弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
人間
2012年8月27日
なぜ男は女より多く産まれるのか
著者 吉村 仁 、 出版 ちくまプリマー新書
アメリカには、13年とか15年に一度、セミが大量発生する地域があります。どうして、そんなことが起きるのか?
セミの幼虫は、木の根っこから葉っぱに水を運ぶ導管というパイプに口を突っ込み、本の根が吸い上げた水を分けてもらって、その吸い上げ量に比例して成長する。植物はある程度以下の気温になると休眠するので、冬に木の根が休んでいるあいだはセミも冬眠する。そして、春になって木が水を吸い上げ出すと、セミたちもその水分をもらう。温度が高くなると、それに比例して水分の吸い上げ量が増加する。セミの成長は、植物の水分を吸い上げ量に比例している。だから、気温が高くなると、セミの幼虫の成長がどんどん早くなり、アブラゼミなら成虫まで7年かかるのが、2年とか3年に短縮してしまう。
氷河期になって気温がどんどん下がってしまった。成長できない冬が長く、短い夏もあまり暖かくないので、5年で成虫になっていたセミが10年たってもまだ成虫になれなくなった。
そして、13年とか17年という素数周期は絶滅の出会いをうまく避けていた。このように、変動する環境への対応の本質は、「絶滅の回避」なのである。
モンシロチョウの雌はキャベツ畑で卵を生み付けると、近くにあるアブラナ科の野草にも卵を生みつける。なぜか?
キャベツ畑は効率はよいが、モンシロチョウにとっては、殺虫剤散布の危険、そして人間が収穫して絶滅してしまうリスクがある。そこで。絶滅のリスクを分散させるため、野生のイヌガラシにも卵を生み付ける。
なーるほど、モンシロチョウの絶滅回避作戦って、すごいですね。
人間の性比は、男子がわずかに多く、55対45の比になっている。これは日本だけでなく、多くの社会で共通の普遍的な現象である。そして、幼児に限らず、あらゆる年代で男子の死亡率は高く、寿命やがんの死亡率にも、その違いが反映されている。
オスがメスに比べて死にやすいということは、人間だけでなく、広く動物にみられる現象である。なぜなら、オスは種付けで役割が終わるが、メスは出産・子育てと長生きが必要だからである。
つまり、男子の死亡率が高いときには、いくらか男子を余計に生むと、全員が女性となって絶滅してしまう可能性(確率)を最小にできる。
人間がモンシロチョウほどは賢くないのではないかという指摘もあり、なるほど、そうかもしれないと思わされたことでした。面白い本です。
(2012年4月刊。780円+税)
2012年8月26日
リハビリの夜
著者 熊谷 晋一郎 、 出版 医学書院
出産のときの酸欠から脳性マヒとなり、手足が不自由のなったにもかかわらず、ナントあの超難関の東大理Ⅲに入学し、東大医学部を無事に卒業して、今では小児科医としてフツーに働いている著者が書いた本です。
すごいね、すごいなと思いつつ読みすすめました。自己分析力が、すごいのです。感嘆してしまいました。
図解もされているのでたいへんわかりやすいのですが、意思という主観的な体験に先行して、脳の中ではすでに無意識のうちに運動プログラムが進行している。自らの意志は、実は無意識のかなたで事前につくられており、それが意識へと転送される。著者は発声器官の障害がないため、言葉でのやりとりには大きな支障がない。ところが、首から下の筋肉が常に緊張状態にある。
いったん目標をもった運動を始めようとすると、とたんに背中から肩、腕に至るまでが、かちっと一体化してこわばる。背中から腰、足にいたるまでも同時に硬くなっている。つまり、身体が過剰な身体内協応構造をもっている。
パソコンをうつにしても全身全霊で打つ。手首、ひじ、指の関節などの末端にある部分だけが動くということはない。ところが、夢のなかでは自由に歩いたり走ったりしている。風を切って走っているときの身体の躍動や弾むような爽快な気分も夢の中では味わっている。
著者は大学に入った18歳のときに一人暮らしを始めた。トイレに行くのも、着替えをするのも、風呂に入るのも、車いすに乗るのも、みんな自分ひとりでできないのに・・・。
いつか、これを始めなければ、両親亡きあと、生きていかれないのではないかという不安からだった。すごいことですよね。これって。
