弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2022年12月 3日

客席のわたしたちを圧倒する


(霧山昴)
著者 井上 ひさし 、 出版 岩波書店

 私のもっとも敬愛する作家である井上ひさしのエッセイを発掘した本です。映画、テレビ、マンガそして野球といったジャンルに分けられています。私は映画とマンガは好きなほうですが、テレビはほとんど見ませんし、野球にいたっては全然関心がありませんので、そこは読み飛ばしました。
 私にとって一番だったのは、なんといっても洋画マイベスト10と日本映画ベスト100です。そのコメントがすばらしいのです。
 あとがきに妻ユリさんが自宅でDVDを一緒にみていたことが紹介されていますが、井上ひさしは本当に映画が好きだったようです。私も同じで、映画紹介コーナーのチェックは怠りませんし、できたら月1本は映画をみたいと考えています(なかなか実現できませんが...)。
 人々の楽しみごとには、いつもかたよった見方、考え方の存在が許される。そして、そのことが現在(いま)の隆盛を招いているのだ。人々がかたよらなくなったら、おしまいだ。かたよっているとは、個性的と決して同義ではない。もっと無邪気で自由なもの。なーるほど、そうなんですね。かたよっていて、いいんですね。堂々とかたよっていきましょう。
 井上ひさしは、しばらくオーストラリアに住んでいたことがあります。そのとき、大学で、日本映画をふくめてたっぷり映画をみていたようです。三船敏郎と仲代達矢の出演する映画『用心棒』が上映されるときの観客の反応が面白いのです。決闘場面を、それだけを何回も学生たちが映写するよう求め、3回も4回も繰り返してみるという情景です。いやあ、これには驚きました。同じように『生きる』や『七人の侍』なども、何回も何回もオーストラリアの学生たちが繰り返し見ているというのです。たしかに、それだけの価値のある映画だと思いますが...。
 黒澤明はこう言った。
 「まず技術をもって職人として生き、次に職人を超えて芸術家になれ」
 井上ひさしは、これを次のように言い換えた。
 「まず面白さに徹せよ。徹することができたとき、その作品は一個の芸術になっている」
 この『七人の侍』と『生きる』は井上ひさしの評では、1位と3位になっています。『用心棒』は19位ですが、『砂の器』が55位という低さには不思議な気がします。番外の101位に登場する黒澤明の『素晴らしき日曜日』という昭和22年制作の映画をみてみたいと私は思いました。
 井上ひさしは戯曲を書くとき、紙人形を机の上に並べて、毎日、ああでもない、こうでもないと動かしていたそうです。栄養剤の空箱でつくった三角錐に出演俳優の顔写真を貼りつけ、紙人形にして、役名を書き込むのです。やがて、紙人形に生命のようなものが宿り出して、勝手に動きはじめるその動きを細大漏らさず記録して、筋立て(プロット)をつくる。
 私も長編小説(と言えるか分かりませんが、7巻本です)を書きすすめるときには、紙人形こそつくりませんでしたが、詳しい登場人物のプロフィルを目の前に置いて書きすすめていきました。やがて、登場人物が勝手に話しはじめるような錯覚に陥ったのは、本当のことです。
 井上ひさしは、なるべく腹を立てないことをモットーにしていると書いています。実際には、腹の立つことばかりの世の中なので、心の平穏を意識的に保つようにしていたということでしょうね。これまた私も同じです。
 最後に、野球をラジオで実況中継するアナウンサーがすごいという話は、本当にそのとおりでした。私も子どもが小学生のころ、野球場のナイター試合を1回だけ見に行ったことがあります。私自身も子どものころ、ラジオで野球の実況中継は聞いていました。アナウンサーが試合を分解し、それをひとつひとつ言葉で再構築して、聴き手に送ってくる。アナウンサーの脳味噌の上で展開していくゲームを聞いているのだ。まったくそのとおりです。それで十分に試合展開が手にとるように想像できました。
 やっぱり、井上ひさしはコトバの天才です。
(2022年6月刊。税込2200円)

