弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
人間
2018年5月28日
私の少女マンガ講義
(霧山昴)
著者 萩尾 望都 、 出版 新潮社
福岡県大牟田市出身の、今では世界的にも有名なマンガ家です。
私自身は直接には著者と面識ありませんが、母親同士が親しく交際していて、私の記憶に残る著者の母親は、まさしく著者そっくりです。ところが、著者と母親とのあいだには、大変厳しい葛藤があったようです。要するに、いつもマンガを描いている娘を母親は認めることが出来なかったのです。まあ、無理もないことでしょうね・・・。
さすがに少女マンガの第一人者ですから、著者の話は大変説得力があります。
この本は、著者がイタリアの大学で講演したときの話と質疑応答をまとめたものが主となっていますので、大変読みやすく、また、読者の知りたいことを明らかにしていて読みごたえがあります。
少女マンガとは、少女の、少女による、少女のためのメディア。
30年以上も続いている少女マンガの作品がある。読者も大きくなっていくけれど、少女マンガを読むときには、心が少女に戻る。男は、いくつになっても少年の心を持っているというけれど、女も、いくつになっても少女の心を持っているのだ。
「リボンの騎士」を描いた手塚治虫は、かけがえのない贈り物を作品として少女たちに手渡した。それは、女の子にも自由はある、ということ。
著者は高校2年生のとき、手塚治虫の「新撰組」というマンガを読んで大変なショックを受けた。そして、こんなにショックを受けたのだから自分も誰かにショックを返したいと思い、それでマンガ家になると決心した。
今いる場所がすべてではないと考えると、脳が活性化する。
ふだん、気になっていることをずっとずっと考えているうちに、ある日突然、ストーリーがぱっと浮かぶ。
マンガ家の世界では、気が合う人、作品が好きな人同士で、おつきあいをする。
三度の出会いがあった。デビューできたこと、描ける場があったこと、よい編集担当に出会ったこと。
あっ、これが運だ。そう思ったときに、それを逃さないようにキャッチする。これが大切だ。
すごく面白いマンガには、コマのリズム、構図のリズム、台詞(セリフ)のリズムが三位一体となって感情を動かしてくる。
マンガのオーソドックスの基本を描いているのは、横山光輝、手塚治虫、そしてちばてつやの三人。この3人の技法をおさえておけば、マンガの基本は描ける。
「ポーの一族」、「11人いる!」はその発想に圧倒されました。「残酷な神が支配する」には、私の想像できない世界を見て、言葉が出ませんでした。とても同世代とは思えない思考の深さに感嘆します。
(2018年4月刊。1500円+税)
2018年5月14日
佐藤ママの強運子育て心得帖
(霧山昴)
著者 佐藤 亮子 、 出版 小学館
著者の本は、どれを読んでも、じんわり心が温まる思いがします。同時に、自らの子育てを振り返ると、ああ、そうか、あれは良くなかったんだなあと、反省することしきりです。でも、まあ、3人の子がそれなりに元気に生きていることで、それほど大きな間違いはしてないよね、と自らを慰めています。
そもそも、子どもには、親の恩なんて感じさせないように育てるのが一番いい子育てだ。
ともに笑ったり、泣いたり、かわいいころを一緒に過ごせる幸せに感謝。
まったく、そのとおりです。でも、その幸せに気がつくのは、たいてい過ぎ去ってから何年も何十年もたってからのことなんですよね・・・。
ケアレスミスという言葉をつかってはダメ。間違いは、すべて間違い。
人間はみな、基本的に怠け者である。
子どもの泣き声が耳障りなのは、生きていくために親の注意をひく目的があるから。
そうなんです。サルやチンパンジーの赤ちゃんは泣かない。なぜか・・・。赤ちゃんは母親にぴったり密着しているから、泣く必要がない。人間の赤ちゃんは母親と密着していないので、泣いて母親の注意を喚起する必要があるのです。
隣の子に言えないような言葉は自分の子にも決して言ってはならない。
アドバイスを受けたら、まず、感謝する。「だけどね・・・」と言うべきではない。
