弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
人間
2011年9月10日
未来ちゃん
著者 川島 小鳥 、 出版 ナナロク社
何、なに、この写真集って何なの・・・・。
3歳か4歳か、そこらによくいるこまっしゃくれたフツーの女の子のスナップ写真のオンパレードです。
ところが、この女の子、実に伸びのびとしています。いかにも屈託のない表情です。見るものの心をぐぐっと惹きつけてしまいます。
鼻水たらしてないている顔なんて、今どきこんな強情そうな女の子がいるのかと驚かされます。単に可愛いというのではありません。もちろん憎たらしいわけでもありません。実に、生きているという、豊かな感性が写真の外まであふれ出しているのです。すごいショットをうつし撮っていると思いました。カメラを構えた人をまったく意識している気配がありません。
表紙の写真は、ケーキでしょうか、フォークで何かを食べている様子がとらえられています。かみつくようにして食べています。おいらは生きているんだぞと叫んでいる気のする写真です。
お花畑を駆けまわる様子、道路で走っているさま、そして真白の雪世界で寝ころがっている状況。どれもこれも生命の躍動感にあふれています。
それでも、やっぱり惹きつけられるのは泣いている写真です。しくしくと、そしてワンワンと大泣きしている女の子の顔は、小さい女の子だって世の中に主張したいことがたくさんあるんだ。それを感じさせる感動的スナップです。すごい写真集があるものだと驚嘆してしまいました。
(2011年7月刊。2000円+税)
2011年8月10日
再発
著者 田中 秀一 、 出版 東京書籍
医師ではなく、ジャーナリスト(読売新聞の医療情報部長という肩書きがついています)による本なので、専門的ではありますが、がん治療の最新の状況がよく整理されていて、分かりやすい本です。
1年間に新しくがんと診断される日本人は68万人(2005年)。がんで死亡する人は34万人(2009年)。生涯で日本人の2人に1人ががんになり、3人に一人ががんで亡くなっている。かつてに比べると、がんの治療率は高まっている。それでも、患者の半数は生還できない。その理由は、がんが「再発」と「転移」を起こすことにある。
再発したがんは、最初の治療の後に新しくできたがんではなく、最初の治療の時に既に存在しているがんである。再発や転移が見つかったときに手術で完治させるのは難しく、原則として手術はおこなわれない。
放射線治療も、がんの種類によっては、手術と同等の効果がある。しかし、放射能治療も、手術と同じく局所的な治療法であり、がんが全身に広がっていると完治させることは出来ない。現代医療といえども、きわめて微少ながんを検知するすべをまだ持ち合わせていない。
遠隔転移の治療が難しいのは、転移が見つかった時点ですでに、がんが血流に乗って見つかった場所以外の部位や全身にも広がっている可能性が高いからだ。
がんを抗がん剤で完治させることは容易ではない。
がん細胞は、ゆっくりと分裂をくり返して大きくなっていく。そして、がん細胞ができたからといって、すぐに転移する能力を持つわけではない。がん細胞にとっても、転移は命がけである。このハードルをこえて転移したがん細胞は、生存能力の高い、悪性度の高い細胞といえる。がんは、正常細胞がもっている仕組みを使って転移、増殖しているために、薬でたたこうとすれば、正常細胞や正常組織を維持する機構も傷つけることになり、治療が困難なのである。
がんは、きわめて複雑な病気なのである。がんは人間の身体の一部が変化してできたものであり、人体がもともともっているメカニズムを組み合わせながら発生、増殖している。これは、すべて正常細胞にも備わっている仕組みだから、これらの仕組みのどの部分を抗がん剤で攻撃しても、正常細胞に影響が出てくる。ここに、がん治療の難しさがある。
がんになっても、心身ともに健康な生活を送ることができることが大切である。バランスのとれた食事と適度の運動が理にかなっている。
