弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2015年9月28日

骨が語る日本人の歴史

(霧山昴)
著者 片山 一道   出版 ちくま新書
 
日本人とは何者なのか。アイヌ民族と同じように、琉球民族というものが存在するのか、、、。
骨考古学の知見から日本人を解明した、画期的な新書です。
現代日本人は、身体特徴に限ってみても、日本人の歴史のなかでは突飛すぎる存在である。背が異常に高く、顔が小さく、顎(あご)が細く、脚が長く、足が大きい。これは、日本列島の人々の歴史においてはすばらしいのだが、それも、ここ70年ばかりの現象でしかない。
では、江戸時代の日本人は、どんな身体をしていたのか、、、。男性の身長は166~149センチ。女性は152~136センチ。江戸時代の日本人の背丈の低さは記録的だった。
大顔で、大頭、長頭、寸詰まりの丸顔の人が多かった。
江戸時代の人々は、鉛汚染による健康被害に悩んでいた。鉛白粉(おしろい)によるもの。そして、虫歯が多く、梅毒も流行していた。
乳児の死亡率は14%と高いけれど、55歳にまで達していたら、70歳までの寿命があった。
明石原人、高森原人、葛生原人、牛川人。いずれも、今では虚像とされている。
沖縄本島で発見された港川人は、琉球諸島に限定された人々と考えられている。
日本列島に住んでいた縄文人の起源を東南アジア方面に限定する説は、もはや了解事項ではない。
縄文人は、骨格が全体に骨太で、頑丈である。頭骨は、さながら鬼瓦の風情である。
縄文人は、短軀、下半身型でがっしりとした体型、大顔で大頭のユニークな顔立ち。豆タンク型だ。縄文人は、鼻と顎が特徴的。平均身長は、男性158センチ、女性147センチ。
日本人の歴史における平均身長は、男性で160センチ内外だった。縄文人の歯には、抜歯と研歯の風習があった。
縄文時代は1万年と長い。それに比して、弥生時代は700年ほどと短い。
弥生時代よりも、次の古墳時代のほうが、多く存在したのかもしれない。
日本人の歴史では、古墳時代のころまでは「中頭型」だった。鎌倉時代から江戸時代にかけて「長頭型」が多くなる。そして、明治以降、だんだん短頭化し、戦後は、「過短頭型」の人が大半を占めるようになっている。
日本列島に、北から西から少数の人々が流れて来た。それらの人間が長い時間をかけて風土マッチしながら、練金術師がブレンド・ウィスキーを溶けあわせるように混合融合し、独特の身体特徴をした縄文人が生まれていった。
弥生時代には、朝鮮半島を平穏な海路が開けていた。だから、多くの人々が行き来していた。いつも渡来人はいたし、中世の倭寇のころまで、渡来人はいただろう。
縄文人が雲散霧消して、弥生時代の渡来人に総入れ替えしたというものではない。
琉球諸島に住む人々は、文化基盤は違うものの、身体特徴は本州域の日本人と大差ない。言語は、日本語の流れにある。アイヌとは、事情を異にしている。
日本人を骨考古学の立場から、じっくり観察していますので、納得できる内容になっています。
(2015年7月刊。820円+税)
 