子どもから相談をされたら、何を差しおいても、ふたつ返事で引き受ける。
うーん、これって簡単そうで、実際には難しいですよね。親にも都合があり、気分の変化もありますからね・・・。それでも、ということなんですよね。
家庭のなかで、みんなが明るく生きていけるように演じてみる。
自分の心に毒になってしまいそうなことはスルーしてしまう。
そうですよね、ストレスもためこまない工夫が必要です。
子どもにとって、親は絶対的な存在であって、相対的なものではない。
親が何ごとにも好奇心旺盛で積極的に行動していると、子どもは伸びる。
子育てにおいて一番大切なことは余裕をもつこと。そして、十分な睡眠は集中力に欠かせない。
4人の子(男3人、女1人)を全員、東大理Ⅲに合格させた佐藤ママの言葉は、どれをとってもなるほどと思わせるものばかりです。あとは、ひとつひとつ実行していくことですね。
わずか130頁たらずの小さな新書ですが、子育て途中のパパ・ママには価値ある1000円に間違いありません。
(2018年4月刊。1000円+税)
2018年5月 6日
絶景本棚
(霧山昴)
著者 本の雑誌社編集部 、 出版 本の雑誌社
愛読家にとって蔵書の収納場所をいかに確保するか、常に頭を悩ます大問題です。必ずしも世に広く知られた有名人だけではありませんが、本のコレクターとして書斎に何万冊も並べている光景が1冊の写真集になっています。
私も60歳台の前半までは、「本は一冊だって捨てられない」と高言していました。雑誌は捨てても単行本は捨てることができなかったのです。
しかし、60歳台も後半になって一大心境の変化が生まれ、まず、今後もう読むことはないと思う本を書斎から抜き出し、私の関係する団体の事務所に本棚ごと贈呈し、移動させました。それでもまだまだ本はあります。次に、主として警察小説と中心とする推理小説を知人の市会議員の個人事務所にそっくり寄贈しました。推理小説を2度読み返すことは、まずありませんので、読み手のいそうなところに引き取ってもらって、本のリユースを願ったのです。そして今、資料価値がなくなっていて、保存しておくことのないと思った本を大胆に捨てています。
私はこの20年ほど、毎年500冊の単行本を読了しています。買ったけれど読んでいない本が何冊かあります。ちなみに、私は本は買います。読んで光るところは赤エンピツで棒線を引きます。弁護士生活も40年以上となっていますので、私の所有する本は単純に数えても2万冊を下回ることは考えられません。自宅も事務所も本であふれています。
本は段ボールに入れてしまったら終わりです。死蔵ということは使わないことと同義。やはり、背表紙を見えるようにして、すぐにも手に取れるようにしておく必要があります。
この本に出てくる書斎は、本の高さと形に応じて、みんな苦労していることがよく分かります。私の事務所にはスライド式書棚がありますが、これは本の保管としては適さないと考えています。
本は背表紙を読んで、「えっ、こんなところにいたの・・・。」というつぶやきとともに、すぐに手を伸ばして胸にかかえこむべきものです。今度、そのうち買って読もう、なんて考えていても、そんなことはついつい、すぐに忘れ去ってしまいます。今、ここでの出会いを大切にして、フィーリングで購入することを表明して、いい本(いい書斎)にめぐりあえたことを高く評価します。ありがとうございました。
(2018年3月刊。2300円+税)
2018年4月23日
モノに心はあるのか
(霧山昴)
著者 森山 徹 、 出版 新潮選書
心があるのは人間だけに決まっている。なんて変なタイトルの本なんだ。モノに心はない。心がないからこそ、人間とちがってモノなんだ・・・。
著者は、子どものころ、死ぬと決して生き返ることはない。死ぬと夢を見ないで寝ているのと同じ状態になることを確信した。人間は、死ぬと、まったくなくなってしまう。そして、世界は、自分の生まれる前から、そして自分が死んでからも存在するということを実感した。
この点は、私もまったく同じです。ですから、私は、この世に自分というものが存在したことを、たとえ小さなひっかきキズでいのでなんとかして残したいと考え苦闘してきました。こうやって文章を書いているのも、そのあがきのひとつなのです。