がんは、抗がん剤で一時的に縮小しても、しばらくすると再び増大することが多く、必ずしも治癒や延命にはつながらない。分子標的薬やラジオ波治療は有効なことがある。
抗がん剤に過剰な期待をもつべきではない。
腫瘍マーカーの数値の変化に一喜一憂すべきではない。抗がん剤によるメリットがない場合には、薬の副作用だけを受けることになるので、治療は中止すべきだ。副作用が表れる確率は100%である。
緩和ケアには、患者を元気にし、延命をもたらす効果力がある。
抗がん剤にばかり頼るなという指摘は、なるほどと思いました。
(2011年2月刊。1000円+税)
2011年7月18日
大切な人のためにできること
著者 清宮 礼子 、 出版 文芸社
父親が突然、末期の肺がんと宣告されたとき、本人とそして家族がどう対応したのか、娘による心打つ記録集になっています。
父親は、私とほとんど同じ世代です。大病したこともないし、なんだか調子が悪いと思いながら放っておいて、あるとき思い切って病院に行ったら、医師から即入院を命じられたのでした。どんなにかショックだったことでしょう・・・。
コホンコホンと変な咳をして、最近ひどく疲れるんだよなー、若いころに空気で鍛えたことで気力と体力には自信を持っていた・・・。
がんは、早期発見したら打つ手はあるし、10年も20年も立派に生存できるが、末期のがんだと診断されたときの治療法は何にもない。
抗がん剤による治療の大変さも描かれています。
61歳の若さで、まだまだこれからというとき、もしがんが告知されたら、無念さのなかで想像もでないほどとてつもなく酷なたたかいを強いられる。自分のために、家族のために、残された期のなかで、すべきことに命をかけて勇敢に立ち向かってくれる覚悟と精神力のある人だった。
がん治療の選択は情報が命である。もっとも重要なのは、信頼できる主治医に担当になってもらえるかどうかである。ただし、これは、めぐりあわせが大きい。
現在のがん治療は早期発見だと比較的完治しやすい。ステージが上がるにつれ、治療による奏効率は低くなり、これをすれば治るという正解がない。がんと共存しながら、少しでも長く、少しでも豊かに生きていく、という目的に向かった選択肢しか現実には残されない場合も多い。
がん治療の選択は、患者と家族の生き方の選択である。がん患者のとって一番の大敵は、悲しい気持ち、不安な気持ちなど、マイナスの気持ちから発生する精神的ストレスである。だから、娘である著者は太陽のような笑顔で父親に接していた。
なかなか出来ることではありませんね・・・。映画『おくりびと』のプロモーター(宣伝担当者)である著者による痛ましいけれど、心あたたまる本です。がんになったときの予習と思って読みました。
(2011年6月刊。1200円+税)
2011年7月 4日
どうすれば「人」を創れるか
著者 石黒 浩 、 出版 新潮社
自分にそっくりのロボットがいて、それを操作できるとしたら・・・・。これって、便利なようで、実は怖い話のような気がします。
アンドロイドとは、人間酷似型ロボットのこと。アンドロイドがいると、何が見えてくるのか、そのアンドロイドは自分に何を教えてくれるのかを、この本は考えています。
ロボット大国日本と威張っていたように思いますが、福島原発事故では、残念ながら日本のロボットは活躍できませんでした。これも「絶対安全」の神話のもとではロボットの必要性がなかったということなのでしょうか。何億円もかけていたようですが・・・・。
ロボットには不気味の谷というものがある。見かけは人間そっくりなのに、動きがぎこちないと、非常に不気味なアンドロイドになる。まるでゾンビのような不気味さが出る。見かけが人間らしいものであればあるほど、動きも人間らしくないと、人は非常に不気味な感じをもつ。
ロボットらしい見かけから、人間の生々しい声が聞こえてきたら、見かけと声のバランスが崩れ、奇妙に思ってしまう。だから、ロボットのしゃべる声は、あらかじめ録音された合成音にしている。
