弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2023年8月 7日

記憶の科学


(霧山昴)
著者 リサ・ジェノヴァ 、 出版 白揚社

 人間の脳は驚異的だ。脳は毎日、無数の奇跡を起こしている。これは、まさしく最近の私の実感でもあります。年齢(とし)をとって認知症になるのを心配している私ですが、毎日、こうやって書きものをしているのも、できるのも、脳の活動のたまものです。
 物忘れのほとんどは、性格上の欠陥でも、病気の病状でもなく、心配すべきことですらない。忘れることは、乗り越えなければならない障害ではない。しっかり覚えておくためには、忘れることが欠かせないことも多い。
 そうなんです。私がこうやって書評を書いているのは、実は、安心して忘れるためです。書いてしまえば残ります。なので、忘れることに心配無用なのです。
 退職した日本人エンジニア(原口證、あきら)は、69歳のとき、円周率を11万1700桁まで暗記した。うひゃあ、な、なんということでしょう。とても信じられません...。
 記憶の形成には、4つの基本的段階をたどる。1つ目は記銘。2つ目は固定化。3つ目は保持(貯蔵)。4つ目は想起(検索)。意識的に思い出せる長期記憶をつくり出すためには、この4つの段階がすべて機能していなくてはならない。まず、情報を脳に入れる。次に、情報同士を糸のように織り合わせる。それで出来あがった情報の布を、脳の持続的な変化という形で貯蔵する。最後に、望んだときは、いつでも情報の布を取り出せるようにしておく。海馬は、記憶をつなぎあわせる。いわば記憶という布の織工だ。新しい記憶を作るためには、どうしても海馬が必要になる。海馬が損なわれると、新たな記憶をつくる能力が正常に機能しなくなる。
海馬は新たな記憶の形成に欠かせないが、できた記憶は海馬にとどまるわけではない。記憶銀行などというものは存在しない。長期記憶を宿す、脳の特定の部屋は存在しない。記憶は、脳のあちこちに貯蔵される。記憶は、関連する情報をつなぐ神経回路という形で、脳内に物理的に存在している。
昔ならったスキルを再現できる能力は、「筋肉の記憶」(マッスルメモリー)と呼ばれている。ただ、このマッスルメモリーは、筋肉ではなく、脳内にある。新たなエピソード記憶や意味記憶の形成には海馬が欠かせないが、マッスルメモリーの形成には海馬はまったく関与していない。一度習得したマッスルメモリーは、意識して思い出そうと努めなくても、再生される。この過程は意識にはのぼらない。
 脳内に保管されるデータは、すべて意味記憶である。脳は、つまらないことや重要でないことを熱心に知ろうとはしない。知識を増やしたかったら、情報を意味のあるものに変える必要がある。感情をともなう経験のエピソード記憶は、感情をともなわない経験よりも記憶に残りやすい。エピソード記憶の形成と保持には、感情、驚き、意味が必要だ。
どのようなエピソード記憶であろうと、何度か想起されているうちに、オリジナルからは相当逸脱してしまう危険をはらんでいる。人間の脳は、誘導的な質問を受けると、まったく経験していないことまで覚えていると思い込むことがある。目撃者と称する人々の証言は、だから、実はアテにならないことが多い。
 ヒトは、見えないものは忘れてしまう。私は、司法修習生のとき、電車の網棚に乗せた大切な書類を忘れて、大変な目にあったことがあります。見えないと忘れてしまうものなんです。
記憶の最大の敵は、時間だ。脳内に貯蔵できた情報を保持したいなら、絶えず活性化させること。情報を思い返し、反復練習し、繰り返すことだ。
 忘れることは、きわめて重要。忘却は、人間の機能を、毎日ありとあらゆる形で助けている。忘れるという人間の能力は、記憶する能力に負けず劣らず、必要かつ不可欠なもの。
 常にストレスを抱えていると、海馬のニューロンが徐々に失われていく。ニューロン新生は脳の多くの領域で一生を通じて起こっているが、とくに海馬で顕著だ。
睡眠は、健康を保ち、生き残り、最高の機能を発揮するためには欠かせない、生物学的には忙しい状態だ。明らかにスーパーパワーと言えるはたらきをしているのが睡眠。睡眠によって、マッスルメモリーも最適化される。人体は、睡眠というプロセスによって、毎晩、心臓病とガンと感染症と、精神疾患と必死に戦い、これらを撃退している。脳をふくむ体内のあらゆる器官の生命力は、十分な睡眠によって向上する。睡眠が足りないと、健康と記憶力は大幅に低下する。
 アルツハイマー病は、ある日突然に発病する疾患ではない。アミロイドプラークが蓄積し、症状があらわれるまで15年から20年の歳月がかかる。アルツハイマー病の予防策としておすすめは、新しく何かを学ぶこと。その新しく学ぶことは、できるだけ意味が豊かで、景色、音、連想、感情を伴うものであることが望ましい。
 いやあ、実にすばらしい指摘のオンパレードです。あなたに、強く一読するようおすすめします。
(2023年5月刊。2700円+税)

