弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
司法
2021年8月18日
自由法曹団百年史
(霧山昴)
著者 自由法曹団 、 出版 日本評論社
1921年に誕生した自由法曹団は100歳になった。誕生したきっかけは、神戸の造船所での労働争議において労働者が官憲から殺傷される事件が起き、東京から弁護士たちが駆けつけ、調査と抗議行動をしたことにある。
戦争が近づくなかで、被告人を弁護すること自体が治安維持法違反として処罰の対象とされ、ついに団員弁護士は戦争中は活動を休止せざるをえなくなり、歴史的には空白の期間となった。それでも、戦後すばやく雌伏していた団員の弁護士たちは活動を再開し、松川事件のような弾圧・謀略事件で犠牲となった被告人の弁護人となり、また、活発な労働争議にも積極的にかかわっていった。
自由法曹団が重視している大衆的裁判闘争とは、権利侵害をはね返し、要求を実現するため、知恵と力を集め、事実と道理によって裁判所を説得し、幅広く市民の共感と支持を得ながらすすめるというもの。
私が弁護士になってまもなくのころ、自由法曹団員の弁護士は全弁護士の1割を占めていました。ところが、新人の入団が少なくなり、今や4万人をこす弁護士総数のなかで比率は5%、2000人となっています。全国42の支部があり、もちろん福岡にも支部があります。全九州の支部をまとめた九州ブロックの代表をいま私がつとめています。
自由法曹団が創立されたころの弁護士の名簿を見ると、歴史的に名高い弁護士が数多い。片山哲、長野國助、山崎今朝弥、真野毅、三輪寿壮、鈴木喜三郎、黒田寿男、神道寛次など...。布施辰治は、3.15共産党員大量検挙事件の法廷での弁論によって弁護士資格をはく奪されたうえ、被告人(共産党員)への手紙の郵送が郵便法違反(公安を害する)などで起訴されて有罪となり、禁固3ヶ月の実刑判決を受けて豊多摩刑務所に収監された。
同じように日本労農弁護士同事件で逮捕・起訴され、懲役2年、執行猶予2年の判決を受けた梨木作次郎は、戦中は新聞配達や材木店での肉体労働をしていた。ところが、敗戦直前の8月10日に日本敗戦必至という話をジャーナリストから聞いて、すぐに丸の内に事務所を借りて再起を期した。
いやはや、なんと前向き、かつ積極的な取り組みでしょうか。梨木弁護士は、私が弁護士になってからも、元気に自由法曹団の会議に参加しておられました。北海道の夕張炭鉱で災害事故が発生したときには、すぐにも現地へ調査団を派遣すべきだと総会で熱弁をふるわれたことを今も鮮明に覚えています。
戦後の自由法曹団の再発足大会が開かれたのは1945年11月10日のこと。150人の弁護士が集まった。
松川事件のとき、被告人面会をする弁護士は、警察の盗聴器に警戒せよという申し送りを受けていた。同じようなことは、最近でも、ときどき起きています。
若々しい弁護団が新しい刑事訴訟にのっとって積極的な弁護活動をすすめていると、古い弁護士層やマスコミの一部から「行き過ぎ」だと批判(非難)された。マスコミは権力と一体となって被告人を列車転覆の犯人たちと報道していた。それでも、弁護団に袴田重司・仙台弁護士会長(県の公安委員でもある)も加入して、弁護団の幅を大きく広げた。
自由法曹団の弁護士たちは労働事件、公害事件そして選挙弾圧事件に積極的に関わり、労働者や市民とともに貴重な成果をあげていった。そのなかで政策形成訴訟とも呼ばれる、新しい法律を国会で制定させる取り組みもすすめた。
100年の歴史が330頁にぎゅっと圧縮されている、ずっしりと重たい本です。とりわけ若い弁護士のみなさんには、ぜひ読んでほしいと思います。
(2021年7月刊。税込2200円)
2021年8月 4日
労働弁護士・宮里邦雄、55年の軌跡
(霧山昴)
著者 宮里 邦雄 、 出版 論創社
日本労働弁護団の元会長をつとめた著者が55年間の労働弁護士生活を振り返った本です。対談方式なので、大変読みやすく、たくさんの教訓的な話が出てきて興味深い内容です。 労働争議をたたかった2人の労働者の明暗が語られているところは胸にぐっとくるものがありました。