アンドロイドを遠隔操作が出来るようにした。長く遠隔操作していると、だんだんそのロボットの体が自分の体のように思えてくるようになる。
私たちは、他人が見ることのない左右逆転した鏡の中の自分の顔を自分だと重い、他人が見ている写真の顔を本当の自分とは少し違う自分と思ってみている。つまり、私たちは常に自分に対して、少し誤解しながらに日々を過ごしている。左右を入れ替えた画像は一方が男っぽい顔となり、もう一方が女っぽい顔になる。なーるほど、いつも鏡に映った顔を自分の顔とばかり思ってみていましたが、それは他人の見ているものと微妙に異なるのですね・・・・。
時間さえかければ、人間はたいていのものに人間らしさを感じるようになる。人とは、それほどまでに適応性が高い。
電車の中でケータイで話しているのを聞くと迷惑に感じるが、客同士の会話は、それほどではない。そうでしょうか・・・・。そこで、遠隔操作のアンドロイドと話しているとどうなるか。ケータイと同じ仕組みになのに、人はやがて迷惑と感じなくなる・・・・。
アンドロイドをつくっていくのは人間とは一体いかなる存在なのかを考えさせるものでもあることがよく分かる本でした。でも、自分そっくりロボットがいて、いつまでも若々しかったら、ちょっとどうでしょうか・・・・。やっぱり、お互い困りますよね。面白い本でした。
(2011年4月刊。1400円+税)
2011年6月27日
時計遺伝子の正体
著者 NHKサイエンスZERO 、 出版 NHK出版
人間の身体って、本当に不思議だらけです。身体の隅々にまで体内時計があるというのです。
体内時計は、睡眠と覚醒ばかりでなく、体温や体の働きを調節するホルモンなど、さまざまな物質の分泌をふくめて、身体の各部分をコントロールしている。
体内時計の中心は脳の中にあって、そこは視交叉上核という。体内時計はそこだけでなく、ひとつだけでも時を刻むことのできる時計細胞が集まってつくられている。時計細胞は体の中のあちこちにある。それは男性の精巣を除いて、ほとんどの場所にあることが確認されている。心臓の時計が、肺では肺の時計が、筋肉では筋肉の時計がそれぞれのリズムを刻み、その働きをコントロールしている。
先ほどの視交叉上核では、それぞれの時計細胞同士が話し合いをして正しい時刻を決めている。
ええーっ、これってどういうことなんでしょうか・・・。まさか、テーブルを囲んで話し合っているわけでもないと思うんですけど・・・。
視交叉上核の時計が身体の各部の時計に時刻の情報を送り、すべての時計を正しい時刻に調節している。この調節の方法は二つある。神経という電線を通り、電信柱のような中継点を経て電気信号で伝えるものと、血液を通して各種のホルモンを通るものがある。
体内時代を正しく調節するうえでもっとも大きな役割を果たしているのが光だ。おおよそ24時間に合わせるために、光でリセットされるという性質がある。
時計を遅らせるほうが、時計を進めさせるよりも簡単だ。だから、海外旅行をしたときの時差ボケも、日本より西のヨーロッパへ向かった方が、東のアメリカに行ったときより早く時差ボケは解消しやすい。
そうなんですよね。私はフランスによく行きますが、アメリカへ行ったときより、よほど身体が疲れません。
これまでの研究で、中心的な働きをする時計遺伝子が20種類みつかっている。実際には、24時間のリズムを刻んでいる遺伝子はそれよりもずっと多く、数千種類に達している。
体内時計には3つの基本的性質がある。24時間周期でリズムを刻む、光によって調節される。温度に左右されないである。体温によって変わらないのですね。
体内時計のリズムにしたがった規則正しい生活を送ることはとても大切なことである。
昼夜交代勤務のような体内時計のリズムを無視して生活していると、体内時計はリズムを一時的に失う。すると、高血圧になる割合が高くなる。三交代勤務って、それでなくても大変ですよね
人間の身体の不思議さを思い知らさる本でした。
(2011年2月刊。1000円+税)
