って読んだ本です。どの世界も職業の奥は深いわけですが、この鍼灸の世界も歴史と底深さがありますね。私も、ときどき自宅で娘から灸をすえてもらっています。温かくて、ときに熱さも感じますが、とても気持ちのいいもので、心地よい眠りに入れます。
 韓国のテレビの「チャングムの近い」は見ていませんが、それにも鍼灸が出てくるそうですね。同じく「ホジュン」の方は、本だけは読みました。素晴らしい本でした。ぐいぐいと作中の世界に引きずり込まれていきます。
 この本を書いた著者は、私より年長の、元ジャーナリストです。岩波新書『鍼灸の挑戦』も書いているそうですが、そちらはまだ読んでいません。日本と中国、そして韓国の鍼灸治療の現場を比較しているところもあって、大変面白く読み通しました。
 『病家須知』という江戸時代(1832年)の本がある。そのころ、病者の療養や出産、老人介護は、すべて家族の暮らしの一部だった。武士にも「介護休暇」や「産休」が与えられていた。自分と家族の身体と心の健康は自分で守るのが当然で、専門家の支援を仰ぐのは、その後だという自立ケア社会が成立していた。
 うひゃひゃ、江戸時代って、今より進んでいるところもあったんですね・・・。
むやみに薬を使用するな。祈祷を僧侶や修験者に頼むのは、ほとんど無益なことだ。心から祈れば、神仏にも伝わり、感応がある。
 食欲・睡眠欲・色欲の三欲を管理する。
鍼も灸も、生体にとっては極くささやかな刺激、微細な情報である。それ自体が強引に治すというより、不断に働いている体のおのずからなる治癒作用を応援している。つまり、生体に活力があるかないかが、鍼灸の効果を作用する。
 病気を治す自然の力の働きは、心地よい肯定的な過程をとるとは限らない。むしろ逆。病気になると、からだは熱を発し、汗を流し、下痢、腹痛、嘔吐などを繰り返す。この苦しくて悩ましい症状は、第一義的には、細菌やウィルス、有害物質を排除し、無毒化しようとする身体の防御反応、治癒反応である。こんな症状があるからこそ治癒するとヒポクラテスはこう考えた。
 なーるほど、そういうことだったのですね。だから、熱発や下痢があったとき、それを無理して止めるのは身体にかえって良くないわけなんですね・・・。
 1991年にスイス・アルプスの山中で発見された5200年前の「アイスマン」には、右膝などに入れずみがあり、それは鍼治療のあとだと考えられている。シベリアのアルタイ山中の男性ミイラにも、背中と足首に入れずみがある。これも鍼灸のせい・・・。
脳が絶対的な支配者として人体に君臨しているという、脳は至高の帝王であるという身体観は、現代科学と医学のイデオロギーであり、思いこみである可能性がある。
 中国医学の五臓、肝・心・脾・肺・腎は、心の神気のコントロールを受けつつ、それぞれ独自に精神性と機能を分けもち、五行の相生相克の論理に従って、半自立的に他の臓器と関係しながら、全体として統合されている。
 境界たる皮膚のほうが、生命維持機能のみを考えた場合、脳より上位にあることも可能である。
日本鍼灸の蘇生が熱っぽく語られる本でもありました。
(2010年6月刊。3300円+税)

2012年12月25日

群れは、なぜ同じ方向を目指すのか?

著者  レン・フィッシャー 、 出版  白揚社

イナゴは、環境が混雑してくると、行動をがらりと変える。通常は隠れて単独で暮らしているが、近くに仲間が増えてくると、突如パーティー好きに豹変する。
サバクトビバッタは、仲間が接近してくると刺激を受け、セロトニンが生産される。
 ここのイナゴが最初に異動を始めるときは、まだ若く、羽もない状態であり、動きもランダムだが、集団の密度が増してくると、次第に運動の方向がそろってくる。やがて集団の密度が非常に高くなる(1平方メートルあたり80匹ほど)と劇的な転移が急速に生じ、高度に統率のとれた進軍へと変化する。
 イナゴの群れの場合、後ろのイナゴに食べられたくないという単純な欲に動かされる。移動するイナゴはエサを探しており、前にいるイナゴはおいしそうで食欲をそそる。したがって、食べられないようにするには、前進を続け、距離を保つのがいいということになる。
他の個体に衝突するのを避ける。近隣の個体群が向かっている方向を平均し、その方向に向かって動く。近隣の個体群の位置を平均し、その方向に向かって動く。
 横から向かってくる物体に反応したイナゴは、羽を畳み、一瞬のあいだ滑空状態になる。こうした対応策によって、イナゴは衝突する可能性を最小限にし、また、たとえ衝突したとしても羽を痛めることがないようにしている。
 目的地を明瞭に思い描き、そこに到達する方法をはっきりと知っている匿名の個体がわずかでもいれば、集団内の他の個体は、自分がついて行っていることも知らぬまま、それに従って目的地へと向かうことになる。そのとき必要なのは、意識しようとしまいと、他の個体たちが集団にとどまりたいと望んでいること。そして、相反する目的地をもっていないことだけである。
集団内に別の目標が存在しない限り、単に目標を持つだけで集団を導くことができる。リーダー役の成員たちが、自分たちが導いている相手からリーダーと認識される必要はない。
 グンタイアリは、巣から距離のある餌場に移動するときには、自己組織化して綺麗な三車線の経路をつくる。巣から出たアリは経路の両脇を進み、餌を持ち帰るときは中央を通る。グンタイアリは、ほとんど目が見えないが、以前に経路を通ったアリが残したフェロモンをたどること、そして新しい社会的力を使うことで、整った行動をこなすことができる。
 群衆の中を効率的に進んでいく最善の方法は、自然発生的な群衆力学のことを理解して、それに抗うのではなく、同調すること。
 危険な状況から脱出しようとして出口を探している群衆の中にいるときは、60%の時間を群衆とともに行動し、残りの40%を別の出口を自分で探すのに使うと、脱出の可能性が一番高くなる。群衆の密度が非常に高い場合は、行き先を自分でコントロールすることは、ほとんどできなくなる。
 つまり、危険を知らせる情報を見聞きしたら、速やかにそれにもとづいて行動すること。決して群衆に巻き込まれてしまうまで、待ってはいけない。
 二つのうち、どちらか一つを選ばなくてはならず、見たことや聞いたことがあるのが一方だけの場合、他に情報がなければ、覚えのある方を選ぶこと。
覚えがあるかどうかだけにもとづいて決めなければならず、覚えのある選択肢が複数あるときには、一番思いあたりやすいものを選ぶこと。
 何もしないという初期設定があるなら、そのままにしておいた方がいい場合が多い。
一時的に集団から離れ、しばらく自分の頭で考えてみることで、集団思考に陥ってしまうのを避けること。自分なりに結論を出し、それに納得してから集団に戻ること。
 群集心理に陥る危険から脱出する方法を教えてくれる本でもありました。
(2012年10月刊。2400円+税)

前の10件 41  42  43  44  45  46  47  48  49  50  51

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー