弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2021年9月 6日

脳を司る「脳」


(霧山昴)
著者 毛内 拡 、 出版 講談社ブルーバックス新書

脳は2重3重に外部から守られている。健康な状態では、外部環境とは、ほぼ隔絶している。脳につながる血管には、脳に余計なものが入らないように監視し、侵入を拒む仕組みである。なので、ほとんどの薬は脳には届かない。ところが、アルコールやカフェイン、ニコチン、覚醒剤など、脳に溶けやすい性質をもつ小さな物質は血液脳関門をすり抜けてしまう。
電気的な信号によって情報伝達をおこなっているというのが脳の最大の特徴であり、最大の魅力。神経細胞を伝わる電気的な信号は、コンセントから電線を流れてくる電気とはまったく性質が異なっている。その大きな違いは、発生から終点まで少しも減衰することなく伝わるということ。うむむ、これはすごいことですね...。
電気信号を科学物質に変換するのは、一見すると効率が悪いように見える。しかし、この仕組みによって、情報の「質」を変えることができるというメリットもある。電気信号から科学信号に情報の「質」を変化させるシナプス伝達を担う神経性伝達物質は100種類以上もある。そして、脳には、広範囲調節系の、ゆっくりかつぼんやりとしたアナログ的な伝達をしているものがある。こうしたニューロンの電気的な活動以外のはたらきが人間の「気分」を決めている。
脳脊髄液(髄液)は成人では130mlある。1日で450~500ml産生されるので、1日に3~4回は入れ替わっている。この脳脊髄液が常に流れて入れ替わることが、脳の環境を一定に保つことに重要。脳の中では、寝ているあいだに、脳脊髄液がアミロイドβなどの認知症に関連する老廃物を洗い流している...。
生物とは、どんな金属よりも、電気を蓄える性質をもっている。
頭が良い人ほど、脳内にムダな接続が少なく、回路が効率的になっている。
知能とは、答えがあることに、素早く、正確に答える能力。
知性とは、答えがないことに、答えを見出せそうにする営み。
脳の話は、いつ読んでも面白く、興味深いものがあります。
(2021年3月刊。税込1100円)

2021年9月 2日

ネオウィルス学


(霧山昴)
著者 河岡 義裕ほか 、 出版 集英社新書

新型コロナウィルスが猛威をふるっています。おかげで、もう1年4ヶ月も東京に行っていません。飲み会もありません。親しい人との語らいの場が失われてしまいまいした。学生たちが可哀想です。ネット上ではなく、生ま身の人間同士の接触のなかでこそ、人間は成長することができます。ワクチンも十分に確保できていないのにオリンピック開催だなんて、スガ首相は気が狂っています。宴(うたげ)のあとが心配でたまりません。
性病の一つであるヘルペスウィルスは、一生潜伏し続け、宿主を殺すことなく適度に再発して感染を広げていくという大変賢いウィルス。
ウィルスは植物にも感染する。チューリップの花に斑(ふ)が入ったとき、その斑は、ウィルスが起こした病変。ウィルスに感染して病気になった植物には、芸術的な美しさが出現する。ウィルスが感染した植物にはミツバチが多く集まる。また、アブラムシを引きつける。
日本では、毎年3万人が肝がんで亡くなっている。そのうち7割は、C型肝炎ウィルスの感染から肝がんに移行した患者。C型肝炎ウィルスは主として血液を介して感染する。C型肝炎の患者は日本に150万人、全世界に7000万人もいる。
植物、動物に限らず、宿主に病気を発生させるウィルスは、全体の1割にも満たない。
人間が増幅して増えていく生き物だとしたら、ウィルスは、そのメカニズムの隙や漏れを利用して勝手に移動し、増えていく。ウィルスは、人間の生命の一部であり、移動する遺伝体だ。
ウィルスは細菌より小さいという「常識」は、ミミウィルスの発見で覆された。ウィルスについて、今では、細菌よりも小さく、なおかつ単純で原始的な素材とは言えなくなった。巨大ウィルスの発見から、ウィルスは細胞性の生物が何かの原因で単純化した結果だと考えることも可能になった。
ウィルスを研究するために、渡り鳥のフンを集めたり、アフリカ・シエラレオネにコウモリの捕獲に出かけたり、学者も大変です。でも、恐らく、好きでみんなやっているのでしょう。そんな奇篤な人々のおかげで私たちの毎日の平和・平穏な生活が成り立っているわけです。大いに感謝したいと思います。
それにしてもオリンピックのあとの日本で全面外出禁止なんてことにならないことを、今、ひたすら願っています。
(2021年3月刊。税込1034円)