2011年6月26日
がんの練習帳
著者 中川 恵一 、 出版 新潮新書
日本は世界一のがん大国だ。日本人の2人1人ががんになり、日本人の3人に1人ががんで亡くなる。だから、人生の設計図のなかにがんを織り込んでおく必要があるし、その予習が絶対に必要だ。
私も父をがんで亡くしました。私の親しい弁護士のなかにもがんになって手術したという人が何人もいます。幸い、みなさん元気ですが、私も今から予習しておく必要を感じています。
がん細胞は健康な人の身体でも1日に5000個も発生しては消えていく。DNAのコピーミスは1日に数億回も起きているし、このコピーミスが起こらなければ現在の私たちの存在はない。DNAのコピーミスは、進化の原動力なのである。
がんとは、簡単にいうと、細胞の老化である。遺伝するがんは、がん全体の5%程度。家系より、生活習慣の方がはるかに影響を与える。
タバコは、がんの最大の原因である。お酒とタバコが重なると、がんの危険は一気に高まる。
どんな生活を送っても、がんのリスクは半分近く残る。
すべてのがんで検診が有効とは言えない。早期がんは、胃がんや肺がんだと症状はないので、定期的な検診だけが発見する手段だ。子宮がん、大腸がん、乳がんでは、やらなきゃソンというくらいに検診は有効だ。前立腺がんは、知らぬが仏のことも多い。
腫瘍マーカーは、正常な細胞でも作られることがあり、この数値だけではがんは判明しない。
がんの治療法のなかで、科学的に効果が確認されているのは、手術、放射能治療、価額療法の三つだけ。
ほとんどのがん治療は保険がきく。1ヶ月の負担はせいぜい8万円程度になる(高額療養制度をつかって)。ところが、フランスのがん医療には自己負担金がない。ヨーロッパでは多くの国がそうなっている。うへーっ、日本でもそうしたいものですよね。病気になったとき安心して治療を受けられるって、本当に大切なことですよね。
抗がんをうたったサプリメントの効果はほとんど期待できない。しかし、がん患者の8割がサプリメントなどの代替治療法を実行している。サプリメント市場は年間1兆円の売上となっている。
たまに、こんな本を読んで日頃からがんに対する心がまえを身につけておきたいものです。
(2011年4月刊。700円+税)
2011年6月 6日
進化の運命
著者 サイモン・コンウェイ=モリス 、 出版 講談社
この広大な宇宙のなかで地球上に存在する人間は進化の必然だったのか。必然だったとすれば、この広い銀河のどこかに別のよく似た存在がいてもおかしくはない。では、どこにいるのか・・・。どこにもいないとしたら、人間は宇宙における偶然の産物にすぎないというのか。そしたら、それは意味も目的もないということになるのか・・・。
こんな問題意識のもとで、宇宙において人間が実在する意味を問い詰めようというものです。
モリブデンは生命にとって欠くことのできない元素である。さまざまな酵素で大切な働きをしている。しかし、地球においてこの元素がどれくらい手に入るかというと、とてつもなく乏しく、その産出量は実際にもわずかでしかない。
意外なことに、生命の基本ブロックの少なくとも何種類かは、太陽系形成のはるか以前に合成されている。合成された環境は星間空間である。生命がすめそうなところではない。そこでの有機合成プロセスは、極低温・高真空で、放射線にさらされた中で進行する。有機物だけでなく、水(氷)やその他の揮発性物質が豊富に含まれている窒素質隕石や彗星などの地球外物質のかたまりがなかったなら、地球上に生命は現れなかっただろう。地球外物質がなければ、何十億年もの進化を経て、意識をもつ種が少なくとも一つ現れ、生命の起源について考え始めることはなかっただろう。
揮発性物質とともに生命の前駆物質が天から何度も初期地球の表面に降ってこなかったら、地球上には海も大気もなかっただろう。
生命は実験室の中でつくることは出来ないし、出来そうなきざしもない。生命の誕生は、百京回に1回のまぐれ当たりだった。生命の出現は、ほとんど奇跡だった。
