弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2024年1月26日

「闘って正社員になった」


(霧山昴)
著者 東リ偽装請負争議原告・弁護団 、 出版 耕文社

 私が50年近く前、神奈川県川崎市で弁護士として活動を始めたころ、東京にも神奈川にも争議団がいくつもありました。会社の経営がうまくいかなくなると、偽装倒産して労働者を全員解雇し、工場を高く身売りして経営陣だけは「苦境」を逃れようとするのが典型でした。もちろん、不当労働行為もありました。国労争議団にみられるように、大型争議も絶え間なく起きていました。そして、争議団は連絡会をつくっていましたし、それを支援する労働組合がたくさんありました。ストライキや労働者による職場占拠も珍しくなかった時代です。
 ところが、時が過ぎて、今や現代日本社会ではストライキはほとんど死語同然。最近デパートの労働組合がストライキをうちましたが、それが大きなニュースになる状況です。このとき、連合は何もしませんでした。芳野会長は自民党と連携することに血道を上げるばかりで、労働組合の本来の使命を完全に忘却しています。
 そんな状況はぜひ何とかしてほしいと思ったところに、6年間も闘った争議団が関西にあり、しかも全員が正社員になって職場復帰したというのです。そして、その結果を冊子にまとめたと聞いて、早速注文して読んでみました。
 この会社(東リ)は床と壁のつなぎ目に使われる巾木(はばき)と接着剤を製造する会社です。原告となった労働者は「東リ」の社員ではなく、請負会社の社員です。
 ところが、実際には仕事は「東リ」の指示を受けているのですから、請負というのは形だけで、実質的には東リの社員というべき存在なんです。
 東リの工場で働けなくなった労働者5人が「東リ」を相手に地位確認を求めて提訴した(2017年11月)ところ、1審の神戸地裁では請求棄却。すぐに控訴したら、大阪高裁は証人調べをやり直し、「東リ」との労働契約関係にあることを認めたのです(2021年11月4日)。「東リ」は上告しましたが、最高裁は受理せず(上告棄却)勝訴が確定しました。
 ところが、「東リ」は確定した司法判断に従いません。そこで、争議団は支援団体とともに団体交渉を続け、金銭解決ではなく、正社員としての就労を勝ちとったのです。

問題となった偽装請負とは、書類のうえでは形式的に請負契約になっていますが、実態としては労働者派遣であるものを指します。違法です。
請負ではなく派遣だというのは、仕事の発注者と受託者である労働者との間に指揮命令関係がある(派遣)か、ない(請負)かによって決まります。
一審の神戸地裁は契約書を重視し、東リからの連絡は概ね請負会社の常勤主任や主任へ連絡されていて、現場の社員へは指示されていないので、請負であって派遣ではないと判断しました。これに対して大阪高裁は、東リが個々の社員に直接連絡しないのは指示系統によるもので、実態を実質的に判断して、東リの指示は注文者の立場をこえていると判断し、偽装請負としました。
もう一つ論点があります。派遣法40条の6には、適用要件として偽装請負であるという客観的事実だけでなく、「東リが法の適用を免れる目的」をもって契約して就労させていたという要件をみたさなければなりません。したがって、何をもって「法の適用を免れる目的がある」といえるかが問題となります。
この点、大阪高裁は、「日常的かつ継続的に仮装請負等の状態を続けていたことが認められる場合は、特段の事情がない限り」認められるとしました。順当な判断だと思います。
村田浩二弁護士の「あとがき」によると、正社員になったのは原告となって裁判を闘った5人だけでなく、裁判の途中で請負会社の他の社員も東リの正社員になったとのことです。原告らの闘いは自分たちだけでなく、他の社員にも波及効果を上げていたというのですから、素晴らしいことです。
そして、「普通の人々でもこれだけのことがやれる」ことを知って、この本を参考にして働く者の権利のために立ち上がってほしいと呼びかけています。本当に必要な呼びかけです。
それにしても、1審で証人尋問したのに、高裁でまた証人尋問するというのは「異例中の異例」。多く(ほとんど)の高裁で・問答無用式に「1回結審」ばかりが目立つなかでの快挙です。よほど良い裁判所に恵まれたということなのでしょうか...。
多くの人に読まれてほしい冊子(136頁)です。
(2023年11月刊。1540円)