2015年8月31日

感じて歩く

(霧山昴)
著者  三宮 麻由子 、 出版  岩波書店

 シーンレスは著者の造語で、全盲という意味です。風景がないということです。
 「視覚障がい」とか「全盲」というマイナスイメージの強い言葉を使わずに、ただ目の前に視覚的な風景がないという事実だけを表現する。
 シーンレスになると、歩くと物にぶつかる現実に直面する。
 プラットホーム上では、シーンレスは極限の緊張状態にある。「欄干のない橋」とか「柵のない断崖」という表現は決して誇張ではない。
 シーンレスの3人に2人は転落経験があり、残りの3人に1人も、いつ3人に2人の側に行ってもおかしくない。鉄道、プラットホームに置いてシーンレスがさらされている命の危険が現実に恐ろしい結果となる確率は、健常者とは比較にならない次元で高い。
 シーンレスにとって、杖は命の次に大切な宝物だ。杖は世界への案内者になる。
 ときどき、道で自転車や車と接触して杖を折られることがある。杖を折られるのは、持ち主を命の危険にさらすこと。
 人より気をつけていても衝突が避けられないのがシーンレスである。白い杖は、そのことを知らせる目印である。
 白杖を折られ、地面との糸電話を断ち切られたら、シーンレスは一歩も歩けない。
 白い杖は単なる道具ではなく、使う人の身体の一部なのだ。
シーンレスにとって、曲線や斜めの角度をふくむ空間認識は歩行のなかでも最難関である。
 自立とは、自己決定できることであって、「ひとりでできる」ことではない。
全盲の女性が社会的に活躍していける時代にはなりました。しかし、シーンレスの人々にとって、やるべきことはこれからもますます多いようです。ぜひ今後とも元気にがんばってください。
(2012年6月刊。1800円+税)

2015年8月17日

羽生善治・闘う頭脳

(霧山昴)
著者  羽生 善治 、 出版  文春ムック

 私は囲碁も将棋もやりませんし、出来ません。それでも、名人の話は聞いてみたいと思って読んでみました。さすが名人の語りには学ばされます。
スケジュール調整は半年先まで進めている。しかし、将棋の戦術的な面は、日進月歩、ほんの2週間くらいで更新されて進化していくので、数ヶ月先の大局をいま考えても仕方のないこと。
ええっ、そ、そうなんですか・・・。日進月歩とは、恐れ入りました。
 30年間、ずっと棋士を続けてきた理由は、将棋の全容を少しでも解明したいから。
 将棋の局面の可能性は、10の220乗通りもある。そのうち、この目で見ることができるのは、0.1%もない。
 将棋の戦術の「賞味期限」は、かなり短くなっている。昔のように独自の研究成果を秘密兵器として、ここ一番の大局にぶつけてやろうというやり方は、今では不可能に近い。
 「今日は長くなりそうだな」くらいの心持ちで、先のことを考えずに自然にたたかっていると、時間のたつのを忘れていて、気がつくと夜中になっていたということがある。時間を忘れるくらい、集中できていること。
先のことを思い悩まない、深く考えすぎないということが、将棋の場合、集中力を高めるために、とくに大切だ。
 勝負にミスはつきもの。そう覚悟して、ミスを少なくするように努力していくしかない。
局面を「読む力」は、若いころのほうがあった。しかし、「読まない力」「大局観」は経験を経るごとについてきている気がする。
 勝負を決めているのは、実は、知識でも頭の回転でもなく、最後は「負けたくない」と思う気合いや、努力しても勝ちに恵まれないときにも持ちこたえる根性といった、泥臭い能力が大きい。
 一回の大局で、水を2リットルくらい飲む。
 日本の将棋の今のルールは、江戸幕府ができたころに確定した。
 「持ち駒の再利用」というのは、世界のどこにも例をみない、日本の大発明。
 今のコンピュータ将棋は、人間の指す将棋とは明らかに異質。棋譜を見たら、人間が指しているのか、コンピュータが指しているのか、すぐに分かる。それは、将棋という一つの題材に対するアプローチの仕方がまったく違うから。
 すごいですね、さすがは名人ですね、コンピュータ将棋がどうかすぐに分かるだなんて・・・。
(2015年3月刊。1000円+税)

