弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2016年11月14日

へんろみち

(霧山昴)
著者 あいち あきら、 出版  編集工房ノア

四国遍路というと、ロマンを感じますが、現実はかなりの難行苦行のようです。お遍路さんとして歩いた体験が、よくぞここまでと思うほど刻明に再現されています。
もちろん、道々に記録していたのではないでしょう。かといって宿に入ってからも、詳しい日記をつける余裕があったとは、とても思えません。いったい、この道中記はいつ、どうやって書かれたのでしょうか・・・。
お遍路さんといえば、私が親しい仲間と一緒に貸切バスに乗って四国路を走っていると、なんと菅直人元首相が歩いているのを目撃しました。同行取材を受けていたので、遠くから見て気がつきました。3.11の直後、原発から完全撤退しようとする東電に激怒したということですが、私は真実なのではないかと考えています。
テクテク歩いていると、慣れないものだから足がひきつってくる、足の指にマメが出来て、血が出てくる。まあ、いろんな身体の不具合いにとらわれます。
山の嵐にさらされながら急な坂をおりていく。厚くふり積もった落ち葉の道。雨水を吸いこんで、すべりやすい。気をつけようと思ったそのとき、木の根っこを踏んでしまった。ツルリと足がすべって、体がふわりと浮き上がり斜面に落下してドスンと尻もちをついた。左の腰と右ひじをしたたか打った。声が出ないくらい痛くて唸った。すぐには立ち上がれず、斜面にへたり込んで、じっと痛みをこらえた。ようやく参道に戻ると、お遍路の団体がやってきた。先頭を歩く先達さんが声をかけてきた。
先達さんは、お遍路の案内人で、四国を何周もしたことのある経験と知識のある人がつとめている。その資格を得るのは容易ではない。
先達さんが言った。
「あなた、それは良かった」
「それは、泥に汚れたのではなくて、神の峯の泥にお清めされたのですよ」
「泥だらけになって良かったのですよ・・・」
何事も、考えようなのですよね・・・。著者は私と同じ団塊世代です。これは、5年前の5月から6月にかけて、四国88ヶ所巡礼、49日間を歩き通した苦闘の体験記なのです。すごいです。
札所にお参りすることを「打つ」という。巷のへんろは、小さな木の札に名前、出身地、願いごとを記し、札所のお堂に木釘で札を打ちつけていった。札所を「打つ」というのは、その名残だ。今は、木の札に代わって紙の「納め札」をお堂に置かれた箱に納めていく。
橋を渡るとときに杖をついてはいけない。橋の下でお大師さんが休んでずられると、礼を失するから。歩き遍路のルールだ。カンカンと杖をつく音がいけない。
お接待を受けるにも作法(ルール)がある。お接待してくれた方には「納め札」に名前や住所を書いて手渡し、手を合わせる。これが礼儀だ。
四国88ヶ所の遍路みちは、総距離1270キロ。昔から、1200年も前から続いている。
著者は、両足に17個のマメをつくった。足をひきずり、顔をしかめながら、ともかく歩き通したのです。えらいですね。私にはとても出来そうもありません。無理です。この本を読んで、歩いた気分に浸るだけにしておきます。
(2016年8月刊。1800円+税)

2016年11月 7日

海ちゃんの天気、今日は晴れ

(霧山昴)
著者 大和久 勝、 出版  山岡 小麦  クリエイツかもがわ

発達障害の子どもは、どんな状況にあるのか、その子を受けいれたときにはどう対応したらよいのか、絵(マンガ)で示され、親切な解説がありますので、門外漢の私にも状況がよく分かりました(もちろん、本当のことは分かっていないのでしょうが、その大変な状況を推測する手がかりは得られました)。
海田(かいた)くんは発達障害の子です。小学3年生。
ADHDとアスペルガーの診断を受けています。
学校で気にいらない状況に直面すると、すぐにキレてしまいます。
友だちのシャツをバケツに入れたり、叩いたり、みんなと別に一人で紙ヒコーキを飛ばしていたり、教師はなにかと大変です。
海(かい)くんは、すごいこだわりがあります。
子どもの行動には、わけがある。そのわけが分からなくても、抱きしめたり、うなずいたりして、困惑や苦悩を受けとめるようにする。どんな行動にも理由があると考えて、子どもと対話をする。その聴きとる姿勢が子どもの心を開いていく。
暴力をふるったり、キレたり、パニックを起こしたりするのは、困っていることの訴え、叫びなのだ。このことを理解するには、一定の時間が必要。自分の感情や行動を自分で思うようにコントロールできない苦しさが子どもにはある。
発達障害の傾向の子は、安心した居場所がもちにくく、活躍して認められる出番がないなど、自己肯定感や自信がもてない子が多い。
発達障害といっても、実は発達上のアンバランスだということ。それは障害というより、特性や個性として見ることができる。そのためには、周囲の理解が何より大切だ。
とてもよく出来たマンガでした。大変さと希望がズンズン伝わってくるマンガです。
(2012年4月刊。1500円+税)

