弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2022年9月18日

世界裁判放浪記


(霧山昴)
著者 原口 侑子 、 出版 コトニ社

 世界各地の裁判所を観光のかたわら見学した印象をつづった本です。
 著者は日本(東京)で弁護士をしていたのに、なぜか法律事務所を辞めて、世界各国放浪の旅に出かけたのです。その目的の一つが裁判傍聴。といっても、じっくり腰を落ち着けて司法制度を比較し研究するというのではなく、あくまで印象記のレベルにとどまっています。ところが、その印象記レベルでも、制度の違いが分かって面白いのです。
 たとえば、あっと驚くのはブラジルです。ブラジルでは裁判の公開のため、法廷がテレビとネットで中継される。しかも、裁判官室の評議まで中継されているとのこと。そして、弁護士が100万人もいて、裁判は1億件もあるらしく、裁判官は1人で9000件を担当し、月に300件の判決を書いているとのこと。たしかに、ブラジルでは裁判の遅延はかなり深刻だというレポートを読んだ覚えがあります。
 中国は四川省の成都では著者は裁判傍聴が認められなかった。20年以上も前に中国に行ったとき、家庭裁判所の離婚事件の裁判を傍聴することができました。司法部の事前許可があったからでしょうか...。
 法廷でメモをとるのが禁止されている国が、今もいくつかあります。ニュージーランドで禁止されたというのは少し意外でした。日本でもアメリカ人弁護士のレペタさんが裁判を起こして1989年3月に勝訴するまでは禁止されていました。傍聴人による録音は禁止という建て前ですが、音のしないスマホ時代なので、今は実質的にフリーになっていると思います。
 アフリカでは刑事事件で弁護人がつかないまま審理されることが多いようで、それが問題となっているとのこと。悪いことをした奴に、なんで税金をつかってまで国選弁護人をつけてやる必要があるんだ...という疑問は日本でもまだたまに出ますが、やはり世の中には法にのっとった適正な手続というのは絶対に必要なんです。
 著者の同期の弁護士が10年間に10件の無罪判決をとったとのこと。信じられません。私は弁護士生活50年近くで2件のみです。
 著者は10年間に世界124ヶ国をまわり、30ヶ国の裁判所に足を運んだとのこと。これまた、すごーい。
 著者は「新61期」、弁護士になったのは裁判員裁判が始まったころのこと。学生時代にもバックパッカーとして世界を歩いたことがあるようです。こうやって世界をさまよい歩くのから、そろそろ足を洗って、どこかに腰を落ち着けて、何かに取り組んでほしいものだと、他人事(ひとごと)ながら私は思いました。余計なお世話だと言われそうですが...。
(2022年7月刊。税込2420円)

2022年9月16日

冤罪をほどく


(霧山昴)
著者 中日新聞編集局 、 出版 風媒社

 最近、完全無罪が再審で確定した西山美香さんの事件について、その途中から追いかけた中日新聞の記者たちによる苦闘の日々が紹介されている、興味深い本です。
 「事件」が起きたのは、2003年5月。滋賀県の病院で入院患者が死亡した。この病院で看護助手をしていた西山さんが殺人容疑で逮捕され、懲役12年の有罪判決が確定した。患者が装着していた人工呼吸器のチューブを「外した」と「自白した」からだ。
 でも、西山さんは、刑務所の中から、「自分は殺していない」と訴える350通もの手紙を送った。
 記者たちは、次のように問いかける。
 ≪なぜ、冤罪に苦しむ人を救い出すことが、これほどまでに難攻不落なのか?≫
 その答えは...。警察・検察が象徴する組織の論理という悪天候のなせる業(ごう)だ。こんな抽象的に言われても良く分かりません。もっと具体的に言うと...。「犯人」とされた看護助手は刑事を好きになって、逮捕される前、何度も自分から警察署に出かけていってる。
 その刑事も、2ヶ月間に、拘置所にいる「犯人」の看護助手に14回も面会している。
 刑事は、取調室で、看護助手にハンバーガーやドーナツを手渡し、そのうえ、ジュースは毎日、差し入れた。いやあ、これは規律違反です。
 ところが、この刑事は、警察署内で出世を棒に振るどころか、警部補から警部に昇進し、さらにはある警察署の刑事課長にまでなっています。出世人事の典型です。
 西山さんは、38通もの供述調書のほか、56通もの手書きの自供書を書いている。
 そして、取調状況のビデオは完璧な自白ビデオになっている。
 その供述調書の一つには、患者が死んでいく表情をずっと見ていたとして、患者の表情が語られている。「口をハグハグさせた」とか...。裁判官は、これを読んで、「きわめて詳細かつ具体的である。とりわけ被害者の死に至る様子は、実際にその場にいた者しか語れない迫真性に富んでいる」と認定した。
 裁判官の事実認定って、こんなにもあてにならないものなんですよね...。呆れてしまいます。
 冤罪を解くうえで不可欠なものは、なにをさておいて、無実を信じてくれる人が存在すること。これは、きっとそうでしょう。
 再審で無罪を言い渡した大西直樹裁判長は、判決の言い渡しのとき、「被告人」ではなく、「西山さん」と呼びかけた。そして、「不当性を伴う捜査があった疑いが強い」、「事件性を認める証拠がない」、「自白の信用性には大きな疑義がある」とした。真っ白な無罪判決です。
 さらに、最後に、「家族や弁護人、獄友(ごくとも)と貴重な財産を手にした西山さん、もう嘘は必要ない。自分自身を大切にして生きていってほしい」と語りかけたとのこと。裁判官が自分の言葉で言ったことから、間違いなく西山さんの心に届きました。
 中日新聞って、本当いい記事を書いたのですね。すごいです。今でもこんなマスコミがいるのを知ると、ついつい、うれしくなりますよね...。
(2022年6月刊。税込1980円)

