弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2024年6月16日

スピノザの診察室


(霧山昴)
著者 夏川 草介 、 出版 水鈴社

 現職の医師による心温まる医療小説です。電車のなかで一気読みしてしまいましたが、読み終えたあと、胸のうちに爽やかな温かい風が吹き抜けていく気がしました。
 いったい「スピノザ」って何だろうと思っていると、医療行為をめぐる哲学問答が展開されるのです。それがまた、妙にしっくり来るのです。そこで、タイトルにも違和感がありません。
 主人公は京都の下町の小さな病院に勤める医師です。お酒は飲まず(飲めず?)、甘いものに目がありません。虎屋の羊かんをはじめ、京都の有名な甘い物が何度も登場してきます。ついでに伊勢の赤福とともに大宰府の梅ヶ枝餅まで紹介されるのは愛敬です。
 「お前さんが、教授や学長を目ざしているバリバリの野心家だとは思っていない。だけど、いい仕事はしたいと思っているはずだ。どうせやるなら、一流の仕事をな。野心はなくても矜持(きょうじ)はあるだろ?」
 私も弁護士として、「一流の仕事」をしようとは思っていませんが、誇りを持って仕事を続けたいとは常日頃から考えています。
 「薬をうまく使えば、最後の時間も楽に過ごせるという考えは、まだまだ幻想にすぎない」
 「この病院の患者の多くは病気は治すことがゴールではない。ガンの終末期や老衰の患者に寄り添うだけ。結局、死亡診断書を書くのがゴールになってしまう」
 「患者の顔が見えることは、共感するということ。共感するのは心にはなかなかの重労働。悲しみや苦しみに共感するには、十分な注意が必要。度が過ぎると、心の器にヒビが入ることがある。ヒビではなく、割れてしまったら、簡単には元に戻らない」
 「病気が治るのが幸福だと考えると、どうしても行き詰ってしまう。病気が治らなかったら不幸なままなのか・・・。治らない病気の人、余命が限られている人が幸せに日々を過ごすことはできないのか・・・」
 「世界には、どうにもならないことが山のようにあふれている。それでも、できることはあるんだ」
 「人は無力な存在だから、互いに手を取りあわないと、たちまち無慈悲な世界に飲み込まれてしまう。手を取りあっても、世界を変えられるわけではないけれど、少しだけ景色は変わる」
 医師でなければとても描けない「手術」の様子が詳細に書き込まれていて、ぐぐっと手術室の世界に引きずり込まれてしまいます。そのうえ、深遠な問答が展開されるのですから「本屋大賞第4位」にも、なるほどと思ったことでした。
(2024年5月刊。1700円+税)

2024年5月30日

数学の苦手が好きに変わるとき


(霧山昴)
著者 芳沢 光雄 、 出版 ちくまプリマー新書

 はて?と不思議だと思うこと、これが科学の芽だというのはノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎博士の名言。
 著者は45年間ものあいだ、10の大学で教え、1万5千人の大学生に対して楽しく数学を教えてきました。このほか小・中・高校生の1万5千人にも数学の話をしてきたそうです。そんな経験をふまえた楽しく役に立つ小話が盛り沢山です。
 私は高校2年生の終わりに理系から文系に志望を変更しました。数学のひらめきが自分には欠けていると自覚したからです。それでも高校3年の数Ⅲまではしっかり勉強しました(すっかり忘れてしまったので、中学数学を勉強しなおしたこともあります)。
 この本では、数学を楽しく学べる話がいくつも紹介されています。
 たとえば、宇宙飛行士の宇宙遊泳の姿は、ネコが高いところから落ちるときの態勢の変化を参考として編み出されたもの。ネコはビルの50階(地上から250メートルの高さ)から落ちても助かることがある。空気抵抗を最大限に利用して、落下速度が一定以上は大きくならないようにしている。
人間の「じゃんけん」は、一般的にはグーが最多で、チョキが最少、パーはその中ごろに...。なので、じゃんけんは、一般論として、パーを出すのが有利だということ。学生たちが自ら実験して得たデータなので、確実です。
1000ミリが入るはずの牛乳パックは底辺が7センチで高さ19.5センチなので体積を計算すると、955.5センチ立法メートルしかない。すると、この差44リットルはどこに消えたのか...。その答えは、なんと、牛乳パックは、横にいくらかふくらんでいるから...。なんと、そういうことなんですね。単純な計算どおりではないというわけですね。
列車速度を腕時計ひとつで測る方法があるといいます。いったい、どうやって...。
路線の長さは1本が25メートル。なので1分間に何回鳴くか、カウントすればその列車の進行スピードを把握することができる。なーるほど、ですね。
好きこそモノの上手なれ、ですよね...。数学が好きになったら、苦手意識を克服したら、新しい世界が目の前に広がることは間違いありません。
(2024年1月刊。880円)

