弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2019年8月14日

脳はなにげに不公平

(霧山昴)
著者 池谷 裕二 、 出版  朝日文庫

ヒトは表情で嘘をつくことができる。しかし、バレる。目が笑っていない。眼輪筋は不随意筋なので、ごまかせない。
男性は、女性の目については感情が上手に読めない。これは、男性は、その身を守るため、相手の感情や危険な表情を読むのに脳が特化したからという解説がついています。
顔写真から喜怒哀楽を読みとるテストをすると、女性のほうが男性より上手に読みとる。
ただし、「怒り」の感情を読みとるのは男性のほうが素早い。これは、野生時代の本能が残っているからでしょうか。
快感回路が作動したとき、人は「自分だけのものにしておくのは、もったいない」、「私は、こんな秘話を手に入れたぞ」と、他人と情報を共有したくなる。つまり、「人に伝えたい」という感情は、相手への思いやりではなく、それを通じて自分が快楽を得るための自己満足的な行為である。
この一文は、まさしく、毎日、書評を書いてアップしている私にも共通するものです。大いに意を強くしました。
人がもっている視線を読む能力は驚異的。5メートル離れた人が、自分を見ているのか、自分から10センチ右隣にある物体を眺めているかを区別できる。
第二言語の習得は、環境よりも遺伝要因が強く、71%を占めている。
脳には、顔情報を処理する専用回路(FFA)がある。
DNA変異の原因はほとんど父親の精子にある。年齢が1歳ふえるごとにDNA変異が平均2個増えている。そして、これには父親の年齢がカギを握っている。年齢が高ければ高いほど変異の数が多くなる。つまり、1歳ふえるごとにDNA変異が平均2個ふえる。すなわち、高齢の男性は、自分の遺伝子が、より不正確に、子孫に受け継がれるということ。
狩猟する男性は迷わないために位置に、採集する女性は食あたりしないよう草木の識別に、その能力を磨いてきた。
10代の脳は、一番つかいものにならない。何か新しいものを吸収するためには、それなりの大きさの受け皿が必要。受け皿があると、新しいこともどんどん学習できる。
10代は人生経験がまだ浅いから受け皿が小さい。だから、丸暗記するしか方法がない。
30代以降、40代や50代のほうが脳はよく働いているという側面がある。
肥満な人ほど睡眠時間が短い傾向にある。これは、睡眠不足になると、食事を制限しようという自制心そのものが減ってしまうから。
脳と人間の体について、相変わらず大変タメになる本でした。
(2019年5月刊。620円+税)