2022年11月23日

萩尾望都がいる


(霧山昴)
著者 長山 靖生 、 出版 光文社新書

 萩尾望都は、先日、秋の叙勲を受けました。日弁連副会長をつとめた人と同じランクでした。私は国が勝手にランクづけするのはおかしいし、トップに位置づけられている日本の超大企業の社長連中がどれだけ日本社会に貢献したのか、大いに疑問なのです。でも、萩尾望都に関しては、マンガを通じて、大勢の子どもたちをふくめて大人まで、夢と希望と思索を与えてくれた功績は大だと考えています。
 本人だけでなく、父親も大牟田生まれだというのは初めて知りました。三池炭鉱の事務職員だったそうです。バイオリンを学んでいて、プロを目指したこともあるということも知りませんでした。
 母親との葛藤を描いた「イグアナの娘」は、何とも壮絶な母と娘の緊張関係をよくぞあらわしています。実は、私の母は萩尾望都の母親と女学校(福岡女専)の友だちだったので、母親は我が家によく来ていましたので、私は面識があります。なので、写真で見る萩尾望都の顔が母親そっくりなのを実感します。
 萩尾望都は天才だと私は考えていますが、この本によると、2歳のころから幼児離れした絵を描いていたとのこと。なるほど、そうだったのかと思いました。小学3年生からは絵画教室に通って、油絵も学んだとのこと。そして、福岡の服飾デザイン学校にも通っています。天才といっても、それなりに修練したのですね。
 「11人いる!」は、1975年の作品なので、SFブームの前、その先駆けだったのとこと。すごいですよね、この作品は...。
 萩尾望都は、物語の枠組みを、かなり緻密に構築してから描き始めるというタイプ。そうでないとありえないような伏線が冒頭近くから巧みに仕組まれていることが多い。うむむ、これまたすごいことです...。なかなかできることではありません。
 書き始めると、登場人物がひとりでに動き出していくのです。それをどうやってつじつまを合わせるのかに苦労するというのが、私のような凡人モノカキの課題というか、実情です。伏線どころではありません。ましてや冒頭近くに伏線をひそませておくなんて...。
 萩尾マンガにはムダがない。すべての絵、すべてのコトバがテーマにそっていて、意味をもち、ドラマは論理的に構成されている。読んで飽きることがない。繰り返し引き寄せられる。絵に込められた情報が圧倒的に多いからだ。なーるほど、そういうことなんですか...。
 竹宮恵子との確執は両者の本を読みましたが、やはりなんといっても萩尾望都のマンガのほうが上を行っていて、それに気がついた先達(せんだち)の竹宮恵子が嫉妬したということなんでしょうね。芸術家同士の火花が散ってしまったということなんだと思います。でもまあ、こんな裏話はともかく、出来あがって読者に提供された作品を素直に読んで面白いと感じたいと私は考えています。萩尾望都のマンガをまた読んでみたくなりました。
(2022年7月刊。税込1078円)

 日曜日の朝、フランス語検定試験(準1級)を受けました。昨年は自己採点では合格点をとっていたのに、不合格だったのです。とても残念でした。
 今年は雪辱しようと、1ヶ月以上前から朝晩、フランス語を勉強しました。朝はNHKフランス語のラジオ講座の書き取り、夜は30年間の過去問に繰り返し挑戦します。ともかく年齢(とし)とともに単語の忘却度が昴進しています。いつも新鮮なのに困ってしまいます。
 さて、結果は...。120点満点で71点でした。6割が合格ラインなので、ひょっとしたら合格しているかもしれません。
 ペーパーテストの次は口頭試問です。ぜひ受けたいのですが...。

 

