弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2023年9月 5日

評伝・弁護士・近内金光


(霧山昴)
著者 田中 徹歩 、 出版 日本評論社

 栃木県に生まれ、京都帝大を卒業後、農民組合の顧問弁護士として活発に活動していたところ、「3.15事件」で逮捕され、懲役6年の実刑となり、刑務所に収監された。獄中で発病し、弁護士資格を剝奪され、1938(昭和13)年に病死。享年43歳。
 近内(こんない)弁護士の歩みを、同じく栃木県出身の著者が丹念にたどった本です。
「これほど純粋無垢な男は見たことがない」
「典型的な革命的弁護士」
「栃木弁まる出しの弁論は、熱と力に充ち、いささかの虚飾なく、冗説なく、一言一句、相手方の肺腑(はいふ)をえぐる鋭さがあり、裁判長や相手方弁護士を狼狽(ろうばい)させた。農民にとっては、実に小気味よく、思わず嘆声をあげ、随喜の涙さえ流した」
「弁護士というより、闘士として尊敬されていた」
「包容力があり、芯に強いものをもっていた」
近内は二高に合格したあと、さらに翌年(1918年)、第一希望の一高に合格して入学した。1918年というと、前年(1917年)にロシア革命が起こり、7月には富山などで米騒動が起きていた。そして、翌1919年3月、朝鮮では三・一独立運動、5月に中国で五・四運動が発生した。まさに世界が激動するなかで一高生活を送ったわけです。
また、1918年12月には、東大新人会が結成された。1918年9月には原敬内閣が誕生してもいる。
近内と同じく一高に進学した学友の顔ぶれを紹介しよう。いずれも有名人ばかりだ...。吉野源三郎(「君たちはどう生きるか」)、松田二郎、村山知義、前沢忠成、戸坂潤、など...。そして、近内たちの前後には、尾崎秀実、宮沢俊義、清宮四郎、小岩井浄などがいる。いやあ、驚くほど、そうそうたる顔ぶれです。
近内は一高では柔道部に入った。柔道二段の腕前だった。
近内は、1921(大正10)年3月、一高を卒業し、4月、京都帝大の法学部仏法科に入学した。
京都帝大の学生のころ、近内は目覚め、社会主義への関心を持つようになった。
近内は一高そして京都帝大に在籍した6年間、フランス語も勉強した。モンテスキューの「法の精神」やシェイエスの「第三身分とは何か」を一生懸命に翻訳した。
近内は1925(大正14)年12月、司法試験に合格した。
このころ、弁護士が急増していた。1915(大正4)年の弁護士数は2500人もいなかったのに、10年後には5700人になり、1930年には6600人になった。弁護士人口が急速に増加していった。このころも「弁護士窮乏」論が出ています。
そして、1921(大正10)年に自由法曹団が誕生した。同じく、翌年(1922年)7月、共産党が結成された。
このころ、大阪は、人口211万5千人で、200万人の東京を上回る、日本一の大工業都市だった。
近内が弁護士として活動したのは27歳から30歳までのわずか2年4ヶ月のみ。近内は、信念にもとづき、妥協を排し、まっすぐに主張を貫く姿勢で弁護活動を展開した。野性横溢(おういつ)、叛骨(はんこつ)稜々(りょうりょう)という言葉は那須(栃木県)の地に生まれ、農民魂を忘れることがなかった近内の真髄を表している。
1926(大正15)年1月の「京都学連」事件は完全な当局によるデッチあげ事件(冤罪事件)で、近内は、その学生たちの弁護人となった。この事件の被告人には、鈴木安蔵(憲法学者)や、岩田義道などがいる。
近内は、日本農民組合の顧問弁護士として全国各地で多発していた小作争議の現場に出かけていって、農民支援の活動を展開していった。
まだ30歳の若者が、「父の如く慕われている」「トナリのオヤジ」として親しまれた。
裁判所は昔も今も、大地主や資本家の味方で、小作人の味方は決してしない。
近内は、争点を拡げたりして一見無駄に見える時間の使い方をしていた。それによって、小作人は少しでも長く耕作できるからだ。
今日の公職業法には重大な制約が二つあります。小選挙区制と戸別訪問の禁止です。「二大政党」なんて、まったくの幻です。
この本で、著者は、高額(2000円)の供託金制度も問題にしています。まったくもって同感です。もう一つは小選挙区制です。
労働農民党の40人の立候補のうちの30人は自由法曹団員だった。そして、うち11人は日本共産党の党員だった。
近内も労農党から立候補したが、見事に落選した。この選挙では、無産政党の3人が当選できた。山本宣治のほか水谷長三郎(京都一区)がいた。
近内弁護士について、初めて詳しく知ることができました。ちょっと高額な本なので、全国の図書館に備えてもらって、借り出して読んでみてください。
(2023年8月刊。6300円+税)

