弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
人間
2023年2月 7日
聞く技術、聞いてもらう技術
(霧山昴)
著者 東畑 開人 、 出版 ちくま新書
いま売れている話題の本だけあって、とても実践的な本です。すぐにでも生かせる「技術」が盛りだくさん紹介されています。
話を聞くには眉毛が大事、つまり話を聞くためには、反応がオーバーであったほうがいい。
聞くために必要なのは、沈黙。黙って、間(ま)をつくる。そして、返事は遅く、5秒間待つ。7つの相槌をうつと、話が聞かれている感じを与える。うーん、ふーん、なるほど、そっか、まじか、だね、たしかに。
ぼくらの社会に今もっとも欠けているのは、「聞く」こと。
うまくいっているときには存在を忘れられ、うまくいかなかったときだけ存在が思い出される。それが、「環境としての母親」。
心の中で一人ポツンといるためには、外の現実で手厚く守られている必要がある。それは、電車の中で本を読んでいるみたいな感じ。本当は周囲に人がいるけれど、それでも一人でいられる。孤独の前提は、安定した現実。
安心というのは、予想外のことが起きないという感覚のこと。日々の生活で予想と同じことが起きる。変なことをしても誰もこない。
いじめが深刻に心にダメージを与えるのは、この反対。今日、学校に行って、何が起きるか予想もつかない。これはとても恐ろしいこと。この指摘は私にもぴったり、よく分かります。
信頼とは、時間の経過によってしか形づくられないもの。
誰にでも、複数の心がある。ぼくらの中には相矛盾した気持ちが両方あって、それらが押したり引いたりしながら、日々の暮らしが営まれている。だから、その人の心を見ることは、同じ人の中で複数の心が綱引きをしているところを見ること。
完全に理解したわけではありませんが、なんとなく、よく分かる指摘です。
年齢(とし)をとると、良いこともある。何より、少しだけ他者のことを理解しやすくなること。
カウンセラーの仕事は、通訳。誰かが話を聞いてくれて、「そりゃあ、ひどい」とか、「よく耐えられるね」という返しがあると、ほっとする。
(2022年12月刊。税込946円)
2023年2月 3日
脚本力
(霧山昴)
著者 倉本 聰 、 出版 幻冬舎新書
脚本家としてプロデューサーと会って話をして、創作本能が揺さぶられるようなら受ける。そうでないなら、断る。実に単純明快。
長所が見えただけでは、その人を理解したってことにはならない。欠点が見えないと、面白くない。欠点をきちんと書いてやれば、必ずそれが個性になって出てくる。本人も気がついてはいるけれど、困りはてている欠点、隠しきれなくて困っている欠点、それがつかめたら、もうしめたもの。
テーマとモチーフは違う。テーマは主題で、モチーフは創作の基礎になる着想ないし題材。テーマは、作者の伝えたい「核」。自分が本当に書きたいもの。つまりテーマを、相手の持ち出したモチーフの中に忍び込ませる。
ある原作にもとづいて脚本をつくるとき、原作は全部読まず、読むのは最初の3頁くらいで、あとは誰かに読んでもらって、粗筋(アラスジ)を教えてもらう。そうすると、原作にとらわれずに脚本が書ける。
なーるほど、そんな手もあるのですね...。
脚本の中で人物をつくりあげるとき、三つの要素から人物をつくっていく。その一は、モデルとして実在の人物を見る。その二は、それを演じる役者。その三は、自分の創作。この三つを登場人物によって比率を変えていく。
ふむふむ、なるほど、なるほど、です...。
登場人物の名前は大切。まず書きやすいこと。簡単に、どこかでてごろな名前を拾ってきてはいけない。名前は、人物に色を塗ったり、色を足すものだったりするので、大事だ。
ドラマでは、意外性というのも大切。
チャップリンは、こう言った。
