弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2020年11月28日

七人の侍、ロケ地の謎を探る


(霧山昴)
著者 高田 雅彦 、 出版 アルファベータブックス

日本屈指の傑作時代劇映画『七人の侍』は何年も前に映画館「中州大洋」でみたように思います。やはり映画館の大スクリーンは迫力が違いました。
映画が公開されたのは1954年4月。上映時間は3時間27分。観客700万人、2億9千万円の配給収益。撮影期間は10ヶ月間。製作費は2億Ⅰ千万円。これは通常の3~4千万円の5~7倍。
黒澤明監督43歳、志村喬(島田勘兵衛)48歳、三船敏郎(菊千代)33歳。いやあ、みんな若いですね...。
通俗アクション映画にして、アート(芸術)映画。人間の業(ごう。わざ)、つまり本質を描いた悲劇であり、喜劇。動と静、熟練と未熟、理想と現実、正と死が隣り合わせ、観念性とテーマ性が見事に融合した奇跡的な映画。
『七人の侍』は、世界中で「映画の教科書の一本」、あるいは「映画のなかの映画」として評価されている。あの『スター・ウォーズ』も『七人の侍』の影響を受けているとのこと。
この本は、『七人の侍』が撮影されたロケ地を探し求めて、ついに特定したという苦労話のオンパレードなのですが、撮影している光景の写真がたくさんあって、撮影当時の苦労がしのばれ、とても興味深いのです。
伊豆長岡、御殿場、箱根仙石原、そして、世田谷区大蔵の東宝撮影所でした。世田谷区大蔵は、当時は見渡すかぎり畑のみで、キツネや狸が横行する土地だったのです。
『七人の侍』のラストの野武士たちに対して侍と百姓連合軍による雨中の決戦シーンの大迫力は、思い出すだけでも身震いしてしまうほどの物すごさでした。これは、西部劇で雨が降ることのないことに対比させて、「雨で勝負しよう」という黒澤明のアイデアだったとのこと。そして、この映画で降らした雨の量は半端ではなかった。消防団のポンプ7台(8台か?)をつかって近くの仙川から汲み上げた水をたっぷりまき散らしたのです。
ところが、撮影直後の1月24日、東京は大雪が降った。30センチもの積雪となり、この雪を水で溶かすと、オープンセットの地面は、もとが田園だったため、セットはたちまち泥田に変貌した。
雨中の決戦シーンは9分間。4台のカメラを使って、一発勝負の撮影だった。さすがの三船敏郎も、このあと1週間も大学病院に入院したとのこと。
ロケ地を探る過程で現地を訪ねて歩いているうちに、映画に群集の子役で出演したという人に出会います。なんと1947年うまれ。私と同じ団塊世代です。出演料としてキャラメル1箱をもらったそうです(親は、お金をもらったのでしょうが...)。
御殿場ロケのときには、富士山が写り込まないように苦労したという。それは、映画の舞台が、日本のどこだか分からないという設定なので、富士山が見えたら興醒めだから...。なーるほど、ですね。
それにしても撮影終了(クランクアップ)して、1ヶ月後に公開するなんて、信じられませんよね...。黒澤明監督は、10ヶ月の撮影期間中に、ずっと編集もしていたということなのですが、それにしても、スゴすぎます。43歳にして1954年に2億Ⅰ千万円をつかう映画をまかされるなんて信じられません。
『七人の侍』を映画史上最高傑作と考えている人には、ぜひ読んでほしい本です。
(2020年7月刊。2500円+税)