 お盆休み、久しぶりに大雨が降りました。庭の手入れができます。コチコチに固まっていた土を掘り起こします。午後、まだ陽は高く、熱中症にならないように用心しながら、なるべく深く掘り上げ、そこにコンポストの枯草や生ゴミ(EM菌をふりかけているので臭いはしません)を埋め込むのです。
 いつにもなく、ヒヨドリがすぐ身近にやってきて、うるさく鳴いています。目の前の枝に止まったヒヨドリは口にエサの虫をくわえています。スモークツリーの木をヒヨドリが2羽しきりに、甲高く鳴きかわしながら、ぐるぐる2羽ともまわっています。今ごろが交尾の時季なのかな。求愛ディスプレイなのだろうか。
 枯れ草投入をしばし中断し、椅子に腰かけて眺めていました。それでも、2羽のヒヨドリはうるさく鳴き、せわしく木の枝を縫うようにして飛びかっています。求愛ダンスには長すぎるな・・・。
 しびれを切らして穴掘り、枯れ草埋めを再開します。
 娘が庭に顔を出して、スモークツリーの木の上のほうにヒヨドリの巣があるのを発見しました。初めてのことです。たしかに、葉にかくれるようにして巣がありました。
 巣があるのに、ヒヨドリが騒いでいる。まさか・・・。

2015年8月10日

パティシエ世界一

                       (霧山昴)
著者  辻口 博啓・浅妻 千映子 、 出版  PHP文庫

 いちど、私も自由が丘のお菓子屋さんに行ってみたいと思います。
 今から40年以上も前、私が大学生だったころ、東横線の自由が丘駅周辺は完全な住宅街で、寂しい雰囲気でした・・・。
 和菓子屋の息子として育った著者は、今やフランス菓子の世界的な第一人者です。
 世界的なお菓子のコンクールで何回も優勝しています。たいしたものです。
 コンクールに強いのは、食べていくため、成り上がるため、生活をつかみとるため、そういう明確な目的をもって取り組んできたから。「餓える」ことが、どんなに恐ろしいことか身をもって分かっていたから、必死だった。
 さすがに、第一人者は材料をよく選んでいます。
 つかっている卵は、秋田の比内鶏が産んだもの。
 バニラビーンズは、タヒチ産。牛乳は、低温殺菌。
 頭のなかにあるのは、基本的にお菓子だけ。お菓子づくりは仕事であると同時に、趣味でもあるし、遊びでもある。何を見ても、何を話しても、お菓子に結び付いてしまう。
 自由が丘に店を構える前、日本に帰ってから一文なしになっていたところ、スポンサーになってくれた女性から、1億5000万円を渡された。
 「これで、自分のつくりたいものがつくれる店をやってごらんなさい」
 すごい人が、世の中には、いるものなんですね・・・。今では、自由が丘駅から、この「モンサンクレーム」まで、人通りが絶えないというのです。
店で好きな菓子を選びたいんだったら、台風が直撃していたり、大雨のときに来店するようにすすめています。いやはや、すごいことです・・・。
店の面積は53坪。そのうち厨房が半分を占める。厨房のデザインは自分で手がけた。涼しいこと。2台の強力エアコンを入れた。そして乾燥厨房にした。床をホースで水をまかず、モップで拭いて汚れをとれるようにした。
 スタッフ同士はテーブルをはさんで対面で仕事をする。客は、半円形の窓から厨房でパティシエが働いている姿を見ることができる。
 毎朝、9時半にミーティングをする。15分から30分間。
 厨房のなかではムダなおしゃべりはなく、緊張した空気。
 スタッフの男女比は半々。
 さすが一流のパティシエの言うことは違います。フランス料理の楽しみの一つが、色と形と味の良さで驚嘆させるデザートです。
 ぜひぜひ、いちど、食べてみたいものです、著者のケーキを・・・。
(2015年4月刊。640円+税)

