弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2020年2月13日

こどもたちのライフハザード


(霧山昴)
著者 瀧井 宏臣 、 出版  岩波書店

ライフハザードって何・・・?一言でいうと生活破壊。もう少しニュアンスの違った生活の崩れ。それが、現代に生きる子どもたちに起きているという警告の書です。
こどもの体温は、1日のうちに0.6度から1度のあいだで変動し、季節によって異なるが、36度から37度のあいだで推移するのが普通。そして、通常は夜に眠っているあいだ体温は低く、朝に目が覚めてから次第に上がっていき、午後3時から4時ころをピークとし、それからまた下がっていく。
ところが、低体温の子は、生体リズムが3.4時間ほどうしろにずれてしまっている。朝、眠っているときの低い体温で起こされて、体温が上がらないまま保育園に来る。これでは、ボーっとしているのは当然だ。また、夜になっても体温が高いため、なかなか寝つけないという悪循環に陥っている。
赤ちゃんのころは体温が高い。通常は、3歳ころに体温調節機能が整って安定してくる。ところが、高体温の子は、体温調節機能が整っていない。つまり、赤ちゃんのころの状態が続いている。
表情が乏しく、あまり泣いたり笑ったりしない赤ちゃんが目立つ。
保育園で「気になる子」のほとんどが、夜間の睡眠時間が少なく、しかも不規則になっている。その多くは情動が不安定で、他人に関心がない。そして、①無表情。②理由なき攻撃性。③強いこだわりという三つのタイプに分かれる。
欧米では、中学生までは夜9時に寝るのがあたりまえ。国際的にみて、子どもの遅寝が社会問題となっているのは日本だけ。
子どもが大量の清涼飲料水を飲んでいると、ペットボトル症候群になる。これは、2型糖尿病の一種。甘い清涼飲料水が引き金になって、子どもが昏睡状態になるケースがふえている。
肥満の度合の高い子ほど、食べる速さが速く、食べる量が多く、しかもかむ回数が少ない。
肥満の度合が高いほど、依存型行動や攻撃型行動、自閉か多動型行動が多い。
コケコッコというニワトリ症候群。ひとり食べ孤食のコ。食事をとらない欠食のケッ。家族と一緒でも自分の好きなものをたべる個食のコ。肉やカレーライスなど、いつも決まったものばかりを食べる固食のコ。
親が、食についての子どもの要求をできるだけ受け入れている。嫌いなものを無理に食べさせず、子どもに訊いて喜ばれるものを出している。そのほうがムダやハズレがなく、作るのも食べさせるのも楽だから。
衣食住遊のなかで、食の地位は最下位まで下落している。遊びやレジャーのために食費を削るのは、あたりまえになっている。
症状が出る出ないは別として、今の大学生の10人に9人はアレルギー体質。
子どもにとって遊びは、身体機能や運動能力を鍛え、物事を工夫する知恵を養い、情緒や社会性を育てる重要な役割をもっている。人間として生き抜くための基本的な能力を身につける大切な機会なのだ。
実は、この本は2004年1月に出たものです。今から16年も前の日本の子どもの状況を問題視しているのですが、その後、事態が改善されたどころか、ますます心配な状況になっているのではないでしょうか・・・。孫をもつ身として、大いに考えさせられる本でした。
(2004年1月刊。1900円+税)

