弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
人間
2021年3月 8日
ドナウ川の類人猿
(霧山昴)
著者 マデレーン・ベーメ 、 出版 青土社
人類の起源はアフリカ。このアフリカ単一起源説を絶対的真理だと思ってきた私ですが、この本は、いやはや、そんなことはないとヨーロッパ各地で発見された化石をもとに指摘しています。
サルの化石では、歯はとくに役に立つ。類人猿とサルばかりか、類人猿と人類の違いも区別できる。犬歯の根をみると、絶滅種あるいは現生の類人猿のものは長くて大きい。オスのヒエラルキー(順位)争いで、犬歯は相手を威圧する武器となる。
類人猿とヒトで臼歯の形が違うのは、咀嚼の内容が違うことによる。食生活の違いにより、類人猿はヒト属とは異なる歯の形を発達させた。
いくつかのサルや大部分の類人猿は、短時間なら二足で立つ姿勢をとれるが、恒常的に直立姿勢を保てるのは人間しかいない。
人間は、長距離を移動するのは二足で歩く以外の方法はない。人間にとって四つん這いで進むのは大変だ。直立歩行は、歩行足と並行して、おそらく600万年以上前に進化していたのではないだろうか...。
ヨーロッパで発見された、猿人と推測される化石の年代が、ヨーロッパでサバンナ風景が生じた年代と合致するということは、人類の起源がアフリカにあるという説と明らかに矛盾する。
最古の原人の化石は260~190万年前のもので、アフリカにはほんの少数の骨があるにすぎない。アフリカ単一起源説は、数十年間にわたって疑問視されてこなかった。しかし、地中海地域やアジアなど、アフリカ東部以外の地域で発見された道具によって、アフリカ単一起源説は大きく揺らいでいる。
最古の原人と石器文化について、氷河期初期にあたる260万年前にさかのぼる証拠が発見されている。人類の起源はアフリカだけにあるのではなく、アジアとヨーロッパも人類進化の主要な地域なのだ。
アフリカ北部のサハラ砂漠に、かつては湖もあった。湖岸には、新石器時代の農民や牧畜民の営む畑や牧草地があった。降雨量は、現在のドイツとほぼ同じだった。
ヒトが単純な二足歩行するのと、走る、駆けると、どう違うのか...。速く移動するのには、走るほうが、振り子のような歩行よりエネルギー効率がいい...。
ヒトの胸部は長距離走に最適な生体構造をもつ。ヒトは直立歩行なので、胸部は歩行に関与せず、そのため呼吸頻度と歩調の密接なつながりはない。なので、ペースをスムーズに変えることができる。
火の使用は、200万年前、人類の進化にとって中心的な役割を果たした。200万年という長い年月に、アジア、ヨーロッパ、アフリカの非常に異なる環境に定住できたのも、火の使用あってのことではないか...。
心理言語学者たちによると、言語の前段階は、100万年以上前にすでに生じていたかもしれないという。人類進化史において初めて航海したと考えられているプーレス人はすでに基礎的な言語能力をもっていた可能性がある。
アフリカ以外の地域に住む人々はネアンデルタール人のゲノムの3%、デニソワ人のゲノムの9%を保持している。これが現在の通説だ。だったら、これらの初期ヒト属は果たして絶滅したといえるものだろうか...。彼らは、今の我々と混じり、我々の中に今も生きているのではないだろうか...。
アフリカ単一起源説に信頼していた身からすると、大変ショックな本でした。
(2020年11月刊。2200円+税)
2021年3月 1日
「脳を司る『脳』」
(霧山昴)
著者 毛内 拡 、 出版 講談社ブルーバックス新書
脳の研究は3つの柱から成る。一つは脳障害の記述にもとづいた医学的なアプローチ。二つは、電気的な測定。これは生体が電気を発生していることにもとづく。三つは、顕微鏡技術の進歩による。
脳にも間質がある。つまり「すきま」がある。これを細胞外スペースと呼ぶ。この細胞外スペースは伸び縮みしている。