2022年11月12日

猿蟹合戦の源流、桃太郎の真実


(霧山昴)
著者 斧原 孝守 、 出版 三弥井書店

 東アジアから読み解く五大昔話、というサブタイトルのついた、とてもとても面白い本です。まるで期待もせずに読み始めたのですが、なんとなんと、あまりに面白くて、電車の乗り過ごしに気をつけたほどでした(実際には終点まで行くので、心配無用なのですが...)。
 サルカニ合戦、桃太郎、舌切り雀(スズメ)、かちかち山、花咲か爺という、日本人なら誰でも知っている(はずの)昔話について、そこに登場するキャラクターや物語の構成、話の背景を東アジアの諸民族に伝わる類話と比較し、異同を明らかにして誕生の源を検討していきます。うひゃあ、こんなに似た話が世界各地にあるんですね。たまげました。
 サルカニ合戦に登場するカニは、実はハサミの毛が深いモクズガニ。モクズガニが水中にいるとき、そのふさふさした毛は、まるでサルの毛のようだという。その類似性から話が出来ている。そう言われて、彼らの写真を見ると、まさしくそうなんです...。
 舌切り雀は、もともと継母に舌を切られて殺され、鳥と化した継娘が異界に飛び去り、実父たる爺が異界に娘を訪ねていく話だったのではないか...。ふむふむ、そうなんですか。
 サルカニ合戦で、助っ人の面々の果たす機能は、かみつく、刺す、破裂する、滑らせる、圧迫するなど。これは海外でも同じパターンが認められる。中国には、助っ人の敵討ちが、待ち受け型もあれば、旅立ち型もある。
 中国西南部に住む人口20万人ほどの少数民増であるムーラオ族には、こんな昔話がある。
 ウサギが桃を食べ、その種を埋めると芽が出て桃の木になる。やがて、桃の実がなったので、ウサギはサルに桃の実をとってほしいと頼む。ところが、サルは自分ばかりが桃の実を食べる。それを聞いた亀がサルをやっつけてやろうという。また、ミツバチ、そしてリスとセンザンコウも同じようにサルをやっつけてやると言う。ウサギは信じられない。ところが、サルがやって来ると、亀の背中を踏んで、よろめき、リスとセンザンコウの掘った穴にはまる。サルが穴から出ようとすると、センザンコウがかみつき、樹の上のリスは松ぼっくりをサルに投げつける。そして、ミツバチがサルの尻を刺し、センザンコウがサルの長い尾をかみきってしまう。ついにサルは逃げ出してしまう。
 なるほど、これはサルカニ合戦とまったく同じようなストーリー展開ですよね。
 桃太郎のキビ団子の話については、助っ人に何らかの食物を与えることが、今の私たちの想像する以上に重要な意味をもっていたようだ。
 桃太郎の話には、役に立つ助っ人だけでなく、実は役に立たない「お供」がいることもある。なぜ、役に立たない「お供」をわざわざ登場させたのか...。
 舌切り雀(スズメ)に似たようなものとして腰折れ雀の話がある。雀が善良な者には富を与え、危害を加えた欲張りな者には罰を与えるという点で、この二者は共通している。東アジアから中央アジアにかけて広く伝わっている。なぜ、スズメなのか。中国やミャンマーでは、同じような話がスズメではなく、カラスになっている。ロシアのアムール河ぞいに住むツングース系の漁撈民ナーナイにも同じような話が伝わっている。そして、アイヌにも...。
 カチカチ山では、タヌキが爺に婆汁を食べさせる。アメリカ大陸中央部に住む平原インディアンに属するアラパホ族の伝承するストーリーがまったくよく似ている。それは、子どもを調理して母親に食べさせるところだ。中国南部の山中で牧畜をしている人口2万人ほどの少数民族であるユーグ族にも、子どもの肉を母親に食べさせるという「婆汁」の発想がある。
 桃太郎の話は、結局、サルカニ合戦の一種にすぎない。うむむ、なーるほど、そうかもしれないと思えるようになりました。少数民族の昔話を採集して、それらを比較し検討するというのは大変に苦労の多い作業だと思います。それをしっかりやっていただいているおかげで、本書のような深い意義のある本に出会えました。ありがとうございます。
 日中間に不穏な空気まで漂うなかではあり、平和的共存が大切なことも実感させてくれました。ご一読を強くおすすめします。
 
(2022年6月刊。税込3080円)

2022年11月 6日

香君


(霧山昴)
著者 上橋 菜穂子 、 出版 文芸春秋

 私は、まったく自慢にもなりませんが、あまり鼻が利(き)きません。香(こう)あわせに万一出されたら、ビリ争いをしてしまうのが必至です。庭に夏になると夜、匂いを漂わせる夜香木(やこうぼく)があります。家人が、「ほら、匂ってきた...」と言っても、ちっとも分かりません。さすがにキンモクセイの香りは分かります。でも、今では可哀想にトイレの消臭剤として、すっかり定着しているため、トイレの匂いというレッテルをべったり貼られて気の毒です。
 この本の主人公は、そんな私とまるで正反対、香りで万象を知る女性です。その名も「香君(こうくん)」。すごいんです。心の底まで見透かすように匂いで物事の本質を知ることができます。
 それにしても著者の小説は、いつだってスケールが巨大です。
 そして、地球の自然環境をめぐる深刻な諸問題が必ず取り込まれていて、他人事(ひとごと)のストーリー展開ではありません。
 今回は、アメリカのモンサントなどの巨大穀物メジャーが、全世界の農民を自分たちに依存するしかないように仕向けて画策しているという現実を踏まえたストーリー展開です。
 実際、モンサントから種子(たね)を購入すると、1年目はこれまでにない豊作が現出する。ところが、できあがった実を勝手に播くことは許されない。それを合法化する契約書があった。
 自分が収穫した農作物の種子(タネ)を自分の土地に播くことは許されていない。モンサントから買うしかない。もちろん、お金が必要。こうやってモンサントたち食糧メジャーの農・漁民の囲い込みは実現するのです。種子(タネ)は買うしかありません。
 いやはや、とんだ仕掛けなのです。
 北海道に向かう飛行機のなかで、一心不乱に読みふけり、読書の喜びに浸りました。
(2022年3月刊。税込1700円)