2020年2月10日

一度死んだ僕の、車いす世界一周


(霧山昴)
著者 三代 達也 、 出版  光文社

高校を1年で中退し、ガソリンスタンドのバイトからの帰り道、いつものようにオードバイに乗っていると、目の前に車が突然あらわれ、吹っ飛ばされて頚髄損傷。その後、今に至るまで車椅子生活。そして、リハビリ施設のなかで人生の師匠と呼ぶべき男性に出会ったのでした。
東京で借家に一人すまいを始めたものの、引きこもり生活をしていた。ところが、車椅子バスケットボールに誘われ、外に出るようになり、そこで知りあった人から在宅の仕事を紹介された。やっているうちに、通勤の仕事をはじめた。そこで海外旅行をすすめられた。
「ハワイだったらバリアフリー社会だし・・・」
思い切ってHISの窓口に足を運んだ。すると、なんと、23歳で車椅子海外一人旅をすることになった。
オレは18歳で一度死んでいるんだ。大丈夫、オレならなんとかなる・・・。
ハワイでは夜遅く、外に出てはいけないという忠告に逆らってバーへ突進。すると、そこでは、車椅子でみんなと踊ることになって・・・。最高に楽しめたのです。
それで味をしめて、もっと外の世界を見てみたくなった。
ロサンゼルスに1ヶ月半、オーストラリアに半年間滞在してみた。ワーキングホリデーを利用して・・・。そして、28歳になって自問自答して出した答えが世界一周。
いやはや、ひきこもり青年が、なんと車椅子の一人旅で世界一周を考え、実行したのです。たまがりますよね・・・。
HISにはユニバーサルツーリズムデスクなる窓口があるのです。著者は、今そこのスペシャルサポーターをやっています。いやはや、たいした勇気と行動力です。
世界一周旅行の予算は300万円ほどにしたかったものの、車椅子用の部屋は割高になっていて、500万円をこえました。
イギリスからフランス。ルーブル美術館の前で身障害者へのカンパ名目でお金(5万円)をとられてしまった。ホテルのフロントにいた男性に愚痴をこぼした。すると、なんと翌朝からホテルの朝食をタダにしてくれた。こんな出会いもあるのですね。そんな出会いが、このあと何回もあり、つくづく世の中には悪人も多いけれど、善人も少なくないことを実感させてくれるのです。
それにしても、世界一周の旅をするといったら、今はインターネットでのSNSつながりを生かす時代なのだということがよく分かりました。昔だったら、世界のどこかで出会うのは偶然だったようなことが、今ではスマホで簡単に瞬時にいながらにして、誰がどこにいて、どこに行けば会えるか約束できるのですよね。
そんな文明の利器とは無縁に生きている私には、世界一周旅行なんてできそうもありません(実は望んでもいません)。読むと世界が広がり、人間っていいね、生きてるっていいねと思えてくる楽しさいっぱいの本でした。
(2019年11月刊。1500円+税)

2020年1月27日

進化する人体


(霧山昴)
著者 キャロル・アン・リンツラー 、 出版  柏書房

今日のアメリカでは、虫垂切除はもっともありふれた救急手術で、子どもに対してもっともありふれた外科手術だ。年に25万から30万のケースで手術されている。朝に入院して、夜には帰宅している。私は、今もしっかり虫垂を保持しています。盲腸といってけなされますが、無用の存在ではないという考えもあるようです。
体全体の毛深さで上位にくるのは、日本のアイヌ、オーストラリアのアボリジニ、インド南部のトーダ族、インド北部のドラヴィッダ人。
毛が少ないのは、アメリカ先住民、アフリカ人、ミャンマー人、中国人、朝鮮人、ベトナム人、そして金髪の白人。
人間の体毛が目立たなくなった理由は、まだ定説がない。
人間は耳を動かせない。しかし、人間だけでなく、チンパンジーやオランウータンも耳は動かせない。
ゾウの歯は24本あるが、一度に4本しか使わない。すり減ると、奥の歯が前に移動して出てくる。最後の第六大臼歯はゾウが65歳のころに抜ける。歯がなくなるとかむ力がなくなって、動物の世界では死ぬことに結びつく。
ワーテルローの戦いでは5万人もの戦死者が出たが、その歯は、競って歯を抜いた死体あさりの人々の手で生きた。ブリッジをつくるのに使われたのだ。なんだかおぞましい話ですよね・・・。
肋骨は人類には12対だが、チンパンジーやゴリラは13対。
人間の身体は、これからも進化していくのでしょうか・・・。力強くかむ必要がなくなった現代人はアゴがほっそりしていると書いている記事を読みました。顔のかたちは確実に変わっているわけです。だったら、他の部分の身体も、これから変化が起きることは当然あるのでしょうね・・・。
(2019年3月刊。2200円+税)

 日曜日、朝からフランス語検定試験(準1級)の口頭試験を受けてきました。3分前に渡された問題は日本政府が70歳定年に延長しようとしているのをどう考えるのかと、旅行者過剰をどう考えるのか、でした。私は前者を選んだのですが、定年のない職業なので、実は深く考えたことのない問題なので、何をどう答えてよいのか頭がまとまりません。そうすると、フランス語の単語まで出てこないのです。あれあれ、今回は不合格かな・・・と落ち込みました。
 地球温暖化問題、オリンピック問題、育休、貧富格差増大などにヤマをはっていたのが見事にはずれてしまいました。
 3分間スピーチは本当に大変です。トホホ・・・。