脳脊髄液は1日に450~500ミリリットル産生され、1日に3~4回、入れ替わっている。この脳脊髄液が常に流れて入れ替わることによって、脳の環境を一定に保っている。
脳脊髄液が髄膜のリンパ管を通って排出されている。このリンパ管を通して全身から脳への免疫細胞の輸送もされている。
睡眠中に、脳脊髄液と間質液が交換されることによって、アミロイドβのような代謝老廃物であるタンパク質が洗い流される可能性がある。
睡眠障害によってアルツハイマー病になるのか、アルツハイマー病になったから睡眠障害になるかという因果関係は、今のところ明らかになっていない。ただし、良質な睡眠が健康維持に重要なことは明らか。
生物は金属よりも電気を蓄える能力が高い。もっとも誘電率が高い金属よりも生物のほうが1000倍も大きい。
低周波で電気を蓄える能力が高まる。細胞外スペースが脳の電気的な特性を決めている。低周波は、生体に与える影響が大きいので、注意が必要。脳の20%ほどは、細胞外スペースと呼ばれる「すきま」である。
頭の良い人ほど、ニューロンの密度は低く、シンプル。IQテストの成績が良い人ほど神経突起の密度が低く、枝分かれが少ない。これは脳内にムダな接続が少なく、回路が効率的になっているということ。
著者は道に迷ってみることを読者にすすめています。脳の警戒が高まり、身を守るために注意力や集中力が高まるから。これは脳を若く保つ秘訣でもある...。
脳の話は、いつだって面白いです。興味は尽きません。
(2020年12月刊。1000円+税)
2021年2月27日
釣りキチ三平の夢
(霧山昴)
著者 藤澤 志穂子 、 出版 世界文化社
矢口高雄外伝という本です。矢口高雄の原画がすばらしいカラー図版で紹介されていますから、それを眺めるだけでも心楽しくなります。
釣り場をとり巻く自然の描写が本当に行き届いていて、大自然の息吹きに圧倒されます。ただし、雪深い山村に実際に住むのは本当に大変なようです。白い雪に埋もれてしまう日々を、恨めしく思って過ごす人々が多いというのも、冬でも雪が降ったくらいで喜んで育ってきた身には分からないところでしょうね...。
自然は厳しい。でも、どこか清々しい。
こんなセリフが書けるようになるまでには、相当の年月が必要なような気がします。
著者は少女マンガ専門で、「釣りキチ三平」は読んだことはなかったそうです。実は、1973年から10年間も「少年マガジン」で連載されていたというのを私も読んではいません。大学生のころ、「あしたのジョー」は毎週かかさず読んでいましたが...。そして、「釣りキチ三平」はアニメ版の映画も実写版映画もあるそうですが、どちらもみていません。
実写版映画は、そのうちDVDを借りてみてみたいと思っています。なにしろ、撮影現場は矢口高雄が提案した秋田県内の釣りどころのようですから...。
何回読んでも泣けてくるシーンは、矢口高雄が中学校を卒業したら「金の卵」として東京のブラシ工場に集団就職することが決まっていたのを、担任教師が高校入試の願書しめ切り前夜に雪のなか自宅に押しかけてきて、世間体ばかりを気にする父親に高校進学を説得しにきた話です。中学校では成績優秀で、生徒会長もつとめていた矢口高雄を担任の教師は、なんとかして高校へ進学させたいと思って、12月の深い雪道をかきわけて矢口高雄の家に押しかけたのです。すばらしいです。そんな教師の迫力にこたえて母親が決断し、渋る父親を説き伏せたのでした。なんともすごいシーンです。
そして、高校進学したのですが、その高校生活について、矢口高雄は記憶がないというのです。ともかく、一杯のラーメンも食べず、一本の映画すらみていない、修学旅行にも参加していないというのです。いやはや、大変な高校生活ですね...。そして、羽後銀行に入行して12年のあいだつとめました。
そのころの下宿先の娘さんが、矢口高雄について、「真面目で、ちょっと暗い人」という印象を語っているのも面白いエピソードです。
