弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
人間
2012年1月16日
アフリカで誕生した人類が日本人になるまで
著者 溝口 優司 、 出版 ソフトバンク新書
ヒトが誕生したのはアフリカだというのは動かない事実です。
200万年前よりも古い人類の化石はアフリカでしか発見されていない。現代日本人の最古の祖先は2001年に中央アフリカのチャドで発見された猿人・サヘラントロプスだ。700万年前に棲息していた。
ヨーロッパ人は歯が小さい。そのため、顎の力を受けとめるため、カラベリとういう補強構造を発達させている。
日本人を含む現代の人類は、世界中のどこでも、どんなに外見の異なる人同士でも子ができ、孫が生まれる。完全交配が可能な同じ種なのである。つまり黒人だから、黄色人種だから、白人と種が違うというものではないのですよね。
ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとは、交配することで次第にホモ・サピエンス集団に吸収されていって、消滅していったと考えられる。
類人猿などにある体毛がホモ・サピエンスでは極端に薄いのは、人類の祖先が森林を出て、草原で直立二足歩行するようになったことと関連している。というのは、暑い昼間、長時間走り続けるには、効率的に体温を下げる必要がある。体毛があって汗腺が発達していないときは、それは不可能だった。しかし、突然変異で体毛が薄くなり、汗腺が発達して大量の汗をかけるようになった。昼間の狩りで獲物をしとめるようになったヒトだけが子孫を残すことができた。
四つん這いやナックル・ウォーキングのときにはよく見えていた生殖器が直立したことで見えなくなったことをカバーするため、粘膜で出来た唇があり、女性の胸がふくらんだ。
唇は生殖器の、乳房はおしりの擬態である。
アジア大陸をいったん北上した人々が、寒冷地適応をし、農耕技術を身につけたあと再び南下して、もとからいた人々と混血し、東南アジアの現代人になった。
縄文人の祖先は、オーストラリア先住民(アボリジニー)などの祖先と同様、氷期にはスンダランドにいた人々。
琉球人はアイヌと同型統ではない。むしろ本土日本人に近い。
弥生人が寒冷地適応をした北方系の特徴をもつのは、もともとバイカル湖近辺の人々が祖先であったため。そして、弥生人が水稲栽培の技術を持っていたのは、日本に渡来する前に暮らしていた朝鮮半島で身につけたから。
このように、日本列島には、南方期限の縄文人が先にきて北方起源の弥生人が後からやって来たのは、ほぼ確実だ。そして、大陸から渡来した弥生人が、もともと日本に住んでいた縄文人と混血しながら広がっていき、かなり置き換わったのに近い状態になった。
なーるほど、そういうことなんですね。なんだかネアンデルタール人と縄文人って、置かれている状況が似ていますよね。
(2011年9月刊。730円+税)
2011年12月19日
心と脳
著者 安西 祐一郎 、 出版 岩波新書
自分はいったい何者なのか。どんな存在なのか。死んだら、一切は無になるのか。眠っているあいだも生きているというのはどういうことなのか。無意識のうちに人は動き、動かされているというのは本当なのか。
意識にのぼらない自我があるのか・・・。心は一体どこにあるのか、頭なのかハート(心臓)なのか。頭のどこに心があるというのか。
考えてみれば、このように次から次へ疑問が湧いてきます。
虹の色は、いくつに見えるか?