2016年9月11日

強父論

(霧山昴)
著者  阿川 佐和子 、 出版  文芸春秋

書かれている文字どおり読んだら、それこそとんでもない父親ですよね・・・。なにしろ、テレビを見ていても、何をするにしても、「女はバカだ。だからダメなんだ」なんて口癖のように言っていたというのですから。
でも、本当に、そういう親子関係なのかなと、モノカキ志向の私は大いに疑っています。これはサワコー流の父親礼賛(れいさん、ではなく、らいさん)じゃないのかな・・・。
というのは、表紙の写真です。
3歳くらいのサワコが、にこやかにほほえんでいる「怖い父親」に抱っこされて幸せそうな様子と、今のサワコの笑顔は、まるで同じなのです。
いじめ、いじめで、こんな素敵な笑顔の美人になれるはずがないと私は思うのです。
そして、遠藤周作、壇一雄、北杜夫の家庭が、それぞれ
「嘘つけ、冗談じゃない。娘までおかしくなってきたぞ。もう疲れた。オレは帰る」
「あいつらより、俺はずっとマシ」
と言っていた。
そうなんですよね。世の中には、うちよりもっとひどい暴君の父親がいる。それで、親も子どもも、じっとガマンしているということがあるのです。
まあ、笑いながら気楽に読める、ちょっと変わった父親論として、おすすめします。
(2016年7月刊。1300円+税)

2016年8月31日

姉・米原万理


(霧山昴)
著者  井上 ユリ 、 出版  文芸春秋

 私は米原万里のファンです。彼女の本のすべてとは言いませんが、かなり読みました。
 毒舌に近い、舌鋒鋭い文章に何度となくしびれました。私よりいくらか年下ですが、尊敬していました。まだ56歳という若さでなくなってしまったのが残念でなりません。本人も本当に心残りだったと思います。
 ロシア語通訳として「荒稼ぎ」もして、「グラスノチス御殿」を建てて鎌倉にすんでいたようです。結婚願望がなかったわけでないようですが、「終生、ヒトのオスは飼わな」かったというのも、男の一人としてなんとなく分かる気がしています。
 妹から見た姉・万里の実像が惜しげもなく紹介されていますので、読みごたえがありました。父親の米原いたるは鳥取の素封家に生まれ、共産党の代議士にもなった大人物です。 
両親とともにチェコに渡って苦労した話から始まります。両親は、どちらもかなりおおらかな人柄で、娘たちを伸び伸び、自由奔放に育てたようです。
 米原家は、みんな大食い、早食いだったとのことです。そして、食べ物に目がなく、食べ物を愛したようです。料理研究家である著者は、まさしく、その趣向を一生の職業としたわけです。
 タルタルステーキの話が出てきます。私が初めてフランスに行ったとき、マルセイユで同行してくれたフランス人が目の前でいかにも美味しそうにタルタルステーキを食べました。生の牛肉に生卵をのせた料理です。私も食べたかったのですが、旅行中なのでお腹をこわしたらいけないと思って、なんとか我慢しました。日本に帰ってから探しても、タルタルステーキを食べさせてくれるところはなかなか見つかりませんでした。魚のカルパッチョはあるのですが・・・。ついに東京のホテルでメニューを見つけたとき、すぐに注文しました。
 怖いもの知らずの万里は、実は、知らないもの、食べなれていない物はダメだった。食べ物に限らず、新しい事態にぶつかると、ちょっと怖じけて、二つの足を踏んだ。
 ええっ、これは意外でした。そして、万里はアルコールコーヒーもたしなまなかったというのです。ウォッカなんて何杯のんでもへっちゃら、そんなイメージのある万里なのですが、意外や意外でした。そして、万里は抹茶をたしなんでいたとのこと。びっくりします。
 そして、米原万里はモノカキになる前、詩人だったのですね。なかなか味わいのある詩が初公開されています。たいしたものですよ・・・。
 トルコあたりのリルヴァというお菓子が世界一おいしいとのこと。私もぜひ食べてみたいと思いました。
 米原万里ファンの人なら必読の本です。