そして、支店の前を毎日通りかかる女子高生に恋をして、それが実るのでした。これまた、そんなこともあるのですね...。
この奥さんが、実に矢口高雄をよく支えたのですよね。その後は、長女が支え、さらに次女が支えたというのですから、矢口高雄は家族に大きく支えられて存分にマンガが描けたわけです。いやあ、いい本でした。
「釣りキチ三平」のラストは、自然保護を訴えて100万人もの「釣りキチ」たちが国会にデモ行進するシーンだそうです。これって、安倍内閣による安保法制法反対の国会を取り巻くデモと集会を思い出させますよね...(116頁)。
しんぶん赤旗日曜版に1991年から2年間にわたって連載された「蛍雪時代」は矢口高雄の生い立ちを知るうえでは欠かせないものだと思いますが、私は、これを読んで、熱烈なファンになりました。この本も、ご一読をおすすめします。
(2021年1月刊。1600円+税)
2021年2月 8日
誰にも相談できません
(霧山昴)
著者 高橋 源一郎 、 出版 毎日新聞出版
著者の人生相談は本当に味わい深いものがあり、いつ読んでも、なるほど、なるほど、そうか...、そうなんだよな...と考えを深めることができます。毎日新聞の「人生相談」で大友響と書かれていますが、ウソではないと思います。
弁護士としての私が男女関係、親族関係の争いについて相談を受けるとき、著者だったら、どう答えるだろうか...と自問自答することがあります。弁護士にとっても、回答する側に立ったとき著者の回答は大いに参考になるのです。
著者は団塊世代の少し下の世代ですが、いわゆる全共闘の活動家でした。逮捕歴もあるそうです。私はアンチ全芸闘でした。だって、あの野蛮で残虐な暴力を賛美するなんて、当時も今も、まっぴらごめんです。かつての全共闘の活動家とシンパ層が、自分たちが学内でふるってきた暴力問題について黙して語らず、思想的にああだ、こうだとキレイゴトしか言わないのを許すわけにはいきません。
著者は、その暴力の点も大いに反省しているようですし、その後の人生での苦労、そして私生活で4度も5度も結婚・離婚して、今なお思春期の子どもたちをかかえて苦労しているようです。そんな苦労が回答にいい意味でにじみ出ていますので、説得力が半端(はんぱ)ではありません。
子どもというのは、遅かれ早かれ、家を出て、「外」の世界に旅立つもの。ところが、親は、子どもに愛情も注ぐけれど、「呪い(のろい)」もかける。つまり、親から子どもはマイナスの部分も受け継ぐ。いやはや、本当に、そうなんですよね...。
どんな「家庭」にも共通点がある。それは、結局、みんな「他人」だということ。
著者の知るかぎり、人間はほとんど成長しないもの...。うひゃあ、そ、そうなんですか、やっぱり、そうなんですよね...。
「今」から逃げる者は、「次」も逃げるに決まっている。家族を暴力で支配しようとする人間は、いつの時代にも存在する。暴力で支配される人間は、反抗する意思を失う。暴力で支配しようとする人間がいちばん恐れるのは、膝を屈しない相手。そして、暴力で支配しようとする人間は、みんな見かけ倒し。子どもにとって最後の仕事は、子どもに戻った自分の親に対して、その親になること...。いやあ、そういうことなんですか...。
知人から借金を申し込まれたとき、その額の2倍を渡して、こう言う。「これは友人から借金したお金です。今回だけです。返さなくてもいいです」と。
占いは信じる必要がない。運命は変えられるもの。生きていくうえで大切なもの。
経済的な余裕というより以上に人とのつながり。あなたが人に優しくしたら、周囲もあなたに優しくしてくれる...。そうなんです。それを信じて明日も元気に生きていきましょう。いい本です。生きる勇気が湧いてきます。
(2020年12月刊。1400円+税)
2021年2月 6日
老(お)~い、どん!