2019年8月 5日

ゴリラの森、言葉の海

(霧山昴)
著者 山極 寿一・小川 洋子 、 出版  新潮社

とてもとても面白い本です。人間って、いったい何者なのか・・・、深く深く考えさせてくれる本でもあります。片やゴリラの研究第一人者にして、京都大学総長、片や今をときめく小説家。二人の会話が織りなす世界は縦横無尽、果てしないのです。
山極先生は、野生ゴリラの研究歴が30年以上。6歳のとき、2年間ずっと観察のため行動をともにしていたゴリラ(タイタス)と、26年後に同じ野生の森で山極先生が再会するシーンは印象深いものがあります。
34歳のタイタスは、ゴリラとしては、もうおじいさん。1回目に会ったときは、山極先生を思い出しません。でも、2回目に出会うと、「おや?ひょっとしたら、お名前は?」って顔をしたのです。ゴリラ研究者の山極先生は、ゴリラの挨拶の言葉を発することができます。5メートル離れたところから挨拶すると、タイタスもこたえます。そして、じっと山極先生を見つめます。すると、タイタスの顔がどんどん変わっていくのでした。そして、ついにタイタスは、その場に寝ころがって、手を上にして仰向けに寝るのです。これはタイタスの子どものころの寝方。そして、近くにいた子どもゴリラをつかまえて、遊びはじめる。そのとき笑い声までだした。
いやあ、感動的な場面ですね。26年たっても、昔、子どものころ、一緒にあそんだ人間を覚えてなつかしみ、子ども時代に戻ったというわけです。
ゴリラには、鼻の上に鼻紋という「しわ」があって、これは一生変わらない。指紋と同じ。タイタスは、鼻の上にTの字が刻まれて、くぼみがある。
ゴリラの群れの中に入っていくためには、ゴリラにならなきゃいけない。人間のようにちまちま動かず、ゴリラより早く動いてはいけない。山極先生がちょっと間違ったことをすると、「コホッ、コホッ、コホッ」ってゴリラは咳払いする。ええっ、ゴリラは間違いを優しく注意してくれるのですか・・・。
ゴリラは歌をもっていて、ハミングする。ゴリラの歌には2種類ある。一つは、すごく美しい、メロディックなハミング。これはゴリラが一人でいるときが多い。もう一つは、みんなで合唱する。みんなで食べているときだけに歌うもの。
ゴリラが胸を叩くときは手のひらで叩く。これは戦いの宣言ではなく、自分の意思を相手に危害を加えずに紳士的に伝えるために編み出したもの。
ゴリラは、ほかの動物と一緒に遊ぶことができる。ゴリラはペットを飼える。
大人のゴリラの2頭がケンカしているとき、仲裁に入ったゴリラは、お互いの顔をのぞきこんでお互いを傷つけあわないようにして仲裁する。
大人のオスのゴリラは、メスから、自分の子どもを預けられる、信頼できるオスとして認められなければいけないし、そのあと、子どもからも認められて、はじめて父親になっていく。ゴリラのオスとメスとでは、体重が2倍も違う。メスが100キロで、オスは200キロもある。
ゴリラには年子がいない。4年に一度しか子どもを産まない(産めない)。だから、3年くらい授乳している。ゴリラの赤ちゃんは、生まれたとき、わずか1.8キロ、ガリガリ。安産で、数秒で生まれる。そして、5歳で50キロになる。
ゴリラは人間と違って、過去にこだわらない。ゴリラには表裏がない。
いったん人間が飼ったゴリラを野生に戻すのは、ほとんど成功していない。それは、食べるというのは、子どものころ母親の食べるものから覚えるから・・・。
いやあ、考えさせることばかりでした。人間とゴリラ、どれだけ違うのでしょうか・・・。
毎日、男女間のドロドロとした紛争を「メシのタネ」としている弁護士生活を45年間もしてきて、つくづく思います。あなたに一読をおすすめします。
(2019年4月刊。1500円+税)

2019年7月22日

庭とエスキース


(霧山昴)
著者 奥山 淳志 、 出版  みすず書房

不思議な本です。エスキースって、下絵ということのようですが、私は知りませんでした。文章だけだと雰囲気がよく分かりません。初めと途中にカラー写真があって、なるほどと思うのです。
若い写真家が北海道で時給自足の生活を送っている老画家の丸太小屋に通って写真を撮り、話を聞いていったものが細やかに描写されています。
弁造さんが住んでいるのは北海道は石狩の先の新十津川という小さな町の外れ。
弁造さんは手づくりの丸太小屋に一人で生活しているのです。
丸太小屋は全体で10畳ほど。たった1部屋しかない。食事をつくるための流しと食事スペース、冷蔵庫、トイレとお風呂、クローゼット、ベッド、そして薪(まき)ストーブ。暮らしていくうえで必要なすべてがそろっている。このほかに、絵を描くためのイーゼルもある。
弁造さんは92歳で2012年4月に亡くなった。その2年前まで冬は薪で過ごしていた。そして、薪はきちんと長さをそろえ、風通しのよい薪小屋で保存されていた。
この本を読みながら、アメリカのソローという森の隠者の暮らしを想像していました。
森の中に1人で住むというのは本で、読むかぎりは詩情あふれて格好いいのですが、現実の生活を考えると、そんな単純なものではありません。自然にはたくさんの虫がいて、ときに刺されたりして、はれあがり、また、かゆくなります。
そして、ギックリ腰になったり、ヘルニアが出現して歩けなくなることもあるのです。年齢(とし)をとった人間の生活というのは、若いときのようには思うようにはなりません。
そして、何より問題なのは食生活。時給自足といっても、野菜だけでなく、肉や魚を食べたいときにどうしますか・・・。
そして、さらに大切なことは人間様との会話です。話し相手がいなくて、心の平静をずっと保てるのでしょうか・・・。
ひとり丸太小屋に生活するということの意味を考えると、いったい人間らしい生活とは何なのだろうか・・・と考えさせてくれる本でした。
見事な写真があって弁造さんのイメージもつかめることで、救いのある本でした。
たまには、こんな不思議な本を読んでみるのも、憂き世(浮き世)離れしていいかもしれないと思ったことでした。284頁もあり、値段も少し高いので、図書館で借りて読んでみてください。
(2019年4月刊。3200円+税)

