弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2018年4月23日

モノに心はあるのか


(霧山昴)
著者 森山 徹 、 出版  新潮選書

心があるのは人間だけに決まっている。なんて変なタイトルの本なんだ。モノに心はない。心がないからこそ、人間とちがってモノなんだ・・・。
著者は、子どものころ、死ぬと決して生き返ることはない。死ぬと夢を見ないで寝ているのと同じ状態になることを確信した。人間は、死ぬと、まったくなくなってしまう。そして、世界は、自分の生まれる前から、そして自分が死んでからも存在するということを実感した。
この点は、私もまったく同じです。ですから、私は、この世に自分というものが存在したことを、たとえ小さなひっかきキズでいのでなんとかして残したいと考え苦闘してきました。こうやって文章を書いているのも、そのあがきのひとつなのです。
心とは、隠れた活動体、すなわち潜在行動決定機構群だ。それは、動物行動学の言葉を用いたら、自立的に抑制する複数の定型的行動の欲求だ。
石においても、隠れた活動体は存在している。つまり、石にも「心」が存在する。石器職人が石を割るとき、自分の力だけで石を思いどおりに割ったとは考えていない。職人は石の自律性を感じている。石の個性に気がついた職人は、石の内部でそれを生成する何者か、すなわち「隠れた活動体」の存在を知ることになる。
アメーバ動物である粘菌が迷路のスタートとゴールを結ぶ最短経路を探し出せること(知)、魚が恐怖や不安の反応を示すこと(情)、ザリガニの脳内には自発歩行の「数秒後に」活動しはじめる神経回路があること(意)が判明している。これらの研究報告は、無脊椎動物をふくむヒト以外の多くの動物に、知・情・意を代表とする精神作用が備わっていることを示唆している。したがって、心はヒトに特有なものではなく、あらゆる動物に備わるものだということになる。
この本は、「心」というものを平易で明瞭なコトバでもって語り尽くそうとしています。読んでいると、なるほど、なるほど、そういうことだったのかと思わずひとりつぶやいてしまいます。
(2017年12月刊。1200円+税)

 初夏と勘違いさせる陽気となり、ジャーマンアイリスが一斉に花を開いてくれました。ほとんどが青紫色で、いくつか黄色の花が混じっています。そのあでやかさは目を惹きつけます。チューリップは終わりました。庭の一区画からアスパラガスが次々に伸びて、春の香りを毎日のように味わっています。
 博多駅の映画館で韓国映画「タクシー運転手」をみてきました。1980年に起きた凄惨な光州事件がテーマです。軍隊が市民を守るものではないこと、当局はひたすら真相を隠してデマ宣伝をすることが描かれ、思わず鳥肌が立ちます。
 自衛隊がイラクのサマワに行ったとき、何が起きていたのか・・・。日報かくしは絶対に許せません。ぜひ時間をつくってみてください。