月面が今のような姿になったのは、太陽系の歴史初期を襲った激しい衝突事故による。大衝突によって、月面は何度もぼろぼろの瓦礫の山にされ、表面が粉々にされ、クレーターがつくられた。
地球は質量が月の百倍もあって重力も大きいから、さらに激烈な衝突に見舞われた日が設定されている。厳しい衝突期の終わりごろ、いずれも海洋を蒸発させ、おそらく地球を無事に産みだした。
過去10億年で居住可能領域は大幅に縮小した。しかも、これから10億年たつと、居住可能領域は地球から外れてしまう。
銀河の中心は、星が非常に高密度に集積しているので、安全ではない。どうしても爆発は避けられないし、もちろんブラックホールも待ち構えているだろう。
計算によると、もし人間が複眼をつかって今と同じ視覚を確保しようとしたら、その幅は少なくとも1メートル、望むらくは12メートル以上が必要になる。
人間が色を見分けることができるのは、樹上性だった人間の祖先が適切な色の果実や葉をどうしても見分ける必要があったからだと一般に考えられている。
ハダカデバネズミにはあきらかに視力がないので、通常なら視覚に用いられる脳の領域が、体性感覚皮質に取って代えられている。ハダカデバネズミは、おそらく歯をつかってものを「見て」いる。
ボーア戦争の少し前のころ、南アフリカにジャックというヒヒがいた。事故によって両膝から下を失くした男性の下で、ジャックは鉄道の仕事を手伝っていた。さまざまな信号を一つ残らず理解し、どのレバーを引けばよいか覚えていた。間違えたことは一度もなかった。このほかにもポンプで水を汲んで運んだり、庭いじりをしたり、ドアに鍵をかけたりしていた。これは、知性は人間だけにあるのではないとうことを実証する事実だ。
イルカの鳴き声は複雑で多様である。水が不透明であることから、顔の表情を利用することはかなり限られる。そこで、音を出す音響方式が優先されたのだろう。イルカは、かなり離れた場所との間でも交信することができる。イルカにとって、半球睡眠は群れの仲間とはぐれないためらしい。
なぜ、進化は繁殖期の終わった女性の存在を「許して」いるのか?
アフリカゾウではメスのなかでも一番の長老が概して一番賢く、よそから来たゾウのことをもっともよく覚えていて、必要な社会の知識を自分の「家族」に伝えていくことができる。
このような母系社会の一族でもっとも大きい最年長のメスを殺すのは愚かなことだ。なぜなら、蓄積された知識が群から奪われ、繁栄が妨げられてしまうからだ。
いろいろ難しいこともたくさん書かれていますので、もちろん全部は理解できませんでしたが、この広大な宇宙に果たして人間と同じような知性をもつ生命体がいるのかいないのか、改めて考えさせてくれた本でした。
(2010年7月刊。2800円+税)
アジサイが咲き、ホタルが飛びかう季節となりました。我が家から歩いて5分あまりのところに毎年ホタルが出る小川があります。ふわふわと漂うように音もなく軽やかに明滅するホタルの光は、いつ見ても夢幻の境地を誘います。なくしたくない自然です。すぐ近くまでバイパス道路が迫っているのが心配です。
軒からヘビが落ちてきました。屋根裏のスズメの巣を狙ったのでしょう。数日後、急にスズメたちがやかましく鳴き騒いでいました。
自然が身近な生活はヘビとの共存も強いられることになります。こればかりは勘弁してよと言いたいのですが・・・。
2011年5月30日
視覚はよみがえる
著者 スーザン・バリー 、 出版 筑摩選書
人間は三次元で思考する。48歳にして立体視力を奇跡的に取り戻した神経生物学者が、見えることの神秘、脳と視覚の真実に迫る。
これは本のオビに書かれているフレーズです。脳って固定的なものではないのですね。これがダメなら、あれでいこう。あれがダメなときには、とりあえず、こうやって対応しておこう。こんな具合に融通無碍に対応できる、とても可望性に富んだ器官なんです。
宇宙飛行士が地球に戻ってきたとき、しばらくはヘマばかりしてしまう。なぜか・・・?