2021年9月 1日

中村哲医師の生き方


(霧山昴)
著者 宮田 律 、 出版 平凡社

アフガニスタンからアメリカ軍が撤退するなかで、タリバンが再びアフガニスタンを支配しました。やはり、暴力(武器)によって国を治めることはできないのです。アメリカ軍は、ベトナム戦争で敗退してサイゴン(現ホーチミン市)からなんとか脱出できましたが、今、同じような状況がアフガニスタンで起きています。日本の自衛隊の輸送機も3機が救出のため出動しましたが、いったい誰を「救出」するのか、明らかにされていません。またもやアメリカ軍の下請をさせられているようです。国会を開いて、きちんと議論すべき重大問題です。
野党の国会開催要求を自民・公明両党は無視・拒絶しているため国会での審査・究明もできません。これって明らかな憲法違反なのですが、違反を繰り返して、国民を黙らせ、あきらめさせています。それはともかくとして、タリバン政権が自衛隊機を素直に受け入れるはずがありませんので、戦闘状態になることは必至です。自衛隊員が死んだら、それって「戦死」になるのですか...。でも、おかしいでしょ。なんで、そんな危険なことをする(させる)のですか...。
中村哲さんを殺した犯人は今なおつかまっていません。中村哲さんは、生前、タリバンを単純に暴徒視してはいけないと語っていました。その当時のタリバンと今のタリバンとを同じようにみてはいけないと私も思います。でも、結局は、暴力と武器に頼って、国を長く治めることはできないというのが、歴史の教えるところです。本当にそうだと思います。
この本は、小学校高学年以上の子どもを対象にしていますので、中村哲さんに関して目新しいことが出てくるものではありません。それでも、平和な世界をつくるためには何が必要なのかを基本に立ちかえって明らかにしていますので、いい大人である私も素直な気持ちで勉強になりました。
まずは、表紙の中村哲さんの笑顔がすばらしい。アフガニスタンの男たちに囲まれ、屈託のない、幸せと喜びにみちた笑顔なんです。本当に、もっともっと長生きしてほしい人物でした。
信じられないことに、アフガニスタンを走る自動車のほとんどは日本車とのこと。ただし、ごく一部の富裕層はベンツなどドイツの高級車に乗っているそうです。
中村哲さんはキリスト教徒ですが、戦争やテロなどの暴力は、イスラムの教えに背(そむ)くと理解していました。
キリスト教もイスラム教もその建前では博愛・平和主義のようですが、現実は背反しています。無神論者の多い日本人のほうがよほど平和主義者だと思います。
忘己利他(もうこりた)という言葉があるそうです。瀬戸内寂聴さんがよく言うコトバです。自分の損得や幸せになりたい気持ちは置いておいて、他の人が幸せになって得(トク)をするように務めなさい、という意味のコトバだそうです。私も、なかなかその心境にはなれませんが、目標にはしています。
中村哲さんのすばらしいところは、アフガニスタンの砂漠を用水路を新設して肥沃(ひよく)な田園地帯に生まれ変えたところです。その水路建設工事のため、中村哲さんは本職の医師というより土木作業機械を操作する技師として、作業の先頭に立ったのでした。
「武器ではなく、命の水をおくりたい」というのが、この本のタイトルです。今、日本がやるべきことは、まさに、このタイトルどおりではないでしょうか...。
(2021年4月刊。税込1540円)