2020年1月11日

男はつらいよ お帰り寅さん


(霧山昴)
著者 山田 洋次 、 出版  松竹株式会社

私は大学生のときから「男はつらいよ」を見はじめ、その全部ではありませんが、ほとんどみています。「男はつらいよ」第1作が劇場公開されたのは1969年8月27日。しかし、私の記憶では東大本郷の五月祭(ごがつさい)で先行上映されたという記憶です(間違っているのかもしれません)。
1969年1月に東大本郷では派手派手しい安田講堂攻防戦があり、3月に授業再開し、5月ころ本郷に進学したて、まだ学生の気分がすさんでいたところに笑いで吹き飛ばす映画をみんなで見たという記憶があるのです。地下に食堂「メトロ」のある法文31番教室が会場で、そこへ大勢の学生たちが詰めかけ、満員盛況でした。みんなで爆笑したように思います。
その後、郷里の福岡へUターンする前、東京の場末の映画館でみたときは、場内が爆笑して騒然とした雰囲気で、スクリーンに向かって野次を飛ばす威勢のいいオッチャンたちもいて、心地よい気分に浸ることができました。ところが、銀座の封切館でみたところ、観客があまりにお上品で、みんなでどっと笑ったりすることがなく、野次が飛ぶなんてこともありませんでしたから、いささか物足りない思いをしたこともあります。
郷里に戻ってきて、子どもたちが小学校に通うようになると、正月には欠かさず寅さん映画をみんなでみて、腹の底から笑うことができました。
渥美清が20年も前になくなってから久しぶりに苦々しい寅さんをアップで拝むことができ、本当に感激しました。そして、その登場シーンがストーリー展開に本当によく溶け込んでいて、まったく違和感がありませんでした。すごいです。たいしたものです。
寅さんが今、どこで何をしているのか、もう死んでいるとかいう話はまったく出てきません。話の展開のなかで、そのことを不思議に思わせることがないのです。これって、すごいことですよね・・・。
そして泉さんは国連難民高等弁務官事務所につとめているということで、ヨーロッパやアフリカの難民問題まで映像で紹介されます。泉さんはタクシーのなかで上司とフランス語で会話しますが、ちゃんと聞きとれて、フランス語を勉強していて良かったと思いました。やっぱり、話が分かると、うれしいのです。
国連で活躍中の中満泉さんの本『危機の現場に立つ』も参考文献として紹介されています。後藤久美子は、素敵なキャリアウーマンとして登場してきますが、初めは誰だか分かりませんでした。
主題歌をオープニングで桑田佳祐が歌い、最後に渥美清本人が歌います。しみじみと聞いて、映画の余韻に浸って映画は終わり、あたたかい気分で外に出ることができました。
疲れを吹き飛ばしてくれるすばらしい映画です。ぜひ、あなたも映画館に足を運んでみてください。
(2019年12月刊。1200円+税)

2020年1月 3日

作家と魔女の集まっちゃった思い出


(霧山昴)
著者 角野 栄子 、 出版  角川書店

著者の『魔女の宅急便』は良かったですね。舞台で演じられ、実写映画にもなったそうですが、私はアニメでみました。もちろん、本も読みました。
ホウキにまたがった魔女が宅急便の荷物を運ぶなんて、すごい発想ですよね。
この本を読むと、著者がものすごいバイタリティーの持ち主でもあることがよく分かります。なにしろ、24歳のときブラジルに渡り、2年間、そこで暮らしたというのです。そのとき知りあった母と子の話が本書で紹介されますが、子のほうは作家としてのデビュー作のネタになったのでした。
『魔女の宅急便』の原点は、著者の12歳の娘が描いた魔女の絵だったそうです。ほうきの柄にトランジスタラジオがぶらさがり、ビートルズの音楽でも聞きながら飛んでいるようで、魔女の周囲を音符が踊っている。そんな絵だったのです。それを見て、ひらめいたのでした。
魔女のキキには、あり得ないことと、あり得ることを飛んでつなげてもらう。そしたら物語は面白くなりそう。そのなかでキキは次第に自分の場所を見つけていく。こうやって自分の楽しみも広がっていった。
主人公の名前は、そこから物語の世界が始まるといってもいいくらい大切なもの。1ヶ月ほどして、魔女の女の子はキキという名前に決まった。モノカキを自称する私も、主人公そして登場人物の名前は苦労していますし、工夫しています。
言葉の意味にばかり頼りすぎると物語は次第に貧弱になっていく気がする。
言葉の意味よりも、言葉のときめきを大切にしたい。
ときめきは、形ある風景として立ち上がってくる。そこを読み手といっしょに歩いていく。そしたら、どんなに楽しいことか・・・。
84歳の作家は、いつまでも幼い少女のようなういういしさを失っていないようです。うらやましい限りですね・・・。
(2019年9月刊。1400円+税)