大気圏外の自由落下状態にいると、内耳の感覚器官である前庭器官が正常に働かなくなる。宇宙飛行士は、帰還して3日目にようやく正常に戻ることが出来た。むむむ、うへーっ・・・。
人間の赤ちゃんは、生後四ヶ月までは、立体的に物を見ていない。目を内側に寄せる能力、ふたつの像を融合させる能力、立体的な奥行きを認識する能力の三つは、ほぼ同時期に発達する。視力(視精度)が良好なことと視覚が良好なことは、同じではない。文章を読むには、1.0の視力以外のものが必要だ。文字の羅列から意味を読みとれなくてはならない。
ほとんどの人は、文章を読むときに必ずしもページの同じ場所に二つの目を向けてはいない。読む時間の50%は、左目が見る文字のひとつが、ふたつ右の文字を右目が見ている。読み手にとって、この状態は問題を生じない。というのも脳がふたつ目の像を一つに融合しているからだ。情報は協調のとれた形で結合されている。ふむふむ、さてさて・・・。
世界をなんらかの形で細かく知覚しようと思ったら、同時に身体を動かさなくてはいけない。それどころか、体の動きを計画する行動は、おおむね無意識に行われるが、この計画行為こそが目や耳や指の感覚を研ぎすませている可能性がある。知覚と体の動きは、双方向的。絶え間ない会話によって密接に結びついている。
人間の脳のなかには、未開発の配線が数多くあり、その配線は、たとえば新しい技術を身につけるとか、脳卒中から回復するとかいった状態によって活動せざるをえなくなるまで、いつまでも未開発でありつづける。損傷から回復したり、新しい技術を学んだり、知覚を同上させたり、さらには新たな主観的な感覚を身につけたりするために、脳は一生のあいだ配線を変えつづける。
著者は、幼いころ内斜視を発症し、その後、3回の外科手術によって目の位置はそろったものの、二つの目で同時に物を見ること、すなわち両眼視がうまく出来ないまま成人しました。そして、40代の半ばを過ぎて視能療法を受けて思いがけずに立体視ができるようになったのでした。そのことへ驚きと喜びと戸惑いの入りまじった強烈な感情がこの本にしるされています。
視覚障害者とは、単に目の見えない人ではなく、むしろ視覚なしで世界で対処できる脳と技術を発達させた人なのである。このように書かれていますが、この本を読むと、それが納得させられます。
(2010年12月刊。1600円+税)
2011年5月28日
世界の少数民族文化図鑑
著者 ピアーズ・ギボン、 出版 柊風舎
この地球上には、さまざまな文化を持って生活している少数民族が無数に存在していることを実感させてくれる大型の写真集です。少数民族といっても、合計すると1億5千万人だといいますから、決してちっぽけな存在というわけではありません。
みんな違って、みんないい。
金子みすずの詩が思い起こされます。
結婚とは、両家族のメンバーに移動があることを公然と明らかにする儀礼のことである。そして、経済的な責任を必然的にともなう契約である。
お互いに惹かれあう大きなポイントは、健康的な赤ん坊をつくりたいという願望からきている。ヒップとウエストの比が平均で0.7というのは、つまり「砂時計のように腰のくびれた」女性の体形は、健康体であるとともに子どもを出産する能力の指標といえる。
互いに一番よい組み合わせとなる遺伝子型をもつ相手、つまり遺伝学的に適合した相手を求める傾向がある。匂いは身体的な魅力に欠かせない要素である。人は、お互いに健康な子孫をもてそうな異性の匂いにのみ惹きつけられる。女性は、遺伝子的に自分と似ていない男性により強く惹かれる。そんな二人が結ばれると、免疫遺伝子の幅が広がり、健康な子孫を持つ可能性が高まる。逆に、よく似た匂いをもつ男女は、お互いに避ける傾向がある。なーるほど、そういうことも言えるのですね。