「世の中のことは、近くで(アップで)見ると、全部が悲劇だ。しかし、遠く離れて(ロングで)見ると喜劇だ」
まさに、それが世の中なんですよね。
創作というコトバがある。しかし、創と作は違うもの。作は、知識とお金を使って、前例にならって行うこと。創のほうは、前例のないものを、知識ではなくて知恵によって生み出すこと。
創の仕事をしていると、楽しい。創るというのは生きること。だけど、遊んでいないと創れない。同時に、創るというのは狂うこのでもある。遊ぶというのは楽しむこと。つまり、自分が楽しむこと。狂うっていうのは熱中するということ。
私も創作の創のほうに目下、挑戦中です。乞う、ご期待なのですが、どうなりますやら...。
(2022年9月刊。税込1034円)
2023年1月19日
僕らが学校に行く理由
(霧山昴)
著者 渋谷 敦志 、 出版 ポプラ社
いま、日本では少年の非行事件が激減しています。かつては毎日のように深夜に爆音を聞かされていましたが、暴走族という現象も見られなくなりました。子どもたちは、まるで去勢されたかのように家に閉じこもり、ゲームに終始しています。不登校、ひきこもりが日本社会の重大な病理現象の一つという状況が続いているのです。
ところが、世界中を見渡すと、大勢の子どもたちが学校に行きたくてもいけないという状況がありふれています。戦争、そして貧困が原因です。
世界中には、就学年齢に達しているにもかかわらず、小学校に通っていない子どもが5900万人もいる。アフリカでは、サハラ砂漠より南の国の子どもの5人に1人は学校に通っていない。たとえば、南スーダン共和国の識字率は30%未満。国民も70%以上が適切な教育を受ける機会を奪われている。この国では内戦によって、16万人以上が国内避難民となり、220万人以上が隣国に逃れて難民生活を余儀なくされている。
バングラデシュでは、国民の7割近くが農村に住んでいる。そのほとんどが自分の土地を持っていない貧困家庭。子どもたちは自ら働きはじめる。5歳や7歳から働いている。それは学校にいけないことを意味する。
カンボジアでは、親から暴力を振るわれたりして、子どもたちがストリート・チルドレンになる。周囲の人間に対して強い不信感をもち、反抗的で暴力的なところがある。そして、人身売買の対象になっていく。
アフリカのウガンダには日本の「あしなが育英会」が開設した「テラコヤ」がある。エイズなどで親を喪った遺児を支援して教育の機会を提供するもの。ウガンダでは、子どもの教育にお金がかかるので、そこを埋めようとする取り組みだ。日本政府はハコモノづくりよりも、こんな援助にこそ、もっと力を入れるべきだと私は思います。
ウガンダで学校を途中で辞めざるをえなくなった少女シャロンは、自分の夢を語った。
「私の夢はいつかまた学校に行って勉強をやり直すこと。そして、将来、医者になって家族を助けたい」
岸田首相は、軍事予算を増やすことしか頭にないようですが、もっと人間を大切にする政策にお金を使ってください。
バングラデシュで大洪水によって被災した少女マクーシャはこう言った。
「将来は、先生になって家族を助けたい。村の子どもたちに勉強を教えたい。そのためにも勉強をがんばりたい」
日本の子どもたちも、社会に大きく目を開いて、自分の存在を社会と結びつけて考えられるようになれば、すすんで学校に行きたいと思うようになることでしょう。
カネ、カネ。万事がカネ。そして、ガンジ・ガラメの校則。もうこんなのはやめましょうよ。もっと伸びのび、ハツラツと子どもたちが生きられる温かい社会を目ざしましょう。
目がキラキラ輝いている素敵な子どもたちの、いい写真をたくさん、ありがとうございました。
(2022年8月刊。税込2420円)
2023年1月17日
吉野源三郎の生涯
(霧山昴)
著者 岩倉 博 、 出版 花伝社
