弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2022年3月 4日

太平洋法律事務所30年の歩み


(霧山昴)
著者 太平洋法律事務所 、 出版 太平洋法律事務所

1990年に設立された太平洋法律事務所は消費者問題で日本最先端を走ってきたし、今も走っているとして高く評価されています。この記念誌のなかで、30年間の取り組みを50頁にわたる座談会で詳しく明らかにしていて、大変勉強になりました。
その座談会を紹介する前に、太平洋法律事務所には、伝統芸能部なるものがあり、文楽公演を楽しんでいるというのです。これには驚かされました。「仮名手本忠臣蔵」は私も知っていますが、「傾城(けいせい)反魂香」土佐将監閑居の段の意義をめぐって激論がたたかわされたらしいのには、思わずほっこりしてしまいました。
太平洋法律事務所で2年ほどイソ弁した笹谷弁護士は、朝から夜中まで事務所で仕事をしていたので、自宅の電気代が、なんと毎月1000円以下だったというのです。ホンマかいな、こりゃブラック事務所じゃなかろうか、ついそう思ってしまいました。
さて、本題の座談会です。太平洋法律事務所創立の前年に「消費者法ニュース」がスタートしています。三木俊博弁護士は、訪問販売法の改正問題そして商品先物取引被害に取組んだ。私も九州一円の先物取引被害に取り組みました。さらに、豊田商事国賠請求事件の弁護団事務局長を三木弁護士はつとめました。
PL法の関係でアメリカに視察に行き、悪名高い猫の電子レンジ事件が、実はPL法の事件ではなく、動物愛護法違反の事件で、被告人側から、そんな抗弁が出たにすぎないことが分かったということが紹介されています。なーんだ、そうだったのか...、と思いました。通産省は、PL法を制定してほしくないために、嘘と誇張の調査報告書までつくって逃げ切ろうとしていたのでした。ところが、日本の製品を海外に輸出するとき、PL法がないと日本に信用がないとメーカーが考えて、通産省も次第に押されて考えを改めたとのこと。
茶のしずく石鹸事件では、解決まで8年8ヶ月もかかった。福岡と大阪では原告勝訴となったが、東京と京都の裁判所では科学論争にひきずりこまれて裁判所が惑わされてしまった。そのとき元裁判官で政府の担当者だった升田純弁護士が裁判所を惑わす議論を仕掛けた...。升田弁護士は当会の研修会の講師をずっとつとめていますよね。
信楽高原鉄道事故(1991年5月14日。43人死亡、600人の負傷者)についてJR西日本との裁判では、裁判を通じて、原告弁護団は、ついに政府に事故調査委員会をつくらせた。いやあ、これはすごい成果ですよね。
たとえば欠陥住宅を扱う弁護士がネットワークをつくり、お互いに切磋琢磨して実務のレベルを上げ、良い判決をとって法令等の改正にもつなげていく。三木弁護士は、先物取引被害・証券取引被害の分野で、その中心となってやってきたのが自分の誇りだと述懐していますが、まさしくそのとおりです。
国府泰道弁護士は国会で何度も参考人として発言し、質疑に応答したようです。それが、いろんな立法につながっていったのですから、本当にたいしたものです。たとえば、訪問販売法の改正、PL法の制定、公益通報者保護法...。いやはや、大変な成果をあげた法律事務所ですね。
三木弁護士を中心として紹介してしまいましたが、私は三木弁護士とは大学以来のつきあいで、三木弁護士が最高裁判事になってくれたらいいなと思っていました。
「消費者事件の太平洋法律事務所」という看板にまったく偽りがないことを明々白々にしている貴重な冊子です。
(2021年12月刊。非売品)