(霧山昴)
著者 樋口 恵子 、 出版 婦人之友社
著者は87歳になりました。ずっと評論家として大活躍してきたわけですが、さすがに年齢(とし)相応の制約が身体のあちこちにあらわれているようです。
87歳の身は、満身創痍ならぬ、満身疼痛(とうつう)。痛いとこだらけ。痛みはケガしたり痛んだりした部位に局限されてはいない。
72歳になった私も、同じように膝が痛い、腰が痛いといっては、2か月に1回は整体師に通っています。今のところ、それでなんとか持っています。ありがたいことに...。
自慢だった視力聴力にも、このところ衰えが顕著で、立居振舞のスピードは落ちるばかり。
目のほうは、私は、おかげさまでメガネをなしで相変らず速読できています。問題は耳です。本当に聴きとりが難しくなりました。ボソボソっと言われると、困ります。大事な話だと思えば聞き返しますが、冗談のようなレベルだとつくり笑顔でごまかすしかありません。
ということで、著者は、ヨタヨタヘロヘロの「ヨタヘロ期」を、よろめきながら直進している。
そこで著者は、声を大にして叫びます。
人生100年社会の初代として、「ヨタヘロ期」を生きる今の70代以上は、気がついたことを指摘し、若い世代に、社会全体に問題提起していく責任がある。
まことにもっともな指摘です。「ヨタヘロ期」予備軍の私は、こうやって、その責任を果たそうとしているのです。
蔵書を思いきって整理しつつある。著者は涙ながらに蔵所を整理して、3分の1は手放した。
私も、今ある書庫にフツーに立てて背表紙を確認できる状態を維持することを決意して実行しています。そのうち読み返すかもしれないと思ってとっておいた本も、読み返すはずがないと思い切って、捨てています。本棚がスッキリすると、心が軽くなります。終了した裁判の記録も、ヒマを見つけて整理し、書棚はガラガラ好き好きになりました。これは精神衛生上も、とてもいいことです。
住宅の改築の話も出てきます。木造住宅の耐用年数は30年だということです。私の家は、とっくに過ぎていますが、まだまだ10年、20年ともちそうです。ただし、内部は床や階段をバリアフリーに変えるなどしました。浴室も何年か前に改造しています。
著者は、中流型栄養失調症にかかり、大変な貧血症状が出たといいます。一人で家にいる日は、パンと牛乳、ヨーグルト、そしてジュースという貧しい食生活のせいです。80歳ころ、それまでは料理をつくるのが楽しみだったのに、食事づくりが億劫、面倒になってしまったからなのです。
女性にとって、買い物は人生の自由、自立、そして快楽。私にとっては、店で買い物するのは苦痛でしかありません。品物選びに自信はありませんし、万引きするつもりもありませんので、もし間違われたりしたら、とんだ迷惑です。
高齢者の出歩きやすい町づくりを著者は求めています。まったく同感です。ちょっとしたベンチ、そして待たずに利用できる清潔なトイレ、本当にありがたい限りです。
著者は「結婚維持協議書」を作成することを提唱しています。多くは妻の側から、夫の守るべき条項が示され、それが結婚維持の条件となるのです。
この条項の一つに「今後、お皿をなめない」があったとのこと。洗い場をケチった夫の仕種を禁じたものです。呆れてしまいました。
そして認知症。全国で520万人(2015年現在)もいるそうです。私も、そのうち、お仲間に迎えられることになるのでしょう...。
趣味嗜好も体力勝負です。私は読書とガーデニング。さらにはモノカキとして、本を発刊しつづけたいと考えています。元気とボケ防止です。準備と覚悟が必要なのです。大変参考になりました。
(2020年3月刊。1350円+税)
2021年1月31日
古典つまみ読み
(霧山昴)
著者 武田 博幸 、 出版 平凡社新書