2022年9月15日

忘れられた日本憲法


(霧山昴)
著者 畑中 章宏 、 出版 亜紀書房

 明治22年に「大日本帝国憲法」が発布された。そのときまで、日本には国会がなく、集まって政治を議論する場はなかった。それで発布の前、多くの日本人がこんな憲法をつくってほしいと提案した。それらの提案は、「私擬憲法」と総称されている。私の知っているのは、「五日市憲法草案」。昭和43(1968)年8月に、東京都あきる野市の豪農・深澤家の土蔵から発見された。明治14(1881)年4月から6月ころ議論のうえ千葉卓三郎が起草したもの。 「日本国民は各自の権利自由を達すべし、ほかより妨害すべからず、かつ国法これを保護すべし」という条文があるほか、人権に関する規定が目立つのが大きな特徴。国民の基本的人権を念入りに保障しようとしている。このような「憲法」提案が、なんと90数種も確認されている。これって、すごいことですよね・・・。
 私擬憲法を作った民間人は、自由民権の運動家だけでなく、東北地方の藩校の寮長、越後縮(ちぢみ)を扱う地方の商人、鹿児島の民間人などがいた。
 日本敗戦後の日本国憲法の制定に至るなかでも学者による私擬憲法の提案はありましたが、敗戦によって打ちひしがれた多くの市井の人々は、とてもそんな余裕はなかったのでした。そのためGHQの押し付け憲法だとか口汚くののしる人々がいるのです・・・。
 米沢藩士だった宇加地新八は明治7(1874)年8月に憲法草案を建白した。ここでは、立憲君主制をとり、議会の仕組みも詳しく明記され、女性にも選挙権を認めている。
 鹿児島の「竹下彌平」は、明治8(1875)年3月、新聞への投書として憲法構想を展開した。これは、主権在民人権尊重の思想を主張し、「民会(国会)」を開くべきだとした。
 自由民権運動家として有名な植木枝盛の「東洋大日本国国憲案」は明治14(1881)年8月以降に起草したもの。ここでは革命権を主張している。
 足尾鉱毒事件でも有名な田中正造は、天皇にも憲法遵守義務があると主張した。越後の商人・田村寛一郎が提唱した「憲法案」には、驚くべきことに死刑廃止が明記されている。この田村は自分の子孫が皇后になるなど、想像もしなかっただろうとのこと。つまり、雅子皇后の父、小和田恆(ひさし)の親は小和田毅夫で、その妻・静の父親は、田村の養子だった。いやぁ、こんなに人脈はつながっていくものなんですね。
 それにしても、みんなが憲法の意義をもっと大切に認識してほしいものだと思います。
(2022年7月刊。税込1980円)