2023年8月25日

世間と人間


(霧山昴)
著者 三淵 忠彦 、 出版 鉄筆

 初代の最高裁判所長官だった著者によるエッセーの復刻版です。
 最高裁長官というと、今ではかの田中耕太郎をすぐに連想ゲームのように思い出します。
 砂川事件の最高裁判決を書くとき、実質的な当事者であるメリカ政府を代表する駐日大使に評議の秘密を意図的に洩らしていたどころか、そのうえアメリカ政府の指示するとおりに判決をまとめていったという許しがたい男です。
 ですから、私は、こんな砂川事件の最高裁判決は先例としての価値はまったくないと考えています。ところが、今でも自民党やそれに追随する御用学者のなかに、砂川事件の最高裁判決を引用して議論する人がいます。まさしく「サイテー」な連中です。
 ということを吐き出してしまい、ここで息を整えて、初代長官のエッセーに戻ります。
 片山哲・社会党政権で任命されたこともあったのでしょうが、著者の立場はすこぶるリベラルです。ぶれがありません。
 厳刑酷罰論というのは、いつの時代にも存在する、珍しくもない議論だ。つまり、悪いことをした奴は厳しく処罰すべきで、どしどし死刑にしたほうが良いとする意見です。
 でも、待ったと、著者は言います。厳刑酷罰でもって、犯罪をなくすことはできない。世の中が治まらないと、犯罪は多くなる。生活が安定しないと、犯罪が増えるのは当然のこと。だから、人々が安楽に生活し、文化的な生活を楽しめるようにする政治を実現するのが先決だ。こう著者はいうのです。まったくもって同感です。異議ありません。
 東京高裁管内の地裁部長会同が開かれたときのこと。会議の最中に、高裁長官に小声で耳打ちする者がいた。そのとき、高裁長官は、大きな声で、こう言った。
「裁判所には秘密はない。また、あるべきはずがない。列席の判事諸君に聞かせてならないようなことは、私は聞きたくない。また、聞く必要がない」
その場の全員が、これを聞いて驚いた。それは、そうでしょう。今や、裁判所は秘密だらけになってしまっています。かつてあった裁判官会議なんて開かれていませんし、自由闊達で討議する雰囲気なんて、とっくに喪われてしまいました。残念なことです。上からの裁判官の評価は、まるで闇の中にあります。
「裁判所は公明正大なところで、そこには秘密の存在を許さない」
こんなことを今の裁判官は一人として考えていないと私は確信しています。残念ながら、ですが...。
江戸時代末期の川路聖謨(としあきら)は、部下に対して、大事な事件をよく調べるように注意するよう、こう言った。
「これは急ぎの御用だから、ゆっくりやってくれ」
急ぎの御用を急がせると、それを担当した人は、急ぐためにあわてふためいて、しばしばやり直しを繰り返して、かえって仕事が遅延することがある。静かに心を落ち着けて、ゆっくり取りかかると、やり直しを繰り返すことはなく、仕事はかえってはかどるものなのだ。うむむ、なーるほど、そういうもなんですよね、たしかに...。
徳川二代将軍の秀忠は、あるとき、裁判において、「ろくを裁かねばならない」と言った。この「ろく」とは何か...。「ろくでなし」の「ろく」だろう。つまり、「正しい」というほどの意味。
訴訟に負けた人の生活ができなくなるようでは困るので、生活ができるようにする必要があるということ...。たしかに、私人間同士の一般民事事件においては、双方の生活が成り立つように配慮する必要がある、私は、いつも痛感しています。
著者は最高裁長官になったとき、公邸に入居できるよう整うまで、小田原から毎日、電車で通勤したそうです。そのとき67歳の著者のため、他の乗客が当番で著者のために電車で座れるように席を確保してくれていたとのこと。信じられません...。
私の同期(26期)も最高裁長官をつとめましたが、引退後は、いったい何をしているのでしょうか。あまり自主規制せず、市民の前に顔を出してもいいように思うのですが...。
(2023年5月刊。2800円+税)