2024年1月19日

特捜検察の正体


(霧山昴)
著者 弘中 惇一郎 、 出版 講談社現代新書

 無罪請負人として名高い著者が東京地検特捜部を厳しく鋭く批判している新書です。
 なにしろ著者は、特捜部が扱った有名な事件、村本厚子、小沢一郎、カルロス・ゴーン、ホリエモン、鈴木宗男、角川歴彦の弁護人となり、その多くで、無罪を勝ち取っています。すごいです。すごすぎます。
 序文で、東京オリンピックの贈収賄があれだけ騒がれたのに、竹田恒和JOC会長(当時)とか森喜朗元首相には強制捜査すら着手していないのはどういうことか、と厳しく指摘しています。まったく同感です。
 全国にいる検察官は2千人足らずで、東京地検特捜部には40人ほど。今回の自民党パーティー券裏金事件では全国から50人を応援委員として動員したそうですから、100人に近くの体制を組んでいるのでしょう。私は、秘書ではなく大物政治家こそ、ぜひ摘発・起訴してほしいと思います。安倍元首相の重しがとれた今こそ、自民党の暗部に遠慮せず鋭いメスを入れてほしいものです。ここまで書いたら、安倍派幹部(5人衆)は刑事立件しないとのニュース。残念です。おかしいでしょ。怒ります。
 特捜事件は、一般の刑事事件と異なり警察による捜査を経ておらず、事件の発掘から捜査・証拠集めなどをすべてやるところに特徴がある。
 特捜事件における供述調書は、基本的にすべてが検察官の作文。すでに出来上がっている供述調書にサインするよう求められるというのが珍しくない。そうなんですよね。
 取り調べのなかで「可能性の存在」をまず認めさせ、それが調書では「明確な記憶」のようになっている(すり替え)のに、無理矢理サインさせる。この対抗策は、検察に呼ばれた時点で弁護士に相談すること。その弁護士も検察・警察の推薦する弁護士とか、検察とたたかえないような弁護士では役に立たない。
 この本を読んで、驚いたのは、私には体験がありませんが、低額の保釈金で足りるとする意見書を検察が裁判所に提出することがあるということです。恩を売っておいて保釈されたあとも検察の手の平の上から被告人を逃がさない手法だそうです。低額というのは100万円です。裁判所では、お金の価値が下がっていて、ちょっとした傷害事件でも保釈保証金が100万円を下回るなんてことはまずありません。
 カルロス・ゴーンの保釈を申請したとき、裁判官が「なぜ、奥さんにまた会いたいのですか?何を話したいのですか?」と質問したそうです。信じられません。でも、この質問は今の日本の裁判官の多くのホンネそのものをあらわしていると思います。要するに、日本の裁判官は世界の常識とは別の世界に住んでいるのです。ただし、本人たちは、まったくそのことを自覚していませんが...。
 先進諸国のなかで、刑事事件の取り調べに弁護人の立ち会いが認められていないのは、日本くらい。お隣の韓国でも、とっくに弁護人立会が認められていて、それで何も問題は起きていないと聞いています。
 任意の取り調べに応じるとき、ボイスレコーダーでこっそり録音するというのは決して違法ではありません。うまく身体検査をくぐり抜けて、どんどん録音して、実態を暴露してほしいです。
 メディアとどう向きあうかは、刑事弁護にとって大きな課題。世論を味方につける努力はやはり必要で、そのためには、被告人の言い分をメディアに理解してもらい、正確に報道してもらう必要がある。
 しかし、これは口で言うのは簡単ですが、実際にはいろんなことの配慮が求められ、簡単なことではありません。弁護人の自宅まで「夜討ち朝駆け」なんかされたら大変です。
 検察は検察側証人には証人テストを繰り返し、検察がつくったシナリオの丸暗記し、それを法廷で再現させられます。このような検察側のシナリオ尋問に応じた証人が偽証罪で起訴されたことはありませんし、されることもありえません。それが日本の司法の現実です。
 この本のほとんどは私もまったく同感ですが、現在進行中の自民党パー券裏金問題では、東京地検特捜部が自民党中枢にまでぜひ強制捜査をして徹底的にウミを出し切ってほしいと心より願っています。安倍元首相の下でのモリ・カケ、サクラ事件についてのみじめな特捜部敗退の雪辱を果たしてほしいものです。
(2023年7月刊。税込み1100円)

2023年12月26日

誰が労働法で保護されるのか?