2024年5月11日

怪物に出会った日


(霧山昴)
著者 森合 正範 、 出版 講談社

 私はボクシングなるものには全然関心がありませんし、見ようとも思いません。なので、井上尚弥というボクサーが「怪物」とか「モンスター」と呼ばれているなんてこと自体知りませんでした。という私ですが、大学生のころは、マンガ「あしたのジョー」は熱心に読んでいました。寮生活をしていましたので、誰かが買って読んだものがまわってくるのです。ですからタダ読みです。自分で週刊マンガ(「ジャンプ」とか「サンデー」)を買って読んだことはありません。寮にいるかぎり、買う必要がありませんでした。
 「あしたのジョー」は、たしかにカッコ良かったです。「力石徹」という敵役のボクサーと文字どおり死闘をくり広げる最終盤は、次の週が待ち遠しかったです。
 さて、この本は、モンスターの井上尚弥とたたかって負けたボクサーを取材し、なぜ井上尚弥は強いのか、どうして負けたのかを探ったものです。
 敗軍の将、兵を語らずと言いますが、負けたボクサーがどんな試合だったのか、取材に応じて語ってくれるのか、取材の前、大いなる不安がありました。でも、取材してみると、大半のボクサーが自分の生い立ちをふくめて、実に生々しく対井上戦の詳細を語ってくれ、わざわざ取材しにきてくれてありがとうと感謝するのです。これには驚きました。それほど、対井上戦の衝撃は大きかったというわけです。
 この本を読んで、まず第一に驚いたのは、著者がボクシングが好きで、その魅力を広く伝えたいと思って記者になったと明かした記述です。いやあ、世の中は広いですね。ボクシングの魅力を広く世間に知ってもらいたくて記者になったなんていう人が、世の中には存在するのですね...、信じられません。
 後楽園ホールでアルバイトするために大学に入ったというのです。大学に入ったら、好きな格闘技を会場で、生で、ずっと見ていられる。夢のような話を実現するため、急に勉強しだしたのでした。押し入れから中学1年の英語の教科書を探し出して、その日から勉強を始めたのです。そんな人生もあるのですね...。
 井上尚弥と闘った対戦相手はこう思った。
 開始して1分あまりで「動きを読まれている」と体感した。
 井上はすぐに距離感をつかみ、瞬時に相手の動きを見抜く、類いまれな能力がある。井上は、パワー、スピード、距離感、技術、柔軟性、目の良さ、全部すばらしい。でも、一番すごいのは、心だ。格好をつけることもなく自然体。ボクシングで一番大事なことは、気持ちで負けないこと。
 メキシコでボクサーとして成功するためにもっとも必要なものは「規律」。規律を守らなければ、毎日毎日のプロセスを踏めないし、計画どおり進めることができない。すべての土台になるのが規律だ。
 毎日毎日、動きが身体になじむまで繰り返す。強くなるのに秘密や秘訣はない。ただ練習するだけ。
 井上はすごい。本当にしっかり練習している。練習していないと、あのスピードは出ないし、足も使いきれない。地面をけって、そのエネルギーが拳の先まできちんと伝わっている。それを繰り返し、しかも、そのスピードが速い。打つときには最後しっかり拳を握っているので、強いパンチになる。
 うむむ、これってまったくの門外漢にもなんとなく実感で分かりますよね...。
井上尚弥は小学1年生のときにボクシングを始めた。15歳以下の全国大会で優勝。高校生時代は1年生のときに三冠を達成した。いやあ、さすがにすごいですね。
 大切なのは、お金ではない。ボクサーとしてのプライドであり、信念。自分を待ち続けること。リング上で敵と2人だけで対決する。レフェリーは、もちろん何も手助けしてくれない。
 いやあ、ボクサーたちの生き様はすさまじいものがありました。発売して3ヶ月間で、早くも5刷というのも見事です。
(2024年1月刊。1900円+税)