日本語を母語として、日本の社会で育った人は、紫、藍、青、緑、黄、橙、赤の7食に見える。フランスも同じ。ところがアメリカ育ちの人には藍色抜きの6色に見える。ドイツだと、さらに橙が消えて、5色に見える人が多い。虹の色が二つにしかない言語もある。へーん、いろいろ違って見えるものなんですね・・・。
発汗や筋肉の収縮のような身体の反応にかかわる情報は主として大脳皮質を経ずに、意識にのぼることなく処理される。情報の処理は大脳皮質を経ない意識下の経路の方が速い。したがって、意識下で起こる身体的な反応のほうが、大脳皮質経由の意識にのぼる活動よりも、基本的に先に生じる。心の働きについても、意識下の働きのほうが自分に意識されるはたらきよりもずっと大きいことが分かっている。
喧騒の中で自分の名前が聞こえるのは、自分にとって大切な意味をもつ情報を選り分けるメカニズムが意識下で働くからだと考えられている。なーるほど、たしかに、そんなことって、ありますよね。
コンピュータと違って、持ち運びや破損や特別なエネルギー補給にそれほど気をつかう必要がないのは、脳の優れた特徴である。
脳は何億円もするスーパーコンピュータをはるかに上回る性能を有しているのですね。
情報処理がいろいろな機能について並行して進められ、それらが相互作用することによって心のはたらきが現れてくる。情報処理システムとしての脳神経系である。
脳神経系が、脳幹、小脳、大脳辺縁系、大脳皮質の内部やその間を結ぶ密度の高い神経経路を通して相互作用していること、しかも、神経系が入り組んだ階層構造をなし、各層でも並行して情報が処理されるとともに、層の間でも相互作用が起こっていること、さらに、神経細胞がつながってループしている(もとの神経細胞に情報がめぐり戻ってくる)回路がたくさんあり、きわめて複雑なシステムを形成している。
人が文章を理解しようとするときには、音韻、形態素、文法、意味、文脈などの情報をお互いに関係づけながら並行して処理し、全体の意味を理解しようとしている。本を読むというのは、単に目で文字を追っているというのではないのですよね。だからこそ速読術がありうるのでしょう。
ふだんの買い物のような、何気ない意思決定でさえ、買うモノの特徴を考えたり、買い物経験を思い出したりする記憶や思考、どの品物が買うに値するかを決める選考評価、楽しめるとかつまらないといった感情など、多くの情報処理が意識のうえと意識下の両方で並行して行われている。
心のはたらきのほとんどすべては、脳のたくさんの部位の相互作用によるもので、脳のどこかと心のどこかが一対一に対応するわけではない。
人は、意識して思考しているだけでなく、むしろ大脳基底核などのはたらきに支えられて、意識にのぼらず思考している部分が相当大きい。
脳の本は、いつ読んでも本当に面白いですよね。
(2011年9月刊。860円+税)
今年も500冊を読みました。面白そうな本、読みたい本、知りたいことが次々に出てきますので、速読はやめられません。まあ、完全なる活字中毒症であることは認めます。でも、本を読んでいるときの快感って、なにものにも代えがたいものがあります。背筋がぞくぞくするほど知的興奮したときなど、心を静めるのにしばらく時間がかかることがあります。どうぞ、新年も引き続き、お付き合いください。チョコさん、誕生日プレゼントありがとうございました。
2011年11月24日
隠れた脳
著者 シャンカール、ヴェダンタム 、 出版 インターシフト
隠れたところで人に影響を与える力を隠れた脳という。隠れた脳とは、気付かないうちに私たち人間の行動を操るさまざま力のこと。隠れた脳の大半は、自覚の及ばないところにある。脳の活動のなかに意識的に気付かないものがあることは、科学者のあいだでは昔から知られていた。
意識的な脳は、ゆっくり慎重に作業する。教科書を読んで理解し、ルールや例外を学ぶ。隠れた脳はすばやく推論し、即座に順応するようにできている。隠れた脳は、正確さよりもスピードを重視する。
無意識のバイアスは毎日の生活の隅々にまで入りこんでいる。たとえば、人は賛同できる話を聞いたときには、すぐに、しかも情熱的に反応する。賛同できないときは反応がほんの少し遅れる。それは、隠れた脳が話の行き詰まるのを予測して、衝突を前に身構えるからだ。
あなたの隠れた脳は、単独で働いているのではなく、他人の隠れた脳とネットワークを築いている。
近い関係にある人間同士だと、嫉妬心から強くなる。
隠れた脳は、他の物体より人の顔を好んで認識するようにつくられている。
なぜ、人は災害時に反応を誤るのか?