まず、暗のほうから...。不当解雇を受けて、労働委員会で争い、ついに会社との和解で職場復帰を実現した。しかし、小さな会社で、職場で孤立し、ついに精神的に病んで自死してしまった。東大文学部出身の優秀な青年だったので、残念でならなかった。労働事件で「勝つ」ということは、それを通じて組合の団結が強まることでなければならない。その事件では、組合を結成したときの仲間はほとんど組合を脱退してしまい、ひとり孤立させられていた。いやあ、これは本当に残念でしたね。
次に、明のほうは、「東芝府中人権裁判」。東芝でいじめに遭ったことから会社と上司を被告として損害賠償請求裁判を起こした。こちらは、目に見えるかたちで多くの仲間から支えられていたことから、原告がだんだん元気になっていった。結局、東芝に定年まで働きて、定年後も再雇用で働いているとのこと。
この裁判については、注目すべきことが二つある。一つは、いじめの実態を毎日、「職場日記」として詳しく書いていたことが、非常に有力な証拠となり、裁判所もそれにそった事実認定をしたこと。もう一つは、東京高裁が東芝に対して書面で控訴取下げ勧告したということ。50年近く弁護士をしていますが、高裁が労働事件で会社に対して控訴取り下げを書面で勧告したなんて初めて聞きました。
「使用者は、企業秩序維持のため、労働者に対する指揮・監督権限を有するが、この指揮・監督権限の行使にあたっては、労働者の人格・人権を尊重した合理的なものでなければならない」
当然の表現ではありますが、会社(東芝)には大打撃だったことでしょうね。東芝が労働者に人格・人権を踏みにじっているという判決が出たら、それこそ世の中の笑い者、厳しく指弾されることは必至です。賢明にも東芝は控訴を取り下げました。
裁判には、自己回復・自己再生の機能もあると著者は指摘しています。暗のほうはそれに失敗したわけですが、明のほうは、これを体現したと言えます。
コロナ禍の下、イギリスでは労働組合が増えているとのこと。
日本では、従来型の運動の展開のままではジリ貧で、労働組合の将来は暗い。日本の労働組合が40%もの非正規労働者を放置し、その格差を放置していることが問題だ。
労働組合は、非正規の改善を要求すると、自分たちに被害が及ぶという発想に、いつまでもとどまっている。そうではなくて、正規と非正規が連帯し、全体の労働者の労働条件を底上げしていくという視点をもたなければいけない。著者は何度もこのように強調しています。まったく同感です。そのとおりです。
政府・財界がマスコミも最大限つかって国労つぶしをしてきたことに対する反撃の苦しいたたかいに著者も関与してきました。かつて日本最強の労働組合と言われていた国労は残念ながら今や存在せず(形だけあるのかもしれません)、労働組合なるものの存在感が今日の日本社会にはほとんど喪われてしまいました。総評の後身のはずの連合は、何かと言うと原発擁護、共産党攻撃だけで、これが労働組合なのかという幻滅感を大きくするだけの存在になり下がってしまいました。本当に残念です。
著者は労働者にとって働くということは、生活の問題もあるけれど、それだけではない、労働それ自体の尊厳という視点も大切にすべきだと強調しています。これまた、まったく同感です。
80歳になってもなお現役の労働弁護士である著者の引き続きの健闘を心より祈念します。まだまだ引退のときではありませんよ...。
(2021年6月刊。税込2200円)
2021年7月18日
消えた依頼人
(霧山昴)
著者 田村 和大 、 出版 PHP
NHK報道記者から弁護士になった著者によるミステリー小説。ぐいぐいと引きずり込まれ、最後まで読ませる迫力があります。ミステリー小説なので、読んでいない人には、ネタバレにならず、読んでみようかなと思わせるほどに紹介してみたいと思います。うまくいくかな...。
「俺」は東京の弁護士で、事務所は地下鉄丸の内線の新中野駅の近くのビルの4階にある。大学の先輩にあたる女性弁護士と2人だけの共同事務所。
「俺」は25歳で弁護士になり、「ブティック」に類型化される法律事務所に5年間つとめていた。ボス弁は、株主総会対策で名を上げていて企業法務の世界に橋頭堡を築き、今や数十の上場企業を顧問先にかかえる。ええっ、これって、なんだか有名な久保利弁護士を連想させますよね。ところが、ボス弁は、大変なパワハラ弁護士で、事務所の弁護士30人は、常に変動していた。ええっ、そ、そうなると、違うかな...。それはともかく、この元ボス弁が、この本では悪しきキーパーソンになっています。