2024年4月15日

眠っている間に体の中で何が起こっているのか


(霧山昴)
著者 西多 昌規 、 出版 草思社

 私は幸いなことに寝つきは良く、夜中に1度か2度、目が覚めてトイレに行くことはよくありますが、それでも再びすぐ眠り込んでしまいます。なので、朝6時にパッチリ目が覚めて起き上がることができます。前は夜12時前に寝るようにしていましたが、最近は1時間早くして夜11時までには寝ています。やっぱり年齢(とし)を取ったせいです(いま75歳)。
 この本を読むと、私たちの体は眠っているあいだも、それぞれの器官は休むことなく機能していることがよく分かります。
 睡眠は、日中にどれだけ元気よく活動しているかの反映でもある。なので、昼間からダラダラと横になっているのは、睡眠が浅くもなるし、あまり良くない。
 睡眠は脳だけでなく、体すべてに影響を支える重要きわまりない生活習慣。
生体リズムが脳にしかないというのは間違い。胃腸や肝臓、心臓、腎臓、皮膚、筋肉など、あらゆる末梢の組織に生体リズム、つまり時計遺伝子がインストールされている。
 朝、光を浴びると、活動のアクセル役である交感神経が活発になる。副腎は、伝わった生体リズムをもとに、表面の副腎皮質からストレスホルモンであるコルチゾルを分泌する。分身の細胞はこのコルチゾルをキャッチして、「朝が来た」と1日の始まりを認識し、脳も体も活動モードに入る。
 交感神経は「日中の自律神経」で、副交感神経は「夜の自律神経」。
ホルモンは、全身いたるところでつくられている。成長ホルモンは、睡眠不足の影響を受けやすい。
寝不足は男性の精力を低下させる。睡眠障害をもつ男性は、健康な睡眠をとっている人と比べて、精子濃度が29%も低い。日本で不妊治療を受けている患者は47万人にのぼるが、日本人の睡眠時間が短いことと無関係ではない。
慢性的な睡眠不足は、サイトカインを活性化させ、人間の体を慢性炎症の状態にする。慢性炎症はがんが生じる可能性がある。
食道や胃・腸などの消化管は、睡眠中に動きがゆっくりになるとはいえ、活動を停止して休んでいるわけではない。1日を通しての胃酸の分泌のピークは、午後10時から午前2時のあいだ。睡眠中の小腸の蠕動(せんどう)は、覚醒時と変わらず、睡眠の深さには関係がない。それに対して、大腸は睡眠中に動きが低下する。睡眠不足や睡眠の質の悪さは、過敏性腸症候群の要因になっている。
睡眠の時間が短い、あるいは質が悪いと、便秘リスクは上がる。便秘の人は、大腸がん、心疾患者、脳卒中を起こしやすい。快便の人のほうが長生きする。私も後者のようになるのを目ざしています。
学習した記憶の整理は、覚醒しているときよりもむしろ睡眠中に行われている。レム睡眠は休息眼球運動を特徴するもの。記憶の固定や整理には、むしろノンレム睡眠のほうが大きく関わっている。
レム睡眠中に大脳皮質で活発な物質交換が行われ、脳はリフレッシュしている。
ノンレム睡眠やレム睡眠中でもモノアミンが機能しないことで、嫌な記憶が定着しないようにしている。ノンレム睡眠のときも、実は夢をかなり見ている。奇妙な内容で、鮮明なイメージや感情を伴う夢らしい夢は、やはりレム睡眠で見られていると考えられている。
 夜勤が多く、睡眠不足になりがちな看護師は骨が弱くなるというデータがある。
 睡眠時間が少なくなると、皮膚の潤(うるお)いがなくなる。人間の皮膚は、睡眠不足の影響をてきめんに受ける。睡眠不足のときに目の下の黒い「クマ」は、目の周りのうっ血、つまり血行不良によって生じる。目の周りの皮膚は体の皮膚の中で、もっとも薄いので、ちょっとした変化でも目立つ。
 睡眠と体の関係のことをしっかり認識することができました。睡眠の大切さをますます痛感します。
(2024年2月刊。2200円)