2019年7月21日

日本人の起源

(霧山昴)
著者 中橋 孝博 、 出版  講談社学術文庫

アイヌは永らくコーカソイドの一員とみなされていた。しかし、最近の研究によると、アイヌとコーカソイドとの間には目立った近縁性はなく、それよりは本州以南の日本人をはじめとするアジア諸集団により近い関係にあることが明らかとなっている。今や、アイヌをモンドロイドの一員と位置づける見解がほぼ定着している。
そして、アイヌと琉球人の類似性が注目されている。
中世や近世の日本人はその身長がもっとも低くなり、全身が脆弱化していた。ところが、その後、日本人は都市部を中心として再び、高身長、高顔そして強い短頭へと変化した。
今では、顎が細くて手足の長い華奢(きゃしゃ)な、でなければ肥満体の若者が増える傾向にある。
縄文人は、相当な大頭だった。歯の磨り減りかたが激しく、顎のエラが張り出していた。これは、縄文人が現代人に比べて、はるかに物をかむことが多く、その力も強かったことを示している。
やわらかいものばかりを食べていると、アゴのかむ力が必要ないので、アゴは細く、キャシャになってしまう。
縄文前期の日本列島の全人口は2万人。それが、26万人あまりとなったが、近畿以西には1万人も居住していなくて、大半は東日本に集中していた。
ええっ、うそでしょ。日本の文明発祥の地である九州(と、私は固く信じています)にごくわずかな日本人しかいなかっただなんて・・・、信じられませんよね。
縄文社会では、東日本が圧倒的な優位性があった。なぜ、なんでしょうか・・・。それは、食物の豊富さの違いによるという仮説が立てられています。
日本人は、いったいどこから日本列島にやって来て、定着したのか、調べれば調べるほど、複雑怪奇になっていき、関心が深まりました。
(2019年1月刊。1280円+税)

2019年7月10日

不倫と結婚

(霧山昴)
著者 エスター・ペレル 、 出版  晶文社

私が25歳で弁護士になってまもなく驚いたことが三つありました。その一つが、世の中には不倫(浮気)はありふれた現象、日常茶飯事だということでした。男が浮気するとしても、相手は女性です。日本で妻の浮気が珍しいことでないことは、戦国時代の宣教師たちも観察して本国に報告していますし、江戸時代に書かれた『世事見聞録』にも生々しく描かれています。
不倫は、人と人との関係について、多くを教えてくれる。そもそも何をもって不倫とするかについて、普遍的に一定した定義というものはない。ただ、不倫が増えていることは誰もが認めている。
インターネットが発達した今日では、もはや浮気をするのに自宅を出る必要すらない。
現代の不倫は、2個人のあいだで交わされた契約に対する違反だという考えを基本としている。信頼に対する違反だ。
近年、不倫の新しいカテゴリーとして、「精神的不倫」が出現している。一般にはセックスをふくまない不倫を意味するが、むしろ第三の人物との度をこえた精神的な親密さゆえに、夫婦関係が悪化してしまうような関係をさす。結婚は、もはやかつての結婚ではなく、不倫もまた、かつての不倫ではなくなっている。
つい最近まで、夫婦の貞節と一夫一婦制が愛とはまったく関係ないものだった。それは、血統と世襲財産をはっきりさせるために女性たちに押しつけられた家父長制社会の大黒柱だった。
かつて、人々は結婚して初めてセックスをした。今、人々は結婚して初めて他の人とセックスするのをやめる。
ええっ、これって本当でしょうか・・・。日本でも、そう言えるのでしょうか。
不倫が発覚したあとに解き放たれる感情の嵐は、あまりにも壮絶だ。脅迫性反芻症、過覚醒、無感覚と解離、不可解な逆上、制御不能なパニックなど・・・。
今日の不倫の大多数はデジタル機器経由で発覚する。
私も弁護士として、まったく同感です。私立探偵による素行調査にしてもGPSをつかったり、スマホの調査など、証拠が明白というケースがどんどん増えています。
かつてのようなピンボケの白黒写真で、何がうつっているのかよく分からないのに私立探偵に100万円も支払わされたというパターンは少なくなりました。
夫婦のベッドで、あれほど面倒がっていた妻が、どうして突然、不倫ではいくらセックスしても足りないほど貪欲になれるのか、男たちにはとうてい理解できない。
妻は一刻も早くセックスが終わることを願う。愛人はいつまでも終わらないでほしいと願う。
結婚、家庭として母になることは、多くの女性にとって永遠の夢だ。しかし、そこはまた女性が女であると感じるのをやめる場所でもある。
性欲に関しては、実際には、男女のあいだで言われているほどの差はない。
人間とは、いったいいかなる生きものなのかをじっくり考えさせてくれる本でもあります。
(2019年3月刊。2000円+税)