ダウリ(持参金)は、しばしば娘の嫁ぎ先へ「支払うこと」と説明される。しかし、ダウリの恩恵を得ているのは当の娘であり、お金は彼女と彼女の新家族のものである。ダウリは息子ではなく娘の結婚に支払われるが、その理由の一つは、息子は遺産を相続するが、娘はその機会がないことにある。相続することのできない娘への賠償がダウリであると言える。ふむふむ、改めて認識しました。
カラハリ砂漠のクンの女性は、ブッシュのなかで赤ん坊を産み、彼女1人が母親のみの付き添いで対処する。もし彼女が育てないと決めたら、赤ん坊は産まれてすぐ窒息死させられてしまう。これは罪とは見なされず、やむをえないことだと同情される。というのも、砂漠は人々に十分な食料をもたらさないので、余分の子どもを養うことはできないからだ。
インド北部のヒンズー社会において、高位のカースト社会の妻は夫と離婚することはできない。彼女の献身のあかしは、夫が死んだとき、夫を火葬するために燃えさかる薪のなかに身を投げ出し、夫の遺体と一緒に荼毘に付されることである。ただし、妻を亡くした男は再婚が期待される。うへーっ、これって恐ろしいことですね。すぐにも止めさせなくてはいけませんよ・・・。
アラスカのイヌイットの人にとって、離婚とは単に夫と妻がもはや一緒に暮らさないというだけのこと。結婚は永久的な結びつきではないので、離婚という概念すら必要ない。
カラハリ砂漠のクンは平和を好む人たちである。この首長の地位は、一般に父から息子へ継承されるが、父から娘へ受け継がれる場合がある。
クンは肉をバンド(集団)内で分配する習慣を忠実に守っている。しかし、その量は食料全体の摂取量の20%にすぎず、しかも、彼らが取り入れるタンパク質のほぼすべてである。食事は一人でとってならないという規則があり、複雑な分配の仕方をする。クンの食べ物の80%は野生植物からである。
いやはや地球は広いんですね。少数民族とその文化を知ることは、人間というものを知ることだとつくづく思いました。高価な本ですが、それだけの価値はあります。
(2011年2月刊。1300円+税)
2011年5月16日
想像するちから
著者 松沢 哲郎 、 出版 岩波新書
人間とは何か、どういう存在なのか。そのことをチンパンジーとの比較を通じて、じっくり考えさせてくれる良書です。著者は私とほとんど同世代の学者ですが、ながくチンパンジーを観察し、研究してきただけに、その論説にはとても説得力があります。
サルとは目が合わない。サルは人間の目を見ると、キャッといって逃げるか、ガッと言って怒る。サルにとって、目を見るというのは、「ガンを飛ばす」という意味しかない。ところが、1歳になったばかりのチンパンジーのアイを著者が見たとき、アイはじっと見つめ返した。そして、著者が腕につけていた袖当てを腕から抜いてアイに渡すと、アイは、すーっと手をそこに通した。著者がええっと驚いていると、またもやすーっと腕から抜いて「はい」って返した。このように、チンパンジーは目と目で見つめ合うことができる。自発的に真似る。そして、何か心に響くものがある。
チンパンジーには、人間の言語のような言葉はない。でも、彼らなりの心があり、ある意味で人間以上に深いきずながある。ふむふむ、そうなんですね・・・。
動物分類学上、ヒト科は四属である。ヒト科ヒト属(ホモ属)、だけでなく、ヒト科チンパンジー属(パン属)、ヒト科ゴリラ属、ヒト科オランウータン属の四属である。日本の法律ではチンパンジーはヒト科に分類されている。
人間とチンパンジーの全ゲノムを比較した結果、DNAの塩基の並び方は98.8%同じである。人間とチンパンジーとサルの三者では、人間とチンパンジーがよく似ていて、サルが違う生き物なのだ。三者に共通する祖先がいて、3000万年前に分かれて、サルはサルになった。その時点では、人間とチンパンジーは同じひとつの生き物だった。