2023年7月31日

まちがえる脳


(霧山昴)
著者 櫻井 芳雄 、 出版 岩波新書

 ヒトの脳には、1000億ものニューロンがあり、そのうち800億以上は小脳にある。脳の大部分を占めている大脳には100~200億のニューロンがあり、そのほとんどは大脳皮質に集まっている。大脳皮質のニューロンの特徴はシナプスの多さであり、一つのニューロンが数千以上のシナプスをもっている。そこでは、多数のニューロンが複雑につながることで、緻密な神経回路を形成している。大脳皮質の1ミリメートル四方には10万個以上のニューロンがあり、ニューロン同士をつないでいる樹状空起と軸索の長さの合計は10キロメートルにも及び、接続部位であるシナプスは10億ヶ所以上になる。
ニューロン間の信号伝達は30回に1回ほどしか成功しない。
 脳の活動がまるでコンピュータの動作のように定常的で安定していると考えるのは誤解。同じ運動が常に同じニューロンの活動から生じるわけではない。同じニューロンが活動しても、常に同じ運動が生じるわけでもない。一つの運動には、毎回、少しずつ異なるニューロンの集団が関わっている。ニューロンの発火は不安定であり、ニューロン間の信号は確率的にしか伝わらない。ニューロンは刺激がないときでも発火を繰り返している。脳全体で、常に自発的でリズミカルな同期発火が生じている。
 脳の信号伝達は確率的であり、しかも、その確率はニューロン集団の同期発火がゆらぐことで刻一刻と変動している。ときに信号の伝達がうまくいかず、まちがいが起きてしまうのは当然のこと。このまちがいの中から、斬新なアイデア、つまり創造が生まれる。
 つまり、進化とは偶然の結果にすぎないが、その偶然が起こるためには、生存できず消えてしまう多くの突然変異が必要なのだ。
 ヒトの脳は、単純な神経回路の単なる集合ではない。言語と左脳の関係も決して固定されておらず、絶対ではない。男女で差があるというより、個人差のほうが圧倒的に大きい。
 脳は5%とか10%しか動いていないというのは根拠のない迷信であって、脳は常に全体が活動している。脳は寝ているときも、起きているときも、常に全体が休みなく活動している。
 脳は、生きて働いている脳については、まだ十分に解明されてはいない。脳は依然として、手強く未知な研究対象である。
 脳の解明は、心の解明でもある。脳はいいかげんな信号伝達をして間違えるからこそ柔軟であり、それが人の高次機能を実現し、一人ひとりの成長を生み、脳損傷からの回復を促し、個性をつくっている。
 なーるほど、そうなのか...と、何度も思い至りました。心とは何か、人間とは何かを改めて考えさせてくれる、大変刺激にみちみちた新書です。ご一読をおすすめします。
(2023年4月刊。940円+税)