(2015年6月刊。1500円+税)

2016年7月 3日

『闘戦経』に学ぶ日本人の闘い方

(霧山昴)
著者 斎藤 孝 、 出版 致知出版社 

私は知りませんでしたが、平安時代の末期に書かれた戦いの極意の書であり、日本最古の兵書『闘戦経(とうせんきょう)』にもとづいて、いま考えるべき心得を分かりやすく解説した本です。
 著者は授業をはじめるとき、教室に入る前に体を上下に揺すったり、ジャンプしたりして気合いを入れ、心身を活性化してから中に入る。
今日は何だか、かったるいなんて気持ちで授業に向かったことは一度もない。授業も一つの闘いなのだ。
 「てん・しゅ・かく」の三つをしっかりしないといけない。「てん」はテンションを高く保つこと。「しゅ」は修正能力。「かく」は確認を怠らないこと。
メールのやりとりは、すべて記録として残るので、決していい加減なことは言わない。
問われたときには、とにかく答えること。大切なのは答えの出来不出来ではない。何かしら言うこと。それは決断するというのと同じこと。
ネットに写真や発言をアップするときには、全世界に拡散するという覚悟でのぞむ必要がある。
部下に対しては、相手を信じて、ちょっと難しいミッションを設定し、それを正当に評価し、できていたらほめてあげること。それで人は意気に感じてがんばる。
期待されると、その思いにこたえたくなる。それが人間の本道。
勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。つまり、負けるときには、必ず理由があるということ。
臨機応変力こそ、今の時代に求められていること。
デカルトは『方法序説』で、とにかく考えて考えて考え抜けと説いた。これ以上は考えられないというところまで行った末に結論が出たら、一気に断行する。これを実践することによって、デカルトは、世の中の不安と後悔から一生脱却できた。
軍の基本は、攻めて相手を滅ぼすのではなく、災いをあらかじめ防ぐことにある。
現代に生きる私たちにも役立つ指摘というか教訓がたくさんありました。

(2016年1月刊。1400円+税)

2016年6月20日

作家はどうやって小説を書くのか

(霧山昴)
著者 パリ・レビュー・インタヴュー 、 出版 岩波書店 

 話では、プロットがなにより大事だ。最初は、ぞくっとするような感覚か、書こうとしている話の気配があるだけ。それから登場人物たちがあらわれて乗っ取りにかかり、ストーリーをつくり出す。
書きはじめると、驚きの連続だ。ありがたい。そんな驚きや転回、書いているときに、どこからともなく出現してくる言葉こそ、予想外のおまけみやいなもの。そういう楽しい小さなプッシュがあるから、どんどん書いていけるんだ。
小説は、文章のリズムがちょっとおかしくなっただけでダメになる。句読点のつけかたなんかも要注意だ。
タイプライターは使わない。第一稿は手書きだ。鉛筆で書く。それから徹底的に直す。これも手書きだ。第三稿になってタイプで打つ。そして、しばらく放っておく。1週間、1ヶ月、ときにはもっと長く。それから読み返し、友人に読んで聞かせる。万事OKになったら、最終稿を白い紙に打つ。
活字にしたあとは、聞きたいのは、読みたいのは、ほめ言葉だけ。
登場人物の名前のつけ方にはこだわる。一つは、祖父や曾祖父の名前を忍び込ませる。もう一つは、なんらかの印象に残った名前を使うこと。
そうなんです。名前は私もいろいろ工夫し、考えています。ありふれた名前より、ちょっと読み方が難しい名前にします。印象(記憶)に残りやすいようにするのです。
プロットをたてず、直感、ひらめき、夢ぼんやりしたプランですすめる。登場人物や事件は一緒に浮かんでくるもの。
たくさん本を読むと、いかに自分がものを知らないかを学ぶことになる。学べば学ぶほど、どんどん分からなくなってしまう。これが真実だ。
何も聞こえていない読者に向かって、ページの上から静かに働きかけることのできる言葉を書く。そのためには、言葉と言葉のあいだにあるものに、とりわけ注意深く取り組まなくてはいけない。書いているものにパワーをくれるのは、言葉としては書かれていないものだ。
セックスについて書くのが難しいのは、セックスってセクシーなだけじゃないから。セックスについて書くには、なにより書きすぎないこと。本を読む読者が性的関心を発揮させるのに任せる。
名の通った作家に直撃インタビューしたものが一冊の手頃な本になっています。私でも知っている作家としては、カポーティ、ボルヘス、モリスン、マンローなどですが、彼らの本を読んだ覚えはほとんどありません。申し訳ないというより、残念です。もっと時間をつくり出して本を読みたいと考えています。それでも、6月に入って、半年で250冊のノルマは達成できそうです。
(2015年11月刊。3200円+税)
梅雨のあいまに晴れた日曜日、恒例の仏検(一級)を受けました。結果を先にお知らせしますと、150点満点で70点だった昨年に比べて、今年は自己採点では54点と大きく下まわってしまいました。ようやく4割の壁をこえ5割を目ざす心意気だったのですが、明らかに不出来でした。
それでも、この一週間は集中してフランス語を勉強しました。もう20年にもなりますので、過去問も繰り返し練習しました。そして、毎朝のNHKラジオ講座では早口のニュースの聞きとり書きとりに挑戦しています。まだボケたとは言われたくないので、引き続きフランス語にもがんばります。

