弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
人間
2010年3月19日
脳ブームの迷信
著者 藤田 一郎、 出版 飛鳥新社
私の子どものころ、味の素をふりかけると頭が良くなる、身体にいいというのが大流行しました。それまでは耳かき一杯だったのが、サッサという音とともに大量にふりかける、味が良くなるだけでなく、多いほど身体に効果があるということでした。
しかし、この本はそれを二重に否定しています。驚くべきことに、第一に味の素は、そんな広告・宣伝をしていないのというのです。本当でしょうか……。私には信じられませんでした。
第二に、グルタミン酸を外部から脳に取り込むことが脳の情報処理に役立つかと言うと、答えはノーだというのです。これは私にも理解できます。ギャバも青魚(DHA)も、食べた後脳細胞に到達するのは難しいのです。経口摂取しても脳にまでは届かない。
では、今はやりの脳トレはどうか?
簡単な計算問題を速く解いていると、血流量が増加した。しかし、この血流量の増加と脳の機能の工場とは別の話である。なーるほど、ですね。
英語の熟練度が高い人ほど、英語文法の処理に関わる前頭葉領域における活動領域は小さくなる。
ある物事の情報処理を脳がくりかえるうちに、脳のなかに効率的に情報処理する仕組みが生まれ、より少ない神経細胞集団で情報処理をすることができるようになる。
脳トレ・サプリは脳に効果のないことを警告する、脳科学者による100頁にも満たない薄い本ですが、面白くて一気に読みました。
(2009年11月刊。714円+税)
2010年3月 8日
大腸菌
著者 カール・ジンマー、 出版 NHK出版
この本では大腸菌はE・コリと呼ばれています。
E・コリのほとんどは無害。人間の腸内には何億というE・コリがいて、平和に暮らしている。腸以外のところにも何億といるし。E・コリは川や湖に、森にも庭にも棲んでいる。
そうなんですね。このありふれたE・コリは研究の対象となって大いに人間に役立ってくれます。
E・コリはDNAを折りたたんで数百の輪にして、ピンセットのようなもので固定している。その輪はねじれているが、ほどけて広がるのをピンセットが防いでいる。
E・コリは増殖するとき、つまり細胞分裂するとき、DNAの複製を作らなければならない。全DNA鎖を両端まで引き離し、半分に分かれる。E・コリはそれを20分で完璧に正確にやり遂げる。DNA複製のエラーが起きるのは、100億基につきたった一つという優秀さだ。
一人の人間の腸内に共存する微生物種は、1000種類。人間は人生のどの時点でも、体内に30種類のE・コリ株を棲まわせている。E・コリに棲みつかれていない人間は、いない。人間の方も、腸内微生物のジャングルに頼っている。食べる炭水化物の多くは、消化するのに細菌の助けを借りなければならない。腸内細菌は人間の身体に必要なビタミンやアミノ酸を合成してくれる。食物から身体組織へと移行するカロリーをコントロールする役も担っている。だから、腸内細菌は、人間を病気から守っている。医師が早産児に病気予防のためのE・コリ株を与えるのは、このためだ。つまり、人間とE・コリは共同体のメンバーなのである。
ウィルスは、かつて取るに足りない寄生体だと思われていた。しかし、今ではウィルスは地球上でもっとも豊かな生命体の形態で、その個体数は10億×10億×1兆と見積もられている。生命体の遺伝子情報の多様性のカギは、ウィルスのゲノムが握っている。
人間の腸内には、1000種のウィルスがいる。ウィルスが宿主の遺伝子を拾って別の宿主に挿入するとき、それは種から種へとDNAを行き来させる進化上の基礎を作り上げる。海洋にいるウィルスは、新しい宿主に毎秒2000兆回、遺伝子を移動させている。このように、ウィルスは進化に重要な役割を演じている。
微生物の生産するインスリン「ヒューミソン」は1983年に発売され、世界中で400万人がお世話になっている。E・コリはビタミンやアミノ酸まで生み出している。
チーズはウシの胃で産出されるレンネットという酵素で乳を凝固させて作られてきた。今日では、E・コリ製レンネットからチーズが作られている。
すごいですね、大腸菌って、汚い・怖い存在というより、必要であり、かつ有用な存在なのですね。最後まで知らないことだらけで、面白く読みとおしました。
(2009年11月刊。2100円+税)
3月5日の朝日新聞夕刊で、このブログを大きく紹介してもらいました。取材していただいた山本亮介記者に対して心よりお礼申し上げます、おすすめしている本の中には、まだ紹介していないものもありました。なるべく早くアップしますので今しばらくお待ちください。