東京・新宿でフィンランド映画『アンノウン・ソルジャー』をみました。
フィンランドは、1941年にナチス・ドイツと組んでソ連に対して国土回復の戦争を挑んだことがあったのです。まったく知りませんでした。フィンランドが1939年にソ連と戦った「冬戦争」に敗れ、カレリア地方をソ連に占領されたのを取り戻そうとしたのです。ひところはナチス・ドイツがソ連を圧倒していた勢いもあってカレリア地方を回復したのですが、やがてソ連軍に押し戻されてしまいます。この映画は、その前進と後退を最前線の兵士たちを生々しく描くことで見事に再現しています。大量の爆薬をつかった戦闘シーンの迫力は、さすがとうならせるものがあります。
いったい、自分たちは何のために生命を賭けて戦っているのかという問いかけが映画シーンに何度も登場してきます。
そして、本当に戦争とはむごいものだと実感させてくれる映像が続き、最後まで目を離すことができませんでした。
アメリカの言いなりになって、日本の若者を戦争に送り出そうとしている安倍首相の野望にはストップをかけなければいけない。改めてそんな決意をさせてくれる映画でした。

2019年7月 8日

作家の人たち


(霧山昴)
著者 倉知 淳 、 出版  幻冬舎

モノカキを自称する私も、本当は作家になったり、ベストセラーを出して、ガッポガッポと印税を稼ぎ、世に作家として認められたい、そして文化勲章(文化功労章?)をもらいたいという夢があります。
でもでも、それに冷や水をぶっかけるのが、この本です。
本が書けない、書いても売れない、生活ができない、世間からだけでなく家族からも見捨てられ、ついに飛び降り自殺するしかない・・・、トホホの現実が嫌になるほど写実的に描写されています。
いやはや、やっぱり作家なんかにならなくて良かった。弁護士であり続けるようがまだましだった・・・、そう思わせてくれる本なのです。
20年ほど前から、出版界を覆う構造不況は、もはや限界に達していた。本が売れない、消費者が誰も本を買ってくれない時代になっている。これは、娯楽の多様化、若年層の人口減少、ネットの爆発的普及、といった原因が複合的にからみあった結果の出版不況なので、誰にも手の打ちようがない。本の出版部数は減り続け、本職の作家は困窮するしかない。出版社は手をこまねき、廃業する作家が続出している。
そんななかで売れているのは、テレビタレントが書いた本。ゴーストライターではなく、お笑いタレントが自分で創作して文章をつづった小説だ。
文学賞の受賞作は、著者本人の知名度やテレビでの活躍、あとは視聴者の好感度などを基準として選び出されるもの。選考委員が受賞作を読んでいるのは例外的・・・。
ええっ、う、ウソでしょ。いくら小説とはいえ・・・。井上ひさしは受賞策の選出過程のコメントまで本にしていますよ。いくらなんでも・・・。
本は、たしかにアイデアの勝負というところがあります。それまでにない、意表をつくテーマ、題材を文章化できたら、もちろん強いと思います。
そして、タイトルも大事です。松本清張はタイトルのつけ方が秀逸でした。井上ひさしもうまいです。いえいえ、山本周五郎も藤沢周平もうまいですよ・・・。
売れない作家を、どうやったら売れる作家に変身させられるのか・・・、私もぜひぜひ知りたい、誰か教えてほしいです・・・。
作家家業の苦悩が圧縮されている、私にとっては超重たい本でした。
(2019年4月刊。1500円+税)

