弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2021年8月29日

本の力


(霧山昴)
著者 酒井 京子 、 出版 童心社

孫に絵本を読み聞かせています。両足を組んで孫を座らせ、絵本を声色たっぷりに読みあげるのは本当に楽しいです。川崎セツルメントの大先輩である、かこさとしの「ドロボー学校」やら「カラスのパン屋さん」なんて、読んでる私まで気分がぐぐっと若返ります。
絵本誕生の秘話として著者が語るのは、誰でも知っている「おしいれのぼうけん」、「ダンプえんちょうやっつけた」、「14ひきシリーズ」、そして「いないいないばあ」といわさきちひろの「花の童話集」などです。長く長く心に残る絵本ってこうやって出来あがっていくのですね。
120頁ほどの薄い本なので裁判所に持っていって、待ち時間に読みはじめ、裁判が終わってからは控室に行って読み終わりました。
すぐれた絵本は、これを子どもに話したい、伝えたい、子どもたちを喜ばせたいという真剣なものが込められていなければならない。そして、生きる力や考えることの大切さを伝えるものでなければならない。なるほど、そうですよね...。
著者が古田足田さんの家に原稿を取りに行くと、20枚ほどの原稿がテーブルの上に置いてある。それを必死に読む。古田さんは黙って、見ている。ときには、にらみつける(著者は、そう思った)。本当に怖かった。試されていると感じた。読んだなら、その場で何か言わなくてはいけない。考えて明日言います、なんて許されない。緊張する。しかも、古田さんが次に進める意欲が出るようなことを言わなければいけない。問題点だけを指摘したら、古田さんはやる気をなくしてしまう...。
著者が何か言うと、古田さんは20分くらい黙って、何か考えている。さすがに20分間は長い。冬なので、薄手のセーターを着ていったが、汗びっしょり。古田さんの家を出るときには、セーターの上から汗がふき出ていた。それほど真剣勝負だった。
「おしいれのぼうけん」を社長は、「10万部は売ってみせます」と断言した。実際には、1974年に発売されてから2021年3月までに、なんと240万部も売れている。もちろん私の家にもありますし、孫たちにも読んでやりました。ねずみばあさんを今でも怖がっています。
書店に行くと分かる。たくさんの本が並んでいるけれど、力の入った本とそうでない本は、そこから発散するものが違う。それはその中に込められたものによる。込められたものが光輝くのだ。
力のある本は、作家と画家、そして編集者も印刷屋さん、製本屋さんも含め、製作に関わったすべての人の気持ちが、ひとつになる瞬間がある。それは奇跡に近い瞬間だ。
「おしいれのぼうけん」では、ねずみばあさんの怖さと、保育園の子ども2入の勇気がたまらない魅力になっている。
「14ひき」のシリーズに関わったとき、編集者の著者にも作者(いわむらかずおさん)はラフスケッチを見せてくれなかった。本は、生まれる前は作者だけのもの。ひとたび誰かに見せたら、もう作者だけのものではなくなる。ラフの段階で、編集者がトンチンカンなことを言うのは許されない。
「14ひき」シリーズの絵本が初めて出版されて40年たった。今では「日本のいわむら」から「世界のいわむら」になっている。パリでいわむらさんのサイン会をしたら、行列ができた。22言語に翻訳されている。
著者は、いわさきちひろの絵を見た瞬間、この人はただものではないと直感したという。それから、ちひろの黒姫の山荘に行ったとき、尊敬できる人には、いくらでも献身的になれ、料理や掃除がまったく苦にならなかった。
いやあ、いい絵本誕生の秘話でした。編集者としてすごい幸運でしたね...。
(2021年6月刊。税込1650円)