2023年7月30日

尼寺のおてつだいさん


(霧山昴)
著者 まっちゃん 、 出版 アルソス

 私は美味しいものを食べるのが大好きです。でも、若いころと違って、肉料理もいいけれど、素材を大切にした料理にどんどん心が惹かれるようになりました。今では、毎日の料理は野菜中心で何の不満もないどころか、感謝感激です。
 そんなわけですから、精進料理、それも、自然のままの素材を生かし、そのうえ人の手をたっぷりかけた精進料理となると、思わずごっくん、ツバを飲み込んでしまいます。
 NHKの『やまと尼寺精進日記』は私の大好きな番組でした。日曜日の夜、録画しておいた(正しくは録画してもらっていた)番組を90分間だけ、寝る前にみるのです。その常連が『ダーウィンが来た』と、この『精進日記』でした。
 この『精進日記』に、尼寺の「おてつだいさん」として登場してくる「まっちゃん」が絵を描けるというのは、番組のなかで時に紹介されていましたので知っていました。その「まっちゃん」が描いたマンガも載っている本だというので、早速、手にとって読んでみました。
おてつだいの「まっちゃん」はなんとなんと、バックパッカーとして世界40ヶ国を放浪していた行動派だったのです。これには驚きました。
 高校では漫研、そしてデザイン専門学校にも通っています。なので、マンガを描くのは子どものころから大好き。よく分かります。ところが、そんな「まっちゃん」が人間関係に悩んでひきこもりだった時期があるとか、食いしん坊なのに料理は全然できなかったとか、意外づくしです。
 「尼寺のお手伝いさん」として7年間暮らした様子が四コマ漫画と文章で雰囲気がよく伝わってきます。そして、犬のオサムや猫のトラたちまでが...。
 住職の密榮さんは本当に料理が上手のようです。テレビで、その美味しさがひしひしと伝わってきました。1万円出しても決して惜しくないお膳を見て、私は何度もため息をつきました。超高級ホテルの4万円コースの料理(もちろん食べたことありません)に匹敵すると確信します。精進料理は、とても奥深い。野菜や豆腐などの限られた食材で、こんなにも美味しく、美しくなるなんて...。
 まったく同感です。1回でいいから、味わってみたいものです。テレビ番組をみていた人には、おすすめの本です。でも、1年ちょっとで8刷ですから、やはり売れているのですね。これまた、うらやましいです。
(2022年11月刊。1980円)

2023年7月11日

くもをさがす


(霧山昴)
著者 西 加奈子 、 出版 河出書房新社

カナダで乳ガンが判明し、手術を受けた著者の体験記です。
がんはゴジラと同じ。彼らの存在それ自体が、私たち人間と相容れないだけ。どちらかが生きようとするとき、どちらかが傷つくことになっている。
 がんにかかった人は、原因を考えてしまう。暴飲暴食のせい、睡眠不足、仕事のストレス、いや水子の供養をしていなかたから、先祖の墓参りをしていなかったから...、いろいろとありうる。でも、がんは誰だってかかるもの。もし、がんになったら、それはそういうことだったのだ。誰にも起こることが、たまたま自分に起こったと考えるしかない。
 がんは怖い。できることなら、がんにかかりたくなかった。でも、出来てしまったがんを恨むことは、最後までできなかった。自分の体の中で、自分がつくったがんだから。なので、闘病というコトバは使わない。あくまでも治療であって、闘いではない。
 うむむ、なんだか分かるようで、まだピンとは来ません。でも、実感としては伝わってくるコトバです。
遺伝子検査の結果が出た。乳がんは右側にあるが、左の乳房へ転移する可能性は80%で、再発の可能性も高い。予防のため、両乳房の全摘が望ましく、卵巣も、いずれ取るほうがいいだろう...。いやあ、この確率というのは、どれほど正確なものなんでしょうか...。
 カナダでは、日本と同じような感覚でいたらダメ。とにかく自分でどんどん訊いて、どんどん意見を言わないといけない。自分のがんのことは、自分で調べて、医師まかせにしないのが肝心。少しでも治療に疑問があったら、遠慮なんかせず、どんどん尋ねること。うむむ、日本では、これが案外、むずかしいのですよね...。自分の身は自分で守る。そう言われても...、ですよね。
カナダで、乳がんの切除手術を受けると、その日は泊まりではなく、日帰り。ドレーンケアも自分でやらないといけない。手術したら、当日から、とにかく動くこと。術後の回復には、それが一番。痛み止め薬を飲んでまで運動したほうがいいということ。うひゃあ、す、すごいことですよね...。
著者は両方の乳房を切除した。乳首もとった。
 でもでも、平坦な胸をしていても、もちろん乳首がなくても、依然として女性であることには変わりない。坊主頭だけど、それでも女性なんだ...。自分がそう思うから、私は女性なのだ。私は私だ。私は女性で、そして最高だ。
 「見え」は関係ない。自分が、自分自身がどう思うかが大切なのだ。
 日本人には情があり、カナダ人には愛がある。この「情」と「愛」には、どれほどの違いがあるのでしょうか...。
発刊して2週間もたたずに8刷というのもすごいですが、それだけの読みごたえのある本です。カナダと日本の医療体制、そして社会の違いも論じつつ、がんにかかって乳房摘除の手術を受けて、人生、家族、友人との関わりなどを深く掘り下げて考察しているところに大いに共感することのできる本です。
(2023年5月刊。1540円)