2023年8月 4日

ある裁判の戦記


(霧山昴)
著者 山崎 雅弘 、 出版 かもがわ出版

 竹田恒泰は、「人権侵害常習犯の差別主義者だ」と論評したことから、竹田が原告になって著者を被告として裁判を起こしてきた、その顛末が語られています。
 2020年1月に始まり、裁判は2年以上も続きましたが、地裁、高裁そして最高裁のすべてで著者が完全に勝訴しました。まったくもって当然の結論ですが、それに至るまでには並々ならない努力と苦労がありました。
 竹田恒泰が著者に求めたのは500万円の支払いと謝罪。著者は、名誉棄損の裁判では第一人者の佃(つくだ)克彦弁護士を代理人として選任した。
竹田は、今もユーチューブで自分の差別的な言動をまき散らしているようです。たまりません。ここで引用するのをはばかられるような口汚いコトバで差別的コトバを乱発している竹田のような差別主義者を「差別主義者」と明言して批判する行為が訴訟リスクに陥るなんて、あってはならないことです。それでは差別やヘイトスピーチは良くないといっても実効性がありません。ダメなものはダメだという正論は社会的に守られる必要があります。
日本の社会は差別に甘い。最近ますますそう感じている。著者の嘆きを私も共有します。岸田首相自身が良く言えばあまりに鈍感です。はっきり言って、社会正義を実現しようという気構えがまるで感じられません。だから、竹田のような、お金のある「差別主義者」がユーチューブでのさばったままなのです。若い人たちへの悪影響が本当に心配です。
 アメリカでは、人種差別に抗議しなければ、何も言わなければ人種差別を容認しているとして批判されます。ところが、日本では人種差別を含む差別的言動に対してマスコミが「ノーコメント」、まったく触れないまま黙っている状況が今なお容認されています。ひどい状況です。
 著者が裁判にかかる費用を心配し、インターネットでカンパを募ったところ(今はやりのクラウドファンディング)、2週間で1000万円も集まったとのことです。心ある人が、それほど多いことに救われます。まだまだ日本も捨てたものじゃありません。
 日本人は、世界に類を見ないほど優れた民族である。竹田は口癖のようにいつも言っていますが、これってヒトラーがドイツ民族について同じことを言っていたことを思い起こさせますよね。
 竹田は、自分について、身分はいっしょだけど、血統は違う(旧竹田宮の子孫だということ)と称して、血統による差別を正当化しようとしている。でも、それこそ差別主義者そのもの。いやになりますよね。自分は「宮家」の子孫だから、血統が違うんだと強調しているのです。呆れてしまいます。
 竹田の語る思想を「自国優越思想」と表現するのは、論評の域を逸脱するものではないという判決はまったく当然です。差別主義者の竹田は、自分は明治天皇の「玄孫」にあたると高言しているとのこと。まったくもって嫌になります。そんなのが「自己宣伝のキャッチコピー」になるなんて、時代錯誤もはなはだしいですよね。
 この本のなかで、著者は、竹田について、「この人は本当に、天皇や皇族に深い敬意を抱いているのだろうか」と疑問を抱いたとしています。まさしく当然の疑問です。司法が竹田の主張を排斥したことは、評価できますが、主要なマスコミが、この判決をまったく紹介せず無視したというのに驚き、かつ呆れつつ、心配になりました。日本のメディアは本当に大丈夫なのでしょうか...。
(2023年5月刊。2200円)

2023年8月 3日

女性弁護士のキャリアデザイン


(霧山昴)
著者 菅原 直美 ・ 金塚 彩乃 ・ 佐藤 暁子 、 出版 第一法規

 いま、女性弁護士は8630人で、全体の20%弱(2022年5月末)。女性医師が23%であるのに、近づいてはいる。
 日弁連では、女性会長こそまだ実現していないが、女性副会長クォータ制が導入されているため、年度によっては女性副会長が3分の1近くを占めるようになっている。単位会の女性会長は珍しくないし、女性の日弁連事務総長も実現している。
 日弁連は、地方の裁判所支部に弁護士がいないか、1人だけという状況(「ゼロ・ワン地域」と呼ぶ)を解消しようと努力してきて、一応、その目標は達成した。しかし、支部管内に女性弁護士がいない(ゼロ)ところが63支部もある(2022年1月時点)。
 この本には、16人の女性弁護士が自分の活動状況を報告し、あわせて女性弁護士のかかえる問題点を具体的に指摘しています。
 「弁護士になって本当に良かった。自由に、自分らしく、やり甲斐のある仕事ができる、この仕事が好き」
 私も、これにはまったく同感です。それこそ天職です。
 仕事とプライベートの時間はきちんと分ける。男性の依頼者から食事に誘われるのは断る。信頼関係を築くのが難しそうだと感じたら、初めに断る、途中でも断る勇気を出さなくてはいけない。この点も、同感です。ただ、私にはネイルをする趣味はありません。
 睡眠・食事・運動の三つは大切にしている。仕事をするうえでは、身体的にも精神的にも元気でいることを意識している。そうなんです。元気じゃないと、困っている人の相談に乗るのは難しいし、前向きな解決方法を一緒に考え出すことは無理なのです。
 金塚さんはフランスで育ちましたので、フランス語はペラペラで、フランス弁護士の資格も有しています。私のような、せいぜい日常会話レベルのフランス語を話せるというのと、格段の差があります。すごいと思うのは、週末は乗馬かピアノにいそしんでいるというところです。
 私は週末はボケ防止のフランス語の勉強のほかは、ひたすら本を読み、またモノカキに精進します。
そのほか、金塚さんは自分の好きな服装・アクセサリーを大事にし、メイクとネイルは必須とのこと。そこも私と違うようです。
 人の悩みや紛争と常に直面する仕事なので、できるだけ仕事以外の自分でいられる時間をもつこと、何でも相談できる同期や同僚を大事にするよう勧めています。これもまた、まったく同感で、異議なーし、です。
新聞記者から弁護士になった上谷さんは、「弁護士の仕事の9割は、自分の依頼者を説得すること」だと先輩弁護士から教えられたとのこと。「9割」かどうかはともかくとして、依頼者を説得するというのは大きな比重を占めます。そして、そのとき、日頃の信頼関係がモノを言うのです。
 弁護士の仕事において、争うのは、あくまで手段であり、目的は紛争の解決にある。このことを常に念頭に置くべきだ。この点を強調しているのは、沖縄の林千賀子さん。林さんはマチ弁ですが、この本には企業内弁護士も、大企業を依頼者とする弁護士も、国際分野で働く弁護士など、多彩な顔ぶれです。
 弁護士は、めんこくない(かわいくない)、相手にしたくない、面倒くさいと思われてナンボの存在。いやはや、こんな断言をされると、まあ、そうなんですけど...と、つい言いたくなってしまいます。
 最後あたりに、札幌弁護士会が顔写真つき名簿を会の外にまで配布しているのは問題ではないかという指摘が出てきて驚きました。この名簿は福岡県弁護士会にもあり、私が執行部のときに札幌にならって始めたのですが、福岡では会の外には出さないということになっていて、私の知る限り、会員からのクレームはありません(自分の顔写真を提供したくない人は、昔も今も少なからず存在しています)。
 女性弁護士ならではの困難をかかえながらも、元気ハツラツと活躍している女性弁護士が全国的にどんどん増えているというのは本当にうれしいことです。タイムリーな本として、ご一読をおすすめします。
(2023年5月刊。3740円)