(霧山昴)
著者 水谷 英夫 、 出版 LABO

 私は大学生のころ労働者階級こそが社会変革の原動力たりうると聞いて、誰がいったい変革の主体なのか、周囲を見まわしたことがあります。でも、身近には変革を志しているような人をほとんど見つけることができませんでした。
 現代日本では、労働者階級という言葉を耳にすることはほとんどありませんし、労働組合の存在感もほとんどありません。連合の芳野会長に至っては自民党と仲良くするのが先決、最優先で、共産党切り捨てに奔走するばかり。本当に見苦しいとしか言いようのない哀れさです。彼女を見ていると、労働組合なんて頼りにならないと若者が思うのも当然です。
 さて、この本は仙台弁護士会に所属する著者(弁護士)によるものですが、改めて、今日の日本社会における労働者の多様化を思い知らされました。
 ウーバーイーツやバイク便で働く人々が労働者だというのは当然だと私は思うのですが、いやいや、彼らは請負契約で働く個人事業主であって、労働者ではないとされることがあります。でもでも、会社の事業組織に組み入れられ、会社が契約内容を一方的・定型的に決めているのだから、労働法の適用対象となりうる。これが労働委員会そして裁判所の考え方です。当然だと思います。では、フランチャイズ店の店長は果たして労働者なのか・・・。
 まず、単なるコンビニの店長だと、実態として「使用従属関係」にあると認められるので、分会をつくったとき労働組合法上の労働者として保護対象になります。これに対して、フランチャイズ加盟店のオーナーは、継続的供給契約であり、ノウハウの対価として本部にロイヤリティを支払う構造になっている。となると、労働者性を認めるのは難しい。そうでしょうか?
 一人親方だって労働者になりうるし、弁護士も東京の一部の高給優遇されている人を除けば、労働者性が認められて当然。
今やカタカナ職業がものすごい勢いで増加中です。フリーランス・ワーカー、プラットフォーム・ワーカー。クラウド・ワーカー、ライドシェア従事者などなど・・・。私にはイメージの湧かない職種もありますが、このように名称も労働提供形態が千差万別そして、労働基準法の対象になるのか、どれもなかなかの難問ですよね。
 テレワークといっても、さまざまな格好で自宅において仕事するパターンです。いったいこれが労働者だと言えるのか・・・。
 この本は、質問に答えるという形式で労働法上の「労働者」とは誰なのかを、実に分かりやすく解説しています。見事な編集さばきで、とても見やすい本です。
 全国各地の図書館に常備しておくべき、その価値のある本です。出版社(渡辺豊氏)から贈呈していただきました。いつもありがとうございます。
(2024年1月刊。3300円+税)