2022年9月13日

初心、「市民のための裁判官」として生きる


(霧山昴)
著者 森野 俊彦 、 出版 日本評論社

 福岡高裁で定年まで裁判長をつとめた元裁判官(23期。今は弁護士)が、その半生を振り返った、大変興味深い本です。
 本の表紙はドイツはハンブルグのアルスター湖の写真で飾られていますが、そのライトブルーの空は著者の心境をあらわすかのように澄みきって、すがすがしさに溢(あふ)れています。
 著者は一貫して裁判の現場にいて、所長にも支部長にもなったことがありません。支部にも若いころ尾道支部にいたのと堺支部にいただけです。そして、家裁に長くいました。最後の福岡高裁の裁判長も、あきらめていたところ、幸運にもなれたようです。
 私の印象に残る福岡高裁の裁判長といえば、西理(にし・おさむ)判事(今は弁護士)と著者の二人だけです。西さんの法廷はピリピリとした緊張感がありました。記録をよく読んでいるので、容赦ない釈明権の行使がありました。なので、裁判官評価アンケートでは絶賛する弁護士と酷評する弁護士と二分していました(全体としては高く評価されていました)。
 著者の法廷は、ほんわかムードのうちにも真の意味の口頭弁論がすすみましたので、裁判官が何を考えているのか、よく分かって、助かりました。定年退官のあと、弁護士会で控訴審における代理人の心得を講義してもらったという記憶があります。
 この本には、著者が実践した裁判官としての裏技(ウラワザ)が二つ紹介されています。その一は、「サイクル検証」です。私も現場が問題になっている案件ではカメラをかかえて一度は現場に行き、たくさんの角度から写真を撮ることにしています。やはり、他人の撮った写真だけでは実感のわかないことは多いものです。同じようなことを、著者は、裁判官として担当している事件の現場に自分の自転車で見に行っていたのです。
 裁判官には「不知を禁ず」という格言があり、裁判官が職務を離れて個人的に仕入れた情報を事実認定の基礎としてはならないことになっている。そこで、著者は、「たまたま」通りすがりに「現場」にぶちあたっただけだから、いいではないかと考えた。なーるほど、そんな弁明もありうるのですね...。
 自転車で行けないところには徒歩で行くようになったので、これは「サイクル検証」とは言えないから、「徒歩(とぼ)とぼ検証」と名づけたとのこと。著者はダジャレが大好きなのです。
 もう一つのウラワザは...。嫡出(ちゃくしゅつ)子3人と非嫡出子1人とのあいだの遺産分割調停事件で、最高裁が平成25年9月に違憲判断を示す前のことですが、嫡出子1.5対非嫡出子1の割合を和解案として示して、双方が受諾したとのこと。たしかに、ときに、こんな折衷案を裁判官に出してもらうと、歩み寄る可能性がぐぐっと高まります。要は、裁判官のやる気と積極性にかかっています。
 著者より3期若い私も弁護士生活50年が近くなりますが、やる気のない裁判官、実体的紛争の解決より形式論理ばかりを振りかざす裁判官があまりに多いのに、「絶望」に陥りそうになっています。たまにやる気があり、事件の適正な解決に努力する裁判官にあたると、ほっとして、救われた気持ちになりますが、それは残念ながら珍しい出会いでしかありません。
 最近の裁判官は全体としてモノトーンであり、自分の本質を見せたがらない、「正解志向」が強く、マニュアルや先例のない問題にぶつかったときの対応力が弱い。これは著者の印象ですが、同感します。
 最高裁の町田顕長官が「上ばかり見る『ヒラメ裁判官』はいらない」、「裁判官の神髄は自分の信念を貫くことにある」と言ったことに著者は驚いたとのことですが、裁判所内部のトップの目から見ても、由々しき実態にあるということだと思います。町田裁判官は青法協の熱心な会員でしたが、青法協が攻撃されたとき、いち早く脱会したことでも有名です。
 そして、私は、こんな「ヒラメ裁判官」を大量生産してきた・しているのは最高裁自身だということも、きちんと指摘しておく必要があると考えています。青法協加入を理由として司法修習生からの任官を拒否し、裁判所内部では裁判官会議を形骸化して、モノ言わないのを習性とする裁判官をつくってきたのは最高裁判所です。その一例が、著者を家裁漬けにし、また、定年間際まで裁判長にしなかったことにあります。
 先輩裁判官が上からいじめられ、任地や給料で差別されるのを見せつけられる後輩は、次第に独立独歩の気概を失い、ことなかれに陥ってしまうのは必然です。福岡県弁護士会の会報に裁判官評価アンケートの意義をふくめて、そこらあたりを詳しく論述していますので、本書とあわせて、ぜひ一度読んでみてください。著者から贈呈を受けましたので、さっそく2日かけて読了しました。今後ますますのご活躍を心より祈念します。
(2022年9月刊。税込2420円)

