弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2014年2月10日

金持ち脳と貧乏脳


著者  茂木 健一郎 、 出版  総合法令出版

 この本を読んで、金もうけのヒントでも得ようかと思う人にとっては、その期待は裏切られます。脳科学者が金もうけのヒントを与えてくれるはずがありません。そうではなくて、人生を豊かなものにしたい、意義のある人生をまっとうしたいと思う人にとっては、役立つヒントが満載の本なのです。
 金持ち脳を持っている人は、夢中になれる好きなことを仕事にしているので、たとえ辛い場面に遭遇しても、我慢という感覚はない。これに対して、貧乏脳は何よりも自己欲求を満たすことで満足してしまう脳。
お金持ちになった人は、数多くの修羅場やリスクを経験しつつ、ピンチをチャンスに変えてきた人たち。リスクテイクに優れている。
 人間関係におけるネットワーク、信頼、そして自分のスキル、知識、経験、そういうものが総合的に脳の安全基地となって、確実性が生まれる。
 自信がないお金持ちほど、お金を使う傾向にある。お金を払うと、「お客様は神様です」とあがめてくれるから。
借金する立場は、お金を借りた人に支配されることになる。そうなんです。だから、私は、借金したくないし、他人に借りをつくりたくありません。いつだって、自由、フリーでいたいのです。
 経験以外に人間が持ち運べるものはいない。だからこそ、若いうちのお金は経験という経済活動に使うべきなのです。
 お金と幸せは必ずしも一致しない。人間の幸せや人生観というのは複雑系なので、お金では測れないもの。人間の本質的な幸せというのは、お金によって得られるものではないことを理解するためには、ある程度経験しないといけない。
 お金は、人間関係を目に見えるようにしたもの。人間関係が充実している人には、お金も集まってくる。お金を貯めるのと同じくらいに、人間関係や自己投資にお金を使うことが大切だ。
 仕事の満足は、決してお金で買えるものではない。仕事の面白さ、やりがいは、自分で決めるもの。
私は弁護士になれて本当に良かったと思っています。受験時代は苦しい日々でしたが、人助けをして、喜んでもらって、お礼を言われて、お金までもらえるのです。こんなに充実感の味わえる職業は滅多にありません。もちろん、すべてがうまくいくとは限りません。でも、一生けん命にやっていれば、いつかはなんとかなるものです。
(2014年1月刊。1300円+税)

 東京は大雪で大変だったようですが、私のところはこの冬はまだ雪が降っていません。それでも寒い日が続いています。
 庭から小鳥の澄み切った流れるようなさえずりが聞こえてきました。声のするほうを見ても姿は見えません。名前も知りませんが、春先になると聞こえてくる小鳥の声です。とうとう春告げ鳥がやって来たのでした。
 庭の紅梅や白梅が咲いています。黄水仙も咲きはじめました。チューリップの芽があちこちに顔を出しています。
 もうすぐ春になります。うれしいことです。