9.11のとき、WTCで88階にいた人は助かって、89階の人は助からなかった。なぜか?
人が決断するとき、ふだんなら個人の性格やモチベーションがそこに反映される。しかし、集団でいるときに災害にあうと、個人の意思よりも集団自体の行動のほうが決定要因になることが多い。隠れた脳の奥底で起こって実際の行動を左右したのは、その人が属していた集団の大きさだった。大きな集団ほど、脱出するのに時間がかかる。思いがけない災害にあったとき、人は無意識のうちに周囲の人との合意を求める。そして集団は共通の物語。つまり何か起こっているのか誰もが理解できる説明をつくりあげようとする。集団が大きいほど、同意が成立するまでに時間がかかる。
現実には、人間は自分を傷つけ、全体の生存可能性を減らしても、お互いを助け合うことがある。
ヒロイズムは、危機に際して個人の利益より集団の利益を重視する。隠れた脳が生み出す無意識の問題解決法である。
重大な危機に陥ったとき、隠れた脳がその力を発揮して、何が起こっているのか、まわりの人たちと共通の理解を得たいという強烈な願望が生まれる。集団の同意があれば安心できる。進化の歴史をみると、集団でいる方が安全を保たれる。警報が鳴ると不安が引き起こされ、集団を頼るよう隠れた脳が指令する。それは、祖先の時代から集団でいたほうが危険にさらされる可能性が低く、安心と安全が手に入りやすかったからだ。
なーるほど、ですね。
かなりの数のテロリストは裕福な特権階級の出身だ。大学を卒業し、医師、エンジニア、建築家といった専門職についてる。自爆テロの犯人(テロリスト)は異常心理をもつ操り人形であるとか、虚無主義だという調査結果はない。むしろ、その集団の中の他の仲間より理想主義的な思想をもっていた。洗脳されて、命令に従うだけの愚か者ではない。
自爆テロリストたちは異常者ではない。ごくふつうの人が自爆テロリストになる可能性がある。自爆テロリストは死を強制されたとはほとんど感じていない。
自爆テロリストは、入るのがきわめて難しい、排他的なクラブに所属している。その排他性こそが、クラブの大きな魅力なのだ。自分がやろうとしていることをビデオの前で誇らしげに語り、仲間らか称賛の言葉を浴びて心理的な報酬を受けたあとでは、その使命を成し遂げられなければ、自分の人生を意義深いものにする要素を失うことになる。
隠れた脳は、周囲からの承認と行動の意義を求める。そして、小さな集団には、そのような承認と意義を与える力がある。 自分より大きいものの一部になりたい、自分が特別な存在だと思いたい、その存続と安定が自分の命より大切な集団の一部になりたいという衝動だ。
人は大きな数字の扱いが苦手である。人間の想像力をかきたて、同上を引き出すのは、一つの顔、一つの名前、一つのライフストーリーである。1匹の犬を救助するために大金を出しても、12匹の犬を救うためにはお金を出し惜しみする。これを望遠鏡効果という。これは、仲間や親戚を優先的に好むように進化したために生じたものだ。
隠れた脳を知らなければ人間を知ったことにはならないのだと実感し確信しました。刺激にみちた素晴らしい内容の本でした。
(2011年9月刊。1600円+税)
2011年10月 3日
人間はなぜ眠れないのか
著者 岡田 尊司 、 出版 幻冬舎新書