2018年4月16日

夢を食いつづけた男


(霧山昴)
著者 植木 等 、 出版  ちくま文庫

私が大学生のころ、植木等(ひとし)は、日本一の無責任男だと評判を呼んでいました。いかにも軽薄そのもので、小心者で頭の固い田舎者のぼくはいささか鼻白んでいました。
ところが、この本を読むと、その内実は、とても真面目な人物だったようです。そして、それは父親譲りだったのです。
植木等の父親は植木徹誠。三重県にある小さな山寺の住職もしていました。そして、その前は東京にあった御木本(みきもと)の工場で働き、社会主義に目覚め、活動していたのです。おかげで特高に捕まり、子どもの植木等は警察署へ差し入れの弁当を毎日自転車で届けていました。だから、植木等は大きくなってからも共産党と聞くと怖いという思いがあり、好きになれなかったといいます。父親はあとで東京に出て新宿民商の会長になり、共産党員としても活動しました。
植木徹誠が東京で労働運動に没入していたころ、アナーキストの大杉栄(関東大震災のとき、憲兵隊の甘粕大尉などに虐殺されました)も講師としてやって来て話を聞いています。
その後、徹誠は山寺の住職となり、部落差別に怒りをもって運動し、昼間はお年寄りに地獄と極楽の話をし、夜になると青年たちに革命の話をしていた。
すごいね。讃美歌をうたい、労働歌をうたい、もっと若いころには義太夫もうなっていたのです。まことに芸達者です。植木等は、きっとその血をひいたのでしょう。
しかし、治安維持法違反で検挙されるのです。このころ、小学生の等に対して担任の教師はこう言って励ました。
「きみのお父さんは立派なんだ。ただ、今のご時世にあわないのだ。進みすぎているのだ」
なるほど、そういうことなんですよね・・・。それでも等少年には辛い体験だったようです。
そして、親子は、ついに郷里から石もて追われるようにして立ち去るのでした。
父・徹誠は3年ものあいだ、各地の警察署を転々としていたそうです。大変な目にあったのですね。住職として戻って、檀家の人が寺にやって来て、召集令状が来たというと、徹誠はこう言った。
「戦争というのは、集団殺人だ。それが加担させられることになったわけだから、なるべく戦地では、弾のこないような所を選ぶように。まわりから、あの野郎は卑怯だとかなんだとか言われたって、絶対、死んじゃダメだぞ。必ず、生きて帰ってこい。死んじゃったら、年とったおやじやおふくろはどうなる。それから、なるべく相手も殺すな」
偉いですね。戦争中にここまで、言えるなんて・・・。映画「二十四の瞳」の大石先生も、心の中はともかく、言葉に出しては言えないセリフでした。
植木等の父親を語る心のうちには、とても温かいものを感じました。無責任どころではありません。
(2018年2月刊。860円+税)

2018年2月18日

銀河鉄道の父


(霧山昴)
著者  門井 慶喜 、 出版  講談社

 面白いです。植木賞を受賞したというのは当然だと思いました。宮沢賢治の父親が賢治とどのように接していたのか、ごくごく自然に受けとめることができました。その筆力たるや、大したものです。
 賢治の父親は質屋を営んでいる。天災は、もうかる。それが質屋の法則だった。もちろん、店や家族が直接被害を受けない限りである。
賢治の父親は、営業成績が優秀で、勉強が好きだったので中学校(今の高校)へ進学を希望したところ、父・喜助は質屋に学問は必要ないといって、断念させられた。
 賢治の父親は、夏期講習会を主宰して、知識人や僧侶を招いて知的合宿を開催してきた。そして、賢治には中学への進学を許した。質屋も、学問がなければつぶれると考えたのだ。
 賢治は森岡中学校を受験し、合格した。そして、賢治はさらに盛岡高等農林学校に進学した。それも主席の合格だった。賢治の妹トシも、高等女学校を首席で卒業し、東京の日本女子大学校に進学した。別の本で、トシが高女9のとき教師とのあいだのスキャンダルで騒がれていたことを読みましたが、このあたりも書き込まれていたらと残念に思いました。
 それにしても、この本では父親の目から見た息子・賢治の生活ぶりが淡々と描かれていて、父と子というのは、お互いに分かりあいにくい存在なのだと、つくづく思ったことでした。いえ、賢治の父は、賢治のために身を粉にしているのです。
 宮沢賢治を知るためには、妹トシとの関わりだけでなく、父親との関わりも見落とせないと思ったことでした。もう少し賢治の内面深くに立ち入ってほしいなと思ったところもありますが、父親という目新しい視点があって最後まで面白く読み通しました。
(2018年1月刊。1600円+税)