まずはひとりでトイレに行くことから始まりました。そして、物の見事に失敗したのです。でも、そこでくじけなかったのですね。えらいです。さすが、ですね。トイレは改装してもらいました。さらに電動車いすによって外出が自由にできるようになったのです。
電動車いすという身体を手にすることによって、地を這っていたときには触れることもできなかった本棚や、冷蔵庫や、自動販売機にも手が届くようになった。電動車いすは、つながれる世界を二次元から三次元へぐんと広げてくれた。
今では、車いすから降りたとたんそれまで近くにあったモノが急に遠くへ離れていってしまうような感覚がある。
人間は、他の多くの生き物と違って、外界に対して不適応な状態で生まれ落ちる。この不適応期間があるからこそ、人間は世界との関係のとり結び方や動きのレパートリーを多様に分化させることができた。無力さや不適応こそが、人間の最大の強みでもあるのだ。
この本では、脳性マヒによって身体が思うように動かないということの意味が図解され、同時に人間をふくめた外界との関わり方が考察されています。そして、トイレ・トレーニングというか、不意の便意への具体的な対処法まで紹介されています。
リハビリ、トレーニングの意義についてもたいへん勉強になりました。世の中には、これほどの身体的ハンディにも屈せずにがんばっている人がいるのですね。私も、もう少しがんばろうと思いました。
(2010年10月刊。2000円+税)
2012年8月17日
悩む力
著者 姜 尚中 、 出版 集英社新書
夏目漱石をこんなに深く読み込んでいるのかと、驚嘆してしまいました。
私は、高校生そして大学生のころに漱石を一心不乱に読みましたが、それからはすっかり卒業した気分になっていました。イギリスに留学中に夏目漱石がひどい神経衰弱になったという本は少し前に読みましたが・・・。
著者は私の2歳下で、熊本で生まれ育っています。大学生のときに上京するとき、いかに心細かったか、その心境が描かれていますが、私も似たようなものでした。私は、幸いなことに大学に入学すると同時に6人部屋の学生寮に入りましたので、孤独感にさいなまれることは全然ありませんでした。今でも、本当にラッキーだと思っています。おかげで五月病とは無縁の忙しい、張りのある学生生活でした。
夏目漱石とマックス・ウェーバーがほとんど同時代の人だと言うのを初めて認識しました。ウェーバーのプロテスタントの倫理意識が資本主義の価値観を支えたという本は、余り真面目に授業に出なかった私ですが、しっかり記憶に残っています。
青春とは、無垢なまでにものごとの意味を問うこと。それが自分にとっては役に立つものであろうとなかろうと、社会にとって益のあるものであろうとなかろうと、「知りたい」という、自分の内側から沸いてくる渇望のようなものに素直に従うことではないか・・・。
未熟故に疑問を処理することができなくて、足元をすくわれることがある。危険なところに落ちこんでしまうこともある。でも、それが青春ではないか。
青春というのは、子どもから大人へ変わっていく時期であり、険峻な谷間の上に置かれた丸太を「綱渡り」のように渡っていくようなものではないか。一歩間違えば、谷底へ転落してしまう危うい時期だ。
青春時代の、心の内側からわき出てくるひたむきなものを置き忘れて大人になってしまえば、その果てに精気の抜けた、干からびた老体だけを抱えて生きていくことになるかもしれない。
私も、こんな干からびた老体だけにはなりたくありません。そのため、毎日たとえばフランス語を一生懸命勉強しています。
ヒトが一番つらいのは、自分は見捨てられている、誰からも顧みられていないという思いではないか。誰からも顧みられなければ、社会の中に存在していないのと同じことになってしまう。
社会というのは、基本的には見知らぬもの同士が集まっている集合体である。だから、そこで生きるためには、他者から何らかのかたちで仲間として承認される必要がある。そのための手段が働くということ。働くことによって初めて、「そこにいていい」という承認が与えられる。
この新書本が90万部も売れたというのは、とても信じられません。でも、たしかに味わい深い指摘がたくさんありました。