この「弁護士会の書評」がたくさんの方々にもっと広くお読みいただけることを願っています。
2010年2月15日
からだの一日
著者 ジェニファー・アッカーマン、 出版 早川書房
人間の体は、ほんの1%がヒトで、あとの99%は微生物から出来ていることが分かった。
朝。人間は心にセットされた小型の目覚まし時計を体内にもっている。寝ている間も体内で無意識のうちに注意深く時間が計られており、脳は起きているときと同じように、起床など時間の決まっている予定を予期して、化学物質を放出し、私たちが起きて活動し始めるように動く。そのせいで、決まった時間になると目覚める。
私は7時に妙なるシャンソンが聞こえるようにセットしています。先日コンセントを差し込むのを忘れてしまい(ボケが始まったのでしょうか……?)、7時40分に起きました。おかしい、おかしいと思いながらそれまで寝ていたのです。
起床後30分内の脳の能力は、24時間使った後より劣る。
アメリカ空軍は1950年代にジェット戦闘機のなかにパイロットを待機させ、睡眠をとらせた。パイロットは睡眠中を叩き起こされて離陸を命じられた。しかし、事故率が激増したので、これは禁止された。睡眠慣性の影響は、2時間後にまで及ぶ。
レム睡眠と呼ばれる段階で目覚めた人は、周りの状況にすぐなじみ、心の動きも俊敏で、話にも活発に応じる。レム睡眠は覚醒にいたる導入部であり、目覚めをより円滑にしてくれる。
大抵の人は、目覚めてから2時間半から4時間のあいだが一番頭がさえている。ということは、早起きの人は注意力のピークが午前10時から正午になってくることになる。この時間帯には、論理的な推論能力や複雑な問題を解く能力が高まる。
体温は1日のうちに2度近く変動する。平均体温は女性36度9分、男性は36度7分である。
慨日時計の遺伝子の持つ僅かな違いによって、早朝に目覚める人と、フクロウのように夜が好きで、朝のうちは頭がすっきりせず、真夜中に一番ノリのいい人とに分かれる。
私は、どちらかというと朝方ですが、かといって早朝型でもありません。
カフェインは、人間のニューロン(神経細胞)を興奮させるのではなく、沈静化プロセスを阻害することで覚醒作用を発揮する。
人間は、350種にものぼる異なる受容体が、数千もの匂い物質をかぎわける。匂い
の記憶は、他の感覚に比べてなかなか薄れるということがない。匂いの中には、かつての記憶そのままの世界にどっぷり浸らせるものがある。
そうですよね。たとえば古い麦わらの匂いをかぐと、子どものころ田んぼに積み上げてあった麦わらの山を思い出し、それは魚釣りとか田舎のおじさんの顔を連鎖的に思い出させます。
話すなり歌うなりして声を出すとき、人間の脳は聴覚ニューロンの発火を停止し、耳の中で自分の声で大騒ぎにならないようにしてくれる。
時間間隔タイマーを撹乱するものは、なんといっても集中力の欠如だ。何かの作業をしながら60秒を数えるよう指示されたとき、その精度はとんでもなく低くなる。
なにかに没頭していると、時間は長く感じられる、一方で、二つのことを同時にしようとすると、時間は短く感じられる。脳が体内時計のカチコチと刻むパルス音を一部聞き逃してしまい、時間が短くなるのだ。運転中に携帯電話をかけるのは危険だと言うのは、まさしく、この理由による。
ケータイで話しているときの事故の確率は1.3倍。電話番号を入力していたりすると、そのリスクは3倍にもなる。いやはや、すごいことですね。そうなんですか。でも、ケータイで話しながら車を運転しているのはよく見かけますよね。
脳の細胞は10%しか使われないというのは間違いである。ニューロンのほとんどは一日のうちのどこかで活性化する。
あくびに、どのような機能があるのかは、いまだに大きな謎のままである。
あくびは、社会的な信号でもある。あくびは自分の考えや状態を言葉以外の手段で知らせる原始的な方法なのである。
離婚、失業、家族を亡くしたといったストレスに1ヶ月以上もさらされた人は、そうでない人に比べて風邪をひきやすい。ワクチンを打っても免疫反応が弱いことが多い。蓄積したストレスは、創傷の治癒も遅らせる。不断のストレスと不眠は、学習、記憶力、そして脳の構造そのものに悪影響を与える。
ストレス緩和方法のうちでもっとも有効なのは、ユーモアと仲間づきあいの二つだ。強い社会的なつながりを持つ人は、ストレスにうまく対処できる。楽しい笑いもそうだ。
交代勤務する労働者の乱れた時計は、記憶力、認知能力、その他さまざまな身体部分に影響を与え、高コレステロール他、高血圧、気分障害、不妊、心臓発作やがんの高罹患率につながる。
正しい慨日リズムの位相で寝ることが肝心で、体温が下がってから、生物学的な昼に寝ようとすると、睡眠の質は低くなる。