2023年7月12日

扉をひらく


(霧山昴)
著者 村山 晃 、 出版 かもがわ出版

 京都の村山晃弁護士(以下、旧知の間柄なので「村山さん」と呼びます)が弁護士生活50年をふり返った貴重な記録集です。
 村山さんは法廷で訴訟指揮をする弁護士だ。法廷で裁判官の仕切りが悪いと、あれこれ裁判官に注文をつけて進行を早めたり、相手方弁護士に「もっと早くできるでしょう」などと言ったりする。
村山さんは、証人尋問の異議の出し方も独特。処分取り消しを求める裁判で、本人への反対尋問で相手方弁護士が、「あなたは処分される理由はまったくないと考えているんですか?」と訊いたとき、村山さんは、「異議あり」とも言わずに大きな声でこう言った。
 「私だって、あなただって、裁判官だって、みんな課題を抱えているんですよ。それが当たり前じゃないですか。そんな質問がありますか」と、相手の弁護士をたしなめ、本人のピンチを救った。いやあ、これはすごいです。私は、とても真似できません。
 弁護士は、その言葉どおり、弁論で人々の権利を護(まも)るのを職責とする。だから、誰にでも理解できるコトバ、できるだけ短いコトバ、核心をついたコトバで、裁判官や相手方、当事者やサポーターに語りかけて理解させる必要がある。なので、できるかぎり原稿を読まず、話す相手の顔を見て、その反応を確かめながら、自分のコトバで語りかけるように努めている。語りかけは、相手の心に届かなければ意味はない。
 過労死事件は、高裁で逆転勝訴するという法則がある。こんなフレーズがあるそうです。実際、一審で労働者側が敗訴した事件を関西では高裁で何件も逆転勝訴したようです。もちろん、こんな「法則」があるからといって、村山さんたちが手を抜いたのではありません。一身とは別の攻め口を考え、実行し、詰めていった成果です。
 この本を読んでいて、もっとも驚かされたのは、民事の一審判決の言い渡しのとき、裁判官が主文を後回しにして、理由を述べはじめた事件があったというくだりです。刑事の死刑判決では、死刑にするという主文を読み上げたら、理由は被告人は卒倒するだろうし、マスコミも傍聴人も判決理由なんてまともに聞かないだろうから、判決理由を述べたあと、死刑宣告の主文を読みあげるという確立した慣行があります。ところが、行政処分取消を求める民事裁判で同じことがなされたというのです。そんなこと聞いたこともありませんでした。判決を書いた裁判官からすると、それだけ、みんなに理由こそ聞いてほしかったのでしょう。それほど心血そそいだ苦心の判決だったわけです。やはり裁判官の感性を揺さぶることが、いかに大切かを物語ってあまりあります。
 関西電力を被告とする人権侵害事件は、1971年に裁判が始まり、1995年に最高裁で労働者側の勝訴が確定するという、24年間もの長期裁判でした。ところが、この本で元原告団長は、「無我夢中で取り組み、あっという間の24年でした」と語っています。どんなに大変で苦労した事件であっても、終わってしまえば、振り返ったら、「あっという間」の出来事になってしまうものなんですよね...。
 この裁判では会社(関西重力)が共産党員だとみなした社員を徹底して監視し、差別していたのですが、あるとき、その詳細を記述した「マル秘」の労務管理資料が差別されている側に渡ったのでした。それでも会社側は、ノラリクラリと差別の合理性を立証しようとしたため、こんな長期間の裁判になってしまったのです。
 同じような思想差別撤回を求める裁判では、原告団は、ジュネーブの国連人権委員会にまで出かけています。その結果、国連は、日本の外務省を通じて、大企業に対して差別の改善を求める指導をしたとのこと。こんな国際的な取り組みも必要なのですね...。
 そして、支援活動のため、東京から新幹線で車両1両を貸し切って駆けつけてくれる仲間たちがいたといいます。すばらしいことですよね、お互い元気が出ますよね。
 関電本社を包囲する抗議集会は、1996年5月に始まったときは1000人ほどだった。それが9月には5000人にまで増え、その後、1997年も1998年も5000人は下まわらなかった。そして、ついに1999年9月には6000人もの大集会になったのでした。要請署名も実に25万筆が集まりました。
 そんな大々的な取り組みが効を奏して、関電に差別を是正させ、12億円もの和解金を支払わせることができました。みんなみんな、本当によくがんばったのですね。村山さんは、その勢いをつくる中心的な役割を担ったのです。すごいことです。
 喜寿(77歳)を迎えた村山さんは、今も現役の弁護士として元気一杯。子ども3人の子育ては配偶者のがんばりのようですが、孫が7人というのですから、幸せなものです。
 そして、47都道府県で行っていないエリアは存在しません(これは私も同じです)。しかも、海外旅行で行った先はなんと41ヶ国にのぼるとのこと。これはうらやましい限りです。私は14ヶ国かな。私は少しだけフランス語ができますから、フランスには何回も行きましたが...。うらやましい限りです。
村山さんの50年間の弁護士生活で、こんなすごいことをやってきたんだと改めて襟を正して村山さんを見直した次第です。
 著者から贈呈していただきました。ありがとうございます。
(2023年6月刊。1650円)