2022年9月 2日

検察審査会


(霧山昴)
著者 デイビッド・T・ジョンソン ・ 平山 真理 ・ 福来 寛 、 出版 岩波新書

 日本の検察審査会は世界でも類を見ない独特な機関である。GHQが提案した検察官公選制に対して日本政府が強く抵抗し、「半年のあいだ、もみにもんで文字どおりでっち上げてつくった」のが検察審査会だった。GHQは、日本側の強い反対にあって、アメリカ式の大陪審ではなく、この検察審査会制度に同意せざるをえなかった。
 この記述を読んで、GHQより当時の日本政府、つまり法務省側が強かったかのような評価には強い違和感がありました。いったい、どういうことでしょうか...。
 今では、アメリカの大陪審は、市民と政府の間の盾(たて)というよりも、検察官が刑事訴追を正当化するための道具となってしまった。アメリカでは検察官が大陪審のすべての手続をコントロールしている。大陪審の審理には、裁判官も弁護人も出席できない。大陪審は国の権力機関の一部と言われている。
 大陪審は国家の訴追権限を抑制するために設計されたもの。検察審査会は、より多くの刑事訴追を生み出すために設計された。ここに、もっとも基本的な違いがある。
 検察審査会は全国165ヶ所にある。地方裁判所と主な支部に設置されている。管内の選挙人名簿から無作為に選ばれた11人で構成され、任期は6ヶ月。半数が3ヶ月毎に入れ替わる。
 2000年代に入ってから、年間平均40件を審査しているが、これは、その前の12年間に比べると3分の1に減少している。
検察審査会は検察官の不起訴処分を審査し、その不起訴が相当なのか、起訴すべきだったのか(起訴相当)を判断し、意見を述べる。起訴を促すことを「検察バック」と呼び、検察は4分の1の割合で起訴に変更する。
 しかも、検察審査会は検察官の不起訴が不当であり、起訴すべきだと2回も判断したときには、強制的に起訴するよう改められた(2009年に施行)。ただし、その結果、過去に12年間で強制起訴されたのは、わずか10件であり、そのほとんどが無罪となった。しかしながら、無罪判決が出たからといって、検察審査会による起訴すべきだという判断が間違っていたことにはならない。
 検察審査会制度は、刑罰を決定するにあたって、市民の選択は、どのような役割を果たすべきなのかという問いかけでもある。なーるほど、そういうことでもあるのですね...。
 実は、私も検察審査会の審査補助員として登録しているのですが、残念なことにお呼びがかかりません。でも、東電トップの刑事責任を問う裁判は、結論として無罪にはなりましたが、民事裁判で13兆円の賠償が命じられた判決につながったと考えていますので、決してムダだったとは思えません。大変勉強になる本でした。
(2022年4月刊。税込946円)