心とは、隠れた活動体、すなわち潜在行動決定機構群だ。それは、動物行動学の言葉を用いたら、自立的に抑制する複数の定型的行動の欲求だ。
石においても、隠れた活動体は存在している。つまり、石にも「心」が存在する。石器職人が石を割るとき、自分の力だけで石を思いどおりに割ったとは考えていない。職人は石の自律性を感じている。石の個性に気がついた職人は、石の内部でそれを生成する何者か、すなわち「隠れた活動体」の存在を知ることになる。
アメーバ動物である粘菌が迷路のスタートとゴールを結ぶ最短経路を探し出せること(知)、魚が恐怖や不安の反応を示すこと(情)、ザリガニの脳内には自発歩行の「数秒後に」活動しはじめる神経回路があること(意)が判明している。これらの研究報告は、無脊椎動物をふくむヒト以外の多くの動物に、知・情・意を代表とする精神作用が備わっていることを示唆している。したがって、心はヒトに特有なものではなく、あらゆる動物に備わるものだということになる。
この本は、「心」というものを平易で明瞭なコトバでもって語り尽くそうとしています。読んでいると、なるほど、なるほど、そういうことだったのかと思わずひとりつぶやいてしまいます。
(2017年12月刊。1200円+税)
初夏と勘違いさせる陽気となり、ジャーマンアイリスが一斉に花を開いてくれました。ほとんどが青紫色で、いくつか黄色の花が混じっています。そのあでやかさは目を惹きつけます。チューリップは終わりました。庭の一区画からアスパラガスが次々に伸びて、春の香りを毎日のように味わっています。
博多駅の映画館で韓国映画「タクシー運転手」をみてきました。1980年に起きた凄惨な光州事件がテーマです。軍隊が市民を守るものではないこと、当局はひたすら真相を隠してデマ宣伝をすることが描かれ、思わず鳥肌が立ちます。
自衛隊がイラクのサマワに行ったとき、何が起きていたのか・・・。日報かくしは絶対に許せません。ぜひ時間をつくってみてください。
2018年4月16日
夢を食いつづけた男
(霧山昴)
著者 植木 等 、 出版 ちくま文庫
私が大学生のころ、植木等(ひとし)は、日本一の無責任男だと評判を呼んでいました。いかにも軽薄そのもので、小心者で頭の固い田舎者のぼくはいささか鼻白んでいました。
ところが、この本を読むと、その内実は、とても真面目な人物だったようです。そして、それは父親譲りだったのです。
植木等の父親は植木徹誠。三重県にある小さな山寺の住職もしていました。そして、その前は東京にあった御木本(みきもと)の工場で働き、社会主義に目覚め、活動していたのです。おかげで特高に捕まり、子どもの植木等は警察署へ差し入れの弁当を毎日自転車で届けていました。だから、植木等は大きくなってからも共産党と聞くと怖いという思いがあり、好きになれなかったといいます。父親はあとで東京に出て新宿民商の会長になり、共産党員としても活動しました。
植木徹誠が東京で労働運動に没入していたころ、アナーキストの大杉栄(関東大震災のとき、憲兵隊の甘粕大尉などに虐殺されました)も講師としてやって来て話を聞いています。
その後、徹誠は山寺の住職となり、部落差別に怒りをもって運動し、昼間はお年寄りに地獄と極楽の話をし、夜になると青年たちに革命の話をしていた。
すごいね。讃美歌をうたい、労働歌をうたい、もっと若いころには義太夫もうなっていたのです。まことに芸達者です。植木等は、きっとその血をひいたのでしょう。
しかし、治安維持法違反で検挙されるのです。このころ、小学生の等に対して担任の教師はこう言って励ました。
「きみのお父さんは立派なんだ。ただ、今のご時世にあわないのだ。進みすぎているのだ」
なるほど、そういうことなんですよね・・・。それでも等少年には辛い体験だったようです。
そして、親子は、ついに郷里から石もて追われるようにして立ち去るのでした。
父・徹誠は3年ものあいだ、各地の警察署を転々としていたそうです。大変な目にあったのですね。住職として戻って、檀家の人が寺にやって来て、召集令状が来たというと、徹誠はこう言った。