2024年4月 1日

話術


(霧山昴)
著者 徳川 夢声 、 出版 白楊社

 話す前に、念入りに草稿をつくり、これを十分頭脳に納め込んでおいて、壇に立ったら草稿は見ない。草稿を卓上に置いておくと、とかく草稿に頼りがちになり、自然に朗読調となって、コトバのもつ生命力がぬけてしまうおそれがある。また、視線が常に下へ注がれがちとなって、聴衆の注意力を散漫にしてしまう。
 ただし、統計表など、大きな数字や細かい数字が必要なときは、その数字を小さな紙片に書いておいて、堂々とこれを読む。すると、聴衆は、正確な数字だと思う。あまりにスラスラと大きな数字を言うと、デタラメを言っていると疑われることがある。
私も若いころは話す前に、きちんと原稿をつくっていました。でも、今では基本的につくりません。目の前の聴衆の顔を見ていると、今、ここで、何を話したらいいのか、自然に頭のなかに話す内容が沸き上がってきます。それに従って話すようにしています。
舞台に出る前は食事しない。
 どんなに空腹でも、お菓子を食べるか、サンドイッチを軽く食べるだけにしておく。本格的な食事は、舞台がすんでから。胃袋が満腹になっていると、頭脳が思うように働かなくなる。そうなんですよね。腹3分目くらいにとどめるべきです。
 舞台に上がったら、原則として水は飲まない。ノドがかわいたからといって水を飲むと、かえってかわきが烈しくなり、声を枯らしやすくなってしまう。
 演説をしてノドがかわくというのは、声帯その他の器官が充血して熱くなっているということなのだから、そこへにわかに冷たいものを流し込んだら、いけないに決まっている。せいぜい、ぬるま湯にしておく。飲み出すと習慣になるので、飲まないでしゃべる癖をつけておく。
 演説するときの格好は、ずっとそのままだと、見あきてしまう。そこで、演説の進行にしたがって、適当に形を変えていく。要は、見た目がギコチなくないよう、ごく自然に見えるように心がける。
 童話の読み方がうまくなりたいと思う人は、目の前に子どもが聞いているつもりで、話すように読む。恥ずかしがらずにかなり大きな声で読む。読むというより語る。漫然と読んでもダメ。いろんな想像力を総動員し、神経を働かしながら読むのが肝心。
 司会者が「5分間以内で...」と注意したときには、きっちり5分間で終わること。それを10分間も15分間もしゃべるのは罪悪でしかない。
 5分間というのは非常に短い時間のような気がするが、実のところかなり長い時間である。たいていの話は、5分あれば、まとまるものである。
徳川夢声とは何者か...。
 大正末から昭和の初め、映画館で上映される映画はカラー(総天然色)となっていたが、実は声も音楽も出ない無声映画だった。そこで活動弁士(かつべん)が登場する。その第一人者が徳川夢声。
 活弁は、映画の始まる前、5~10分間で、本日これからの映画のあらましを語る。これを前説(マエセツ)と言った。
 音声の出る、トーキー映画が本格的に日本で上映されはじめたのは、1931(昭和6)年のこと。アメリカ映画「モロッコ」が一番目のトーキー映画。
 野次は黙殺すべし。聞こえてはいるが、いっこうに平気だと見られるようにする。
話し手の眼を見る。眼以外のところを見てはいけない。
 気持ちや感情を眼にこめて相手を見る。そのとき、何かをしながら聞いてはいけない。
 さすが、戦前の著名な活動弁士(カツベン)の語る話術です。大いに参考になりました。
(2003年2月刊。1800円+税)

