弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
人間
2022年8月 1日
薬草ハンター、世界をゆく
(霧山昴)
著者 カサンドラ・リア・クウィヴ 、 出版 原書房
義足の女性民族植物学者、新たな薬を求めて、というのがサブタイトルです。
父親はベトナム戦争に従軍し、そのとき浴びた薬剤の影響で、右脚を切断しなくてはならなくなった少女が医学を志し、アマゾンで薬草に魅せられ、世界各地に薬草を求めて歩く半生が語られています。
学者として一人前になるまでの苦労がすさまじいのですが、若くして学者になったあとも、陰険教授とか威張りちらす教授、セクハラ教授などとも戦わねばならなかったという女性学者としての苦闘も明らかにされています。
アマゾンで子どもたちがおやつとして食べるアリ。大きくふくれたアリを指でぎゅっとしぼると、とろりとした半固形状の液を吸う。著者も真似して食べてみた。すると、しばらくして嘔吐に苦しむ破目になった。それはそうでしょうね...。
アマゾンの生物多様性の根源である森の破壊がどんどん進んでいる。そして、それは、現地の人々から、長年にわたって蓄積されてきた植物に関する知識の喪失も意味している。いやあ、本当に残念です。目先の利益だけで多くの人々が動いているのです。
野生植物は、飢饉や戦争を生きのびるための日常的な食材であると同時に、その植物が健康に良いという信念と結びついていた。おもに女性が、栽培種や野生の植物を用いての日々の健康に対処する知恵をもっている。
著者は、伝統両方に深い敬意と関心を寄せている。それが、西洋医学の欠点や短所の批判に終わっていないのは、著者自身がなんども感染症の治療を受けた経験があるから。抗生物質耐性菌に効く新薬を植物から発見することが著者のライフワーク。そして、MRSAとあわせてコロナ・ウィルスへも対処しようとしているのです。
この本を読むと、アマゾンの乱開発は人類の未来を狭め、危くしていることを改めて考えさせられます。目先の牛肉、そしてゴールド(金)のために、人類の先の長い未来を放棄するのは許されない選択だと思います。
それは、電気不足になりそうだから原発(原子力発電)を最大(再)稼働させようというのと同じ、短絡的な、間違った考えです。一刻も早く、一人でも多くの人が、このことに気がつき、声をあげることを願っています。大自然は奥深いものがあると実感させられる本でもありました。
(2022年3月刊。税込2530円)
2022年7月25日
君は「七人の侍」を見たか?
(霧山昴)
著者 西村 雄一郎 、 出版 ヒカルランド
コロナウィルスで厭世(えんせい)観漂う時期...、こんなときにこそ見たい映画が「七人の侍」(1954年)だ。
まったく異論がありません。私は、中洲の映画館でリバイバル上映されたときに早起きして見に行きました。圧倒的な大画面のド迫力に息を詰めて、ときのたつのを忘れてしまいました。「七人の侍」をみたことのない人は、それだけで世の中の幸せをまだもう一つ味わっていないことになります。私は、このように自信をもって断言します。
「七人の侍」をご馳走(ちそう)にたとえると...。うなぎ丼の上にカツレツ乗っけて、その上にハンバーガーなんか乗っけて、さらにカレーをぶっかける、みたいなご馳走。いやはや、なんと貪欲(どんよく)な料理でしょうか...。
黒澤明監督は、シナリオ構成を音楽にたとえる。「七人の侍」は、それぞれ個性豊かな俳優の顔を見る映画。いやあ、ホントなんですよね、これって...。みんな、それぞれに、いい顔をしています。三船敏郎ももちろんいいのですが、志村喬(たかし)の勘兵衛は、まさにリーダーとして、はまり役です。侍大将ほどの器量をもつ男。でも、負け戦(いくさ)ばかりが続いた不運な男。そのため、どこか諦観を全身に秘めた風情(ふぜい)もあわせもつ。
「七人の侍」のオリジナル完成版は、なんと3時間27分とのこと。私はぜひみてみたいです。海外版は2時間49分。私が中洲の映画館で見たのは、きっと、この海外版なんでしょうね。残念です。
「七人の侍」は、1954年のゴールデンウィークに上映され、11万人近くの観客を集め、2億9000万円を稼ぎ出した。それを上回ったのが松竹の「君の名は、第三部」だった。