「戦争というのは、集団殺人だ。それが加担させられることになったわけだから、なるべく戦地では、弾のこないような所を選ぶように。まわりから、あの野郎は卑怯だとかなんだとか言われたって、絶対、死んじゃダメだぞ。必ず、生きて帰ってこい。死んじゃったら、年とったおやじやおふくろはどうなる。それから、なるべく相手も殺すな」
偉いですね。戦争中にここまで、言えるなんて・・・。映画「二十四の瞳」の大石先生も、心の中はともかく、言葉に出しては言えないセリフでした。
植木等の父親を語る心のうちには、とても温かいものを感じました。無責任どころではありません。
(2018年2月刊。860円+税)
2018年2月18日
銀河鉄道の父
(霧山昴)
著者 門井 慶喜 、 出版 講談社
面白いです。植木賞を受賞したというのは当然だと思いました。宮沢賢治の父親が賢治とどのように接していたのか、ごくごく自然に受けとめることができました。その筆力たるや、大したものです。
賢治の父親は質屋を営んでいる。天災は、もうかる。それが質屋の法則だった。もちろん、店や家族が直接被害を受けない限りである。
賢治の父親は、営業成績が優秀で、勉強が好きだったので中学校(今の高校)へ進学を希望したところ、父・喜助は質屋に学問は必要ないといって、断念させられた。
賢治の父親は、夏期講習会を主宰して、知識人や僧侶を招いて知的合宿を開催してきた。そして、賢治には中学への進学を許した。質屋も、学問がなければつぶれると考えたのだ。
賢治は森岡中学校を受験し、合格した。そして、賢治はさらに盛岡高等農林学校に進学した。それも主席の合格だった。賢治の妹トシも、高等女学校を首席で卒業し、東京の日本女子大学校に進学した。別の本で、トシが高女9のとき教師とのあいだのスキャンダルで騒がれていたことを読みましたが、このあたりも書き込まれていたらと残念に思いました。
それにしても、この本では父親の目から見た息子・賢治の生活ぶりが淡々と描かれていて、父と子というのは、お互いに分かりあいにくい存在なのだと、つくづく思ったことでした。いえ、賢治の父は、賢治のために身を粉にしているのです。
宮沢賢治を知るためには、妹トシとの関わりだけでなく、父親との関わりも見落とせないと思ったことでした。もう少し賢治の内面深くに立ち入ってほしいなと思ったところもありますが、父親という目新しい視点があって最後まで面白く読み通しました。
(2018年1月刊。1600円+税)
2018年2月14日
心 愛さんへ
(霧山昴)
著者 寺脇 研 、 出版 ㈱ぎょうせい
文部省(今は文科省)のキャリア官僚としてがんばった河野愛さんの追悼集です。20年前に発刊されたものを最近になって手に入れて読みましたので紹介します。キャリア官僚のハードな日常生活、そして彼らが毎日何をしているのか、その情景をまざまざと思い浮かべることができました。
愛さんは文化庁伝統文化課長として、太宰府の国立博物館の建立、小鹿田(おんだ)焼きの重文指定そして唐津くんち保存など、九州の文化保存にも大いに貢献していることを初めて知りました。
原爆ドームが平成7年6月、史跡に指定され、翌8年12月に厳島神社とともに世界遺産に登録された。これにも愛さんは関わっています。
本省の課長職のときには、連日、10組、20組という訪問客に対応します。1組30分から長いと2時間の対応です。机の前は人でごったがえして、休む暇もない、同時に2組ということもある。夕方6時や7時には、のどはガラガラ。ときどきせきをすると、べっとり血のかたまりが出たりする。昼間とにかく聞いた話も、時間に追われてゆっくりとは聞いていないので、指示が不足していたり、軌道修正が必要なものが出て、夜に思い出して眠れなくなり、寝汗をびっしょりかいて、うなされて起きることもしばしば・・・。
こんな生活を愛さんは20年以上も続けたようです。たまりませんね。私も官僚を漠然と志向したこともありましたが、ならなくて良かったです。
愛さんはリクルート事件に直面します。文部省全体が巻き込まれました。愛さんは「不正に対して自分の生き方でたたかっていく」と書きしるしました。その正義感が許さなかったのです。
