弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
人間
2017年11月17日
3男1女、東京理Ⅲ合格、百発百中
(霧山昴)
著者 佐藤 亮子 、 出版 幻冬舎
著者の本を読むたびに思うことは、家庭が楽しいと子どもは伸び伸び育つこと、勉強も楽しいものにするコツがあるということです。なにより著者の自信にみちた笑顔が素敵です。こんな母親のもとで、一緒に楽しく勉強できたら、東大理Ⅲだってラクラク(!)受かるようになるのでしょうね。
著者の子育て勉強法はきわめて合理的です。子どもたちがいかにして楽しく勉強していけるか徹底して考え抜かれていますので、子どもが東大理Ⅲを目ざさなくても、大いに参考になるところがある「絶対やるべき勉強法」に満ち充ちています。
楽しく勉強するための道具と工夫として、カラー写真でランチボックスや赤ボールペン、特製ノート、プラスチックケース、カラーノートなどが紹介されています。書棚だって、色分けされていますし、教科別、ジャンル別になっていますので、すぐに欲しいものが取り出せます。
4人目の子どもさんは女の子らしく見た目にこだわるのですね。ですから、いろいろなデザインや形、色のランチボックスを買いそろえ、なんと、中学・高校を通して50個以上は買ったといいます。そして、前日の夕飯の残りものを弁当に入れることはしなかったというのです。いやはや、たいしたものです。
著者の子育ての最終目標は、子どもたちが大人になって振り返ったとき、実家での両親や兄弟たちとの生活は楽しかったなあと思ってもらえること。これは大賛成ですね。私自身が達成できたかどうか、不安がありますが、それほど大きな失敗はしていないのではないかと考えています・・。
子どもに、「さっさとやりなさい」とか「きちんとやりなさい」と言ってもダメ。これでは具体性がないから効果がない。何を、いつ、どのようにするかを明確にして、子どもがやりやすいように仕組みをつくってはじめて、言葉が効力を発揮する。
父親は家庭では、「忙しい」とか「疲れている」と言ってはいけない。
勉強は楽しく教え、楽しく習いたいもの。
受け身でなく、主体的に勉強するのが成績を上げる唯一のコツ。
私は、著者の配偶者から贈呈いただきましたが、245頁、1300円の本です。買って読んで損は「絶対に」しません。一読をおすすめします。
(2017年10月刊。1300円+税)
2017年11月15日
子ども受容のすすめ
(霧山昴)
著者 関根 正明 、 出版 学陽書房
ながく中学校の教師として生徒に接してきた体験にもとづくものだけに説得力があります。
こちらの気持ちをそのまま受け取ってくれること。それを受容という。器量の大きな人は、とにかくはじめに受容してくれる。こちらの話を最後まで聞いてくれ、その後、自分の感じたことを静かに話す。こちらが話している途中で、話の腰を折ったりせず、はじめは、ともかく受容してくれる。
上手に付きあうことの根本が、この相手を受容することにある。
人間とは不思議な存在である。自分のことでありながら、自分のことがまるで分からない。
人間の成長する過程で、よくやった、えらい、ほう、なかなかうまいね、たいしたものだ、よくやるもんだ、感心だなあ、アタマいいねえ、うまいものだ、そんな言葉を多くかけてもらえた人ほど幸福だ。反対に、なんだ、そのやり方は、何、やってるんだ、へただなあ、もう少しマトモに出来ないのか、何だ、こりゃあ、さっぱり分からんよ、なんて言葉ばかり与えられて育った人は、マイナスの自己概念、潜在意識、潜在観念を植えつけられるので、不幸だ。
受容は、人の心を安定させる。自分の心が安定しているから、相手を受容できる。許容に比べて、受容は大きい。受容が全面的なのに対して、許容は部分的。
子どもは、幼いときには、それなりに親の期待に応えようとする。自分が無理をしても親の期待にそって親を喜ばせようとする。そのとき、子どもは心理的に無理している。しかし、子ども本人は無理しているとは考えていない。
親の情緒不安、穏やかな表情は、子どもにとっての安定感となる。逆に、親の情緒不安定、険しい表情は、子どもにとって落ち着いていられないものになる。