『君たちはどう生きるか』は、最近読みましたが、本当によくよく考えさせてくれる、いい本です。そして、驚くべきことに、この初版本は戦前に刊行されているのですよね。すごいことです。
「日本少国民文庫」の編集主任をしていた吉野は、最終巻を書くはずの山本有三(『路傍の石』の著者)が病気のため書けなくなったので、その代わりに吉野が書くことになった。
吉野は1936年11月、執筆に取りかかった。1936年といったら、2、26事件が起きて、日本がキナ臭い雰囲気にあったころのことですね。
教育・文化の軍国主義化が進むなか、ナポレオン的武勇が賛美され、人間らしさや人類の進歩をいう視点が子どもたちには欠けている。感受性が柔軟で、価値感情が汚れていないうちに、多様な価値意識の必要性、人間の素晴らしさ、人間らしい価値を伝えたい。少年たちの日常的で平凡な事柄を手がかりに、それらの思索を推し進めていくような方法を...。
1937年5月に吉野は書き終わり、7月に刊行された。この本を読んで、丸山真男は感動し、常盤炭鉱の労働者たちは読者会のテーマ本とした。これって、すごいことですよね。
最近でたマンガ本もよく出来ています。感心しました。
1936年から37年に書かれた本というより、現代日本の世相にぴったりマッチする本。現代に生きる本です。
吉野源三郎は1922年4月に東大経済学部に入学し、大正デモクラシーの洗礼を受けています。東大には新人会という社会科学やマルクス主義に関心を寄せる学生たちのグループがありました。そのなかに吉野もいたのです。そして吉野は、経済学部から文学部哲学科に移りました。
当時は徴兵制がありました。吉野は甲種合格なので、3年は兵役に就かなければいけません。そこで、1年志願制で兵役に就いたのです。いやあ、私は徴兵制のない時代に生きて、本当に良かったと思います。吉野は陸軍砲兵少尉でした。
そして、マルクス主義に近づき、実践活動に誘われたのです。治安維持法にひっかかって、3回も逮捕されていますが、少尉階級の在郷軍人なので、普通裁判ではなく、軍法会議にかけられました。このとき、吉野は自殺未遂もしています。
結局、吉野は岩波書店に入社しますが、岩波茂雄は「治安維持法のおかげで、優秀な人間を獲得できた」と喜んだとのこと。うむむ、そういう表現もできるのですね。
そして、1938年に、吉野は岩波書店から、居間に続く岩波新書(赤版)を発刊したのでした。
岩波新書には、私も大変勉強させてもらいました。モノカキを自称する私も、一度は岩波新書レベルの本を書きたいものだと夢見ています。
1938年11月に、岩波新書として20冊が同時発売されたというのですから、たいしたものです。
戦後、岩波新書(青版)が再刊された。定価は70~100円。1万3千部から1万8千部の発行部数。私も大学に入ってから、むさぼるように読みました。駒場寮で読書会もしました。
戦後、吉野は憲法改正反対、ベトナム戦争に反対、核兵器なくせ、などの実践課題に深く関わった。
東大全共闘の代表になった山本義隆は吉野の娘の家庭教師をしていた。しかし、吉野は全共闘の暴力主義路線には一貫して批判的だった。これには私も関わっていますので断言できますが、全共闘の本質は暴力賛美にあります。全共闘を今なお持ち上げようとする人が少なくありませんが、私は本当に無責任だと思います。これって、ロシアの戦争を手放しで肯定するのと同じことなんです。なにしろ、「敵は殺せ」を公然と掲げていたのが全共闘なのですから。そして、全共闘は内ゲバによって、何十人という人が殺され、傷ついたという現実をぜひ直視してほしいと思います。
吉野源三郎の生き方をたどることのできる本でした。
(2022年5月刊。税込2200円)
2023年1月15日
歌集・空白地帯
(霧山昴)
著者 柳 重雄 、 出版 現代短歌社
私と同じ団塊世代の、埼玉で今も弁護士として活躍している著者による短歌集。