世の中には、不眠症で悩んでいる人が意外に多いですよね。一日に4時間とか5時間しか寝ていないという人もいますが、夜ぐっすり眠れない、だから昼近くまで寝ていて、頭がずっと冴えないと嘆いている人が少なくありません。幸い、私は寝つきが良いのですが、たまに悶々とするときがあります。間違って夜7時以降にコーヒーとか緑茶を口にしてしまったときです。どうしてかなと振り返ってみて、はっと思いあたるのです。
この本は眠ることの大切さとあわせて、ぐっすり眠るための秘訣を公開していて、とても実践的に役に立ちます。
日本人の5人に1人は不眠症。3人に1人が何らかの睡眠障害をかかえている。短期の不眠では、一方で神経疲労の影響があり、もう一方でストレスホルモンの作用がある。
眠れなくても、目を閉じて横になって休養しておくのは大切なこと。
神経システムが休みなく活動を続けると、一つには神経伝達物質を放出し尽くして貯蔵庫が払底してしまうことになる。また、受け手の受容体が神経伝達物質にさらされ続けた結果、一過性に反応しなくなる状態(脱感作)を引き起こす。これらが、神経疲労である。
睡眠は健康な精神の維持に大切なものである。睡眠障害は、まず注意力(とくに注意の持続)記憶力などの機能を低下させる。高度な情報の統合を必要とする判断力や抽象的思考、想像力が、とくに影響を受けやすい。
老化を防ぐためにも、中年以降はいっそう質の良い睡眠を十分にとることが大切だ。睡眠不足は攻撃的な行動を引き起こしやすいし、他者に対する関心が乏しくなって、ひきこもりの原因ともなる。
ノンレム睡眠、ことに徐波睡眠は、免疫力を維持するうえで、非常に重要である。睡眠不足は、免疫力を低下させ、感染症、そしてがんにかかりやすくなる。
レム睡眠は長期記憶の形成に関与している。
よく眠るためには、ベッドで仕事をしたり、テレビを見ることはしない。夜眠るときは、必ず決まった寝室やベッドで眠るようにする。寝る直前に入浴するより、少し早目に入浴し、火照りが落ち着いてから床に入るほうがいい。
夜、メラトニンの分泌が活発になると体温が下がる。このタイミングとあわせると、眠りに入りやすい。そして、午後のコーヒー、午後3時以降の昼寝は避ける。
ぐっすり眠れたら、朝の目覚めがすっきりして、今日も一日がんばろうという気になれますよね。
(2011年6月刊。760円+税)
日曜日に近くの小学校で運動会があっているようで、風に乗って号令をかける子どもの声などが聞こえてきました。もう久しく運動会には行っていません。
先日、原発問題の学習会で今の福島市内の放射能量は学童疎開されるべきレベルなのに、政府は何もしないのはおかしい、人体実験をしているようなもので、許されないことではないかという指摘がありました。目に見えないだけに、放射能の恐ろしさを実感することは出来ませんが、妊婦さんや子どもたちの疎開はもっとすすめられるべきだと思いました。
いま、わが家の庭にはピンクと白の芙蓉、酔芙蓉の花ざかりです。百舌鳥のかん高い鳴き声を聞きながら、せっせとチューリップの球根を植え、その準備をすすめています。来春が楽しみです。
周囲の田んぼの稲穂は黄金色となり、刈り取りを待つばかりです。
2011年9月26日
赤ちゃんの不思議
著者 開 一夫 、 出版 岩波出版
赤ちゃんって、いつ見ても可愛いですよね。我が子も、みな、とっても可愛くて、眼に入れても痛くないというたとえが実感としてよく分かりました。孫のほうは残念ながらまだ経験がありませんが、とても可愛いとみな言ってますね・・・。
その赤ちゃんが可愛いだけの存在ではなくて、意外な能力とパワーを発揮していると言うのです、ええーっ、どんな・・・?