私選の刑事弁護費用について、「俺」が被疑者に提示する金額を紹介します。
まず、初めに100万円。死体遺棄や殺人で再逮捕されるごとに30万円を追加。ここまでが着手金で、最大160万円。逮捕された全部の罪について起訴されなかったら、成功報酬として100万円。どれか一つでも起訴されたら、その段階での成功報酬はなく、追加着手金をもらう。殺人が含まれていなければ50万円。含まれていたら100万円。裁判員裁判は手間がかかるから...。そして、裁判で無罪になれば成功報酬として200万円。つまり、殺人で起訴されて無罪になったら、弁護士費用の合計は最大で460万円になる。
「俺」は、国選弁護人に頼んだらどうかと被疑者にすすめています。国選弁護人も裁判員裁判で無罪を主張して争ったら、コピー代請求できるうえ、あまり変わらない金額を弁護士報酬としてもらえることがあります。しかも、この場合、決められた金額をもらえないという心配は無用です。私選弁護人は、報酬のとりっぱぐれのリスクをいつだって覚悟しておく必要があります。そこが決定的に違います。
そして、弁護人は、依頼人との関係で微妙なことがしばしばあります。私は、一般に、すぐに返金できる金額しか着手金をもらわないようにしています。嫌な依頼人だと思ったら、すぐ全額返金して縁を切って、せいせいしたいのです。
この本では、その点がもう少し深刻です。それがタイトルにもなっています。
この本には福岡高裁判事の妻がストーカー行為をしていて、県警が摘発しようとしたら、地検が地裁と一緒になって握りつぶそうとした福岡事件が久しぶりに登場します。
そして、高裁判事のなかには、裁判長は別格だが、左か右陪席には、能力あるいは素行に問題のある中堅の裁判官を氷漬けする部署だということがある。これは、私も福岡で何回か実際に見聞しました。高裁は、いわば教育・反省の場なのです。この機会を逸したら、再任は望めません。
問題裁判官を異動させ、代理人弁護士との取引に応じる役割を最高裁事務総局秘書課がするというストーリーですが、これは本当なんでしょうか...。でも、実際、これくらいのこと、ありそうですよね。というわけで、ええっ、こんなこと本当にありうるのかな...と、首をかしげながらも、結末を知りたくて珍しく自宅に持ち帰って最後まで読了しました。
巻末の著者略歴で、「このミステリーがすごい」大賞、優秀賞を受賞したほか、いくつも小説をかいていることを初めて知りました。失礼しました。今は福岡で活躍中の弁護士です。
(2021年3月刊。税込1870円)
2021年7月 7日
自由法曹団物語
(霧山昴)
著者 自由法曹団 、 出版 日本評論社
先日、「時の行路」という映画(神山征二郎監督)を福岡・赤坂でみました。2008年9月、リーマンショックを口実に日本の自動車メーカーは一斉に非正規労働者を「派遣切り」しましたが、このとき、トラックメーカーのいすずも栃木工場と藤沢工場で812人の派遣社員全員を首切りしました。いすずは派遣会社との労働者派遣契約を契約期間の途中で解約し、それを受けて派遣会社が派遣社員を解雇したのです。11月14日に解雇して、年末までに寮からの退去も求めました。もちろん、いすずだけではなかった。トヨタは7800人、日産1500人、マツダ1300人、スズキ600人、日野自動車500人という大量の首切りでした。
これに対して、いすずでは労働組合JMIUの支部が4人の派遣社員で結成されていて、会社(いすず)とのたたかいが始まったのです。自由法曹団の弁護士たちが組合を応援しました。
この2008年12月末には、東京・日比谷公園で年越し派遣村が取り組まれ、マスコミも大々的に報道しました。自由法曹団の弁護士たちも派遣村運営の実行委員となって連日泊まり込みをして支えました。この派遣村については大々的に報道されたこともあって、多くの人が関東周辺から歩いて日比谷公園までやってきて救いを求め、また救われたのでした。それでも27歳の男性が所持金2200円となり、JRに飛び込み自殺するという悲しい事件も起きてしまいました。