10月4日(木)の午後、佐賀市民会館で弁護士会主催の教育問題シンポジウムにおいて著者は問題提起していただくことになっています。お近くの方はぜひ、今から予定しておいてください。ご参加をお願いします。
(2012年3月刊。2800円+税)
2012年7月29日
がん放置療法のすすめ
著者 近藤 誠 、 出版 文春新書
がんが見つかっても、あわてて治療を始めないこと。放置しておくのも一つの対処法だと著者は力説しています。
がん放置療法の主人公は患者。監視療法は、医者が患者を監視、支配し管理する。
がん放置期間中は、がんであったことを忘れて、何も検査しないのがベスト。
前立腺で、骨転移で痛みがあれば、治療を受けるのが妥当。そして、抗がん剤治療(化学療法)は、寿命を縮めてしまう。高齢者には、抗がん剤は特に危険。
鎮痛目的で、2種類以上の方法を同時に始めないこと。
CTは放射線検査の中で線量が多く、被曝による発ガンの危険がある。胸部レントゲンによる被曝線量はCTのそれの数百分の一でしかない。
実のところ、健診は受けないのが平和に長生きするコツなのである。
抗がん剤治療は縮命効果が大きい。実は、スキルス胃がんは、手術さえしなければ、人が思っているよりずっと長生きできる。
ええっ、と思いました。私の親しい弁護士は30代で亡くなってしまいましたが、手術しなければもっと長生きできたのでしょうか・・・。
そもそも胃がんの手術で胃を全摘したり、大きく切除したりするのは、原則として間違いである。
そうなんですか・・・。ちっとも知りませんでした。
がん放置療法の要諦は、少しの期間でいいから様子をみる点にある。その間にがん告知によって奪われたころの余裕を取り戻す。
がんは老化現象なのである。老化現象だから、放置した場合の経過が比較的温和なのである。
がんについて、改めて考えさせられる本でした。
(2012年4月刊。780円+税)
2012年7月23日
声のなんでも小辞典
著者 和田 美代子 、 出版 講談社ブルーバックス新書
どうして女性の声と男性の声は違っているのか、私は昔から不思議でなりませんでした。もちろん、ドラえもんの声が女性声優によるものだったとは知っていましたが、それにしても何が、どう違うのだろうかと謎でした。
そして、人に近いチンパンジーやオランウータンは話せないのに、まるで人に似ていないオウムや九官鳥が人のモノマネができるのはなぜなのかも知りたいと思っていました。
この本は、それらの疑問にこたえてくれる本です。
チンパンジーののどは、ほぼ一直線になっているのと人と違って声帯が頭に近い位置にあるため咽頭がとても狭くなり、呼吸によって声帯で生じた音が鼻腔に入って鼻から外へ出てしまう。その結果、咽頭や口腔で共鳴させることができず、言語音をつくれない。
九官鳥は鳴器(めいき)という軟骨の突起部があり、ほぼ直角に折れ曲がった気道を、伸縮させたり太くしたり細くしたりして音を出す。
赤ちゃんの泣き声が遠くまでよく響いて聞こえてくるのは、声が大きいからだけではなく、人によく聞こえる周波数になっている、人間の耳の感度のいいところを本能にとらえているからだ。
新生児の声帯の長さは、男の子と女の子とで差がないので、声を聞いただけでは男女いずれか見分けがつかない。変声期を迎える7、8歳のころまで、男女の識別はプロでも不可能である。男子の場合、喉頭の上下、左右、前後といった枠組みが急激に成長して、声帯が入っている甲状軟骨の両翼の板が120度から90度くらいに突き出る。声帯の長さや幅、厚みが増していくにつれ、声が低くなっていく。これに対して、女子は男子に比べて変化が少ないために、声変わりしないかのように感じる。
そして、年をとると声も中性化し、男女の声の差はなくなる。ええーっ、そうなんですか・・・。それは、まったく気がつきませんでした。今度、よく聞いて比べてみましょう。
赤ちゃんに話しかけるときの声は、赤ちゃんが反応しやすい高い声が自然に使われている。
アメリカの成人女性の声は日本人女性の声より低い。アメリカでは女性の甲高い声は幼い、あるいは能力が劣るという考えがあり、それに適応して、アメリカ在住の女性は低い声を学習している。
男性は、おおむね声の高い女性により女性らしさを感じる。女性は低い男性に惹かれる傾向にある。
喉仏(のどぼとけ)を形作っている甲状軟骨は焼くとなくなってしまう。そのすぐ近くにある第二頸椎の形があたかも座位の仏像のようにも見えることから、喉仏と呼ばれるようになった。