睡眠中の修復は脳に取ってとても重要である。脳は睡眠によって自信を修復し、タンパク質の再貯蔵やシナプスの強化などの身体維持機能をする機会を得る。これらの作業をするためには、脳は休止してニューロンの代謝活動が作業の邪魔をしないようにせねばならない。深い眠りになると、脳の温度と代謝率が下がるために、酵素が修復を行って細胞を回復させることができる。
すぐに寝付けないのは、主として不安感とストレスによる。よく眠るためには、決まった時間にベッドに入り、時計を覆い隠し、夜遅くに運動しないこと。寝る前に頭を酷使してはいけない。
人間の一日を振り返りながら、人体の構造と生理をとても分かりやすく解説してくれています。還暦を過ぎた今、私の身体は30代、40代とはずいぶん違うという点をいろんな形で自覚せざるをえません。たとえば、今、左膝が痛くてたまりません。かなり良くなりましたが、まだびっこをひきいながら歩いています。若いころには考えられもしないことです。老化現象って、つくづく嫌なものです。
(2009年10月刊。2200円+税)
2010年2月 8日
つながる脳
著者 藤井 直敬、 出版 NTT出版
人間の脳について、また新しい知見を得ました。こうやって学問の進歩を実感できるのも、うれしいことです。
ヒトがユニークでおもしろいのは、複雑な社会を操作してうまく泳ぐことにある。その場の空気に合わせた振る舞いを、脳は実現できる。
私も、たまに大勢の人の前で話す必要があります。そんなとき、あらかじめこれは言おうと考えてはいるのです。でも、その場になって、私を注視している人の顔を見て、それこそ当意即妙に自分でも思わぬ言葉を紡ぎだすことがしばしばです。潜在意識が働き、その場の空気を読んで、こう言ったらいいんだと、脳のなかの言語中枢に何かが指令するのです。実に不可思議なことですが、しばしば、そういうことが現実に起きています。
ですから、マイクを握って話すときには、事前に原稿を用意することは多いのですが、原稿どおりに話したことがありません。ただ、私の特技は、自分で話した内容をあとで文書に書き起こすことができるということです。もっとも、そんなことは滅多にしません。これは、大学生時代に全身全霊をかけて打ち込んでいたセツルメント活動で身につけたものです。
お互いに、見知らぬサルを向かい合って座らせてみる実験が紹介されています。
どちらのサルも、相手を見ようとしない。完全に無視しあう。面白いことに、無視し合っているのに、相手の顔の辺りにはほとんど視線を向けない。つまり、相手の存在を分かった上で、相手が何をしようが気にとめないという態度をとる。
この2頭のサルの中間にリンゴを置くと、どうなるか。2日か3日のうちに、この2頭のうち、どちらかのサルがリンゴを取るようになり、もう1頭は手を伸ばさなくなる。つまり、抑制こそが社会性の基本なのである。衝動を我慢することは、ヒトが生きていくうえでとても重要なことなのである。ふむふむ、なるほど、なるほど、ですね。でも、なかなか我慢できないことって世の中には多いですよね。
基本的に、サルはヒトのような協調行動を自発的に起こすことはない。
グルーミングはサルの生得的な行動の一つである。人間の白衣の裾が少し破れて毛羽立っていると、それを見たサルはグルーミング行動を始める。
賢いサルの眼は、そうでないサルと比べて眼が違う。本当に賢いのは、上位のサルではなく、苦労している下位のサルの方なのである。
人間の脳は、その内部に非常に複雑なつながり構造をもつ情報ネットワークシステムである。しかも、そのネットワークは、脳単位で閉じていない。脳は、常に社会や環境とつながりを持ち、そのつながりの中で働いている。つまり、神経細胞同士、友だち同士、国と国の間まで、そのすべてが異なる種類の多層的ネットワーク構造を介してつながっている。そのような「つながる脳」の仕組みを理解することは、脳だけでなく、脳が作っている社会の仕組みを理解することにもつながっている。
大変面白く、分かりやすい、脳についてのまじめな本でした。
すっかり春めいた陽射しとなりました。早くもメジロが飛び交っています。ウグイス色で、目の周りが白くて、まさに目白です。チッチッチっと可愛い泣き声で来たことを知らせます。桜の木の枝にミカンを半分に切ってさしてやると、すぐについばみにやってきます。
先日から膝が痛くて、びっこをひいて歩いています。外科医に診てもらったところ、老化現象による関節炎だと言われてしまいました。膝の関節のところにあるホネって、老化すると摩耗するのではなく、部分的にとがってしまうのですね。初めて知りました。それが無用に刺激して痛みます。じっとしていたらなんともなく、夜もぐっすり眠れますので、仕事にあまり支障はありません。それでも室内をちょっと歩いただけでも痛いので、悲鳴をあげています。