2019年12月28日

消えた山人、昭和の伝統マタギ


(霧山昴)
著者 千葉 克介 、 出版  農文協

私の終わりころから9年間、秋田などの東北の山で活動していたマタギを追った貴重な写真集です。
マタギは、「山をまたぐ」が語源と言われていますが、実際、1日に10キロといわず数十キロも歩いていた。
狩り、ケボカイ(皮はぎの神事)、熊祭り、山の神祭り、小屋かけ、火起こしなど、昭和時代の山中でのマタギの生態が写真によく残されています。忘れてはならない山の狩人たちです。
マタギは産火と死火を忌み嫌い、家で出産や死亡があると、火が穢(けが)れると考え、その家の人間は1週間、狩りに出かけなかった。また、クマ狩りの前の1週間は夫婦の性交渉もできなかった。
マタギには、「狩人」と「狩り」の両方の意味がある。漢字では、古くから「又鬼」と書かれる。
大正・昭和初めのマタギ装束の着方が写真で再現され、解説されています。カモシカの毛皮を上に着ます。背負うのは村田銃です。
クマの胆(い)は、万能薬として珍重され、金と同じ値段で取引されていた。1回に飲む量はゴマ粒3つ。
マタギにとって、クマは捨てるところがなく、クマの骨や血、冬眠時の糞も薬として売られていた。
クマが獲れるのは集落にとって大きな喜びで、老若男女が集まってくる。
クマの肉を骨ごとに煮込み、ナガセ汁をつくる。最高のマタギ料理だ。
マタギは個人であり、集団であり、それを支えてきたのは集落である。
今ではほとんど消え去ったマタギの生態をたくさんの写真とともに解説した貴重な本です。
(2019年8月刊。2500円+税)

