弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
人間
2017年10月23日
リストラ中年奮闘記
(霧山昴)
著者 高木 喜久雄 、 出版 あけび書房
団塊世代の元気な老後の過ごし方を実践し、日々のブログで紹介していたのが一冊にまとまっていて、大変面白く、読んでいると身につまされ、また元気も湧いてくる本です。
50歳で宣伝マンがリストラされて庭師へ「華麗に」転身します。そして、地域から求められる庭師と定着しつつも、寄る年波から惜しまれながら引退し、70歳の今ではボランティア三昧の日々を過ごしているのです。
かつては音響メーカーであるパイオニアのサラリーマンとして、宣伝マン一筋。労働組合の役員としても広報担当。宣伝一筋で生きてきた。ところが、50歳になる直前にリストラで退職した。さて何をするか・・・。
著者は技能訓練生として造園科に学ぶことにしました。樹木の名前を覚えなければいけない。絶対に覚えないといけないのが150種類。できたら覚えておけと言われるものまで加えると300種類になる。20~30センチの樹の枝を見て、ぱっと見分けないといけないのです。私も著者のように見分けられるようになりたいです。
庭師としての技術を身につけたかったら、個人の庭を中心にしている会社じゃないとダメ。そんな会社は、せいぜい3~4人ほどじゃないと維持できないので、会社は、みんな小さい。
公共の仕事は、丁寧にやっていると怒られる。いい加減でも良く、とにかく速くやること。
庭師として実践しはじめると毛虫に出逢う。チャドグガは全身がカユミに襲われるので、要注意。
先輩は仕事を教えてくれないので、見て、盗むしかない。しかし、盗むにも、それなりの知識と経験がなければとても理解できない。
植木の剪定には、それをする人の性格があらわれる。剪定すると、切り口に殺菌剤を塗ったほうがいい。剪定のときには木に声をかける。
「ちょっと痛いけど勘弁な」
「痛かったかもしれないけれど、これでお仕舞いだからな」
「どうだい、これで太陽も風も懐まで入るようになっただろう」
私も花に水をやるときには、なるべく声をかけるようにしています。
「きれいに咲いて、見事な花を見せてよね」
モクレンは花が終わると、すぐに来年の花芽をつけるので、花が見苦しくなってきたら、もう剪定すべし。
庭にいると、スズメバチに刺されてしまうことがある。毒を吸い出す道具を携帯しておく。スズメバチは樹液を吸わないと生きていけない。キイロスズメバチは、樹液の代わりに人間がポイ捨てした空き缶の中に残ったジュースを吸って生きている。
弱った樹木には害虫がますますつきやすくなって、悪循環に陥る。
森林を保全し、よみがえらせるボランティア活動にも乗り出します。そして、子どもたちを森へひっぱり出すのです。いいことですよね。幼いときに少しでも自然に触れておくというのは、とても大切なことです。
著者はまた子どもたちへ絵本の読み聞かせをし、紙芝居もしています。まことに芸達者の人ですね。うらやましい限りです。私より2歳だけ年長の人がリストラにあって会社をやめたあと、いかに生きるのかが問われるとき、元気さを保ちながら続けることの大切が実感できます。引き続き、無理なくご健闘ください。
(2016年9月刊。2200円+税)
2017年10月21日
蔵書一代
(霧山昴)
著者 紀田 順一郎 、 出版 松籟社
すべての愛書家、蔵書家に捧げるとなっていますので、愛書家を自称する私も読まないわけにはいきません。要するに、読んでため込んだ本をどうするのか、ということです。
井上ひさしの蔵書は14万冊。生前から故郷の山形県川西町の図書館に段階的に寄贈していて、「遅筆堂文庫」として残っています。私も一度ぜひ行ってみたいと思っています。
最近亡くなった渡部昇一は巨大な書庫に15万冊を擁していた。書庫の建設費は数億円もの銀行ローン。立花隆は、地下1階地上3階のビルに3万5千冊の蔵書、資料を備えている。私も写真でその光景を見ました。