2024年3月11日

老いの地平線


(霧山昴)
著者 樋口 惠子 、 出版 主婦の友社

 91歳で、今なお元気一杯の著者の本です。
 「91歳、自信をもってボケてます」とためらうことなく言い切る著者の言葉は、読む人に安心感を与え、生きる励ましを恵んでくれます。
 老いは多様。十把一絡(ひとから)げのように思われるけど、本当は、その人が使える残された感覚と能力は非常に個性的。いろいろな老い方がある。
年齢であきらめることはないが、次の6つが大切。①運動、②趣味と好奇心③会話、④食事、⑤睡眠、⑥主観的幸福感、幸せを感じる。
 過去を振り返って懐(なつ)かしさを感じることには、4つの効果がある。①脳の健康を維持し、認知症の進行を抑える。②未来に向かって生きる力をつける。③ストレスを解消し、気分転換を助ける。④主観的幸福感が得られる。
 脳の中では、過去のことを思い出しつつ、同時に未来のことも考えている。
 幸せや楽しさを分かち合う相手がいない社会的孤立は、脳にとっても良くない。
 認知症の予防にはモノを捨てないほうがいいと言われている。私は、これまで、たくさんの本を書庫から取り出し、捨てました。そして、書庫に置いた本はジャンル毎にまとめています(現在進行形です)。すると、意外な掘り出し物に出会うことが多々あります。
 そんな出会いは、それこそ心ときめく瞬間をもたらしてくれます。
 一般に視力よりも早くダメになるのが聴力。本当にそうです。私は、今でも新聞も本も裸眼で読みます。メガネをかけては読めません。ところが耳は遠くなりました。法廷で裁判官が小さな声でボソボソッと言うとほとんど聴きとれません。補聴器は使っていませんが、いいのは60万円もするようです。
 著者は、自分の財布は自分で管理したいと言っていますが、弁護士としての経験から、まったく正しいと思います。相続で子ども同士がもめるのは、親の育て方に問題があったと感じることが大半です。
 著者は山本周五郎、そして藤沢周平が大好きだとのこと。私も同じです。しみじみとした情感に心が惹かれます。
 著者は、大手メディアが世代間対立をあおっているのを厳しく弾劾(だんがい)しています。まったく同感です。
 トマホークやらオスプレイなんて百害あって一利ないものをアメリカからどんどん爆買いしていながら、福祉予算を削り続け、若い世代に高齢者の年金負担は過重だなんてウソ八百を並べ立てるのは絶対に許せません。
 91歳でなお元気いっぱいの著者からの心温まるメッセージを読んで心が熱くなりました。
(2023年10月刊。1500円+税)

 タラの芽をたくさんいただきました。テンプラと塩ゆでの両方で食べましたが、ちょっぴりホロにがさのある、まさしく春そのものの味わいでした。春到来を実感することが出来て、豪勢な気分に浸りました。
 庭のあちこちに植えているチューリップがぐんぐん伸びて、もう少しで花が咲きそうです。楽しみです。おっと、その前に雑草とりをしなくてはいけません。雑草に埋もれてしまったら、可哀想です。
 通勤途上の電柱にカササギの巣が4個もあります。本当に高いところによくも巣をつくれるものです。
 そして、歩道にはハクモクレンが咲いていて、やがてコブシの白い花も咲きだします。
 花粉症さえなかったら、春は最高なんですが...。