2019年12月18日

ふたりの桃源郷


(霧山昴)
著者 佐々木 總 、 出版  文芸春秋

電気も水道もない山奥で暮らしている老夫婦を30年にわたってテレビで紹介していった番組について、裏話をふくめて活字にしたものです。似たような話があったような・・・、と私は映画のパンフレットを探し出しました。
2014年の韓国映画「あなた、その川を渡らないで」です。こちらは30年間ではなく1年3ヶ月間でしかありませんが、老夫婦はなんと98歳のおじいさんと89歳のおばあさんです。山奥の一軒家ではありませんが、小川の流れる小さな村に住んでいます。毎日、ふたりはおそろいの服(上着は、白で、チマはライトブルー)を着て、手をつないで歩いていきます。枯れ木や山菜をとりに山へ、市場へ買い物に出かけます。春には花を折って互いに飾り、秋には落葉を投げあってほほえみ、冬には雪合戦をしてはしゃぐ。そんな老夫婦の日々が淡々と紹介されます。韓国では480万人もの観客を動員していますが、その半数を20歳台の若者が占めたといいます。私も福岡・天神の映画館でみましたが、心が震えました。まだみていない方はぜひみてください。
日本のほうは、たびたびテレビのドキュメンタリー番組となり、全国放送もされています。2016年には映画(『ふたりの桃源郷』)化されたそうですが、残念ながら私はみていません。今も各地で上映されているそうなので、ぜひ、みてみたいものです。
寅夫じいちゃんは大正3年生まれ、2007年(平成19年)6月に93歳で亡くなった。フサコばあちゃんは大正9年生まれ、2013年(平成25年)1月に同じく93歳で亡くなった。
この二人が初めてテレビに登場したのは今から28年も前の1991年(平成3年)のこと。
地元の山口放送は1993年に30分番組で紹介した。それから2018年まで、実に27年間にわたって紹介したというのですから、中途半端な話ではありません。
桃源郷の山小屋には、電気も水道も通っていない。でも、四季を通じて山から水が湧き、切り拓いた土地をぐるっと囲むように2本の水流があるため、1年を通して水には困らない。何十メートルもホースをつなぎ、湧き水を山小屋のすぐ脇まで引いている。小屋の表にある水がめには、いつだってきれいな水があふれていた。
夜、明かりを灯したり、洗濯機をつかうときには発電機を回す。暖をとり、煮炊きするのには、もっぱら薪だ。毎日のように山の木々を切り出し、斧を振りおろして薪をつくるのは、70代も半ばを過ぎると、重労働だ。
1979年(昭和54年)秋、夫婦そろって18年ぶりに山に戻った。二人は、人生を山で再スタートしたのだ。
山口放送が取材して放送したのは27年間で100回にもなる。全国放送されたことも12回ある。
山には電話がないので、取材は事前にアポイントの取りようがなかった。テレビ取材は、アポなしの突撃取材だった。
風呂は五右衛門風呂。87歳のじいちゃん、82歳のばあちゃんの老夫婦二人だけの山での生活。「夫婦円満の秘訣は何ですか?」と訊くと、答えは、「そりゃあ、セックスじゃのう・・・」。これでは放送できない。東京から全国放送するとき、同じ質問があった。どうなるか・・・。答えは、「そりゃあ、『夜』じゃのう・・・」。
えがった、えがった・・・。なにしろナマ放送だったのです。
23年間続けた山での暮らしを寅夫じいちゃんとフサコばあちゃんは自分の意思で終わらせて、ふもとの町の老人ホームに入って生活するようになった。
こんな人生のすごし方も魅力的ですよね・・・。でも、山に住むということは、蛇だって、虫だって、すぐ身近な存在なんですよ。怖くもあります。都会生活に慣れていたら、やはり山に住むのは無理だと思います。窓にヤモリがくっつくのは可愛いものですが、ゴキブリが出てきて、ナメクジが台所あたりをはいまわるのが耐えられますか・・・。
(2019年10月刊。1500円+税)

2019年12月16日

人体、なんでそうなった


(霧山昴)
著者 ネイサン・レンツ 、 出版  化学同人

人間の身体についての貴重な指摘、知らなかった驚くべき事実が満載の本です。
人体の解剖学的構造は、適応と不適応とが不格好に入りまじっている。
欠点があるからこそ、人間には人間らしさが表れる。
進化は絶え間なく続く交換ゲームだ。進化の大半には犠牲がともなう。
私は本年(2019年)3月、椎間板ヘルニアで苦しみました。なにしろ、駅のホームでまっすぐ歩けず、しばらく立ち止まって休んでいたほどです。この本は、なぜ椎間板ヘルニアが起きるのかについても解説しています。
人間の椎間板は、直立歩行者ではなく、ゴリラのようなナックル歩行者に最適の状態に調整されている。時間の経過とともに、アンバランスな圧力のせいで、軟骨の一部がはみ出てくる。この椎間板ヘルニアは、ヒト以外の霊長類には、ほとんどみられない。
ヒトの身体は、体内で必要な栄養素をつくり出すことができないので、食事としてとる必要がある。人間は、必要な栄養素をすべて取り入れるためには、やたら変化に富んだ食事をとらなければならない。
ビタミンCがなければ、コラーゲンがつくれない。犬は自分でビタミンCをつくることができる。地球上のほとんどの動物は必要なビタミンCを自分の肝臓でたっぷりつくっているので、食べ物からとる必要がない。
飢饉のときの最大の死亡原因は、カロリー不足ではなく、タンパク質と必須アミノ酸の不足にある。
ヒトがカルシウムを吸収するには、ビタミンDが必要。乳児は摂取したカルシウムの60%を吸収できる。成人はせいぜい20%ほど、引退する年代だと10%未満となる。
絶えずカルシウムとビタミンDを補充していないと、骨粗鬆症になって、骨がもろくなる。
野生では肥満した動物が見あたらないのは、大半の野生動物は、いつだって餓死の一歩手前にいるからだ・・・。
犬や猫がテレビにあまり興味を示さないのは、その網膜のニューロンは、人間よりずっとすばやく働くので、断片的な写真として見えていて、人間のように動画としてみれないからだ。
人間の身体の不思議さは尽きないところがあります。それをとても分かりやすく解説してくれています。
(2019年10月刊。2400円+税)