私は単行本を年間500冊は読んでいますので、弁護士生活40年以上ですから2万冊はあると思います。すでに自宅の子ども部屋は書庫に変身しました。引き取り先を少しずつ開拓しつつあるのですが、容易なことではありません。
1935年生まれの著者は3万冊もの蔵書を一挙に泣く泣く処分したようです。身を切られる辛さだったと言いますが、私にもよく分かります。
出版界のピークは1996年、それ以降は今日まで回復の気配はなく、売上額はピーク時の半分にまで落ち込んでいる。マルチメディア化が急速に進行し、紙の出版物の市場自体を脅かしている。
本は段ボール箱に入れてしまったらダメ。書籍は、所蔵者自身で配架しなければ絶対に役立たない。
まったく同感です。私は高校生のとき以来、本の並べ替えを楽しんできました。今もジャンル毎に本を並べています。背表紙が見えなくなったら、本は無縁の存在と化します。
1万冊をこえる蔵書を維持するには体力が必要。これはまったくそのとおりです。雑誌は基本的に捨てますが、本は原則として捨てることはありません。そして、目の前にいいと思った本を見たら、持てるだけ買います。弁護士として、とくに変な遊びもしませんので、好きな本を買うくらいの贅沢は自分に許しています。
そして、買ったら、なるべく積ん読(つんどく)にならないように心がけています。とは言っても、まずは読みたいものを優先しますから、あと回しになっている本が常時100冊を下ることはありません。
新聞の書評、本の末尾の参考本、関連本、そして本屋での出会い。本を読みはじめたらやめられませんし、読んだ本は捨てられません。これを読んだあなたはいかがですか。そんな簡単に本は捨てられませんよね。
私は読んだ本には赤エンピツで棒線を引っぱっていますし、サインして、読んだ日を記入していますので、一般には売れない本になっています。私にとっては、それでいいのです。それでも、そろそろ元気でなくなり、足腰が不自由になったときのことも考えなければいけません。著者が強調しているようにどこか公共施設で引き取ってくれたら、本当にありがたいです。
(2017年7月刊。1800円+税)
2017年10月16日
宿題の絵日記帳
(霧山昴)
著者 今井 信吾 、 出版 リトルモア
この本の絵と説明の文章を読みながら、はるか昔の子育てのころを思い出し、なつかしさでいっぱいになりました。
パパがときどききかん坊の娘を叩いたりするのです。やはり、つい手を出してしまうのですよね。私も同じでした。こうやって親としての人間性を試されていたのかと思うと、汗が吹き出してしまうほど恥ずかしさで一杯になります。
高度難聴のやんちゃな娘をかかえて、聾話学校に通う娘のために、毎日、画家の父親が描いた絵日記張です。さすが本職の画家によるものだけに、絵が実に生き生きと脈動しています。ああ、子どもって、本当にそうなんだよね、と私は深くうなずいたものでした。
麗(うらら)は、性格が明るく、滅法気が強い。美女でもある。3歳うえの姉という頼りになる指導者にも恵まれて、すくすく育っている。
そんな娘のうららの2歳から6歳までの4年間の日常生活が、ありのまま描かれています。
洗面台にのぼって水遊びして大事なコップを割り、ママにひっぱたかれたうらら。
きげんが悪いと、ごはんを食べないこともあるうらら。
遊びに来た友だちのかずまくんに二度ひっはがれて、二度泣いたうらら。
難聴の子どもの教育でいちばん大切なのは、一日も早く話すことを始めること。舌の動きがなめらかになるためには、そのことが大切。うららは、生後半年で勉強を始めたが、舌の動きには苦労している。
難聴の子って、みんな舌の動きが悪くなるものなのでしょうか・・・。教えてください。
親は、楽しく繰り返して子どもに話しかけた。音と言葉のシャワーを浴びせかけた。
絵日記は、聴覚に障がいのある子どもたちが家庭や学校で言語を獲得していくためには欠くことのできない手がかりとなるので、毎日、描いて学校に持ってきてもらう。これが学校の方針だった。
うららは、普通小学校に入学し、中学、高校と進んで美術大学を卒業し、今では新進の画家であり、同じ画家の夫とともに三人の子どもを育てている。