2015年8月 7日

穏やかな死に医療はいらない

                                (霧山昴)
著者  萬田 緑平 、 出版  朝日新書

 医師や病院に任せきりにしている限り、自分らしい最期を迎えることはできない。自分らしく死にたいと思ったら、病院を出て自宅に帰るのが一番。
 外科医だった医師が、今では在宅緩和ケア医に転身して5年の経験をふまえて、このように断言しています。なるほど、なるほど、そう思いながら一気に読みすすめました。
治療を諦めるのではない。治療をやめて自分らしく生きる。治療をやめることで、穏やかに、自分らしく生き抜いて、死ぬことができる。もちろん、治る病気は治したほうがいい。
著者は43歳のとき、それまでの外科医から在宅から、在宅緩和ケア医へ転身しました。
食べることが苦痛だったら、それは食べないでくれという身体のサイン。上手にやせていくのがいい。亡くなる直前まで歩いている人は、やせてがりがりの身体になれた人たち。
 上手にやせていき、そのまま「老衰モード」にもちこめたら、なお、あっぱれ。
ほとんどの医療者は、自分や自分の家族なら胃ろうはしないと考えている。胃ろうを安易にしてはいけない。場合によっては、途中でやめることも必要。
 高齢になったら、安易に病院に行かないことを勧める。年寄りが入院すると、体力、筋力、ものを飲み込む力があっという間に奪われてしまう。
発熱しても、時期が来れば自然に下がることは多い。本人が食べないときには、「栄養のため」といって、無理に食べさせないこと。無理に食べさせずに我慢していると、また食べられるようになるもの。
抗がん剤治療は、がんとの戦いというよりも副作用との戦い。身体中に毒ガスをまくようなもので、がんだけでなく正常な細胞もやっつけてしまい、患者の身体は激しいダメージを受ける。
 抗がん剤の治療を受けて1~3ヶ月後の効果判定で効果が少なければ、さっさとやめたほうがいい。抗がん剤は、治療中止のタイミングがよければ、最大の延命効果がある。
 具体的な余命の数字を言うことはない。それは非常にむずしいことだし、患者がそれを知って、ひとつもいいことはない。むしろ、ウソをつかないで、状況を悟ってもらうことのほうが大切。
とても実践的な本だと思いました。私も、がんになったときには、抗がん剤で、あまり苦しみたくはないと考えています。といっても、悟りきれずに、じたばたするのかもしれませんが・・・。その可能性は、大です。
 がんに関心のある人に、広く一読をおすすめします。
(2015年2月刊。760円+税)

2015年7月27日

現実を生きるサル、空想を語るヒト

                              (霧山昴)
著者  トーマス・ズデンドルフ 、 出版  白揚社

 霊長類にとって、他者をじっと見るのは脅しのジェスチャーであることが多い。霊長類は、たいてい視線を合わせることを避ける。
チンパンジーの目には白目がない。人間の目は視線の方向を伝える。自分がどこを眺めるのかはっきりと表に出し、他者がどこを見ているのかを読む。霊長類は、視線の方向をカムフラージュしている。
 模倣は、正常な社会的発達と認知発達にとって欠かせない。
 人間は、しばしば知らないうちに、互いをまねる。相手の姿勢や動き、話し方を無意識のうちにまねる傾向がある。教育は模倣を裏返しにしたもの。
チンパンジーは、団結もし、争いがあれば、相互に助けあう。このような連帯が、チンパンジーの政治的闘争の基盤となっている。
人間と同じように、チンパンジーは、自分を助けてくれた者のほうをよく助ける。チンパンジーは、誰と協力するのが一番いいのかを知っている。
 チンパンジーは、表情で他者に合図したり、他者から何かをせびったり、服従や優越性を示したり、仲直りを求めたりする。
 心のなかでシナリオを構築する能力は、人間では2歳から急激に発達する。
 人間の子どもは、起きているあいだのかなりの時間を費やして空想して遊ぶ。子どもたちは、人形などをつかいながら、シナリオを思い描いて飽きもせずに、それをくり返す。
 思考とは、根本的に、行動や知覚を想像することである。
 子どもは、遊びのなかで仮説を試し、数々の可能性を検討し、因果推論をする。
 子どもは心のなかでシミュレーションすることを学ぶ。要するに、考えることを学ぶのである。
 他者を楽しませるヒトは、性選択で有利な傾向がある。芸術家や俳優・音楽家には、人を楽しませるのではないタイプの人に比べてパートナーが多くいることが多い。
 人間とは何者なのかを、サルやチンパンジーなどと対比させながら考えていった本です。
(2015年1月刊。2700円+税)