2022年11月 3日

文化人類学入門


(霧山昴)
著者 奥野 克己 、 出版 辰巳出版

 1962年生まれで、立教大学教授による文化人類学入門書です。
 実のところ、まったく期待せずに読みはじめたのです。文化人類学って何...、なんて言われても、さっぱり見当もつきません。
 冒頭あたりで、目について面白いと思ったのは...。女性は他集団に送り出さなくてはいけないので、自集団内の女性とは性交渉してはならない。自集団の女性たちとは、自分の姉や妹などの、近親の女性たちのこと。近親相姦の禁止、つまりインセスト・タブーによって、女性を自集団の外へと送り出し、女性の交換が行われるように仕向けている。インセンスト・タブーの原理こそが、人類社会を成立させている。
 この本で面白いのは、地球上、各地で、SEXをめぐる考え方が、こんなにも違うのかと、あきれてしまうほどです。でも、その内容は、ここでは紹介しません。本書を読んでください。
 著者はマレーシア領のボルネオ島(サラワク州)に住む狩猟・採集民7千人のプナンとともに生活(フィールドワーク)して一冊の本にまとめている。2006年から2019年まで、夏と春の毎年2回、プナンの地へ出向いた。もちろん、通訳なしで、本人がプナン語を勉強して話せるようになっています。すごいですよね。通算して600日以上も滞在したというのです。
 プナンの人々は、もらった贈り物をひとり占めすることがない。しかし、それは生来のものではなく、親が子に教えた結果。プナンの人々は、贈り物をもらっても「ありがとう」とは、決して言わない。そもそも、そんなコトバがない。では、何と言うか...。それは、「よい心がけ」の一言。狩猟民であるプナンの人々は、狩猟に参加したメンバー間の平等・均等な分配に執拗なまでにこだわる。プナンの社会では、与えられたものを、すぐに他人に分け与えることを一番頻繁に実践する人が、もっとも尊敬される。なので、その人は誰よりも質素で、みずぼらしい格好をしている。だからこそ、周囲の人から尊敬を集める。
 したがって、プナンの投票原理は、明らか。一番たくさんの現金をくれた候補者に投票する。果たして、そんなことで、いいのでしょうか...。
 プナンの人々は、時間間隔が非常にうすい。相対的な時間の感覚しかなく、絶対的な時間の感覚があまりない。
 バリ島では、人がなくなると、まず土葬する。次に白骨化した遺体を洗骨する。そして、人間の形に並べ直して、白骨化した遺体を今度は火葬する。バリ島の現地の人々は海で泳げない。海は死者とつながっていると考えるからです。
 著者は大学生のとき、メキシコに1ヶ月も滞在、バングラデシュの僧院では、頭を丸め、得度式をして、黄色い袈裟(けさ)をもらい、仏教名を授けられ、仏教の修業をしました。朝、托鉢に出て、昼から経典を読む生活を1ヶ月も続けたというのです。なんとも、すごーい。すごすぎます。
 『地球の歩き方』は、ひところの私の愛読書でもありました。
 この本で一番面白いのは、著者の若かりし頃の世界放浪記です。若さと語学力があったのですね...。うらやましい限りです。
(2022年6月刊。税込1760円)

2022年10月24日

すごい言い訳!