2021年8月28日

横井久美子、歌手グランドフィナーレ


(霧山昴)
著者 横井 久美子 、 出版 一葉社

本年(2021年)1月14日、歌手の横井久美子は腎盂癌(じんうがん)によって76歳で帰らぬ人となった。この本は、横井久美子が生前に書いたエッセーなどを集めたもので、タイトルは本人が決めた。
横井久美子は、名古屋の左官屋の娘として生まれ育ったが、小さいころから声がよくて、近所でも評判の子どもだった。さすがですね。高校でも音楽過程声楽科に入り、大学は東京芸大の入試に失敗し、国立(くにたち)音大の声楽科に入学した。周囲は、みな金持ちの、良家の子女ばかり。左官職人の父親がアップライトのピアノを寮に運んできてくれたのを恥ずかしく思うばかりの女の子だった。
これって、私にもよく分かります。大学生のこと、小売酒屋の父と母を、私も心底から馬鹿にしていました。思い出すたびに顔から火が噴き出すほど恥ずかしさを覚えます。セツルメント活動をするなかで、社会と人生について少しずつ理解するようになり、自分のあまりの愚かさを少しずつ自覚するようになっていきました。
歌をうたうって、人間にとって何を意味するのか?
そもそも歌って、何なのか?
こんな根源的な疑問を胸に抱きながら音楽大学を卒業した。
横井久美子の夫は友寄英隆は経済学者です。「世俗チョウエツ学者夫」と書かれています。私も話を聞いたことがありますが、なるほど、真面目一徹の経済学者だという印象を受けました。この本によると、離婚の危機を迎えたこともあったようです。娘は、アメリカのワシントンDCで知的財産権の弁護士として働いているとのこと(その夫はアメリカ人)。長男は、「一般人」としての優しさを備えているとのこと。要するに、横井久美子の子育ては手抜きしたけれど、立派に成功したのです。うらやましいですね...。
横井久美子が「燃え尽きた」状態になったこと、それでアイルランドに旅立ったことは知っていましたが、この本を読んで、その事情を知ることができました。
1989年、横井久美子は歌手生活20周年のコンサートを日本青年館で開き成功させた。ところが、本人は出だしの声が十分に出なかった、満席にできなかったと思いこんでしまい、このまま枯れ木のように朽ち果てていくのではないかと大きく落ち込んだ。初めて味わった挫折感だった。唯我独尊になりやすい傾向にあったのです。「私が期待した私らしい私」になれないというのが不安感の主たる原因...。むむむ、なんだかよく分かりませんが、歌手一筋で生きてきたことから、いちど立ち停まって考えてみたらどうか、という天啓がおりてきたのでしょうね。
アイルランドでは、自転車を借りて219キロを横断したというのです。たいしたものですね。
1996年、南アフリカを「じん肺弁護団」のメンバーと一緒に訪問しています。福岡からは岩城邦治・稲村晴夫・角銅立身弁護士が一緒でした。角銅弁護士は横井久美子と大の仲良しで、自宅に泊めて歓待したこともあると聞いていました。角銅弁護士はベトナムにも一緒に行ったことが本書にも紹介されています。
横井久美子のガン闘病日記が紹介されています。そのなかで、本人は、いつも、「私はなんて運のいい女だ!と思って生きている」と書いています。本当にそのとおりですよね。そして、私も同じように思って生きています。
この本を読んで一つだけ不思議に思ったのは、「絶対音感のない私」という表現があるところです。あれだけたくさんの作詞・作曲をした歌手でも、絶対音感がないと思い込んでいるというのがひどい音痴の私には信じられませんでした。
横井久美子の歌は、なにより声がいいのです。私の全身にすっと音が入ってきます。そのうえ歌詞も曲も心地が良くて、うっとりさせられます。たくさんの、すべてとは言いませんが、CDをもっていました。過去形で書いたのは、今では「終活」の一環として、CDの大半を処分したからです。横井久美子の声を聞いている気分になって読了し、ほんわかいい気分に浸っています。いい本をありがとうございました。死んだら拍手してくださいということなので、精一杯の盛大な拍手を送りたいと思います。
(2021年6月刊。税込2420円)