人は、一般に、広く深く世の中のことを知り、いろいろな体験をしていくうちに角がとれ、丸みができてくる。自己受容して自分が情緒的に安定するうえでも重要なこと。そのためには、多くの分野の本を読み、音楽、美術、芸能に親しむこと、多くの人々とつきあう必要がある。
人間は、所属している集団のなかで自分を何らかの形で表現したいという欲求をもっている。これを自己表出欲求という。そして、その集団に自己の存在を認めてもらいたいという欲求をもっている。これを社会的承認欲求という。この二つの基本的欲求が充足されて人間は情緒的に安定する。
実は、この本は25年以上も前の本なのです。書棚の奥に眠っていた積ん読く本をタイトルに惹かれて読んでみたのでした。読んで良かったと思いました。
(1999年3月刊。1359円+税)
2017年11月13日
みんなが笑顔になる認知症の話
(霧山昴)
著者 竹田 伸也 、 出版 遠見書房
ガンという病気も身近な存在ですが、同じように認知症も恐ろしく身近にある病気ですよね。
現在、65歳以上の人のうち、7人に1人、500万人が認知症。これからますます増え、2025年には65歳以上の人の5人に1人が認知症になると予想されている。認知症の一番のリスクは、「年をとること」にある。認知症は、脳の老化がもとで起こる脳の病気。
大脳が壊れてうまく働かなくなり、日常生活に支障が出てしまう病気。
脳の奥深くにある大脳基底核や小脳は認知症によって障害を受けにくい場所なので、動作として覚えた記憶は残る。
認知症でもっとも多いのは、アルツハイマー型認知症。
ヒントを与えられると思い出せることは「再認」といい、これが出来ないのが病的なモノ忘れ。
認知症になると、それまで当たり前のように出来ていたことが、当たり前でなくなる。
認知症は死因となりうる病気。
認知症は、長い時間をかけて、少しずつ症状があらわれる。認知症と診断されたあとも、しばらくのあいだ一人暮らしをしている人は多い。
認知症は早目に見つけることができると、薬によって進行を遅らせることができる。
認知症の予防は、認知症になりにくい生活習慣を送ることが大切。ストレスをためるのは認知症にとって良くない。
認知症の人への対応の基本は「安心」を届けること。
相手が怒り出したら、ほとぼりが冷めるまで、しばらく相手から離れていること。まずは相手の訴えをよく聴く。そして否定も肯定もしない対応をする。相手の尊厳を支えるコミュニケーションをする。
読んでるとチョッピリ安心も出来る、認知症についての本です。
(2016年11月刊。1400円+税)
2017年11月11日
息子カムは今日もゆく
(霧山昴)
著者 しおり 、 出版 セブン&アイ出版
難聴のため話せない、そのうえ発達障害、睡眠障害をもつ息子との日々の「格闘」が、ほのぼの系のマンガに描かれています。
母親になった女性の偉大さには、まったく頭が下がるばかりです。毎日毎日、本当に大変だと思うのですが、この4コマ、マンガに描かれているカム君は、まさしく愛すべき存在です。ママとの毎日のかかわりは、ほほえましいエピソードにみちみちています。なるほど、こうやってマンガのネタになるといいものですね・・・。
カム君は胎児のときにサイトメガロウィルスによって、生まれつき耳が聞こえません。そして、話せません。発達障害、睡眠障害、摂食障害があります。感覚過敏で、強いこだわりがあります。10歳になっても、まだオムツがとれないようです。それでも親は、カム君と一緒に大笑いしたり、喜びや楽しみがあり、こうやってマンガに描ける幸せがあるのです。これはこれで、本当に人間らしい素晴らしい生き方だと私は思いました。
インスタグラムで2万人がフォローしているということですが、なるほど、それだけの価値はあります。ほのぼの系のマンガ(絵)なので、なんだか見ている人の気持ちが、ほっこり、ゆったりしてくるのです。
実際の日常生活は、なにかと大変だろうと思いますが、こうやって幸せ感を世の中に広めてくれる「ママ」の力は偉大です。
一人でも多くの人の目に触れてほしいマンガです。
(2017年5月刊。1000円+税)
2017年11月10日
アンのゆりかご、村岡花子の生涯
(霧山昴)
著者 村岡 恵理 、 出版 新潮文庫
「赤毛のアン」は、私も昔よみました。カナダのプリンス・エドワード島の大自然の描写に心が強く惹かれたことを覚えています。その訳者の村岡花子の生涯を孫娘にあたる著者が時代背景をきちんとふまえて丹念に文章化していて読ませます。