2020年11月20日

ウィルスの世紀


(霧山昴)
著者 山内 一也 、 出版 みすず書房

ウィルスと細菌を区別するのは難しい。細菌は、もっとも原始的な細胞であり、独立した生物。ウィルスは、細胞に寄生しなければ増殖できない。
細菌は二分裂で増殖する。ウィルスの増殖方法は細菌とはまったく異なる。ウィルスは、まず粒子の表面にあるウィルスのタンパク質(鍵)を細胞の受容体(鍵穴)に結合して、細胞の中に侵入する。細胞は、いわばウィルスの生産工場。
ウィルスは、工場の機能をハイジャックして、ウィルスの設計図(核酸)の情報にしたがってウィルスの部品(タンパク質)を生産させる。そして、細胞の中でそれらを組み立ててウィルス粒子をつくりあげ、細胞外に放出する。このように、部品を大量生産する方式で、二分裂と比べて非常に高い高率で子孫粒子を生産する。
ポリオウィルスは、試験管内で、1日で1個のウィルスから数万ないし数十万のウィルスが産生される。
ウィルスは、ほかの生物に依存すれば、生物界にしか見られない仕事ができる有機体である。したがって、ウィルスは生物でもなければ無生物でもないとみるほかない。
天然痘ウィルスや麻疹ウィルスは、人間集団の中でしか生存していけない。
ヒトのウィルスの多くは、困ったことにマウスでは増えない。
人類は気づかないまま、ながいあいだウィルスと共生してきた。
コウモリのだ液、尿、糞便、交尾によって、コウモリのあいだでウィルスは受け継がれている。フィリピンのニパウィルスは、感染源のオオコウモリから、ウマを介してヒトに移り、ヒト―ヒト感染が起きた。コウモリは、いわばウィルスの貯蔵庫になっている。ある調査では、コウモリから137種ものウィルスが見つかった。そのうち61種はヒトに感染できる。コウモリの平均寿命は20年ほど。
中国では、伝統的に野生動物を食べると健康に良いと信じられている。とくに外国産の動物は高価で、接待につかって自分のステータスを示す。また、漢方薬の原料としても、野生動物の需要は増加している。
ウィルスには抗生物質は効果がない。ウィルスは細胞の機能を乗っとって増殖するため、ウィルス治療薬は細胞に影響を与えずにウィルスの増殖を阻止するものでなければならない。
新型コロナウィルスのワクチンが簡単にできるとは思えません。トランプ大統領は、風邪みたいなものだと言って、軽視しましたが、とんでもない暴言です。アメリカでは1日に10万人もの感染者が出て、死者も多数でていますが、それは、国民皆保険ではないからだと思います。
日本もGO、TO、トラベルで人々が全国を駆けめぐっていますが、それによって感染者が爆発的に増えないか本当に心配です。ウィルスとは何かを知るうえで、とてもタイムリーな本だと思いました。
(2020年8月刊。2700円+税)

2020年11月14日

蓼食う人々


(霧山昴)
著者 遠藤 ケイ 、 出版 山と渓谷社

蓼(たで)食う虫も好き好き、とはよく言ったものです。
カラスを食べていたというには驚きました。フクロウを囮(おとり)にしてカラスを捕り、肉団子にして食べたというのです。カラスは赤肉で、歯応えがあって味わい深いそうです。カラスって不気味な真っ黒ですから、私なんかとても食べたいとは思いません...。
サンショウウオは、皮膚から分泌する液が山椒(さんしょう)の香りがするとのこと。知りませんでした。
野兎(のうさぎ)は、各家庭でつぶした。肉だけでなく、内臓から骨、毛皮まで無駄なく利用できる。野兎は、「兎の一匹食い」と言われるほど、捨てるところなく食べられる。なので、野兎のつぶしは、山国の人間の必須技術だった。野兎は鍋に入れる。味は味噌仕立て。白菜・大根・ネギに、スギヒラタケやマイタケを入れる。そして、別に野兎の骨団子をつくって、子どものおやつにした。肉が鶏肉に似ていて、昔からキジやヤマドリの肉に匹敵するほど美味なので、日本では野兎を一羽、二羽と数える。
岩茸(イワタケ)は、標高800メートルほどの非石英岩層の岩壁に付く。山奥の比類なき珍味だ。ただし、岩茸は、素人には見つけるのが難しい。1年に数ミリしか成長しない苔(こけ)の一種で、キロ1万円以上もする。
鮎(アユ)は、苦味のあるハラワタを一緒に食べるのが常道。なので、腹はさかない。頭から一匹丸ごといただくのが、せめてもの鮎に対する供養になる。
オオサンショウウオは、200年以上も生きると言われてきた。実際には野生だと80年、飼育下でも50年は生きる。
ヒグマは、もともと北方系で、寒冷な環境や草原を好み、森林化には適応できなかった。
敗戦直前の1944年に新潟県に生まれ育った著者は、子どものころ、野生の原っぱで、ポケットに肥後守(ヒゴノカミ。小刀)をしのばせて、カエルやヘビ、スズメや野バトを捕まえて解剖して食った。そうして、人間は何でも食ってきた雑食性の生き物だということを痛感した。
よくぞ腹と健康をこわさなかったものだと驚嘆してしまいました。
(2020年5月刊。1500円+税)