2021年8月17日

笑う数学


(霧山昴)
著者 日本お笑い数学協会  出版 KADOKAWA

私は高校2年生の冬まで、理系のつもりでした。でも、数学的センスが自分にないことは、いよいよ認めざるをえなくなったのです。発想を飛躍させることができませんでした。論理的な思考力はあると思うのですが(今も...)、数学の世界では、ふっと身をひいて、それまでの思考とは違った新しい発想で考え直す必要があるように思います。それが私にはできないのでした。いま、私はモノカキと称していろいろ書いていて、論理的に扱ったことを文章化していますが、そこには飛躍的な、いわゆる発想のコペルニクス的転換なるものは、カケラもありません。
ところが、数学をお笑い的に扱える奇人・変人が世の中にはいるのですね...。
選択肢が無限にあるっていることは、実は、可能性(確率)がゼロということでは...。
人体は、電池ほどの小さい電圧では、電流があまり通らない。でも、実はたった0.1アンペアで、人は感電死してしまう。
自然界に多いのは、ベルヌーイの螺旋(らせん)。クモの巣は、「アルキメデスの螺旋」。
クジャクの数え方は、1面、2面、3面...。羽を扇形に広げた状態で数える。
動物の数え方は、人間より小さければ、「匹(ひき)」、大きければ「頭(とう)」。リスやネズミは1匹、2匹。ゾウやキリンは1頭、2頭...。ところが、蚕(かいこ)は、家畜として大切にしていたので、「お蚕さん」と呼び、「1頭」と数える。
伊能忠敬が日本地図をつくろうとしたのは、日本地図を描きたいというより、地球の大きさを測りたかったから、と言われている。いやはや、なんとも、すごいことですよね...。
ナポレオンは、あらゆる角度のtanの値を暗記していて、角度を聞けば、すぐに敵までの距離を知った。
ナイチンゲールは、患者の死因の多くが、病院が汚いことによる院内感染であることを統計学を使って突きとめ、周囲を説得した。
黄金比というのがある。人間が美しいと感じる本能に、1対1.618というのがある。
数学が好きな人の発想の面白さにあふれた本です。数学に弱い私でも十分に楽しむことができました。
(2020年1月刊。税込1430円)

2021年8月16日

顔の進化


(霧山昴)
著者 馬場 悠男 、 出版 講談社ブルーバックス新書

人間の顔を研究する「日本顔学会」なるものがあるそうです。1995年の設立です。それほど人間の顔には特別なものがあるわけです。
残念ながら、今のコロナ禍の下では、マスクに顔の大半が覆われていますので、顔の全体がよく分かりません。でも、眼が見えると、それだけでも、人柄はあらわれます。街頭ですれ違うと、あれれ、今の人、誰だっけ...、ということはよく起こりますが...。
人間でも、家族の匂いをかぎ分けられる人は多い、そうです。信じられません...。そして、クラス全員の匂いを個体識別できる小学生が沖縄にいるとのこと。これまた、ウッソー...でしょう。といっても、香水をつくる人は鼻がすごいと言いますから、きっと本当なんでしょうね。
ゾウの臼歯は、5回も生え替わる。一生のうちに、ゾウの歯は1メートルもすり減る。
犬は匂いをかがないと、食べる行為が誘発されない。
オオカミは獲物の匂いをたどって長距離を追いかける。そこで、鼻面を地面に近づけながら走る必要がある。なので、オオカミの顔は長い。
ヒトの顔の構造は「4階建て」。口、鼻、眼、額。鼻は2階から3階へ続いているので、「吹き抜け」。
眉毛(まゆげ)は汗よけ、睫毛(まつげ)は埃(ホコリ)よけ。
アラブ諸国では、髭(ヒゲ)を生やすことが成人男子の証(あかし)。ヒゲを生やさないと女性と見なされることもある。ヒゲはものすごく濃く、カミソリの刃を一人ひとり交換する必要があるほど...。
ヒトは「白眼」(しろめ)を露出させることによって視線を明らかにすることによって相手に注目していることを示し、それで個体どうしの社会的な関係を維持している。
鼻があるのは、メガネをかけるためではなく、その奥の鼻腔の粘膜が、吸気を暖め、水分を与え、異物を取り除き、さらに呼気から熱と水分を吸収するため。
鼻毛はヒトに特有のもの(らしい)。
ヒトの額が目立つのは、脳が大きくなっただけでなく、丸くなったため。
アジア人の顔は四角柱で、ヨーロッパ人は三角柱。アフリカ人の髪の毛が縮れているのは、髪の毛に汗を溜めて、ゆっくり蒸発させることによって頭の温度を下げる効果があることによる。
ヒトの顔の成り立ちを知ることのできる面白い新書です。

(2021年1月刊。税込1100円)