2023年12月20日

「核兵器廃絶」と憲法9条

(霧山昴)
著者 大久保 賢一 、 出版 日本評論社

 いま、世界に1万2500発の核兵器があり、そのほとんどはアメリカとロシアが保有している。しかも、1800発は、いつでも発射できる警戒即発射態勢にある。
 さらに、アメリカもロシアも、自分の国や同盟国が危なくなったと思ったら核兵器を使用することを公言している。先制不使用ではない。やられる前にやっつけてやろうという政策。
 いったい、これほど大量にある核兵器を全廃させることは可能なのか...。
 核兵器廃絶なんて夢みたいな話で、全然、実現可能性のない話だよね。少なくない人が、こう考えている。でも、夢なんかじゃないし、必ず、しかも一刻も早く実現しなくてはいけない緊急の課題なんだと、著者は力を込めて強調しています。
 まず、第一に、最高時(1986年)に核兵器は7万発あった。なので、6万発近くがすでに減っているのです。残り1万発余りだって、その気になれば「核兵器ゼロ」は決して夢物語ではありません。
 核兵器を地球上からなくそうと取り組むと必ず出てくるのは、「抑止力」として核兵器は必要だという「核抑止論」です。「使うかもしれない」と思わせて危機を盛り上げ、交渉の決定打にしようという考え。しかし、1発でも使えば、戦場だけでなく、アメリカとロシアとの間の全面核戦争になる可能性がある。
 殲滅(せんめつ)戦争に、こちらは耐えるが、おまえは耐えられないだろうというところに抑止の本質がある。しかし、それは単なる幻想でしかない。ロシアのプーチン大統領の発言によって、はしなくも核による抑止が幻想だということが明らかになった。核の脅しで外国を制御できるなんて、考えてるほうが実は馬鹿げています。
 核兵器を保有する9ヶ国が、2022年に核兵器の開発や維持のために使ったお金は11兆5500億円という巨額。これって、まったく無駄なお金の使い方の典型ですよね。こんな大金を教育や福祉予算にいくらかでもまわしたら、ずいぶん世界は住みやすい優しい社会に変わると私は思います。
 著者は「核」のボタンが間違えて押されそうになったことが過去に何回もあることも指摘しています。恐ろしいことです。しかも、それは古い話ばかりではありません。
 2018年1月18日、ハワイ当局が「弾道ミサイルがハワイに向かっている。近くのシェルターを探せ。これは訓練ではない」と市民に告知した。まったくの誤報です。本当にヒヤヒヤものですよね...。本当に核兵器だったら、シェルターに入って、どうなるものでもありません。
 オバマ大統領が広島に来たときも、すぐそばに「核のボタン」が入ったカバン持ちを同行させていた。トランプみたいな狂信的な大統領の下で、いったい歯止めがあるのかまるで心配です。
 さて、日本政府です。日本政府は、いつだってアメリカ政府の言いなり。オスプレイが堕落しても、まともに抗議もしませんでした。アメリカの「核の傘」の中に入って守られているという、ありえない幻想に浸ったまま、何ら独自の行動をとろうともしません。情けない限りです。
 今や、「終末時計」では「残り90秒」だとされています。ロシアのウクライナ侵攻戦争、ガザ地区に対するイスラエル軍の大々的な戦争が依然として進行中です。いつ、どこで、誰によって核兵器が使われるか、まったく予断を許しません。
核兵器はなくせる。核兵器に頼ってはいけない。核兵器は今すぐ全廃すべき。そんな声を高らかに上げましょう。
 核兵器は人類を破滅させるものなのです。
 日本政府は、アメリカによる原爆投下を「罪悪」ではあるが、「違法ではない」としているというのには驚きました。歴代の自民党政府の公式見解です。また、アメリカ政府も原爆投下について、今に至るまで反省も謝罪もしていません。オバマ大統領も同じなのです。
 著者は喜寿(77歳)を迎えたようです。ところが、この7年間に5冊もの著書を刊行したとのことです。相変わらず意気軒高です。今後ますますの活躍と健筆を期待します。
(2023年12月刊。1800円+税)

2023年12月14日

人道の弁護士・布施辰治を語り継ぐ


(霧山昴)
著者 森 正、黒田 大介 、 出版 旬報社

 戦前、人権派弁護士として大活躍した布施辰治弁護士が亡くなって今年(2023)は70年の節目にある。
 布施辰治(1880年から1953年)は、日本国内はもとより、日本の植民地だった韓国や台湾においても尊敬されるべき日本人として知られる存在となっている。とありますが、いったい今の若い弁護士そして高校・大学生は布施辰治をどれほど知っているのでしょうか・・・。
 布施辰治は宮城県石巻市出身です。私の同期(26期)の庄司捷彦弁護士は、この本の中で何回も言及されていますが、同じ石巻出身ということで、庄司弁護士からよく話を聞かされました。
3.11のとき石巻市は大変な被害にあっています。石巻市を訪問したとき、庄司弁護士の案内で市内の被害状況を視察しました。大川小学校の被災状況を見て、思わず息を呑みました。
布施辰治は、弁護士職を天職と受けとめ、在野精神を堅持し、弁護士資格を剝奪されたり、投獄されても、屈することなく、民衆と政治的少数者の人権擁護に殉じた。
 また、布施辰治は、「死刑囚弁護士」と称されるほど数多くの重罪事件に取り組んだ。
 2004年、韓国の廬武鉉大統領のとき、布施辰治に勲章が授与された。抑圧・搾取民族の一員が被抑圧異民族の国家から表彰されるのは異例の出来事。これは、とても意義深い、画期的なことだと私も思います。
 関東大震災の直後に、罪なき朝鮮人が何千人も虐殺されたとき、それを知った布施辰治は、謝罪文を韓国の新聞に掲載したそうです。すごいことです。
 布施辰治は戦前、弁護士資格を剥奪され、投獄されたあと、「聖戦協力」したこともあったようです。生きのびるためには仕方のない状況だったのではないでしょうか・・・。
 布施辰治の遺族は、段ボール箱40個分になるほど、布施辰治に関する資料を保存しておいたようです。たいしたものです。本書には、その資料からの発掘も含まれています。
 布施辰治は普選運動に取り組み、実現すると、自らも第1回普選(1928年)のときに候補者になった(残念ながら落選)。
 布施辰治を知る人の評価に目を見張ります。
 「私は発電所を連想する。その顔から、社会活動の発電所のような感じを受ける」
 社会変革を目ざして、底辺から支え、もち上げ、押しすすめていくといったイメージですよね、きっと、これは・・・。
 布施辰治は社会主義者を自認することがなかった。それは生涯、変わらなかった。
 布施辰治は治安維持法違反に問われて起訴され、有罪判決を受けて千葉刑務所に入獄した。このときの判決文がすごいです。
 「多年、人道的戦士として弱者のために奮闘したる貫き、情熱を有する士は、ときに、その危険を冒(おか)し、あるいはこれを顧慮せずして、知らず識らずのうちに、その渦中に投するの例、必ずしも絶無なりというべきにあらず・・・」(1953年、大審院判決)
 戦前にも「裁判官の良心」が認められますよね、これって・・・。
 辺野古をめぐる裁判で那覇地裁や最高裁裁判官たちの国の言いなりに判決に接すると、まさしく絶望しかありません・・・。でも、絶望して何もしないというわけにはいきません。
 布施辰治について書かれた本を、まだまだ読んでいないというものが何冊もあるようです。大変刺激を受けました。
(2023年12月刊。1800円+税)