著者は高校・大学と短歌をたしなんでいましたが、司法試験を経て弁護士活動のなかで短歌とは遠ざかっていたとのこと。ところが、2017年に奥様が亡くなられて、初心を思い出して短歌の道に邁進して、今回の歌集にたどり着いたそうです。
私には短歌の良さがよく分かりませんが、私の心にヒットしたものを少し紹介してみます。
まずは、高校生のときから大学生初めのころまでの作品です。
雫(しずく)這う ガラスの外は 今宵のあめ 受話器にきみの声 明るくて
きみを乗せ 雨の夕べに 動き出す 列車のあとに来る 悲しみは
薄闇に 木々の塊 くろぐろと 己に迫る 底深きもの
頬に五月のひかり 射せども 林立するゲバ棒の前に たじろぐ思索
これらは初恋の思ひ出、そして学園闘争の渦中での心象風景だと思いました。
続いては、今は亡き奥様を偲んでいる短歌です。著者の長女がフランスはパリに留学していて、奥様と何回も訪問したとのこと。その楽しい思い出が何回となく思い出されています。
セーヌ川 の風さわやかに パリの街 暮れつつ灯(あかり)が ともり始めて
オペラ座の 大通り行く この夕べ 妻と腕組み パリジャンとなる
カルカッソンヌの 町を囲める 城壁を 妻と歩めり 風に吹かれて
著者と同じく、私もフランスには何回も行きました。ロワールの城めぐり、モン・サン・ミッシェル、リヨン、カルカッソンヌ、トゥールーズなど、行ったことのある町の風情を思い出します。
そして亡き奥様を思い出す思いの哀切さ...。
君を恋う 最もリアルな 感情を 詠(うた)いえたるは 君逝きし時
背広着て スーパーに菜(さい) 買うときに ふいにこみあげ きたる悲しみ
灯明の 炎の中に 君がいる そう思いつつ 君と会話す
たたなずく 雲の向こうに 君はいて メールの返信 返ってきそう
長年の知己である著者から贈呈していただきました。お互い、健康に留意して、もう少し現役の弁護士としてがんばりましょうね。
(2022年12月刊。税込2750円)
2023年1月14日
裸で泳ぐ
(霧山昴)
著者 伊藤 詩織 、 出版 岩波書店
レイプ犯(今も臆面もなく表通りを歩いているジャーナリストの山口敬之氏)が逮捕される寸前で、中村格という幹部警察官(ついに警察庁長官にのぼりつめたものの、安倍銃撃事件で引責辞任を余儀なくされた)がストップをかけたというのを忘れるわけにはいきません。
そして、その被害者がどんな心境に置かれるのかが赤裸々につづられている本です。
レイプの被害者が実名を出し、マスコミに顔をさらすと、70万件ものネットの書き込みがあった。そのうち名誉毀損的なものは3万件、グレーなものも5万件あった。いやあ、大変な数ですね。私の想像を絶します。いったい、この書評をどれほどの人が読んでいるのか、ときに知りたいと思います。少し前に聞いたときは、1日に300件ほど、ということでした。
なので、今でも、著者は自分へのネットは自分では開けず、スタッフに開いてもらっているとのこと。
そして、交際していた彼も、ネットのほうを信じて、「本当のことを聞きたい」と著者を問いつめたとのこと...。いやはや、ネットの恐ろしさといったら、すごいものなんですね。
この痛みと苦しみを鎮めてくれる薬など存在しない。周りから、時間が解決してくれる、時間がたてば痛みが和らぐからと言われることに、うんざりした。いったい、どれくらいの時間を彼らは言っていたのだろう。おばあちゃんになったら...?元「慰安婦」のハルモニは、苦しみは死ぬまで終わらないと言っている...。
モンスターは、心の中に潜んでいて、内側から私を引き裂こうとする。私はモンスターじゃない。でも私は、心の中のモンスターとは、もう引き離されることがない。それは私の一部になっていて、自分自身の一体感を感じられないことが、モンスターのせいにされている。
でも、私は思う。私の中には、もともとモンスターが住んでいたんだと。たぶん、モンスターは、誰の心の中にも潜んでいる。大きくなると、自分でコントロールすることが難しく、心を内側から引き裂いていくんだ。