ヒアルロン酸を関節内に注射してもらいました。とても痛くて泣きたい気持ちでした。
(2009年11月刊。2200円+税)
2010年2月 1日
つぎはぎだらけの脳と心
著者 デイビッド・J・リンデン、 出版 インターシフト
人間の脳にはすごく関心があります。人間ってなんだろう、心はハート(心臓)にあるのか、脳にあるのかなど、知りたいことだらけです。
脳の設計は、どう見ても洗練などされていない。寄せ集め、間に合わせの産物に過ぎない。にもかかわらず、非常に高度な機能を多く持ちえている。機能は素晴らしいが、設計はそうではない。脳やその構成部品の設計は、無計画で非効率で問題の多いものだ。しかし、だからこそ人間が今のようになったという側面がある。我々が日頃抱く感情、知覚、我々の取る行動などは、かなりの部分、脳が非効率なつくりになっていることから生じている。脳は、あらゆる種類の問題に対応する「問題解決機械」だが、そのつくりは何億年という進化の歴史のなかで生じた種々の問題に「その場しのぎ」で対応してきた痕跡を、すべて、ほぼそのまま残している。そのことが人間ならではの特徴を生み出している。
海馬には、事実や出来事に関する記憶を貯蔵するという独自の役割がある。海馬に貯蔵された記憶は、1~2年くらいの間、海馬にとどまった後、他の組織に移される。
軸策末端と樹状突起のわずかな隙間は、塩水で満たされており、「シナプス間隙」と呼ばれる。このシナプス間隙を5000個並べても、ようやく髪の毛の太さくらいしかない。シナプス小胞から放出された神経伝達物質が、シナプス間隙を通って渡されることで、信号が隣のニューロンに伝えられる。
各ニューロンが対応するシナプスの数は、5000ほど(0~2万の範囲)。ニューロンごとに5000のシナプスが存在し、脳に1000億のニューロンが存在するとすれば、概算で、なんと500兆のシナプスが存在することになる。即効性の神経伝達物質は、何らかの情報を運ぶのに使われ、遅効性の神経伝達物質は、情報が運ばれる環境設定をするのに使われる。一つのニューロンが1秒間に発生させることのできるスパイクは、最大でも400回。スパイクの伝達速度は、せいぜい時速150キロメートル。
個々には性能が悪いとはいえ、脳にはプロセッサが1000億も集まっている。しかも、なんと500兆ものシナプスによって相互に接続されている。多数のニューロンが同時に処理し、連携することで、さまざまな仕事をこなしている。脳は非常に性能の悪いプロセッサが多数集まり、相互に協力しあって機能することで、驚異的な仕事を成し遂げるコンピュータなのである。うへーっ、そ、そうなんですね……。
人間の遺伝子は、その70%までが脳を作ることに関与している。人間は1万6000の遺伝子で、1000億個のニューロンをつくっている。遺伝子は、個々のニューロンを、具体的に、どのニューロンに接続するかまで逐一指示したりはしない。
人間の脳が高度な処理をするためには、多数のニューロンを複雑に相互接続せざるをえない。個々のニューロンは、状態、信頼性が低いからだ。脳が大きくなると、産道をとおれなくなる。そして、シナプスの配線の仕方をあらかじめ遺伝子に記録するのが難しくなる。500兆もあるシナプスを、どのように相互接続するかを逐一記録していたら、大変な情報量になってしまう。このため、遺伝子は脳の配線をおおまかにだけ決めるようにするしかない。そして、本格的に脳を成長させ、シナプスを形成するのを、誕生後まで遅らせるようにする。そうすれば、胎児の頭が小さくなり、産道をとおりぬけられるようになる。脳の細かい配線は、感覚器から得られる情報にもとづいて行う。
記憶の書き換えは、驚くほど簡単に起こる。書き換えは、過去についての記憶を現在の状況に合うように歪めてしまうこと。子どもが自発的に話してきたときには、それは本当であることが多い。しかし、そうするだけの社会的誘因さえあれば、子どもは嘘の証言をする。子どもは嘘をつかないというのは、事実に反する。
脳のことを図解しながら、かなり分かりやすく説明してくれる本です。
(2009年9月刊。2200円+税)
2010年1月25日
46年目の光
著者 ロバート・カーソン、 出版 NTT出版
3歳のとき、家庭内の爆発事故によって失明した男性が、46歳になって手術を受けて見えるようになったとき、何が起きたのか……。いったい、人間の眼とは何なのか、なぜ外界を見ることができるのか、見えることと認識とに違いはあるのか。とても興味深い本です。