 日曜日、暑さのやわらいだ夕方、庭に出て、少し雑草を抜いたり、手入れをしました。庭のあちこちでクリーム色のリコリスが咲きはじめましたので、それをよけて雑草をひっぱって抜き、コンポストに放りこみます。ミニトマトと子どもピーマンは先週抜いたので、今はオクラくらいです。あとはサツマイモの葉が茂っています。
 なぜかツクツク法師をふくめて、セミが鳴きません。夏は終わったのですね。
 コロナ禍がおさまりません。「先に光が見えてきた」なんてスガ首相は、いったいどこを見ているのでしょうか。久留米市は累計で3000人をこえ、大牟も1000人になりました。いったい病院に入れず、家庭内で待機というのはどうしたらよいというのでしょうか。家庭内感染が避けられません。
 自民・公明政権の無為・無策ぶりはひどすぎます。

2021年8月29日

本の力


(霧山昴)
著者 酒井 京子 、 出版 童心社

孫に絵本を読み聞かせています。両足を組んで孫を座らせ、絵本を声色たっぷりに読みあげるのは本当に楽しいです。川崎セツルメントの大先輩である、かこさとしの「ドロボー学校」やら「カラスのパン屋さん」なんて、読んでる私まで気分がぐぐっと若返ります。
絵本誕生の秘話として著者が語るのは、誰でも知っている「おしいれのぼうけん」、「ダンプえんちょうやっつけた」、「14ひきシリーズ」、そして「いないいないばあ」といわさきちひろの「花の童話集」などです。長く長く心に残る絵本ってこうやって出来あがっていくのですね。
120頁ほどの薄い本なので裁判所に持っていって、待ち時間に読みはじめ、裁判が終わってからは控室に行って読み終わりました。
すぐれた絵本は、これを子どもに話したい、伝えたい、子どもたちを喜ばせたいという真剣なものが込められていなければならない。そして、生きる力や考えることの大切さを伝えるものでなければならない。なるほど、そうですよね...。
著者が古田足田さんの家に原稿を取りに行くと、20枚ほどの原稿がテーブルの上に置いてある。それを必死に読む。古田さんは黙って、見ている。ときには、にらみつける(著者は、そう思った)。本当に怖かった。試されていると感じた。読んだなら、その場で何か言わなくてはいけない。考えて明日言います、なんて許されない。緊張する。しかも、古田さんが次に進める意欲が出るようなことを言わなければいけない。問題点だけを指摘したら、古田さんはやる気をなくしてしまう...。
著者が何か言うと、古田さんは20分くらい黙って、何か考えている。さすがに20分間は長い。冬なので、薄手のセーターを着ていったが、汗びっしょり。古田さんの家を出るときには、セーターの上から汗がふき出ていた。それほど真剣勝負だった。
「おしいれのぼうけん」を社長は、「10万部は売ってみせます」と断言した。実際には、1974年に発売されてから2021年3月までに、なんと240万部も売れている。もちろん私の家にもありますし、孫たちにも読んでやりました。ねずみばあさんを今でも怖がっています。
書店に行くと分かる。たくさんの本が並んでいるけれど、力の入った本とそうでない本は、そこから発散するものが違う。それはその中に込められたものによる。込められたものが光輝くのだ。
力のある本は、作家と画家、そして編集者も印刷屋さん、製本屋さんも含め、製作に関わったすべての人の気持ちが、ひとつになる瞬間がある。それは奇跡に近い瞬間だ。
「おしいれのぼうけん」では、ねずみばあさんの怖さと、保育園の子ども2入の勇気がたまらない魅力になっている。
「14ひき」のシリーズに関わったとき、編集者の著者にも作者(いわむらかずおさん)はラフスケッチを見せてくれなかった。本は、生まれる前は作者だけのもの。ひとたび誰かに見せたら、もう作者だけのものではなくなる。ラフの段階で、編集者がトンチンカンなことを言うのは許されない。
「14ひき」シリーズの絵本が初めて出版されて40年たった。今では「日本のいわむら」から「世界のいわむら」になっている。パリでいわむらさんのサイン会をしたら、行列ができた。22言語に翻訳されている。
著者は、いわさきちひろの絵を見た瞬間、この人はただものではないと直感したという。それから、ちひろの黒姫の山荘に行ったとき、尊敬できる人には、いくらでも献身的になれ、料理や掃除がまったく苦にならなかった。
いやあ、いい絵本誕生の秘話でした。編集者としてすごい幸運でしたね...。
(2021年6月刊。税込1650円)