2013年11月25日

人体探求の歴史


著者  笹山 雄一 、 出版  築地書館

二重まぶたの日本人は、先祖が東南アジア経由。北方アジアを経由して日本列島に入った祖先は、なかなり寒い環境に適応した人たち。眼球は水分が多いため、それを保護するため、まぶたに脂肪を蓄積させ、その結果、一重になった。
 まばたきするのは眼を保護するため。人間は、1分あたり20回程度まばたきをする。イヌやネコは2回ほど。新生児は、まばたきしない。乳幼児は1分間に3~13回。上司や知らない人と話すと、まばたきの回数は増える。
 統合失調症の患者は、まばたきの回数が多い。
 生まれつきまったく目が見えないヒトは、手術で「見える」ようになっても、「見る」という学習をしなければ、物の形は分からない。人間は、見る学習をしてきたからこそ、見える。日本人の鼻は、縄文人は高く、弥生人はそれよりやや低い。古墳時代は低く、古代・中世・近代とどんどん低くなった。江戸時代に少し高くなり、明治以降、現代まで、どんどん高くなっている。
 北方モンゴロイドの人々の鼻は小さく、低い。これは凍傷から逃れるための適応である。
 がん患者の吐く息の臭いには共通のものがある。そこで、イヌにかぎ分けさせることができる。
 血液型と性格は、いつも話題になるが、まったく根拠がない。
肝臓には、血液量の4分の1が常に流れ込んで、浄化されている。
 人の尿に最近はいないので、遭難して水に困ったときには1回くらいなら自分の尿を飲むことができる。
 昔、朝一番の自分の尿を飲むという健康法がしきりに紹介されていたことがあります。さすがに私はやれませんでした・・・。
 夜、寝ているときには、肝臓は尿をつくらない。
 ええーっ、そ、そうなんですか。私は、よく夜中に尿意のため目が覚めるのですけど・・・。
 毎日5時間以下しか睡眠をとらない人は、7時間眠る人に比べて、糖尿病にかかるリスクが5倍以上になる。これは、睡眠不足の人では、眠っているあいだに少しずつ分泌されるインスリンの基礎分泌が落ちることによる。やっぱり、きちっと眠っていることは大切なんですよね。
人間の身体の不思議さを縦横に語っている、興味深い本でした。
(2013年7月刊。2600円+税)
 きのうの日曜日、フランス語検定試験(準一級)を受けました。自己採点で68点(120点満点)でした。このところずっと準一級に合格してきたのですが、今回は厳しい状況です。
 毎朝聞きとり、書きとり(NHKラジオ講座を聞いて、CDを利用しています)をやり、16年間の過去問をあたりに、直前2日間は集中してフランス語漬け状態にしたのですが・・・。
 文法問題の出来がよくないのは昔からなのですが、今回は聞きとりがうまくいきませんでした、今回は聞き取りがうまくいきませんでした。聴力低下もあるようです。
 残念ですが、くじけずにフランス語は続けるつもりです。実は最近、フランス語が少し理解し話せるようになったという実感があり、喜んでいたのでした。慢心したというわけでもありませんが・・・。
 会場になった大学では入試試験があっていました。推薦入試のようです。元気な高校生たちを大勢見かけました。