2021年8月12日

ディズニーとチャップリン


(霧山昴)
著者 大野 裕之 、 出版 光文社新書

チャップリンとヒトラーは同じ年の同じ月に生まれた。チョビヒゲをはやしはじめたのも偶然に同じころのことで、一方が他方を真似たのではない。
ディズニーはチャップリンに憧れて役者になった。つまり、チャップリンよりもぐんと若い。
二人はある時期までは仲が良く、チャップリンはディズニーに大切なことを教えた。
「自分の作品の著作権は他人の手に渡したらいけない」
ディズニーのミッキーマウスは今も生きている。そして、チャップリンだって、何度も何度もリバイバル上映され、その浮浪者姿は今でもアイドルのように人気がある。
著者は日本のチャップリン協会の会長をつとめるだけあって、いくつかのチャップリンの伝記は、格段の深さがあります。
チャップリンは貧しい芸人夫婦の下で育ち、5歳のときから舞台に出ている。庶民向けの劇場で幕間の芝居を演じる。短い上演時間、ほとんど一人芝居で客の心をつかむ演技術を身につけた。5歳から24歳までの20年間に、さまざまなジャンルの舞台に立ったことが、のちに映画において監督、脚本、プロデューサー、作曲を一人でこなす多面的な才能と、喜劇と悲劇とを融合させた、独自の作風を生みだす礎(いしずえ)になった。チャップリンは、早くから海外講演を経験し、地域によって笑いの嗜好に大きな差があることを知っていた。
チャップリンが映画にデビューした当時、1914年の週給は150ドルから1250ドルになった。そして、1916年には、週給1万ドル、ボーナスもあわせると年間67万ドル(今の年収11億円)の映画俳優になった。
チャップリンは、動いている姿が世界中に知られた初めての人物。
チャップリンとディズニーには、家族関係で、とても重要な共通点がある。チャップリンは4歳上の異父兄シドニーを、ディズニーは8歳上のロイを、それぞれ心から慕っていた。二人の兄は、有能なビジネスマンとして弟をよく支えた。
チャップリンの映画『サーカス』(1928年)のなかのライオンの檻に閉じ込められるシーンから、高所での綱渡りシーンまで、命がけのギャグはすべてスタントなし、チャップリン本人が演じた。すごいですね。香港の映画スターのジャッキー・チェンも本人が演じていますよね。
チャップリンは想像力の躍動と、観念の脱構築で笑いを生み出した。チャップリンは、ただのモノも、想像力によって生きている身体に変えてしまったのだ。
ディズニーは、どんな苦境に陥っても、それを物語の一シーンのように捉えて力に変える前向きな気持ちと、独立心だけは失わなかった。これこそが、ディズニーをディズニーたらしめる才能だった。ディズニーは信頼していた人たちの裏切に直面し、「もう絶対に他人(ひと)には使われない。生きている限り他人のためには働かない。自分は自分のボスなんだ」と決意した。
 猫のフィリックス、うさぎのオズワルドときて、次は、キュートで小さな動物ならネズミ(マウス)だ。ミッキーのアイデアは、チャップリンに借りがあるとディズニー自身が認めた。ミッキーは、ディズニー本人そっくり。冒険心や正義感にあふれているが、知的教養とはあまり縁がないという存在。ミッキーマウスは、ディズニー自身であると同時に、ディズニーが憧れてやまなかったチャップリンそのものだった。
トーキー(音声付き)映画になって、ミッキーの声は、ディズニー本人が担当した。これまた恐るべきことですね。
チャップリンの放浪紳士は、報われなくても愛する人のために献身的に尽くし、ときに権力の象徴たる警官のお尻もけりあげる。そして、きれいごとだけでは生きていけないことを知っているので、生活のためには、少しの悪事も働く。なので、決して聖者ではないが、厳しい現実とたたかう武器はユーモアしかないことを教えてくれる、心優しい放浪紳士だ。
チャップリンとディズニーに共通するのは、子どもの視点だ。二人とも子どもと同じ視点で、遊び、考えることができた。
チャップリンはユダヤ人ではない。祖母の家系にジプシーがいて、チャップリンは、それを誇りに思っていた。ところが、ヒトラー・ナチスはチャップリンをユダヤ人評論家が絶賛したことから、チャップリンもユダヤ人に違いないと決めつけ、徹底的に攻撃した。
信じられないことに、このころ、アメリカの世論の大部分がヒトラーを支持していた。恐慌を切り抜けたリーダーとして、ヒトラーはアメリカでも英雄視されていた。
これに対して、チャップリンは映画『独裁者』をつくって、ヒトラーを笑い者にした。
ヒトラーをはじめ、ナチスの幹部はディズニー作品のファンだった。
ディズニーの父親は社会主義を信奉していた。ディズニーは、その反発もあって、労働組合を憎んだ。労働者の権利を叫ぶ労働組合は、アメリカの理想に敵対するソヴィエトの共産主義が送り込んだ毒と思い込んでいた。
最後まで大変深い分析が続き、290頁あまりの新書を3日間で読みあげました。一読をおすすめしたいと思います。でも、今の若い人って、『街の灯』とか『キッド』って、いったいどれだけみているのでしょうか...、ぜひみてほしい映画です。
(2021年6月刊。税込990円)