著者は高校のときからアメリカ留学したりして、英語のスピーチのほうが日本語より、よほど言いたいいことが言えるとのこと。すごいですね。そして、あふれんばかりの好奇心と行動力、そして何より鋭敏な感受性に心を打たれました。
著者の肩書は映像ジャーナリストとのこと。残念ながら、その映像を見たことはありません。
(2022年10月刊。税込1760円)
2022年12月24日
狩女のすすめ
(霧山昴)
著者 ジビエ ふじこ 、 出版 緑書房
いやあ、すごい女性(ひと)です。読んでいると、なんだか愉快になって、笑いとともに元気が出てきます。ユーチューブ「ジビエふじこチャンネル」も一度のぞいてみることにしましょう。
「バツ女、シングルマザー、女猟師」というのは、本人が売り出しているキャッチコピー。40歳にして狩猟そしてジビエの世界に出会い、45歳にしてママになったのです。いやはや、すごーい。
著者は1回目の離婚のあと、母親(離婚経験者)から「男性を見る目を養いなさい」と言われて、店をもたされてラウンジを始めたとのこと。これまた、すごい母親です。たしかにラウンジで働いたら、男性を見る目は肥えてくることでしょう。
そして、著者はいくつもの職歴があります。教育教材の営業、喫茶店、革細工教室、ブライダルで司会業もつとめています。だから人前で話すのは苦にならないのでしょう。マスコミの取材にも対応できた(ている)のですから、偉いです。
2014年に狩猟免許もとりました。「狩女の会」を2016年に立ち上げるとロイター通信から取材を受け、マスコミに登場。やがて、首相官邸にも出かけて会議メンバーとして大胆に発言。並の人にはマネできませんよね...。
今は猟師ですが、著者も、かつては、虫が苦手で、運動も苦手、魚をさばくのも吐き気がして無理だったとのこと。まさしく、ウッソー、です。
イノシシ肉を著者は敬遠しています。というのも、豚熱ウィルスが流行したため、その免疫をもたせるため、ワクチン入りの餌(エサ)を野外散布しているため、ワクチンをとったイノシシばかりなので、食べる気がしないそうです。知りませんでしたよね、こんな事情があるなんて...。
クマの肉は山菜と非常にあう。秋クマは冬眠前に栄養をたくわえるので、赤身より脂のほうが多くなるが、この脂はどんなに食べても胸やけがしない。脂ののったクマ肉は本当に甘くて、日本酒にも白飯にもよく合う。筋肉質のクマ肉はとくに歯ごたえが強いので、なるべく小さく薄切りにする。
クマ肉は高級品。100グラムで1000円以上もする。そのかわり10日間連続して食べても飽きない味。クマ肉のもっとも美味しい食べ方は、すき焼き。牛肉より極上。
シカ肉は、たまらない甘みがある。そのためには、じっくり低温調理する。
猟師はキツネやタヌキは食べない。食べると祟られるから。
ジビエ肉は、かめばかむほど、甘みがギューとしみ出てくる。
猟師として狩って、解体して、調理して、販売する。そして、ジビエの肉も皮もムダなく利用させてもらう。
山の中に入って長く待機させられるわけです。すごい辛抱ですよね。私にはとても出来そうもありません。でも牛肉より極上というクマ肉のすき焼きは一度ぜひ味わってみたいと思いました。
(2022年11月刊。税込1870円)
2022年12月19日
心はこうして創られる
(霧山昴)
著者 ニック・チェイター 、 出版 講談社選書メチエ
速読とは、単なる飛ばし読みである。一行とか一段落とかの文章を脳が丸ごと取り込むことはありえない。人が見ることのできるのは、大まかに言って、一度に一単語だ。
視線は1秒間に平均して3回か4回、ジャンプしている。視覚入力とは、途切れのない流れではなく、周囲の後継や本のページを操った「スナップ写真」の連なりなのだ。眼球は決して滑らかには動かない。