2023年10月 6日

新・弁護士読本

(霧山昴)
著者 才口 千晴 、 出版 商事法務

 著者は「倒産弁護士」として有名でした。なので、倒産法改正にも深く関わっています。法制審議会の倒産法部会のメンバーとして1996年10月から2004年11月までの8年間に、破産法の改正、民事再生法の制定等に大きな役割を果たしたのです。私も民事再生法の個人版の制定にあたっては、日弁連の委員会のメンバーとして、意見を口頭そして書面で積極的に開陳し、資料を提供し続けました。なにしろ、年間20万人以上もの自己破産申立があっていたころのことです。民事再生個人版の申立はもう少し多いかと予測していましたが、案に相違して、それほど多くはありませんでした。それでも最近、久しぶりに1件だけ申立したところ、なんとか認可されました。
 「倒産弁護士」のあと、著者は最高裁判事となり4年8ヶ月間つとめました。いくつも少数意見を書いたようです。泉徳治判事(現弁護士)と同じ第一小法廷に所属していました。
 キャリア裁判官は、結論を定めて理由付をする。これは、なるほど、そうだろうなというのが私の実感でもあります。結論が決まっていれば、その理由はいくらでも書けるものなのです。
 それにしても、最近の最高裁判決はひどいです。ひどすぎます。再審を認めなかった鹿児島の大崎事件なんて、鴨志田弁護士が結論を聞いて卒倒したそうですが、その悔しさはよく分かります。沖縄の辺野古埋立をめぐる一連の裁判にしても司法権の独立なんて、どこに行ったのか...と、泣くしかありません。これも、大先輩の田中耕太郎という元長官が砂川事件の最高裁判決を出すにあたって実質当事者であるアメリカ大使に評議内容を洩らし、その指示をあおいでいたことが明るみになっても、田中耕太郎の処分すらしない卑屈さをひきずっているからでしょう。情けない限りです。
 さて、著者は、この本によって、後進の弁護士に弁護士とは何者か、どうあるべきかを説いています。含蓄ある内容です。しかも、弁護士は10年で一人前になるということを前提として、それぞれの経験年数の弁護士からの質問に著者の経験をふまえて答えるというパターンですので、とても読みやすくなっています。
 後輩弁護士を指導するときのポイントは三つ。
 その一、後輩の疑問や意見によく耳を傾け、積極的に理解するよう努める。ただし、安易に迎合はしない。
 その二、自分の考えを後輩に押しつけない。
 その三、指導は簡潔・明確とする。
 チーム・リーダーを養成しようとするには、意欲と実行がポイント。弁護士にとって愛嬌のあることは大切なこと。依頼者に親しみの心をもって事件に真剣に取り組み、紛争を解決して心を安らかにしてあげることは弁護士の職務であり、使命。心の温かさ、真剣かつ人間的な姿を一言で表すと愛嬌になる。
 著者はストレスを抱えながら仕事をしてはいけないと断言します。いつもフレッシュな身体でいなければならない。そのためには、重たい仕事、苦しい仕事をまず処理すること。そして、仕事の悪循環を避けること。なーるほどですよね。でも、言うは易くなんです...。
 「危ない事件」からはできる限り速くひく。度胸を決め、必要な筋を通し、将来に禍根を残さない。預かった資料やお金をすぐに返却して、決然と辞任する。
 うむむ、これが難物なんですよね。でも、本当にそうなのです。悪いしがらみからさっと脱け出し、新天地で心機も一転バリバリとやるのかストレスをためないコツです。
 私よりひとまわり年長の著者は、85歳になっても以前と変わらず意気軒高そのもの。私も見習って、うしろからついていきます。
 今後ともお元気にご活躍されることを心より祈念します。
(2023年9月刊。2200円+税)