2020年11月 3日

世界の起源


(霧山昴)
著者 ルイス・ダートネル 、 出版 河出書房新社

知らないことは世の中にたくさんありますが、この本を読みながら、地球と人間(生命)の関係が深いことに今さらながら大いに驚かされました。
我らが地球は、絶え間なく活動し続ける場所であり、常にその顔立ちを変えている。地球が変化する猛烈な活動すべての原動力となるエンジンがプレートテクトニクスであり、それは人類の進化の背後にある究極の原因となっている。
過去5000万年ほどの時代は、地球の気候の寒冷化を特徴としてきた。長期にわたる地球寒冷化の傾向は、主としてインドがユーラシア大陸と衝突して、ヒマラヤ山脈を造山させたことによって動かされてきた。
東アフリカが長期にわたって乾燥化し、森の生息環境を減らして細切れにし、サバンナに取って代わらせたことが樹上生活をする霊長類からホミニンを分岐させた。
歴史上で最初期の文明の大半は、地殻を形成するプレートの境界のすぐ近くに位置している。現在、我々は間氷期に生きている。地球は存在してきた歳月の8割から9割は、今日より大幅に高温の状態にあった。南・北極に氷冠がある時代は、実際にはかなり珍しい。
地球がまっすぐに自転していたら、季節はなかっただろう。ミランコヴィッチ・サイクルは、北半球と南半球で太陽からの熱の配分を変えるので、季節の変化の度合いが変わる。
75億人もいる人間(ヒト)のあいだの遺伝的多様性は驚くほど乏しい。アフリカから6万年前に脱出したヒトは、恐らく数千人だっただろう。そして、アフリカを出てから5万年内に人類は南極大陸をのぞくすべての大陸に住み着いた。
地球が温暖化するなかで、1万1000年前ころに、ヒトは農業と定住に踏み出した。
恐竜は草がまったくない大地をうろついていた。ヒトは草を食べて生きのびた。草を熱と火をつかって栄養素を吸収できるようにした。
地球だけでなく、ヒトの体の分子までも、星屑(ほしくず)からできている。
金(キン)は、地球がその鉄の中心部と珪素のマントルに分離したのちに、小惑星の衝突によって地表にもたらされたもの。
地球の外核にある溶けた鉄の激しい流れが、ちょうど発電機のように磁場を生み出す。地球上の複雑な生命体の存在は、それ自体が鉄の中心部に依存している。ヒトの血に流れる鉄は、それを生み出した太古の星の核融合の鍛冶場(かじば)に結びつけるだけでなく、地球の生命を守って世界に張りめぐらされている磁場にもつながっている。
地球の生涯の前半において、世界には大気中にも海洋にも酸素の気体は存在しなかった。初期のシアノバクテリアが地球に酸素を送り出した。
地球の歴史の9割には、地上に火は存在しなかった。火山は噴火したが、大気には燃焼しつづけるだけの酸素がなかった。酸素の増加は、複雑な生命体を進化させただけでなく、人類に道具としての火を与えた。
地球は生きていて、変化し続ける存在であること、ヒトをふくむ生命はその変化に対応して存在しているということが、実に明快に説明されていて、声も出ないほど圧倒されてしまいました。大いに一読に値する本です。
(2019年11月刊。2400円+税)