成人男性では、日常会話の声で毎秒100回、女性なら200回、声帯が振動している。歌をうたっているときは5~600回。ソプラノだと1000回をこえる。声帯は、超高速度臓器なのである。
腹話術では下唇の代わりに舌を使うのがポイント。数え切れないくらい舌をかみながら、舌を前歯の前に出してしゃべる訓練を5年ほども続けた。これは、いっこく堂の話。
狂言師の野村萬斎が舞台で演じるときの声がよく通るのは、頭から足先までの骨や筋肉の振動をうまく使ってうみ出した、体全体で引き起こされた空気の振動を私たちが受けとっているから。
音痴も、合理的なトレーニングをすれば、生まれつき強度の難聴や事故などで聴覚の機能が損なわれていない限り、ほとんど治る。
これを知って、音痴の私も少しばかり安心しました。
(2012年3月刊。2800円+税)
2012年7月17日
脳はすすんでだまされたがる
著者 スティーヴン・L・マクニックほか 、 出版 角川書店
この本はタネも仕掛けもないはずの手品のネタバレをいくつもしています。でも、私がこれを読んだからといって、なるほどとは思いましたが、自分でやれるとは思えませんでした。なんといっても、手品を成功させるには繰り返しの練習が必要です。生半可なことではうまくはずはありません。
あなたが見て、聞いて、感じて、考えたことは、あなたの予期にもとづいている。また、あなたの予期は過去のあらゆる経験や記憶から生まれる。いま現在、あなたが見ているものは、過去にあなたにとって有用だったものである。
この本の主旨は、知覚された錯覚、自動的な反応、さらに意識する導き出す脳メカニズムがあなたという個人を定義するということだ。知覚の大部分は錯覚なのである。
目とは、とかく信用ならない代物なのだ。人は見るものの多くを捏造してもいる。脳は処理できない視覚情報を「充填」によって補う。
手品の成否を決めるのは手の器用さだけではない。巧みな演技とコインの残像効果を組み合わせ、注意の対象を移動させることによって、小さな動きに信じがいたいほど強力な暗示を与える。目につく認知上のヒントをいくつも出し、観客がそれを発見するように導く。その技はいたって効果的であり、何度やっても観客はだまされてしまう。
視覚系は、視野の中心を除けば、解像度はかなり低い。
科学者は手品師にことにだまされやすい。優秀であればあるほど、科学者をだますのはたやすい。なぜなら、科学者とは、真っ正直な人だから・・・・。
脳は自身の現実世界をたえずでっち上げている。
一人になれるなら、刑務所内の危険や不快な出来事から解放されると思うかもしれない。しかし、それは受刑者にとっては最悪の懲罰なのだ。彼らは現実世界との接触を失ってしまうからだ。独房は拷問の一種である。
手品師は、人間の認知を手玉にとる達人である。注意、記憶、因果推論など、きわめて複雑な認知過程を視覚、聴覚、触覚、人間関係の操作の驚嘆すべき組み合わせによって制御する。
脳は、二つ以上のことに同時に注意を払うようにはできていない。ある時点では、ある空間的位置にのみ応答するようにできている。
記憶には一つの情報源しかないように感じられるだろうが、それは錯覚だ。記憶はいくつかの下位システムから構成され、それらの下位システムが連携して自分が一個の人間であり、これまでの人生を一貫して生きてきたという感覚を与える。
記憶は総じて誤りを免れえない。人間の脳は常に秩序、パターン、解釈を求めており、ランダムさ、パターンの欠如、形容しにくさに対する嫌悪感を生まれつき持っている。脳は説明不能とみると、無理にでも説明を試みる。詐欺師は弱者を襲ったり、助けを求めたりして、自分が弱い立場にあることを相手に印象づける。オキシトシンが脳に与える影響により、他人を助けるといい気分になる。「私には、あなたの助けが必要です」というのは、行動をうながす強力な刺激だ。
手品師もたえず間違いを犯しているけれども、こだわらずに前へ進むので、観客はほとんど気づきもしない。あなたもそうすべきなのだ。うむむ、なーるほど、そうですよね。くよくよしていても損するだけですからね。
手品師は、ユーモアと共感をもちいて、あなたの守りの壁をとっ払う。そうなんですよね。ユーモアと笑いが、人生をよりよく生きるためには欠かせませんね。なーるほど、そうだったのかと思わせることの多い本でした。