2019年11月30日

僕のリスタートの号砲が、遠くの空で鳴った


(霧山昴)
著者 田原 照久、竹島 由美子 、 出版  高文研

うまいですね、しっくり読ませます。さすが演劇指導し、劇の台本を書いている人だけあって、若者(高校生)と教師の揺れ動く微妙な心の奥底が見事な文章となり、視覚化されています。
今まで学校で学ぶことができなかったNと、そのかたくなで攻撃的な性格のために友人に恵まれなかったIは、ともにほとんど方言を使わない。同世代との会話を楽しむ何気ない日常が閉ざされていたからだろう。
高校生が方言を使わないというのに、こんな深い意味があっただなんて・・・、驚きました。
教室に入るとき、「おはよう!」と声をかけてたとき、前を向いて「おはようございます」と返してくるのは半数ほど。下を向いたままか、あるいは顔を上げていても視線は力なくさまよっている。「引き籠もり」の若者が急増していると言われる社会現象が事実だということを彼らは教えてくれる。
高校1年生のクラス。考え方の違いがはっきりするにつれて、複雑にもつれあったり対立しながら、クラスのなかはいくつにも分裂していく。その混乱を眺めているのは少々面倒ではあるけれど、この分裂こそが高校生らしいつながりを生み出していく・・・。
夢中になるものがあると、時間の流れをとても速く感じる。まさしく、そのとおりですよね・・・。
15歳から18歳の高校生たちは、信じられないスピードで大きく変化していく。ときには、大人の予想など平然と蹴散らして、まるで別人に生まれ変わる高校生だっている。それが高校という空間のもつ不思議な力だ。
同級生から自信にあふれた存在と思われているにもかかわらず、本人の内面では自分に納得できずに自己否定を繰り返す高校生。
高校生の世界は、まさにモザイク。まさに混沌。閉じていない世界。閉じようにも閉じることのない世界。いや、むしろ、世の中との間に扉のない世界・・・。
今どきの高校生たちの置かれている社会の実際。そして、演劇を通して友人、そして自分とぶつかりあい、また自己認識を深めていく・・・。じっくり、しっくり読みすすめ、なんだかほっこりとした気分になりました。
福岡の宇都宮英人弁護士よりいただいた本です。ありがとうございました。みなさんに、ご一読を強くおすすめします。
(2019年11月刊。1600円+税)

2019年11月16日

いつもそばには本があった。


(霧山昴)
著者 國分 功一郎、互 盛央 、 出版  講談社

私も本はよく読んでいるほうだと思うのですが、この二人は哲学的分野で深みがあります。とてもとても、かないません。
1996年は出版界で売り上げがピークを迎えた。この年は本の販売金額は2兆6500億円。その後は減少傾向にあり、2017年は1兆3700億円なので、まさしく半分になった。ところが、新刊点数のほうは、1996年に6万3000点だったのが、2017年には7万5000点を大きく増加している。1980年代は3万点だったから、そのころに比べると2倍以上となる。
かなり多くの人が自分の研究する分野以外の本をほとんど読んでいない。文系の大学院に行って研究しようとしている人たちがこうなのだから、本が売れないのも当然だ。
今は、自分の知りたいことしか知りたくないという傾向がどんどん強まっているのではないか・・・。
今どきの若者が新聞を読まず、ネットを見ただけで世の中のことを分かった気になっているのに、通じている気がします。
この謎を解明したい。この論点について、もっと知りたい。この思想を分かりたい。そのような欲望に突き動かされて読書することが、読書において何よりも大切なこと。
解明したい、知りたい、分かりたい、そのような欲望のなかにいて、その欲望にこたえてくれる本に出会い、それを読んでいるときの喜びは格別のものがある。その喜びをずっと感じていたいという気持ちが、読書に駆り立てる最大の要因だ。
もちろん、何かを分かりたいと思って読書をしていると、分かりたいと思う別の何かにも出会うことになる。次々と欲望の対象があらわれ、解明したい、知りたい、分かりたいという留まることを知らない欲望に捕まえられる。このプロセスの中に居続けることが、読書の理想なのだ。
これは、まったく私と同じなのです。知りたい、謎を解明したいと思い、次々に本を読みます。すると、どんどん謎は深まり、広まっていくのです。ですから、読書の幅は無限大に広がっていきます。そして、その欲望の充足感にほんのひととき浸っているのが至福の境地なのです。
(2019年3月刊。900円+税)

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