人類の歴史が始まってから1999年までのあいだに、長期間にわたって失明していた人が視力を取り戻したケースは60件に満たない。3歳未満に失明した患者は20人もいない。
視力を取り戻した人たちは、深刻なうつ症状に落ち込んだ。自分が別の人間だったころにあこがれていたほど、この世界が素晴らしい場所ではなかったことに失望した。
患者は、手術後、すぐに動くものと色を正確に認識できた。しかし、それ以外はうまくいかなかった。人間の顔が良く分からなかった。高さや距離、空間を正確に認識することにも苦労した。視覚以外の手掛かりを頼らずに、眼の前にある物体の正体を言い当てるのも難しかった。
ものの大きさや遠近感、影には、多くの患者が悩まされた。世界は意味不明のカラフルなモザイクにしか見えなかった。眼に映像が流れ込んでくるのを押しとどめるために眼を閉じてしまう人もいた。
眼の見える人の世界は、天国のような場所だと思っていた。しかし、今ではそこが天国なんかじゃないと知ってしまった。夜になっても部屋の電気をつけず、暗闇でひげをそり、映画やテレビもあまり見ようとしなかった。
手術後、視力そのものがどんなに回復しても、他の人たちと同じようにものを見られるようになった患者は一人もいない。
人間がものを見るプロセスは角膜で始まる。眼球に入ってきた光が最初に通過するのが角膜だ。角膜は、黒目を覆う0.5ミリの厚さの球面上の透明な膜だ。眼に光を取り込み、その光を屈折させる重要な役割を担う。この任務を果たすために不可欠なのは、角膜が透明なこと。角膜の透明さは、幹細胞が生み出す娘細胞による。娘細胞の保護膜は、ほこりや傷、細菌や感染症に対する角膜の防御機能の中核を担うだけでなく、結膜の細胞が血管が角膜に入り込むのも防いでいる。この保護膜が汚れても、娘細胞は数日ごとにはがれおちて、新しい細胞と入れ替わるので、常に新鮮で透明な状態が維持できる。角膜上皮幹細胞は、その人が死ぬまで娘細胞を作り続ける。
ドナーの幹細胞を移植して、視力を回復させる手術が1989年に始まった。ドナーの角膜とその周辺の幹細胞のある部分を切り取って保管する。移植手術はドナーの死後5日以内。ドナーは50歳未満。
2回の手術が必要であり、1回目は、ドナーの幹細胞を移植する。患者に全身麻酔をかけ、患者の角膜にのせる。このとき、ドナーの角膜にあるドーナツ状の幹細胞が分厚すぎるので、顕微鏡をつかってドーナツの下部を削って薄くする。厚さ1ミリのものを0.3ミリにまで削って薄くする。このとき、幹細胞を傷つけてはいけない。
移植した幹細胞の生み出す娘細胞が、角膜に到達するためのルートが切り開かられなければならない。それに4カ月はかかる。ここまでうまくいって、古い角膜を取り除いて、ドナーの角膜を移植する。
分かったようで分からない手術ですが、いかにも難しいということだけは何となくわかります。どうやってこんな難しい手術を開発したのか、不思議でなりません。
1995年時点で、この手術を経験した医師は20人。手術例も400件。実は、この手術は成功率50%。しかも、使われる薬の副作用として、発がん性があるというのです。ですから、手術を受けるかどうか真剣に悩まざるをえません。
みえるようになったら、どうなるか?白い光の洪水が、目に、肌に、血液に、神経に、細胞に、どっと流れ込んできた。光はいたるところにある。光は自分のまわりにも、自分の内側にもある。嘘みたいに明るい。そうだ。この強烈な感覚は明るさに違いない。とてつもなく明るい。でも、痛みはかんじないし、不愉快でもない。明るさがこっちに押し寄せてくる。
ローソクを何百本も灯したみたいに強烈な光が、部屋の中のほかのどのものとも違う光が、目に飛び込んでくる。
眼が見えるようになって、たった5秒で色は見えた。たった1日で、ボールをランニングキャッチできるようになった。でも、まだ字は読めない。人の顔の区別もつかない。
人間は、ものを見るうえで知識に大きく依存している。知識の助けがないと、眼の網膜に映る像は単なるぼんやりとした亡霊でしかない。どうやってものを見るために欠かせない知識を蓄えていくのか。方法は一つしかない。その唯一の方法とは、目で見るものと接触することである。眼で見た物体であれこれ試し、それをつかって遊び、手で触り、味わい、においをかぎ、音を聞く。あらゆるものに手を伸ばし、手でいじってみる。これは赤ちゃんがやっていることのすべてだ。
視覚が機能するためには、世界とのかかわりが欠かせないのだ。人間の顔と表情を読み取るには、長い年月にわたる徹底した訓練と学習が欠かせない。
人間の視力と認識について、大変勉強になる本でした。
(2009年8月刊。1900円+税)
2010年1月18日