赤ちゃん学は、この30年ほどで目覚ましい発展を遂げた。それまで、まったく無力と考えられてきた赤ちゃん像がくつがえされている。今では生後まもない赤ちゃんでも、さまざまな能力を持っていることが明らかになっている。
生後1時間にもみたない新生児も「顔まね」する。「顔まね」というのは、たとえば大人が赤ちゃんに向かって、舌をベローッと出すと、赤ちゃんも舌を出すということです。こう動かすと視覚的にこうなるというのを、鏡によって理解していなくても顔まねできるというわけで、これは本当に不思議なこと。
母親が妊娠中にリラックスするために見ていたテレビドラマのテーマソングが胎児にも影響していることが分かった。
人間の顔が正面を向いて目もこちらを見ている写真と、あらぬ方向を見ている写真とを比べてみせると、明らかに赤ちゃんは、目が正面を向いている刺激のほうにひきつけられる。赤ちゃんは、早いうちから自分なりのやり方で世界をとらえ、様々な情報を非韋に効率的に処理している。赤ちゃんは、何か描かれるのをただじっと待っているキャンバスではなく、もっと能動的でダイナミックな対象としてとらえるべき存在だ。
一般的に、生後12ヵ月までに男の子と女の子とは違う玩具を好むようになる。
女性は男性と比較してコミュニケーション能力に長けている。相手の表情から感情状態を読みとったり、延々とおしゃべりするのが好きだったり、一般的には対面コミュニケーションや社会的認知能力が優れている。
赤ちゃんって不思議な存在だ、なんて言ってるうちに、みるみる大きくなっていき、幼児が小児になり、児童、そして少年やがて大人になります。ですから、私たちの未来は赤ちゃんにかかっているわけです。そんな赤ちゃんを、みんなで大切に育てたいものです。
(2011年5月刊。720円+税)
2011年9月20日
脳科学の教科書
著者 理化学研究所 、 出版 岩波ジュニア新書
ジュニア新書というから、ごく平易な脳科学の手引き書かと思うと、実はなかなか難解な解説書ではありました。いえ、ケチをつけているのではありません。脳科学の最新の到達点が学べる本ではあるのです。それだからこそ、私にとっては少々難しすぎるところもあったというわけです。
人間の脳には、1000億個のニューロン(神経細胞)が存在する。
構造的にも機能的にも、「やわらか」であるという点において、脳は非常に優れたコンピュータであると言える。
大脳皮質のしわを広げると、新聞紙一枚分の面積になる。
5つの感覚系のうち、嗅覚だけは異なった道筋をたどって大脳へ入ってくる。視覚と聴覚が密接な関係にあるのは日ごろ実感しています。一生懸命に本を読んでいると、耳に栓をしたように聞こえなくなることがしばしばだからです。臭いについては、かなり鈍くなっていることも認めます。花の香りも、よほど鼻を近づけないと分かりません。
人間の小脳には、600~800億個の顆粒細胞が存在している。これは、中枢神経系の全ニューロン数の7割を占める。ニューロンの主要な機能は外部から情報を受けとり、電気信号に変換し、標的細胞へと伝達すること。
樹状突起がもっとも高度に枝分かれしたニューロンは小脳のプルキンエ細胞であり、ひとつのプルキンエ細胞の樹状突起には10万個以上もの入力端子が接続している。
ニューロン情報の伝え方には、二種類ある。一つはニューロン内部での興奮伝導、もうひとつはシナプス伝導。前者は電気信号による伝搬、後者は化学物質を介した伝導である。
ここで伝搬と伝導の使い分けられていることに注目します。ニューロン内部での情報伝導のために、ニューロン自身が電気信号を発生している。電気信号を使って情報を伝えるという性質に関しては、脳とコンピュータは類似している。
ニューロン内部では、電気信号によって興奮が伝わっていくが、ニューロンとニューロンのあいだでは、ほとんどの場合、化学伝達によって情報は伝えられる。この化学伝達は、脳に固有のものである。
シナプスにおける主役は、神経伝達物質である。興奮性ニューロンで働いている神経伝達物質は、グルタミン酸。これがなくては脳はまったく機能できなくなるというほど、グルタミン酸は重要な興奮性神経伝達物質である。