2024年2月12日

世界中で言葉のかけらを


(霧山昴)
著者 山本 冴里 、 出版 筑摩書房

 なんといっても、この本を読んで一番驚いた話は、著者が高校生のとき、芥川龍之介の「羅生門」の初めの1行を、1ヶ月かけて意味を読み解くという授業を受けたというものです。
 「ある日の暮れ方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた」
 ただ、これだけの1行に毎週ある国語の授業で1ヶ月かけ、5月半ばにようやく次の2行目に入ったというのです。しかも、高校生だった著者も、何日たってもこの一行を考え続けるのが当たり前という感覚に変わったというのですから、信じられません。
 肉眼から虫眼鏡、電子顕微鏡まで使い分けながら文章を観察していくような授業だったと評しています。このたとえは、とてもしっくり来ます。感じ入った著者は、国語の教員免許をとったのでした。いやはや、ものすごい熱烈教師がいるものです。
 フランス語が出来なかった著者は、カミユの『異邦人』の1章をまるごと暗記したとのこと。語学のできる人がやる手法ですよね。もっとも、著者はフランス文の前に日本語で読んでいるから、意味のほうは分かっていることが前提だったとしています。
 自分が何を言っているのか、意味の分からないままに口に出すのは虚(むな)しい。
 1章の文章は20頁ほど。これだけあれば、ほとんどの基本的な構文は出尽くす。丸暗記している構文の単語を入れ換えて応答するようになって、フランス語は急速に理解でき、やがて自由に話せるようにもなったとのことです。なるほど、なるほど、です。
 トンパ文字は、書く色によって意味が変わる。言語学習は何に突き動かされているのか...。それは欲望だ。
 慣れない言語の学習とは、他者の言葉を自分の舌に乗せ、指を使ってえがき、自らを示し、他者を理解しようとすること。それは本質的に他者を求める行為だ。
 世界各地で日本語学校の教員として働いたことのある著者は、10年かけて、この本を書いたとのこと。これまた、すごいことです。そして、今は山口大学の准教授です。
言語学だなんて、すっごく難しそうですが、面白いことに出会いもするのですね...。
(2023年10月刊。1870円)

2024年1月29日

ちいさな言葉


(霧山昴)
著者 俵 万智 、 出版 岩波書店

 コトバを話しはじめた2歳ころから5歳ころまでの子どもの話が丹念にフォローされている、楽しい本です。
 本当に子どもって天才ですよね...。でも、それがたいていいつのまにか、フツーの大人になってしまうのです。もったいないことです。
 著者は大阪の生まれですが、高校は福井だったようです。今回の地震で、福井の人は大変だった(過去形ではありません)と思います。その福井弁に「こっぺ」というコトバがあるそうです。こっぺな子どもを「こっぺくさい」と言います。生意気、賢(さか)しら、おませ、かわいげのない感じをミックスしたコトバだそうです。
 私の育った地域の方言でいうと、「ひゅーなか」に少し似ているのかもしれません。
 朝起きて、パンツ一丁のまま遊んでいる我が子を見つけた著者が、「ズボン脱いじゃあダメでは」と言うと、「脱いでないよ、はじめからはいてないんだよ」と得意顔。分かりますよね、こんな生意気を言う子ども。憎たらしいけど、そこまで知恵がまわるようになったのかと安心もしますし...。
  5歳になったら、自分でゴハンを食べるというのが、母親と息子の約束であり目標だった。ところが、外はともかく、家で母親と二人きりになると、母親に食べさせてもらおうとする。キレた母親が、「なんでそんなに食べさせてもらうのがいいのよ。自分で食べたほうが、てっとり早いでは」と言うと...。 その返事は、なんと、「愛の気持ちを感じるから...」
 ええっ、こ、こんな答え、あるの...。腰が抜けましたよ、私は。5歳の男の子が母親に言うセリフなんでしょうか、これって...。信じられません。母親は、つい大いに納得して、食べさせてやったそうです。愛の力は畏(おそ)るべしか...。
 著者が取材でフランスはボルドーへ行き、ワインの作り手にインタビューしたときのこと。
 「ブドウは、手間や愛情をかければ、かけたぶんだけ、いい方向に伸びてくれます。でも、子どもはそうとは限りません」
 いやあ、すごいコトバです。そして、著者は、こう考えました。
 「手間や愛情のかけかたを間違えると、その逆になるよ」
 でも私は、50年になる弁護士生活を通して、手間や愛情を惜しみなくかけていて、間違えることは、まずないと確信しています。出し惜しみしていると、つまり手間も愛情もかけないでいると、たいてい間違ってしまうと考えています。ただし、ダメな親に代わる人が身近にいて、そちらでカバーされたら違うとも考えています。皆さん、いかがでしょうか。
 著者には大変失礼ながら、この本を読んで、つい笑ってしまった一節がありました。
 著者が27年ぶりに福井の高校の同窓会に出席したときの話です。
 「高校2年のときの失恋、あれがなかったら早稲田に行ってなかったかもしれないし、そうしたら自分は短歌を作っていなかったかもしれないなあ」
 ということは、著者を「振った」男性は、大ゲサに言えば、日本を救ったことになるわけです。いやはや、すごいことですよね。人生って、何が「吉」になるか分からないっていうことなんです。なので、一回きりの人生って、面白いのですよね...。
 この本は2010年に発行されたもので、そのもとは2006年から2009年まで発行されていた月刊誌などに書かれています。本棚の奥に眠っていた気になる本をひっぱり出して読みました。とても面白い本でした。息子さんは今どこで何をしているのでしょうか...。
(2010年4月刊。1500円+税)