私は、今年は単行本の読書が12月初めに400冊を超えました(この読書記は1日1冊ですから年に365冊です)。年末までに430冊までは到達できないでしょう。ともかく、コロナ禍のせいで、電車に乗る機会が減りました。裁判もインターネット画面上になって、味気なくなりました。
心そのものが不可能物体である。心が確固たる存在に感じられるのは、表面的な見せかけでしかない。浮かんでは消えていく意識の流れの内容以外、心には何もない。自分の農に騙されているのが、私たちだ。
人間には、物体としての整然とした形をもたないバラバラなものをひとまとめにする能力がある。
人間が素晴らしく賢いのは、単純な計算を猛烈にこなすからではない。それはシリコンの行う計算法だ。脳がする計算は、ニューロンという処理単位が数多く結合した協働の結果なのだ。1個1個のニューロンは遅いけれど、脳のなかの各ネットワークや各主要領域が、多数のニューロンの協調的な活動のパターンを産み出す。
従来型コンピューターと脳とを同類のものであるかのように比較するのは、大きな誤解。
ニューロンという、のろまな計算ユニットは、問題を無数の小さな欠片へと分割し、高密度に相互接続されたネットワークの全体で暫定的な解答の数々を同時並行的に共有する。脳が用いているのは、多数のニューロンから成る広大なネットワークの協働的な計算だ。
作業を休みなく続ける人に比べて、休憩後に再開した人は急に成績が向上する。休憩すると、心機一転、すっきりとした頭でのぞむ。このほうが成功の見込みがある。
ハンズフリー電話で会話しながら、両手で運転したとしても、同じくらい危険だ。会話の流れと、運転の流れは、思った以上に深刻に邪魔しあう。実は、同乗者との会話にも、多くの危険がある。
無意識とは、ヒトの緩慢で意識的な経験を創り出し、支えているところの神経活動のきわめて複雑なパターンなのだ。
チェスの名人たちは、長い経験を通じて、駒の配置の意味をすらすらと見てとらえられる。それをできるのは目の前の盤面を、過去数千時間に及ぶ試合経験から得た駒配置の記憶の痕跡とを結びつけるから。
知覚と記憶とは、複雑にからみあっている。
想像の飛躍という驚くべき能力は、大きな飛躍も小さな飛躍も、やみくもな反復から自由にしてくれる。
誰もが過去を手引きとし、過去に形づくられた一つの伝統なのだ。
私たちは、改善、調整、再解釈そして大規模な改革をする能力がある。
現在を意図的に変えることができる限り、そこには未来を変える希望がある。人間の脳は、すばらしく敏感に顔に反応する。
脳は、倦(う)むことなき迫真の即興家であり、一瞬また一瞬と心を創り出している。新たな即興は、過去の即興の断片から組み立てられる。
人間と、脳と、心について考え直すヒントが満載の本でした。
(2022年10月刊。税込2145円)
2022年12月18日
『男はつらいよ』、もう一つのルーツ
(霧山昴)
著者 吉村 英夫 、 出版 大月書店
50本もの映画シリーズ『男はつらいよ』のルーツに、実はフランス映画のマルセル・パニョルの戯曲『ファニー』があったという本です。著者は、山田洋次監督の映画すべてを研究している人です。私にとって、マルセル・パニョルは、映画『愛と宿命の泉』とか、南フランスを舞台とする映画(名前をド忘れしました)の原作者という存在なのですが...。
山田洋次監督の次の言葉には共感を覚えます。
「楽観主義が物事を動かしていくこともある。絶望するのは簡単。むしろ楽観するのは大変なこと。でも、楽観しなければ人間は生きていけない。なんとかなるさという思いがなければ困難な状況を変えていく努力もできない」
映画『男はつらいよ』は、笑って泣いて楽しさを堪能する映画。
私にとって、『男はつらいよ』は、大学生のときからずっと見続けてきた身近な映画です。ところが、若い人たちと話すと、実はみたことがないという人も少なくないのです。唖然とします。どうして、こんないい映画をみないのかな・・・と、寂しい思いがします。