2023年6月 5日

ムラブリ


(霧山昴)
著者 伊藤 悠馬 、 出版 集英社

 ムラブリとは、タイやラオスの山岳地帯に住む少数民族のこと。山間の傾斜地で、焼畑農耕をしている、裸足(はだし)で森と共に生きる狩猟採集民。畑仕事はしないし、定住もしない。
 ムラは人、ブリは森。だから、ムラブリとは、森の人。
 ムラブリは、今や500人ほど。ムラブリ語は文字がなく、いずれ今世紀中には消滅するだろう。著者は世界で唯一のムラブリ語研究者。
 ムラブリは文字をもたず、暦もない。スケジュールとか時間割にしばられず、日々を森の中で過ごす。明日のことは明日の自分が決める。言い争いもしない。お互いに意見を言い合うこともない。
 ムラブリ語研究者の著者は、リュックにおさまるだけの日用品しか持たない。爪切りと歯ブラシと手拭いがあれば生活できる。
ムラブリの調査をするにはタイの公用語であるタイ語が話せることが必須、森へ猟に出かけ、サル、リス、モグラ、ネズミそして竹の中にいる竹虫をとって炒めて食べる。芋やタケノコも食べるが、キノコにはあまり興味がない。
ムラブリ語には、「おはよう」「こんにちは」などの挨拶コトバがない。その代わりに、「ごはん食べた?」「どこ行くの?」などの質問が挨拶の代わりになる。挨拶に意味を求めてはいけない。意味のないことが挨拶にとっては何より大切なこと。
 言語の消滅は、ひとつの宇宙が消えるのに等しい。
 「心が下がる」は、うれしいとか楽しいとの意味。「心が上がる」は、悲しいとか怒りを表す。ムラブリは、自分の感情をあらわすことがほとんどない。ムラブリ語には、感情も興奮もない。
 ムラブリは他の民族との接触をできるだけ避け、森の中に息をひそめて生きてきた。
 ムラブリは歴がないし、曜日もない。月はあるが、1ヶ月が何日かは人によって異なる。つまり、気にしていない。年もあるけど、自分が何歳か知らない。
 ムラブリ語には数字が1から10までしかない。「4」はたくさん。なので、大人は、みんな「4歳」。
 ムラブリの男性は時計を身につけるのが好きだが、まともに動いている時計は少ない。
 ムラブリは暴力を嫌う。人間関係でトラブルがあったら、争うよりも距離を置くことを好む。
ムラブリは年歳(とし)をとって夫や妻を亡くすと一人で暮らすようになる。息子や孫が高齢の身内の老人を介護することもしない。まずは自分で生きていくのが前提の社会だ。
 狩猟採集民は獲物をシェアすることで、富が集中することを避け、権力が発生しないような仕組みをもっているからこそ、森の中で生き残り、今日に至ったのだろう。
 ムラブリには、いかなる専門家もいない。分業はしない。
 ムラブリは製鉄技術をもっている。地面に穴を掘り、竹によってふいごを用意し、玉鋼(たまはがね)をつくる。
 著者は、ムラブリについて、農耕民の生活になじめなかった人々の集まりだと考えています。農耕の定住生活が嫌で、森に住むことを選んだ人々だろう。
 ムラブリは結婚するのに儀式もなければ、婚姻届けもない(だって文字がないのだから...)。別れたいと思えば別れる。ただそれだけ。
 ムラブリは遊動民であり、森の中を10~20人単位で移動しながら暮らしている。
 ムラブリは、10代になればほとんど寝床を自分の手でつくれるし、資源がある限りは、食料や薪を森から調達する術を身につけている。ムラブリは体調が悪くても、病院には行きたがらない。
ムラブリの物質文化は乏しい。民族衣装もなく、ふんどし一丁。
ムラブリは自由が好き。強制されることが嫌いだ。いやあ、なんとなんと、こんな人たちがいるのですね...。そして、日本の若者がそこに飛び込んで、ついにムラブリ語を自由に話せるようになったなんて、すごいことですよね。あまりに面白くて、車中で一気読みしてしまいました。ご一読をおすすめします。
(2023年4月刊。1800円+税)