見る
著者 サイモン・イングス、 出版 早川書房
イカやタコ(頭足類)の眼と人間の眼は、まったく関係がない。人間の眼は皮膚の一部が特化して発達し、頭足類の眼は神経組織から発達した。
チョウゲンボウ(ハヤブサの一種)は、上空から地上のハタネズミを発見する。ハタネズミは尿の痕跡でコミュニケーションしており、この尿が紫外線を反射する。チョウゲンボウは、矢印に沿って進むように簡単にハタネズミ狩りができる。
映画もテレビもみなファイ現象を利用している。どちらも静止画像を次々に表示しているが、人間の眼がそれを動く映像として読みとっている。互いにそう遠くないところにある二つの静止した光が点滅すると、一つの点が動いているように見える。静止した点を融合させて動いていると判断する習慣は、自然界にいる動物にとって便利だ。
夜盲症は、文字記録の前からエジプト・インド・中国で知られていた。そして、この三つの文明のいずれでも、治療薬は焼くか油で揚げるかした動物の肝臓だった。現代の歴史家も、これにはびっくりした。というのも、肝臓はビタミンAのすぐれた供給源であり、ビタミンAは視覚に中心的な役割を果たすものである。
動物は、2億年間、眼無しでも十分にやっていけた。藻類を食べ、海底に沈み、脈動していた。しかし、眼が出現すると、事態は俄然おもしろくなった。
多くの昆虫は上空を驚くべき精度で見ている。アメリカギンヤンマは、2万8500個の個眼をもつ。像そのものはどうでもよく、空をレーダーのように偵察して動くものを探す。
脊椎動物の眼は海中で進化し、乾いた陸地に上がったときには、海のかけらも一緒に持って行った。脊椎動物の眼をつくっている組織は、生き延びるためには濡れていなくてはならない。水中にいたときでさえ、脊椎動物の眼はいろいろな保護策を講じていたし、水から上がったときにも、その保護策は眼を守り清掃するのに役立った。
顔は二つのこと、何を感じているか、何を意味しているかを同時に表現できる。何を意味するかを優先して、感情を隠す。
進化という観点からすれば、喜びを表す信号が大きな重要性を持ったことはなかった。人間の眼は自分が望んでも望まなくても、内心の状態を曝露する。
人間の網膜には1億2600万個の光受容体がある。視神経の繊維は100万程度。すべての光受容体が神経線維によって脳と結ばれていたら、視神経は眼球と同じくらいの厚さになるだろう。網膜から入る情報がめりはりのきいたものであれば、情報は少なくて済む。上手に編集された100万の信号のほうが、混沌と化した1億2600万の情報より優れている。
網膜には二つの視覚メカニズムが備わっている。一つは夜間用、一つは昼間用。
夜間用はほんの小さな光でも収集、記録される。その代わり、鮮明には見えない。できるイメージは粗い。昼間の視覚では、視野の中心の情報が優先される。網膜表面の0.5%しかない中心窩が生み出す情報は、脳の第一次視覚野が受け取る情報の40%を占めるほどの重要性をもつ。
人間に眼があることの由来と意義を考えさせられました。
(2009年1月刊。2600円+税)
2009年12月24日
忘れられない脳
著者 ジル・プライス、 出版 ランダムハウス講談社
いやはや、こんな人も世の中にはいるのですね。日常のこまごまとしたことまで全部を覚えていて、忘れられないという人がいるなんて、信じられません。
人間は「自分は何者なのか」という自己観念を形成するうえで、記憶は強く影響している。一般的に、人は膨大な記憶のなかから一部の記憶を抽出して、あるいは蓄積した膨大な記憶のかなりの部分を捨て去って、自己を規定していく。そして、その自作の物語を絶えず軌道修正し、巧妙に作り変えながら生きている。
ところが著者は、すべての記憶を忘れることができないため、自在に自己修正することができない。自然な作り変え作業ができないのだ。
その記憶は、さながら生活を再現するホームムービーのようだ。なにかのきっかけで記憶がよみがえる。次にどんなことがフラッシュバックしてくるのかは分からない。そして、走り続ける記憶を制止することもできない。その情景の一つ一つがあまりにも鮮明なので、楽しかったことも辛かったことも、いいことも悪いことも、記憶がよみがえるだけでなく、そのときの自分の感情も追体験させられる。当時の喜怒哀楽がそのまま乗り移ってくる。だから心を落ち着かせて生活するのが、とても難しい。
うへーっ、すごいですよね。こんな人が世の中にはいるのですね……。
著者は、特定の日を示されると、瞬時にその日のある時刻に行くことができる。そのとき、何をしていたか、そのころ何が起きていたか、ぱっと頭に浮かんでくる。
これらの記憶は、日付や曜日と密接に結びついている。