人間の脳幹は、爬虫類脳だという概念は、現在崩れている。基本的な脳の領域は、どの脊椎動物でも共通だと考えられている。
最近の研究で、大人の脳の中にも、新たなニューロンを生み出す能力をもった細胞「神経幹細胞」が存在することが分かってきた。
人間は350種類の、マウスは1000種類もの匂いセンサーの鼻の奥にもっている。
運動をつかさどるのは小脳で、知能をつかさどるのは大脳だと言われることがあるが、これは誤りだ。脳神経系は、全体としてネットワークを形つくって機能を発揮する。ひとつの機能をひとつの脳部位にあてはめる単純化は誤る。
PTSDは、忘れることができなくなるのではなく、安全だという新しい記憶を獲得することができなくなる症状である。PTSDの症状を抑えるには、D・ミクロセリンという薬が効果的。この物質は、記憶の形成にかかわることを説明してきた、NMDA受容体の働きを強める物質なのである。
人間という存在が、いかに複雑なものであるかがなんとなく分かってくる良書です。
(2011年4月刊。980円+税)
2011年9月18日
身も心も
著者 盛田 隆一 、 出版 光文社
75歳の老人が妻に先立たれて茫然としているなかで、絵画サークルに入っているうちに女性と親しくなっていくストーリーです。
老いらくの恋もいいかな、なんて思いながら読んでいると、とんでもない現実が二人それぞれに重たくのしかかってきます。優しく話を聞いてくれる女性のほうにも、なかなか他人には言えない辛い過去がありました。
男性の方は、老いらくの恋が息子夫婦に発覚すると、財産の帰属を心配されたり、世間様に恥ずかしい、みっともないなどと冷たい仕打ちを受けてしまいます。私が弁護士として現実に受任したことのあるケースによく似ています。子どもは大きくなると、親の遺産を我が物であるかのように錯覚し、第三者の介入を許しません。恋愛感情は打算だけで成り立っていると警戒するばかりです。
そして、なにより最大の問題は頭と身体の老化です。次第に自分への自信を失います。現実に病気に倒れてしまうことが起きます。そうすると、必要なのは介護です。誰が介護してくれるのか、その費用は持ち合わせているのか・・・。深刻な現実が迫ります。
制限時間迫る、高齢者の恋愛が炙り出すものは。
これが本のオビに大書されているサブタイトルです。そうなんですね、若いときとは違って、制限時間が迫っているというわけです。それでも、いくつになっても若者のように素敵な恋をしたいものです。そう思いませんか・・・。
(2011年6月刊。1200円+税)
2011年9月17日
困ってるひと
著者 大野 更紗 、 出版 ポプラ社
原因不明の難病にある日突然見舞われた女子院生の壮絶なる闘病のバトル記です。
なんともまあ、すさまじい病気です。そして、病気になったときの医療と社会保障の貧困さも浮き彫りにされています。それでも救いなのは、この本を書けるほどには楽天的な著者と、それを支える個性的なドクターたちの存在です。それがなければ、暗く、気分の落ち込むばかりの、頁をめくる元気も出てこない本だったでしょう。ところがこの本は大変だな、それで、その後どうしたんだろうと続きを読んでみようという気にさせます。
福島の山奥、ムーミン谷からぽっと出てきて、東京は上智大学仏文科に入学した著者はビルマ(ミャンマー)の難民援助活動に邁進していたのです。それがストレスをためてしまったのでしょうか、ある日突然、まったく動けない身体になりました。
ビルマの山奥によくぞ若い女性が入っていて、難民支援をがんばったものです。たいした勇気、そして元気でした。
難病といっても原因不明ですから、あちこちの病院をたらいまわしにされます。ようやく、まともに患者として扱ってくれるドクターとめぐりあうことが出来ました。それにしても医師という職業も大変ですね。自分の私生活を投げうって難病患者ばかりの病棟を受けもち、不眠不休でがんばるというのですから・・・。
現在進行形の「困ってるひと」の話です。ただただ、がんばってくださいね、応援してますとしか言いようがありません。