今や世界の映画史にも残る大監督というべき山田洋次監督にも、実は、気持ちが折れそうになる若い修行時代があったというのです。まあ、そういう時期もあったのでしょうね、とても想像できませんが...。
山田洋次は、民衆の生活を誠実に暖かく描く、民衆派でありたいとする心情(信条)だ。
『男はつらいよ』で描かれる放浪と定着とは、盾の裏表であり、合わせて一つの関係。定着することを基本とすることと、何かを求めて放浪することという相反する力、あるいは両者をともに求める気持ちは、人間の中に内在する本能なのだろう。両者には互いに自分にはないものがあって、それぞれに優位的、同時に劣位的側面をもつがゆえに、両者は憧れあう関係にあることができるのではないか。
山田洋次は次のようにも言っている。
「悲しいことを笑いながら語るのは、とても困難なこと。でも、この住み辛い世の中にあっては、笑い話の形を借りてしか伝えられない真実というものがある」
いやあ、世の中の真実、そして社会の奥深くにうごめいている生きようとする人々の力、そんな気持ちを引き出して映像にするなんて、実にすばらしいことだと私は思います。
最後に、フランス人のクロード・ルブランという人が、フランス語で「山田洋次から見た日本」という本を刊行したそうです。フランス語を長く勉強している私ですが、原書ではなく、日本語で読みたいです。また、現在、パリにある「日本文化会館」では『男はつらいよ』全50作が来年(2023年)まで1年半かけ上映中とのこと。いやあ、これまた、すごいことですよね...。
(2022年10月刊。税込2860円)
2022年12月10日
ぼくらは人間修行中
(霧山昴)
著者 二宮 敦人 、 出版 新潮社
子育ての悩みも一瞬忘れてしまいそうになる本です。赤ちゃん、そして幼児のときの子どもたちの生態がよくとらえられ、それが見事に文章化されています。
子どもってのは、もぞこい。もぞこいは東北の方言。哀れだ、無残だ、不憫(ふびん)だという意味。親の愛は慈悲の愛。
私の近辺では、むそがるとか、むぞかね、って言います。これは可愛いだと思います。
子どもはたいしたもの。あれだけ高熱だったのに、けろりと治った。すると、うれしそうに走り回り、キャッキャッと笑っている。そして、大人が相手にしてくれないとみると、居間や台所を荒らしはじめる。水をこぼしたり、調味料の瓶を放り出したり、コンセントをいじったり...。
ホント、子どもって、いっときもじっとしていません。だから目が離せないのです。マンションの上層階のベランダからの転落死亡事故が相次いでいますけど、ベランダに出て、イスを運んできて、その上に乗って、身を乗り出して外を眺めようとしたのでしょうね、きっと...。
転んで痛がったときは、本気で号泣する。しかしご飯だからといってテレビを消されたときには、口だけで、泣いてみせる。それっぽい声だけど、涙は出ていないし、明らかに勢いが弱い。いわゆる「ウソ泣き」だ。ウソ泣きしながら、ときどき薄目を開けて、親の反応をうかがう。効果がないとみるや、無理やりテンションを上げて泣き、やがて本気泣きへの移行に成功することもある。テンションが上がりきらないときには、途中でぴたりと泣き止んでしまう。そして、「さっきの見たかった。お父さん、しないでほしかった」と寂しそうに言う。
子どもって、本当に天性の役者なんですよね...。
初めてのコトバはパパかママか...。実は、「やーんだ!」でした。「嫌だ」なんです。
自分のおならでびっくりして、あたりをきょろきょろ見回す。お風呂場でおしっこをしながら、「なんか出てきたんだが、何コレ」と不審げに股間をつまみ、親の顔色をうかがう。
よくぞ観察記を文章化したものです。面白かったです。
(2022年7月刊。税込1595円)