いすずで結成された労働組合支部は雇い止めの不当性を訴えて裁判に踏み切りました。ところが、東京地裁(渡辺弘裁判長)は、会社側の主張を全面的に認め、雇い止めを有効と判断したのです。もちろん、ただちに控訴しましたが、東京高裁は、社長などの証人申請を全部却下して、控訴棄却。最高裁も上告を受けつけなかったのでした。
映画「時の行路」はハッピーエンドの話ではありません。日本の司法が大企業に有利で、労働者に対してあまりに冷たいという現実をありありと示しています。ところが、負けても主人公の表情は、人としてやるべきことをやったという明るい表情を最後まで崩しませんので、その意味では暗い、悲惨な結末ではありませんから、救われます。
そして、現実にも労働組合JMIUはいすずと交渉して争議を全面解決させ、主人公のモデルは市会議員としての活動に転じたというのです。捨てるカミあれば、拾う神もあるということなのでしょうね。
大企業の自分勝手な使い捨てを許さないという闘いが今もあること、そして、それを自由法曹団の弁護士たちが支えていることが、よく分かる本です。ぜひ、ご一読ください。
(2021年5月刊。税込2530円)
2021年7月 1日
福岡県弁護士会報(第30号)
(霧山昴)
著者 会報編集室 、 出版 福岡県弁護士会
今回は、裁判官制度改革はどこまですすんだか、を紹介します。
裁判所は果たして日常的な紛争の解決、権利の救済の場として市民から信頼され、期待されているだろうか。裁判件数は過払金請求事件の時期を除いて一貫して微増程度で推移してきた。これには、いくつもの原因・理由が考えられるが、裁判を実際に利用した人の18%しか今の裁判制度に満足していていないという調査結果は、裁判官による現状の訴訟運営について利用者たる市民の多くが納得していないということを意味しているのではないだろうか。
このリード文が論稿の基調になっています。
弁護士任官の厳しい実情
裁判所に新しい血を送り込もうということで始まった弁護士任官システムが、実は、うまくいっていません。
1992(平成4)年から2018(平成30)年10月期までの弁護士任官者の合計は、119人である。もっとも、2003(平成15)年の年間10人をピークとして、翌年は8人に上ったが、その後は減少し、2009(平成21)年から2018(平成30)年10月期までの常勤裁判官への任官は、合計33人に留まっている。
弁護士任官適格者として弁護士会としての所定の手続によって推薦したにもかかわらず、40%もの弁護士が不適とされたり、心ならずも任官申し込みを取り下げるという事態が生まれていた。これは「40%」問題と言われていました。
ところが、ごく最近(2020(令和2)年12月時点)では、「40%」が、実は、任官希望者の40%しか任官できない状況になっている。比率が逆転してしまったのです。困った状況です。
事件処理は質より量
キャリア裁判官の世界では、「できる」、「できない」という言葉が日常的に使われている。裁判所内では、この「できる」、「できない」という言葉はかなり特殊な意味であり、できるかどうかの判定は、事件の処理件数にかかわっている。月々30件の訴訟事件(新件)が来るとすれば、出来ばえはともかくとして、30件を来た分だけこなすという裁判官がとにかく断然「できる」とされる。丁寧な審理をして、いい判決を出したところで、月25件しか処理できず、決まって赤字になる裁判官は、全然「できない」と評価されても仕方がないと思われている。
裁判官の世界では「あの人は良くできる」というとき、事務処理能力の優れた、判決が手早く書けるという人という意味であり、あの裁判官は優しい人とか親切な人とか思いやりのある人という評価は重視されない。
このように、判決内容より要領よく事件処理することに一生懸命で、そういう人の方が恵まれた道を歩いていて、そんな現実を目の当たりにすると、来た仕事に全力投球する気にはなれないのも当然のこと。
そのため、本人尋問や証人尋問をしない裁判が増え、検証と鑑定は10年間で約3分の1に激減している。そこで、訴訟代理人から、「裁判所が証人調べをしない、強引な和解がある、判決の理由が乏しくなっている、高裁の1回結審が増えている」などの不満が出ている。
その結果、裁判利用者で今の訴訟制度に満足した人は、わずか18%しかいない。