村岡花子が「赤毛のアン」を翻訳したのは戦前だったのですね。そして、出版されたのは、敗戦後7年たった1952年(昭和27年)5月のこと。1冊250円の本が圧倒的に人気を集めたのでした。日本中の若い女性たちの心をつかんだのです。それには訳文の素晴らしさもありました。なにしろ村岡花子はカナダ人教師たちから徹底して教育され、英語が抜群にできたうえ、実は日本語の素養も深かったのです。
翻訳するには単に英語ができるだけではダメ。日本の古典文学や短歌俳句に触れておくことも大切。季節や自然、色彩、情感を表現する日本語の豊かな歴史を体得しておく必要がある。豊富な語彙(ごい)をもち、そのなかの微妙なニュアンスを汲んで言葉を選ぶ感受性は、英語の語学力と同じくらい、いや、それ以上に大切な要素である。
村岡花子は、7歳のときに大病をした。そのとき、次のような辞世の歌を詠(よ)んでいる。
まだまだとおもいてすごしおるうちに はや死のみちへむかうものなり
す、すごいですね。これが7歳の少女の辞世の句ですか・・・。
幸い病気が治って学校に戻ったときに、次の歌を詠んだ。
まなびやにかえりてみればさくら花 今をさかりにさきほこるなり
村岡花子の父親は社会主義者だったとのこと。勉強のよく出来た花子をミッション・スクー
ルの寄宿舎へ入れたのでした。華族の娘たちのたくさん通う学校に入って、初めのうちは気遅れしていた花子は猛勉強し、英語力を身につけました。
東洋英和女学校時代の花子の友人に、柳原白蓮(燁子・あきこ)がいました。炭鉱玉と結
婚し、東大生の宮崎青年と駆け落ちしたことで有名な白蓮です。
英語がとてもよく出来た村岡花子ですが、実はアメリカにもカナダにも行ってなかったとのこと。これには驚きました。そしてプリンス・エドワード島には娘たちとともに行く機会があったものの、「現実を目にすれば、心の中で慈(いつく)しんでいた想像の世界が失われてしまう恐れ」があるとして、「夢を夢のままで置いておく」ために結局、行かなかったというのです。これまた、すごい決断です。
花子を取り巻く家庭と社会状況の変遷が大変よく分かる本になっています。
クリスチャンだった実母が死んだとき、仏式の葬式を営んだということにも驚かされました。形式ではなく、実質を尊重したのですね・・・。
「赤毛のアン」シリーズを再読してみたくなりました。
(2014年6月刊。750円+税)
2017年11月 6日
死ぬほど読書
(霧山昴)
著者 丹羽 宇一郎 、 出版 幻冬舎新書
ビジネス界きっての読書家だというのは私も知っていましたので、同好の先輩に敬意を表して読んでみました。私がうらやましく、また、ねたましいのは本書が13万部も売れているということです。私だって、いつかは「万冊」が売れないものかと願っているのです。それまでは、しがない、「売れないモノカキ」と称するほかありません。トホホ・・・。
著者は私より10歳ほど年長で、名古屋大学法学部を卒業しています。学生のころは学生運動に熱中し、マルクス・エンゲルス、そしてレーニンを読みふけったとのこと。私にも共通するところがあります。私には、マルクスの文章は少し難しく、レーニンのほうが日本語の訳文が良かったのか、明快で理解できました。
伊藤忠商事に入り、アメリカ駐在員として大損を出したり苦労しながらも、同社の社長、そして会長をつとめています。その後は、中国大使もつとめています。対中国との交流についての発言には私も共感することが多いです。
読書は、まがいものでない、真に自由な世界へと導いてくれる。「何でもあり」の世界は一見すると、自由のようだけど、自分の軸がないと、実はとても不自由。前へ進むための羅針盤や地図がないのと同じだから。自分の軸をもつには、読書で「知」を鍛えるしかない。
人間にとって一番大切なことは、自分は何も知らないということを自覚すること。何も知らないという自覚は、人を謙虚にさせる。
まったく、そのとおりです。私がこうやって年間500冊の単行本を読み、毎日、書評を載せているのは、世の中にいかに知らないことが多いか、日々、驚き、発見しているからです。本を読めば読むほど、いかに知らないことが多いかを実感させられます。
本は人間力を磨くための栄養。これは草木にとっての水と同じもの。