(霧山昴)
著者 中川 越 、 出版 新潮文庫

 人生最大のピンチを、文豪たちは筆一本で乗り切った。オビのこんなキャッチフレーズにひかれて読んでみました。
 この本によると、樋口一葉は22歳のころ、名うての詐欺師(相場師)に取り入って、お金をせびろうとしたそうです。そのときの一葉の文章は...。
 「貧者、余裕なくして閑雅(かんが)の天地に自然の趣(おもむ)きをさぐるによしなく...」
 一葉は、名うての詐欺師も舌を巻くほどの、非常にしたたかな一面も持ち合わせていたようだ。本当でしょうか...。そうだとすると、ずいぶんイメージが変わってきますよね。
 石川啄木(たくぼく)について、北原白秋は「啄木くらい嘘をつく人もいなかった」と評したそうです。ええっ、そ、そうなんですか...。
 借金してまで遊興を重ねたくせに、あるときは、「はたらけど、はたらけど、なお、わが生活(くらし)楽にならざり。ぢっと手を見る」と、啄木はうたった。
 啄木はウソの言い訳を連発した。人は、こんなに見えすいたウソを続けて並べるはずがないという相手の深層心理につけいった。いやはや、なんということでしょうか...。
 「前略」も「草々」も言い訳。「前略」は、全文を省く失礼をお詫びします、という意味。「草々」は、まとまらずに、ふつつかな手紙となり、すみませんという意味。
 夏目漱石は、明治40年、40歳のとき、それまでの安定した東京大学の教師の地位を捨て、朝日新聞社の社員へ、果敢に鞍替えした。不惑で転職する人は、勇敢だ。
 私の父は46歳のとき、小さなスーパー(生協の店舗)の専務を辞めて、小売酒屋の親父(おやじ)になりました。5人の子どもたちに立派な教育を受けさせるためです。サラリーマンでは無理なことだと正しく判断したのです。
 漱石は、朝日新聞社では主筆よりも高い棒給をもらいました。月給200円(今の200万円以上)、賞与は年2回で、1回200円。朝日新聞は、日露戦争が終結すると、購読数が伸び悩んでいたので、漱石を社員として囲い込んだのでした。
 漱石は40歳で死亡しました。
若死にですよね。これに対して画家は長生きしています。北斎は88歳、大観は89歳、ピカソは91歳まで生きた。絵を描くのは精神衛生によいからだろう。
言い訳にも、その人となりがよくあらわれるものですね...。
(2022年5月刊。税込693円)

2022年10月12日

わたしの心のレンズ


(霧山昴)
著者 大石 芳野 、 出版 インターナショナル新書

高名な写真家である著者が50年に及ぶ取材生活を振り返った新書です。
まだ駆け出しのころ、「女流カメラマン」と呼ばれたとき、著者は「私は流れていません」と反発した。すると、「かわいくないねー」と嫌味を言われた。なるほど、そういう時代があったでしょうね・・・。
 まずはパプアニューギニアへの取材旅行を紹介します。1971年、まだ著者が20代の娘だったころのことです。そんなところに若い女性が一人で行くなんて、とんでもないと周囲から何度も止められた。もちろん止めるでしょうね。それでも著者は出かけました。
 パプア人とは、縮れ毛の人という意味。ここでは、一夫多妻の習慣をもつ部族が多い。でも、ひとりの母親は3人の子までしかもたない。なぜか・・・。「森が壊れてしまうから」。 人口が増大すると森が壊れ、結局、打撃を受けるのは自分たちだと、みんなが考えている。
 著者は、山中の村に長く滞在し、ロパという女性と親しくなった。現地の言葉も話せるようになったのでしょうね。女性は特殊な草を食べて避妊していた。
 そして長く村に滞在していると、著者を「見に来る人」が増えて、「人気者」になったとのこと。ノートにメモをとっていると、その一挙手一投足まで皆がじっと注目し見つめる。そこで著者が、「私は動物園のサルではない」と訴えた。それに対して返ってきた言葉は、「サルより面白い」というもの。なーるほど、そうなんでしょうね。明治初期に東北地方から北海道まで日本人の従者一人を連れて旅行したイギリス人女性(イザベラ・バード)が、まさにそうだったようです。
 ここでは、男女ともに、自分たちの祖先はワニだと信じていたる。そして、男性はワニと同じように強くなるための苦行を経なければいけない。村人、とりわけ女性を守るのは勇敢な男性なので、そのために男性は心身を鍛えなければならない。ワニの化身になった男性の肌にはワニ柄が彫られている。これを、男女とも、みんなが「美しい、たくましい」と言ってあがめる。
 背中にカミソリをあて、傷口に黄色い粘土をすりこんでいく。とても痛いらしい。それをじっと耐える。この背中の傷がいえるまでに、少なくとも1ヵ月はかかる。いやはや、「勇敢な男」になるのも大変なんですね・・・。
 世界各地のドキュメンタリー写真をとってきた著者はベトナム、カンボジアを含めて、世界各地に足を運んでいて、鋭く問題提起をしていて考えさせられる新書です。
(2022年6月刊。税込1089円)