この本を読むと、日本はアメリカのようになってはならない。ヨーロッパの多くの国のように医療費を無料化し、患者負担はないという国にすべきだと思いました。そのためには、医療も看護師も、もっと労働条件が保障されなければいけませんよね。それがあってこそ、患者は安心して治療に専念できるというものです。
(2010年11月刊。1800円+税)
2011年9月16日
ああ認知症家族
著者 髙見 国生 、 出版 岩波書店
この本で、私はいくつものことを新しく学ぶことができました。あなたも私も、きっとなるかもしれないのが認知症です。この本で予習していたら損はしないと思います。
認知症になった家族をかかえて悩んでいるとき、そうか、これが人生というものかと納得できたりする。いまは認知症新時代。その前に旧時代があった。認知症を取りまく環境は、この30年のあいだに確実に変わった。間違いなく進歩している。
旧時代には痴呆症老人と呼ばれていた。
家族もつらい思いをしていたけれど、本人が一番つらい思いをしているんじゃないか。
2004年、それを発見・確認した。何も分からない、何もできないと思われていた認知症の人が自らの思いを語ったとき、聞く人すべてに衝撃を与えた。それから認知症新時代が始まった。
著者は家中を徘徊する母親への防御策として、家の中に「安全地帯」をつくった。カギを付けて母親荒らされない場所だ。台所の流し台の前にはベニヤ板3枚を立てて壁をつくった。冷蔵庫のドアはひもでくくりつけ、食器棚は裏返しにし、押し入れには南京錠をつけた。すごいですね。ここまでしないといけないのですね。
いま認知症の患者は日本全国に200万人はいる。家族の会は、30年前に京都で90人が集まって始まり、今では46都道府県に支部があって、1万人をこす会員がいる。
人間は誰しも認知症になる可能性がある。だから、ぼけのない社会を、とか、ぼけを予防しようということではない。ぼけても安心して暮らせる社会、ぼけがなかったら、もっと安心して暮らせる社会を目ざしている。
認知症の人は知的な部分は欠落しているが、うれしいことや悲しいこと、楽しいことは分かっている。また、家族や他人を思いやる心も残っている。
ぼけても心は生きている。認知症という病気になっても人間としての価値は少しもなくなっていない。そうなんですか、そうなんですね。このところがもっとも抜けやすいところですね。目の前の本人を見ていると・・・。
がんばりすぎると、燃え尽きてしまうことがある。がんばりすぎないけれど、あきらめない。
体が元気だからこそ、介護が大変。これが認知症の特徴。ところが、要介護度の認定は基本的に寝たきりの人をモデルとしてつくられた。そこに大きな矛盾があった。
認知症の人のもの忘れは、経験したことをそっくり忘れる。普通のもの忘れは、何を食べたかを忘れる。しかし、認知症の人は、食べたこと自体を忘れる。
認知症の人のもの忘れは、新しいことから忘れている。つまり、昔に戻って生きている。
80歳の女性が、今50歳だと答えたとき、50歳からあとの人生をすっかり忘れて、50歳の時代、30年前の自分に戻っている。
認知症の人は、夫を忘れたり息子を忘れたりしているのではない。凛々しかった夫、可愛かった息子を大切に秘めて生きているのだ。だから、目の前の夫や息子に「おたく、どちらさん?」と尋ねるのも当たりまえのこと。認知症の人は、何十年か前にさかのぼった時代に戻って生きている。このことが分かれば、認知症の人の不思議な言動を理解することができる。
うえーっ、そうなんですか。なるほど、なーるほど、よく分かりました。
認知症の人の言動にはその人なりの真実がある。
こう言われてみると、よくよく理解できますね。ただ、そうは言っても、現実に面倒みるのは本当に大変なことだと思います。とてもじゃないけれど、家族だけでは支えきれません。社会が施設、費用の点でよくよく考えて受け入れるべきですよね。だって、だれだってなる可能性があるわけですからね。