2021年8月28日

横井久美子、歌手グランドフィナーレ


(霧山昴)
著者 横井 久美子 、 出版 一葉社

本年(2021年)1月14日、歌手の横井久美子は腎盂癌(じんうがん)によって76歳で帰らぬ人となった。この本は、横井久美子が生前に書いたエッセーなどを集めたもので、タイトルは本人が決めた。
横井久美子は、名古屋の左官屋の娘として生まれ育ったが、小さいころから声がよくて、近所でも評判の子どもだった。さすがですね。高校でも音楽過程声楽科に入り、大学は東京芸大の入試に失敗し、国立(くにたち)音大の声楽科に入学した。周囲は、みな金持ちの、良家の子女ばかり。左官職人の父親がアップライトのピアノを寮に運んできてくれたのを恥ずかしく思うばかりの女の子だった。
これって、私にもよく分かります。大学生のこと、小売酒屋の父と母を、私も心底から馬鹿にしていました。思い出すたびに顔から火が噴き出すほど恥ずかしさを覚えます。セツルメント活動をするなかで、社会と人生について少しずつ理解するようになり、自分のあまりの愚かさを少しずつ自覚するようになっていきました。
歌をうたうって、人間にとって何を意味するのか?
そもそも歌って、何なのか?
こんな根源的な疑問を胸に抱きながら音楽大学を卒業した。
横井久美子の夫は友寄英隆は経済学者です。「世俗チョウエツ学者夫」と書かれています。私も話を聞いたことがありますが、なるほど、真面目一徹の経済学者だという印象を受けました。この本によると、離婚の危機を迎えたこともあったようです。娘は、アメリカのワシントンDCで知的財産権の弁護士として働いているとのこと(その夫はアメリカ人)。長男は、「一般人」としての優しさを備えているとのこと。要するに、横井久美子の子育ては手抜きしたけれど、立派に成功したのです。うらやましいですね...。
横井久美子が「燃え尽きた」状態になったこと、それでアイルランドに旅立ったことは知っていましたが、この本を読んで、その事情を知ることができました。
1989年、横井久美子は歌手生活20周年のコンサートを日本青年館で開き成功させた。ところが、本人は出だしの声が十分に出なかった、満席にできなかったと思いこんでしまい、このまま枯れ木のように朽ち果てていくのではないかと大きく落ち込んだ。初めて味わった挫折感だった。唯我独尊になりやすい傾向にあったのです。「私が期待した私らしい私」になれないというのが不安感の主たる原因...。むむむ、なんだかよく分かりませんが、歌手一筋で生きてきたことから、いちど立ち停まって考えてみたらどうか、という天啓がおりてきたのでしょうね。
アイルランドでは、自転車を借りて219キロを横断したというのです。たいしたものですね。
1996年、南アフリカを「じん肺弁護団」のメンバーと一緒に訪問しています。福岡からは岩城邦治・稲村晴夫・角銅立身弁護士が一緒でした。角銅弁護士は横井久美子と大の仲良しで、自宅に泊めて歓待したこともあると聞いていました。角銅弁護士はベトナムにも一緒に行ったことが本書にも紹介されています。
横井久美子のガン闘病日記が紹介されています。そのなかで、本人は、いつも、「私はなんて運のいい女だ!と思って生きている」と書いています。本当にそのとおりですよね。そして、私も同じように思って生きています。
この本を読んで一つだけ不思議に思ったのは、「絶対音感のない私」という表現があるところです。あれだけたくさんの作詞・作曲をした歌手でも、絶対音感がないと思い込んでいるというのがひどい音痴の私には信じられませんでした。
横井久美子の歌は、なにより声がいいのです。私の全身にすっと音が入ってきます。そのうえ歌詞も曲も心地が良くて、うっとりさせられます。たくさんの、すべてとは言いませんが、CDをもっていました。過去形で書いたのは、今では「終活」の一環として、CDの大半を処分したからです。横井久美子の声を聞いている気分になって読了し、ほんわかいい気分に浸っています。いい本をありがとうございました。死んだら拍手してくださいということなので、精一杯の盛大な拍手を送りたいと思います。
(2021年6月刊。税込2420円)