判決に事実認定の緻密さが欠けてきているという批判を裁判官経験者がしている。
裁判官の3つのタイプの割合
刑事裁判官を3つのタイプに分類してみると...。
①迷信型(捜査官は嘘をつかないが被告人は嘘をつくと思い込んでいるタイプ)が3割、②優柔不断・右顧左眄型(真面目にやろうという気がないわけではないが、迷ったり右顧左眄するタイプ)が6割、③熟慮断行型(被告人のために熟慮し、正しく決断することができるタイプ)が1割。
民事裁判官には、①当事者の言い分をよく聞いて真実を見極めようという姿勢で丁寧に審理するタイプ、②とにかく一丁上がり方式にどんどん処理していくというタイプ、③真面目に取り組むつもりがなくて杜撰な処理をするタイプ、この3つに分かれる。
このうち、③のタイプは1割にも満たない、②のタイプは恐らく5~6割で、残りの3~4割が①のタイプに該当する。これに対して、いやいや、③のタイプは、もっと多い。①のタイプの裁判官は、1割にも満たないという印象だ。刑事にしても民事にしても、きちんと事案に則して物事の真実―正義の観点から考えて判断する姿勢のある裁判官は、本当に少ない。私も後者の意見と同じです。
裁判官の統制が強まっている
裁判官の統制には、いろいろな手法が駆使されている。
重要な事件については、全国の担当裁判官を集めて意見を交換させ、最後に最高裁当局が見解を示すという裁判官会同や裁判官協議会という手法により、裁判内容に対する直接的な介入も行われている。恣意的・差別的な人事運用の下で、最高裁当局の見解を示されると、素直に従ってしまう。善意からであってもその方針を既定のこととしてそのままに踏襲し、あるいは周囲の人々にもそれを求めるような感性が、生まれてきたのではないか...。
最高裁事務局は自民党の政治的意向をよく理解している。そして事務総局は、配置転換や昇進の制度を用い、自民党の意向に従う裁判官に利益を与え、その意向に反する裁判官に不利益を与えることによって、自民党の無言の命令を実現する。その結果、この動機づけの枠組みが、裁判官に対して政治的圧力をかけることになる。沖縄における辺野古新基地建設をめぐる一連の判決が、その典型例ですよね。
裁判官の人事評価とアンケート
5段階評価とあわせて個別意見を付すことができるアンケートに当会は長年とりくんでいる。ところが、弁護士のなかには裁判官に自分が情報提供したと分かると気まずくなることを心配する声も依然としてあり、消極的な弁護士が少なくない。
ペーパー回答として最多だったのは2006(平成18)年の251通で、回答者の割合が37.1%だった。その後は、回答者数が200通に達せず、回答者の割合は20%を下回り、2018(平成30)年には9.9%となった。しかし、2019(令和元)年度は、強力な働きかけの成果があり、回答数が476通(回収率36%)と飛躍的に増加した。そのなかでも、筑後部会だけは5割近い回答率を誇っています。
弁護士の裁判所依存
みずから適正な訴訟活動をしないで、真実を発見して判決したいと考えている裁判官の思いに乗っかって、報酬を稼ぐ弁護士。判事室では、この種の弁護士の話が満ちあふれている。さらに言うと、「裁判官おまかせ主義」の弁護士が少なくない。これは耳の痛い指摘です。
最後に、長く裁判官をやって今は弁護士をしている人の指摘を紹介します。
「裁判官が記録をきちっと読んで、身を乗りだして当事者の言い分に耳に傾け、洞察力をもって、事案を的確に把握し、できるだけ当事者に負担をかけないような合理的な審理を謀り、解明すべき点についての必要十分な資料の提出を当事者双方に均衡に配慮して促し、適時の和解勧告をして公正な判決を図り、鑑定が必要な場合でも鑑定人に丸投げせず、自らの頭で洞察力を働かせて推理し、的確な推認による批判に耐えうる事実認定をする方向で、謙虚に審理を進めてくれれば、医療関係訴訟は迅速適正な解決に向かうはず。しかし、そのような審理のできる裁判官は少なくないことがわかってきた。そうであるなら、訴訟進行を裁判官に委ねることなく、当事者の方でイニシアチブをとって、裁判官を育てるつもりで、裁判官に積極的に働きかけ、私たちが求める方向で審理を動かしていくしかないとの思いを強くしている。
ぜひ、会報の本文をお読みください。