2020年11月 1日

森繁久彌コレクション


(霧山昴)
著者 森繁 久彌 、 出版 藤原書店

森繁久彌の映画なら、いくつかみていますし、テレビでもみています(映画だったかな...)。残念ながら、生の舞台をみたことはありません。というか、本格的な劇というのは司法修習生のとき『秦山木の木の下で』という劇を東京でみたくらいです。もっとも、子ども劇場のほうは、子どもたちと一緒に何回かみましたが...。
全5巻あるうちの第1回配本というのですが、なんと、600頁をこす部厚さです。役者としてだけでなく、モノカキとしてもすごいんですね。すっかり見直しました。
そして、著者は戦前の満州に行って、そこで放送局のアナウンサーとして活動しています。大杉栄を虐殺したことで悪名高い甘粕正彦とも親しかったようで、「甘粕さん」と呼んで敬意を払っています。
満州ではノモンハン事件のとき、現地取材に出かける寸前だったのでしたが、日本軍がソ連軍に敗退して、行かずじまい。そして、ソ連軍が進駐してくると、軍人ではないのでシベリア送りは免れるものの、食うや食わず、夫が戦死した日本人女性を「性奉仕」に送り出して、安全を確保するという役割も果たしたのでした。それでも、日本に帰国するとき、7歳、5歳、3歳と3人の子どもと奥さん、そして母親ともども一家全員が無事だったというのは、奇跡のようなことです。
著者は、子どものころからクラスの人気者で、歌も活弁も詩の朗読もうまかったようです。これが、一貫して役に立ち、生きのびることにつながったのでした。
もともと、役者根性ほど小心でいまわしく、しかもひがみっぽいものはない。だから普通の神経ではとても太刀打ちはできない。よほど図太く装うか、さもなければ最後までツッパネて高飛車に出るか、あるいは節を曲げて幇間よろしぺこぺこと頭を下げ、「先生、先輩」と相手をたてまつるか、そのどれかに徹しないかぎり、何もせぬうちにハジき出されてしまうこと必定なのだ。
著者は、満州7年の生活と、いくども死線をこえてきた辛酸は無駄ではなかったと思うのでした。著者が世に出るまでの苦労話も面白いものがあります。
30を過ぎ、さして美男でもなく、唄がうまいかというと、明治か大正のかびの生えたような唄を、艶歌師もどきに口ずさむ程だ...。
そこで、著者は作戦を考えた。毎日、二流とか三流の映画館をのぞき、画面のなかの役者について、考現学的に統計をとった。そして館内の人間を分類大別し、年齢、嗜好、そして、どこで泣き、どこで笑い、どこで手を叩くかをノートに詳しく書きとめた。
おおっ、これは偉い、すごいですよね、これって...。さすが、です。
すぐに結果の見える演技ほど、つまらないものはない。次にどう出るか分からないという、未来を予測できない演技が、観客をそこにとどまらせ、アバンチュールをかきたてるのだ。
著者は満州でNHKのアナウンサーとして取材にまわったとき、蒙古語で挨拶し、歌もうたったとのこと。これまた、すごいことですね。これが出来たから、すっと現地に溶け込めたのでした。
著者が満州にいたとき、一番にがにがしく、日本民族の悲しい性(さが)を見たのが、集団のときの日本人の劣悪さ。軍服を着せて日本軍という大集団のなかにおいておく、この善良なる国民は、酒乱になった虎みたいに豹変し、横暴無礼。列車のなかに満人が座を占めていると、足で蹴って立たせたり、ツバをひっかけたりする。見ていて寒気がする。ところが、その一人ひとりを野山において野良着でも着せたら、なんと親切な良識のある村の青年にかえってしまう...。
著者の父親は、関西実業界の大立者だった菅沼達吉で、子どものころは、ずいぶん裕福な生活を送っていたようです。そして、著者の長兄(馬詰弘)は、高校生のころに左傾化して「プチブル共産党」の見本だったとのこと。著者自身も、早稲田に在学中のとき、周囲に共産党の影響が強かったようです。いやはや、本当に苦労していたことがよく分かった本でした。
著者は、2009年11月に死去、89歳でした。
(2019年11月刊。2800円+税)