「七人の侍」の製作費は2億1000万円。これは、フツーの作品が7本もつくれるという金額。いやあ、すごい、すごい、すごすぎますよね、これって...。
ジョージ・ルーカスもフランシス・コッポラというアメリカの大監督たちも、この「七人の侍」を何度もみたというのです。「スター・ウォーズ」だって、「七人の侍」の影響を受けているというのです。
そして、この本が面白いのは、著者が佐賀大学で映画論を教えていて、学生たちに授業として見せたときの感想が紹介されているところです。
学生たちは録音が悪いこともあって、昔の難しい語句の意味が理解できない。しかも、3時間30分は、いくらなんでも長すぎる。ユーチューブの10分の映像だって早送りしてみているのに...。早送りなんて、「七人の侍」にかぎって、とんでもありませんよ。
学生たちの人気ベストワンは、なんといっても三船敏郎の「菊千代」。その菊千代が途中で死ぬことに驚いた学生が少なくない。
実は、この本は、「七人の侍」だけでなく、世界のクロサワ監督の映画を次々に紹介していくのです。
「生きる」の主人公は胃がんで余命いくばくもない市役所の課長(志村喬)の話。中国でもっとも人気のあるクロサワ作品だとのこと。アメリカでも玄人向けしている。
主役の志村喬は、自分が「がんだ、がんだ」と思って演じていたら、本当に胃が悪くなって胃炎にかかったという。いやはや、それだけ真に迫った演技でしたよ...。
「椿三十郎」の殺陣シーンの衝撃度も忘れられません。なにしろ、決闘シーンでは斬られたサムライの胸から水道管が破裂したように血が噴き出してくるのですから。そのうえ、殺陣に音が入るのです。その効果音がリアルすぎるのです。鶏を買ってきて、羽をむしった丸々のやつを、柳刃包丁で、斬ったり突いたりした。鶏のなかに割りばしを何本か入れておくと、包丁が固いものに当たって、人を斬った音のように聞こえる。雑巾みたいなものをたたいて作ったザブッ!パシャッ!という音を合成してつくる。すると、水っぽくなく、血の出るような音になる。
いやはや、開拓者というのは、とんでもない苦労をしたのですね...。
私のような映画好きには、たまらない本です。
(2022年3月刊。税込2200円)
2022年7月24日
「男はつらいよ」全作品ガイド
(霧山昴)
著者 町 あかり 、 出版 青土社
1991年うまれのシンガーソングライターの著者は映画館で『男はつらいよ』をみたことはないようですが、全作品を繰り返しみたとのこと。寅さんの映画のすばらしさと感動を素直な文章で紹介しています。
『男はつらいよ』を大学生時代、そして苦しい司法試験の受験勉強の息抜きとして深夜に東京は新宿の映画館でみていた私、さらに弁護士になり、結婚して子どもができてからは、お正月映画として子どもたちを引きつれて映画館で大笑いして楽しんでいました。
私の人生と映画『男はつらいよ』を切り離すことは絶対にできません。
「男だけが辛いとでも思ってるのかい?笑わせないでよ!」
いやあー、す、すんません。
「いくら心の中で思っていても、それが相手に伝わらなかったら、それを愛情って言えるのかしら?」
「幸せにしてある?大きなお世話だ。女が幸せになるには男の力を借りなければいけないと思っているのかい?笑わせないでよ」
他者に左右されない幸せ...。
寅さんは、こう言ってなぐさめる。
「月日がたちゃ、どんどん忘れていくもんなんだよ。忘れるってのは、本当に良いことだなあ」
ホント、そうですよね。忘れられなかったら、すぐにも病気になってしまいますよ。
「人間っているもんはな、ここぞというときには、全身のエネルギーをこめて、命をかけてぶつかっていかなきゃいけない。それが出来ないようでは、あんた幸せになられへんわ!」
失敗を恐れず、思いきり自由に生きたいものです。
著者は、映画館で声を出しながらみる昭和時代のスタイルに憧れているといいます。私は、子どものころから、それを体験しています。子どものころ、映画館にいて、嵐寛寿郎の「くらま天狗」が馬を疾走させて杉作(すぎさく)少年を悪漢から救出させる場面になると、館内の大人はみんな総立ち、手に汗にぎる思いで、みんなで声をからして声援するのです。まさしくスクリーンと館内とが一体化していました。そして、『男はつらいよ』を有楽町の映画館と大井町の映画館でみたとき、こんなに観客のリアクションが違うのか、と驚きました。