2021年8月 7日

こうして生まれた日本の歌Ⅱ


(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版 新日本出版社

9.11事件のとき、著者は朝日新聞のロサンゼルス支局長として赴任したばかりだった。ロサンゼルスにも高層ビルに飛行機が突っ込むというデマが流れ、中心街はゴーストタウンになり、誰も出勤してこなかった。このとき、テレビでは、何回も「カミカゼ」という言葉が流れた。テロリストは神風特攻隊と同じだというのだ。こんな日本語は世界で流行ってほしくありませんよね。カラオケはともかくとして...。
ロサンゼルスには、私も若いときに行ったことがあります。リトル東京というブロックがあり、ホテル・ニューオータニがありました。著者は、そこで、映画「青い山脈」に出演した杉葉子に出会ったというのです。この「青い山脈」は私もみましたが、つくられたのは私の生まれた翌年の1949年です。軽やかな歌の流れる青春映画です。自転車で通学する高校生は成城学園高校の女生徒たちがモデル。「若く明るい歌声に...」というフレーズが耳の奥に残っています。
美輪明宏の「ヨイトマケの唄」がつくられた経緯も心を打ちます。長崎の小学校の同級生に貧しい家のヨシオがいた。その母親は授業参観の日に、ハンテンにモンペという作業服でやってきた。著者は土方作業員の母親が働いている現場をみたが、母親は、地らなしの重しの網を引っぱるとき、「ヨシオのためなら、エンヤコーラー」と叫んでいた。
美輪明宏がシャンソン喫茶でこの歌をうたうと、客は最初、力仕事をする労働者への軽蔑、優越感から卑しい顔をして笑っていた。それが、最後になると涙に変わった。テレビで歌うと、開局以来のかつてない反響があり、2万通もの投書が届いた。私も、たまの日曜日、この歌を聞いて、心の中で涙を流します。
この本には、大牟田市で講演したときの話も登場します。森田ヤエ子作詞、荒木栄作曲の「がんばろう」に歌はあまりにも有名だ。といっても、今の大学生には知られていないかも...。
「花を贈ろう」という歌が紹介されていないのが私には残念でした。東京へ去っていく仲間にオレンジの花を贈るという、とても感動的な歌です。ぜひ、ネットで探して聴いてみてください。
荒木栄の碑は今も米の山(こめのやま)病院の玄関前にあります。
最後に横井久美子。惜しいことに2021年1月に病死してしまいました。私は横井久美子の澄んだ声、そして歌詞が大好きで、たくさんのCDをもっています。
この本では、ベトナム戦争反対を歌う「戦車は動けない」、「自転車に乗って」、「なみちゃん」そして「私の愛した街」が紹介されています。「自転車に乗って」の歌詞は横井家の現実とは逆だったというのは笑わせました。歌詞では、母親が夫と子どもをたたき起こすとなっているが、本当は、しっかり者の長男が寝不足の母親を起こし、グズグズしないようにせかしていたのでした。
いやあ、いい本でした。ぜひ、あなたも読んでみてください。心の中に軽やかなメロディーが流れて来て、心が洗われますよ。
(2021年5月刊。税込1760円)