愛さんは、文部省労働組合の中央執行委員にもなっています。愛さんはカラオケでは「カスバの女」をうたいました。飲む場では盛り上がるのです。
愛さんは、仕事には厳しく、部下たちの手抜き仕事を見つけると、「このいい加減なやり方は許せない」とすさまじい形相で怒鳴り込んでいった。また、「仕事でしょ。いつから自分の好き嫌いで仕事を選ぶほど偉くなったの・・・」と叱りつけた。
そして、愛さんは「サロン・ド・愛」を主宰していました。キャリア官僚のほか、新聞記者、教授その他の10人前後がワイワイガヤガヤ・・・。昭和の終わりから平成にかけてのころのことです。
愛さんは40歳前後で働きざかり。こんな、「河野学校」とも呼ばれる場があり、後輩たちを引っぱっていました。そのなかに若き寺脇研氏がいて、前川喜平氏がいたのです。
「文部省も変わっていかなくてはいけない。従来の文部省のタイプの人間ばかり利用しているようではダメ。斬新な発想を文部行政に反映させていかなくては」と、愛さんは熱っぽく語っていたのでした。
私にとって、愛さんは東大駒場時代の同じ川崎セツルメントのセツラー仲間です。彼女のセツラーネームはアイちゃん。大柄で、明朗闊達、物怖じせず、いつもズケズケものを言うので、私たち男どもは恐れをなしていたものです。この本では東大では水泳部に所属していたと紹介されています。彼女は私と同じ年に東大に入学し、2年生の6月からは東大闘争に突入して一緒に試練をくぐり抜けたことになります。東大闘争たけなわの1968年9月、セツルメントの秋合宿に彼女も参加していることが写真で確認できます。私たちは、民主的なインテリとして社会に関わりながら、大学を出てからどう生きていくのかを真剣に議論していました。
アイちゃんは20年前に47歳で亡くなりました。お葬式には文部省の一課長なのに1500人もの参列者があったとのことです。それだけ人望があり、別れを惜しむ人が多かったというわけです。
今回、佐高信氏が「河野学校」の卒業生として前川喜平氏をFBで紹介したことから、アイちゃんの追悼集があることを知り、同じくキャリア官僚だった知人に頼んで入手して読みました。本文343頁の追悼集を全文読み通して、久々に学生時代のセツルメント合宿での熱い議論をまざまざと思い出しました。それにしても早すぎる死が惜しまれます。アイちゃん本人も残念なことだったと思います。
追悼集はよく編集されています。アイちゃんの生前の仕事上の活躍ぶりだけでなく、カラオケ、グルメを愛していた私生活も伝わってきて、アイちゃんの飾らない人柄がにじみ出ていました。本当に残念です。
(1998年2月刊。非売品)
2018年2月11日
スクリプトドクターのプレゼンテーション術
著者 三宅 隆太 、 出版 スモール出版
著者は映画監督、脚本家、脚本のお医者さん(スクリプトドクター)、心理カウンセラーです。効果的なプレゼンテーションをするために必要なことを伝授してくれました。
プレゼンは、人数に関係なく、対話である。プレゼンは一方通行のものではない。
プレゼンが苦手なひとは、緊張するあまり、相手に伝えたいという想いが減ったり欠落してしまう。それでは、残念ながら聴き手の心には響かない。聴いている側も集中力を失い、退屈してしまう。
プレゼンでは、ウソをつかない、フリをしないことが大切。
ミステムより、共感を重視する。
聴衆が大勢いる会場で話すときに、聴衆をジャガイモと思えば気が軽くなっていいという考え方があるが、それはまちがい、むしろ逆効果だ、逆に、会場を、聴衆ひとりひとりの顔をよく見ないといけない。
そうなんですね。私は1万人大集会だったら知りませんが、100人くらいの会場だったら1人ひとりの参加者の目を見ながら「対話」するようにしています。
小説は、内面の描写が描ける点が最大の魅力である。
人前で話すことの難しさ、苦しさ、そしてやり甲斐が率直に語られていて参考になります。
(2017年10月刊。1600円+税)
2018年2月 5日
すごい進化
著者 鈴木 紀之 、 出版 中公新書
一見すると不合理の謎を解くというサブタイトルがついています。