朝倉市在住の著者は長く予備校の名物講師(古文)として教えていて、その受験参考書は累計300万部という超ベストセラーなのだそうです。失礼ながら、ちっとも知りませんでした。ただ、それだけに古典に詳しいことは、この本を読めばすぐに分かります。半端な知識ではありません。たとえば、この本の最後に登場する良寛です。
良寛は、周りの人から重んじられなくても、いやそれどころか、軽んじられても堪えられる人だった。そんなことに無頓着でさえあることができた人だった。
いやあ、これって並みの人にはとても真似できることではありませんよね。だって、周囲からどう見られているか、やっぱり気になりますので...。
「この世で一人前の人間として数えられないような私ではあるが、乞食僧としてこの世に身を置き、移りゆく自然に抱かれて、その恵みを享受し、私は私らしく生きていると良寛は宣言している」
その時、その時、目の前に立ち現れたものに、全身全霊で向かいあうという生き方を良寛はした。40歳から70歳まで、山あいに借りた粗末な庵(いおり)に住み、衣食は村人の喜捨に頼り、一人で生きることを貫いた良寛の生活は、孤独でさびしく暗いものであったかというと、決して、そうではなかった。それどころか、良寛の日々の暮らしは、村の人々との関わり方においても、周りの自然との接し方においても、溢れんばかりの博愛に包まれたものだった。
良寛は子どもたちと無心に遊び、そこに自己を解き放つ喜びを覚えることもできた。友人たちとの交流もあった。さらに、良寛70歳のとき、30歳の貞心尼と出会った。若く美しき異性を思って沸き立つ感情が良寛をとらえたのではないか。なーるほど、いいことですよね、やっぱり人間ですもの...。
『枕草子』のところでは、平安時代の男女が結婚・離婚・再婚に関して、すこぶる自由な考え方をもっていたことを著者は強調しています。
男がある女の所に通い続ければ、結婚が成立したように見なされ、そのうち通っていかなくなれば、結婚は解消、すなわち離婚となる。男性はもちろん、女性も人生に「結婚」が一度ならずあることは少しも珍しいことではなかった。
願わくは花の下にて春死なん、その如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ
これは西行の歌ですが、西行は、その願いのとおり、1190年(文治6年)2月16日、73歳で亡くなった。
たまには古典の世界にどっぷり身を浸らせるのもいいものです。ちなみに私は古文は好きでしたし、得意科目でした。高校の図書館に入り浸って古典文学体系に読みふけっていたこともあります。私のつかった古文の参考書は、今も手元に置いていますが、小西甚一の『古文研究法』(洛陽社)でした。ちょっとレベルの高すぎる内容でしたが、大学入試の直前(1967年2月21日)、「遥けくも来つるものかな」と書きつけています。18歳のときの、なつかしい思い出です。
(2019年8月刊。880円+税)
2021年1月30日
石岡瑛子とその時代
(霧山昴)
著者 河尻 亨一 、 出版 朝日新聞出版
天才的な日本人女性デザイナーの一生をたどった刺激的な本でした。
私はデザイナーの名前こそ知りませんでしたが、前田美波里が白い水着姿で海岸に横たわり、きりっとした目つきでこちらを向いている大胆なポスターに目が釘づけになったことは印象に残っています。大学生のころだったでしょうか...。
同じ資生堂の「ホネケーキ以外はキレイに切れません」というキャッチコピー付きで、化粧品を細いナイフで二つにカットしている斬新なポスターには、さすがに圧倒されます。
そして、パルコの「あゝ原点」というアフリカ砂漠で原色の衣をまとった一群の女性たちがこちらにやってくる群像シーンにも思わず息を呑んでしまいます。