2022年3月 1日

嘘はつかない、約束は守る


(霧山昴)
著者 萬年 浩雄 、 出版 LABO

銀行員と弁護士は経営能力はない。これが著者の考え。どちらも、ちょっぴりだけ頭が良い。なので、にわか勉強をすれば、いっぱしの経営理論をぶつことができる。しかし、それが本当に実際の企業経営に役立つものなのか、疑問がある。私も大いに同感です。といっても、経営能力のある弁護士もいれば、銀行員もいるとは思うのです。一般論として、多くの弁護士は経営者に向かないのではないかと私も自分をかえりみて、そう思っているということです。たとえば、私は、岡目八目(おかめはちもく)というコトバのとおり、はたから見て経営状況に論評することはできます。でも、自分で実際に企業を経営してみろと言われたら、まったく自信がありません。無理だろうと思いますし、する気もありません。
同じことが、経営コンサルタントにも言える気がします。コンサルタントは自分でリスクを取らず、コンサルタント料さえもらえたらいいので、それなりのことを言えるし、言うでしょう。
でも、そのとおりやったら必ずうまくいかといったら、まったくその保障はないのです。それにしてもコンサルタント料のバカ高いことには、目をむいてしまいます。コンサルタントって、弁護士以上に「口八丁、手八丁」どころか、「噓八反」がまかり通っている気がしてなりません(すみません、間違った思い込みかもしれませんが、これが私のホンネなんです...)。
著者は福岡でも有数の法律事務所を率いていますから、私なんかと扱う案件とケタが2つも3つも違います。パチンコ店の企業再建で出てくる金額は、年商500億円に再び回復したというものです。口をポカンと空けてしまいます。
著者は、弁護士に経営能力がないと考えるのは、弁護士は「守りには強いが、攻めには弱い」からだとします。これには、いくらか違和感があります。私をふくめて、攻めには強いが、守りには弱い弁護士も少なくない気がするからです。
著者は、弁護士プロデューサー論を提唱していますが、これには異論ありません。
弁護士が何でも知っていると思うのはまちがい。まったく同感です。弁護士生活48年になる私ですが、世の中、いかに知らないことだらけなのか、いつも実感させられています。そこで、大切なのは、弁護士がいろんな分野の専門家を知っていて、それを依頼者に紹介して、ネットワークを広げてもらうことです。これなら、たいていの弁護士が私もふくめて出来ます。人脈があれば、いいのですから。
依頼者がなぜ法律事務所に足を運び、お金を出してまで弁護士に依頼するのか...。
それは、インターネットでは得ることのできない安心感と納得感を求めているからだ。
これにも同感です。インターネットによる相談に欠けているのは、これですよね。
実は、私はいつまでたってもガラケー人間なのですが、著者はケータイも使っていないようです。それには、ガラケー派の私でさえ、いくらなんでも...、と思いました。
著者は、弁護士になって10年までは、弁護士を天職と思っていたが、10年を過ぎると、しょせん弁護士は人間の欲望を処理しているだけではないかと、暗澹たる気分に陥ったといいます。いやいや、私は今でも弁護士は天職だと考えていますし、苦労してこの職業に就けて良かったと思います。
人間の欲望といっても、いろいろあるわけです。欲望を全否定することはできませんし、できるはずもありません。この欲望を適当に折りあいをつけていくことで人間社会はなんとか成り立っているわけです。そのとき、むき出しの暴力は論外ですし、口ゲンカで終始していても終わりが見えません。紛争解決のルールをつくって、それに従ってトラブルをおさめていくこと、そして、それによって事後(将来)のトラブルもそれなりにおさまっていくという見通しが得られるというのは、毎日を安心・安全に暮らすうえで不可欠です。このときに、弁護士は裁判所と同じく欠かせない存在だと思うのです。
福岡の名物弁護士と他称される著者の面目躍如のエッセイ集の第1巻です。いくつかの点で著者とは意見が異なりますが、企業法務を担う福岡最大手の法律事務所のボス弁としての活躍には大いに敬意を表しています。
LABOから贈呈していただきました。いつもありがとうございます。
(2022年2月刊。税込1980円)
 
 日曜日は、春うららかな陽差しをあびながら、庭仕事に精出しました。チューリップの芽がぐんぐん伸びています。覆っていた雑草を取ってやりました(まだ、全部ではありません)。
 紅梅に続いて、ようやく白梅が咲きそろいました。例年以上の時間差があります。
 まだ、明るいうちに(といっても夕方6時)、庭からあがって風呂に入り、いい気持になりました。ところが、風呂から出ると、猛烈なくしゃみの連発です。今年は花粉症がすごく軽いなと思っていたのですが、たちまちティッシュペーパーを払底させてしまいました。目もかゆくなっています。
 それにしても、ロシアの戦争は許せませんよね。軍事力ですべてを押し切ろうとする発想は許せません。ロシア軍は直ちにウクライナから撤退すべきです。ウクライナの人々の気持ち思い、また、連鎖反応を恐れて、暗い気持ちになりました。