つわり。妊娠初期に妊娠が特定の匂いに対して過敏に反応してしまう。このつわりには、それなりの効用、すなわち進化的な合理性がある。実は、胎児を守るために機能している。つわりのときに反応しやすい匂いの中には、胎児によくない影響を支える物質が含まれている可能性があり、とくに外的な刺激が胎児の成長に影響を与えやすい時期にだけ、こうした反応が出やすい。つわりが起きれば妊婦はそうした匂いをもたらす物質を遠ざけようとし、結果として流産などのリスクを抑える効果がある。
なーるほど...、人間の体はうまく出来ているのですね。
カフェインは、コーヒーの木やお茶の原料となるツバキの仲間やチョコレートの原料になるカカオ、そしてオレンジやガラナといった植物にも含まれる化学物質。これは、本来は葉を食べる昆虫から身を守るために植物が生産しているもの。
オスの目的は自分の子を残すこと。たとえ別種に似ていようが、同種のメスである可能性が少しでもあるなら、ためらわずにアタックすべし。同種のメスへ求愛したところで、交尾までたどり着ける可能性は少ないのだから、他種のメスかもしれないというリスクがあったとしても、同種と交尾できたときのリターンがとてつもなく大きいので、オスのみさかいのなさはなくならない。なんせ、生涯に1回でも交尾できれば御の字なのだから。これが、別種を識別する能力がいつまでたっても進化しない背景だ。
なるほど、生物の世界には、もちろん人間様も同じですが、一見すると不合理な行動のように見えていても、実はそれだけの理由があることがほとんどなのですね。だったら、失恋しても、そんなに嘆き悲しむ必要はないのですが...。
一味ちがった角度から生物の実際を眺めることができるようになる本です。
(2017年5月刊。860円+税)
2018年1月29日
哲学の誕生
著者 納富 信留 、 出版 ちくま学芸文庫
ソクラテスとは何者か、というサブタイトルのついた文庫本です。ソクラテスというのは、自分では何ひとつ書き残していない哲学者なんですね。知りませんでした。
ソクラテスが哲学者であったのではない。ソクラテスの死後、その生を「哲学者」として誕生させたのは、ソクラテスをめぐる人々だった。
ソクラテスは、告発されて不敬神の罪で法廷に引き出され、アテネの民衆は有罪、次いで死刑の判決を受けた。
その罪状は二つ。一はポリスの伴ずる神々を信ぜず、別の新奇な神霊のようなものを導入するという不正を犯している。二は、若者を堕落させるという不正を犯している。
では、ソクラテスは、これに対して何と弁明したのか、、、。ソクラテスは、自身も石工であった。ええっ、そ、そうなんですか、、、。初めて知りました。
プラトンは、ソクラテスの死後、ソクラテスを主たる登場人物とする「対話篇」を執筆した。この対話篇では、ソクラテスがいろんな人と対話するが、プラントン自身は登場してこない。
生涯を通じて人々と言葉をかわし、人々に問いを投げかけたソクラテスは、自身では何ひとつ書き残すことはなかった。ソクラテスは、その死とともにこの世界から立ち去り、ただ人々の魂の記憶においてだけ存在し続けた。
ソクラテスは学校や学派をつくっていない。常に街角で、さまざまな人々と対話するだけだった。
プラントンは、愛しの弟子の一人でしかなく、ソクラテスの死のとき28歳の若者であり、ソクラテスの唯一の後継者とはみなされていなかった。
ソクラテスは貧乏と変行で知られていた。
ソクラテスという一変人に向けられた裁判は、アテネ社会の影を背負っている。裁判は思いがけず大差の死刑判決で終った。ソクラテスは、自身をもって、自らが「もっとも知恵ある者」と語り、裁判員たちの騒擾と憤激をひき起こした。
「釈迦、孔子、ソクラテス、イエスの4人を世界の四聖と呼ぶ」。和辻哲郎の書にある。
ソクラテスは貧乏ではあったが体格は頑丈で、やせたとは言い難い。
出来事のすぐあとでなければ「記憶」が新鮮を失うといった想定は、現実の重みを無視した、あまりに素朴な理屈にすぎない。「記憶」は時の経過を必要とする。言葉にして示すことで人々は出来事を整理し衝撃をやわらげて自分の経験として理解する。そして、それそこ「真実」として一人ひとりの心の中に言葉として結晶していく。
大いに考えさせられた文庫本でした。
(2017年4月刊。1200円+税)