フランシス・コッポラ監督の映画『地獄の黙示録』のポスターもエイコの作品とのこと。すごい迫力です。北京オリンピックの開会式の演出にも関与しているそうですが、こちらは張芸謀監督とぶつかりあって、本人はかなり不満だったようです。
この本のトップにエイコの作品がカラーグラビアで紹介されています。なるほど、世界のトップデザイナーだけのことがあると、門外漢の私にも分かります。
フランシス・コッポラ監督はエイコについて、「境界を知らないアーティスト」と評した。
エイコは東京芸大に現役入学したあと、資生堂に入り、宣伝部の広告デザイナーとしてキャリアを積んだ。その後、独立してアートディレクターとして活躍するようになった。パルコの宣伝にも関与。さらに芝居やファッションショーの世界にも進出した。
アメリカにわたって、映画の美術や衣装デザインでも活躍した。音楽、映画、演劇という三つの領域にまたがって、世界最高レベルの評価を得た。これはすごいことですよね...。ちっとも知らなくて、申し訳ありません。
生まれは、私よりちょうど10年早い。73歳で、すい臓ガンにより死亡(2012年1月21日)。
1957年4月、東京芸大の美術学部に入学。専攻は図案計画科。東京芸大は、そうやすやすと入学できる大学ではない。子どものころから、この子は絵がうまいと周囲にひたすら絶賛され続けてきた美術の神童たちが、全国津々浦々から集う名門校、三浪四浪と浪人を重ねる受験生も多い。現役合格のハードルは高く、その門は狭い。
東京芸大の最近の学生の生態を描いた本を少し前に紹介しましたが、ここは奇人変人の集まるところでもあります。だからこそ一級品の芸術が生まれるのでしょう...。
学問や芸術の世界は行政による統制とは無縁でなければいけません。
資生堂に入るとき、面接官に対してエイコはこう言った。
「グラフィックデザイナーとして採用してください。お茶汲みとか掃除するような役目でなく...。お給料は、男性の大学卒と同じだけいただきたいです」
これを聞いた重役は、ぶったまげたことでしょうね。そして、だからこそ入社が決まったのでしょう。
エイコの作品集『エイコ・バイ・エイコ』2万円は5000部、アメリカで完売したとのこと。どんなものでしょうね。図書館にあったら、拝んでみたいものです。
エイコは相手を説得するとき、アイデアを10案ほど用意する。自らは、推しの一案を決めているにもかかわらず、複数案を見せるのは、相手を説得するプロセスとして使う一種の儀式だ。自信のある一案だけを見せたのでは、説得力に欠け、相手を不安にさせかねない。いくつものプランを比較したうえで、イチ推しのプランへとクライアントの気持ちを向けていく。なーるほど、この手がありましたか...。弁護士としても身につけたい必要なテクニックですね。
堂々540頁の価値ある本です。正月休みに読み通すことができました。
(2020年11月刊。2800円+税)
2021年1月23日
マルノウ(農)のひと
(霧山昴)
著者 金井 真紀 、 出版 左右社
ちょっと信じられない農法を紹介した本です。どんなに変わっているかというと...。
芽の伸ばしかた、枝の切りかた、実を摘むタイミングを工夫したら、肥料を一切つかわなくても作物は元気に育ち、農薬もいらない。穀物だって果物って、もちろん野菜もおいしくなるし、収穫量も増える。これこそ、地球環境を守りながら、もうかる農業経営だ...。
しかし、そうなると、農協の経営指導は成り立たなくなります。農薬も肥料も不要だなんてことになったら困りますよね...。
その農法は、とにかく枝をきつく縛ること。ミカンの苗木の新芽をギューギュー、きつく縛りあげた。すると、品評会で1位になるほど、新芽は大きく伸びた。ギューギューに縛られた枝は地面に対して垂直になる。すると、先端部でつくられたオーキシン(植物の成長ホルモン)が幹を伝わってどんどん下に移動し、根っこがぐんぐん伸びる。根が伸びると、今度は根の先端からジベレリンが出て、そのおかげで枝がぐんぐん伸びる。