2022年2月15日

北の大地に自由法曹団の旗を掲げて


(霧山昴)
著者 北海道合同法律事務所 、 出版 北海道合同法律事務所

1970(昭和45)年9月、廣谷・三津橋法律事務所が発足。その後1972(昭和47)年に北海道合同法律事務所と改称し、今では弁護士18人、事務局15人を擁する北海道でも有数の法律事務所です。このほか、ここの出身の弁護士も18人います。
発足したころ、札幌地裁では自衛隊をめぐる長沼訴訟が進行中で、福島重雄裁判官が札幌高裁長官から注意処分を受けて辞任を表明したが、そのことについて札幌弁護士会は総会を夜中まで開いて、裁判干渉をした平賀健太・札幌地裁所長について訴追請求をすると同時に、福島判事については辞職を撤回せよと決議し、弁護士会の役員が福島判事宅に乗り込んで説得し、福島判事の辞職を撤回させた。長沼訴訟では、自衛隊は憲法違反だという画期的判決(1973年9月7日)が出た。弁護士会が臨時総会を開き、夜中まで審議して決議したなんて、今ではとても信じられない熱気を感じますね。
1970年ころは、乾式コピー機がなく、カーボン紙をはさんで手書きする、せいぜい和文タイプする、コピーは青焼きという時代。この青焼きは湿式で、回転ローラーに原稿がはさまってしまったり、大変苦労したこともありました。
当時の工藤祐三事務局長は、「緩やかに日々が流れていて、今のようにテンポが速くなく、追いまくられずに、ゆったりとできた」と語っています。とはいっても、その仕事ぶりは、どんなものかというと...。事務所の近くの中華料理店(「北京楼」)でジンギスカンをコーリャン酒も飲みながら食べ、そのあと向かいの銭湯に入り、酔いをさまして仕事に戻るというもの。今瞭美弁護士は、「午後3時ころになると裏手にあった中華料理店から料理をとって小宴会をした」と書いている。
村松弘康弁護士は、もっとマナマナしく1980年前後の状況を明らかにしてます。
「当時は、土日なく働くのは普通だった。土曜日は、顧問先で法律相談を受けて、夕方は事務所で仕事した。ある日、夜遅く帰宅すると、大事にしていた本が玄関にバラバラになって散乱していた。家にひとり放置されていた家人の無言の抗議だった。ゆっくり仕事ができるのは日曜日くらい。日曜日は事務所のビルが閉まるため、土曜日の夜に2階の窓のカギを外し、ハシゴを準備して帰宅し、日曜日、管理人のいないころにハシゴをかけて2階の窓から『出社』していた。管理人に発見され、注意され、謝罪した。そのうち、管理人からは、『ケガするなよ』と注意されるだけになった」
管理人から「ビルの門限を守らない、夜中の出入りは困る。一度や二度ならともかく、常態化している」というクレームが何度も来ていたことを工藤事務局長も書いています。
田中貴文弁護士(40期)は、「24時間、戦えますか」という時代風潮のとおり、地下鉄の終電ギリギリまで事務所にいるのは当たり前で、時には仕事終わりが深夜に及ぶこともあった。たまに朝早く事務所に出ると、机の下のカーペットの床に石田明義弁護士(33期)が転がっていることが二度や三度ではなかったと回顧しています。2008年に入った山田佳以弁護士(新61期)も、深夜0時すぎまで仕事するのがフツーの生活で、第一子の出産予定日も仕事をしていたとのこと。
では、いったい、なんで、こんなに忙しかったのか...。
北海道合同には新人が3人一緒に入所したことが2度もあり、そのときに「経営危機」に陥ったようです。1回目は、1974(昭和49)年のことで、このとき私の同期(26期)でもある今重一・今瞭美、そして猪狩久一弁護士の3人が入り、「事務所にあった現金がまたたく間に底をついたが、新人3人は何とも動じなかった」というのです。同期ですから当然、私もよく知っていますが、まさしく当時も今も豪傑の3人です。そして、もう1回は40期の3人(笹森学、佐藤博文、田中貴文弁護士)が入所した1988(昭和63)年のこと。本人たちは、「給料以上に働いた」と言っていますが、新人が稼げるようになるまでは事務所としては大変だったろうと思います。
いったいぜんたい、何で、そんなに忙しかったのか、それも、この本を読むとよく分かります。目次をみると、扱った主要な事件として、薬害スモン訴訟、北炭夕張新鉱ガス突出災害事故訴訟、石炭じん肺訴訟、国鉄分割・民営化・全動労をめぐる訴訟、統一協会・青春を返せ訴訟、B型肝炎訴訟、自衛官人権弁護団、建設アスベスト訴訟、新・人間裁判、陸上自衛隊南スーダンPKO派遣差止訴訟、などなどです。いやあ、これだけの世間の耳目を集める訴訟を本気で勝つために追行するには、たしかに休日返上、深夜まで書類作成等で必要だったことでしょう。でも、ワークバランスが強調されている今日、そんな過重労働を今やっていいのかというと、必ずしも無条件で肯定できないことですよね...。
クロム患者の代理人として活動していた村松弁護士は、原告団事務局長が入院したとき、定期的に病室に行って、次第に衰弱していく様子をビデオに撮ったこと、また、亡くなった直後の遺体解剖にも立ち会い、解剖中の主治医が村松弁護士の右手をつかんで腹の中に差し入れ、「まだ暖かいだろう」と声をかけられ、いのちの名残りの温かさを感じて涙がこみあげてきたとのこと。想像するだけでも胸が詰まります。
北海道合同で特筆すべきことは、何人もの弁護士が候補者となり、議員となったということです。そのトップバッターは、創設者の廣谷陸男弁護士で、北海道知事選挙に立候補しました。以下、順不同でいくと、高崎裕子弁護士が1期6年間、参議院議員(日本共産党)をつとめました。猪狩久一弁護士は道議会議員に立候補することになって札幌市西区に猪狩康代弁護士とともに法律事務所をつくりました。惜しくも当選できませんでした。そして、つい最近(2019年)、札幌市長選挙に立候補した渡辺達生弁護士(46期)です。短期間で得票率30%、26万票以上をとったのですから、たいしたものです。首長選挙に出たのは廣谷弁護士以来36年ぶりとのこと。渡辺弁護士は下戸なので、スイーツ好きで、FBにはいつもでっかいパフェが登場します。
内田信也弁護士(38期)は、NPO法人子どもシェルターレラピリカの理事長をライフワークとしています。「レラピリカ」って、どんな意味なんでしょうか...、それにしてもすごいことです。
こんな雰囲気の事務所にしたのは創設者の廣谷弁護士の個性が大きいようです。いつも笑顔を絶やさず、違いよりも共通点を見つけて行動する、真の自由人だった。自らが自由であるだけでなく、相手の人の自由も尊重した。
まさしく「個性豊かな弁護士の集まり」を実感させる貴重な50年史になっています。
(2022年1月刊。非売品)