2013年11月 4日

統合失調症がやってきた

著者  ハウス加賀谷・松本キック 、 出版  イースト・プレス

真面目な本なので、真剣に読みました。私は、仕事で、精神科の閉鎖病棟にときどき入ります。弁護士会の精神保健当番弁護士として出動するのです。もう何回も面会しているなじみの人もいます。閉鎖病棟は看護師さんにカギを開けてもらって入るわけですが、面会するときは留置場と違って、オープンな個室で自由に話せます。
 今まで怖いと思ったことは幸いにしてありませんが、下手すると、怖い思いをすることになりかねません。でも、それは法律事務所などでの離婚相談のときと同じことではあります。どこにでも人格異常の人はいるものです。
この本は漫才コンビを組んでいた人が統合失調症になり、長い闘病生活を経て、10年後にコンビ復活したというのを、自分の体験記として書いたものです。ですから、迫真性があり、その苦しみが惻々と伝わってきます。
 両親も大変だったと思いますが、とくに母親の支えがあってこそ復活できたようです。エリートサラリーマンの父親は家庭をあまりかえりみなかったようです。それだけに、母親は子どもを進学競争に駆り立てていったのでした。それが即、病気につながったというのではないでしょうが、子どものころにあまり受験勉強に追い込むのは考えものですよね。
 良い子でなければならない。親を喜ばせなければいけない。そう思って行動していた。いつのころから親の顔色をうかがうようになったのかは覚えていない。
 加賀谷家ではテレビを見るのは基本的に禁止。見れるのは、NKH教育の海外ドキュメンタリー番組のみ。だから、ドリフターズを見れず、友だちとの会話がかみあわなかった。
 石の仮面を装着するのはひどく疲れた。
 一流の大学に入って、一流の会社に就職するのが幸せになること。これが母親の口癖だった。でも、一流企業に勤めている父親の姿を見ていると、その言葉の意味が分からなかった。お酒を飲んでは母親にあたり、家の物を壊す。酔っぱらって、そのままリビングのソファーにバタン。朝までソファーで眠っている。これが父親の日常生活だった。
 母親は言った。
 「父さんのいいところは、仕事の愚痴を家で言ったことがないの」
 しかし、著者は心の中で叫んだ。
 「愚痴を言ってもいいから、家で母さんを泣かせたり、物を壊さないで!」
父親は会社でひどくストレスのたまる仕事をしていたようです。でも、これでは子どもはたまりませんよね。
一流になることが果たして幸せなのか、よく分からなかった。
本当にそうですよね・・・。
中学生のとき、幻聴が始まった。「臭い」と友だちから言われているというのです。自己臭恐怖症という病名があるそうです。そして、睡眠障害。夜、布団に入っても眠れない。思春期精神科のクリニックに通い、横浜市内のグループホームに入った。
ところが、芸能界に入った(飛び込んだ)のです。
挙動不審で落ち着きがなく、遅刻が多かったりした。それも、病気と薬の副作用のせいだった。それでも、なんとかお笑いコンビ「松本ハウス」が誕生したのでした。すごいですよね。テレビで、かなり売れたようです。
どうにでもなれというパワーは、人々を圧倒し、魅了することすらある。だけど、それは必ず自分にはね返ってきて、自分を追い込む危険な刃物だ。
この分析は鋭いですね。そのころの著者は、世の中が悪い、両親が悪い。すべて他人のせいにして事実を処理していた。
両親に対する反抗心は、自分自身に向けられた。親からもらった自分の体が嫌いだった。脳みそも含めて、自分という存在そのものが大嫌いだった。
調子を壊した原因は、自分勝手に薬の量を調節していたことにある。自己判断で、気分に応じて薬をのむ。薬を過剰に摂取して、安心を得ようとした。嘘の安心を手に入れてしまうと、摂取する分量を増やして、さらに大きな安心を求めてしまう。バランスが崩れ、反動が仕返しのように襲いかかってきた。感情のコントロールは完全にきかなくなってしまった。
そうやって入院生活を続けていくことになるのですが、著者が立ち直ったのは本を読むことにありました。
無気力、無意欲だったが、唯一、行動力を発揮したのは読書だった。週に3、4冊のペースで本を読んだ。すべて小説。冒険小説、ハードボイルド、警察小説など。
 芸人に戻ることがあきらめてはいなかった。その思いは絶やさなかった。
 芸人に戻るためには、エンターテイメントを保つ必要。そのための読書だった。
 こうやって10年後に芸能界に復帰したのでした。その執念と行動力には感服します。ぜひ、これからも無理なくがんばってください。
(2013年5月刊。900円+税)