(2012年3月刊。角川書店)
2012年7月 2日
ソウルダスト
著者 ニコラス・ハンフリー 、 出版 紀伊國屋書店
人間と同じように、わざわざ楽しみを求める動物種は多くある。
彼らは、おおいに楽しみたがっている。モモイロインコは旋風を探し求める。イルカは船首が立てる波に乗るために船を追いかける。チンパンジーはくすぐってくれるように懇願する。散歩に連れていってもらうためなら、犬はどんな苦労も惜しまない。
まんまと連れ出してもらえたときのうれしそうな様子。逆に、願いがかなわないのを悟ったときのしょげた顔は、犬を飼った経験のある人なら誰もが知っている。車に乗せられて外出し、広いところで駆けまわると思っていたのに、ペット・ホテルに預けられ、自分の存在が「保留」状態になるのに気付いたときの犬の姿ほど哀れを誘うものは、そうそういない。
死とは、意識のない状態。もう生きていないこと。何も感じないこと。命の匂いを嗅げないこと。意識のない状態を恐れるのは一種の論理的誤りだ。感覚のない状態は合理的に恐れられない。なぜなら、それは存在の一状態ではないからだ。存在しない人間は悲哀を感じない。死んだら、私たちが恐れるものなど、何が残っているというのか。
意識のない状態は想像できない。心は、心のない状態をシュミレーションできない。
人間以外の動物は死を恐れるだろうか?
恐れない、いや恐れることはできないというのが従来の一般的な見方だ。
それには、三つの理由がある。第一に、まだ自分の身に起こったことがない出来事を思い描けるとはとうてい思えない。死とは、もちろん生まれてからまだ一度も経験したことのない、仮想の出来事にほかならない。
第二に、人間は死の証拠の積み重ねにさらされているが、人間以外の動物はそういうことはまったくないからだ。人間は自分が死なねばならないことを知っている唯一の種だ。そして、人間は経験を通してのみ、それを知っている。
第三に、人間以外の動物は、死が最終的なものであることを理解する概念的手段がない。肉体の死が自己の死をもたらすことを、どうして動物が理解しうるだろうか。
目の前で仲間の一頭が生きていることを永遠にやめたときに、何が起こったのかチンパンジーたちは理解するのに苦しんでいるから、これが自分を受け入れている運命だと想像できるはずがない。そして、想像できないものを恐れるはずはない。なーるほど、そうなんですか・・・・。
ソウルダスト、すなわち魂の無数のまばゆいかけらを周りじゅうのものに振りまく。現象的特性を外部のものに投影するのは、あなたの心だ。この世界がどのように感じられるかを決めているのは、あなた自身なのだ。
100年以上前に、オスカー・ワイルドは、次のように書いた。
「脳の中ですべては起こる。ケシの花が赤いのも、リンゴが芳しいのも、ヒバリが鳴くのも、脳のなかだ」
自分であることの輝かしさに気がついた子どもは、すぐに他の人間の自己についても、大胆な推測をするようになる。もし、自分にしか分からないこの驚くべき現象が自分の存在の中心にあるのなら、他の人々にも同じことが当てはまるのではないか、いやきっとそうだ。
子どもたちは、社会的相互作用や探究、実験を通して、ゆっくりと習得する。他者も現象的意識をもっていると考えていいことを、子どもは少しずつためらいがちでさえあるかのように理解する。だが、いったんそれを悟ると、人生や宇宙やあらゆるものに対する見方を急激に修正しなくてはならなくなる。というのは、重要度という点では、自分自身が意識をもっているという真実に次ぐ二番目の真実に行きあたったからで、それは意識をもっているのは自分だけではないという真実だ。自分以外の人間も、誰もが自立した意識の中心なのだ。人間が気がつくのは、自分たちが実は自己の集合体としての社会の一部だということにほかならない。
生物にとっての意識というものを考えさせてくれる本でした。
私って何でしょう。死んだら、その意識はどこに行くのでしょうか。霊魂不滅とは、輪廻転生とは・・・・?
この世の中は複雑怪奇、そして、すべては泡のように消えていくのでしょうか・・・・。
(2012年5月刊。2400円+税)
2012年5月21日
眠りをめぐるミステリー
著者 櫻井 武 、 出版 NHK出版新書
なぜ、あらゆる生き物は眠るのか?