2022年8月 3日

ある愚直な人道主義者の生涯


(霧山昴)
著者 森 正 、 出版 旬報社

戦前そして戦後まで活躍した民衆の弁護士、布施辰治の一生を紹介した本です。
「生きべくんば民衆とともに、死すべくんば民衆のために」
この言葉を同じ石巻の出身である庄司捷彦弁護士(26期)より教えてもらいました。
布施辰治は、戦前の法律家のなかでは、京都帝大の滝川幸辰教授(滝川事件の当事者です)と並んで、代表的なトルストイアンであった。トルストイは、人生の意義を根本的に問いかけるという意味で、19世紀末から日本の知識人層の精神に鋭くかつ深く切り込んでいった思想家である。
1911(明治44)年1月18日、大審院は大逆事件の判決で、幸徳秋水や大石誠之助ら24人に死刑判決を宣告した(翌日、半分の12人については無期懲役に減刑)。そして、幸徳ら12人に対しては死刑が執行された。これは典型的な冤罪(えんざい)事件でした。
布施辰治は、大逆事件の弁護人ではなかったが、弁護士専用席で特別傍聴を認められ、判決の日も傍聴している。
布施辰治は、被告人について、もともと市井のフツーの人間だと捉え、その尊厳性を重視した。
布施は、被疑者・被告人に対する精神的拷問を詳細に暴露し、鋭く分析した。長時間の取り調べ、うつつ責め、煙管打ち、鉛筆はさみ、手錠状態での首絞めなど...。このほか、漫然と不法拘留して、前途に疑心暗鬼を生んで煩悶を利用する。さらには容疑者の疑心暗鬼を慰めつつ、巧みにスパイを使うといったもの...。
布施は被疑者・被告人に対してこう告げた。
「きみが真の犯人であるか否かにかかわらず、私はきみの友である。力である」と。その精神の奥底にまで語りかけ、厳しくも熱い寄り添いを率直に示した。こんな弁護士は少なかった。今でも少ないでしょう...。
布施は、同情する程度では第三者で、人道主義は、真にその人になりきることであり、そうしてこそ真の弁護ができると考えていた。
いやあ、これは、なかなかできるものではありませんよね...。
布施辰治は、トルストイに「神頼み」した。それは、すべて「人道の戦士」たらん、すなわち「人道の弁護士」であろうとするためだった。
布施は関東大震災が起きた日(1923年9月1日)、事務所兼自宅を避難所とし、ピーク時には100人あまりが避難してきていた。
そして、布施は白い帽子をかぶり、サイドカーで警察署に乗りつけ、「死体を見せろ」と要求した。いやはや、これはとても並みの弁護士が出来るものではありませんね...。
金子文子が刑務所で自死したときには、仮埋葬された文子の遺体を掘り起こし、火葬して、遺骨を夫の朴烈の朝鮮の実家へ送った。
ここまでするとは、もはや何とも言いようがなく、ただただ頭が下がります。
布施辰治が懲戒裁判にかかったときには、200人の弁護士が弁護人届出を出し、第1回公判には65人の弁護士が出廷した。そして、大審院での裁判のときにも、90人の弁護士が弁護人として届出し、26人が法廷に出廷した。いやあ、これって、すごいことですよね...。
布施辰治は、1940年7月に出獄し、1945年8月15日まで、思想犯保護観察下におかれた。それでも、布施を有罪とした大審院判決のなかに、布施について「なが年、人道的戦士として弱者のために奮闘することを貫き、情熱を有する」という文章を書き込ませた。これは、まさしく画期的なことだと思います。
あくなき法廷闘争は、担当裁判官の良心を信じ、その良心に訴えかける闘いでもあった。しかし、それは、ほとんどの場合に裏切られ、自らが裁かれた裁判においても裏切られたのだが、それでも、大審院の裁判官の心のなかに少しばかりの良心を確認できた。いやあ、まったくそのとおりです。思わず襟を正しながら読みすすめました。
布施辰治弁護士を人道主義弁護士として評価すべきことがよく分かる本でした。
(2022年5月刊。税込1980円)

2022年7月29日

弁護士のすすめ


(霧山昴)
著者 宮島 渉、多田 猛 、 出版 民事法研究会

この本には、若い人たちに弁護士になることを強くすすめたいという思いがあふれています。まったく同感です。そもそも弁護士志望が減っていると言われて久しいのですが、予備試験の受験者は1万5千人をこえているのですから、私はそうは思いません。
今や、あちこちで「弁護士不足」が指摘されています。九州各県の弁護士会は、福岡を除いて、せいぜい微増です。そして、大都会志向はますます強まっています。
いま、企業に勤務する弁護士は2820人(2021年)。その団体である日本組織内弁護士協会(JILA)は、司法試験の合格者を2000人とすること、合格率を70%とすることを求めている。
現状は、合格者1500人です。これを以前から1000人にまで減らせ、若手弁護士は食べていけなくなっている、見殺しにしていいのかと声高に叫び続けている人たちがいます。私は、そうは思いません。少なくとも合格者1500人は維持する必要があるし、若い人には東京だけでなく地方都市にも目を向けてほしいと考えています。
1000人減員を主張する人の多くは、福岡のあさかぜ法律事務所のような弁護士過疎地対策の拠点事務所の持続になぜか冷たいという共通点があります。でも、弁護士独占を法律で認められているのに、弁護士過疎地があっても仕方がないだなんて、そんなワガママが許されるはずもありません。
さらに、法テラスに対しても批判的な人が多いというのも共通しています。たしかに、法テラスに対しては、もっと改善してほしいところは多々ありますが、それでも法テラスをなくせだとか、法テラスに依存するなと言われても、私は「はい、そうですか」とは絶対に言いたくありません。だって、お金がない人が法テラスを利用してようやく裁判手続を利用できているのですから。
「弁護士は食えない」という点についていうと、地方で法テラスと契約しないで弁護士が生きていくのは難しいという現実はたしかにあります。でも、私のように、法テラスと契約して、積極的に利用していると、事務所全体の売上の半分ほどを法テラスが占めていますが、決して「食べていけない」ということはありません。これは、大東京でも同じではないでしょうか...。東京だからといって、弁護士みんなが大企業や金持ち層を顧客にしているはずはありません。
73期の修習修了者の4分の1近くが、五大事務所(17%)と、新興二大手(6%)に就職している。これは、恐るべき現象だと思います。東京三会への登録率は、この10年間で、46%から62%に上昇しています。いやはや、なんという東京志向でしょうか...。これに大阪、愛知の2県を加えると、同じく63%から76%へ上昇しているのです。
企業内弁護士への需要が増えているだけでなく、地方自治体でも積極的に弁護士を職員として採用しようというところが増えています。私は、とてもいいことだと思います。
そして、五大事務所や新興二大事務所の弁護士初任給は1000万円から1200万円とのこと。私の事務所では、考えられない高給です。
合格者1000人へ減員せよと叫ぶ人は、裁判所の一般民事事件の減少を根拠とします。たしかに、ひところの過払いバブル時期と比べると民事事件は減っています(この本では、地裁は7%増だとしています)が、その代わり家事事件は大きく増えています。
そして、弁護士の側の工夫も求められていると私は考えています。じっと何も宣伝しなくても客はやって来るというのは古いのです。
以上が、この本の前半ですが、実は、この本の読みどころは後半で、弁護士がいかに魅力にあふれた職業なのかを本人たちが語っているところにあります。
弁護士過疎対策で、ひところ「松本三加(みか)現象」とまで言われた松本弁護士(54期)は、北海道にある紋別ひまわり基金法律事務所で2年間やりとげたあと、アメリカに留学し、今は福島県で活躍しています。日本企業が海外展開するのをサポートする弁護士として活躍している弁護士もいます。たいしたものです。
弁護士の未来は明るいのです。ぜひ、弁護士を目ざしてほしいと思います。
(2022年6月刊。税込1540円)