2015年7月18日

楽しく生きる

                              (霧山昴)
著者  藤野 高明 、 出版  かもがわ出版

 戦後まもなく、小学2年生の夏、弟と一緒に不発弾と知らず扱って遊んでいたとき、爆発して弟は即死、自分は両手と両眼を失ったのです。7歳でした。両手がなくては点字を読めないということで、盲学校にも入れなかったのです。20歳になるまでの13年間、何の教育も受けられませんでした。
 両手がなくても点字は読める。どうやって・・・?
 口、そう手の代わりに唇をつかって点字を読むのです。もちろん、すぐには読めませんでした。でも、慣れたら、唇で点字が読めるのです。といっても、手よりも遅いし疲れます。それでも藤野さんは読みました。ついに20歳で、大阪の盲学校に入学を認められました。
 福岡出身ですが、残念なことに福岡では拒否されました。大阪の盲学校では、福岡まで出張してきて面接し、入学が認められたのです。すごいことですね、よかったですね・・・。
 藤野さんは、20歳で盲学校の中学2年生に入り、それから猛勉強し、高等部を卒業して大学の通信教育部に入り、教員の資格をとって、今度は盲学校で教える側にまわりました。全国初めて、両手・両眼のない教師です。
 今、76歳になる藤野さんは生まれてきて良かった、生きてきて良かったと心から言えます。それは、この人生を楽しく感じられたからです。楽しさの源泉の第一は、人とのつながりにある。第二は、人生に目的ロマンをもつこと。第三に、好奇心とチャレンジ精神をもち続けること。
 藤野さんは、盲学校で30年間、社会科の教員をしてきました。主として世界史を担当しまいた。今でも、センター試験の世界史Bの問題を解いているそうです。
 そして、将棋を指すのも楽しみです。頭のなかに盤上の駒が鮮明に見えるのです。
 これまた、すごいことですよね。楽しみでやっているわけですが、やはり負けると、かなりくやしいそうです。
 大切なことは、見えることだけが人生じゃないということ。障害を受容する。あるがままの自分を受け入れて生きるのは、なかなか難しいけれど、とても大切なこと。
 人間らしく、しっかり生きる術を人間は持っている。一人でできなかったら、家族や友だちが助けてくれる。
 藤野さんは、障害者である前に、当然のことながら一人の市民であり、働き手であり、普通の人間なのです。
 藤野さんが18歳のころ、このころは盲学校にも行っていません。21歳になる看護実習生が、一冊の本をくれたのです。ハンセン病で苦しんだ人が唇で点字を読んだことも書かれている本(『命の初夜』)です。それから、藤野さんも唇で点字を読むようになったのでした。
点字を覚えることによって、新しい人生が開けてきたのを感じた。
 唇で点字を読むと疲れる。どんなにしっかり読んでも、1時間に30頁にもならない。
 唇で読むというのは、身体を倒して首を点字に沿わせるようにするから、肩がこり、首がこる。とても疲れてしまう。そして、唇で読むから、不特定多数の人の手を触れた図書館の本は、衛生上、読めない。
 両手先がなく、両目とも見えない藤野さんですが、将棋を指し、プロ野球を楽しみ、音楽に浸って、人生を大いに楽しんでいるのです。両目が見えているのに、社会の現実を見ようとしないなんて、実にもったいないことですよね・・・。
 本当に心あたたまる、いい本でした。ちょっと、このごろ疲れたなあ・・・、と思っているあなたに、おすすめの一冊です。いつのまにか元気が静かに湧いてきますよ。藤野さん、引き続き、お元気で、人生を楽しんでくださいね。
(2015年3月刊。1500円+税)