2021年12月10日

弁護士CASE FILE Ⅰ


(霧山昴)
著者 早稲田リーガルコモンズ法律事務所 、 出版 朝陽会(グリームブックス)

私は若いころ『弁護始末記』を夢中になって読みました。もちろん全巻よんで、今も持っています。若い弁護士に読むようにすすめているのですが、なにしろ30巻もあって大変です。もともとは大蔵省印刷局が発行していた『時の法令』に22年間にわたって連載されていたものが順次、本になっていたのです。大変面白くまた勉強になりました。
そして、この本は、この『時の法令』で始まったものを1冊にまとめたもので、14の論稿(ケース紹介)からなっています。かつての『弁護始末記』を思い出しながら読みすすめました。
ちなみに、私が『弁護士のしごと』シリーズ(6冊)最近、刊行したのは、この『弁護始末記』にならったものです。
私がまったくやっていないし、これからもやれないだろうけれど、弁護士の仕事の一つとして大切だと考えているのは、「子どもをサポートする仕事」(西野優香弁護士が執筆)です。
東京は「コタン」(子ども担当弁護士)という制度があるとのこと。児童養護施設、自立援助ホーム施設に入った子どもについて、コタンは親や学校との調整をしたり、子どもから日々の相談を受けたり、子どもたちが安心して生活し、社会に巣立っていけるようにサポートする。とくに親の虐待事案では、親のほうはあらゆる手段を使って子どもの居場所を突きとめようとするし、子どもを返してくれないのなら、学費は出さないと親が言ったりするので、慎重な対応が必要。いやあ大変な仕事ですね。でも、児童相談所とは別にコタンがいるっているのは、子どもにとって、きっと心強い味方になりますよね...。コタンは、月に1回のペースで様子を見に行ったり、一緒に食事に出かけたりするとのことです。これも弁護士としての立派な仕事です。本当に頭が下がります。
そして、未成年後見というのもあります。私はまだ担当していませんが、こちらは福岡でも聞きます。この本では5歳の女の子のケースが紹介されています。父親不明のままシングルマザーが亡くなり、その母の良心まで相次いで亡くなってしまったため、児童養護施設に入っている子の後見人に就任したのでした。
面会に行くと、自分にお客が来てくれたことを喜んでくれているようで、いろいろ明るく話してくれた。何か困ったことがないかと尋ねると、「みんながいなくなっちゃうと、さみしい」との答えが返ってきた。不覚にも涙が出そうになった...。読んだ私も6歳と3歳の孫をもつ身として、思わず涙ぐんでしまいました。母親が亡くなり、祖父母も死んでしまったら、誰かが愛情をもって支えてやる必要があります。それは施設だけにまかせていいということではないでしょう。本当に大切な仕事をしていると実感しました。とてもお金にはなりそうもなく、金もうけの世界とは無縁でしょうが、お互い人間らしく生きていくうえで必要不可欠な仕事です。これから弁護士になろうとする人にはぜひ読んでほしい一文です。
もう一つだけ紹介します。「ホームレスは社長だった事件」(川崎建一郎弁護士の執筆)です。ホームレス支援をボランティアでやっている弁護士は、福岡でもときどき聞きますが、東京では継続的な取り組みになっているようです。2008年12月の「年越し派遣村」に協力したことがきっかけで、生活保護申請の同行・支援をするようになった。そのなかで出会ったホームレスの話。生活保護の申請をすすめると、絶対に家族に自分の状況を知られたくないから嫌だという。
そして、ついに身の上話を聞き出すと、なんと50人もいる工場を有する社長だったのに、なにもかも嫌になって、ある日突然、家を出てホームレスになったという。もともと親の稼業を継ぎたくなかったようで、ともかく事業をやめたいという相談になった。まあ、本人が、それほど意思が固いのなら、弁護士としては、会社を清算するしかありませんよね。すべてが終わったあと、その元社長は、今はコンビニでレジ打ちの仕事をしている。時給1000円ほど。億単位の売上のある社長をしていた人がコンビニの店員になって、しかも、本人は、それでいい、今が幸せだ、これは自分で選んだ仕事なんだから...。いやあ、一回限りでしかない人生っているのは不思議ですよね。やっぱり自分の選択って大切なんですね...。
弁護士の仕事を社会と人生との関わりで深く考える材料を提供するシリーズの始まりです。次巻を楽しみにしています。
(2021年11月刊。税込1100円)