2016年6月18日

コーヒーの科学

(霧山昴)
著者  旦部 幸博 、 出版  講談社ブルーバックス新書

 私は喫茶店に入ったら、カフェラテかカフェオレを注文します。ブラック・コーヒーはあまり好みではないのです。飛行機に乗ったら、もっぱら日本茶です。アツアツの日本茶が美味しくいただけます。ひところは紅茶党でしたが、外では美味しく紅茶を飲めるところが少ない気がします。
 コーヒーは、「コーヒーノキ」というアカネ科の植物の種子を原材料として作られる。
コーヒーノキは寒さに弱いため、熱帯から亜熱帯に位置する生産国のコーヒー農園で栽培されている。
 コーヒーの焙煎とは、生豆を乾煎(からい)りすること。つまり、残った水分を飛ばしながら、通常180~250度まで加熱する。コーヒー豆は焙煎されたあと、時間がたつと香りが抜けたり、成分が変質したりして、香味が劣化していく。そこで、焙煎は、生産地ではなく、消費地か、その近くで行なうのが一般的。
 コーヒーノキの祖先は、2730万年前にクチナシの祖先から分岐し、その後、1440万年前にシロミミズの祖先と分岐して、アフリカの下ギニア地方(現在のカメルーン周辺)で生まれた。これって、人類の祖先がアフリカを発祥の地とするのに似ていますね・・・。
 コーヒーノキ属には125の種があるが、「コーヒー」をとるために栽培されているのは、わずか2種のみ、アラビカ種とカネフォーラ(ロブスタ)種。我々がふだん飲むコーヒーのほとんどはアラビカ種。あるいは、アラビカ種をメインとして、カネフォーラ種をブレンドしたもの。
アラビカ種はエチオピア高原が原産地。アラビカ種は、標高1000~2000メートルの気温が低目。高地での栽培に適していて、世界中で高業栽培されている。ただし、病虫害に弱いという難点がある。
アラビカ種は、他家受粉に適したタイプの花をもちながら、自家受粉も可能だいう異色の存在である。
 コーヒーノキで、もっともカフェインが多いのは生豆、つまり種子の部分。カフェインには、他の植物の生育を阻害する作用がある。また、カフェインには、ナメクジやカタツムリに対して毒性を示し、これらを寄せつけない効果(忌避作用)がある。つまり、カフェインには、外敵による食害から新芽を守るために植物がつくり出した「化学兵器」の一つなのである。
 コーヒーを初めて利用していた人間はエチオピアで西南部の人々。今でも、お茶のように飲んだり、炒めて食べたり、薬にしたり、贈り物にしたり、さまざまな利用法がある。
 コーヒーは、さび病や、霜害、干ばつの被害を受けやすく、価格が大きく変動するため、経済的には不安定な作物である。
 缶コーヒーを、発明というか、実用化したのは日本人。1965年の「ミラコーヒー」。そして、 1969年のUCCのミルク入り缶コーヒーから一般的に売れた。
江戸時代の日本人は、コーヒーについて、「焦げ臭くて、味わうに堪えず」と評した。その後、「おいしい」とみられるようになった。
カフェインは熱には非常に強く、焙煎中に分解されたり、他の化合物と反応したりすることはない。
ボードレールは、毎日10杯のコーヒー、バルザックは1日50杯ものコーヒーを飲んだ。これは、いくらなんでも飲み過ぎでしょうね。
コーヒーは肝がんのリスクを低下させるし、糖尿病リスクも低下させる。
美味しいコーヒーをゆっくり味わう。そんな精神的余裕をもちたいものですよね。
(2016年4月刊。1080円+税)