2020年10月31日

分子レベルで見た薬の働き


(霧山昴)
著者 平山 令明 、 出版 講談社ブルーバックス新書

私は、なるべく薬を飲まないように心がけています。いえ、かゆいと皮膚科でもらった軟膏はすぐ塗りますし、花粉症で目がかゆいと目薬はさします。
幸い、高血圧でも糖尿病でもないため、毎日、薬を飲まないといけないということはありません。なので、椎間板ヘルニアになったとき、痛み止めの薬をのんだら、すぐに効果がありました。ありがたいことです。
この本は、カラー図版で、人間の細胞がどうなっているのか、薬が分子レベルでどのように作用しているのか図解していますので、門外漢の私も分かった気にさせてくれます。
ペニシリンは、バクテリアの生産する毒性物質であり、ペニシリンを生産するバクテリアが他のバクテリアに打ち勝って生存していくための、自己防衛手段の一つである。
徳川家康は、秀吉と戦って勝った小牧・長久手の戦いのとき、背中に大きな腫れ物ができて、非常に危険な状態になった。このとき、摂津の国の笠森稲荷の土団子に生えた青カビをその腫れ物に塗ったところ、腫れ物は完治し、九死に一生を得た。この話が本当だとすると、家康もペニシリンによって命を救われたことになる。そんなことがあったなんて知りませんでした。いったい、どんな本にこんなことが書いてあるのでしょうか...。
院内感染で話題のMRSAは、バクテリア自体は弱く、健康な人はまったく問題ない。ところが、高齢者や病気の人、外科手術をした直後で免疫力が低くなっている人が感染すると、抗菌薬が動きにくいため、深刻な結果を招くことになる。
耐性菌による死亡者は世界で年に70万人であり、これからますます増えると予測されている。
オプジーボは、薬価3800万円だったのが、今では年に1090万円まで低下した。
ウィルスは、バクテリアよりさらに簡単な構造なので、生物なのか無生物なのか難しい問題だ。ウィルスは、自身が分裂して増殖することはできない。
ウィルスが、その遺伝情報を宿主の染色体の中にまぎれこませる。ウィルス本体は、情報そのものと言える。情報処理中枢に入り込んだ情報の削除はきわめて難しい。
いったんウィルスが染色体に感染すると、それを取り除くのは困難だ。
人間の身体の免疫反応はすばらしい。本来、このように臨機応変で、確実に問題を解決する方法が身についているはずなのだ。
人類は、インフルエンザ・ウィルスに決して勝利したのではなく、むしろインフルエンザ・ウィルスとの本格的な闘いは、やっと始まったところなのだ。
一般に、科学者とは、実験して、その結果を論理的にまとめている人のように思われているが、実際には、実験で分かるのは、たいてい求めるべきもののごく一部でしかない。あとは、想像力、空想力の世界なのだ。
ということは、何ものにもしばられない自由な飛翔する豊かな発想が大切だということなんですよね...。日本の押しつけ教育は、根本的に改められる必要があります。国定教科書なんて、おさらばですよ...。
自己免疫力をパワーアップする薬も紹介されていますが、免疫力をアップさせるためには、規則正しい生活、ほどほどのストレスのある生活、よく食べよく出し、ぐっすり眠って、やりたいことがある毎日を過ごすことではないでしょうか...。
私と同世代の著者によるカラー図版満載の、分かった気にさせてくれる薬と人体の相互作用を解説してくれる新書でした。
(2020年2月刊。1700円+税)

2020年10月29日

「あたりまえ」からズレても


(霧山昴)
著者 藤本 文明、 森下 博 、 出版 日本機関誌出版センター

ひきこもりの体験者が書きつづった本ですので、実感が伝わってきます。
ひきこもり人口は、日本で少なくとも100万人。これは人口の1%。その家族などの関係者は300万人。
「ひきこもり」というと、外からは何もしていないように見えるかもしれない。しかし、そのなかでの本人の精神活動は、ひきこもる必要がなく生活している人以上に活発になり、そこで人間性が研(みが)かれている。なので、真面目に人生を考え、優しく細やかな気づかいのできる青年たちとなる。なーるほど、そうことなんですね。
学校は行かなければならないもの...。学校を卒業したら、会社に就職して働くもの、収入を得るもの、いずれ自立して生活していくもの...。でも、それが出来なかったら...。
中学2年生の夏に優等生を維持できなくなって、それから7年半のあいだ引きこもった。現在は、ひきこもり支援の資格を得て、自助グループを運営している。
大学を卒業して、就職を失敗して3年間ひきこもった。27歳のとき、個別指導の塾をはじめ、今は、「どんな子でも楽しく学べる塾」を営んでいる。
ひきこもりの体験者にも、いろんな人がいるのですね...。
ひきこもりの人は、自分のせいで家族に迷惑をかけてしまったという罪悪感がある。
ひきこもりから脱出するため、まず一番に、毎日、家を出る習慣を身につけるようにした。小さい挑戦をし、その成功体験を積み重ねた。
引きこもりを克服する三つのステップ。初めのゼロ・ステップは、親の心を休めるステップ。第一のステップは、子どもに興味をもつステップ。第二ステップは、社会的常識を捨てて、子どもの求めているものに目を向ける。第三ステップは、子どもに何か書いてもらって、子のニーズを引き出す。
ひきこもっている人は、自分自身に対する価値を信じていない。自己肯定感が欠如している。自分のことですら、自分で決定できなくなり、基準のすべてが想像上の他者か社会になっている。
ひきこもり対策に、マニュアルは存在しない。親といえども、子育てについては、みんな初心者なのだ...。
母親が酔って泣きわめいているのを見て、「しんどい」って吐き出せる余地が、自分の周りになかった。泣きわめく母親に、「助けて」と頼めるわけには行かない...。自分のせいで、母親が、こんなに泣いて苦しんでいるのが分かって辛かった。
不登校経験者で、教員になった人が周囲にいた。それで、やってもいいかなと思ってはじめた。
私の依頼者の家族にひきこもりの男性が数人いて、毎月、法律事務所に来ていただいています。外に出れること自体がいいことなので、私は何か変わったことはないかとたずねます。法律事務をしているというより、カウンセリングしている感じです。
それにしても、体験者の手記には重みがありますね...。
(2020年3月刊。1300円+税)