チンパンジーの寿命は50歳。チンパンジーのコミュニティーでは、女性は10歳前後のころ、つまり妊娠できる年頃になると、群れの外へ出ていく。
チンパンジーは、基本的にはベジタリアンだ。しかし、シロアリやアリといった昆虫も食べる。そして、センザンコウ(動物)を捕ることもある。
道具はまれにたまたま使うというのではなく、生存するのに必須なものとして、いつも使う。
チンパンジーは、音声でコミュニケーションする。音声のバリエーションは30種類ある。
チンパンジーは、50歳になっても子どもを産む。チンパンジーの女性は死ぬまで生み続ける。だから、チンパンジーには祖母はいない。子どもを産み終えて孫の世話をする役割、それを担う年寄りの女性という存在はない。このように、チンパンジーにはおばあさんはいないが、人間にはおばあさんがいる。
チンパンジーは5年に一度、出産する。だから、年子がいない。チンパンジーの子どもは4歳ころまでずっと母親の乳首を吸っている。子育ては母親が一人でする。チンパンジーの父親の役割は、「心の杖」といえる。父親がいると、女性や子どもはすごく大胆にふるまう。チンパンジーは子どもを抱くだけではなく、「高い、高い」をしたり、わざわざ引き離して、顔と顔を合わせ、見つめあう。
チンパンジーの赤ちゃんは夜泣きしない。夜泣きするのは人間だけ。チンパンジーの赤ちゃんは、お母さんがすぐそばにいるから呼ぶ必要がない。ひもじくて母乳がほしければ、自分で乳首を探して吸えばよい。
人間の赤ちゃんは仰向けの姿勢になっているから両手が自由で早くから物が扱える。
人間の赤ちゃんは、異様に可愛くて、異様に愛想がよい。それは、お母さんだけではなく、お父さん、おじいさん、おばあさん、おじさん、おばさん、みんなからの助けを必要とするから。仰向けの姿勢で安定して、にっこりと微笑むように人間の赤ちゃんはできている。人間は一歳のときに人間になるのではなくて、生まれながらにして人間なのだ。人間は生まれながらにして、見つめあい、微笑みあい、声でやりとりをして、自由な手で物を扱う。そういう存在として生まれている。
人間の子どもは、一歳をすぎるころから「自分で!」と言って自分で食べるようになる。もう少し大きくなると、「お母さんも!」と言って母親にも食べさせようとする。これは、チンパンジーには決して見られない行動だ。人間は、すすんで他者に物を与える。お互いに物を与えあう。さらには、自分の命を差し出してまで、他者に尽くす。利他性の先にある、互恵性、さらには自己犠牲。これは、人間の人間らしい知性のあり方である。なーるほど、そういうことなんですか・・・。
チンパンジーの子どもを母親や仲間から引き離してはいけない。彼らには、親や仲間と過ごす権利がある。それを踏みにじってよいという権利は人間の側にはない。チンパンジーを見せ物や金もうけの道具にしてはいけない。母親や仲間と離れて暮らすと、チンパンジーは挨拶や性行動ができなくなる。
このように、著者はチンパンジーを群れのなかで観察する手法を実践しています。なるほど、すごいです。
チンパンジーは、「今、ここの世界」に生きている。人間のように、百年先のことを考えたり、百年先のことに思いを馳せたり、地球の裏側にすんでいる人に心を寄せるというようなことは決してしない。今ここの世界を生きているから、チンパンジーは絶望しない。自分はどうなってしまうんだろうとは考えない。恐らく明日のことさえ思い煩ってはいないだろう。
人間とは何か。それは想像するちからを駆使して、希望を持てるのが人間だ。先のことを考えて悩んだり、他者を思いやる心をなくしてしまったら、もはや人間ではないということなんですね。我が身を振り返るうえでも、とても考えさせるいい本でした。あなたにも一読をおすすめします。
(2011年2月刊。1900円+税)