ミカンを植えた地中に石ころがあると、根っこが石にぶつかってエチレンが多く出る。エチレンは接触刺激で出る。すると、エチレンは病害虫を防いで、実を成熟させるので、ミカンが甘くなる。要するに、植物ホルモンを活用しているという農法なのです。嘘のような話です。著者も私も、すっかり騙されているのでしょうか...。
枝は立ち枝を重視し、元気な枝を残してせん定する。
温州(うんしゅう)ミカンは500年前に日本で誕生した。中国から鹿児島に入ってきたミカンが変種して生まれているので、実は日本産。タネがほとんどないので、以前は、人気がなかった。
この温州ミカンとオレンジをかけあわせて生まれたのが「清見(きよみ)」。これから、デコポンとか不知火、せとか、はるみというスターが誕生した。うひゃあ...。
こんな農法もあっていいよな、そう思いながら読みすすめました。次は、ぜひ写真で確かめたいものです。
(2020年10月刊。1700円+税)
2021年1月12日
生き物が大人になるまで
(霧山昴)
著者 稲垣 栄洋 、 出版 大和書房
子どもと大人の違いをいろんな角度から考えた本です。なるほど、そういうことだったのかと、思わずうなずかせてくれるところが満載でした。
キングペンギンは、成長した子どものほうが、大人より体は大きい。うひゃあ、そんなこともあるのですね...。
アベコベガエルは、オタマジャクシのときは25センチの大きさがあるのに、大人のカエルは6センチほど。大人になると子どものときの4分の1になってしまう。
このように、子どもが大人になるというのは、単に体が大きくなるということではない。そして、オタマジャクシの尻尾のように、大人になることで失うものもある。
カブトムシの体の大小は、幼虫のときに食べたエサの量で決まる。
イノコヅチは、葉の中にもイモムシの成長を早める成分をふくんでいるので、このイノコヅチの葉を食べたイモムシは、十分な葉を食べることなく大人のチョウになってしまう。すると、小さな成虫にしかなれず、卵を産む力はない。つまり、イノコヅチは、こうやってイモムシを退治している。
人間の赤ちゃんが可愛いのは、おでこ(額)の広さにある。「子どもが可愛い」のは、哺乳動物の大きな特徴。それは哺乳動物の赤ちゃんは「大人に守られるべき存在」だから。
そして、おでこが広いと可愛いと思うのは、そのように感じるように大人の脳にプログラムされているからでしかない。うむむ、なるほど、なるほど...。
毒針をもつ恐ろしいサソリは、子育てをする虫、じつは子煩悩な虫だ。
ハサミムシの母親は、子どもたちを産み終えると、自らの体を子どもたちの最初のエサとして投げ出す。同じようにカバキコマチグモの母親は、赤ちゃんグモを産むと、赤ちゃんグモに自らの体を支え、体液を吸わせる。これが子育て。
哺乳動物にとって、「遊ぶこと」は、重要な生きる手段になっている。遊びながら子どもたちは生きるための知恵を身につけていく。
人間の経験は、AIの情報量を上回る。
哺乳動物の親の役割は、安全な環境で子どもに経験を積ませることにある。
哺乳類は、生きるために必要な最低限の技術さえも、親から教わらなければならない。それが知能。水中をうまく泳いでいるカワウソも生まれつき泳げるのではなく、母親に泳ぎ方を教えてもらわないと、満足に泳ぐことはできない。
そして哺乳動物は、親もまた、親となるための練習が必要となる。本能だけでは環境の変化に対応できないので、教え方は変化するという戦略を選んだ。