2024年1月28日

イラストでひもとく仏像のフシギ


(霧山昴)
著者 田中 ひろみ 、 出版 小学館

 仏像のことが何でも分かる、楽しい本です。仏像がすごく写実的なイラストで紹介されています。著者が仏像を好きになったのは独身でヒマだった叔父さんに連れられて、あちこちのお寺をまわってたくさんの仏像を見ていたからです。幼いときは、アイスクリームや美味しいご飯につられて行っていたのですが、それが、ついに仏像と恋に落ちるまでになったのでした。いやはや、そういうことも世の中にはあるのですね...。
 そして、仏像をよく見ていると、人間と同じように1体1体が違っていて、ちゃんと個性があるということに気がつきます。見る位置によって仏様の表情は変わるし、尊格を知るには、ポーズや髪型などの細部に注目しなくてはいけない。そして、時代による流行がある。
 仏像のもともとのモデルはお釈迦さま、その人。釈迦は本名(個人名)ではなく、一族の名前。本当はゴータマ・シッダールタ。ゴータマは「聖なる牛」、シッダールタは、「目的を達成した人」の意味。
 お釈迦さまは、29歳のとき、妻子も王子の位も捨て、出家します。そのとき髪を剃りました。悟りを開いたのは35歳のとき。80歳のとき、キノコ料理で食中毒になり死亡しました。
 釈迦は、母親の右腕から生まれたとのこと。それが当時の観念でした。
仏像には4種類あり、如来、菩薩、明王、天という。如来は、悟りを開いた仏さまで、最上位の仏像である。2番目が菩薩。
観音菩薩には女性になぞらえた仏像が多くある。観音菩薩は、この世に生きるものすべてを救い、あらゆる願いをかなえるべく、33の姿に変身する。
弥勒(みろく)菩薩は、お釈迦さまが亡くなってから、56億7千万年後に、この世界に現れ、悟りを開いて、如来となって命あるすべてのものを救う。
普賢(ふげん)菩薩は、女性も男性と同様に悟りを開いて、仏になることができると説いたので、女性からの信仰を集めた。
明王は、密教によって仏教に導入された仏のグループ。不動明王は、36の童子が、おのおの1000万の従者をもつとされているので、3億6000万の従者が不動明王を手助けしている。
インドには、古くから手のしぐさで気持ちを伝える習慣がある。たとえば、両手を合わせることで、仏さまと生きとし生けるものが合体し、成仏するという意味になる。
インドでは、牛は神の使い、そうなんでしたか...。だからインドの人々は牛を食べないのですね。
お釈迦さまは、生前、弟子たちに自分の姿を写したり、彫刻してはいけないと伝えていた。ところが、死後500年もたつと、どんな人柄だったのか知りたいと思う人が圧倒して、仏像がつくられるようになった。うひゃあ、知りませんでした。
昔は、それこそメールも写真もありませんでしたから、すべては想像です。大工さんの独自の解釈の余地が生まれ、その結果、ユニークな仏像が全国各地に誕生したというわけです。
仏像は、もともと鑑賞の対象ではなく、信仰の対象である。なるほど、そうなんですよね。でも、眺めて美しいと思ってしまうのも許されることではないかと思います。
実に見事な仏像のイラストで、ため息の出るほど驚嘆してしまいました。一読をおすすめします。
(2023年10月刊。1760円)