 先日受験したフランス語検定試験(1級)の結果が分かりました。150点満点のところ、56点です。もちろん不合格。4割に届きませんでした。恥ずかしながら、実は自己採点では71点だったのです。今回は少し良かったと慢心していたのですが...。こんなに差が出たのは、仏作文と書き取りの自己評価が大甘すぎたということです。反省するしかありません。トホホ...。それでも、毎朝、NHKフランス語の聞き取り、書き取りは続けています。

2023年7月 6日

あなた、それでも裁判官?


(霧山昴)
著者 中村 久瑠美 、 出版 論創社

 このタイトルから、敗訴判決をもらった弁護士が、判決を書いた裁判官が初歩的な事実認定ないし法律判断を誤ったことへの批判だと想像しました。50年近い弁護士生活のなかで、何度も何度も、裁判官の間違った判決に泣かされてきました。もちろん、法律構成や判断については私のほうが裁判官に教えられることは多々ありました。そのときは、ありがたく感謝しました。そうではなくて、事実判断のレベルで、基本的な常識に欠けるレベルでの誤りをしているとしか思えない判決に何度も何度も接しました。そして、高裁で、その点を指摘しても、ほとんどの高裁の裁判官はことなかれ主義で、仲間としての裁判官をかばい、書きやすい判決に流れていく気がしてなりませんでした。あと、行政に弱いのは、ほとんどの裁判官に言えることです。まさしく、三権分立を担っているという裁判官の気概を感じたことは残念ながら皆無と言って言い過ぎではありません。
 私が裁判官評価アンケートに長く積極的に関わっているのは、この状況を少しでも改善したい、そのためには出来るだけ状況認識を多くの弁護士の共通のものにしたいという思いからです。
前置きが長くなりましたが、この本のタイトルは、そんなものとは無縁です。つまりは、DV夫が裁判官だったということです。東大卒の自称エリート裁判官が、自宅では新婚の妻に文字どおり身体的暴力を働き、また精神的なDVを繰り返していたというのです。
 知的で議論好き、博学でちょっとニトルなところのある男。しかし、その夫は妻に対して平気で暴力を振るう男でもあった。新婚旅行から帰ったその晩から、妻は夫の激しい殴打にあった。殴打ばかりではない。突き飛ばされ、足蹴にもされた。
 妻はいつからかサングラスが手放せなくなった。夫は、かんしゃくを起こすと、決まって妻の顔を殴った。目のまわりや頬はアザとハレが絶えなかった。それを隠すため、いつもサングラスをかけていた。ところが、夫は、他人の前ではやたらと社交的に愛想をふりまき、気をつかい、まさに「気配りの人」のように見せる。ところが、自宅では、絶望的な不機嫌さ、身も凍りつきそうな冷酷な態度だった。
 人前と妻の前でのご機嫌が天と地ほども変わった。妻は常に夫の機嫌を損ねないように気をつかい、かゆいところはここかあそこかと手をさしのべ、一から十まで世話を焼き、「殿よ、殿よ」とあがめていないと夫の暴力を防ぐことはできなかった。
 なぜ、そんな夫と妻が我慢していたのか...。暴力がおさまったあと、夫はまるで手のひらを返したように優しくなって、妻にベタベタしてしまうから。これで妻は、機嫌を直して、自分が悪かった、もっと夫に気に入られるようにしようと反省するのだった。これは「虐待のサイクル」といって、多くのDV加害者に通じるパターン(サイクル)だ。
 「オレほどの頭があり、仕事ができる男は日本中にいない。おまえはオレが仕事しやすいような最高の環境をつくらなきゃいかんのよ。ご主人が判決書きに忙しいときは、書き終えるまで何時間でも官舎のまわりを赤ん坊を背負って、ぐるぐる回り続けるのが普通なんだぜ...」
いやあ、信じられませんね、こんなセリフを吐くだなんて...。
 「あなた、それでも裁判官?」
 「ああ、オレは裁判官さ。書記官たちに聞いてみろ。オレくらい被告人の人権を考えている裁判官はいないって、誰もが言うぞ...」
 1年半もの交渉のあげく、慰謝料200万円、子の養育費は月2万円で協議離婚が成立した。その裁判官の月給は10万円の時代だった。まあ、それでも離婚して(できて)よかったですね。
そして、著者が司法試験に合格して30期の司法修習生になったとき、司法研修所の教官たちは、女性修習生にこう言い放った。
 「男が生命をかけている司法界に、女の進出を許してなるものか」
 「娘さんが司法試験に合格して親は嘆いたでしょう」
 「女なんかに、裁判は分かりませんよ」
 信じられない暴言です。でも、これらは当時の裁判官たちのホンネだったことは間違いありません。さてさて、今はどうなんでしょうか...。
 初版は2009年で、10年以上たっての再版の本を読みました。いやはや驚くべき内容でした。
(2020年7月刊。2200円)