2019年7月 4日

世界を変えた勇気

(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版  あおぞら書房

無関心になったら、状況はいっそうひどくなる。変えようとする意思をもち、行動すれば世界は変わる。
本当にそのとおりだと思います。安倍首相が国会で平然として嘘をつきながら、学校では教師と子どもたちに道徳教育を押しつける。
過去に日本が侵略戦争をしかけて内外に無数の被害者をうみ出し、国土を荒廃させたことに目をつむり、「美しい日本をつくる」などと、ソラゾラしいことを臆面もなく言いつのる。自分の都合の悪いことは、ないものとするか、書きかえてしまう。アベ一強の政治は身内優先の汚れた政治でもあります。あまりのえげつなさに圧倒され、つい怒りを忘れて、あきらめてしまいそうになってしまいます。そんなときにカンフル栄養剤となるのが、この本です。
韓国で文在寅大統領が誕生する過程では、日本人が安保法制に反対して国会を包囲したニュースが韓国人を奮起させたそうです。
そうなんです。日本人だって、やってやれないことはないんです。もっと私たちは、自分たちの力に自信をもつ必要があります。どうせアベはこれからも首相に居すわり、悪政を続けるんでしょ・・・。そんなに簡単にあきらめてしまったら、それこそアベの思うツボです。
著者は私と同じ団塊世代のジャーナリスト。世界82ヶ国を歩いて取材したそうです。
アメリカに長く住んでいる日本人がこう言った。
日本人は文句を言うだけ。アメリカ人は文句を言う前に行動する。
そうです。文句を言い、行動することが必要です。行動のてはじめが投票所に行くこと。
いま、日本の若者は世界へ出かけようとしない。日本が一番でしょ・・・、そんな思いこみから。とんでもないことです。知ろうとするのをやめることは、知性をもった人間であることを放棄すること。
アルゼンチンでは、軍部が政権を握っていたとき、多くの市民を虐殺した。少なくとも3万人が犠牲となった。
まだ見ていませんが、最近、天(空)から遺体が降ってきたというアルゼンチン映画の上映が始まったようです。政府に楯ついた人をヘリコプターから突き落として殺していたことに結びついた実話です。そんな軍部独裁政権も、ついに打倒される日が来ます。子どもや夫を拉致・殺害された母親・妻たちが広場に集まって抗議行動したことが始まりの一つとなりました。
最近、軍政に手を貸して労働者の人権をふみにじったとして、アメリカの自動車会社フォードのアルゼンチン現地法人の当時の幹部2人が禁固10年と20年の判決を言い渡されたとのこと。すばらしい判決です。虐殺した人だけでなく、それに加担した人たちの責任が問われるのは当然のことです。
コスタリカでは、軍事費が国家予算の3割を占めていた。その軍事費をそっくり教育費に振り替えた。すると、医療や社会保障の予算も増え、国民生活の質が格段に向上した。
フィリピンでは、アメリカ軍の基地を廃止したら、経済は明らかに好転した。基地で働く人は4万2千人。基地なきあとに働く人は、6万人から10万人へ急増した。
著者は、この本の最後に次のように呼びかけています。まったく同感です。
行動の選択を迫られ、思いあまったとき、世界の人々がどんな行動をとったかを知れば、勇気も湧いてくる。自分のまわりだけを見ていても、展望は開けない。この本を読んで、一歩を踏み出してほしい。
モリモリ勇気の出る本として、強く一読をおすすめします。
(2019年4月刊。1500円+税)