2021年7月24日

こう見えて元タカラジェンヌです


(霧山昴)
著者 天真 みちる 、 出版 左右社

タカラヅカの経営術の秘密を暴いた本を先に紹介しましたが、この本は、タカラジェンヌとして活躍した女性による宝塚ライフです。
2006年に宝塚歌劇団に入り、花組では主として「おじさん」役を演じました。また、余興でタンバリン芸ができるそうです。格好いいですね。トップスターにこそなれませんでしたが、舞台で大活躍して、2018年10月に退団し、現在ではフリーとして活躍中とのこと。
抱腹絶倒間違いなし、とオビにありましたが、たしかに笑いながら一気に読みすすめました。ただし、「関わらず」(正しくは、関ではなく拘)とか、適切な編集者がすべきミスが散見されたのは残念でした(私も編集者のハシクレなのです...)。
舞台の上でセリフをド忘れしてしまったことがあるという「告白」には驚きましたが、やっぱりそんなことって、あるんですね...。私が舞台に出て役者を演じたくないのは、まさにそれを心配するからです。大勢の前でマイクをもって話す機会は多いのですが、そして一瞬、頭が真っ白になったことが何度もありましたが、あらかじめ決められたセリフを言うのではありませんので、そのとき頭のなかで天から降っておりてきた言葉を口に出して、しのぎました。ですから、今では話の流れのメモは一応つくりますが、メモを見ながら話すことは、まずありません。そして、時計を見ながら、あと何分というのを計算しながら話すだけの余裕があります。要するに、それだけ場慣れして、度胸がついたということです。35歳のとき、NHKの朝の「おはよう広場」で生放送に出たときは最高に緊張しました。それでも、なんとか乗り切ったことも一つの自信になりました。前日、渋谷のホテルに泊まって、朝早くNHKに行ったときは、足がガチガチ震えていましたが...。
著者は、宝塚音楽学校の受験に1回目は失敗。それでも25時間ぶっ通しで寝続けて失地回復。2回目で運よく合格。ここって、受験は4回できるんだそうです...。
この宝塚音楽学校では、1年に3回も試験がある。
「おはよう。今日もいい天気だね。朝ごはんは何がいい?」
これを正しいセリフで演じることをあきらめ、気持ちを優先に演じる。すると、なんと、50人のうちで3番という成績。ヤッター、やりましたね。
宝塚歌劇団に入る前に、各人は芸名を提出しなければならない。生徒はみな、家族や師匠とともに、丁寧に芸名を考える。著者は、天満バレエ教室の発表会をみに行き、「鉄腕アトム」の天馬博士を思い出して、「テンマみちる」を考えついた。みちるは本名。テンマは天真爛漫の天真。
夢見る受験生時代は、もちろんトップスターを目指していた。しかし、自分がほれぼれしていた格好良さを自分で表現するのはたやすいことではないことを自覚せざるをえなかった...。そして、著者に与えられたのは、「脇役のトップスター」。いやあ、すごいじゃないですか、これって...。
著者は、自分の人柄なんか知らない、初めて見た人を爆笑させることを課題にさせられ、それを心がけたといいます。そして、見事にやりきったのでした。
タカラジェンヌの苦労話を、これほど笑いながら読める本にしたのは、これまたタンバリン芸と同じ、これも芸ですね。読みはじめたら途中で止まらなくなって、バスの中で読了してしまいました。今後ますますの活躍を楽しみにしています。
(2021年5月刊。税込1870円)