2023年5月29日

ヒトはどこからきたのか


(霧山昴)
著者 伊谷 原一 ・ 三砂 ちづる 、 出版 亜紀書房

 ヒト(人間)がアフリカで生まれたこと自体は今や確定した真実です。「人類みな兄弟」という人類は、それこそアフリカ起源なのです。なので、白人優位とか黒人は劣等人種なんて全くの間違い。黄色人種も同じこと。そんなレベルで優劣を論じること自体がナンセンスです。
 では、ヒトは森の中で誕生したのか、草原(サバンナ)で生まれたのか...。著者は従来の通説を「おとぎ話のような説」として、徹底して否定しています。
その通説は何と言っているか...。ヒトと類人猿の共通祖先は森の中で誕生し、乾燥帯に出た祖先がヒトになったというもの。ではでは、著者の主張はどういうものか...。
 類人猿やヒトの共通祖先は乾燥帯、あるいは森と乾燥帯の境界あたりに生息していて、ヒトの祖先はそのまま乾燥帯に残り、類人猿は森に入りこんだのではないか。ヒトが乾燥帯にいられたのは、肉食が始まったから...。なーるほど、ですね。
 ボノボは、ものすごく上手に二足歩行する。
 アフリカの類人猿はチンパンジー、ゴリラ、ボノボのすべてがナックルウォーキングする。類人猿とヒトの違いは、四足歩行か二足歩行か。足と骨盤を見ると歩行様式が分かる。
 この本を読んで、衝撃的だったのは、文字どおりショックを受けたのは、アフリカに学生を連れていって、ある場所で放り出して、そのあと何ヶ月間も誰もいない無人地帯で生きのびるようなことをしていた(している)ということです。著者自身も、自転車に80キロもの荷物を積んで5カ月も一人で「放浪の旅」をした(させられた)とのこと。いやいや、これは大変、ありえないのでは...。だって、現地のコトバはまったく話せないのですよ...。猛獣から身を守るのに、まさか鉄砲は持っていないでしょうし、夜、どこに、どうやって安全を確保しながら眠るのでしょうか...。「万一、自分が死んで発見されても絶対に文句は言いません」なんて念書をとっておくのでしょうか...(もちろん、そんな念書は意味ありません)。安全が確保できたとして、コトバのほうはどうなりますか...。
ところが著者は、現地を自転車に乗って一人で旅しているうちに、自然と喋れるようになったというのです。現地のリンガラ語です。すごいですね、勇気がありますね。
勇気があるといえば、著者は有名な伊谷純一郎の息子ですが、自称「不良少年」(グレ)で、高校2年生のとき、家を出て一人暮らしを始めたというのです。すごいですね、本人も親も...。といっても、父親のほうはアフリカに長期滞在していて、家(自宅)にはあまりいなかったようですが...。
 著者は小学生のころから放浪癖があり、北海道に行ったり、沖縄で漁師をしたり...。
 日本人学者は、サルもチンパンジーもゴリラも、みな個体識別して名前をつけて観察しています。欧米人は、それができなかった、できるとは思わなかったようです。でも、今では、日本人学者は金華山のシカまで個体識別しているというのです。すごいことですよね、これって...。そして、そのためにエサを与えていたのが、今では近づく人に慣らすだけ(「人付け」)だというのです。
著者はチンパンジーの子どもを引きとって大きくなるまで一緒に育てたこともあるそうです。すると、大きくなっても、同じ部屋にいることができるようになるそうです。単なる飼育員だと、危険すぎて、それは禁止されているとのこと。
ヒトと類人猿との違いと共通点、そして、学者のフィールドワークの実際など、対話形式の本なので、とても面白く、すらすらと読みすすめることができました。
(2023年4月刊。1800円+税)