2022年10月11日

おしゃべりな脳の研究


(霧山昴)
著者 チャールズ・ファニーハフ 、 出版 みすず書房

 スポーツのコーチング界では、セルフトークがきわめて重要だと思われている。やる前に「おまえならできる」というほうが、「おまえには無理だ」というより、プレイヤーの成績は良い。これは、私もよくしていることです。内面の自分に話しかけ、励ますのです。
 以前は読むという行為は、一般に声を出してすることだった。日本でも明治初期まで人々は音読、つまり声を出して読みあげていました。今のように新聞を黙読するという習慣はなかったのです。
 ほとんどの子どもは音読をまず覚え、その後、しだいに声を出さなくなり、最後には完全に黙って読むようになる。脳内で読むほうが、音読するより速い。視覚情報を音声にもとづく符号に変換し、それから意味を引き出すかわりに、音声の段階を省き、視覚情報から意味情報へと直行できる。こちらのほうが、脳の仕事は少ない。
 すらすら読める人でさえ、とくにテキストが難解なときは、読みながら舌を動かす。
 読むときに引き起こされる内言は、ときに自分自身の声であり、自分のなまりの特徴も備えている。そして、著者を知っているときには、その人の声が内言で聞こえることすらある。
 著述家は、著者のページを通じて、文字どおり話しかけることができる。
 小説家がもっとも興味を抱いている声は、おそらく登場人物の声だろう。声は登場人物の私的な思考プロセスや内言でさえありうる。これこそ、小説を読む醍醐味のひとつだ。頭の中が声でいっぱいになる。
 過去について記憶違いをしているとき、その一因は、古いほうの記憶が現在の自分の物語と合致しないことにある。それで、物語に合うように事実を変えてしまう。 
 私たちは、みな断片化されている。単一自己など存在しない。誰もが、みなバラバラに分解した状態で、その瞬間ごとに、まとまった「私」の幻影をつくりあげようと格闘している。どの人も多かれ少なかれ解離状態である。
 私たちの自己は絶えず構築され、再構築される。これは多くの場合、うまくいくが、失敗に終わることも少なくない。
 私は弁護士として、たまに多勢の人の前に立って話をすることがあります。以前は、あらかじめ原稿を用意していましたが、今では、せいぜいポイントとなることを、いくつか小さなメモ用紙に書き出すだけにしています。大勢の人が自分を見ていると、その場の雰囲気をつかんだ私の脳が、即座にストーリーを組み立ててくれますので、それを文字どおりなぞって話を展開していきます。不思議なことに、話の展開は、私の内面から湧きあがってくるのです。まさしく内なる自然現象に身をまかせます。
 ジャンヌ・ダルクは、神の声を聴いたということでした。同じように、聴覚的に、視覚的に、身体的に知覚できないときでも、知覚することがある。なんとなく分かります。
 何かがいる気配というのも実際にあることなんですよね。その内なる声に耳を傾けたほうがよいことが多いということです。
(2022年4月刊。税込3960円)