(2021年3月刊。非売品)
2021年6月30日
自由法曹団物語
(霧山昴)
著者 自由法曹団 、 出版 日本評論社
2004年3月30日、社会保険事務所に勤める国家公務員が警視庁公安部に逮捕された。その逮捕直後の家宅捜索の現場にはテレビ局がカメラの放列を敷いていた。
罪名は国家公民法違反。起訴事実は、衆議院議員選挙に際して、自宅周辺地域に「しんぶん赤旗号外」を配布した行為が公務員の政治的活動を禁止した国家公務員法に違反するというもの。
最高裁判所は、猿払(さるふつ)事件で、一審・二審の無罪判決を覆して有罪判決を出していたが、憲法学界も世論も厳しく批判していた。なので、その後、37年間も国公法違反で起訴された人はいなかった。
裁判(公判)前に証拠開示をめぐって弁護団は裁判所で法にもとづいて要求してがんばった。そして、ついに裁判所は証拠開示命令を発した。その結果、検察官はしぶしぶビデオテープ等を提出した。すると、警視庁公安部は1人の国家公務員の私生活について、のべ171人も投入して尾行・追跡調査をしていた事実が判明した。
私も、そのビデオ映像を見ましたが、そこに投下された莫大な労力に呆れ、かつ、怒りを覚えました。要は、国家公務員が休みの日に私服で自宅周辺の地域に全戸配布のビラ入れをしているというだけの話です。そのビラは合法ビラですから、現行犯逮捕できるようなものでもありません。
平日は2人から3人、土日・祝日は公安警察官が私服で11人も尾行していました。たとえば、2003年11月3日は捜査官11人、ビデオカメラ6台、自動車4台です。盗撮しているビデオカメラは、黒っぽい肩掛けバックに入っていて、網のかかった丸穴からカメラのレンズで撮影していました。こんなことを29日間、のべ171人の公安警察官がしていたのです。まるで凶悪犯人でもあるかのような扱いです。この人は、ただビラを休日に配ったというだけなんですよ...。警視庁公安部というところは、よほどヒマをもてあましている役所のようです。こんな部署に税金をつかうのはムダの極致でしかありません。即刻、廃止せよとまでは言いませんが、大ナタをふるって人員と予算をバッサリ削減すべきです。
問題なのは、私も見たビデオ映像の扱いです。弁護団はテレビ朝日に裁判所で得た映像を提供した。しかし、それは、刑事訴訟法の「目的外使用」にあたる可能性がある。弁護団は、懲戒請求されたら受けて立つと覚悟を決めた...。幸いにも、懲戒請求はされなかったようです。
そして、刑事裁判です。一審(毛利晴光裁判長)は腰が引けていて、罰金10万円、執行猶予2年の判決。もちろん、控訴。東京高裁(中山隆夫裁判長)は、弁護団が忌避申立したほどの強権的な訴訟指揮をしたものの、判決は「被告人は無罪」としたのです。被告人のビラ配布行為には常識的にみて「行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼」を損なう抽象的危険すらなく、このような行為を罰則で禁止することは憲法31条に違反するので無罪としました。被告弁護側の完全勝利。このあと、最高裁は、上告棄却したが、その理由は構成要件に該当しないので無罪とするというもので、中山判決よりは後退していた。残念ですが、中山判決の意義は消えません。
自由法曹団の弁護士たちは、選挙運動における国民の選挙活動の自由を守って全国で取り組みをすすめています。そのなかで公務員の政治的活動の自由の拡大も主要課題の一つとして取り組んでいるのです。
それにしても、このビデオ映像は、公安警察は日常的に市民の政治的活動を監視している現実を示すものとして、広くみられるべき価値があるものと思います。ぜひ、ご覧ください。希望者は、私もお手伝いできますので、ご連絡ください。
(2021年5月刊。税込2530円)
2021年6月23日
自由法曹団物語
(霧山昴)
著者 自由法曹団 、 出版 日本評論社
日本の裁判官は、もっと実名で批判されるべきだと私は考えています。この本では、たとえば名古屋地裁の内田計一裁判長の呆れた訴訟指揮が厳しく批判されています。裁判官が交代したときに弁論更新をすることになっています。原告側弁護団が、更新弁論の時間をきちんと確保してほしいと要望したところ、名古屋地裁の内田計一裁判長は、...