アメリカのレーガン、フランスのミッテラン、この有名な2人の元大統領は、いずれもアルツハイマーになったと聞いています。一読を強くおすすめします。
(2011年11月刊。1500円+税)
福岡県弁護士会の月報の表紙に私がフランスで撮った写真を載せてもらいました。シャモニーとアヌシーです。「うまくなったね」と声をかけてもらいました。私は、「元手がかかってますから・・・」とこたえました。
私個人のブログにもフランスの旅行記のブログをのせています。のぞいてみてください。
2011年9月14日
がん患者
著者 鳥越 俊太郎 、 出版 講談社
まずは表紙の写真に目が惹きつけられます。大腸がん発覚から5年、手術を4回も受け、ステージ4のがん患者とオビにありますが、上半身裸の著者の肉体は健康そのもの。顔色も良すぎるほどで、ボディビルの選手権大会にこれから出るのかと思わせるほどです。
しかし、本を読むと、やっぱりがん患者としての苦難の日々が書きしるされています。そこには嘘もハッタリもありません。かなり率直な心情が吐露されていて、思わず没入していきます。
著者には持病の痛風があった。それでも、1年365日ビールは欠かさなかった。そのビールがおいしくなくなった。これが異変の第一だった。
私は3年前からビールを飲んでいません。ダイエットの第一歩としてビールを止めました。夏でも、冷えたミネラルウォーターを美味しく飲んでいます。まず、日本酒をやめ、次に白ワインをやめ、そしてビールをやめたのでした。逆にいうと、焼酎(主としてお湯割り)や赤ワインを外で飲み、自宅では専ら果実酒です。少し甘いのがいいのです。書面を書きながら、少しずついただいています。
さすがに著者はマスコミ界で生きてきた人です。がん告知の瞬間からテレビカメラの前に立つのでした。これはなかなか真似できることではありませんね。
大腸がんと分かったとき、カメラで自分自身も腸の内部を見ることができる。そのサーモンピンク色の美しさに著者は驚いています。
私も人間ドッグには定期的に入っていますので、写真で自分の腸の内部を見ていますが、本当にきれいなものです。これは、たとえ「腹黒い」人間でも変わらずピンク色なのである。それは、そうでしょう。同じ人間なのですから・・・。
著者の大腸がんは馬蹄形に肉が盛り上がり、中央部のへこんだ部分は黒く濁った色をしている。盛り上がった、ちょうど火山の外輪山の部分からは、赤い血が幾筋が見える。これぞまさしく、まごうことなきがん部分である。
入院中の著者の写真があります。さすがに精気のない、疲れて、さえない表情をしています。本の表紙の顔写真とはえらい違いです。それにしても可愛らしい美人の若い看護師さんにあたったようで、うらやましい限りです。
著者の武器は二つ。好奇心と集中力。根っからの好奇心人間。努力ということばが大嫌いの生来怠け者である。そして性格は能天気。好奇心は人間の強力な武器だが、これだけでは世間は渡れない。もう一つの武器が集中力という特技だ。
私自身はコツコツ努力型で、これまでの人生を乗り切ってきました。好奇心と集中力は似ていますが・・・。
著者は無事に大腸がんを摘出したかと思うと、次は肺、そして肝臓へもがんは転移していたのでした。著者は抗がん剤を飲みつつ副作用に苦しむことはなかったようです。そして、漢方薬によって免疫力を高める治療も同時に受けています。
そして、今では仕事量は前の3倍。さらには週に3回事務に通って筋力トレーニングに専念しているそうです。
生活の質を確保しながらのがん患者として前向きに生きている様子の伝わってくる,
爽やかな読後感の残るいい本でした。
(2011年8月刊。1600円+税)
日曜日に庭に出てナツメの実を取りました。張りに刺されるような気をつかいながらでしたが、小さなザル一杯分が集まりました。1年後のナツメ酒が楽しみです。
珍しくツクツクボーシが鳴いていました。いよいよ夏も終わりでーす。ピンクの芙蓉の花に黒アゲハがとまってせわしげに蜜を吸っています。もうすぐ酔芙蓉の花も咲いてくれることでしょう。朝のうちは白い花、午後からは酔ったように赤い(ピンクの)花を咲かせてくれる花です。