2018年2月14日

心  愛さんへ


(霧山昴)
著者  寺脇 研 、 出版  ㈱ぎょうせい

 文部省(今は文科省)のキャリア官僚としてがんばった河野愛さんの追悼集です。20年前に発刊されたものを最近になって手に入れて読みましたので紹介します。キャリア官僚のハードな日常生活、そして彼らが毎日何をしているのか、その情景をまざまざと思い浮かべることができました。
愛さんは文化庁伝統文化課長として、太宰府の国立博物館の建立、小鹿田(おんだ)焼きの重文指定そして唐津くんち保存など、九州の文化保存にも大いに貢献していることを初めて知りました。
原爆ドームが平成7年6月、史跡に指定され、翌8年12月に厳島神社とともに世界遺産に登録された。これにも愛さんは関わっています。
 本省の課長職のときには、連日、10組、20組という訪問客に対応します。1組30分から長いと2時間の対応です。机の前は人でごったがえして、休む暇もない、同時に2組ということもある。夕方6時や7時には、のどはガラガラ。ときどきせきをすると、べっとり血のかたまりが出たりする。昼間とにかく聞いた話も、時間に追われてゆっくりとは聞いていないので、指示が不足していたり、軌道修正が必要なものが出て、夜に思い出して眠れなくなり、寝汗をびっしょりかいて、うなされて起きることもしばしば・・・。
こんな生活を愛さんは20年以上も続けたようです。たまりませんね。私も官僚を漠然と志向したこともありましたが、ならなくて良かったです。
愛さんはリクルート事件に直面します。文部省全体が巻き込まれました。愛さんは「不正に対して自分の生き方でたたかっていく」と書きしるしました。その正義感が許さなかったのです。
愛さんは、文部省労働組合の中央執行委員にもなっています。愛さんはカラオケでは「カスバの女」をうたいました。飲む場では盛り上がるのです。
愛さんは、仕事には厳しく、部下たちの手抜き仕事を見つけると、「このいい加減なやり方は許せない」とすさまじい形相で怒鳴り込んでいった。また、「仕事でしょ。いつから自分の好き嫌いで仕事を選ぶほど偉くなったの・・・」と叱りつけた。
そして、愛さんは「サロン・ド・愛」を主宰していました。キャリア官僚のほか、新聞記者、教授その他の10人前後がワイワイガヤガヤ・・・。昭和の終わりから平成にかけてのころのことです。
愛さんは40歳前後で働きざかり。こんな、「河野学校」とも呼ばれる場があり、後輩たちを引っぱっていました。そのなかに若き寺脇研氏がいて、前川喜平氏がいたのです。
「文部省も変わっていかなくてはいけない。従来の文部省のタイプの人間ばかり利用しているようではダメ。斬新な発想を文部行政に反映させていかなくては」と、愛さんは熱っぽく語っていたのでした。
私にとって、愛さんは東大駒場時代の同じ川崎セツルメントのセツラー仲間です。彼女のセツラーネームはアイちゃん。大柄で、明朗闊達、物怖じせず、いつもズケズケものを言うので、私たち男どもは恐れをなしていたものです。この本では東大では水泳部に所属していたと紹介されています。彼女は私と同じ年に東大に入学し、2年生の6月からは東大闘争に突入して一緒に試練をくぐり抜けたことになります。東大闘争たけなわの1968年9月、セツルメントの秋合宿に彼女も参加していることが写真で確認できます。私たちは、民主的なインテリとして社会に関わりながら、大学を出てからどう生きていくのかを真剣に議論していました。
アイちゃんは20年前に47歳で亡くなりました。お葬式には文部省の一課長なのに1500人もの参列者があったとのことです。それだけ人望があり、別れを惜しむ人が多かったというわけです。
今回、佐高信氏が「河野学校」の卒業生として前川喜平氏をFBで紹介したことから、アイちゃんの追悼集があることを知り、同じくキャリア官僚だった知人に頼んで入手して読みました。本文343頁の追悼集を全文読み通して、久々に学生時代のセツルメント合宿での熱い議論をまざまざと思い出しました。それにしても早すぎる死が惜しまれます。アイちゃん本人も残念なことだったと思います。
追悼集はよく編集されています。アイちゃんの生前の仕事上の活躍ぶりだけでなく、カラオケ、グルメを愛していた私生活も伝わってきて、アイちゃんの飾らない人柄がにじみ出ていました。本当に残念です。
(1998年2月刊。非売品)