やっぱり「寅さん」映画は下町・場末(ばすえ)の映画館で、掛け声や心おきない笑い声とともにみて楽しむものなのです。子どもたちと一緒にみるときも、声を出して大笑いして楽しみました。こんなガイドブックを読んだら、次はぜひ全作品をDVDでみてほしいものです。手引書です。
(2022年4月刊。税込1760円)
2022年7月19日
脳は世界をどう見ているのか
(霧山昴)
著者 ジェフ・ホーキンス 、 出版 早川書房
どうやって脳が知能をつくり出すのか...。脳についての最新のレポートです。
新皮質は知能の器官である。知能として思いつく能力、視覚・言語・数学・科学・工学のほとんどが新皮質で生みだされている。何かを考えるとき、その考えているのも新皮質だ。
新皮質は、脳容積の4分の3近くを占めていて、多種多様な認知機能に関与している。
新皮質は、生まれながらに世界について何らかの想定をしているが、具体的には何も知らない。経験をとおして、世界に豊かで複雑なモデルと学習する。
脳は、入力が時間とともにどう変わるかを観察することによって、世界のモデルを学習する。脳が何かを学習する唯一の方法は、入力の変化だ。学習のほとんどは、以前はつながっていなかったニューロン間に新しい結合を形成することによって起こる。
脳は複雑である。どうやって場所細胞と格子細胞が座標系をつくり、環境のモデルを学習し、行動を計画するかという詳細は、まだ部分的にしか分かっていない。
私たちの行動を導く感情は、古い脳によって決まる。
そもそも宇宙が存在することを知っているのは、宇宙の中で私たちの脳だけ...、という発想にも驚かされますし、万が一、ヒト以外に宇宙に生命体がいたとしても、それが私たちヒトと同時的に交信できる確率はきわめて低いだろうという指摘にも圧倒されました。
天の川銀河は誕生して130億年。知的生命体が100億年だとして、人類が1万年のあいだ生存していたとすると、6時間のパーティーのなかにヒトは50分の1秒しかいなかったことになる。ということは、たとえば、何万という知的生命体が来ていたとしても、私たちヒトとは誰とも会わなかったということになってしまう。
天の川銀河に生命体が生息できる惑星は400億個ある。地球上の生命は、数十億年前、惑星ができて、すぐに出現した。地球が典型なら、生命はこの銀河系では、ありふれていることになる。でもでも、たとえ、ありふれているとしても、ヒトがいた(いる)のは、わずか50分の1でしかないというのですから、地球外生命との出会いはすごーく、まれなことなんでしょうね...。
ヒトの脳の話は広大無辺の宇宙の話と直結しているという典型の本でもあります。
(2022年5月刊。税込2680円)
2022年7月18日
旅は終わらない
(霧山昴)
著者 芦原 伸 、 出版 毎日新聞出版
旅は「学び」である。まことにそのとおりです。とはいっても、私はコロナ禍のせいで、2年間も福岡県外に出ることがありませんでした。画期的なことです。もちろん、いい意味で言っているのではありません。本当なら、長野の「無言館」、「ちひろ美術館」に行くはずでしたし、北海道の利尻・礼文島にも行きたいと思っていました。
私の自慢は、日本全国、行っていない県はありませんし、各県どこにも知人の弁護士がいます。日弁連で長く活動してきたことによります。でも、まだ、屋久島には行っていませんし、八丈島にも行っていません。
この本には、日本航空(JAL)で不当な扱いをされた小倉寛太郎さんが登場します。私も一度だけ、大阪の石川元也弁護士の大学時代の友人だということで紹介され、日弁連会館で挨拶したことがあります。
小倉さんは、山崎豊子の『沈まぬ太陽』の主人公、恩地元のモデルになった人で、JALのナイロビ支店長もつとめました。要するに、左遷されたのです。ところが、小倉さんのすごいのは、左遷された先のケニアで大活躍し、またたくまに超有名人になったのでした。初めは、象やライオンをハンティングし、次はカメラをかまえて野生動物保護派に転身したのです。私も小倉さんのすばらしい写真集を何冊かもっています。中曽根政権のとき、JALの会長室部長に復帰しますが、退職後は、またケニアに戻って野生動物研究家になったとのこと。すごい人生です。