2023年6月29日

いなべんの哲学(第8、9巻)


(霧山昴)
著者 千田 實 、 出版 (株)MJM

 80歳になった著者が50年間の弁護士生活を振り返った、含蓄あふれる小冊子シリーズです。著者は「生涯100冊発刊」の目標を立てて、なんと、それを達成し、ついに140冊になったとのこと。すごいです。
 読むと、今すぐに始めたほうが良いことがいくつも指摘されています。たとえば...、明日から徹底してやるより、少しでもよいから今すぐにやることが大切。気がついたらすぐやるほうが実行しやすいし、効果があがる。
失敗のない人生は、目的を果たそうとしなかった人生だったということ。失敗のない人生なんて、それこそ失敗だ。つまり、何か目的をもって生きようとしなかった人生なんてつまらない、ということ。これまた、激しく同感です。
 著者の哲学の根本は、人生は楽しめばよい、つまり面白く生きるということ。
 著者は弁護士として生きているうちに、「人生は、刑に服しているのではないか」と思うようになったとのこと。いや、それではいかん。60歳を過ぎたころから、「人生を刑務所からパラダイス(楽園)に変えてやると決心したとのこと。つまらないことにこだわり、すったもんだを繰り返してきた60年間は、身も心もすり減らしてしまった。これからは、ものごとにこだわらず、青空道中を生き(生き)たいと考えた。
 煩悩(ぼんのう)は、生きるためのエネルギー源。
 離婚問題を弁護士として扱い、解決するうえで一番気をつかうのは、困る人が出ないようにすること。もっとも困る人が出るのは戦争。戦争は絶対にしてはならない。戦争こそ紛争の代表。紛争は避けるのが利口。
 たとえ正義でも戦争は大嫌い。正義のための戦争より、不正義でも平和がいい。
 正義のための戦争なんかしてはいけない。戦争とは、人殺し。
 戦争に勝つために巨額のお金を費やし、戦争を増強するより、戦争にならないように知恵を出したほうがいい。
 戦争をしなければ、戦力は不要。不要な戦力に巨額の予算を投じる国や政治家には、もっとよい気づかいをしてほしい。
 ステルス戦闘機やミサイルにお金をつかう前に、原発(原子力発電所)の安全を確保することに、もっと気をつかうべき。
 まったくもって、著者の指摘するとおりです。本当に、自民・公明そして維新は根本的に間違っています。
ミンミンと泣く総理蝉(ぜみ)、
民を忘れ 飴(アメ)にすり寄る
兵隊 蟻(アリ)にす
国民を苦しめ、アメリカにすり寄るばかりの小泉そしてアベ首相を皮肉っています。憲法9条と日本の平和を守らなければいけません。
「経済力向上」「戦力増強」「富国強兵」をスローガンにかかげて欲望の衝空を激化させる政治家はより、欲望の衝空を避ける工夫をしてほしい。
 著者は、その経験上、持てる欲は少なくても、捨てることの効果は絶大だと強調しています。これまた、まったく同感です。
 著者は今、80歳。これだけの著書を書けるだけ元気一杯。でも、60代で大病をし、入院して臨死経験もしているし、厳しい食事制限(カロリー制限、塩分制限)も長らくしています。だから、著者は、人生には明日の保障はないのだから、人生は、今の一瞬を、まわりの人と一緒に楽しみ尽くすのみだと強調するのです。
 教えられることの多い冊子2冊をまとめて紹介させていただきました。
(2022年4月刊。1100円)