2018年2月11日

スクリプトドクターのプレゼンテーション術



著者  三宅 隆太 、 出版  スモール出版

 著者は映画監督、脚本家、脚本のお医者さん(スクリプトドクター)、心理カウンセラーです。効果的なプレゼンテーションをするために必要なことを伝授してくれました。
 プレゼンは、人数に関係なく、対話である。プレゼンは一方通行のものではない。
 プレゼンが苦手なひとは、緊張するあまり、相手に伝えたいという想いが減ったり欠落してしまう。それでは、残念ながら聴き手の心には響かない。聴いている側も集中力を失い、退屈してしまう。
プレゼンでは、ウソをつかない、フリをしないことが大切。
 ミステムより、共感を重視する。
聴衆が大勢いる会場で話すときに、聴衆をジャガイモと思えば気が軽くなっていいという考え方があるが、それはまちがい、むしろ逆効果だ、逆に、会場を、聴衆ひとりひとりの顔をよく見ないといけない。
 そうなんですね。私は1万人大集会だったら知りませんが、100人くらいの会場だったら1人ひとりの参加者の目を見ながら「対話」するようにしています。
 小説は、内面の描写が描ける点が最大の魅力である。
 人前で話すことの難しさ、苦しさ、そしてやり甲斐が率直に語られていて参考になります。
(2017年10月刊。1600円+税)

2018年2月 5日

すごい進化



著者  鈴木 紀之 、 出版  中公新書

 一見すると不合理の謎を解くというサブタイトルがついています。
つわり。妊娠初期に妊娠が特定の匂いに対して過敏に反応してしまう。このつわりには、それなりの効用、すなわち進化的な合理性がある。実は、胎児を守るために機能している。つわりのときに反応しやすい匂いの中には、胎児によくない影響を支える物質が含まれている可能性があり、とくに外的な刺激が胎児の成長に影響を与えやすい時期にだけ、こうした反応が出やすい。つわりが起きれば妊婦はそうした匂いをもたらす物質を遠ざけようとし、結果として流産などのリスクを抑える効果がある。
 なーるほど...、人間の体はうまく出来ているのですね。
カフェインは、コーヒーの木やお茶の原料となるツバキの仲間やチョコレートの原料になるカカオ、そしてオレンジやガラナといった植物にも含まれる化学物質。これは、本来は葉を食べる昆虫から身を守るために植物が生産しているもの。
 オスの目的は自分の子を残すこと。たとえ別種に似ていようが、同種のメスである可能性が少しでもあるなら、ためらわずにアタックすべし。同種のメスへ求愛したところで、交尾までたどり着ける可能性は少ないのだから、他種のメスかもしれないというリスクがあったとしても、同種と交尾できたときのリターンがとてつもなく大きいので、オスのみさかいのなさはなくならない。なんせ、生涯に1回でも交尾できれば御の字なのだから。これが、別種を識別する能力がいつまでたっても進化しない背景だ。
 なるほど、生物の世界には、もちろん人間様も同じですが、一見すると不合理な行動のように見えていても、実はそれだけの理由があることがほとんどなのですね。だったら、失恋しても、そんなに嘆き悲しむ必要はないのですが...。
 一味ちがった角度から生物の実際を眺めることができるようになる本です。
(2017年5月刊。860円+税)

2018年1月29日

哲学の誕生

著者 納富 信留 、 出版 ちくま学芸文庫

 ソクラテスとは何者か、というサブタイトルのついた文庫本です。ソクラテスというのは、自分では何ひとつ書き残していない哲学者なんですね。知りませんでした。
 ソクラテスが哲学者であったのではない。ソクラテスの死後、その生を「哲学者」として誕生させたのは、ソクラテスをめぐる人々だった。
 ソクラテスは、告発されて不敬神の罪で法廷に引き出され、アテネの民衆は有罪、次いで死刑の判決を受けた。
 その罪状は二つ。一はポリスの伴ずる神々を信ぜず、別の新奇な神霊のようなものを導入するという不正を犯している。二は、若者を堕落させるという不正を犯している。
 では、ソクラテスは、これに対して何と弁明したのか、、、。ソクラテスは、自身も石工であった。ええっ、そ、そうなんですか、、、。初めて知りました。
 プラトンは、ソクラテスの死後、ソクラテスを主たる登場人物とする「対話篇」を執筆した。この対話篇では、ソクラテスがいろんな人と対話するが、プラントン自身は登場してこない。
 生涯を通じて人々と言葉をかわし、人々に問いを投げかけたソクラテスは、自身では何ひとつ書き残すことはなかった。ソクラテスは、その死とともにこの世界から立ち去り、ただ人々の魂の記憶においてだけ存在し続けた。
 ソクラテスは学校や学派をつくっていない。常に街角で、さまざまな人々と対話するだけだった。
 プラントンは、愛しの弟子の一人でしかなく、ソクラテスの死のとき28歳の若者であり、ソクラテスの唯一の後継者とはみなされていなかった。
 ソクラテスは貧乏と変行で知られていた。
 ソクラテスという一変人に向けられた裁判は、アテネ社会の影を背負っている。裁判は思いがけず大差の死刑判決で終った。ソクラテスは、自身をもって、自らが「もっとも知恵ある者」と語り、裁判員たちの騒擾と憤激をひき起こした。
 「釈迦、孔子、ソクラテス、イエスの4人を世界の四聖と呼ぶ」。和辻哲郎の書にある。
ソクラテスは貧乏ではあったが体格は頑丈で、やせたとは言い難い。
出来事のすぐあとでなければ「記憶」が新鮮を失うといった想定は、現実の重みを無視した、あまりに素朴な理屈にすぎない。「記憶」は時の経過を必要とする。言葉にして示すことで人々は出来事を整理し衝撃をやわらげて自分の経験として理解する。そして、それそこ「真実」として一人ひとりの心の中に言葉として結晶していく。
 大いに考えさせられた文庫本でした。
(2017年4月刊。1200円+税)