教養を磨くものは、仕事と読書と人だ。私も、まったく同感です。弁護士の仕事だけでは足りません。本を読んでいるだけでも足りません。そして、人と対話しないと分かりません。
想像力は現実を生きていくうえで、とても大切なこと。そうなんですよ。想像力がないと人間は豊かに生きていくことができないのです。
私はヒマを見つけて書店に行きます。そこにはわくわくする出会いがあるからです。著者も同じことを言っています。ネットで検索するだけでは足りません。やはり、町の本屋まで足を運んで、彼氏、彼女との出会いを求めるべきです。
私は本を読んで、これはと思うと、ためらうことなく、赤エンピツで棒線を引きます。そして、あとで読み返して、こうやって書評として書き写します。それで記憶に定着させ、次いで安心して忘れます。
読書は感情をも磨いてくれる。
まさにそのとおりです。いい本に出会うと、私は人知れず涙を流し、胸をときめかします。よかった、こんな本に出会えて・・・。その感動、感激を書評に反映させたくて、もう15年以上も、この毎日の書評を続けています。たまに(たまーに、というのが残念なのですが・・・)、反応を聞くと、うれしいのです。著者のますますのご活躍を心より祈念します。
(2017年8月刊。780円+税)
2017年11月 5日
13歳からの夏目漱石
(霧山昴)
著者 小森 陽一 、 出版 かもがわ出版
夏目漱石は、「坊ちゃん」とか「わが輩は猫である」とか、もちろん面白く読みましたが、「それから」とか「こころ」などは、読んだかどうか不確かです。
猫に名前がないことに意味があるという著者の指摘には、目が大きく開かされる思いでした。「吾輩」に「名前」をまだつけてくれないということには重要な意味がある。それは、「主人」と「奴隷」には入らないという無意識の意思表示にほかならない。「無名の猫で終る」ということは、決して隷属しない「自己本位」を「吾輩」が生き抜くことの証(あか)しなのである。うひゃあ、そうだったんですか・・・。
「門」のなかの問答で、妻が夫に3回も、どうして伊藤博文が殺されたのかを問うている場面がある。それは、暗殺者である安重根が予審のなかで明らかにした伊藤博文殺害の15箇条の理由書をぜひ読者に読んでほしいという夏目流の問いかけだった・・・。
うむむ・・・、そういうことだったのですね。
東京帝国大学の英語教師だった漱石は、朝日新聞の社員になった。「大学屋」から「新聞屋」への転職は、大日本帝国の支配機構から相対的に自由になることだった。
新聞がもっとももうかるのは戦争報道だった。それが日露戦争で終ってしまったので、朝日新聞は小説欄を充実させるために漱石に連載小説を依頼した。テレビもラジオもない時代なので、新聞しかない。日清戦争のときから新聞を毎日読むという習慣が広がり、日露戦争のときの国民の識字率は90%をこえていた。
「九条の会」の事務局メンバーとしても活躍している著者が中学・高校生に向けて夏目漱石の文学を語りました。その感想文が紹介されていますが、なんとも言えないほど素晴らしいものです。私が高校生のときに、こんな鋭い分析的な文章を書けたとは、とても思えません。ああ、漱石って時代の風潮に鋭い批判の眼をもち、考えさせるように仕向けていたんだね、この点が鈍感な私にもよく分かる本になっていました。
「漱石」の深読みをしたい人には、とっくにご存知のことかもしれませんが、強くおすすめしたい本です。
(2017年6月刊。1600円+税)
2017年11月 3日
アーバンサバイバル入門
(霧山昴)
著者 服部 文祥 、 出版 デコ
感動しました。著者の山中での過酷なサバイバル生活には人間は離れしていて、驚嘆するばかりでしたが、この本はなんと横浜に住んでいながら、自給自足のような生活を子どもたちと一緒に過ごしている、その知恵と技(ワザ)が写真700枚、イラスト50点で惜し気なく公開されているのです。ここまで詳細に明らかにされると、ついつい自分でもやれるんじゃないかなと「錯覚」してしまいそうです。
横浜北部の斜面に立つ築45年の古い2階建民家を1980万円で購入し、自力でリフォームしていきます。その過程が写真つきで詳しく紹介されています。
ニワトリを飼い、ミツバチを養い、梅や柿の木を育て、野菜を栽培するのです。
ニワトリの一番の好物はムカデ。トカゲや小さなヘビも大好きだとのこと。知りませんでした。私も小学生のころ、ニワトリに与える野草をとりに行っていましたが・・・。