2019年6月18日

読書と教育

(霧山昴)
著者 池田 知隆 、 出版  現代書館

大牟田にある有明高専で国語を教えられた著者が、恩師である棚町知彌(たなまちともや)の戦中・戦後の軌跡をたどった本です。
国語とは、国を語ること。すなわち、自分と世界とのかかわりについて語ること。
私の講義は消化剤であり、ビタミン剤である。栄養はすべて本にある。
授業のなかで、課題図書を次々にあげる。「キュリー夫伝」、「三四郎」。授業では、まるでカラオケでも歌っているかのように朗読し、試験は読書感想文を書くこと。3年間の国語教育の集約として、全5巻の「チボ―家の人々」の読了が義務づけられた。
うへーっ、これはすごいことですよね・・・。著者は有明高専を卒業して、珍しいことに早稲田大学政経学部に進学します。私と同じ団塊世代で、学年も同じのようです。
棚町知彌は思想検事の子として生まれ育ったが、父親は50歳の若さで急死した。
成蹊(せいけい)高校を卒業して北海道大学理学部数学科に進学した。ところが徴兵猶予を自ら拒否して応召し、通信2等兵として中国戦線へ渡る。数学科出身なので暗号解読に強いとみられたようだ。
そして、戦後は、福岡でアメリカ占領軍の民間検閲局につとめた。
その後、博多工業高校の教諭となり、国語を生徒に教えはじめた。さらに、新設の有明高専で13年間、国語教員として勤めた。そのあと、山口大学、そして長岡技術科学大学に移った。
どこでも生徒・学生に膨大な課題図書を提起した。「黒い雨」や「播州平野」、「蟹工船」、「太陽のない町」、さらには「土」、「不毛地帯」、「怒りの葡萄」なども入っていて、さすが・・・と思いました。
棚町式ノートは、ルーズリーフ式ではなく、部厚いノートに手書きする。感想はいっさい書かない。ひたすら重要な個所を抜き書きする。ノートへの抜き書きは、時間を異にする自分の思考との出会いを確実にする記録である。抜き書きを重ねていくことにより読書にセンスが養われる。
私もこうやって毎日、抜き書きしていますので、棚町式ノートを実践していることになります。読書は、まさしく人々との出会いだと痛感させられた本でもありました。
(2019年4月刊。2000円+税)

日曜日の午後、フランス語検定試験(1級)を受けました。
はじめから合格するとは思ってもいないのですが、案の定、とてもとても歯が立ちません。それでも、フランス語歴は長いので、まるでチンプンカンプンという域ではありません。いやはや、フランス語って奥が深いよね、やっぱり難しいね、そんな実感を胸に抱きながらトボトボと西新駅に向かいました。
年に2回の難行苦行です。この1週間は、集中して頭をフランス語漬けにしました。もはや上達しようとか1級レベルに達して合格しようという高望みはしていません。せめて現状維持、必死で後退をくい止めようというレベルです。
このところ、NHKラジオ講座のCDを繰り返し聞いて書き取りをしながら基本文型を暗記するように努めています。なので、本番の仏検でも書き取りだけは、バッチリでした。聞きとりも、そこそこでした。ところが、今回は、なんと長文読解、読みとりが惨敗でした。自分でも信じられないほどの不出来なのです。
それやこれやで、いつものように大甘の自己採点で63点でした。150点満点ですから、やっと4割なのです。あと2割を上乗せするのはあまりにも大変です。1級を受験したのは1995年からですので、すでに24回目の受験ということです。
根性だけはありますが、世の中、根性だけで渡り切れるほど甘くはありませんよね・・・。

2019年6月17日

手で見るいのち


(霧山昴)
著者  柳楽 未来 、 出版  岩波書店

この本は筑波大学付属視覚特別支援学校が舞台です。実は、私の娘も突然、弱視になり、この学校にお世話になりました。それで、私も一度だけ父兄として学校訪問し、授業風景を見学したことがあります。
私の娘は大学を卒業していましたので、高校の部に入ったように思いますが、この本では中学生が生物の授業で動物の頭蓋骨を手で触って、その動物のもつ機能を考え、最後に、その動物が何であるかを推測します。著者も目をつぶって動物の頭蓋骨に触ってみたのですが、中学生たちにはまるでかないませんでした。子どもたちは視覚に頼れないため、すべて言葉を通して概念やイメージを他者に伝え、共有していく。目の見えない子どもたちにとって、感じたことを言語化することは、きわめて重要。
この授業は、40年以上も前から基本的な形をほとんど変えず今に続いている。教科書は使わず、板書もない。週1回2時間続きの授業を続ける。
事前に生徒に動物の種類は伝えないというのが授業のルールになっている。生徒たちは、穴の大きさや方向で正確に観察できる指先の能力をもっている。
これは著者のような目明き人間が目をつぶって骨を触っても、ただ物理的に骨に触れているだけというのとは違う。
全国の盲学校の在籍者数は年々減少している。1959年の1万264人がピークで、2018年には2731人となった。これは全国的な少子化に加え、医療技術の発達から乳幼児期の失明が格段に少なくなったこと、障害ある子どもも普通学級で共に学ぶ「インクルーシブ教育」が広がっている影響もある。
1982年、全盲の男子高校生がICUの理科(化学系)に合格し、入学を認められた。
実は、私の娘は、この盲学校に入る前はICUで学び、キュレーターを目指していたのでした。
その後は、東大の教授たち3人が盲学校にやってきて、「ぜひ、東大に来てほしい」と要請したというのです。世の中はいい方向に動いているのですね・・・。
今では、盲ろう者の福島智さんが東大教授になっています。すばらしいことです。
ところで、点訳ボランティアの平均年齢が70歳代になっていて、後継者の確保が大変になっているそうです。
この盲学校の授業は、生徒たちの発見をもとにして進んでいくけれど、生徒がそれぞれ自由に発言するだけでは、授業は前に進まないし、考察は深まっていかない。ただの雑談に終わらせない見通しをもった工夫が求められる。
この授業では、教員は生徒たちに知識を押しつけない。生徒が目の前にある骨を自分でしっかり触って、生徒自身で考える。この姿勢が一貫させている。これが大切だ。そのため、教師は、いろいろ質問し、観察するためのヒントを小出しにする。
すばらしい生物の授業です。私もこんな授業を受けてみたいと思ったことでした。
(2019年2月刊。1500円+税)