とても楽しい絵日記でした。こんな素敵な絵が描ける人って、うらやましい限りです。
(2017年9月刊。1600円+税)
2017年10月 8日
忘れらないひと、杉村春子
(霧山昴)
著者 川良 浩和 、 出版 新朝社
「姿の水谷八重子、科白回しの杉村春子」
これは三島由紀夫の言葉。それほど、杉村春子の科白(セリフ)回しは、演劇界の至宝ともいうべきものだった。団塊世代の私は、幸運にも、水谷八重子も杉村春子も、テレビですが、みています。残念ながらこの二人の舞台はみたことがありません。
杉村春子の主な芝居の上演回数は、「女の一生」947回、「華岡青洲の妻」634回、「欲望という名の電車」594回、「ふるあめりカに袖はぬらさじ」365回、「華々しき一族」309回。これに加えて、数多くの映画に出演した。
その杉村春子は、平成7年秋の文化勲章を辞退した。「演劇の賞は喜んでいただきますが、勲章は私に似合わない気がします。ただ、自由に芝居をしたいから」。偉いものですね。たいしたものです。
それにしても、三島由紀夫って、とんでもない男です。三島の「喜びの琴」という作品は松川事件を連想させる列車転覆事件が描かれて、首謀者は右翼の仕業に見せかけた共産党員になっているというのです。ひどい話です。松川事件がアメリカ軍(占領軍)と日本当局による謀略事件であることは明らかになっていますが、その歴史的事実をひっくり返そうとしたのです。文学座は、臨時総会を開いて三島の作品を上演しないことを決めたのでした。当然ですよね。
山田洋次監督は、杉村春子を次のように評価しています。
「ワンカットだけ出演していても映画が落ち着く。つまり、錨(いかり)のような俳優なんだよ。映画の芝居というものは、どうしても空々しくなるものなんだ。その中で、杉村春子が登場してくることで、画面にぐっとリアリティを与え、観客に人間的な共感を抱かせる」
小津安二郎監督は杉村春子を多くつかった。「小津は下手な役者だけを使った。皆が下手だけど誠実に、懸命に演じる中で、桁違いにうまい杉村がその間を縫って、自由自在に動きまわる」
なーるほど、そういうことなんですか・・・。
杉村春子は2回、夫と死別している。その後は、生涯結婚せず、独身で過ごす。杉村春子を慕った森光子も43歳のときに離婚している。二人とも家庭をもたず、人生のすべてを賭けて舞台に生きた。うむむ、まあ仕方のないことなんでしょうが・・・。
団塊世代でNHKに長年つとめていた著者が杉村春子の女優としての生き方にとことん迫った本です。大変勉強にもなりました。
(2017年6月刊。1800円+税)
2017年9月 4日
役に立たない読書
(霧山昴)
著者 林 望 、 出版 インターナショナル新書
ほとんど同世代の著者と私は読書に関しては、かなり共通した考えです。
本は買って読むもので、図書館から借りて読むものではない。読んできた本を振り返ることは、自分の人生を振り返ることに他ならない。文学作品を味わう醍醐味の一つは、登場人物の中に自分自身の分身を発見することにある。
自分が読みたい本を読む。これが読書するときの鉄則。そのとき、間口(まぐち)はできるだけ広くしておいたほうがいい。
図書館で借りて読んだ本の知識は、しょせん「借りも物」の知識でしかない。自分が読みたい本は、原則として買って読み、読んでよかったと感じた本は、座右に備えておくべきだ。
「自腹を切る」ことの対価は、たしかにある。
著者は、自宅の地下に2万冊は入る書庫があるそうです。わが家にも1万冊とは言わない、2万冊近くの本があるように思いますが、最近、少しずつ引き取り手を探して押しつけつつあります。なにしろ、年間500冊以上の本を買って読んでいますので、その行方(所在)は困るばかりなのです。
読書するのには、あらゆる細切れの時間を大切にする必要がある。10分間だけ、別世界を旅する。
まさに、そのとおりです。ですから私は、バス停に立ったら、私のカバンの外側に入れている新書が文庫本を取り出して、立ち読みを始めます。中に入って座れたら(立っていても)ソフトカバーの本を読み出します。ですから、電車の中ではなるべく顔見知りの人と一緒になったり、同席したくはありません。