ニワトリのさばき方と、調理の仕方が写真で紹介されています。私も父がニワトリを殺して調理するのをそばでじっと見ていました。卵の生成過程をそれで知ったのです。
野菜や果樹の育て方も写真つきです。タケノコの探し方が図解されています。親竹と穂先の出ているタケノコを結んだ線上でタケノコが一定間隔で地上に出てくるというのです。知りませんでした。とはいっても、親竹がたくさんあったら、どのラインか不明になりませんか・・。
ミドリガメが圧倒的に旨いとあります。本当でしょうか・・・。超高級地鶏の味がする(ようだ)と著者は断言しています。もちろん、調理法が写真つきで解説されています。正式名はミシシッピアカミミガメで、日本原産カメの生息を脅かすカメとして「悪役」視されているカメです。
ザリガニも美味しいとのこと。ぼくも小学生のころは夏休みになると一人ででもザリガニ釣りに遠くの堀まで出かけていました。食べたことはありません。それこそ美味しくないので、ニワトリのエサにされていました。
そして、ヘビやウシガエルのつかまえ方と食べ方が写真と図解で説明されています。我が家の庭にはヘビが棲みついていますが、食べようと思ったことはありません。鳴声のうるさいウシガエルも、下の田圃を隣人が耕作していたころまではいました。
博多の居酒屋でウシガエルのモモ肉は食べたことがあります。鶏のササミのような白身の淡白な味でした。
著者は東京都立大学のフランス文学科卒です。私も相変わらず毎日フランス語を勉強しています。そして、著者はワンダーフォーゲル部です。私は大学生活の3年間、セツルメント活動に没入していました。
著者はアウトドア活動と文字表現がライフワークの二本柱とのこと。いいですね、これって・・・。そして、息子さんが猟に一緒に行くことがあるようです。それも、押しつけないようにしているとのこと。素晴らしいです。親が好きだからといって、子どもが同じように好きになるとは限りませんからね。
奥様はよほど理解ある女性だと思います。イラストは奥様でしょうか、よく描けていて、楽しい雰囲気です。おすすめの一冊です。
(2017年5月刊。3000円+税)
2017年11月 2日
解離
(霧山昴)
著者 フランク・W・パトナム 、 出版 みすず書房
年収150万円以下の家庭の児童は、年収300万円以上の家庭の児童に比べて、身体虐待を受けるリスクが18倍、無視放置(ネグレスト)を受けるリスクが56倍。
非道処遇を受けた児童の相当パーセントは、自殺で人生を終える。相当数が他害事件を起こす。その相当数が一生をアルコール乱用者・ドラッグ乱用者として送るだろう。また、相当数が自分の子を虐待するだろう。
あらゆる統計数値からみて、アメリカは工業化社会のなかで、もっとも暴力的な国である。殺人は15~24歳の青年層の死亡原因の第二位を占める。アフリカ系アメリカ人男性が殺人の犠牲者となる率は、同年齢のヨーロッパ系アメリカ人男性の7倍。アメリカの大都市の旧市街中心地にあるスラムにおいては、ほとんど慢性的に市民とその子女が日々、暴力にさらされている。
離人感は、多重人格性障害では、ふつうにある症状。自分が自分の身体の外に出て、他人を眺めるように自分を眺めている体験である。
人間の記憶とは、忠実に事態を記録する単純なテープ録音機やビデオカメラというものでは絶対にない。記憶とは、部分的あるいは全面的に再構築的なものである。記憶とは間違いうるもの。記憶とは、実験的な操作によって変化させうるものである。
レイプはPTSDの恐るべき原因である。被害者の51~80%がPTSDになる。
児童も、良い記憶力をもっている。成人も児童も事件後の暗示の影響をこうむる。偽記憶は、弱点をもった人に生じうる。研究がすすむにつれて、児童の空想は信じられないほど複雑だということが分かってきた。児童は、役割の変更の合図を、ふつう声色の変化で行なう。
児童は、自分にとって大きな意味をもつ疑問に対する説明がなさないのに我慢できない。そこで児童は、自分たちの世界理解と両立する「論理的」な説明をあみ出す。
外傷を負った児童への治療作業の主要目的は、児童が自己の行動状態と感情状態との自己統御を獲得するのを援助することである。