2021年12月 8日

人生、挑戦


(霧山昴)
著者 伊佐山 芳郎 、 出版 花伝社

サブタイトルの嫌煙権弁護士というのを見て、ああ、かの有名な著者の本だと分かります。
タバコをそばで吸われて嫌な思いをしたことが私もあります。昔、飛行機には喫煙席がありました。禁煙席が満席のため仕方なく喫煙席にすわると、離陸後まもなくから隣のサラリーマン男性がタバコを吸いはじめました。私は、その煙が嫌で、しきりに扇子を小刻みに動かして、煙を追い返していました。すると、隣の男性が無言で私をにらみつけるのです。ここは喫煙席なんだ、文句あるのか...というにらみです。私は言い返すこともなく、黙って1時間半を耐え忍びました。
実は、私の両親は酒の小売業とともにタバコも売っていました。なので、小学1年生のときからタバコは身近にありましたが、私はタバコの吸い殻がどうにも汚くて、それこそ1回も、1本もタバコを口にしたことがありません。今でもタバコを吸う習慣がなくて本当に良かったと考えています。
ところで、嫌煙権という言葉を初めて聞いたときは、タバコを吸わない私も、なんて大ゲサな...と、軽い反発すら覚えました。しかし、実はタバコの害は深刻なのです。
夫の喫煙本数が多いほど、タバコを吸わない妻の肺ガンのリスクは高まることが疫学調査で明らかになっている。夫が1日20本以上タバコを吸うとき、妻がタバコを吸わないのに肺ガンにかかって死亡する危険性は、夫がタバコを吸わないときに比べて2倍近く(1.91倍)も高い。したがって、受動喫煙(パッシブ・スモーキング)の被害は、非喫煙者の健康と生命に関わる人権問題なのだ。
著者たちが画期的なのは、単に「嫌煙」ではなく、「嫌煙権」という権利主張を展開した点にある。嫌煙権運動は、個人的な局面ではなく、公共の場所などの喫煙規制の制度化を目指した。すごいことですね。今では、公共の場所での喫煙禁止は当然のこととされています。
家庭内でタバコを吸うことは、児童虐待や家庭内暴力と同じ不法行為なのだ。
ベランダに出てタバコを吸う(ホタル族)は、必要最低限のことなのです。
今から20年以上も前、1998(平成10)年5月、著者たちは、反喫煙運動の第2弾として、タバコ病訴訟を提起した。肺ガン、喉頭ガンなどのタバコ病被害者7人が原告となって、日本タバコ産業(JT)と歴代社長3人、そして国を被告とする損害賠償請求、タバコ自動販売機での販売禁止等を求めて本訴を提起した。ところが、裁判所はタバコのニコチンの依存性を否定した。さらに、タバコの有害性についても、現在のところ、十分に解明されているとは言い難いとした。しかし、タバコを吸うことと肺ガンとの因果関係について「証明されていない」としているのは、世界広しといえども日本タバコ産業と日本の司法くらいなものだ...。驚いてしまう。
著者は中学1年生のときからピアノをひくようになり、70歳になって再開したあげく、ピアノコンクールに出場することにしたのです。そして、結果は、なんと、奨励賞を受賞。すっばらしい...。大変勉強になりました。ますますのご活躍を祈念します。
(2021年9月刊。税込1650円)