2018年1月22日

ウンベルト・エーコの小説講座


(霧山昴)
著者  ウンベルト・エーコ 、 出版  筑摩書房

 『薔薇の名前』は驚嘆して読みました。中世の教会の馬鹿馬鹿しくも、おどろおどろしい雰囲気があまりにも真に迫っていて、背筋の寒くなるほど不気味な雰囲気のストーリー展開でした。ですから、画期的な名著であり、圧倒されてしまう傑作だと思いますが、もう一度よく読んでみようとは思わない本です。それはともかくとして、そんな偉大な傑作をどうやって書いたのか、そこはぜひ知りたいところです。なぜなら、私もモノカキを自称していますし、小説に挑戦したことがありますし、いまも挑戦中だからです。
 『薔薇の名前』を書く前に、登場する修道士全員の肖像画を作成した。そうなんですよね。私も、登場人物が10人をこえる小説を書いたときには、それぞれのキャラクターを区分けして書いたメモをつくっていました。肖像画を描く才能はありませんので、メモだけでしたが・・・。これは矛盾なく話をころがしていくためには不可欠なのですが、ストーリーが進展するなかで、どんどん人物像がふくらんでいくので、前後そして関連人物との矛盾をきたさないようにするのが大変でした。
 小説とは、何よりもまず、ひとつの「世界」に関するもの。何かを物語るために、作者はまず、世界を生み出す創造神になる必要がある。その世界は、作者が自信をもって、そのなかを動き回れるような、可能なかぎり精密な世界でなくてはならない。
書き手にとって、小説の世界の構造、つまり出来事の舞台や物語の登場人物は重要なもの。しかし、その正確な構造を読者に伝えたほうがよいとは言えない。むしろ、多くの場合、読者に対してはあいまいにすべきものである。矛盾があって、読者に探究心を呼びおこすのがいい。
 作家がひとたび特定の物語世界を構想したら、言葉はあとからついてくる。そのとき出てくる言葉は、その特定の世界が必要としている言葉なのだ。なるほど、たしかにそうなのです。ストーリー展開は、書いているうちに次々にふくらんでくのですが、それは自分の意識していない方向にペンが走っていくこともしばしばなのです。そんなことがあるから、小説の世界に意外性が生まれ、耳目を惹きつけるのかもしれません。
(2017年9月刊。2300円+税)