2015年7月 7日

子どもは、みんな問題児

                              (霧山昴)
著者  中川 季枝子 、 出版  新潮社

 絵本「ぐりとぐら」は、うちの子どもたちに大好評でしたし、私も大好きでしたので、何度も何度も読み聞かせました。子どもを膝の上に乗せて絵本を読んでいるときは、人生の至福のひとときだと思います。
 著者は、保育園で主任保母として働いていました。絵本も、その体験をふまえて生まれたのでした。それでも納得のいく絵本は、そんなにつくれなかったというのです。やっぱり、何事も簡単なことではないのですね・・・。
 子どもの時代というのは、大変なもの。実にきびしい。何をやるにも一生けん命なので、欲ばる子は、欲ばって欲ばって、欲ばる。本当に、いつも全力で生きている。そんな子どもたちをみていると、自分がもう一度、子どもになりたいと思わない。
 大人はウソをつけるし、いい加減なことも言えるし、ごまかすこともできる。なんて気楽なことか・・・。だから、子どもは偉いものだと、いつも感心している。
 実は、私も同感なのです。私は子ども時代には戻りたくありません。私が戻りたいと思う時代は、大学1年生と2年生の2年間だけです。不安でいっぱいでしたが、まだ将来を考えるゆとりが少しはあったからです・・・。3年生からは将来への不安が強くなり、戻りたくはありません。高校生よりも前にも戻りたくありません。
子どもは、お母さんが大好き。ナンバーワンは、お母さん。ナンバーツーはお父さん、スリーがおじいちゃんとおばあちゃん。保育者はナンバーフォー以下。
 男の子は、お母さん、べったり。保育園で子どもを注意するとき、「そんなことをしたら、お母さんが悲しむでしょう」というのが、一番効果がある。子どもにとって、自分の大好きな人を悲しませるわけにはいかない。
 遊びは、子どもの自治の世界なので、大人は無神経に踏み込んではいけない。しかし、子どもから決して目を離してはいけない。常に全神経を子どもに向ける。
保育園の魅力は、家庭では味わえない、もっと大がかりな遊び場があること、そして、知恵も体力も対等な同年齢の子どもがいること。
 子どもは人に関心をもつことが大切だ。子どもは、常に成長したがっている。まさに、全身これ成長願望のかたまりである。
 子育てはスリル満点で、だからこそ面白い。
 子どもをバカにしないこと、バカにされないこと。私は私、子どもは子ども。ひとりの個人として付き合うことも必要で、無理して子どもに合わせることはない。
 著者の「いやいやえん」も、私は大好きでした。子どもが大きくなって絵本を読む機会がなくなってしまったのが残念です。
(2015年4月刊。1000円+税)

2015年7月 6日

わが盲想

                                (霧山昴)
著者  モハメド・オマル・アブティン 、 出版  ポプラ文庫

 アフリカはスーダンから19歳のときに日本へやって来た盲目の青年の哀しくも面白い奮闘記です。
 私の娘も、突然、弱視になって盲学校に在学中ですので、目が見えないことの不便さをしのびながら読みました。
 それにしても、底抜けの楽天性であるので、まるで漫談を読んでいるように気楽に読める本です。じめじめした暗さがのないのが救いです。
 著者は、今37歳。19歳の時に日本に来たので、もう20年近く日本にいるから、もちろん日本語はぺらぺらだ。それも、おやじギャグがうまい。
 本をつくるには、視覚障害者向けに、音声読み上げソフトがついたパソコンを使う。イヤホンをつけてキーボードを打つと、打った文字を機会が読み上げてくれる。漢字変換するにしても、「ごとう」と打って変換キーを押すと、「前後の後」、「藤の花のフジ」と機会が言うので、正しい漢字が読みあげられたときにエンターキーを押す。このように、すべて音声による作業である。
 著者が日本に来たのは1998年1月のこと。東京は雪景色だったから、寒さに震えてしまった。そして初めて食べた日本食はカレーライス。あっという間に三杯をたいらげた。
 スーダンでも、イスラムの世界ではどこでも、自分の裸を他人に見せてはいけない規則がある。だから、公衆浴場は困る。そうなんですか・・・。
 福井県で勉強を初め、こてこての福井弁になじんだようです。
 「スーダンって、どこにあるのですか?」
 「ヨルダンという国があるでしょ。その隣にヒルダンがあって、その真ん中にアサダンとスーダンがあるんです」
 これって生真面目な人が聞いたら、本気にしてしまいますよね。
 著者はスーダンの女性と結婚することが出来ました。その女性が示した条件は二つ。
 お酒を飲んでいませんか?
 お祈りをしていますか?
 スーダンでは、酒飲みは社会的信用は低い。実は、著者は日本に来て、お酒を飲んでいた時期があったのです。でも、お酒はやめていたので、飲んでいないと即答することができたのです。偉い!
 スーダンでは、結婚する前に、新郎と新婦の家族が、それぞれ相手の家族について調べる習慣がある。近所の評判とか、両親の職場での評判を聞いて、家族同士のつきあいができるかどうか判断するのだ。こうして、著者はたった1ヶ月前に電話で知りあった女性と結婚した。スーダンでは、あることだが、日本では口が裂けても話せない。
 スーダンの伝統的結婚儀礼では女性しか出席しない。それぞれ女性が50人ずつ集まった。新婦は新郎に向かって牛乳を口にふくむと、遠慮なく吹っかけた。
 『恋するソマリア』を書いた高野秀行氏が著者の友人とのことで、最後に二人の対談ものっています。
 お寿司が大好きな盲目のスーダン人です。こうやって人間の輪が広がっていくのって、いいですよね・・・。これこそ、まさに積極的な平和主義の実践だと思いました
(2015年2月刊。640円+税)