2021年12月 3日

違法捜査と冤罪


(霧山昴)
著者 木谷 明 、 出版 日本評論社

この本のオビに、周防正行・映画監督(映画『それでもボクはやっていない』の監督)が、「まさか、こんなことで冤罪(えんざい)は起きるのか」と書いています。でも、弁護士生活47年間になる私には、冤罪をつくり出すのは、実はそんなに難しいことではないと実感しています。何もしていない人に「自白」させるのは、ベテラン刑事なら、お手のもの。警察から送られてきた「自白」調書は、何か変だなと思っても、たいていの検察官は、警察に逆らって不要な波風を立てたくなくて、上塗り調書を巻いて(つくって)起訴にもち込む。裁判官は、検察官がクロだと言っているのなら、そりゃあクロに決まっていると確信し、法廷で目の前にいる被告人がいくら無罪を訴え、それを支える証拠があっても、無視してしまう。そして、弁護人も目の前にいる被告人が一生懸命に無罪を訴えているのに、ろくに調書を読まず、被告人の訴えに耳を貸すことなく、面会すらせいぜい1回、お説教して、短時間で切りあげる。これでは罪なき人だって、「有罪」とされるのは必至でしょう...(もちろん、みんながそうだというのではありません)。
この本は、2018年から21年にかけて、日本評論社のウェブマガジンに著者が毎月連載した、「捜査官、その行為は違法です」を再構成して、まとめたもの。なので、とてもよく日本の刑事司法の問題点がまとまっています。
日本の刑事司法の第一線で、長く活動してきた著者は信じられないほどの無罪判決を出し、そのまま確定をさせたという伝説的な裁判官として有名です。
違法捜査にもとづく重大な冤罪事件は決して過去のことではない。この種の冤罪事件は、今もかなりの頻度で発生している。
弁護人が公判直前まで被告人と接見していない。そのため、被告人の言い分をろくに理解できていない、否認している被告人に撤回させようとしたり、否認するのなら私選弁護人でやってくれと言う、被告人が否認しようとしているのに、「自白」事件として弁護するだけの弁護人。いやあ、困りますよね、こんな弁護人だったら...。
裁判所は冤罪を阻止するための責任を負う、唯一、最終の国家機関であるのに、冤罪阻止のために十分な役割を果たしてこなかった。自白を偏重・過信する。違法捜査を指摘しない。ひどい人質司法を平然と続ける。客観的証拠にあわない不合理な供述調書なのに、それを合理化してしまう。
そして、現在、検察官の証拠隠しを法律は阻止できない。公益の代表者であるはずの検察官が自分に都合の悪い証拠は、ないものとして隠してしまい、ひどいときには証拠を改ざんしてしまう。そんなことは許さないと法で定めるべきだ。また、裁判所が出した再審を開始する決定に対して検察官が不服申立できるのは、やめさせるべき。本当にそう思います。再審法廷で検察官が十分に主張・立証する機会が保障されているのですから...。
それにしても、本書で紹介されている冤罪事件は実にひどいものです。
重要な証拠が捜査当局によって「紛失」してしまう。客観的事実を無視した判決。
検察官が被告人に決定的に有利な証拠を隠匿したら、それは犯罪である。まことに、そのとおりです。特別公務員職権濫用罪が成立します。でも、これが適用されたケースを私は残念ながら知りません。
冤罪を許さないとして告発した警察官や裁判官が例外的に存在します。ところが、その警察官は、免職となって警察官人生を棒に振ってしまいました。
検察官は、「法廷では多少のウソはついてもよいのだ。そのウソは、大きな意味で正義にかなうからだ」と内部で教育されている。ええっ、そ、そうなんですか...。いやはや、冤罪を生み出さない一努力というのは、今なお必要だと痛感させられる本でした。
(2021年10月刊。税込1980円)

2021年11月25日

やさしい猫


(霧山昴)
著者 中島 京子 、 出版 中央公論社

日本にやって来たスリランカ人がビザの期限が切れているのが品川駅で警察官から不審尋問を受けて発覚。不法滞在者として身柄は東京入国管理局に拘束された。しかし、彼には日本人女性とのあいだで結婚の話があり、紆余曲折しながらも入籍していた。入管当局は、この結婚を偽装結婚として、国外退去を命じた。これに異議申立して、ついに東京地裁で裁判が始まる。
オビに「圧巻の法廷ドラマ」とありますが、まったくそのとおりです。入管行政の問題に詳しい指宿昭一弁護士に丹念に取材してこの本が出来あがったことがよく分かります。女性の訴務検事が、偽装結婚を認めさせようと、根堀り葉掘り、嫌らしく問い詰める様子は、まったくそのとおりで、この人(女性検事)は何が楽しくて、こんな尋問をしているのか、自問自答することはないのかと、小説ではありますが、とても気になります。
そして、法廷で証言することの大変さが、高校生の娘の心理描写で、ひしひしと伝わってきます。
入管行政の問題点が、この本を読むと、すんなり頭に入ってきます。要するに、日本政府は「優良外人」(モノを言わず、ただひたすら働くだけの人々)だけがほしいのです。少しでも当局に歯向こうものなら、たちまち本国に身ひとつ帰国するよう指示します。
そして、収容所での処遇は劣悪と言うほかありません。
茨城県牛久市にある入管の収容所(東日本入国管理センター)だと、東京から往復で4時間もかかってしまう。とても辺鄙な土地にある。
「小さな家族を見舞った大事件」とオビに書かれていますが、まったくそのとおりのストーリー展開です。本当に話の運びが自然ですし、読ませます。最後は、あえなく敗訴してしまうのかと心配していたら、なんとハッピーエンドでした。
来日した外国人の毎日の生活の実情について、詳しく紹介されてて勉強になります。
タイトルだけでは何をテーマとした小説なのか、さっぱり分かりませんが、読み出したら止まりません。いつもながら、さすがの著者の筆力に驚嘆し、圧倒されました。
(2021年10月刊。税込2090円)