2024年1月22日

なぜ世界は、そう見えるのか


(霧山昴)
著者 デニス・プロフィット、ドレイク・ベアー 、 出版 白揚社

 アメリカ人からすると、白人でも黒人でも、日本人を見たら、みんな同じ顔をしているので、判別できないといいます。私だって同じで、黒人の顔を判別することはできません。
 この本によると、生後3ヶ月の白人の乳児は黒人、白人、アラブ人、中国人を判別できたものの、同じ乳児が生後9ヶ月になると白人の顔しか判別できなくなった。同じ傾向は中国人の乳児にも認められた。そうなんですか...。
 知覚研究をすると、経験的現実、つまり見て、聞いて、触れて、嗅いで、味わう世界は、人それぞれに固有のものだ。
 よく打てる野球選手は、打席に立ったとき、打てるときには、ボールがグレープフルーツの大きさに見えるし、打てないときには黒目豆みたいに見えるという。アーチェリー選手も同じで、成績のいい人には、的の中心が大きく見える。
 乳幼児は決して一直線には歩かない。効率の良い移動法なんて問題にもせず、自分の霊感に従い、自分の世界をはね回って歩いていく。
 赤ちゃんは、決まった順番で運動能力を獲得していく。まず、おすわり学習し、次にハイハイができるようになり、最後に歩けるようになる。おすわり期に距離について学んだことは、ハイハイ期には引き継がれない。おすわりからハイハイへ、ハイハイから立っちへと移行するたびに子どもは特定の姿勢における空間の意味を一から学び直す。
 私は、少し前に、「赤ちゃん学」なるものが存在することを知りました。人間が類人猿とどう違うのか、人間とは何者なのかを知るためには、赤ちゃんのときの行動と、その意味を探る必要があるという問題意識からの研究分野です。そこでも、いろいろ面白いことを学びました。
 赤ちゃんは、みな科学者だ。何かに疑問を感じると、常に実験して試している。物を口に入れたり、投げたり、にぎりつぶしたりすることによって、外的世界の物体の働きを直接的に見出している。
 目の前にそれなりの傾斜のある坂道を見て、新しい友人と談笑しながら歩いてのぼっていくのなら、なんということもない。しかし、重い荷物を背負っていたり、疲れていたり、高齢の人の目には、坂の傾斜がきつく見える。このように生理的ポテンシャルの変化は見かけの傾斜に影響を及ぼす。
 ヒト科にはヒトと大型類人猿が含まれているが、持久力動物に進化したのはヒトだけ。チンパンジーはマラソンを走れない。オランウータンやゴリラなどは、座り続けの生活しているが、人間のように肥満や糖尿病に苦しめられる心配はない。大型類人猿は座り続けるのに適した体に進化しているから。ヒトは運動するのに適した体に進化したから、運動が欠如すると、肥満や糖尿病を引き起こす。
 親指の先と他の指の先を接触させられるのは、霊長類の中でヒトだけ。これも、二足歩行による。
 多様性のあるグループの中に身を置くと、居心地は悪いけれど、思慮深い意思決定がなされやすい。自分と同類ではない人々に囲まれているときのほうが、ヒトは思慮深く行動する。
 ヒト(私たち)は、他者と話すとき、手と目を使う。
 ヒト、つまり私たちの身体のことを改めて深く認識することができました。
(2023年11月刊。3100円+税)

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