2023年6月14日

平和憲法をつくった男、鈴木義男


(霧山昴)
著者 仁昌寺 正一 、 出版 筑摩書房

「ギダンさん」と呼ばれる、福島県出身の法学者、弁護士そして政治家がいて、戦後、日本国憲法の成立する過程で第9条に「平和」の文言を加え、また、25条の生存権の追加に大きな役割を果たしたというのです。恥ずかしながら、まったく知りませんでした。
 私はどちらも視ていませんが、NHKは2017年のNHKスペシャルで「憲法70年、『平和国家』はこうして生まれた」で鈴木義男の「平和」条項挿入への関与を取りあげ、また2020年のETV特集「義男(ギダン)さんと憲法誕生」でも、鈴木義男が憲法制定過程で大きな役割を果たしたことを紹介したとのこと。いやはや、知らないことは世の中に、こんなに多いのですね...。
 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する(憲法25条1項)は、本当に大切な権利です。自民・公明そして維新は「憲法改正」に必死ですが、その前に政党がやるべきなのは、この憲法25条を現実のものにすることです。
 司法権の独立、三権分立の点で意味のある、天皇が最高裁長官を任命するという憲法6条2項の修正にも鈴木義男が提案し、結論をリードしたとのこと、すごいことです。
鈴木義男は戦前、学者を辞めたあと弁護士になったが、そのとき、鈴木自身は賛同しないマルクス主義の立場をとる学者・知識人が被告人となった治安維持法違反の弁護活動もしています。これまた、すばらしいことです。
鈴木義男の父・義一は、キリスト教的人道主義の立場から明治末の社会主義者であり、幸徳秋水とも親交があり、警察の尾行・監視つきの生活だった。
鈴木義男は東北帝大の法学部教授のとき、大学での軍事教育に反対する論陣を張って当局からにらまれた。文部省が1926年9月に作成した「左傾教授」のリストに名前があげられている。ひょっとして今の文科省も、こんなリストをつくっているのでは...、ちょっと心配になりますよね。
鈴木義男は、「すいかのように外観は青くても、中味は赤い」と河北新報で評された(1926年9月20日)。
鈴木義男は宮本百合子の弁護人もつとめ、その生活も支援したとのことです。
日本敗戦後のまもなく(1947年6月)誕生した社会党の片山内閣で、鈴木義男は法務総裁(法務大臣)になった。
日本国憲法について、単純にアメリカによる押しつけ憲法だとする人が、今も少なくありませんが、憲法制定国会では真剣な議論があり、それなりに修正されたことを改めて知ることのできる本でもありました。
(2023年1月刊。1800円+税)

2023年6月 9日

元ヤクザ弁護士


(霧山昴)
著者 諸橋 仁智 、 出版 彩図社

 タイトルからして、とても本当のことだとは思えませんが、実際に東京で弁護士として活動している著者は、若いころヤクザの世界に身を置き、覚せい剤中毒そして密売していたので、逮捕され刑事裁判も受けたのです。そのとき、裁判官から、法廷で「きみなら司法試験は受かると思うので、がんばりなさい」と励まされたそうです。いい裁判官にあたりましたね。
表紙に現在の精気あふれる顔写真と、ヤクザ時代の怖い顔を対比させています。本文を読むと、なるほど、同じ人間がこんなに違う、変われるものなのかを実感させてくれます。
元ヤクザといっても、その前は福島県いわき市一番の進学校(高校)で、成績優秀者に入っていたのです。つまり、基礎学力はしっかり身についていたということです。これがないと、いくらがんばっても、司法試験に合格するのは決して容易なことではありません。小学校や中学校の勉強を馬鹿にしてはいけないのです。
 では、なぜ、そんな成績優秀者がグレてヤクザになったのか...。
著者は継続力がなく、他人(ひと)に流されやすいのが欠点。コツコツ努力する継続力が欠けていた。
 私は、自分でもそれほど能力があるとは考えていませんが、このコツコツ、あきもせず継続して努力する根気良さがあるので、幾多の難試験も幸いパスすることができました。
 著者は、上京して覚せい剤、大麻に手を出しました。そして、麻雀が好きで、雀荘に入りびたりの生活を送るようになったのです。
 ギャンブルで時間と体力を浪費したから、当然、大学受験には失敗し、二浪となります。ヤクザのアニキにあこがれ、刺青を背中に入れました。シャブ(覚せい剤)だけでなく、ヤミ金で働くようになります。東京・神田のヤミ金です。
 ここで、しつこさがあれば、たいがいのことはうまくいく。これを身につけた。まあ、ヤミ金で悪いことをしただけでなく、いいことも身につけたということなんでしょうね...。
 著者は38歳で弁護士になり、現在46歳。事件処理はともかくとして、仕事をとってくる能力はひけをとらないと自負している。もちろん、昔のヤクザ稼業の人脈には頼らない。
著者は、大平光代弁護士の本を読んで発奮した。
 まず宅建試験を目ざし、次に司法書士試験に合格した。そして、司法試験も一発合格です。すごいですね...。
そのコツは、朝型の生活リズムを崩さない。ケータイをもたない。東京の仲間に連絡しない。麻雀などギャンブルをしない。これを自分のルールとした。執行猶予の判決をもらって7年間かけて司法試験に合格した。いやはや、すごいことです。
 読んでいて元気の湧いてくる本でした。人間はやはり変わることができるのですね...。
(2023年6月刊。1540円)