2022年7月27日

プリズン・サークル


(霧山昴)
著者 坂上 香 、 出版 岩波書店

私は残念ながら映画をみていませんが、映画づくりの苦労、そのなかのエピソードが紹介されています。
映画「プリズン・サークル」の撮影期間は5年あまり。完成までに10年を要した。撮影許可がおりるまで6年かかった。前例がないというのが最大の障害だった。映画は受刑者の顔を隠すことが条件で撮影が許可された。これに対して、アメリカの刑務所を舞台とする映画「ライファーズ」は、全員が顔を出している。
舞台は、私も一度だけ、そのなかに入ったことのある「島根あさひ社会復帰促進センター」。私は、施設内で、入所者の証人尋問をしたのです。ここは、最大収容者数2千人の刑務所。犯罪傾向のすすんでいない、初犯で刑期8年までの男性が対象。
PFI刑務所でもある、官民混合運営型の刑務所。民間の資金や経験を活用して運営される。全国に4つのPFI刑務所がある。私が行ったときには、ここでは盲導犬パピーの育成をしていますが、その引き継ぎがあっていました。
ソフトな外観ではありますが、目に見えない監視網が張りめぐらされていて、ITを使った24時間監視体制がとられている。
日本の刑務所のもっとも顕著な特徴は、沈黙。現在、日本の受刑者は4万人。一般の刑務所では、6~8人で1室の雑居。「島根あさひ」はホールをはさんで両側1、2階に居室が並び、大半は単独室と呼ばれる個室。窓は鉄格子ではなく、強化ガラス。個室内には、ベッド、勉強机、テレビが備えつけられ、さながら学生寮。
一般刑務所内では受刑者の単独行動は許されないが、「島根あさひ」では、付き添いなしの行動が許されている。余暇時間には、自由に居室とホールを行き来できる。面会や医務室への移動も付き添いなし。
食事は、食堂で、全員がそろって、「いただきます」のかけ声とともに始める。そして、みな、猛スピードで食事を口の中にかきこみ、7~8分で食事は終了する。食べるペースは、人それぞれのはずだが、ここでは、ペースは均一化されている。まるで、さざ波のように音が流れていく。
刑務所における過剰な秩序は学校教育現場と結びついていると指摘されている。
本当に、そうですよね、画一化すぎます。
「感盲」という用語があるそうです。感識が乏しかったり、自分の気持ちや考えに鈍感だったり、特定の感情に目を向けられない、逆にとらわれてしまうという状態をさす。
当事者が授業をリードするのが特徴の一つ。
一般の刑務所では、受刑者は笑ってはならないことになっていて、懲罰の対象になることさえある。ええっ、これは、いかにも人間性に反しますよね。刑務所での映画鑑賞のとき、寅さん映画シリーズは見せていないのでしょうか...。
受刑者の多くは、女性への加害改憲をもっている。ところが、そのDV加害体験を何年かかっても思い出せない人がいる。
加害者の加害体験を入所者が聴いているときの身体反応が興味深かった。身体をぎゅっと固める人、キョロキョロする人、拳を握りしめる人、お腹をおさえる人...、みんな心が動いていることが身体にあらわれていた。
受刑者の多くが、過去にいじめの体験をもつ。いじめの被害・加害は、彼らの現在に影を落としている。暴力をふるった子どもたちも、暴力の被害者だった。子どもたちが施設で暴力を受け、無力感を強め、その無力感を子どもに暴力をふるう。暴力の「世代内連鎖」が起きている。
いろいろ深く考えさせられる本でした。ぜひ映画をみてみたいものです。
(2022年6月刊。税込2200円)