遊びは子どもの人生の中心である。それは世界を理解することを学ぶ手段である。また、傷害的な体験に直面したときに自己統御を取り戻し、意味を発見することを許す競技の場でもある。
アメリカでは、50万人の児童が里親ケアを受けている。児童は、一般に、移送元の場よりも、移送先の里親と一緒にいるほうが幸せである。里親およびその他の保護者は、何にも増して整合的であること、そして安定性を与えることが必要。
非道処遇を受けた児童は、しばしば里親の持ち物や個人の動産を破壊する。
人間とは何かを深く追求した本だと思いました。500頁もある大作です。
(2017年7月刊。8000円+税)
2017年10月30日
パパは脳研究者
(霧山昴)
著者 池谷 裕二 、 出版 クレヨンハウス
脳を研究する科学者が我が子の成長過程を刻明に記録していて、とても面白い本です。
オキシトシンは、子宮を収縮させるホルモンで陣痛促進剤。ところが、脳にも作用し、相手を絶対的に信じ、愛情を注ぐためのホルモン。
赤ちゃんに大人が話しかけるときには高い声になる。マザーリーズと呼ばれ、世界共通。音程の高い声で話しかけると、乳児はよく反応する。
乳児に話しかけをしないで育てようとしても、3分の1は死んでしまうというデータがある。それほど人間の脳は食欲と同じく、関係性欲求の本能が強く備わっていて、他人とのコミュニケーションを本能的に欲する。
胎児に音楽を聴かせると、生まれてからも曲を覚えていることが証明された。
新生児は、母親の胸部のにおいを自分の母親以外の人と区別することができる。
赤ちゃんは、生後4ヶ月ころ、テレビに映っている人と、実際の人とを区別できる。
IQ(知的指数)は、生涯あまり変化しない。しかし、知能は、教育によって高まる。
記憶は、正確過ぎると実用性が低下する。いい加減であいまいな記憶のほうが役に立つ。一般に記憶力のいい人ほど、想像力が乏しい傾向がある。記憶力のあいまいさは、想像力の源泉だ。
イヤイヤ状態に入ったら、娘を抱いて鏡の前に連れていき、「ほら、泣いている子がいるよ」と鏡を見せる。「泣いているのは誰?」と話しかける。鏡を通じて自分を客観視させる。
1歳10ヶ月になるとウソをつく。ウソは認知的に高度な行動で、高度な認知プロセスだ。
イヤイヤ期は、人間形成に本当に必須なプロセスなのか、科学的には証明されていない。しかし、成長過程から考えると、子どもが「どこまで求めたら、限界にぶつかるのか」を経験を通して学ぶ機会になっているのは間違いない。
胎児は、無用なほど過剰な神経細胞をもって生まれる。そして、3歳ころまでに神経回路の基礎をつくり、必要がないものを捨ててしまう。
ヒトの神経細胞は、もともともっていたのを100%とすると、3歳までに70%が減り、30%が残る。不要な神経細胞はエネルギーをムダに消費するので、捨ててしまう。その後は、この30%だけで生涯を貫く。つまり、どの神経細胞を残すかが決まるのは3歳まで。3歳までのあいだに、あれこれと刺激を受けて、これは大切だから残す、これは不要だから捨てると判断している。
3月生まれと4月生まれには差はない。知能の劣等感は十分に克服できる。早くから教育を始めても、必ずしも有効ではない。
幼児教育では、知識の詰め込みよりも大切なことがある。自然や実物に触れる「五感体験」、忍耐力。物事を不思議に思う疑問力や知識欲。筋道を立てて考える論理力。本来のことや他人の心の内などの見えないものを理解する推察力、そして適切に判断する対処力。多角的な解釈を可能にする柔軟性、自分の考えを伝え、人の考えに耳を傾ける疎通力なども大切な養成ポイント。
ストレートにほめるのは禁じ手。えらいね、上手だねと何度もほめるよりも、すごいな、面白いねと、成果そのものを一緒に喜ぶようにする。
さて、マシュマロ・テストに挑戦しましょう。マシュマロを見せて、15分間ガマンしたら、もう1個マシュマロをあげるよと言って、子どもを何もない部屋に1人にして様子をみるのです。何もない部屋ですから、手もちぶさたで、退屈です。目の前にはおいしいマシュマロがあります。15分間、マシュマロを食べずにガマンできたら合格。4歳で合格するのは全体の30%この3%は、大人になっても好ましい人生を送る傾向がある。
私は、そんな自信はありません。年齢(とし)とった今なら、ガマンできる自信はあるのですが・・・。もう遅いでしょうか。
(2017年8月刊。1600円+税)