ところが、こんな著者なのに暗記はとても苦手だというのです。
小学2年生のとき、掛け算の九九ができなくて、算数の家庭教師が必要だった。幾何学は特に苦手で、定理はまったく覚えられなかった。暗記が苦手なのは、絶え間なく浮かんでくる過去の記憶が頭の中を常に駆け巡っているため、物事に集中しにくいからだ。だから、成績はほとんど「可」であり、良と優はわずかだった。
何でも忘れられない人が、実は暗記を苦手としているなんて、とても信じられませんよね……。不思議な話です。
著者の記憶力の特徴のひとつは、どんなことでも優劣をつけずに、すべて保存していること。人生における出来事として、すべて同列・同格で記憶にとどめている。
これは困りますね。やはり物事には優劣があるのですよね……。
著者は、実は、忘れるという動作や状態自体を嫌っている。あの日に何をしていたのかをすべて思い出せることが気持ちいい。記憶の正確さは非常に重要なことなのだ。几帳面であることについて、強迫観念のようなものを持っている。
驚異的な記憶力があり、いつでもそれを引き出すことが可能なのに、著者は日記をつけはじめた。それは、紙に書きとめると心が休まるからだ。日記をつけているときは、記憶が暴れまわる状態を自分でも驚くほど制御できる。書くことは、やはり意味があるわけですね。
自分の記憶を他人に話すことによって他人と記憶を共有することになり、それが脳の活性化につながる。
著者は44歳のユダヤ系アメリカ人です。いやはや、この世にはこんな変わった人間がいるなんて……。世界は広いですね。
日曜日庭に出てエンゼルストランペットを根元のところから切ってやりました。霜にあたるとしおれて見苦しくなるのです。
見通しが良くなったらロウバイが花盛りだったことに気が付きました。広い葉も黄色でロウができたとしか思えない小さな花も黄色です。においロウバイですのでふくよかな香りを漂わせています。
玄関脇にチューリップを植えました。去年の球根を掘り上げると分球して小さくなっていました。捨てるのはかわいそうなので別のところにまとめて植えてやりましたが恐らく花は咲かないでしょう。チューリップの球根は10個入り280円と安売り中です。80個ほど植えましたので春が楽しみです。
(2009年8月刊。1900円+税)
2009年12月 4日
癌ノート
著者 米長邦雄、 出版 ワニブックス新書
かの有名な勝負師が、癌と宣告されてからの体験記です。かなり赤裸々に書かれていますので、ここで紹介するのもはばかられるほどです。ガンに関心のある人はぜひ現物を手にとってお読みください。きっと参考になると思います。
著者のガンは前立腺癌ですから、女性には無縁です。でも、まったくなんの自覚症状もなかったそうです。
ところが、ある日突然、「あなたは癌です」と宣告されたのでした。男性機能が喪失する。セックスができなくなる。著者はこの点を大いに心配します。私より5歳も年長ですが、さすが週刊誌を騒がせたこともある勝負師ですから、その点こそまさしく一大事なのでした。
前立腺肥大症と前立腺癌は違う。場所から違います。尿道を取り囲んでいる部分が大きくなるのが肥大症。尿道から離れた外側にできやすいのが癌。前立腺は、胃とか肺と違って、取ってしまってもあまり困らない臓器。前立腺を取ってしまうと、射精できないし、子どもも出来なくなる。前立腺癌になるのは比較的高齢者に多い。
前立腺癌の治療法として小線源療法がある。これは、前立腺の中に放射線が出る線源を埋め込む手法。その線源から1年くらいの時間をかけて放射線を放出し、癌細胞をやっつける。体内の線源は永久に残るけれど、別に困らない。
小線源治療の中に、低線量率組織内照射と、高線量率組織内照射がある。低線量率組織内照射のとき、挿入する線源1個が6000円。それを70個ほど入れる。入院費を含め100万円かかる。患者負担を3割として、35万円かかる。
医師を選ぶときは、運の良い医師を選ぶ。
ねたみ、そねみ、うらみ、ひがみを持つと、その人の人生は終わる。そして、そういうものを持っている人と付き合うと、自分の運気も落ちる。運が良い人とつきあうのは大切だ。もう一つは、謙虚さがある人。医師を選ぶときには、絶対的な自信があって、しかも謙虚な人であること。なーるほど、ですね……。
自分で納得のいくまで、よくよく調べつくして悔いのない選択をしたこと、手術のあと便漏れに悩んだことなどが率直に紹介されています。
術後に、将棋連盟の会長に再び立候補するなど、以前と変わらぬ活躍をしています。たいしたものです。
前立腺癌は自分で治療法を決められる。誰だって、「あなたは癌です」と言われたら嫌だし、落ち込む。でも、そんなときだからこそ笑いが必要である。治療を楽しむというわけではないが、医師や看護師と仲良くして、男の命をかける一局の治療にのぞむのがいい。