泳ぎながらも眠るイルカ。脳の半分ずつ眠るのだそうです。横になって身体を休めるだけでは足りず、やっぱり睡眠が必要だというのは、なぜ?
眠っているはずなのに、目玉をキョロキョロ動かす。はては、眠っているのに動き出して、ウロウロする。料理を作って食べる。絵を描く。しかも、その絵は昼間にはとても書けない精密そのものの絵。さらには、眠っているのに、起き出して車を運転して人まで殺してしまう。そして、それをまったく覚えていない。
ええーっ、ウソでしょ、単にとぼけているだけでしょ、と叫んでみたい気がします。でも、どうやら、本当に無意識のうちに行動するようなのです。監視カメラの映像を見て自分で驚いたというのです・・・。考えれば考えるほど不思議なのが眠りです。死は永遠の眠りだとよく言われます。本当にそうだとしたら、何も怖いものではありませんよね。
それにしても、眠るとき、目覚めがあることを当然のように思っていますが、そのまま目が覚めずに亡くなっていった人は幸せだった(幸せな)のでしょうか・・・?
夢はレム睡眠中に行われる、いわば記憶に対する情動によるタグ、あるいはアイコンをつける作業中、それがノイズとして意識にのぼったものなのではないかと考えられている。
じっと休んでいのると、睡眠をとっているのとには、厳然たる差がある。眠りは、休んでいるという消極的な状態ではなく、積極的に脳のメンテナンスと情報管理を行うという能動的な過程なのである。人は一日の3分の1を眠って過ごし、その睡眠時間のうち、4分の1がレム睡眠である。
ノンレム睡眠は、一般的に脳の休息、メンテナンスの時間だと考えられている。脳のエネルギー消費は一日の中で最低になる。ただし、必要に応じて寝返りなど運動することは可能な状態にある。ノンレム睡眠では、起床することはかなり困難だ。
レム睡眠は、非常に特殊な状態にあり、脳は覚醒時に難しい数学の問題を解くなど、知的な活動をしているときよりも、さらに活発に活動している。
レム睡眠中に覚醒させると、その人は見ていた夢の内容を詳細に話すことができる。
レム睡眠のときには、脳幹から脊髄に向けて運動ニューロンを痲酔させる信号が送られているため、全身の骨格筋は眠筋や呼吸筋などを除いて痲酔している。そのため、レム睡眠のときには、脳の命令が筋肉に伝わらないので、夢の中での行動が実際の行動に反映されることはない。そして、眼球は、不規則にさまざまな方向に動いている。中枢である脳はフル回転している。つまり、身体と脳のあいだの情報交換をカットした状態の中で、脳自体は活発に活動しているのがレム睡眠だ。夢中遊行の人が徘徊しているときには、深いノンレム睡眠の状態なのである。
生物にとって不利であるはずの睡眠が進化の過程でなくならなかったのはなぜか?
逆に、進化するほど睡眠の必要性は高くなっている。脳の記憶システムが、シナプスの可塑性を記憶システムとして用いている限り、睡眠は必要なものなのである。
安らかに眠り、爽やかに目が覚める。これが人生最良の日々ですよね。快眠は快便より快食より、何より優先するものですね。
(2012年2月刊。780円+税)
2012年5月20日
聞く力
著者 阿川 佐和子 、 出版 文春新書
著者はたくさんのインタビューをしていますから、さぞかし自信をもっているのかと思うと、意外にもそうではないとのことです。
インタビューするときは、質問を一つだけ用意して出かける。
もし、一つしか質問を用意していなかったら、当然、次の質問をその場で考えなければならない。次の質問を見つけるためのヒントはどこに隠れているだろ。隠れているとすれば、一つ目の質問に答えている相手の、答えのなかである。そうなれば、質問者は本気で相手の話を聞かざるをえない。そして、本気で相手の話を聞けば、必ずその答えのなかから、次の質問が見つかるはずである。
なーるほど、真剣勝負の世界ですね。
資料を万全に読み込んで、すべての情報を頭に入れていくと安心すると同時に、油断もする。だから、事前の準備はほどほどにする。相手に失礼な知識は頭に入れておくにしても、すべてを知ってしまったかのような気持ちにならないよう、未知の部分も残しておくのが大切だ。事前の勉強は大切だけれど、相手の前で知ったかぶりはせず、にわかに勉強であることを素直に認め、相手に失礼のない範囲で素朴な疑問をぶつけるようにする。