2021年7月17日

よみかき心得帖


(霧山昴)
著者 平井 久義 、 出版 (有)知可舎

モノカキを自称する私ですが、日本語の文章は主語のないのを特徴とすると教えられたのは、今から30年ほど前のことでした。弁護士になって十数年たっていましたし、準備書面をはじめとして文章を書くことは多かったわけですが、文章というのは主語があって述語があって論理的に書くものだと思い込んでいました。なので文章を書くときには真っ先に主語を明らかにするのは当然のことでした。ところが、古来より、日本の文章は主語がなく、その主語を忖度(そんたく)しながら読み解いていくことに面白みと深みがあるというのです。
なので、私は、裁判官に向けた準備書面では必ず主語を明記しますが、その他のレポートや紀行文などでは極力、主語を省略するようになりました(省略しています)。では、本書です。
行きつけの飲食店の看板に「定休日は月曜日です」と書いてあると、むむむ、なんか変だと思う。ところが、店内に入ってお品書きの脇に「定休日は月曜日です」と書いてあったら、違和感がない。この違いは何か、どこから来るものなのか...。この店に入ったこともない、通りがかりの人にとって、「は」というのは抵抗がある。そうでなくて、すでに店内に足を踏み込んだ客にとっては、また来ようかなという気があれば、休みはいつなのか知りたくなる。そんなときは「定休日は...」と書かれていると、気持ちにぴったりくる。ふむふむ、なるほど、ですね。
文章はつないで読むものである。文章は、すべてを言い尽くすことはできない。書き手が省(はぶ)いているところがある。このときは、書き手の意識にそいながら読み手は想像力を働かせて補(おぎな)いながら読まなければいけない。これを「潜在判断を補う」という。
題述関係とは何か...。
「オレは女だ」
「ワタシは男よ」
この二つの文章は、一見すると奇妙だが、「キミの子どもは男か女か」と問われたときの答えだったら、文法的にも正しく、まちがってはいない。つまり、「オレは」、「ワタシは」は、主語ではなく、題目。さきほどの短文は、「オレ」と「ワタシ」に限って、主語のようであって、いわゆる述語ではないので、題目と答えの関係で題述関係と名づけている。
「雪が溶けたら、何になる?」
このなぞなぞの答えは、「春になる」。これも「雪が溶けたら」までは題目。
2017年10月、同じ中学校(岡大付属中)の卒業生(1977年卒29期)が、国語科の恩師・平井久義先生による特別授業を受けました。参加者13人で、3時間の授業。この授業での教師と生徒(卒表性)の問答のさわりが再現されています。このとき平井先生は81歳で、生徒たちは55歳前後。生徒の一人に則武透弁護士(現在の岡山弁護士会長で、中学校時代には生徒会長をつとめた)がいます。
平井先生は、重層構造図なるものを編み出し、授業で展開した。
重層構造図とは何か...。時間的、線条的に進行する一次元的表現を空間的、絵画的に展開する二次元的表現に移しかえた構造体であり、その構成要素は、段落ごとにまとめらえた「問いと答え」からなる要旨である。
「問いは何ですか」、「答えは何ですか」、「答えの中のどの言葉から次の問いが生まれますか」と言葉で表す。言葉で表さなくては文脈はとらえられない。
重層構造図のメリットは、正しく読んでいるかどうかが検証できる点にある。
生徒の一人は、こう喝破した。「重層構造図とは、文章の設計図なんだ」。平井先生は、文章は、有機的重層的構造をなすものであって、重層構造図化することができるという。
中学教師が生徒たちに情熱をもって国語教育をすると、それは大人になった生徒たちの心と頭、そして文章を紡ぎ出す手を豊かなものにしてくれるということを実証した本だと思いました。
文章を分かりやすく書くための二つの心得。その一は、言葉の順序を意識する。その二は、長い文は分割する。
このような素晴らしい本にめぐりあうことができたことをモノカキの一人として大変うれしく思いました。則武先生、ありがとうございました。
(2019年7月刊。非売品)

2021年7月14日

どうしても頑張れない人たち


(霧山昴)
著者 宮口 幸治 、 出版 新潮新書

「がんばれ。がんばれば、きっと報われる」
よく聞くセリフですよね。私も言った、いえ言っていたかもしれません。
でも、世の中には、そもそもがんばれない人たち、怠けてしまう人たちがいる。その現実をきちんとみて、そんな言葉を切り捨ててしまうのではなく、本当の支援、手を差しのべる必要があるのではないか...、本書で著者の言いたいことは、ここにあります。
子どものころから、何度も何度も挫折を味わい、既にやる気を失っていて、もうがんばれない、そんな人は少なくない。がんばれないのは認知機能の弱さだけが理由ではない。
4つの欲求。生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求ないし所属と愛の欲求、承認の欲求。この上に最終段階である自己実現の欲求がある。非行少年たちの家庭環境は恵まれていないことが多く、これら4つの欲求の土台が満たされていないことはしばしばだ。
がんばってもできない人、がんばれない人に「やればできる」と声をかけるだけなら、彼らの心を傷つけるだけのことではないか...。「もし、あなたが頑張ったら応援します」
これは、あなたががんばらないのなら支援はしない、支援金○○円を差し上げることはない。本当にそれでいいのか...。がんばらないとがんばれないの違いは大きい。でも、外見から判断できないことも少なくない。
本当に支援な人たちとは、実は、私たちがあまり支援したくないと感じる人たち。
では、「がんばらなくてもいいんだよ」と誘いかける行為はどうだろうか...。しかし、安易な言葉かけは、場合によっては無責任であり、課題を先送りさせ、教員を困らせてしまうかもしれない...。誰だって、みんなと同じようにできるようにはなりたい...。中途半端な声かけは、逆に彼らを追い詰めてしまうことがある。
がんばる、がんばれるを支える3つの基本がある。その一は、安心の土台、その二は伴走者、第三のチャレンジできる環境とは、自己評価を上げるには、他者から評価されることが絶対に必要。達成感も自信も、成し遂げたことへの周囲からの承認があってはじめて成り立つ。決して成し遂げたこと自体からではない。しっかり承認の言葉をかけてやる。それが、やる気につながっていく。
何でもないことをいくらほめても非行少年たちの心には響かない。しかし、彼らが一生懸命やったことに対しては、心からの感謝の一言だけで響く。
子どもたちが求めているのは、生きづらく困っているときに支えてくれる「安心の土台」、「チャレンジしたい時代に守ってくれる伴走者」なのだ。
支援者には笑顔とホスピタリティが求められる。
『ケーキの切れない非行少年たち』の続編のつもりのようです。いま、しっかり読むべき本だと思いました。
(2021年5月刊。税込792円)