この本には、ブルートレイン「みずほ」も登場します。熊本までの17時間もかかる寝台特急です。私は何度も利用しました。食堂車は都ホテルの経営。コック3人、ウエイトレス4人の7人のクルーズ。大変な混雑ぶりだったとのこと。貧乏学生の私は食堂車も利用したとは思いますが、残念ながらあまり記憶がありません。私の大学生のころは、まだ、缶ビールなんて便利なものはなかったように思います。
博多までの特急「あさかぜ」があったことは知っていますが、私は利用したことはないと思います。全盛期、「あさかぜ」は1日3往復したとのこと。信じられません。速さは新幹線、旅情は「あさかぜ」と言われた。松本清張の『点と線』にも「あさかぜ」が登場する。
今、福岡には「あさかぜ」法律事務所があります。
国鉄(JR)の時刻表は、月刊100万部もの発行だったが、今や激減し、4万から5万部ほど。みんなネットですませている。そうなんですよね。アナログ派の私は大いに困っています。
旅情を語る原稿で禁句は、「感動した」、「美しい」、「おいしかった」。どう感動したのか、何が美しいのか、どのようにおいしかったのか、その詳細(ディテール)を言葉にしてあらわすのが紀行文。そこに、独自の視点をもつ、作者の個性と感性、そして教養が求められる。
文章力で読者に感動を体験させないと、プロの書いた原稿とは言えない。干田夏光は、「モノ書きは、読者を泣かさなければいけないよ」と言った。
モノカキを自称する私ですが、まだまだそこまで至っていません。ところが、私の書いた「アイちゃんと前川喜平さん」という文章を読んで、泣けてきたという人がいて、いや、もう少しがんばれば、そこまでいけるかも...、と思うようになりました。人生、何ごとも精進するしかありませんからね...。
(2022年2月刊。税込2090円)
2022年7月16日
音が語る、日本映画の黄金時代
(霧山昴)
著者 紅谷 愃一 、 出版 河出書房新社
私は以前から映画をみるのが大好きで、月に1回はみたい気分です。自宅でDVDでみるのではなく、映画館に行って、大画面でみるのが何よりです。最近は、パソコンのユーチューブで「ローマの休日」の断片を繰り返しみて、オードリー・ヘップバーンの笑顔の輝きに見とれています。
この本を読むと、映画製作にはカメラワークと同じく録音も大切だということがよく分かりました。でも、同時録音するとき、マイクを突き出して、カメラの視野に入ったら台なしですし、周囲が騒々しかったり、時代劇なのに現代音が入って台なしにならないような仕掛けと苦労も必要になります。
著者は映画録音技師として映画の撮影現場に60年いたので、たくさんの映画俳優をみていて、そのコメントも面白いものがあります。
著者は1931年に京都で生まれ、工学学校(洛陽高校)の電気科卒。
戦後まもなくの映画製作の現場では徹夜作業が続き、そんなときには、ヒロポンを注射していた(当時、ヒロポンは合法)。
映画「羅生門」のセリフは、ほとんど後でアフレコ。
戦後まもなくの大映の撮影現場は、ほとんどが軍隊帰りで、完全な軍隊調の縦社会。
溝口健二監督は、近づきがたい威厳を感じた。ある種の威圧感があった。
映画製作の現場は、週替わりで2本ずつ公開していたので、月に8本を製作しなくてはいけなかった。1本を4日でつくる。いやあ、これって、とんだペースですよね。セリフと効果音を別々に撮るようになったのは、かなりあとのこと。
今村昌平監督は、「鬼もイマヘイ」と呼ばれていた。著者も、すぐにそれを実感させられた。
石原裕次郎の出現で、日活撮影所の空気が一変。それまでの2年間、日活は赤字が続いていて、全然ダメだった。
著者は映画「にあんちゃん」も録音技師として担当した。
1970年ころ、日活はロマンポルノへ方向転換した。このとき、日活を支えてきたスターがほとんど辞めた。
沢田研二は、素直に注文を聞くし、わがままも言わない。いい男だった。天狗にもならなかった。高倉健は、本当に礼儀正しい。オーラがある。笠(りゅう)智衆は、テンポがゆったりとしていて、セリフを聞いていて、気持ちがよくなる人。
黒澤明監督は怖い。いきなり金物のバケツをけ飛ばして、いかりや長介を一喝した。
黒澤監督は、役者の段取りをもっとも嫌い、常に新しい芝居を見たがった。
黒澤監督は、ともかく発想がすごい。傑作した天才というほかない。「世界のクロサワ」だけのことはある。