2018年1月 8日

動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか

著者 フランス・ドゥ・ヴァール 出版  紀伊國屋書店

ハイイロホシガラスは、秋に、何百平方キロメートルもの範囲の何百という場所に、マツの実を2万個以上も蓄えておき、冬と春の間に、その大半を見つける。
ゾウが物をつかむ鼻は、霊長類の手とは違って嗅覚器官でもある。ゾウは、道具を使える。
かつては動物に名前をつけるのは人間が過ぎると考えられていたため、西洋の教授は学生に日本の学派には近づかないように警告していた。サルはみなそっくりなので、伊谷が100万頭以上のサルを見分けると言ったとき、ホラ吹きにちがいないと思われてしまった。今日では、多数のサルを見分けるのは可能だし、現に見分けている。そうなんですよね。外国人からみると、日本人って、みな同じ顔をしていて見分けがつかないとよく言われますよね、、、。
チンパンジーのメスが年齢(とし)をとって果実の生(な)る木に登れなくなったとき、木の下で辛抱強く待っていると、娘が果実をかかえて下りてきて、二頭いっしょに満足そうにむしゃむしゃ食べはじめました。親子で協力しているのですね。
チンパンジーが蜂蜜を採集するときには、5つの道具からなるセットを用意する。巣の入口を壊して広げる頑丈な棒、穴をあける棒、穴を拡大させるもの、蜂蜜をなめとる棒、スプーン代わりにする樹皮片。
チンパンジーは、他のすべての類人猿と同じで、考えてから行動する。オウムのアレックスは、話せるし、計算することだってできた。
オオカミは、犬ほど人間の顔を見ないし、自己依存の度合いが強い。犬は自分では解決できない問題に取り組んでいると、飼い主を振り払って、励ましや手助けを得ようとする。オオカミは決して、そういうことはしない。 自分で試み続ける。
犬は人間としきりに目を合せる。飼い主も犬の目をのぞき込むと、オキシトシンが急速に増える。
著者の観察と研究によってチンパンジーが政治をしていることが判明した。二頭のライバル間だけで対決に決着がつくことはほとんどなく、他のチンパンジーたちがどちらを応援するのかが関係する。事前に「世論」に影響を与えておいたほうが有利になる。
旗色が悪くなったチンパンジーは、手を広げて仲間のほうに差し出し、助けを求める。支援を得て形勢を逆転させようとしているのだ。そして、敵の仲間に対しては、懐柔しようと懸命になり、腕を回して顔や肩にキスをした。助けを乞うのではなくて、中立の立場をとってもらうのが狙いだった。
著者が私と同年生まれだというのを巻末の著者紹介で知っておどろきました。人間が一番だなんて、とてもとても威張ってなんかおれませんよね。
(2017年9月刊。2200円+税)

2018年1月 1日

いわさきちひろ、子どもへの愛に生きて


(霧山昴)
著者 松本 猛 、 出版  講談社

この本を読まない人は、人生で損をすると思います。まして、いわさきちひろの絵をまだ見たことがないという人がいたら、お気の毒としか言いようがありません。世の中に、こんなに素敵な子どもの絵があるなんて、信じられないほどの傑作ぞろいです。
それにしても、いわさきちひろ生誕100年というのには驚いてしまいました。ええつ、そんな前に亡くなっていたんですね・・・。55歳で亡くなっていますが、とても可愛いらしい笑顔の写真を私も見慣れていましたし、童女たちの絵を見るにつけ、いわさきちひろは今もまだ身近な存在だったので、生誕100年というのは驚きでしかありませんでした。
一人息子である著者による伝記です。戦争との関わりが、とても詳しく描かれています。
ちひろたちが満州に渡って大変な目にあったことを初めて知りました。ちひろの母親が満州に娘たちを送り出す組織の事務方をしていたのです。満州は日本での前宣伝とはまるで違った悲惨な現実に直面するのでした。そして、日本に戻ってからは空襲にあって焼け出されてしまいます。戦後、ちひろは戦争中の悲惨な現実を見て、戦争反対でがんばった共産党に魅かれていくのです。
いわさきちひろの絵は天性のものかと思っていましたが、もちろんそれもありますが、画家や書道家を師匠としてきちんと指導を受けているのですね。さらに、絵本をつくる過程では編集者の厳しい注文も受けとめていることを知りました。天才だから初めからうまい絵が描けたのではなくて、天分に努力を加えて、いまの私たちが感動する絵が生まれたのです。
著者は1951年生まれですから、団塊世代のすぐ下の世代です。私も身に覚えがありますが、中学生のころには親とほとんど話をしたことがありませんでした。今から思えばもったいないとは思いますが、それは誰でも親から自立する過程で必要なことですので仕方ありません。
東京のちひろ美術館には行ったことがありますが。長野はまだです。この本を読んで、ますます行きたいと思いました。よく調べてあります。いい本をありがとうございました。
                          (2017年10月刊。1800円+税)

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