インタビューをうまくすすめていくうえでの体験談がとても実践的で参考になりました。
(2012年2月刊。800円+税)
2012年4月 9日
人生の科学
著者 デイヴィッド・ブルックス 、 出版 早川書房
人間の意識と無意識との関係を明らかにした面白い本です。
人間が幸福になるうえでは無意識が重要な役割を果たす。人間の日々の行動は、無意識の世界で生じる愛情や嫌悪などの感情によって、かなりの部分が決められてしまう。
人の感情の90%は、言葉以外の要素によって伝わる。話すときの態度、体の動きなども大切な要素だ。
無意識は、決して心の中の暗闇の部分、未開の部分などではない。恐怖や痛みを隠しておく場所でもない。人と人がつながる場所、心と心がつながる場所である。無意識には、長い時間をかけて知恵が蓄積される。
男性が美しいと感じる女性は、肌が美しく、唇がふっくらとしている。髪が長く、艶がある。左右の対称性が高く、口と顎、鼻と顎の間が離れていない。
女性が男性を見るときに主として注目するのは、目である。とくに瞳の大きい男性には性的な魅力を感じる。また、大事なのは、左右の均整がとれていることである。
女性は男性ほど、視覚によって性的欲望を喚起されることがない。女性一人で子どもを育てるのはまず不可能なので、授精だけでなく、その後も継続的に協力してくれるような男性を選ばざるをえない。
男性は金持ちであればあるほど、付き合う女性が若くなる傾向がある。また、女性は外見が美しいほど、付き合う男性の収入が多いという傾向がある。男性の収入の多寡は、配偶者が美しいかどうかで分かることが多い。うひゃーっ、そんなことまで分かるのですか・・・・。
意思決定は、理性の仕事ではなく、実は感情の仕事なのだ。意思決定は、私たちの知らないところでなされ、私たちの意識には後で知らされる。
感情がなくなると、人間は愚かな人生を歩むことになってしまう。極端な場合、彼らは反社会的な人間になってしまう。他人の心の痛みを推しはかることもできないから、平気で粗暴な振るまいをする。
私たちが自分の気持ちを自覚するのは、情報処理がすべて完了したあとである。理性は感情があって初めて機能できるもの。むしろ感情に依存しているといってもいい。
感情は、物事の自分にとっての価値を決める役割を果たす。理性はただ、感情によって高い価値を与えられたものを選択するだけだ。
脳の指示は初めから一つに統一されているわけではなく、同時に複数の指示が出され、それが競合する。そして、競争に勝った指示に身体は従うことになる。
人間は絶えず迷い、揺れ動く存在である。人間を人間たらしめているのは、実は無意識ではないか。無意識が洗練され、高度な能力を持ったことで、人間は人間になったのだ。
無意識の思考は天然のもので、自由闊達だ。それに対し、意識的な思考は、一歩ずつしか前へ進めないし、いくつかのごく限られた事実や、限られた原理・法則に頼る傾向にある。無意識の思考は、枠にしばられることなく、連想によって自由に大きく広がっていく。
幸運な子は、母親がその時々の気分を敏感に察知してくれる。抱き上げてほしいときは抱きあげてくれるし、下ろしてほしいときは下ろしてくれる。刺激がほしいときには、刺激を与えてくれ、そっとしてほしいときは、そっとしておいてくれる。そういうときを過ごすなかで、子どもたちは自分が「他者と対話する存在」であることを学んでいく。この世界は、絶え間ない他者との対話で成り立っていることを学ぶのだ。
生まれて間もなく接した人たちの関係が良好なものでないときには、子どもは他者を極端に恐れるようになる。そして内にこもるか、極端に攻撃的になるのかのどちらかになってしまう。
無意識は、意識に比べ複雑な問題の解決が得意である。選択肢や可変要素がさほど多くない問題なら、意識はうまく解決できる。だが、選択肢も可変要素も多数になってしまうような問題は、無意識の方がうまく解決できる。また、意識は構成要素が明確に分かるような問題ならうまく対処できるが、そうでない問題への対処は難しい。構造が曖昧な問題に関しては、無意識の方がうまく対処できる。
人間と人間の一生について、さらに深く知ることができる本でした。
(2012年2月刊。2300円+税)