2021年8月17日

笑う数学


(霧山昴)
著者 日本お笑い数学協会  出版 KADOKAWA

私は高校2年生の冬まで、理系のつもりでした。でも、数学的センスが自分にないことは、いよいよ認めざるをえなくなったのです。発想を飛躍させることができませんでした。論理的な思考力はあると思うのですが(今も...)、数学の世界では、ふっと身をひいて、それまでの思考とは違った新しい発想で考え直す必要があるように思います。それが私にはできないのでした。いま、私はモノカキと称していろいろ書いていて、論理的に扱ったことを文章化していますが、そこには飛躍的な、いわゆる発想のコペルニクス的転換なるものは、カケラもありません。
ところが、数学をお笑い的に扱える奇人・変人が世の中にはいるのですね...。
選択肢が無限にあるっていることは、実は、可能性(確率)がゼロということでは...。
人体は、電池ほどの小さい電圧では、電流があまり通らない。でも、実はたった0.1アンペアで、人は感電死してしまう。
自然界に多いのは、ベルヌーイの螺旋(らせん)。クモの巣は、「アルキメデスの螺旋」。
クジャクの数え方は、1面、2面、3面...。羽を扇形に広げた状態で数える。
動物の数え方は、人間より小さければ、「匹(ひき)」、大きければ「頭(とう)」。リスやネズミは1匹、2匹。ゾウやキリンは1頭、2頭...。ところが、蚕(かいこ)は、家畜として大切にしていたので、「お蚕さん」と呼び、「1頭」と数える。
伊能忠敬が日本地図をつくろうとしたのは、日本地図を描きたいというより、地球の大きさを測りたかったから、と言われている。いやはや、なんとも、すごいことですよね...。
ナポレオンは、あらゆる角度のtanの値を暗記していて、角度を聞けば、すぐに敵までの距離を知った。
ナイチンゲールは、患者の死因の多くが、病院が汚いことによる院内感染であることを統計学を使って突きとめ、周囲を説得した。
黄金比というのがある。人間が美しいと感じる本能に、1対1.618というのがある。
数学が好きな人の発想の面白さにあふれた本です。数学に弱い私でも十分に楽しむことができました。
(2020年1月刊。税込1430円)

2021年8月16日

顔の進化


(霧山昴)
著者 馬場 悠男 、 出版 講談社ブルーバックス新書

人間の顔を研究する「日本顔学会」なるものがあるそうです。1995年の設立です。それほど人間の顔には特別なものがあるわけです。
残念ながら、今のコロナ禍の下では、マスクに顔の大半が覆われていますので、顔の全体がよく分かりません。でも、眼が見えると、それだけでも、人柄はあらわれます。街頭ですれ違うと、あれれ、今の人、誰だっけ...、ということはよく起こりますが...。
人間でも、家族の匂いをかぎ分けられる人は多い、そうです。信じられません...。そして、クラス全員の匂いを個体識別できる小学生が沖縄にいるとのこと。これまた、ウッソー...でしょう。といっても、香水をつくる人は鼻がすごいと言いますから、きっと本当なんでしょうね。
ゾウの臼歯は、5回も生え替わる。一生のうちに、ゾウの歯は1メートルもすり減る。
犬は匂いをかがないと、食べる行為が誘発されない。
オオカミは獲物の匂いをたどって長距離を追いかける。そこで、鼻面を地面に近づけながら走る必要がある。なので、オオカミの顔は長い。
ヒトの顔の構造は「4階建て」。口、鼻、眼、額。鼻は2階から3階へ続いているので、「吹き抜け」。
眉毛(まゆげ)は汗よけ、睫毛(まつげ)は埃(ホコリ)よけ。
アラブ諸国では、髭(ヒゲ)を生やすことが成人男子の証(あかし)。ヒゲを生やさないと女性と見なされることもある。ヒゲはものすごく濃く、カミソリの刃を一人ひとり交換する必要があるほど...。
ヒトは「白眼」(しろめ)を露出させることによって視線を明らかにすることによって相手に注目していることを示し、それで個体どうしの社会的な関係を維持している。
鼻があるのは、メガネをかけるためではなく、その奥の鼻腔の粘膜が、吸気を暖め、水分を与え、異物を取り除き、さらに呼気から熱と水分を吸収するため。
鼻毛はヒトに特有のもの(らしい)。
ヒトの額が目立つのは、脳が大きくなっただけでなく、丸くなったため。
アジア人の顔は四角柱で、ヨーロッパ人は三角柱。アフリカ人の髪の毛が縮れているのは、髪の毛に汗を溜めて、ゆっくり蒸発させることによって頭の温度を下げる効果があることによる。
ヒトの顔の成り立ちを知ることのできる面白い新書です。