2021年11月12日

檻の中の裁判官


(霧山昴)
著者 瀬木 比呂志 、 出版 角川新書

私より6歳ほど年下の著者の本は何冊も読んでいますが、巻末の著者紹介によると、私の読んでいない本が何冊もあることを知りました。この本は本年6月に続いて2回目の紹介になります。2度も読んだのです。
著者は裁判官として33年間を過ごし、そのあいだに最高裁事務総局にもいましたので、最高裁による裁判官の人事統制の実情については、内側から知る立場にもいたことになり、説得力があります。私は、著者の指摘は、おおよそあたっていると考えていますが、何かしらの違和感が絶えずつきまとっているのも事実です。そこの感覚を自分でも文字化できないところにもどかしさを感じています。
それまで比較的良心的でいい裁判官だった人が、所長になったら豹変(ひょうへん)することが、時にある。福岡では、あまりそれを感じたことはありません。おしなべて福岡地裁の所長には、いわゆる人格者が就任しているからです。
「お殿様的な高裁の裁判長」というのは、もうそれ以上「上」にはいかず、転勤もないので、「心穏やかに安心していられる地位にある」。定年間際の高裁の裁判長が世間的にあっと驚かす判決を書くことがあります。いいことなんですが、なんで、もっと早く、それを実行してくれなかったのか...という思いが、いつもあります。これは、ないものねだりなのかもしれませんが...。そして、良い判決が出ると、うれしくなります。
近年の裁判官の不祥事で目立っているのは、性的非行関係だという指摘には、まったく驚いてしまいました。ええっ、そ、そうなの...、という統計です。これには著者も大きなショックを受けたとのこと。そりゃあ、そうですよね。
裁判官会議は、実際上、完全なセレモニーと化している。もし、何か意見でも言おうものなら、所長から目のかたきにされ、評価に影響し、集団の中で孤立しかねない。むむむ...、本当に、そうなんでしょうか。まあ、そうなんでしょうね...。
東京地裁の所長代行は選挙で選んでいたそうです(今も、でしょうか...?)。このとき、誰に投票するか上から指定される完全な八百長選挙だった。こんなことが、本当に今も続いているのでしょうか...、ぜひ、教えてください。
裁判官だって、「人の子」だという心理が説明されています。たとえば、自分より優れているとは思えない後輩たちに先を越された時の裁判官たちの嘆き...。やっぱり認められたいよね、ちゃんと処遇してもらいたいよね、という当然の声が上がっている。当然ですね...。
この本を読んで、「怖さ」を感じたのは次の文章です。いえ、これは著者に対する「怖さ」では決してありません。そうではなくて、システム化されていることの恐ろしさを感じた、ということです。
「報復は必ず行われるが、いつ、どのようにして行われるのかはまったく分からない」というシステム(ルール)だ。このシステムは、人を極端に委縮させる。
この本で知って、問題だと思ったことは、最高裁判事のあと、原発裁判をかかえている東芝や東京電力に就職した人がいるというのです。これって、いやですよね。もう、そんなにお金は必要ないはずなのに、まだお金に執着する人がいるんですね...。嫌です、いやです、いったい誰なんでしょうか...。
東京地裁の労働部の裁判官に求められるものは、能力でも識見でもなく、法廷での精神的にまいってしまわないこと。な、なーるほど、ですね...。
多くの場合、きわめて保守的で、訴訟指揮も厳しい裁判官が部長になるが、たまに苦労人で話のわかる、かつ打たれ強い人を部長にする。権力というのは、それほどしたたかなものだ。この指摘は、きっとそうなんだろうなと納得しました。
みずからの良心を貫く判決の書ける裁判官がどれだけいるかという問いに対して、5~10%という答えがかえってきたとあります。これは、実は私の実感にもあっています。本当に、ときとしてそんな裁判官にあたることがあり、そのときには、裁判官も、まだまだ捨てたものではないなと思い直して弁護士を続けています。
弁護士任官がうまくいってないのを、著者は、最高裁の外向けのポーズに弁護士会がいちおう協力している傾向が強いと指摘しています。この点にはその手続に長く関わってきた一人として異議があります。弁護士会の責任を論する前に、裁判所は、自分の風土にあわないと思った弁護士が参入しようとするのと、それを全力で阻止してきたし、阻止しているのが現実なのです。だから、裁判官改革がまだまだ不十分だというのは私も同感なのですが、著者は、その点の十分な事実認識がないように思われます。でも、大変勉強になる本でした。
(2021年3月刊。税込1034円)

2021年10月16日

少数株主


(霧山昴)
著者 牛島 信 、 出版 幻冬舎文庫

東京で企業法務の弁護士として活躍している著者は、司法にからめた企業小説の書き手でもあります。先日、顔写真つきで大きなインタビュー記事がのっていましたが、なんと私と同じ団塊世代(私のほうが1歳だけ年長)です。
今回の本も、企業法務は扱っていない私にとっても大変勉強になりました。
資産のある会社、老齢になり始めたオーナー夫妻、その離婚、夫の側の不貞行為、夫の隠し子、密かにしかし公式につくられた信託財産、会社の未来、会社のステークホルダー...。こんなケースこそ弁護士としての腕の振るい甲斐がある。なるほど、うん、そうですね...。
今回の舞台は非上場会社の少数株主の扱い。少数派のもっている株は、配当還元といって、配当金が年にいくらかで値段が決まるのがふつう。ところで、非上場会社の株は、会社の承認がないと買うことができない。
それで、最近、法改正によって、少数株主は、自分の株式を会社に買取請求できることになったようです。買ってもらえるとして、問題は、その値段。
非上場会社の少数株主に矛盾とそのしわ寄せが集中している。フェアな扱いを受けていない。もっと払える配当、高値で買い戻せる株、もっと投資にまわせる内部留保、放置されたまま眠り続けている土地の含み益...。
勝率を誇る弁護士を軽蔑する。むずかしい事件をやらず、勝てそうな事件だけをやれば勝率は上がる。でも、それは、18歳になって、中学校の入試問題だけを解いているようなものだ。
対象となった非上場会社については、将来の収益力(DCF)と純資産評価を50対50の割合で足しあわせるべきだ。すると帳簿価格として算定した金額の3倍以上になった。それを前提として少数株主権を会社に買い取ってもらう。裁判所を介入させたら、それが可能になる。
弁護士は不思議な職業だ。超高級ナイフのような切れ味でしゃべりまくったところで、滝の水が勢いよく流れ落ちるように、とうとうと論理を展開してみせたところで、話している中身が信用できると相手が受けとってくれるとは限らない。弁護士にとって相手を煙に巻くのは仕事の一部にすぎない。かえって反発を買うことも多い。才気走ったところを見せるのは不興を買うだけになりかねない。
著者は、代理人業が気に入って、何十年も弁護士をしているとのこと。依頼者へは真っ当な法的サービスを提供する。もし依頼者自身が弁護士だったら実現したいだろうことすべてを代って行う。なーるほど、ですね。でも、なかなか出来ません。
社外取締役によるチェックは限界がある。企業のトップと会計責任者とが組んで経理処理をしたら、社外取締役なんて知るよしもない。そして、それを防ぐ手立てはない。そのとおりです。
いやあ、難しい内容をよくぞここまで分かりやすく解説したものだと思いました。
(2021年5月刊。税込963円)