「我が本」を文字どおり「我が物」にする。これは、借り物ではないのだから、きれいな姿で、次に古本屋に売ろうと思っていないということです。気に入ったらところは折り曲げたり、付箋をつけたり、傍線を引いたり、欄外に注記を書き込んだりする。
書評には、面白くないと思った本は取りあげない。私も同じです。面白くもない本を読み返すほど、私はヒマでありません。何か面白いと思えるところがある本しか、このコーナーで取りあげたことはありません。
日本では昔から識字率も高く、本を読まずにはいられない人が少なくなかった。
滝沢馬琴の本を江戸時代の人々が熱狂していたというのは、現代の私にもよく分かります。ともかく面白いストーリー展開でした。
著者は、漢字仮名まじりの文化が定着している日本では、電子書籍は普及しないと予測しています。紙の本でないと読んだ気がしないというのは、日本語独特の問題があるからだ・・・。日本語は、世界一、同音異義語が多い。多すぎる。
読書には、大きな意味がある。人生は、できるだけ楽しく、豊かに送りたい。豊かに楽しく生きることのヒケツが、すなわち自由な読書だ。それは強制された読書ではない。自由に読み、ゆっくり味わい、そして深く考える。ただ、それだけのこと・・・。まったく同感です。反語的タイトルの本です。
(2017年4月刊。720円+税)
2017年8月21日
サバイバル
(霧山昴)
著者 服部 文祥 、 出版 ちくま文庫
サバイバル登山とは、食料や装備をできるだけ持たず道なき道を歩く長期登山のことをいう。山に持ち込む食料は、調味料と少々の米だけ。電池やコンロ、テントも燃料も持っていかない。登山道や山小屋も出来るだけ避けて通る。
今では、エベレストの山頂に登るのに必要なのは、2ヶ月の自由な時間、600万円、平年並みの好天、健康な肉体、そして、登山の基本だけ。エベレスト登頂者の最高年齢は76歳だということが、これを証明している。
サバイバル登山は、電気製品を山に持ち込まない。ケータイも、無線も、そしてラジオも持たない。つまり、明日の天気予報は知らないということです。台風が来るのかどうか、山で分からないって、怖いですよね・・・。
時計がないので、太陽の角度から時刻を知る。うひゃあー・・・、す、すごいです。
ところが、夏のサバイバル登山で、一番つらいのは、ライトがないことでも、時計がないことでも、空腹でもない。害虫の攻撃だ。アブ、ヤブ蚊、ブヨ・・・。これは怖いし、つらい。やっぱり、蚊取り線香は欠かせない・・・。
昔の人やヒマラヤ民のほうが、多くの食料を持って山を歩いていた。日本の山人は、干しエビや干し魚、味噌などをもって山を歩いていた。ヒマラヤの民は、ヤギの乳からつくる発酵バターを持ち歩く。
天然の岩魚(イワナ)は、夕食で刺身として食べる。口に入れると、ねっとりとしていて、しかも歯ごたえがあり、身切れがいい。シマアジに近い。
山には三種類の人間がいる。登山客、登山者、登山家。登山客とは、山岳ガイドや山小屋の客。登山者とは、山にまつわる出来る限りの要素を自分たちで行ない、その内容にも自分で責任をもつ人。登山家とは、登山者のなかでも登山関係で生活の糧を保ていたり、登山の頻度と内容からして、人生のほとんどを登山に賭けてしまっているような人のこと。
白米に比べて玄米のほうが栄養分の繊維も多く、味があってうまいうえ、排便の調子がいい。大便は沢の近くで出し、沢の水でお尻を洗う。
どうでもいいようで、ないと困るのが、まな板。
焚き火に火をつける現代的な焚きつけの総称がメタ。
サバイバル登山では、摂取カロリーが低いので、雨天には行動しないのが原則。光のない夜を過ごし、朝を迎える。これこそ、現代人が忘れている喜びだ。
ヒキガエルは食料。ヘビは、山では貴重なタンパク源。マムシは、山ウナギとも言われ、ヘビのなかでは、もっともうまい。ええーっ、ホ、本当でしょうか・・・。
今の私には、とても出来ませんけれど、50年前だったら、少しは真似していたかもしれないとは思いました。