(2021年1月刊。税込1100円)

2021年8月12日

ディズニーとチャップリン


(霧山昴)
著者 大野 裕之 、 出版 光文社新書

チャップリンとヒトラーは同じ年の同じ月に生まれた。チョビヒゲをはやしはじめたのも偶然に同じころのことで、一方が他方を真似たのではない。
ディズニーはチャップリンに憧れて役者になった。つまり、チャップリンよりもぐんと若い。
二人はある時期までは仲が良く、チャップリンはディズニーに大切なことを教えた。
「自分の作品の著作権は他人の手に渡したらいけない」
ディズニーのミッキーマウスは今も生きている。そして、チャップリンだって、何度も何度もリバイバル上映され、その浮浪者姿は今でもアイドルのように人気がある。
著者は日本のチャップリン協会の会長をつとめるだけあって、いくつかのチャップリンの伝記は、格段の深さがあります。
チャップリンは貧しい芸人夫婦の下で育ち、5歳のときから舞台に出ている。庶民向けの劇場で幕間の芝居を演じる。短い上演時間、ほとんど一人芝居で客の心をつかむ演技術を身につけた。5歳から24歳までの20年間に、さまざまなジャンルの舞台に立ったことが、のちに映画において監督、脚本、プロデューサー、作曲を一人でこなす多面的な才能と、喜劇と悲劇とを融合させた、独自の作風を生みだす礎(いしずえ)になった。チャップリンは、早くから海外講演を経験し、地域によって笑いの嗜好に大きな差があることを知っていた。
チャップリンが映画にデビューした当時、1914年の週給は150ドルから1250ドルになった。そして、1916年には、週給1万ドル、ボーナスもあわせると年間67万ドル(今の年収11億円)の映画俳優になった。
チャップリンは、動いている姿が世界中に知られた初めての人物。
チャップリンとディズニーには、家族関係で、とても重要な共通点がある。チャップリンは4歳上の異父兄シドニーを、ディズニーは8歳上のロイを、それぞれ心から慕っていた。二人の兄は、有能なビジネスマンとして弟をよく支えた。
チャップリンの映画『サーカス』(1928年)のなかのライオンの檻に閉じ込められるシーンから、高所での綱渡りシーンまで、命がけのギャグはすべてスタントなし、チャップリン本人が演じた。すごいですね。香港の映画スターのジャッキー・チェンも本人が演じていますよね。
チャップリンは想像力の躍動と、観念の脱構築で笑いを生み出した。チャップリンは、ただのモノも、想像力によって生きている身体に変えてしまったのだ。
ディズニーは、どんな苦境に陥っても、それを物語の一シーンのように捉えて力に変える前向きな気持ちと、独立心だけは失わなかった。これこそが、ディズニーをディズニーたらしめる才能だった。ディズニーは信頼していた人たちの裏切に直面し、「もう絶対に他人(ひと)には使われない。生きている限り他人のためには働かない。自分は自分のボスなんだ」と決意した。
 猫のフィリックス、うさぎのオズワルドときて、次は、キュートで小さな動物ならネズミ(マウス)だ。ミッキーのアイデアは、チャップリンに借りがあるとディズニー自身が認めた。ミッキーは、ディズニー本人そっくり。冒険心や正義感にあふれているが、知的教養とはあまり縁がないという存在。ミッキーマウスは、ディズニー自身であると同時に、ディズニーが憧れてやまなかったチャップリンそのものだった。
トーキー(音声付き)映画になって、ミッキーの声は、ディズニー本人が担当した。これまた恐るべきことですね。
チャップリンの放浪紳士は、報われなくても愛する人のために献身的に尽くし、ときに権力の象徴たる警官のお尻もけりあげる。そして、きれいごとだけでは生きていけないことを知っているので、生活のためには、少しの悪事も働く。なので、決して聖者ではないが、厳しい現実とたたかう武器はユーモアしかないことを教えてくれる、心優しい放浪紳士だ。
チャップリンとディズニーに共通するのは、子どもの視点だ。二人とも子どもと同じ視点で、遊び、考えることができた。
チャップリンはユダヤ人ではない。祖母の家系にジプシーがいて、チャップリンは、それを誇りに思っていた。ところが、ヒトラー・ナチスはチャップリンをユダヤ人評論家が絶賛したことから、チャップリンもユダヤ人に違いないと決めつけ、徹底的に攻撃した。
信じられないことに、このころ、アメリカの世論の大部分がヒトラーを支持していた。恐慌を切り抜けたリーダーとして、ヒトラーはアメリカでも英雄視されていた。
これに対して、チャップリンは映画『独裁者』をつくって、ヒトラーを笑い者にした。
ヒトラーをはじめ、ナチスの幹部はディズニー作品のファンだった。
ディズニーの父親は社会主義を信奉していた。ディズニーは、その反発もあって、労働組合を憎んだ。労働者の権利を叫ぶ労働組合は、アメリカの理想に敵対するソヴィエトの共産主義が送り込んだ毒と思い込んでいた。
最後まで大変深い分析が続き、290頁あまりの新書を3日間で読みあげました。一読をおすすめしたいと思います。でも、今の若い人って、『街の灯』とか『キッド』って、いったいどれだけみているのでしょうか...、ぜひみてほしい映画です。
(2021年6月刊。税込990円)