2013年10月12日

影絵はひとりぼっち

著者  藤城 清治 、 出版  日本図書センター

有楽町の駅近く、銀座に藤城清治の美術館があるのを発見しました。たまたまのことです。迷わず入館しました。すごいです。影絵によるメルヘンの世界にたちまち浸ることができます。
 著者が影絵を始めたのは終戦直後、軍隊から再び大学に戻ってからのこと。慶応大学では児童文化部。これって、大学のサークルのことでしょうか・・・。私の大学生のとき、セツルメント活動にも児童文化部がありました。今も絵本を描いている加古里子(かこさとし)さんは、セツルメントの大先輩です。
 影絵には先達がいない。ただただひとりで考え、工夫し、悩み、ひとりで暗中模索しながら、一本の影絵の道を歩いてきた。あるときは立ち往生し、あるときは脱線したり、よろめいたりしながら、危なっかしい足どりで、今日までやってきた。
 今になってみれば、それがかえってよかったのかも知れない。模倣したくても模倣するものは何もなかったから、すべて一から十まで自分で考えなければいけなかった。否応なしに世界中どこにもいない独自のスタイルの影絵劇が出来ていった。
 光を通してみる影絵には、反射光でみるものとは比べられない美しさがある。切り抜いた黒い線と形、うすい紙、色の紙の重なりなどを、光が通してつくり出す透明な階調は、実際に光にあててみると、ドキッとするほどの美しい魅力がある。
 影絵を展示するには、電源そのほか厄介な問題がたくさんあり、そのうえ破れやすいので持ち運びが大変だ。
影絵は実際に絵の具で描いた絵以上に、印刷されたとき原画との違いが大きい。
 さまざまの材質の紙や厚さの異なった紙に裏から光をあててみると、紙の光を通す度合いによって、いろんな階調が出来る。もちろん、光をまったく通さないところは、真っ黒になり、光をよく通すうすい紙はハーフトーンになる。和紙の繊維やハトロン紙の縞模様なども面白い効果となる。色セロファンやプラステートは透明感のある美しい色彩を出してくれる。最近は、プラステートにいろんなナンバーのうすい色から濃い色調まで何十種類の色ができたので、微妙な色調が意のままに出せるようになった。
 影絵の原画は1メートル近い大きさのものをつくる。印刷効果は、実際に印刷される大きさの1.5倍ほどが一番いいと分かっているけれど、10倍くらいの大きさでつくる。
 影絵の美しさは、なんと言っても逆光の美しさにある。逆光にうつし出される黒いシルエットの妖しい美しさに魅せられて、もう35年になる(1983年)。
 赤を出すためには、赤のフィルターを貼るしかない。しかし、赤いフィルターを貼っただけでは、逆光の場合、100%色は出ない。赤のまわりを、赤の色が出しやすいようにつくってやらなければならない。赤を赤らしく美しく見せるということは、赤だけの問題ではなく、赤を引き立てる環境をつくってやることが一番大切なことだ。
 このように、影絵の世界は奥深く極まりない。
 メルヘンの世界にしばらく浸ってみるのも、頭の洗濯になっていいものです。気分がすっきりします。あなたも、ぜひ足を運んでみてください。
(2007年4月刊。1800円+税)

2013年10月 9日

読書について

著者  ショーペンハウアー 、 出版  光文社文庫

多読が病みつきになっている私には耳の痛い指摘のオンパレードの本です。でもでも、多読しているからこそ、こんな良書にも出会えたというわけです。
 著者はデカンショ節で有名な人物です。えっ、デカンショ節を知らないというのですか・・・。驚きました。痛み入ります。ほら、あの、デカンショ、つまり、デカルト・カント・ショウペンハウアーという哲学者三人の本を読んでいた戦前の高校生(今の大学生)たちの決めゼリフのことですよ・・・。
 本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ。たえず本を読んでいると、他人の考えがどんどん流れ込んでくる。
 多読に走ると、精神のしなやかさが奪われる。
 自分の考えをもちたくなければ、絶対確実な方法は、1分でも空き時間ができたら、すぐさま本を手にとることだ。
まさしく、私は1分でも空き時間ができたら、すぐに本を手にします。そのための本をカバンに常にしのばせているのです。
 あれこれ書き散らすと、ことごとく失敗するはめになる。学者、物知りとは物書きを読破した人のこと。
 本から読みとった他人の考えは、他人様(ひとさま)の食べのこし、見知らぬ客人の脱ぎ捨てた古着のようなものだ。本から読みとった他人の考えは、化石に痕をとどめる太古の植物のようなものだ。
 人生を読書についやし。本から知識をくみとった人は、たくさんの旅行案内書をながめて、その土地に詳しくなった人のようなものだ。
 ええーっ、そ、そうなんでしょうか。くやしいですよね。こんなに読書人がさげすまされるなんて・・・。
 読書は、自分で考えることの代わりであり、精神に材料を提供する。
 多読によって走るべきではない。少なくとも、読書のために、現実世界から目をそらすことがあってはならない。
 この点は、私も同じです。絶えず現実世界に身を置いて考え、実践しています。
誰だって、判断するより、むしろ信じたい。
 これが人間の本性なんですよね・・・。
どんなにすばらしい考えも、書きとめておかないと、忘れてしまい、取り返しがつかなくなる危険がある。だから、私は、すぐ身近にメモ用紙を置いています。車中にもメモとペンを置いていて、信号停止のあいだに素早くメモする要にしています。車中でひらめくことは多いのです。メモ用紙に最適なのは、カレンダーの裏紙です。いつも前月のカレンダーをはぎとると、カッターナイフを使ってメモ用紙にしています。その固さがメモするのにちょうどいいのです。
良書を読むための条件は悪書を読まないことだ。なにしろ人生は短く、時間とエネルギーには限りがあるのだから、悪書は知性を毒し、精神をそこなう。
 反省させられながらも、本を読み続けます。今年は今までに430冊を読みました。
(2013年5月刊。743円+税)