映画「阿弥陀堂だより」(02年)もいい映画でしたね。南木佳士の原作です。長野県の飯山市あたりでロケをしています。もちろん、セットを現場に組み立てたのです。四季を表現するのに、一番目立つのは小鳥の鳴き声。なるほど、録音技師の出番です。北林谷栄は、当時90歳だったそうです。そして、北林谷栄は、セリフをアドリブで言う。直前のリハーサルとは全然違うことをしゃべった...。
まず脚本を読む。そして自分なりのアイデアを考える。しかし、現場へ行くと少し違うこともある。そして、編集の段階で、また考えが変わることがある。作品にとって何がいいのかを考え、どんなに気に行っていても捨てる勇気が必要なことがある。一つのやり方に凝り固まっていてはいけない...。
撮影の木村大作、録音の紅谷と並び称される映画づくりの巨匠の一人について、じっくり学ぶことができました。ああ、また早くいい映画をみたい...。
(2022年2月刊。税込2970円)
2022年7月11日
生きがい
(霧山昴)
著者 茂木 健一郎 、 出版 新潮文庫
なんと、あの茂木センセイが英語で描いた本の翻訳本なのです。おどろきました。
茂木(もてぎ、ではなく、もぎ)センセイは東大の理学部と法学部を卒業したあと、今や脳科学者として有名ですよね。英語で本を書くのは、長年の課題だったそうです。
私もフランス語を長く学んでいて、『悪童日記』(アゴタ・クリストフ)を読み、それに触発されて、フランス語で本を書いてみたいなどと、恥ずかしながら、だいそれたことを夢想したことがありました。でも、それより前に、日本語で本格的な小説を書くのが先決だと思い直して、現在に至っています。
この本は2017年9月にロンドンで出版され、31ヶ国、28言語で出版されたとのこと。ああ、うらやましい...。
「生き甲斐」には、大切な5本柱がある。その一、小さく始める。その二、自分を解放する。その三、持続可能にするために調和する。その四、小さな喜びをもつ。その五、今、ここにいる。
生き甲斐をもつためには、固定観念を捨てて、自分の内なる声に耳を傾ける必要がある。生き甲斐をもつ利点は、強靭(きょうじん)になり、立ち直る力がつくこと。
しあわせになるためには、自分自身を受け入れる必要がある。自分自身を受け入れることは、私たちが人生で直面するなかで、もっとも重要で、難しい課題の一つ。しかし、実は、自分自身を受け入れることは、自分自身のためにやれることのなかでは、もっとも簡単で、単純で、有益なことだ。
生き甲斐とは、生きる喜び、人生の意味を指す日本語。生き方の多様性を賛美している、とても民主的な概念でもある。生き甲斐は健康で、長生きするための精神の持ち主。
「こだわり」とは、自分がやっていることへのプライドの表明だ。「こだわり」の重要なことは、市場原理にもとづいた常識的予測のはるか上を行くところに、自分自身の目標をおくことにある。
はっとする思いで、頁をめくって読みすすめました。
(2022年5月刊。税込572円)
2022年7月 4日
私たちはどこから来て、どこへ行くのか
(霧山昴)
著者 森 達也ほか 、 出版 ちくま文庫
映画監督であり、作家である著者が、各界の理系知識人と対話した本です。
人間の身体は非常によく出来ているように見えるが、実は不合理なものもたくさんある。
クジャクのオスのきらびやかな飾り羽がモテるオスのカギだ。そう思って、その裏付けをとろうとして研究をすすめていった。ところが、鳴き声のほうが正確な指標だということが判明した。うひゃあ、意外でした...。
神経細胞は、増えないまま、少しずつ少なくなっている。少しずつ死んでいって、数が一定数以下になると、神経細胞としての統制が保てなくなる。
深海底にすむチューブワームは3000から4000メートルの海底に生息している。一本のチューブのような身体で海底に根を張っている。でも植物ではない。虫でもない。分類上は動物。ところが、動物なのに口がない。ものを食べない。
チューブワームは、植物のように独立栄養で、デンプンなどをつくる。海底火山から出る硫化水素を使う。酸素と硫化水素からデンプンをつくり、自分たちのエネルギー源としている。
チューブワームの大きさは、最長3メートルもある。硫化水素と酸素の供給が多いところでは、1年で1メートルも大きくなる。極端に少ないところだと、1メートル育つのに1000年かかると推測されている。なので、チューブワームの寿命は数千年という可能性がある。