(2016年7月刊。800円+税)
映画『少女ファニーと運命の旅』をみました。ユダヤ人の子どもたちがフランスからスイスへの逃亡に成功したという実話が映画化されているもので、主人公のモデルの女性は今もイスラエルに元気にいるとのことです。
主人公の少女ファニーは13歳。まだ大人ではありません。ファニーが逃走チームのリーダーに選ばれたのは賢いからというより性格が頑固だからというのです。なるほどと思いました。そして、泣き顔を見せずにメンバーを引率しろと励まされます。
引率者の青年が途中でいなくなったりして、逃走過程はハプニング続出。それでも知恵と勇気で、ようやくスイスにたどり着くのでした。
子どもたちのけなげさに心が打たれる映画でした。
2017年8月 7日
サバイバル登山家
(霧山昴)
著者 服部 文祥 、 出版 みすず書房
すさまじい山行記のオンパレードです。私には絶対に出来ませんし、まねしたくもありません。そんな私がこの手の本を読むのは、まさしく、怖いもの見たさ、です。お化け屋敷なんか、のぞきたくもありませんが、冬の山をほとんど何も持たずに単独行するなんて、まさしく人間技(わざ)を超えていますし、気狂い沙汰というか正気の沙汰ではありません。
山には逃れようのない厳しさがある。そこには死の匂いが漂っている。
だからこそ、そこには絶対的な感情がある気がする。
生きようとする自分を経験すること、登山のオリジナルは、そこにある。それは今も変わらない。
自分の内側から出てくる意思や感情を求めていた。厳しい現実が次から次へと降りかかってくるような窮地や、思いもよらなかった美しいものを目にしたときに、自分が何を感じるのかを知りたかった。
サバイバル登山のときは、電池で動くものは何も持っていかない。時計、ヘッドランプ、ラジオはもたない。太陽によって時間を知る。コンロとか燃料ももっていかない。マットやテントもおいていく。
最大11日間の山行にもっていく食料は、お米5合、黒砂糖300グラム、お茶、塩、胡椒だけ。タープを張って雨を避け、岩魚を釣って、山茶を食べ、草を敷いてその上に眠り、山にのぼる。
ヤマカガシ(毒ヘビ)を見つけると、頭を踏んづける。腹から溶けかけたカエルが出てきたら、この未消化カエルとヤマカガシとヒラタケを塩味のスープにする。
岩魚を釣ったら、内臓はスープ用にとっておき、卵は塩漬けにする。
岩魚は、さばいたら塩・胡椒をして、近くの枝にぶら下げておく。こうしておくと、よけいな水分が抜け出て、くん製づくりがうまくいく。
カエルは皮をむいて、毒腺から出た毒をよく洗い、内臓はごめんなさいと森に投げ、身だけをくん製にする。
夜は暗く、怖い。朝、明るくなると自然に目が覚め、ふたたび、光のもとに戻ってこれたことを感謝する。太陽の高さで時間を知り、雲の流れで天気を予想する。焚き火をおこして夜に備える。山のなかで、自分の身体がたしかに存在しているのを感じる。
サバイバル登山を経て、生きるための知識と能力が少しずつ増えているのが分かる。そして、自分が強くなった手応を感じる。
岩魚は、大物は刺身、その他はくん製にする。岩魚をさばくのも一仕事だ。ワタ(内臓)もアラも捨てない。捨てるのは、胃袋の中身とニガリ玉とエラだけ。それが岩魚への礼儀だ。
岩魚のくん製は、保存のきく行動食であり、おかずであり、味噌汁の出汁でもある。カエルは、おやつ専用だ。
岩魚を焚き火でくん製にするとき、3種類ある。汁っ気の多い塩焼き、しっとりとしたくん製、カリカリの焼き枯らし。
乾いた衣服と寝袋そして雨をさえぎってくれる空間があれば、そう簡単に人は死なない。
行動用の服と泊まり場用の服を分けておく。泊まり場用の服とは、毛の下着、ステテコとラクダのシャツ。完全防水を可能するビニール袋が必携。
朝は5時半から6時のあいだに出発する。そして午前9時を過ぎるまでザックはおろさないし、何も食べない。午前9時を過ぎたら1時間ごとに休みはじめ、ちょくちょく何かを食べる。昼の12時から14時までに、その日の泊まり場を決める。
いやあ、すごいですね、こんな登山家がいるのですね。恐れいりました。