2022年10月 9日

生きる力、絵本の力


(霧山昴)
著者 柳田 邦男 、 出版 岩波書店

 孫たちが来たら、絵本を読んでやるのが私の楽しみです。一番直近は「ダンプ園長やっつけた」でした。「どろぼう学校」(かこさとし)は私のお気に入りの一つです。福井県にある「かこさとし美術館」には、ぜひ行ってみたいと考えています。
 「コルチャック先生」とう絵本があるそうです。知りませんでした。コルチャックは26歳のとき医師(軍医)として、日露戦争に従軍して満洲の地にやってきていたとのこと。ポーランド人のコルチャックは、ポーランドがロシア領だったことから、軍医として召集されたのでした。そこで、戦争の現実をコルチャックは知ります。戦争はしてはならないものだと確信したのです。
 30歳台になったコルチャック医師は、ユダヤ人やポーランド人の孤児たちの施設をつくった。ここでは、子どもたちの可能性を引き出し伸ばすために完全な自治制だった。子どもたちが自分たちで議会を開き、法律に相当する規則をつくり、裁判所まで設けた。そのなかでコルチャックが強調したのは、許すという寛容の精神の大切さだった。
 ふむむ、なんだかすごいことですね。まったく私の発想にありませんでした。
 そして、ナチスが子どもたちをゲットーから強制収容所へ連れ出すとき、コルチャックだけは助かる機会があったのに(この本では脱走する方法があったとされています。当局も対象から除外しようとしたという説もあります)。ところが、コルチャックは、子どもたちの信頼を裏切るわけにはいかない、不安に陥れることはできないとして、自分だけ助かることは拒絶したのでした。そして、コルチャックは、子どもたちの命を救うことはできなかったが、最後の最後まで、子どもたちの不安や恐怖を少しでもやわらげようと、そばから離れなかった。
 いやあ、すごいことですよね。私には、とても出来ません。人間って、こんなことが出来る人もいるんですね。信じられません。涙が止まりませんでした...。
 大人は子どもが言葉で表現することができないと、何も分かっていないと決めつけてしまう。しかし、子どもは言葉による表現力がまだ十分に発達していないだけであって、分かっていないのとは違う。感覚的には、生きることや生命に関わる大事なことは分かっているのだ。
 孫たちに接していると、自分の子のときと違って、少し距離を置いて客観的に眺める(観察する)ことができますので、人間の発達過程がよく見えてきます。子どもは自分本位で、わがままな存在ですが、差別されることは敏感です。ちょっとした違いにもすぐに反応します。そのとき、年齢(とし)や男女の違いは問題になりません。あくまで一個(ひとり)の人間として、自分が大切にされていると感じられるか否かが判断基準になります。その鋭い感覚には呆れてしまうほどです。
 この本には、子どもをほめることの大切さが強調されています。大人だって、ほめられたらうれしいものです。子どもは大人以上でしょう。
 子どもなのだから、失敗するのは当たり前。それよりも、「ちょっとだけ」の成功を見落とさず、しっかりとほめてあげるのが大切。そのとおりです。
 子どもは叱られてばかりいると、どんどん自己肯定感をもてなくなり、粗暴になったり、逆に引きこもったりして、素直に自己表現することができなくなる。子どもを見ていると、その親の子への接し方が分かる。弁護士として、依頼者に接したとき、ああ、この人は子どものとき、人間は信頼できるという安心感をもつことができないまま大人になったんだなと実感させられる人が少なくありません。
 著者は「絵本は人生に三度」と言ってきた。一度目は、自分が子どものとき。二度目は、子どもを育てるとき。三度目は、とくに人生後半になったときや思い病気なったとき。三度目は、私のように幸いにも孫がいるときをふくむのでしょうね。
 絵本は子どもだけのためではなく、大人のためでもあることを気づかされる本でした。
(2014年1月刊。税込1650円)

2022年10月 2日

鷗外追想


(霧山昴)
著者 宗像 和重 、 出版 岩波文庫

 明治の文豪・森鷗外が亡くなったあと、故人を偲んだ文章がまとまっている文庫本です。
 鷗外という人の性格と生活の様子が分かります。
 鷗外は、淡泊な野菜類、ナス、カボチャ、サツマイモを好んだ。
 とりわけサツマイモが好物で、砂糖をつけて食べた。
 晩年には、料理屋のものは一切食べなかった。
 本をたくさん買ったが、値切ることはしなかった。著者の苦労を思えば、そんなことはできないと言った。
 服装は1年中、軍服で通すことが多かった。
 留学してからは風呂に入ることなく、朝夕2回、桶1杯の湯と水を入れたのと穴のあいたバケツを2個そろえて、頭の先から足の先まで拭い清めた。
 タバコをすい、葉巻を愛用したが、晩年にじん肺になってからはやめた。
 酒は飲まなかった。
 日清戦争に従軍したあと、台湾へまわされ、そのあと東京ではなく、小倉師団に転任を命じられた。これは明らかに左遷であり、本人も「隠流」という雅号を名乗って、自分の心境を表明した。
 鷗外は、相撲を好んだ。
 鷗外も妻も、最初の結婚に失敗した同志だった。
 医者でありながら、自らは医者にかかりたくなかったようです。60歳で亡くなったのも、そのせいではないでしょうか...。
(2022年5月刊。税込1100円)

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