2022年7月22日

秋田に土着して半世紀


(霧山昴)
著者 沼田 敏明 、 出版 秋田中央法律事務所

最近の司法修習生の7割は東京・大阪。そして多くが企業法務かテレビCMなどで全国展開する大手事務所を志向している。
若者の大都会志向が強まっていることに加えて、その主たる理由の一つが、東京のほうがいろんな事件を扱えて勉強になると若者たちが考えていることにあると聞きました。
ええーっ、東京より地方のほうが、千差万別、多種多様な事件に触れる機会が多く、勉強になると思うのですが...。きっと、地方の弁護士が、どんなことを実際にしているのか、してきたのか若い人に伝わっていないのですよね。
私も、最近、自分の扱ってきた事件を『弁護士のしごと』(花伝社)としてまとめ出版しました。田舎の弁護士の実際の仕事ぶりを若い人に伝えたいと思ったからです。
この本は、北海道出身の著者が秋田での50年間の弁護士としての活動を振り返ったものです。第22期の司法修習生ですから、私より先輩にあたりますが、本当にいい仕事をし、世の中に大きく貢献してきたこと、また、私生活では40歳から山登りを楽しむなど、悔いない人生を歩んできたことが実感として伝わってきます。
130頁ほどの小冊子で、フツーの本の格好ではありませんので、少し読みにくいところもありますが、内容は、ぐぐっと濃いもので、後進の弁護士にとって、大いに勉強になります。
なかでも秋田県が「塩サバ事件」と名づけた、生活保護をめぐる加藤人権裁判はその勝利判決は全国にもいい意味で、大きな影響を与えました。
リューマチにかかり重度の障害者になった加藤さんは、一匹の塩サバを小さく切って何日ものおかずにして節約し、付き添い看護費用に充てるため預金したのです。その預金が73万円になったのを知った秋田県が収入認定し、墓と葬儀費用以外に使ってはいけないという「指導・指示」処分をしたのでした。しかし、加藤さんは、すでに墓は確保してあり、献体を約束しているので、葬儀費用は不要なのです。生活保護費を切り詰め、付き添い看護費用に充てるための預金を収入認定するというのは、あまり人間性を無視した冷酷・無比の行政です。さすがに秋田地裁は、加藤さん側の圧勝。被告の秋田県知事は控訴もできず、福祉事務所所長は、加藤さん宅を訪問して謝罪したのでした。
このほか、国保税裁判では憲法87条違反(一審)、それに加えて憲法92条違反(二審)を判決で明示するという画期的判決を勝ちとっています。秋田市は、最高裁でも負けたら、年間50億円もの国保税収入を5年前にさかのぼって市民に返還しなければならなくなることから、「和解」を申し出て、「申請減免制度」がつくられたとのこと。すごいです。
大王製紙誘致反対の裁判でも、秋田県440億円の補助のうち240億円の支出をしてはならないという。地方公営企業法違反による差止判決を得ています。この結果、大王製紙は進出を中止したのでした。
著者は、法廷において主導権を確保することが大切だと力説しています。まったく同感です。
法廷で、裁判所から質問されたり、相手方から釈明を求められたりして、なんとなく回を重ねているというのは、大変まずいこと。そういう雰囲気にならないよう、毎回、必ず声を出し、こちら側から相手に説明を求めていく。そうやって、法廷で被告行政の側がおかしいことをしているというムードをつくりあげていくことが大切だ。本当に、そのとおりです。
著者がまだ40代の若手弁護士のころ、弁護士会の会長や副会長がボス(長老)弁護士の談合で決められているのを透明化していったということも語られています。福岡でも、かつてはそうでした。そもそも選挙規定すらきちんとしていなかったのです。全会員の投票による会長選挙が実現するまで、容易ならざる困難がありました。弁護士会館には、福岡部会以外の副会長は机すらなかったのです。
とても読みごたえのある在職50年のあゆみです。引き続きのご活躍を心より祈念しています。
(2022年6月刊。非売品)