2019年6月15日

70歳のたしなみ

(霧山昴)
著者 坂東 眞理子 、 出版  小学館

昨年12月、私も70歳となりました。先日は、右肩が突然動かなくなり、4日間、泣きました。朝、目覚まし時計を停められない、布団から起き上がれない、着換えができない、歯みがきできない・・・。右肩が動かなくて、本当に不便しました。幸い、手は動かせましたから、ペンをもって字は書けましたので、仕事への支障はそれほどありませんでした。整形外科に行ってレントゲン写真をとると、右肩に石灰化が始まっているのが確認できましたので、恐らくこれが急に暴れたのでしょう、という判定でした。要するに、70歳という老化現象をひしひしと体感させられたということです。
70代というのは人生の黄金時代、新しいゴールデンエイジだというのが著者の訴えるところです。著者は私と同じ団塊世代です(2歳だけ年長)。
70歳になったら、毎日、上機嫌で過ごすことが周囲に対するマナーであり、礼儀であり、たしなみである。イライラしていても、意思の力で上機嫌に振る舞うこと。
機嫌よく過ごす秘訣は、意識して他人(ひと)の良いところ、可愛いところを見つけ、「をかし」と楽しみ、「いいな」と感心すること。
70歳になったら、良い加減に生きる知恵が大切だ。周囲の人が成功しているのを見たら、たとえ心の底からでなくても、必ず言葉で祝福し、ほめてあげる。これを習慣にするのが大切だ。
70歳になったら、「キョウヨウ」と「キョウイク」をつくる。「キョウヨウ」とは、今日は用事があること。「キョウイク」とは、今日は行くところがあること。何も用がない、どこにも行くところがないと言って、家でゴロゴロしていると、すぐにボケてくる。そして、用事も行くところも、自分で能動的に発見し、取り組む。
70歳になったら、お金をいかに貯めるかではなく、もっているお金をいかに上手に使って豊かに暮らす心がけこそ必要だし、大切だ。
70歳でするべきは終活ではない。生前葬はあまり早くするものではない。高齢期という新しいステージを生きるため準備の老活をすべきだ。
与えられる毎日毎日を丁寧に生きる。自分を励まして、少し無理して生きる。これが高齢期を豊かにするライフスタイルだ。
友人だからこそ、言ってはいけないことが、たくさんある。年齢(とし)をとったからこそ、相手の気持ちを想像して、どう表現したら相手の気持ちを傷つけないで言うべきことを伝えるのか、これを工夫する。それがたしなみだ。そんな工夫ができなくなったら、たちまち老化は加速する。
人間関係はこわれもの。大切に扱わないと、すぐにこわれる。
夫婦仲良く暮らすためには、上機嫌に振る舞い、できるだけずけずけ言わないように心がける。
他人の過去も自分の過去にもこだわらないのが70歳に必要なたしなみ。気にすべきは過去ではなく、これからの日々での有言実行、約束を守ること。
わずか200頁ほどの新書版です。病院での待ち時間で読了しました。さあ、私も、こんなたしなみを有言実行して、一日一日を楽しく上機嫌で生きていくことにしましょう。
(2019年5月刊。1100円+税)

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