2023年5月28日

物語・遺伝学の歴史


(霧山昴)
著者 平野 博之 、 出版 中公新書

 遺伝学で高名なヨハン・メンデルは修道院に入り、そこでエンドウ豆の交配実験をしてメンデルの法則を発見した。なぜ、修道院で生物学の研究がなされたのか、できたのか...。この時代、修道院は単なる宗教施設というだけではなく、その地方の学術や文化の中心だった。蔵書も20万冊ほどあった。
 なーるほど、そういうことだったのですね。いわば大学とか研究所のような存在だったのでしょう...。メンデルの法則を中学校(?)で学んだとき、私もその規則性には目を見開く思いでした。今でも、そのときの感触を覚えています。
 メンデルは、自分の研究成果を論文としてまとめて、1866年に科学雑誌に発表した。しかし、この論文について、当時は、まったく反応がなかったそうです。メンデルの法則として学界で認知されたのは、1900年のこと。
 遺伝学ではショウジョウバエとともに、トウモロコシが大活躍したそうです。というのも、トウモロコシの染色体は大きいので観察しやすいこと、雌花と雄花とが分化していて、交配しやすいことによる。
驚いたことに、大腸菌にも性があり、有性生殖をして遺伝子組み換えをする。
 遺伝子はタンパク質ではなく、DNAであることが確認された。遺伝子配列の中に「CAT」というのがあります。この本では、これを「ネコ」と呼んで説明します。野生型では「CAT」の3塩基が「ネコ」というアミノ酸を指定しているが、第1の変異により、「G」の塩基が挿入されると、読み枠がずれるため、「タコ」(GCA)や「チコ」(TCA)という別のアミノ酸になってしまい、タンパク質は機能を失ってしまう。ところが、第2の変異により塩基(T)が1個欠失すると読み枠が元に戻るため、大部分のアミノ酸は「ネコ」となり、タンパク質の機能は復活する。
 細胞は同じ染色体をもつにもかかわらず、なぜ、脳や肝臓など、いろいろなタイプの細胞が分化するのか。現在では、いろいろな細胞が生じるのは、遺伝子が共通していても、発現している遺伝子が細胞ごとに異なっているためだということが分かっている。そうなんですか...。
 遺伝子について、少しだけ分かった気になりました。
(2022年12月刊。980円+税)