(2015年12月刊。2400円+税)
2017年8月 3日
人工知能の核心
(霧山昴)
著者 羽生 善治 NHKスペシャル取材班 、 出版 NHK生活新書
中学生の藤井四段の29連勝には将棋門外漢の私も驚かされました。
私も子どものころ、将棋を少しだけしてみましたが、才能のないことにすぐ気がつき、やめました。囲碁のほうは、弁護士になりたての暇なころに入門書を買って読んでみましたが、これまた才能のないことを自覚して、すぐに見切りました。以来、今日まで迷うことなく読書とモノカキに精進しています。
人工知能の将棋では、開発者自身は必ずしもゲームに詳しくない。ともかく、アルファ碁同士でとてつもない数の対局をこなす。一試合を高速でこなすことで、何十万局というデータをごく短時間で入手できる。
チェスの人工知能であるディープ・ブルームは、100万局以上のデーターベースが搭載されていて、1秒間に2億局面を考えることができる。過去の対局の情報と、力づくの計算能力の「ブルドーザー方式」で人間に勝利した。
今の人口知能には、間違った答えを出してくる神経細胞をうまく間引いてくれる手法が入っている。これを誤差逆伝播法という。伝言ゲームの途中でトンチンカンな情報を伝えるような信頼できない人がまぎれこんでいるのをうまく排除するシステムだ。
人工知能には「恐怖心」がない。フツーなら怖くて指せないような、常識外の手を人工知能は指す。
創造とは何か・・・。その99%は、今までに存在したものを、今までにない形で組みあわせること。しかし、残りの1%は、何もないところから、あたかも突然変異のように生まれてきた破壊的イノベーションだ。
将棋を指すとき、棋士は直観によって、まずはパッと手を絞り込む。将棋は一つの局面で、平均80通の指し手がある。そのうちの、思い切って二、三手に絞る。
つまり、ゼロから一つずつ積み上げて考えるのではなく、まずは、だいたい、あのあたりだなと目星をつけて、そのうえで論理的に考えていく。このほうが、より早く答えに到達できる。直観とは、決してやみくもなものではなく、経験や学習の集大成が瞬間的にあらわれたものなのである。
これは、弁護士にとっても同じことが言えると思います。私のように弁護士生活も40年以上すぎてしまうと、新しい法律理論はなかなか頭に入ってきませんが、事件の全体的見通しなどについては、過去の体験をふまえて、瞬間的に見えてくるものがあります。
直観によって手を絞り込んでいても、10手先までを全部読むのは、多くの人が想像する以上にはるかに難しいこと。そこで、大局観が必要となる。そのためには、具体的な一手からいったん離れてみる。将棋は囲碁と違って、この一手以外は、全部マイナス1000点になるような手が頻出する。
なので、将棋に強くなるために、一番大切なことは、だめな手が瞬時に分かること。将棋では、最善手と次善手の差が、それほど大きい。
人工知能の実際を将棋を通じて知ることが出来ました。法曹界にも人口知能はさらに進出してくると思います。でも、結局のところ、人間対人間の微妙な心の屈折感情を解きほぐすのには人口知能より、生きた人間の過去の蓄積をふまえた判断によるあてはめが必要です。そのとき、AIだけに頼っていたら間違ってしまう危険は大きいと私は思います。
(2017年6月刊。780円+税)
2017年7月31日
スリープ
(霧山昴)
著者 ショーン・スティーブンソン 、 出版 ダイヤモンド社
最高の脳と身体をつくる睡眠の技術、というのがサブタイトルです。
ぐっすり眠れるのが、私の健康を支えてくれています。車中でも居眠りはしますが、基本的に車中は貴重な読書タイムです。
睡眠は、人生の隠し味だ。睡眠不足は、ガン・アルツハイマー病・うつ病・心臓病にかかる確率を高める。睡眠は量より質。8時間寝ても、毎朝、疲れがとれずにぐったりとした気持ちで起きている人はたくさんいる。健康な身体のもと、幸せで充実した人生を過ごすカギを握るのは、良質な睡眠である。
睡眠を健全にしない限り、健康にはなれない。睡眠を定義するのは人生を定義するようなものだ。完璧に理解している人は誰もいない。眠ることで身体が再生され、若さが保てる。