2015年7月 5日

無人島に生きる七六人

                               (霧山昴)
著者  須川 邦彦 、 出版  新潮文庫

 明治32年4月から12月まで、太平洋の真只中で、日本人船員16人が遭難したあと無人島にたどり着いて全員が無事に日本に帰り着いたという実話です。
 明治の日本の男たちは、実にたくましいと驚嘆しました。
 私が何より感嘆したのは、16人の男たちが守り通した「四つのきまり」です。
 一つ、島で手にはいるもので、暮らしていく。
 二つ、出来ない相談を言わない。
 三つ、規律正しい生活をする。
 四つ、愉快な生活を心がける。
 無人島に生活するに当たっての誓いです。最後の四つがいいですね、笑いを忘れないようにしたのです。
 そして、勉強もしたというのですから、本当に偉い人たちです。
 船の運用術、航海術の授業。数学と作文の授業もある。習字は、砂の上に木を削った細い棒の筆で書く。石板の代わりにシャベルを使い、石筆にはウニの針を使う。漢字と英会話、英作文もある。
 一日の仕事がすんで、夕方になると総員の運動が始まる。相撲、綱引き、ぼう押し、水泳、島のまわりを駆け足でまわる。それから海のお風呂に入って、そのあと夕食。規則正しく、毎日これを繰り返す。月夜には、夜になってすもうをとる。そのために立派な土俵をつくった。
 夕食後には、唱歌。詩吟も流行した。
 雨の日は、みんなほがらかに、にこにこした。雨水は、飲用水になる。午後から茶話会をし、おやつを食べた。米のおかゆを雨水でつくって食べる。実に美味しい。
 余興の隠し芸を披露して、おなかの皮をよじって大笑いする。ウミガメ(正覚坊)の卵はうまい。そして、海藻を食べているから、肉も美味しい。
 無人島にいるとき、ぽかんと手をあけて、ぶらぶら遊んでいるのが、一番いけないこと。
 16人は、順番に、まわりもちに決めた。見張り、炊事、たきぎ集め、まき割り、魚とり、ウミガメ(正覚坊)の牧場当番、塩づくり、宿舎掃除せいとん、万年灯、雑業・・・。
これらの仕事は、どれも自分たちが生き延びるためには、ぜひやらなければいけない仕事だ。みんな熱心に自分の仕事に励んだ。
 涙の出てくるほど、美しく、たくましい和装「ロビンソン・クルーソー」集団の話です。
 実話なので、感慨深いものがあります。ちょっと疲れ気味だと感じているあなたにご一読をおすすめします。私の生まれる直前、昭和23年6月10日の本が復刊したものです。
(2010年6月刊。430円+税)

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