2021年8月 7日

こうして生まれた日本の歌Ⅱ


(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版 新日本出版社

9.11事件のとき、著者は朝日新聞のロサンゼルス支局長として赴任したばかりだった。ロサンゼルスにも高層ビルに飛行機が突っ込むというデマが流れ、中心街はゴーストタウンになり、誰も出勤してこなかった。このとき、テレビでは、何回も「カミカゼ」という言葉が流れた。テロリストは神風特攻隊と同じだというのだ。こんな日本語は世界で流行ってほしくありませんよね。カラオケはともかくとして...。
ロサンゼルスには、私も若いときに行ったことがあります。リトル東京というブロックがあり、ホテル・ニューオータニがありました。著者は、そこで、映画「青い山脈」に出演した杉葉子に出会ったというのです。この「青い山脈」は私もみましたが、つくられたのは私の生まれた翌年の1949年です。軽やかな歌の流れる青春映画です。自転車で通学する高校生は成城学園高校の女生徒たちがモデル。「若く明るい歌声に...」というフレーズが耳の奥に残っています。
美輪明宏の「ヨイトマケの唄」がつくられた経緯も心を打ちます。長崎の小学校の同級生に貧しい家のヨシオがいた。その母親は授業参観の日に、ハンテンにモンペという作業服でやってきた。著者は土方作業員の母親が働いている現場をみたが、母親は、地らなしの重しの網を引っぱるとき、「ヨシオのためなら、エンヤコーラー」と叫んでいた。
美輪明宏がシャンソン喫茶でこの歌をうたうと、客は最初、力仕事をする労働者への軽蔑、優越感から卑しい顔をして笑っていた。それが、最後になると涙に変わった。テレビで歌うと、開局以来のかつてない反響があり、2万通もの投書が届いた。私も、たまの日曜日、この歌を聞いて、心の中で涙を流します。
この本には、大牟田市で講演したときの話も登場します。森田ヤエ子作詞、荒木栄作曲の「がんばろう」に歌はあまりにも有名だ。といっても、今の大学生には知られていないかも...。
「花を贈ろう」という歌が紹介されていないのが私には残念でした。東京へ去っていく仲間にオレンジの花を贈るという、とても感動的な歌です。ぜひ、ネットで探して聴いてみてください。
荒木栄の碑は今も米の山(こめのやま)病院の玄関前にあります。
最後に横井久美子。惜しいことに2021年1月に病死してしまいました。私は横井久美子の澄んだ声、そして歌詞が大好きで、たくさんのCDをもっています。
この本では、ベトナム戦争反対を歌う「戦車は動けない」、「自転車に乗って」、「なみちゃん」そして「私の愛した街」が紹介されています。「自転車に乗って」の歌詞は横井家の現実とは逆だったというのは笑わせました。歌詞では、母親が夫と子どもをたたき起こすとなっているが、本当は、しっかり者の長男が寝不足の母親を起こし、グズグズしないようにせかしていたのでした。
いやあ、いい本でした。ぜひ、あなたも読んでみてください。心の中に軽やかなメロディーが流れて来て、心が洗われますよ。
(2021年5月刊。税込1760円)