2016年5月30日

ちっちゃな科学

(霧山昴)
著者  かこ さとし、福岡 伸一 、 出版 中公新書ラクレ 

 かこさとしは、セツルメント活動の大先輩です。私は大学生のころに3年ほど、かこさとしは大学を卒業して、会社に勤めながらセツルメント活動をしていました。
そして、かこさとしの絵本には、うちの子どもたちも大変お世話になりました。「からすのパンやさん」や「どろぼうがっこう」などは、読んでいる大人も面白い絵本でした。もちろん、100万部をこえるベストセラーである「だるまちゃん」シリーズの絵本もいいですよ・・・。
90歳になる、かこさとしが手がけた絵本は、なんとなんと600冊。すごいですね。すごすぎます。目を悪くして、絵を描くのはやめたそうですが、本のほうは、今も原稿を書いているとのこと。いやはや、たいしたものです。あやかりたいです。
セツルメントというのは、ボランティアで子どもに勉強を教えたり、医療相談や法律相談をする組織。
私が大学生のころには、全セツ連(全国学生セツルメント連合)という組織があり、年に1回、全国大会を開いて経験交流していましたが、全国から学生が1000人ほども集まり、活気あふれる交流会でした。夜行列車に乗って東京から名古屋に行ったことを今も覚えています。私は子ども会ではなく、青年部に所属していて、若者サークルに入って、楽しく べったり、ハイキングや早朝ボーリング大会などをしていました。ところが、そんなサークルもアカ攻撃がかかってきたりして、社会の厳しい現実に学生は直面して、目を見開かされていくのです。
かこさとしが繰り返し「大勢」を描くのは、自分が世界の中心にいるとはとても思えないから。この世界は多様であり、自分はどこか端っこにいる。でも、端っこでも、そこは世界の中なんだということを言いたいから・・・。
かこさとしの絵本には、余白、何も描いてない空白の部分がたくさんある。そこは、子どもたちが想像力を広げるための「延びしろ」としての余白である。
子どもたちが理科離れしているとしたら、それは大人が理科離れしているからだ。
子どもの本が売れなくなっている。なぜか・・・。日本の母親が子どもの本を買わなくなったからだ。ええっ、子どもの本まで売れてないのですか、知りませんでした。そう言えば、昔ほど、絵本が話題にならない(なっていない)気がしますね。
「花咲き山」とか「八郎」とか、日本には本当にいい絵本がたくさんありますよね。ぜひ、子どもたちに語り伝え、読み聞かせたいものです。
(2016年4月刊。800円+税)