2023年5月 8日

「心の病」の脳科学


(霧山昴)
著者 林 朗子 ・ 加藤 忠史 、 出版 講談社ブルーバックス新書

 脳の機能を良くすると称してグルタミン酸やGABAを体外から摂取することが広告・宣伝される。しかし、体外からこれらを摂取しても、脳には到達しない。神経伝達物質は脳の中で生産され、その合成と分解の過程も緻密(ちみつ)に制御されている。
 タバコのニコチンも神経伝達物質で、脳内のニコチン性アセチルコリン受容体に結合し、ドーパミン神経細胞を介して快楽物質であるドーパミンの分泌を促すため、快感や覚醒作用が生じる。
一つの神経細胞には、1万個ほどの興奮性シナプスがある。シナプスには、情報を伝える側のシナプス前細胞と、受け手のシナプス後細胞がある。
 統合失調症は遺伝要因が強い疾患だが、発症するのは3割だけで、残り7割は発症しない。環境要因が加わることによって発症する。たとえば、心理的ストレスが発症の引き金となる可能性がある。
 うつ病は、世界に2億8千万人もいる。日本では100人のうち6人がうつ病。
 うつ病の治療薬(抗うつ薬)は、7割の患者の症状を改善する。双極性障害の人が抗うつ薬を服薬すると、気分は落ち込んでいるのに、自殺する元気は出てしまうということになりかねない。
 ASD(自閉症スペクトラム症)の発症頻度がふえている原因として、晩婚化の影響がある。というのも、父親の年齢が高くなると、精子のゲノムに変異が入る確率が高まるから。
ASDは親の育て方に原因があるというのは誤り。生まれつきの脳機能に原因がある。
ASDの子どもに適切な睡眠をとらせることで、社会性が改善する。
 ADHD(注意欠如・多動症)は、ごくありふれた病気。男女比は1対1、20人に1人の子ども、40人に1人の大人がADHD。
 人間は3歳までの記憶はまったくない。なぜなのか...。ずっと疑問に思ってきました。それは脳のなかの海馬が、この3歳ころまでが神経派生がとくに盛んなので、神経回路の再編が次々に起きてしまうので、それまでの出来事は消去されてしまうということ。なーるほど、ですね。
 古い記憶を思い出すには、海馬は必要ない。海馬は、さまざまな情報の記憶を束(たば)ねる「扇の要(かなめ)」のような役割をしている。
PTSDを引き起こす恐怖記憶の要(タグ)は、恐怖記憶がいつも思い出されているため、海馬に残り続ける。
 「心の病」と脳の働きが、かなり分かりやすく解説されている新書です。
(2023年3月刊。1100円+税)

2023年4月29日

渥美清、最後の日々


(霧山昴)
著者 篠原 靖治 、 出版 祥伝社黄金文庫

 寅さんこと、渥美清の付き人を14年つとめあげた人の見た寅さんの実像です。
 読めば読むほど、偉大な役者だったことがよく分かります。残念なことに、私の周囲には映画館で寅さん映画をみたという人は、ほとんどいません。残念というより、お気の毒に...、というのが私の本心です。
 私は第一作からほとんどみていますし、それは映画館です。そのうえ、テレビでのリバイバル上映もみたことがあります。
渥美清の好きなコトバに「知恩」がある。出会った人はすべて大切にしなければいけない。人は恩を忘れてはいけない。知恩とは、そういうこと。
渥美清は自分の私生活は決して明らかにしなかった。そうなんです。この本で初めて、男女一人ずつの子どもがいて、長男・健太郎氏はラジオ局に勤めているというのを知りました。
 自宅には決して他人を寄せつけず、代官山にマンションをもっていました。本名の田所康雄から渥美清に変身するために必要だった部屋。なーるほど、ですね。国民的俳優になるには、そんな助走のための部屋が必要だったのでしょう。なんとなく分かる気がします。
 家族には「渥美清」を見せず、スタッフには「田所康雄」を見せない。そんな二重生活を亡くなるまで、何十年も続けたのです。偉いというか、とても真似できることではありませんね。
 渥美清と山田洋次監督の関係について語られているところも興味深いものがありました。
 この二人は、「本当は、仲がいいのか悪いのか」、と周囲に思われていたというのです。それくらい、この二人には、「ある種の距離」があった。「なあなあ」の関係ではなかった。
渥美清にとって山田洋次は、「とてつもなく頭のいい人」であると同時に、大変な努力家だと知っていた。
渥美清は肉や油っこいものは決して食べなかった。戒名もつけなかった。位牌も生前から用意していた。
 渥美清は、基本的に山田監督から渡された台本を尊重し、決めのセリフは、絶対に台本どおりに演じる。アドリブは、それ以外の場面で入るだけ。
渥美清は柿とリンゴが好物で、イチゴやメロンは食べなかった。うへー、これはどうしてなの...。私はみんな大好きなんですが...。
渥美清は、本をよく読み、知識も教養もあった。
記憶力は並外れていた。セリフは、1回台本を読むと、ほとんど頭に入った。
20数年間、寅さん役を続け、「マンネリ」として、そっぽを向かれることがなかった。それは、渥美清が、まさに骨身を削る思いで、寅さんの役に取り組んでいたということ。
まったく、そのとおりです。その恩恵を受けた私などは、このありがたさに涙が出ます。
人に笑ってもらえる、喜んでもらえるというのは、渥美清の役者人生のエネルギー源だった。
まったくまったく、そのとおりではありませんか。
寅さん映画を見ていないという人は、この世の最大傑作の一つを見逃しているということなんです。ぜひ、一度みてみて下さい。
(2019年12月刊。680円+税)