2013年9月30日

千曲川ワインバレー

著者  玉村 豊男 、 出版  集英社新書

日本でも、おいしいワインはとれるし、うまくいけば採算もとれるんだよという、うれしくなる本です。
 私は赤ワインが大好きです。今でも、気のおけない新しい友人と食事をしながら、大いに語らいながらなら、一人でワイン1本あけることは出来ると思います。(そんなことは、ほとんどしていませんが・・・)。たいていは、高価なワインをグラスで2杯、少しずつ味わって飲むようにしています。だって、酔っ払いたくはありません。本を読める頭は保っていたいのです。
 フランスに何回も行きましたので、ボルドー(サンテミリオン)、スルゴーニュ(ロマネ・コンティやボーヌなど)、そしてカオールにも行って、ワインを堪能しました。現地で飲むワインはテーブル・ワインをふくめて本当に美味しくいただけます。
 この本は、日本ワインのすばらしさを語っています。日本ワインは、ほとんど味わっていませんので、これから挑戦することにしてみましょう。
 著者が標高850メートルの信州の里山にワイン用ブドウの菌木を植えたのは、今から20年も前のこと。専門家から、この標高ではブドウは栽培は無理と言われた、素人の無謀な挑戦だった。
 ところが、醸造開始の2年後には、国産ワインコンクールで銀賞、5年後には最高金賞を受賞した。今では、毎年4万人以上の客が来る。
著者のヴィラデストは、上田盆地と千曲川の流れを眼下にし、はるか彼方に北アルプスの稜線をのぞむ丘の上にある。
 ヴィラデストとは、ここだ、ここにあるという意味のラテン語である。
 標高850メートルでは、寒過ぎて、積算温度が足りず、霜害や凍害にあう可能性が高い。そして、畑の土質はきわめて強い粘土質だった。千曲川の流域は、日本でも有数の少雨地帯。雨はブドウにとって大敵だ。
甘くておいしい食用のブドウは、ワインにすると、おいしいワインにはならない。ワインにしておいしいのは、粒が小さく、甘みも強いが、同じくらい酸味もある、複雑な味のするブドウ。ワインの場合、一本の樹につける房の数は、できるだけ少ないほうがよい。根が大地から吸った栄養を少ない数の房に集中させるのが、おいしいワインを生み出す秘訣だ。たくさんの房をつけた樹のブドウからつくるワインは味が薄くなってしまう。
 ワインづくりに人間が介在するのは3割。ワインの出来を左右する、あとの7割はブドウの質による。ワインブドウは、農地を借りてから収穫ができるまでに、5年間くらいは収入を見込めない。
 ワインぶどうの生産者価格は巨峰の半分ほど。しかし、巨峰と較べると、はるかに栽培の手間がかからない。ひとりで管理できる畑は倍以上の面積になる。単価が半分でも面積が倍になれば、収入は同じという計算になる。
 ワインぶどうは、きわめて環境適応能力の高い食物で、多様な気候に対応することができる。日本には日本でしかつくれないワインがある。
 コルクによって、少しずつ熟成していくというのは実は誤解。スクリューキャップのほうが、品質管理上も安心だし、衛生的。
 サンテミリオン(ボルドー)のワイン畑のなかにあるロッジのようなところに泊まったことがあります。時間がゆったり流れていくなかで、明るいうちから美味しい料理と赤ワインに舌鼓をうちました。いい思い出になりました。
 今度は信州の千曲川ワインバレーに行ってみましょう。
(2013年3月刊。760円+税)