2016年4月22日

性のタブーのない日本

(霧山昴)
著者  橋本 治 、 出版  集英社新書

戦国時代に日本にやってきた宣教師は、日本人が好奇心の強いことに驚くと同時に、女性が強いこと、性風俗が開放的なことにもショックを受けていました。ルイズプイスの報告書に書かれています。
古代に「性交」のことを「まぐわう」と書いた。これは目交(まぐわう)であり、視線が合うこと。昔は、家族は別として、男女が顔を合わせることはなかった。だから、他人である男女が顔を合わせてしまったら、もうそこに「性交の合意」が出来てしまう。視線が合うと性交渉になる。 
近代以前の日本には、「おっぱい文化」がない。西洋は、古代ギリシャの女神像以来、オッパイ文化である。しかし、日本の彫刻の中心は仏像であり、仏様は女性ではないので、オッパイがない。江戸時代の日本では、浮世絵春画にも、大の男がオッパイにむしゃぶりつく図柄はまずない。それをするのは、子ども、幼児だけ。
オッパイがボンと出てお尻がバンと張っていると、「鳩胸出っ尻」(でっちり)と言われて、バカにされた。あまり体に凹凸(おうとつ)のない「柳腰」が良いとされていた。浮世絵師は、オッパイを描いても、乳首に色をつけなかった。乳輪も乳首も、肌と同じ白のままにした。
平安時代の貴族の娘は、自分名義の土地建物をもっている。不動産の相続は父から娘へされるのが当然のこと。反対に貴族の息子は相続できない。「住む家がほしけりゃ、自分で女のところに転がり込め」というのが、当時の「通い婚」の実態なので、いつまでも親の家に住んでいられない息子たちは、必死になって女との縁を求めた。結婚が成立したら、男は女の家に転がり込み、しゅうとである女の父から様々な援助を受けて、やがては女の邸を自分のものとし、これを女が生んだ娘に相続させた。
摂関政治の時代に価値があるのは、男ではなく、女だった。この日本は、昔から女が力をもっている国である。平安時代の前に、女帝は何人もいる。桓武天皇は、初めての男の天皇を父とする天皇だった。藤原道長の栄華を支え、摂関家に全盛をもたらした女たちが、今では次代の摂関家を担うはずの男たちの足をひっぱりはじめた。道長に栄華をもたらした、彼の遺産でもある娘たちは、摂関家の息子たちには大きなストレスとなった。競争相手に姉が加わって、頼通と教通の兄弟間の争いが激化するのは、当然のことだった。
日本の女性は、昔から、決しておとなしくなんかない。源頼朝夫人の北条政子。足利義政夫人の日野富子、徳川家康の乳母の春日局。この三人を「日本三大悪女」という。
「戦うのよ、進軍よ」と号令をかけた女性の天皇が二人いる。女帝があたりまえの時代、女性は権力闘争にすすんで参加していた。
私と同じ世代の著者ですが、さすがに学識が深いのに感服します。今や、全国の法律事務所の業務量の相当割合を不倫・男女間のトラブルが占めていると思います。性のタブーは、昔も今も、日本にはあって、ないようなものなんですよね。


(2015年11月刊。780円+税)

2016年4月13日

「ほら、あれだよ、あれ」がなくなる本

(霧山昴)
著者  茂木健一郎、羽生善治 、 出版  徳間書店

物忘れしない脳の作り方というサブタイトルに惹かれて読んでみました。
脳を若々しく保つためには好奇心をもつこと。運動を定期的にしている人は、認知症になりにくい。運動したほうが、肉体だけでなく、脳も若々しくいられる。私は週1回、プールで1キロ泳いでいます。これだけでは足りないのでしょうか・・・・。
脳は、その人がチャレンジできるぎりぎりのものに挑戦しているときが楽しい。脳は楽をすると、どんどん衰えていく。
度忘れするのは、脳のなかの側頭連合野から前頭前野に記憶を引き出す回路が使われないから。前頭葉は、脳全体の司令塔。前頭葉が活性化すると脳全体も活性化し、回路を強めてくれる。
ドーパミンは、前頭葉のために神様がつくってくれた素晴らしい物質。子どもの脳が若々しいのは、ドーパミンがたくさん出ているから。初めてのことや、びっくりするようなことを経験したときに、ドーパミンは出る。子どもは初めてのことに毎日のように出会う。だから、子どもの脳は、毎日デビュー効果でいっぱいだ。
人間の脳は、何歳になっても、ドーパミンを出す能力がある。人間は不安になることに挑戦しないとドーパミンが出ない。つまり、挑戦してみようという気になるかどうかが、非常に大切。
私は、このところ初めて本格的に小説(フィクション)に挑戦してみました。もちろん、体験と歴史的事実はきちんと踏まえているのですが、それをつなぎあわせるところは、すべてフィクションにしてみたのです。4月には一冊の本に仕上がる予定です。今からワクワク楽しみにしています。売れたらいいな・・・。皆さん、ぜひ買って読んでくださいね。お願いします。ちなみに、著者名は、このコーナーと同じです。
初めてのことに挑戦してドーパミンを出すには、受け身ではなくて、自分から何かをやってそれからうまくいったときのほうがドーパミンは出る。
大人になっても、子どもの心を忘れてはいけない。脳のなかに安全基地がないと挑戦できない。
人間の脳には、自分で自分を治す力、自己治癒力がある。どうしたらマイナスのエネルギーをプラスに変えられるかというと、人との絆が非常に大切である。
個性というのは、出来ることとできないことが一つになって個性なのだ。
人間は、今のありのままの自分を受け入れるのが大事だ。ひとそれぞれの幸福がある。
脳の好奇心や人との絆の大切さがよく分かる本です。

(2015年3月刊。1000円+税)

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