2023年4月10日

謎が解かれたその日から


(霧山昴)
著者 国立ともこ・宮本郷子 、 出版 クリエイツかもがわ

 3人の子どもが全員、発達障害、学校に行かなかったり、保健室登校だったり、日々の生活で強いこだわりがあったり・・・。大変な日々をしっかり母親が受けとめて過ごした日々が紹介されています。心を打たれながら、居ずまいを正しつつ読みすすめました。
 人間って、本当に厄介な生き物なんですよね。つくづくそう思いました。いえ、これは我が身と私の周辺を振り返っての実感でもあります。
 「行かないといけないのに、行けない。行きたいのに、行けない。何で行けないの・・・」
自分の欲求を聞き入れてもらえないと、拒否されたと思い、泣く、わめく、かんしゃくを起こす。
 握りしめた手が、不安と緊張と恐怖心で震えているのを感じ、心にため込んできた辛い経験の傷の深さをあらわしている。
 みんなが学校に行っている時間帯は、自分が学校に行っていない罪悪感で外へ出られず、夕方も同級生に会うのが嫌で外に出られない。
楽しそうに振るまっていても、実は周囲の人や状況に適応させるのにエネルギーを注いできた。自尊感情が低く、相手を優先し、自分はいらない人間だと感じていること、自分を守る解釈ができない・・・。
 長女が中学2年生のころ、自分の体形も顔も醜いという思考に襲われ、食べ物のカロリーにひどくこだわり、食事をとらなくて急激にやせていった時期があった。また、強い孤独感や寂しさを感じて、赤ちゃんのころに戻ったかのようなスキンシップを求めてきた。
 二男は小学生のころ、菌に対して過敏な反応を示した。学校はイコール菌なので、学校から帰ってくると、玄関で服を脱ぎ、すぐにお風呂へ入る。学校のものや学校で使っていたものを部屋に持ち込むのは絶対禁止。とくに、布団に入るときの体はきれいな状態でないといけない。母親が風呂上りに、そんな場所を踏んだりすると、「もう一回、お風呂に行って・・・」となる。
 ところが、そんな二男は、運動神経は良く、手先も器用で、いろんな発想力が豊かだと、学校の教員は見ていてくれていたのです。
 母は3人の子どもの一人一人を見守り続けた。これは母たるが故にできること。3人の子どもたちが、それぞれにまったく違った特性をもち、社会の中で生きるのがしんどいと思い続けていた。その一人ひとりの歯車がどの方向に向いているのか、なかなかつかめなかった母だが、いつ、どんなときも口出し、手出しするのではなく、観察し、見守っていた。その母の優しさと忍耐にクリニックの医師は共感しながら応援した。
 「生きろと無理やり産んでこさせられた。生まれたくなかった」
 わが子から、こう言われたとしたら、あなたはどう思い、どう対応しますか・・・。
 ところが、本人は、やがて、「生きてて何が悪い!」と一言つぶやいたのです。お互いの妥協点を出し合い、話し合いながら、折り合いをつけてくれるようになったのでした。
 いやあ、あきらめないでいると、子どもは成長するのですね・・・。心が震えました。こんな教員がいたら、いいですよね、そう思いました。ゆとり感やゆるみ感がにじみ出てくる教員。何も求めず、無条件で受け入れてくれる、大きな包容力・・・。
 こんな態度って、客観的にも余裕がないと出来ませんよね・・・。
 漫画風のカットがあって、情景がよく想像できます。一読を強くおすすめしたい本です。
(2023年1月刊。1200円+税)

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