2013年9月24日

リンパの科学

著者  加藤 征治 、 出版  講談社ブルーバックス新書

リンパとは、血管から周囲の組織に漏れ出た成分である「組織液」を吸収したもので細胞成分(主にリンパ球)と液体成分(リンパ漿)が生まれる。
 リンパ官系の源流は、組織液を吸収する毛細リンパ官である。
 心臓という「ポンプ」をもたないリンパ管では、からだの位置(重力)や姿勢によって、リンパ管周囲の筋肉などの組織が動くことにともなって受動的な管壁の収縮が生じ、くねるような蠕動(ぜんどう)運動をしたり、弁の開閉によってリンパが行ったり来たりする振り子運動などによって運ばれる。
 リンパは、リンパ節内でいろいろの生体反応を起こしながらも、やがて静脈に合流するまで流れ続けていく。リンパは、いくつもの細いリンパ管が合流した集合リンパ管に集められ最終的には血管に入って血液に戻る。
 リンパは血清に比べて、総タンパク量が少ない。リンパは分子量の低いアルブミンのほうが、グロブリンより60%多い。リンパのほうが、血液より粘土製が低く、さらさらで流れやすいため、ゆっくり流れていても循環できる。
 リンパ管を流れるリンパの中の血球をリンパ球と呼ぶ。
 リンパは、その大部分が液体成分であり、赤血球をほとんど含まないため、薄い黄色である。リンパの中にある血球は白血球であり、その大多数がリンパ球である。リンパが身体中を一周して元に戻るまでには、12時間かかる。リンパの流れを手助けするためには足首をぐるぐる回したり、ふくらはぎをもんだりするのが効果的。
 胸管やリンパ節の輸出リンパ管内のリンパは、免疫担当細胞である多数のリンパ球を含んでおり、全身をめぐって、局所の臓器における免疫反応に働いている。
 リンパ節から胸管に流れるリンパは、免疫反応を起こすための免疫担当細胞の供給という観点から欠くべからざる存在である。
 リンパ組織は、体内における警備室のようなところで、細胞や異物などの抗原が入ってくると、まず警備員として最前線で働くマクロファージ(大食細胞)がそれらを取り込み、その情報がリンパ球に伝えられる。細胞にとりこまれた抗原は、リンパ管内のリンパに乗って、近くのリンパ節に運ばれる。リンパ節内では、「免疫戦争」(抗原-抗体反応)が起こり、特異的な抗体(タンパク質)が産生される。そのときリンパ節の肥大(ぐりぐり)が確認できる。
 大切な人体内のリンパのことを知ることのできる本です。
(2013年6月刊。900円+税)