2020年10月18日

産んじゃダメだと思ってた、産んでみたら幸せだった。


(霧山昴)
著者 たんたん、カネシゲタカシ 、 出版 幻冬舎

愛する男性と結婚してやりたいことをやっている女性なのに、子どもをつくったらダメだと思い込んでいた...。なぜ、どうして??それは、自分が生きづらい人間だったから。
見捨てられた感、愛が足りないかん、子ども時代をやり残した感があるので、子どもを産まないことは正義だと考えていた。
小さいころの母親は、いつも不機嫌、口答えすると無視。見捨てられ不安がつのる...。
父親は自己愛の強い人。そのパパにバカにされないかな、嫌われないかな...。
母親は子どものために我慢しているという。だったら、母親なんかになりたくない。子どもなんて、つくらないほうがいい...。
父にはほめられず、母には叱られる。そんな家庭に育ったので、自己肯定感の低い人間になってしまった。
高校に入ってすぐに中退。でも定時制高校に入り、音楽に出会った。そして短大にすすむ。実家も出て一人暮らしをはじめた。
交際をはじめた彼に病院に行くように誘われ、医師から境界性パーソナリティ障害だと診断される。そして薬を飲みながら、生きづらい日々を穏やかな日々に少しずつ変えていったのでした。すべては自己肯定感をとり戻すために...。
子どもを産んだらダメな三つの理由。その一、不幸の連鎖を止めたい。その二、女性を卑下する女性は子育てしてはいけない。その三、子どもにヤキモチを焼く母親に子育ては無理だから。
だけど、愛とは無限のもの。ありのままの自分でいいんだ。
よく描けたマンガ(絵)が、このストーリーがよくよく伝わってきます。すごい絵です。
著者は2度の流産を経て、3度目は、ついに出産へ。苦しい苦しい出産だったようです。これまた、すごくよく分かる絵です。そして、ついに赤ちゃん(娘)が誕生し、かつて著者を追い詰めていた両親とも和解が成立するのでした。
タイトルの意味が本当によく分かる、すばらしいマンガ本です。
(2020年3月刊。1100円+税)