「今日は、何もできないということになりますか?」
「更新弁論をするなら、今すぐ、5分与えるのでやりなさい」
弁護団が口々に抗議して立ち上がると、内田裁判長は黙って時計を見つめ、「更新、するんですかしないんですか」と言い切った。弁護団が、このような訴訟指揮に抗議すると、「既に法的見解はもっています」と平然と、答えたのでした。予断をいただいていることを告白したのです。
このような、とんでもない裁判官が幅をきかせているのが現実ですが、たまに気骨のある裁判官もいます。名古屋高裁の青山邦夫裁判長、その一審段階の田近年則裁判長です。
自衛隊のバグダッドへの輸送活動は、その実態に照らして憲法9条に違反すると明断しました。すごいことです。大変な勇気がいったと思われます。
福岡でも憲法の意義を劇にして市民にアピールしている「ひまわり一座」がありますが、広島にも「憲法ミュージカル運動」が長く続いて、すっかり定着しています。初めの脚本を書いたのは廣島敦隆弁護士。そして、その後、なんと25年ものあいだミュージカルの脚本を書き続けたのです。それには人権感覚の鋭さと、ユーモアに満ちたものでなくてはいけません。よくぞ書きあげたものです。しかも、13時の開場なのに、12時ころから人が並びはじめ、観客は階段通路も座る人で一杯になってしまうほどでした。
出演するのは、主として広島市内の小学生からお年寄りまで...。毎年、5月の本番までの2ヶ月半のあいだ、連日、「特訓」を受けていたのです。大成功でした。この20年間で、集会に参加した人は1万5000人、そして、この集会(ミュージカル)の出演者とスタッフはのべ2500人。とんでもない力が広島の憲法ミュージカルを支えてきました。
自由法曹団は、この100年間、一貫して市民とともに憲法の平和的条項そして人権規定を実質化させるために取組んできましたが、その取り組みの一つがここで紹介したものです。
(2021年5月刊。税込2530円)
2021年6月16日
自由法曹団物語
(霧山昴)
著者 自由法曹団 、 出版 日本評論社
家屋明渡執行の現場で、荷物の運搬・梱包のためにやってきた補助業者の男性は、居間で母親(43歳)がテレビで中学2年生の娘の運動会の様子を見ているのを目撃した。その横に当の娘がうつ伏せになっている。
母親は男性に、「これ、うちの子なの」と画面に映る娘の姿を指さした。そして、運動会で娘が頭に巻いていた「鉢巻きで、首を絞めちゃった」と言い、「生活が苦しい」、「お金がない...」とつぶやいた。娘は死んでいた。母親に首を絞められたのだ。母親は自分も死ぬつもりだった。まさしく母子無理心中になりかけた場面である。
8月末に、退去・明渡の強制執行の書類が留守中に貼られていた。母親は、この強制執行の日、ぎりぎりまで娘と一緒にいたかった。自分だけ死んで残った娘は国に保護してもらうつもりだった。娘を学校に送ってから死ぬつもりでいると、娘が母親の体調を心配して学校を休むと言ったので、計画が狂った。裁判で母親は、なんで娘を殺すことになったのか...、分からないと言った。
こんなことが現代日本におきているのですよね...。思わず涙があふれてきました。
夫と離婚して母親は中学生の娘と二人で県営住宅に住み、給食センターのパートをして暮らしていた。元夫が養育費を入れてくれないと生活できない。生活保護を申請しようとしても、「働いているんだから、お金はもらえないよ」と言われ、ついにヤミ金に手を出した。家賃を滞納しはじめたので、千葉県は明渡を求める裁判を起こし、母親は欠席して明渡を命じる判決が出た。その執行日当日、母親の所持金は2717円、預金口座の残高は1963円しかなかった。
母親は家賃減免制度を知らなかった。また、判決と強制執行手続のなかで、県の職員は母親と一度も面談したことがなかった。この母親には懲役7年の実刑判決が宣告された。
私も、サラ金(ヤミ金ふくむ)がらみの借金をかかえた人が自殺してしまったという事件を何件、いえ十何件も担当しました。本当に残念でした。来週来ると言っていた女性が、そのあいだに自殺したと知ったときには、「あちゃあ、もっと他に言うべきことがなかったのか...」と反省もしました。生命保険で負債整理をするといケースを何回も担当しました。本当にむなしい思いがしました。
この千葉県銚子市で起きた県営住宅追い出し母子心中事件について、自由法曹団は現地調査団を派遣しました。その成果を報告書にまとめ、それをもとにして、千葉県、銚子市そして国に対して厳しく責任を追及したのでした。同時に、日本の貧困者にたいするセーフティネットの大切さも強調しています。
創立100周年を迎えた自由法曹団の多種多様な活動が生々しく語られている本です。現代日本がどんな社会なのかを知るうえで絶好の本です。私は、一人でも多くの大学生そして高校生に読んでほしいと思いました。
(2021年5月刊。税込2530円)
2021年6月 8日