2013年8月12日

牛乳とタマゴの科学

著者  酒井 仙吉 、 出版  講談社ブルーバックス新書

母牛が乳を与えるのは自分の子牛のみで、血のつながりのない子牛には決して与えない。馬が後ろ脚をうしろにけるのと違って牛は前にける。だから、自分の子牛以外、たとえ人でも乳房に触れるのは容易ではなく、むしろ危険。はじめに子牛に乳を飲ませ、少し早めに親から引き離し、そのあと搾乳する。再び親牛に近づかないよう、子牛は親牛の前足につないでおく。
 キリスト教の創始者のキリスト、イスラム教の祖マホメット、仏教の開祖ブッタは、例外なく牛乳と乳製品を礼賛している。もともと日本本土に牛はいなかった。縄文時代の末期に大陸から運ばれてきた。
 大陸で起きた争乱などによって移住者がでて、日本に馬や牛、ブタ、ニワトリをもたらした。近江(滋賀県)では、農耕の役目を終えると肥えさせ食べたようだ。干し肉、粕漬け、味噌漬けにして、12月から1月にかけて江戸に運ばれた。これが近江牛。
牛乳の完全制は子牛にとってであって、人にとってではない。牛乳は乳児にとって母乳の代わりにはならない。
 有用菌とされる乳酸菌であっても、胃に入れると胃酸によって99.9%は胃で消滅する。
 哺乳類は、ブドウ糖を細胞に無害な乳糖に変えることで子に大量の炭水化物を与えている。子牛が乳を飲むのは1日に2回、ウサギは、1日に1回でしかない。
 人は生まれてすぐ母親の初乳から特別な物質を受けとる。そのため、初乳を飲んだ新生児は感染症をふくめて病気になる割合が格段に低い。初乳には病気を予防するという重要な役割がある。母牛の病気抵抗性が初乳によって子牛に伝えられる。しかし、初乳は出荷禁止。それは、殺菌のために加熱すると、免疫グロブリンが固まるので、市販できないから。
 ニワトリは、ヒナから人手で育ててもなつかない。ただし、無視もしない。ニワトリの性質は珍しい。人を恐れない。腹が減っても催促せず、こびもしない。とにかく雄は気位が高く、闘争心が旺盛。鳴き声は独特で、姿は美しい。自分でエサを探すので、飼う手間はかからない。カゴに入れてもおとなしい。寿命は10年以上。
ニワトリのタマゴが人の食用になるのは江戸時代から。江戸では、ゆで玉子が売られていた。1個50文(200円相当)だった。このころは、そば1杯16文だった。安くはない。江戸で、だし巻きタマゴは高級料理だった。一人あたりの年間消費量をみると、日本は主要先進国のなかで際立って多い。
 卵は、洗わなければ、2ヶ月は保有して生食が可能。本当でしょうか・・・。あまり試したくはありませんよね。
いまのニワトリはタマゴ生産機械と化している。体重2キログラムのニワトリが1年間で280個ほど(17~20キログラム)のタマゴを産む。
 産卵間隔は25時間。鶏舎では、14時間点灯、10時間消灯がやられている。
なぜ、ニワトリは年間280個で十分ではないのか・・・。なーるほど、これってちょっとしたギモンですよね。
牛乳を飲むと、お腹がゴロゴロいうのは、乳糖不耐症と呼ばれるものがあるからです。そして、日本人は過去、牛乳を利用していませんでしたので、日本人の大半は乳糖不耐症である。
 タマゴを食べると、高血圧や心筋梗塞になると騒がれた。これは、タマゴにとって、とんでもない濡れ衣だった。
 毎日の牛乳とタマゴの秘密に迫った面白くて、ためになる本でした。
(2013年5月刊。900円+税)
 妹尾河童原作の映画『少年H』をみました。
 とてもリアルに戦争の怖さが再現されていました。次第に市民生活が息苦しくなっていく様子、政府にタテつく者が突然逮捕されて、まるで不向きの人が兵隊にとられることの不幸がよく描けています。そして、戦争によってすべてを失い、虚脱感に陥り、そこから抜け出すことの大変さもしっかり伝わってきました。
 いま、安倍首相の言うなりに世の中が動いていくと、こうなるよという具体的なイメージもつかむことのできる素晴らしい映画です。ぜひ、ご覧ください。