2021年9月 8日

裁かれなかった原発裁判


(霧山昴)
著者 松谷 彰夫 、 出版 かもがわ出版

3.11の大津波で重大爆発事故を起こしたのは福島第一原発(フクイチ)ですが、この本が扱っているのは、「フクイチ」ではなく福島第二原発について1975年1月7日に提訴された設置許可取消を求める訴訟(原告403人)のほうです。
「3.11」の前、東京電力も国も、原子力発電所は絶対に安全で、事故など起きることがない、スリーマイル島(アメリカ)もチェルノブイリ(ソ連)も原発の「型」が違うので心配無用と断言し、裁判所もそれに盲従したのでした。そして、福島地裁(後藤一男裁判長)の一審判決は、スリーマイル島の原発事故は主として運転管理の人為的ミスによるもので、原子炉の基本設計に問題はないとした。続く仙台高裁の控訴審(石川良雄裁判長)も、チェルノブイリ原発で事故が起きたとしても、日本では事故は起こりえないとした。しかもそのうえ、なんと、「反対ばかりしていないで、落ちついて考える必要がある。原発は地球環境を汚染しないものだから」という自分勝手な個人的意見まで判決に書き込んだというのです。これには、まったく呆れはててしないました。この石川良雄裁判官が、その後に起きた「3.11」を、今どう考えているのか、聞いてみたいものです。
ことほどさように、裁判官の判断はあてにならないことがあります(幸いにしても、いつもではありません)。
原告側の弁護団長をつとめた安田純治弁護士の言葉は裁判の本質を次のように面白く、分かりやすく解説しています。
裁判官は、よろめきドラマの主人公のようなもの。よろめくことが仕事。原告側の主張に傾いてきたなと思えるときもあれば、反対にだいぶ被告側に寄っているなと思えるときもある。
原告・被告双方の主張を聞いて、あっちにフラフラ、こっちにフラフラと、絶えずよろめいている。もっとも、そうでないと困る。初めから結論をもって、法廷にのぞんでいて、どちらの主張しても真剣に耳を傾けないのでは裁判にならない。
まことに至言です。本当に、そのとおりです。ですが、まったくブレない裁判官が少なくないのも現実です。自分勝手な思いこみを絶対視してしまう人がいます。とくに、裁判当事者の一方が、行政や大企業だと、反対側の主張にはまったく耳を貸そうともしない裁判官がいます。それにも二種類あって、法廷での訴訟指揮では耳を貸したフリをしてバッサリ切り捨てる人と、聞く耳を持たない、聞こうとするポーズも示さない人すらいます。
10年近く続いた裁判を支えた原告団の多くは福島の教師たち(その多くは高校の教員)に対して、安田弁護士は鵜川隆明弁護士を通じて、「裁判は子孫への伝言なんだ」と諭(さと)した。そうなんですよね。勇気のない、国と大企業に盲従するばかりの裁判官たちを相手にしてでも、言うべきことは言う。これが必要なことは、「3.11」が証明しています。
この本ができたのも「3.11」のおかげですが、原告としてたたかった人たちは、「3.11」で自分たちの正しさが証明されたことを残念に思っているのです。本当にそうなんですよね。
原告団と一緒になって理論面で裁判を支えてきた安斎育郎・立命館大学名誉教授は「3.11」の直後に、「申し訳ない。なんとか、このような事故だけは起きないように力を尽くしてきたが、力及ばず申し訳なかった」と原告団に謝罪した。いやあ、学者の良心を聞いて、心が震えました。いろいろ勉強になりました。すばらしい本でした。やっぱり声を上げるべきときには、声を上げ、みんなで立ち上がるべきなんですよね。それが人生ではないでしょうか...。一読を強くおすすめします。
(2021年2月刊。税込1980円)

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