ゴリラは、子どもが小さいうちは母親がずっと抱っこして育てる。ゴリラが離乳することになると、母親はオスのゴリラのところへ子どもを置きにくる。オスのゴリラのまわりは子どものゴリラでにぎやかになる。まるで幼稚園のよう。オスのゴリラは子どもたちの面倒をみるというより見守っているだけ。しかし、子どもたちがケンカを始めると仲裁に入る。その仲裁は平等。ゴリラ同士のルールや社会性を、そこで教えている。やがて子どもたちは、父親のベッドで寝るようになったあと、父親のベッドの近くに自分のベッドをつくって寝るようになる。これが自立の証し。
ごっこ遊びは模擬練習。大人のマネをして、子どもを育てるという大切な技術も遊びを通して学ぶ。
この本は最後に、大人だって成長したいし、成長できることを強調しています。体が大きくなるばかりが成長ではないのです。
心の底から楽しいと思える好奇心や心の底からやってみたいと思える挑戦心や向上心があったら、それこそ今の成長ステージで発揮される成長する力なのでは...。
子どもは育てるものではなく、子どもは育つもの。大人にできるのは、子どもが育つ環境をつくってあげること。すっかり納得できる話でした。
(2020年8月刊。1400円+税)
2021年1月 8日
小説をめぐって
(霧山昴)
著者 井上 ひさし 、 出版 岩波書店
私の心から敬愛する井上ひさしが亡くなって、もう10年になるのですね...。
井上ひさしは、たくさんの本を書いたうえ、日本ペンクラブ会長や九条の会の呼びかけ人となったり、社会的な発言も惜しみませんでした。
「むずかしいことをやさしく」という井上ひさしの言葉を、私はいつも忘れないようにしていますが、言うは易くで、ついつい難しい言葉で逃げようとします。
井上ひさしの妻のユリさんによると、井上ひさしは、「手で書く」、「手で覚える」のを大事にしていたとのことです。よく分かります。私も、こうやって手書きで他人の文章をうつしとっています(パソコンに入力して、ネットにアップするのは秘書の仕事です)。
毎日、忙しいのに日記をつけていたというのにも驚きます。ともかく、よくメモをとっていたとのこと。私も、ポケットの中、車中にはメモ用紙とペンを置いておきます。すぐに忘れてしまうからです。
私が真似できないのは、井上ひさしは、文章だけでなく、図や絵も入れるというところです。私も絵に挑戦したことは何度もありますが、下手のまま、いつまでたっても上達しないので、最近は絵のほうはなしですませています。
藤沢周平の傑作小説『蝉しぐれ』について、海坂藩の城下町が見事な絵図面として再現されていて、この本でも見開き2頁で紹介されています。少し丸っこい、読みやすい字とプロの描いたと思わせる絵図面なので、その見事さについつい唸ってしまいます。
井上ひさしは江戸時代後期の女性について、「労働奴隷」というのはあたらない、案外のびのびと勝手に暮らしていたとしています。持参金制度も、夫をしばるもので、女性(女房)は夫から大事に扱われていたのです。働き者で経済力があり、笑いさざめきながらも物見遊山の旅を楽しむ女性たちもいたそうです。私も、まったく同感です。
井上ひさしの本に『東京セブンローズ』というものがあります。これは、一井人の日記を題材(素材)にしています。
市井人の日記を古書店で入手するわけだが、高値のつくのは、そのときどきのモノの値段を丹念に記録している日記が断然、値が高い。
これは、なるほどだと私も思います。天候(その移り変わり)とモノの値段は、あとから(後世に)、書き足しようがありません。嘘はいつかバレますし、嘘がバレたら、もう取り返しはつきません。少なくとも表舞台からは追放されると思います。
アベ政治を継承したというスガ首相の国会答弁のブザマなことは腹が立つと同時に涙がほとばしるほど悲しくなります。首相が自分の言葉で日本をどうするのか政策を語らないというのは、ちょっと信じられません。
井上ひさしが生きていたら、今、何と言うかな...、そう想像するキッカケになった本でもありました。
(2020年8月刊。2000円+税)