2013年8月 5日

ボケたって、いいじゃない

著者   関口 祐加 、 出版  飛鳥新社

とても新鮮で、かつ、ショッキングな本でした。
 まず第一に、アルツハイマーになった実母の病態を実の娘が映像で記録して、映画館で上映される映画として完成させたということです。これって、本当にすごいことですよね。日頃から、親子のあいだで一定の距離感覚がなければ、とても考えつかないし、実行できなかったことでしょうね。
 第二に、自分のことが映画になったことを知ったアルツハイマーの母親の反応が衝撃的です。母親が何と言ったと思いますか・・・?
 「テレビに出ていたって、あんた、有名なの?」
 「なんか、わたすも一緒に出ているらしいんだよ」
 「へえ、ま、せいぜいあたすのネタで稼いでちょうだい」
 娘が自分のボケをネタに映画をとっていて、それで有名になってお金を稼いでいるのをアルツハイマーの母親が理解して、それを許し、娘とともに笑うのです。これって、すごいことですよね。とても信じられません。
 第三に、アルツハイマー病にかかるとは、どういうことかを知りました。
アルツハイマー病になると、その人の脳の働きが全部ダメになってしまうと思われがち。しかし、初期から中等度では、脳の働きが悪くなっているのは5%以下だけ。物忘れや判断など、ほんの一部だけ。残りの95%以上は正常な脳の働きができる。そこで喜んだり、戸惑ったり、怒ったりする。そこを忘れてしまうと正しいアプローチはできない。
 なーるほど、これは目からウロコが落ちた気がしました。
 アルツハイマーの初期は、本人もいったい何が起こっているのかが分からず、怖がっているのがヒシヒシと伝わってくる。一番怖いのは、本人なんだ・・・。自分が忘れてしまっていること、分からなくなってしまっていることは、本人も家族も認めたくない。認めるのが怖い。できないことを知られたくない。分からなくなることが怖いという思いが、外出から遠のかせている。
 一見すると明るい感じというのは、典型的なアルツハイマーの所見だ。そして、数字に強い。計算問題はできることが多い。
 そして、いままで抑えられていた喜怒哀楽が、認知症によってストレートに出るようになる。しつこくふつふつと胸の中でくすぶって消えなかった火種が、ついに発火した。ようやく認知症の力を借りて表に出てきた。本当は、母親は料理も商売も風呂も嫌いだった。ガリ勉で友だちもいなかった。そんな自分を押し殺して、隠して、一生けん命に生きてきた。それは認知症によって解放され、いいたいことを言い、やりたいことしかやらなくなった。
「うっせえなー!」は自由人になれた証拠なのである。
介護をしている人に一番必要なのは、精神の健全だと考える。たとえば、自分の好きな仕事や趣味を続けているとか、自分の時間をもつことがとても大切だ。そして、何よりも感受性を磨くこと、みずみずしい感受性と好奇心を保つこと。
 老化現象とは、イマジネーションがなくなっていくこと。
 すばらしい本です。あなたに一読を強くおすすめします。読んで損することは絶対にありません。だって、あなたも私も、いつかは到来する可能性のある身なのですから・・・。
(2013年6月刊。1333円+税)

2013年7月29日

赤ちゃん学を学ぶ人のために

著者 小西 行郎・遠藤 利彦 、 出版  世界思想社

ヒトの赤ちゃんを知るということは、人間を知るということです。
 赤ちゃんは、自ら動くことによって他者や周囲の環境を認知する。
 赤ちゃんの脳は、ムダなシナプスをバランスよく削りながら、成長する。このコンセプトは、何でもかんでも刺激すればするほど、脳は成長するという従来からあった考え方に警鐘を鳴らすものだ。
 赤ちゃん学のもっとも大きな成果は、まったく無力だと思われていた胎児期から新生児期(生後1ヶ月まで)・乳児期(生後1年まで)の赤ちゃんに、きわめてすぐれた能力があることを発見したことにある。
超音波によって、胎児が笑っているような表情を示していることが明らかになった。これは、生まれてきたときに親に愛情を喚起するための方法を準備している証拠ではないかと考えられている。
 新生児微笑というのは、皆さん、私を可愛がってね、というメッセージだそうです。なんと、それを胎児の段階から準備していたというのです。驚きました・・・。
 胎児の睡眠にも、レム睡眠、ノンレム睡眠がすでにある。視聴覚、味覚そして触覚は胎児期にすでに機能している。つまり、胎児は、音を弁別し、母親の声を学習している。赤ちゃんは「白紙の状態で生まれる」わけではない。
 赤ちゃん学の進歩は、何でもできない赤ちゃんという固定概念崩しただけでなく、むしろ大人(親)は、赤ちゃんによって育児されているのではないかという側面を明らかにした。
 赤ちゃんは、生後すぐに目にした母親の顔を記憶して、他人の顔と見分ける能力をもっているようだ。6ヶ月の赤ちゃんは、ヒトの顔でもサルの顔でも見分けることができる。
 赤ちゃんが人見知りするというのは、顔を見分ける能力が身についた証拠だ。
赤ちゃんは、生後すぐに自発的な微笑を示す。そして、生後6~7週間たつと、赤ちゃんは社会的な微笑をあらわす。
 赤ちゃんは、眠っているあいだに身体の中で、あちこちでいろんな活動をすすめている。全身の細胞が点検され、修理され、新しくつくられている。寝る子は育つ。このたとえのように、ぐっすり眠っている間に、成長ホルモンがまとめて分泌されるからである。
 赤ちゃん学の参考文献がたくさん紹介されています。
 人間の不思議さを究明したい人にとって、よい手引き書となっています。
(2012年10月刊。2400円+税)

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