2023年6月 7日

「弁護士をめざす君へ、弁護士になった君たちへ」


(霧山昴)
著者 草刈 鋭市 、 出版 とりい書房

福岡の出身で今は東京で弁護士をしている著者が、40年間の弁護士生活を踏まえて、弁護士としていかに生きるべきかを問いかけている本です。かなり正直に告白しているところもあり、著者より少しだけ経験の長い私にも共感できるところが多々ありました。
巻頭言で驚いたのは、「私の弁護士生活はまだ終わっていないし、否むしろ、これから弁護士としての生き方を変えていきたいと考えている」とあるところです。もはや私には、今さら「弁護士としての生き方を変え」たいとは思いません。もう、そんな時間的余裕はないと自覚しています。これまでどおりのことをやっていく、むしろ少しずつ扱う仕事の分野を狭め、弁護士としての時間も削っていくつもりです。
著者は、弁護士ほど難しい商売はないと言います。これは、どうでしょうか...。
裁判官、検察官は一部のエリート以外は屈折した人生を送るのに比して、弁護士は成功者か落伍者かの区別は容易ではない。この点は、やや異論があります。私の同期は、すでに最高裁長官も検事総長も輩出していますが、いずれも退官後は、大変な「重圧」を受けていると見聞しています。私のように、自由に事件を選択して受任できませんし、法廷に出ることもありえません。私的な会合には出席しているのでしょうが、公の席への参加も容易ではないでしょう。エリートをきわめるというのも、きっと、とんだ重荷を背負うものなんですよね...。
 若いうちは、多方面の相談、事件を受けて経験と知識を身につけるべき。お金を稼ぐのはそれから(そのあと)でもよい。これは、まったく同感です。初めから分不相応の高給取りだなんて人生を間違う危険があります。初めのうちは「搾取されている」と実感しているくらいで良いと思います。それより何より、仕事の面白さ、そして多くの人に感謝され、喜ばれていることを実感する(できる)ことが大切だと思います。
 弁護士としての活動の幅を広げるのは人脈の多さ、多様さ。それがお金を稼ぐことにつながる。これにも異論はありません。
著者は、人脈づくりには2種類あり、自然にできてくるものと、意図的につくり出すものの二つがあり、バランスよく形成したいとしています。なーるほど、ですね。地方の小都市、つまり「弁護士過疎地」で活動している私は、自然にできてくる人脈だけで、それこそ十分すぎるほどでした。
 弁護士として、まめに記録の整理をすべきだという著者の提案には大賛成です。著者は80冊もの著者があるとのことです(私もハウツーものや旅行記をふくめ、自費出版もあわせて50冊ほど出版しています)が、これは、折にふれて事件などのファイルを整理し、分類しているからできたことです。私は高校生のときから、テストが近づくと机のまわりを整理して、身辺とともに頭をすっきりさせるのを習慣としてきました。
著者の訴訟の勝率が優に5割をこえ、3分の2もこえているとのこと。まあ、私も客観的には、そうかもしれませんが、手痛い敗訴、とうてい納得できない敗訴を何度となく味わいましたので、勝訴5割以上なんて、とても言いたくありません。なかでも、全力を傾けた住民訴訟は連戦連敗でした。これが、私にとって裁判官不信の最大の原因になっています。強いもの(行政)には、とことん弱い、これが裁判官だと身にしみました。
 弁護士は、信頼者・相談者の長話を嫌うというのは、私にもあてはまります。私の短所の一つがそこにあります。なので、私は調停委員にはなりたくありません(幸い、お呼びもかかりませんでした)。
弁護士は、世の中の事象のほんのわずかなことしか知らない。これは、まったくそのとおりです。でも、私はそれを自覚しているからこそ、依頼者の仕事の実際を根ほり葉ほり聞いて、耳学問につとめるようにしています。
私の『弁護士のしごと』(花伝社)とあわせて、広く読まれてほしい本です。
(2023年4月刊。650円)

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