なかなか実践的な本です。癌家系の私にも大変教訓に満ちた本でした。
全国クレサラ集会のとき、帚木蓬生氏と身近に話すことができました。氏の最新作『水神』は先日ご紹介しましたが、本当に感動的なものでした。氏は年間1作を書くとのことで、5,6年先までテーマが決まっていて、その5年ほどのあいだに資料を集め、1年かけて書き上げるとのことです。資料集めには神田の古書店が一番だということでした。一つのテーマで100冊の本を読むそうです。
朝4時に起きて6時までの2時間を執筆時間にあてておられるとのこと。ですから夜は8時に就寝。
そして、氏は、私と同じ手書き派です。清書する人がいて、出版社とも5回以上、校正段階でやりとりするとのことでした。
大変勉強になりました。
(2009年10月刊。700円+税)
2009年11月16日
鉄学、137億年の宇宙誌
著者 宮本 英昭・橘 省吾・横山 広美、 出版 岩波書店
いやあ、鉄って、人間にとってこんなにも必要不可欠のものなんですね。ちっとも知りませんでした。驚きました。
人間は鉄を十分にとらないと、貧血になる。鉄欠乏性貧血を起こす。血液にふくまれるヘモグロビンは、呼吸で体内に取り入れた酸素を身体の隅々まで運搬するという重要な役割を果たしているが、これが不足すると全身が酸素不足になって、めまいがしたりする。
このヘモグロビンは鉄を中心とした構造を持っている。
現在、地球で知られているほとんどすべての生物にとって、鉄は不可欠な元素である。地球が特殊な天体である重要なひとつの理由は、地球が十分に大きな鉄の核を内部にもっていることにある。
宇宙空間は有害な放射線が容赦なく降り注ぐという生命にとって危険きわまりない状況にある。これが地表面に危険なレベルで届かないのは、地球の持っている磁場のおかげである。
磁場は、地球内部の溶融した鉄の運動により電流が流れるために生じる。つまり、人間は、地球の奥深くにある鉄に守られているのだ。月や金星、そして今の火星は磁場を持たない。いやはや、まったく私は知りませんでしたよ、こんな大切なことを……。
過去500万年のうちに20回、地球の磁場が逆転した。
磁場が弱くなると、地球に降り注ぐ高エネルギー粒子の数が増加する。オゾン層を減少させ、地表に降り注ぐ紫外線量を増加させる。
鉄は、いったいどこから来たのか?
そのほとんどが、地球の誕生する46億年前よりはるか昔に、太陽の10倍以上の大きな恒星の内部でつくられ、その星が死ぬ瞬間の大爆発(超新星爆発)によって、宇宙空間にまき散らされたものである。なんとなんと、そうなんですか……。
鉄は、すべての元素のなかでもっとも安定した原子核を持つ。鉄よりも重い元素はできない。宇宙全体において、鉄は得意な存在である。
地球を構成している元素の中で、最大の重量比をもつものは鉄である。地球の重量の3分の1は鉄である。重さで言うと、地球は「鉄の惑星」である。
現在、地球全体でいうと、毎年10億トン以上の粗鋼が生産されている。全世界の金属生産量の9割以上を占める。鉄は、現代文明の基礎を築いている。
純粋な鉄は比較的軟らかい。炭素成分を少し加えると、鋼鉄という強固な物質へと変わる。
今でこそ、動物が呼吸するうえで必須の酸素も、かつてはその高い反応性のため細胞を壊す有害な成分だった。しかし、酸素の高い反応性は、うまく利用すると、有機物からエネルギーを非常に効率的に取り出せる。このことに気がついた原核生物がいた。有害な酸素が、有益な成分に変わった瞬間である。
多様な原子核の中で、鉄はもっとも安定な原子核を持つ。この性質によって、鉄は校正での元素合成の最終到達地点となること、そのために宇宙で非常に存在度の高い元素になることが決定づけられた。ただ、なぜ鉄がもとも安定な原子核であるのか、現代物理学は解明できていない。
いやあ、鉄って、まだまだわからないところもある不思議で大切な存在なんですね。面白い本でした。
熊野古道では中辺道(なかべみち)を少しだけ歩きました。わたらぜ温泉のささゆりに泊まり、翌朝8時20分にバスで出発し、三元茶屋跡から熊野本宮大社までの下りのコース2キロを1時間ほどかけて歩きました。ガイド氏(かたりべ)が同伴して、各所で説明がつきますので、時間がかかったのです。静かな細い山道を歩くのは気持ちの良いものです。
三軒茶屋というのは、昔はアリの古道というように参詣する民衆がアリの行列のように切れ目なく続いていたということです。なるほど、そのように描かれている絵を見ました。日本人は昔から旅行が大好きだったのですね。
(2009年8月刊。1200円+税)