宇宙の真空とは、文字どおり空っぽで何もないということなのだが、実は、ふつふつとエネルギーが湧いているところでもある。エネルギーがあるというなら、質量もあることになる。この真空のエネルギーが、暗黒エネルギーにつながっていく。暗黒物質(ダーク・マター)は、光学的に観測できる量の400倍もの質量が存在することが判明した。つまり、目には見えないけれど、引っぱっているものがあるはずだ、ということ。
スーパーカミオカンデが1998年に発見したニュートリノ振動現像によって、ニュートリノにも、ごくわずかな重さがあることも判明した。このニュートリノは左巻きに回っていて、反ニュートリノは、右巻きに回っている。
「動画」なんて存在しない。フィルムなら1秒24コマ、ビデオなら1秒30コマの静止画が連続して動くので、これを見た人は「画が動いている」と直感で感知する。
人は自分で思うほど自由に自分の意識をコントロールしていない。人の自由意思は、実のところ、とても脆弱だ。
正解がはっきりしているときには、コンピューターは強い。ところが、囲碁のように、選択肢が無限に近いほど多いので、大きな限界がある。
脳の機能はつぎはぎだらけ。
私たちヒト(人間)が宇宙で宇宙人を見つけたとき、その相手を生物とすら認識できないだろう。宇宙人は、自分たちなりの宇宙の法則をもっていてもおかしくない。
ぐんぐん、私たちの視野を広げていってくれる文庫本でした。
(2020年12月刊。税込1045円)
2022年7月 2日
人類の起源
(霧山昴)
著者 篠田 謙一 、 出版 中公新書
DNA研究がすすみ、今までの通説がひっくり返ってしまったことも珍しくありません。たとえば、ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスと交雑しなかったとされていたのが、今では交雑を繰り返していたことが判明しています(これはDNA研究の成果です。どうして、そう言えるのか門外漢の私には、とんと不明です)。
現生人類(ホモ・サピエンス)がネアンデルタール人の祖先と分岐したのは60万年前のこと。そして、その後も、ネアンデルタールや他の絶滅人類とも交雑していたというのです。DNAを調べたら交雑していることが判明するというのは素人の私にも何となく想像できます。でも、それが何万年前のこと、と時期まで特定できるというのが不思議でなりません。
人類の起源は200万年前。5万年前、ホモ・サピエンス(現代人類)は、いくつかの集団に分かれていた。その一つがネアンデルタール人と交雑し、世界に広がっていった。ところが、現代ヨーロッパ人を形成する集団はネアンデルタール人とほとんど交雑していない。なので、現代ヨーロッパ人は、ネアンデルタール人のもつDNAをわずかしかもっていない。
ネアンデルタール人は、女性が生まれた集団を離れて、異なる集団の中に入っていくという婚姻形態をとっている。これはチンパンジーと同じでしたっけね。ホモ・サピエンスが種として確立したのは、アフリカ。アフリカのどこなのかは、まだ決着ついていない。今のところ、中央アフリカがもっとも可能性が高い。ネアンデルタール人とかクロマニヨン人とか、中学校そして高校でよく学ばされましたよね...。
人類の進化がどんなものだったのか、それを学校でどう子どもたちに教えるのか、教師としての悩みはきっと尽きませんよね。でも、ワクワクする面白さがあります。だって、知らないことを知ることができますからね...。
(2022年3月刊。税込1056円)
2022年6月29日
教育鼎談
(霧山昴)
著者 内田 樹、前川 喜平、寺脇 研 、 出版 ミツイパブリッシング
とても知的刺激に満ちた本です。日本の教育の現状、そしてあるべき姿を深く深く掘り下げていて、大いに考えさせられました。実は、軽く読み飛ばそうと思って車中で読みはじめたのです。ところがどっこいでした。
私が大学に入ったとき(1967年)、授業料は月1000円、寮費(食費は別)も月1000円でした。私は記憶にありませんが、この本によると入学金も4000円だったようです。
教育費用が安いと、子どもたちには進学についての決定権がある。親が子どもの進学にうるさく干渉するのは、教育投資だと思うから。
今の日本の大学生の学力が下がっている最大の理由は、やりたくない勉強をさせられているからだ。それは進学先を自己決定できないから。高校生が自分の貯金をおろせば入学できるほどの学費だったら、子どもたちは自由気ままな進路を選ぶ。