2022年6月30日

『西岡芳樹先生を偲ぶ』


(霧山昴)
西岡芳樹、 自費出版

大阪の西岡芳樹弁護士(20期。以下、西岡さん)が昨年8月に77歳で亡くなって1年たとうとしているとき、すばらしい追悼文集ができあがりました。
 私も寄稿者の一人です。それは、西岡さんが日弁連の憲法委員会(今は憲法問題対策本部に発展的に改組された)の初代委員長で、私は、その次の次の委員長を3年間つとめたことによります。私の直前の委員長は村越進弁護士で、日弁連会長選に出馬するというので、なぜか福岡の私に声がかかったのです。
そして、この3人は、みな大学生のころセツルメント活動にいそしんだという共通項があります。私が川崎セツルで、西岡さんは亀有セツル。
この本によると、西岡さんの配偶者の恵子さんもセツラーで、ダンパで初めて出会ったらしいのに、西岡さんには何の記憶もなかったらしいとのこと。
灘中、灘高卒の西岡さんは、麻雀、パチンコ、ダンス、ボーリング、なんでもござれだけど、「何をしても虚(むな)しい」と言っていたのでした。
長めの髪をオールバックにして耳にひっかけ、細身のマンボズボンに明るい紺色のブレザー。これは、まことに生真面なセツラーにはそぐわない、「派手くるしい格好」。亀有のハウスにも、法相部ではなく、文化部に土曜日ごとにそんな格好でやってきたそうです。いやあ、川崎にはそんな派手な格好のセツラーはさすがに見かけませんでしたよ...。
弁護士になってからも相変わらずのダンディーぶりは変わりませんでした。この文集でも何人も指摘しています。
ちなみに、この冊子の編集責任者の岩田研二郎弁護士(33期)も、亀有セツルと同じ足立区の鹿浜セツルのセツラーです。
恐らく、このセツルメント活動をきっかけとして西岡さんは労弁になることを志向して、駒場で司法試験の勉強を始め、本郷の3年生のとき、さっさと合格したのでした。
そして、結婚するときに恵子さんに言ったのは...。
「ぼくはビジネスで弁護士をやるのではない。ワークでやるのだから、経済的には期待しないでほしい」
似たようなことを、娘(三女)にも西岡さんは言ったそうです。
「商売で弁護士をやってるんじゃない」
西岡さんは、文字どおり人権派弁護士として最後までがんばりました。
西岡さんが弁護士として取り組んだのは、弁護士会の人権擁護委員会(医療問題)、そして憲法委員会を別にすれば、中国在留日本人孤児国賠訴訟とマンション問題。実は、私は今も築20年以上のビルの建築瑕疵の修理代をめぐる裁判を担当していますが、その消滅時効の問題をいかにクリアーするか悩んでいて、インターネット検索したところ西岡さんの論文がヒットしたのです。それで、旧知の仲なので西岡さんの自宅兼事務所に電話をかけて教えを乞いました。いつものように優しい口調で教えてもらって助かりました。まさか、それほど西岡さんの病状がひどいとは夢にも思いませんでした。
西岡さんは、へビースモーカーだったようで、死因も肺ガン。それでも、何回も死の淵から生還し、娘や孫たちを励まし、喜ばせたようです。西岡さんがすごいのは、そのときの食事。好きなものを好きなように食べたのです。抗ガン剤のあとも、食欲があまり低下せず、恵子さんの手づくり肉じゃが、虎屋の羊かん、そして店のカレー、うなぎ弁当、かりんとう万十、チーズケーキ、プリン。いやはや、なんとも...。
実は西岡さんは自ら料理人でもありました。でっかいマグロを自分でさばいたというのには私はびっくりたまげてしまいました。
いやあ、すばらしい追悼文章です。
「自分の人生に悔いはない」と西岡さんは家族にもらしたとのこと。まことにそのとおりです。でも、昨今のキナ臭い状況をみると、西岡さんは、彼方から、なにしてるんや、なんとかせいやと渋いダミ声で叱咤激励されそうです。いえ、先生、なんとかがんばりますから...、と返したいものです。
(2022年6月刊。非売品)

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