良質な睡眠をとると、免疫系が強化され、ホルモンバランスが安定し、新陳代謝が促進される。身体のエネルギーが増加し、脳の働きも改善される。
目覚めているときの脳にはたくさんの老廃物が絶えずたまっていくが、そのほとんどは、睡眠のもつ修復の力で除去される。
体内時計がもっとも敏感に反応するのは、早朝の午前6時から午前8時半までの太陽光だ。私は、毎朝、目が覚めたら真っ先に雨戸を開けて太陽光を室内にとり入れます。
夜にパソコンやスマホなどの我慢を見る時間を減らす。これらは睡眠を奪い、睡眠不足をもたらす。眠くなったら、すぐにインターネットから離れる。
身体が必要としている深い睡眠をとるには、少なくとも寝る90分前には、あらゆる画面の電源を切ること。私は、今もガラケーですし、自宅でパソコンを扱うこともありません(扱えないのです)。そのおかげなのでしょう、すぐに入眠できています。
午後10時から午前2時のあいだに睡眠をとるのが、ホルモンの分泌や疲労回復に最大限の効果がある。
健康を一番に考えるなら、夜間シフトで働いてはいけない。睡眠サイクルを頻繁に変えるのもいけない。二交代や三交代、夜勤専門という人はとても多いわけですが、気をつけなければいけないようです。
夜に運動するのは体深部の温度を上げてしまうので、睡眠のためにならない。
この本には、ブラジャーをつけたまま寝る女性は、乳ガンを発症するリスクが60%も高くなると書かれています。うひゃあ・・・、と叫びたくなりました。世の中の女性のみなさん、気をつけましょう。美乳より健康ですよ・・・。
身体を締めつけない、ゆったりしたパジャマで、あれこれ深く悩まずにぐっすり眠りたいものです。明けない夜はない・・・、のです。
(2017年6月刊。1500円+税)
2017年7月10日
スタンフォード式・最高の睡眠
(霧山昴)
著者 西野 精治 、 出版 サンマーク出版
スタンフォード大学の医学部教授であり、睡眠生体リズム研究所所長である著者による初めての日本語著書です。
睡眠は本当に大切ですよね。私は、朝おきたときに空腹感があるのが健康のしるしだと考えてきましたが、本書に同じことが書かれていて、うれしくなりました。
朝、起きたら、おなかがすいている。これは、質の良い睡眠がとれているかどうかのバロメーターだ。
一流のアスリートは、真剣に睡眠と向きあう。眠りの力を認識し、力を入れて取り組んだ選手だけが一流になれる。
睡眠の質は、眠り初めの90分で決まる。最初の90分さえ質が良ければ、残りの睡眠も比例して良質になる。最初の90分間のノンレム睡眠は、睡眠全体のもっとも深い眠りである。ここで深く眠れたら、その後の睡眠リズムも整うし、自律神経やホルモンの働きも良くなり、翌日のパフォーマンスが上がる。
週末の寝だめでは、睡眠負債は解決しない。そもそも眠りは、ためられない。普通の人は、最低でも6時間以上眠ること、これがベスト。
レム睡眠は、ストーリーがあって実体験に近い夢をみる。ノンレム睡眠は抽象的で辻つまのあわない夢になることが多い。
最初の眠気のタイミングは絶対に逃してはいけない。眠くなったら、とにかく寝てしまう。そうしないと、そのあと深い眠りはやって来ず、いくら長く寝ても、いい睡眠とはならない。
質の良い眠りには、ノンレム睡眠だけではなく、レム睡眠も欠かせない。
質の良い眠りなら、体温が下がる。体温の低下が睡眠には欠かせない。脳が興奮していると、体温も下がりにくい。
睡眠中は、温度を下げて臓器や筋肉、脳を休ませ、覚醒時には温度を上げて体の活動を維持する。健康な人だと、入眠前には手足が温かくなる。皮膚温度が上がって熱を放散し、深部温度を下げている。
いつものベッドで、いつもどおりの時間に、いつもどおりのパジャマを着て、いつもどおりの照明と室温で寝る。音楽を聴くなら、いつも同じ単調な曲。考えないままスイッチオフで眠る。眠れなかったら、ベッドから離れる。
良質の睡眠の意義と、その確保の仕方がとても具体的かつ実践的で、大変参考になります。
(2017年5月刊。1500円+税)