檻の中の裁判官
(霧山昴)
著者 瀬木 比呂志 、 出版 角川新書
この著者の本は、決してすべてではありませんが、何冊も読みました。裁判所と裁判官についての実情認識についてはほとんど異論がありません。
かつて裁判官のなかに印象の鮮やかな人、個性的な人が、多くはなかったが、存在した。人間的な美点、温かみや相当の知性、視点を備えた人が一定の割合でいた。そんな人が減っていった。
かつての裁判所には、ゆとりや隙間があった。ところが今では、裁判所の官僚的支配、統制、管理が進み、職人的裁判官が減り、そつなく事件を処理していく司法官僚に変わっている。
日本の裁判官は、できるかぎり波風を立てず、大過なく、思い切った判決をしない方向へ流れていきやすい。
賄賂で買収される裁判官はいないが、裁判所当局によるコントロールで動いているのが現実だ。これで、本当に自由で公正だと言えるものなのか...。
いま、若手裁判官中心に「コピペ判決」の傾向が強まっている。形式的には一応ととのっているが、その内容は裁判官が自分の頭でじっくり考えて全部を構成したものではないから、中身が薄く、また読みにくいものになっている。
裁判官としての自負やモラル、それを支える基礎的な教養も欠いている裁判官たちだ。権威主義、事大主義的傾向も強まっている。
日本の裁判官は、事案と当事者をよく理解したうえで、個々の事変について、ささやかな正義の実現を図るという志向が十分ではなく、事件を手早く処理する方向に傾きがちだ。そして、大きな正義の実現については、きわめて及び腰で、現状追随、権力補完的傾向が強い。この分析には、残念ながら、まったく同感です。本当に残念ですが、そのとおりとしか言いようのないのが日本の裁判の現状です。なので、ごくごくたまに、「自分なりの視点、物事に対する洞察力、本当の意味での人間知、謙虚さ、人権感覚、民主的感覚」という要素をもった裁判官に出会うと、めったにそんなことはありませんが、心が震えるのが自分で分かるほど感激してしまいます。
ということで、この本に書かれていることの多くは同感なのですが、著者が、何回も「左派法律家」なる存在をあげつらって、ことさら批判するのには大いなる違和感があります。よほど、過去にトラウマになるような「被害」経験でもあったというのでしょうか...。私も、著者のいう「左派法律家」の一員になるのでしょうが、こんな余計な決めつけコトバを抜きに、まともな議論をすすめてほしかったと思いました。その点だけは残念ですが、一読の価値は大いにあります。
(2021年3月刊。税込1034円)
2021年6月 4日
「弁護士のしごと」
(霧山昴)
著者 永尾 広久 、 出版 しらぬひ新書
弁護士生活47年になる著者が、これまで扱ってきた事件などを広く市民に知ってもらおうと書いているシリーズ本で、これまで4冊が発刊されています。5冊目のサブタイトルは、「黙過できないときは先手必勝」。たしかに後手にまわると失地挽回は苦しいことが多いですよね。
いくつかのテーマごとに話はまとめられています。今回は、まずは「男と女の法律相談」。著者は20年以上も「商工新聞」で法律相談コーナーを担当しています。短いスペースで要領よく、しかも正確に回答するのは難しいけれど、なんとか続いているそうです。この分野は、弁護士にとって途切れることのない種(たね)になっているといいます。
著者のライフワークのひとつである労働災害をめぐる裁判が紹介されています。家屋の建築・解体現場での足場からの転落事故は重大な後遺障害をもたらすことがある。そんなときに元請会社の責任を問えるのか...。なんとか一定の賠償を勝ちとった話が紹介されていて、いくらか救われます。それにしても、脊髄を損傷した人の日常生活は本当に大変。家屋の改造、そして家族の付き添いなど...。
公事師(くじし)は江戸時代に活躍した、今でいう弁護士のような存在。江戸時代には、実は裁判に訴える人々は多く、公事師のいる公事宿(くじやど)は大いに繁盛していました。ええっ、そんな事実があったの...。しかも、訴状その実例が寺子屋の教材として子どもたちに教えこまれていたというのです。読み書きソロバンを教わった寺子屋の卒業生たちが公正な紛争の解決を求めて裁判所に駆け込む流れはとめられなかった。すると、裁判する側も、いい加減な対応は許されなかった。そんなことをしたら、自分たちの存在意義をなくしてしまうから。なので、当局は、必死で両者の顔を絶つ解決を目ざした、というのが実情だというのです。
そして、最高裁判所がなぜ「サイテー裁判所」と言われることがあるのか...。弁護士会の役員になるには、どんな苦労が必要なのか...。部外者からは分かりにくい当事者の「告白」が満載のシリーズになっています。
興味をもった人は、しらぬひの会(0944-52-6144)へFAXで申し込んだらよいことを紹介します。
(2021年5月刊。税込500円)