2021年7月24日

こう見えて元タカラジェンヌです


(霧山昴)
著者 天真 みちる 、 出版 左右社

タカラヅカの経営術の秘密を暴いた本を先に紹介しましたが、この本は、タカラジェンヌとして活躍した女性による宝塚ライフです。
2006年に宝塚歌劇団に入り、花組では主として「おじさん」役を演じました。また、余興でタンバリン芸ができるそうです。格好いいですね。トップスターにこそなれませんでしたが、舞台で大活躍して、2018年10月に退団し、現在ではフリーとして活躍中とのこと。
抱腹絶倒間違いなし、とオビにありましたが、たしかに笑いながら一気に読みすすめました。ただし、「関わらず」(正しくは、関ではなく拘)とか、適切な編集者がすべきミスが散見されたのは残念でした(私も編集者のハシクレなのです...)。
舞台の上でセリフをド忘れしてしまったことがあるという「告白」には驚きましたが、やっぱりそんなことって、あるんですね...。私が舞台に出て役者を演じたくないのは、まさにそれを心配するからです。大勢の前でマイクをもって話す機会は多いのですが、そして一瞬、頭が真っ白になったことが何度もありましたが、あらかじめ決められたセリフを言うのではありませんので、そのとき頭のなかで天から降っておりてきた言葉を口に出して、しのぎました。ですから、今では話の流れのメモは一応つくりますが、メモを見ながら話すことは、まずありません。そして、時計を見ながら、あと何分というのを計算しながら話すだけの余裕があります。要するに、それだけ場慣れして、度胸がついたということです。35歳のとき、NHKの朝の「おはよう広場」で生放送に出たときは最高に緊張しました。それでも、なんとか乗り切ったことも一つの自信になりました。前日、渋谷のホテルに泊まって、朝早くNHKに行ったときは、足がガチガチ震えていましたが...。
著者は、宝塚音楽学校の受験に1回目は失敗。それでも25時間ぶっ通しで寝続けて失地回復。2回目で運よく合格。ここって、受験は4回できるんだそうです...。
この宝塚音楽学校では、1年に3回も試験がある。
「おはよう。今日もいい天気だね。朝ごはんは何がいい?」
これを正しいセリフで演じることをあきらめ、気持ちを優先に演じる。すると、なんと、50人のうちで3番という成績。ヤッター、やりましたね。
宝塚歌劇団に入る前に、各人は芸名を提出しなければならない。生徒はみな、家族や師匠とともに、丁寧に芸名を考える。著者は、天満バレエ教室の発表会をみに行き、「鉄腕アトム」の天馬博士を思い出して、「テンマみちる」を考えついた。みちるは本名。テンマは天真爛漫の天真。
夢見る受験生時代は、もちろんトップスターを目指していた。しかし、自分がほれぼれしていた格好良さを自分で表現するのはたやすいことではないことを自覚せざるをえなかった...。そして、著者に与えられたのは、「脇役のトップスター」。いやあ、すごいじゃないですか、これって...。
著者は、自分の人柄なんか知らない、初めて見た人を爆笑させることを課題にさせられ、それを心がけたといいます。そして、見事にやりきったのでした。
タカラジェンヌの苦労話を、これほど笑いながら読める本にしたのは、これまたタンバリン芸と同じ、これも芸ですね。読みはじめたら途中で止まらなくなって、バスの中で読了してしまいました。今後ますますの活躍を楽しみにしています。
(2021年5月刊。税込1870円)

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