2021年7月 8日

一度きりの大泉の話


(霧山昴)
著者 萩尾 望都 、 出版 河出書房新社

1970年から2年間ほど、東京都練馬区大泉の2階家で竹宮恵子と共同生活していたころのことを振り返った本です。
大泉の共同生活を解散したあと、著者は竹宮恵子とはまったく没交渉となり、その作品も全然よんでいないとのこと。なぜか...。
「あなたは、私の作品を盗作したのではないのか?」
「あなたは男子寄宿舎ものを描いているが、少年愛を知らないあなたの作品は偽物(ニセモノ)だ。偽物を見せられると、気分が悪くてザワザワするの」
「書棚の本を読んでほしくない」
「スケッチブックを見てほしくない」
そして、3日後...。
「このあいだの話はすべて忘れてほしい。全部、何も、なかったことにしてほしい」
なるほど、こう言われてしまったら、もう竹宮恵子の作品は読まないという著者の決断は理解できますよね。
この話は、前提として、竹宮恵子は少年愛、つまり少年同士の同性愛に関心があり、それを題材にしたマンガを描いていたことにありますが、これに対して、著者は、少年愛は理解できず、テーマとしていないのです。
著者は、両親とのあいだで激しい葛藤をかかえていました。
「あんたは買い物もできないの」
「あんたはダメ」
これは母親のコトバ。父親は「女には学問はいらない。生意気になるから」と言った。
大牟田で三井の社員だったようです。両親は、マンガを描く仕事をくだらない、恥ずかしいものと思っていた。著者が親と一緒に生活していたときは、親の機嫌をうかがいながら、ビクビクしてマンガを描いていた。何かで親の機嫌を損ねると、親は怒りに血相を変えてすぐにマンガ禁止を言い出した。
著者は大牟田出身。三川鉱大災害が起きた1963(昭和38)年11月9日は、船津中学(「舟」ではありません。14頁)校の2年生で文化祭の準備をしていた。私は、隣の延命中学校3年生でした。土曜日の午後でしたが、何かテストを受けていた記憶があります。ドーンという大音響がしたので3階から外を見ると校舎の遠くに黒煙が見えました。
実は、私の母と著者の母親は福岡女専の同窓生で、著者の母親は我が家によく顔を出していました。私が小学生のころだと思います。なんので、よく顔を覚えていました。大人になった著者の顔写真を見て、「あれっ、お母さん、そっくりだ...」と、つい叫んでしまったほどでした。
竹宮恵子は1950年生まれ、著者は1949年生まれ。同じ学年です。でも、竹宮恵子は先にマンガ家として活躍していました。
著者は竹宮恵子の才能を認めていて、高く評価しています。
青空のような明るさ、いつも前向き、心が伸びやか。
竹宮恵子は著者に嫉妬したのではないか...。そこには排他的独占愛があったのでは...。
著者は無自覚に、無神経に竹宮恵子を苦しめていた...。なので、思い出したくない、忘れて封印しておきたい。
いやあ、才能ある人々の人間関係というのも大変なんですよね...。思わず引き込まれた本でした。
(2021年5月刊。税込1980円)

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