大学教育まで、すべて教育は無償にして、好きな専門を自分で選んでいいよ。たとえ選び間違えても、何度でもやり直しができる。だって、無償なんだから。こんな環境を整えてあげることが大切だ。教育をみんなに受けさせるのは、それが社会のためになるから。
いやあ、まったく同感です。ハコやモノより、大切にすべきなのはヒト、ヒトなんですよね。今の日本の自民・公明政権には、まったく、それがありません。
人殺しをいかに効率よくするか、そんな軍事予算は惜しみなくつぎこんでいるのに、人を助ける方にはまったく目が向いていません。これを逆にすべきです。
教育を投資だと考えている親に対して子どもたちは復讐する。それは、親の期待を裏切ること。それを無意識のうちにやっている。ただし、疚(やま)しさ、罪悪感は心の底にある。
うむむ、これは、なんという鋭い指摘でしょうか...。この指摘を読んだだけでも、本書を読んで良かったと思いました。もちろん、それだけではありません。
教育というのは、学生たちの中で「学び」の意欲が起動すれば、それでいいのだ。
学生たちの「学び」が起動するのを阻害しているのは、実は学生たち自身がもつ知的なこわばり。
自分の能力の限度を勝手に設定して、自分にはそれ以上のことができるはずがないと思い込んでいる。
この自己限定の「ロックを解除する」というのが、教師の仕事だ。何がきっかけになって、学生がその気になるのかは、誰にも予見できない。
この指摘を受けて、私は大学1年生のとき、セツルメントの夏合宿で先輩セツラーが世の中の物の見方を語ったとき、ガーンとしびれたことを思い出しました。ああ、そんな見方をしたら、世の中はもっと見えてくるものがあるんだなと思い至り、必死でノートに先輩のコトバを書きしるしました。
いろいろプログラムを組むのは、そのうちのどれかがヒットするだろうという経験則にもとづく。そして、一時的に集中的にやったら、ゆっくり休む。その繰り返し。
セツルメントの夏合宿は、昼はハイキングをして、草原で男女混合の手つなぎ鬼をして楽しんでいました。夜は、みんなでグループ分けしてじっくり話し込むのです。
教育現場は、もっと「だらだら」したほうがいい。
「ゆとり教育」は失敗だったとさんざん言われたけれど、「失敗」の証拠も論拠も、どこにもない。いやあ、そうなんですね。たしかに、今の教員はペーパーの報告事項が多すぎますよね。
「不登校」は本人にとっても親にとっても困ったこと。社会性の獲得は必要なこと。それができないのは不幸なこと。本当にそう思います。
教員の考え方ややり方がてんでばらばら、できるだけ散らばっているほうがいい。そのほうが、子どもにとって、「取りつく島」があるから。教師にも生徒にも、いろんな人間がいるから学校は面白くなる。
子どもたちにとって、学校に来る動機づけ(インセンティブ)は、できるだけ多種多様であるほうがいい。本当に、そのとおりですよね。
私は市立小・中学校、県立高校、そして国立大学と、公立学校ばかりで、私立学校には行っていません。市立小・中学校には、それこそ多様な生徒がいました。つまり、「不良」もたくさんいたのです。でも、そんな生徒が身近にいたので、「免疫」も多少は身についたような気もします。
今は「大検」(大学入学資格検定)はなく、「高認」(高校卒業程度認定試験)がある。
この本には、22歳で高認に合格し、30歳で司法試験に合格して、弁護士として議員になった女性(五十嵐えり氏)が紹介されています。
大阪の維新(松井―吉村ライン)は、コロナ禍対策でひどい過ち(イソジン・雨ガッパ)をして、全国トップレベルの死亡率でしたが、教育分野でもひどい差別・選別教育をすすめています。かの森友学園も、維新政治の闇にかかわっているとこの本で指摘されています。
にもかかわらず、維新の恐ろしい正体がマスコミによってスルーされ、幻想がふりまかれて参院選を乗り切ろうとしています。日本の将来が心配です。
生きることは働くことと学ぶことだと寺脇研は強調しています。それをみんなが理解して支えあう、心豊かな社会にしたいものです。250頁の本ですが、久しぶりにずっしりと読みごたえの本に出会ったという気がしました。
発行は、旭川市の小さな出版社のようです。引き続きがんばって下さいね。いい本をありがとうございました。
(2022年4月刊。税込1980円)