2020年10月 3日

心友、素顔の井上ひさし

(霧山昴)
著者 小川 荘六 、 出版 作品社

井上ひさしが亡くなったのは2010年4月9日。75歳だった。飾り花は一切ない祭壇。棺のなかには、花の代わりにたくさんの芝居のチラシが入れられた。骨壺には、愛用の丸いメガネと太い万年筆が入れられた。
著者は上智大学以来、54年間、ずっとずっと井上ひさしと親密に交際していたことがよくよく分かる本です。そして、著者の娘さんが井上ひさしの秘書をつとめていました。すごいです。
それにしても、井上ひさしは、まことに天才的人物ですよね。私にとっては、手塚治虫に匹敵する人物です。
著者が井上ひさしに出会ったのは1956年(昭和31年)4月、上智大学文学部のフランス語学科です。男子学生ばかり15人ほど。井上ひさしは、いちどドイツ語科に入って、そのあとフランス語科に入りなおしたのです。ところが、井上ひさしは、フランス人の神父さんから中学・高校のときフランス語の基礎を叩き込まれていましたので、それほど苦労せずフランス語はできたのでした。
しかも、入学当初から、浅草フランス座(ストリップ劇場です)の文芸部員であり、放送作家のアルバイトもしていたのです。そんな井上ひさしは、学生仲間のくだらない遊びに率先して参加していたというのです。なーるほど、さすがユーモアあふれる作家は実践の人だったのです。
そして、著者の実家のある横須賀まで、金欠病の井上ひさしたちは巧妙なキセルで通い、麻雀にいそしんだのでした。往復300円かかるところを90円ですませたのです。
私も東京での大学生のとき何回かキセルをしましたが、そのうちに、そのスリルのドキドキ感がバカらしくなってやめました。そんなことより安心して車中で本を読むのに集中したかったのです。
ところが、井上ひさし自身は麻雀をしないで、徹夜組につきあっていたというのです。これまた驚きます。実家の稼業であるもやし栽培の手伝いをしていたようです。そのほかは、世界文学全集を徹夜で読んでいたというのですから、さすが偉大な作家は違います。
井上ひさしには家庭の団らんの経験がなかったこともあり、貧乏学生にとって「天国のような所」だったと振り返っています。
井上ひさしは、大学について、こう語った。
「大学で必要なのは、学問の中味ではなく、そこで誰に会ったか、誰と友だちになったか、誰とつきあったか、そして自分の人生を生きていくための新たな基本的な姿勢といいますが、それをつちかっていくというのも大事なこと、大事な役目だと思います」
まったく依存ありません。私にとって、それはセツルメントというサークルでしたし、セツラー仲間でした。あれから50年だった今も大切にしています。
井上ひさしの人形劇「ひょっこりひょうたん島」が始まったのは1964年(昭和39年)4月。私の高校1年生のときでしたが、夕方、楽しみにみていました。視聴率25%というお化け番組で、ついには40%近い視聴率になった国民的な人気番組でした。
ところが、その内容が左翼思想で、拝金主義を揶揄したものになっているというのにNHK上層部が気がついて、5年も続いたあと打ち切りになったのでした。
このころビデオ録画ができなかったというのが、本当に残念です。それが出来ていたら「寅さん」シリーズのように何度も繰り返し再放送されていることでしょう。
井上ひさしは、本を速く読むコツがあるかと著者がたずねたとき、「あるよ。速く読もうとすればいいんだ」と答えたそうです。私も同じです。井上ひさしほど速くはありませんが、年間500冊の単行本を30年来、読んでいるのは速く読もうとつとめているからです。でも、これ以上は、速く読むつもりはありません。頭に何も残らなければ意味ありませんからね...。
井上ひさしは、高いところは大の苦手で、飛行機も大嫌い。
井上ひさしは、旅行するときには、記録用の新しいノートを必ずもっていく。私も海外旅行するときには、毎回、小さなノートブックを購入し、肌身離さず日時とともに記録していました。そして、帰国してから写真と一緒に冊子をいくつもつくりました。こうすると、行く前、行ったとき、帰ってから、3回も楽しみがあるのです。
すばらしい本でした。おかげで井上ひさしという偉大な作家の雰囲気をたっぷり味わうことができました。ありがとうございます。
(2020年7月刊。2200円+税)

2020年9月26日

根に帰る落葉は


(霧山昴)
著者 南木 佳士 、 出版 田畑書店

著者の作家生活40年を記念して出版された文庫本のようなハンディーサイズの本です。
落葉帰根。おまえも、もう 根に帰ったらどうだい、と葉っぱたちに諭(さと)されて、なんだかうれしくなった。そんな著者の最新エッセイ集なのです。
ことばが、からだが、しみじみ深呼吸する。こんなフレーズ(文章)がオビにありますが、まさしく、それを実感させられます。
最近、映画になった『山中静夫氏の尊厳死』はみていませんが、映画『阿弥陀堂だより』は20年ほど前にみて、心を揺さぶられました。
著者は団塊世代より少し遅れた世代(1951年生まれ)なので、勤めていた病院は既に定年で退職し、今は嘱託医として週4日間だけ働いているといいます。
医師である著者は芥川龍之介の手紙を読んで、発熱、胃痛、下痢、神経衰弱という身体状況の描写から、胃痛はヘリコバクター・ピロリ感染胃痛と診断し、こんな患者には旅に出ることをすすめるとし、また、神経衰弱というのは恐らく「うつ病」にあったのではないかと推測しています。なるほど、と思いました。
著者は、小説を書く、という行為の業の深さを思い知ったとしています。そうですか、だから私には本格的な小説が書けないということなんですね...。本当に私は、そう思います。
よい小説を書きたかったら、まじめに暮らすこと。これは、著者に向かってベテラン編集者が放った言葉でした。この点、私も、言われてみたら、すごくもっともな指摘だと思われます。
ある程度の年齢の人には、人生を考え直させるきっかけが満載の小さな本でした。
(2020年5月刊。1300円+税)

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