2023年10月 4日

原爆「黒い雨」訴訟


(霧山昴)
著者 田村 和之 ・ 竹森 雅泰 、 出版 本の泉社 

 2022年4月から2023年3月までの1年間、3800人が広島県・市から「被爆者」と認められて被爆者健康手帳を受けとった。戦後78年たって初めて「被爆者」として認定されたというのは、いったいなぜなのか...。
 その答えは2015年11月に裁判(「黒い雨」訴訟)が起こされ、一審の広島地裁(2020年7月29日に判決)、二審の広島高裁(2021年7月14日に判決)で、ともに原告が勝訴し、確定したことによる。
 放射線に被爆したとき、健康被害は直ちに発生せず、数十年もたってから発生することがある。これって恐ろしいことですよね。福島原発の汚染水による健康被害だって、急性症状がないからといって、安心はできません。「風評被害」があるだけで実害はない、なんて皮相な受けとめでしかありません。
 「黒い雨」とは、1945年8月6日に広島市に原爆が投下されたあとに発生した雨(色が黒くなかったものを含めて「黒い雨」と呼ぶ)のこと。「黒い雨」は原爆由来の放射性物質を含む雨で、放射性降下物(フォールアウト)の一種。
この本で圧巻なのは、「黒い雨」の降った地域を学者が現地に出向いて聞き取り調査をして確認し、図示していったことです。あるときは小学校の講堂に200人をこえる住民が参集して、丁寧に聞き取りして、地図に落とし込んでいったのでした。
 この聞き取り調査のなかで、「黒い雨」が2回降っていたこと、キノコ雲からの雨と、火災積乱雲からの雨の2種類あることも明らかにされました。また、土壌の残留放射能と、染色体異常についての調査だけで、「放射線の影響はなかった」と断定することの誤りも明らかにされています。
 さらに、内部被爆を隠蔽・排除する被爆者援護法の問題点が指摘されています。
 「黒い雨」の「黒」は、火球で生成された放射性微粒子群と火災による「すす」である。
 内部被爆においては、遮蔽や回避が容易ではなく、外部線量計測システムを使用して、実効被爆線量を形式的に行ってしまうと、桁違いに線量(率)を過小評価してしまう。一般に、内部被爆は低線量被爆と思われているが、放射性微粒子の摂取がからんでいるときには、局所的に超高線量被爆の状態が存在し、慢性的な細胞の発生リスクの上昇が生じている可能性がある。
 この裁判では原告84人全員が勝訴した。とはいうものの、うち15人は手帳をもらう前に亡くなった。そして、前述のとおり3800人が手帳をもらったものの、認定申請を却下された人もいて、そのうち23人を原告とする第2次「黒い雨」訴訟が提起された。(2023年4月28日)。
 したがって、「黒い雨」訴訟の目的達成はまだ道半ばというしかない。
 「黒い雨」訴訟の経過と判決の意義、そして今後の課題がよくまとめられている本です。大変勉強になりました。
(2023年6月刊。3000円+税)

 いま、庭にはフジバカマの花が咲いています。アサギマダラ(蝶)を呼び込もうと考えて、昨年から植えているのです。アサギマダラは2000キロも移動するという驚異的な蝶なので、私の庭にも立ち寄ってくれないかと期待しているのですが、残念なことに、まだその姿を実見していません。もっとも、平日昼間は私も仕事していますので、この間に来訪しているのかもしれませんが...。
 チューリップを植えていると、なぜか手元にアリが群がっていて、アリにかまれてしまいました。チクッとしたのですが、風呂に入ると、はれ出しました。それで、ドクダミ酒を綿棒につけてはれたところに塗って対処しています。

2023年9月15日

見直そう!再審のルール


(霧山昴)
著者 安部 翔太 ・ 鴨志田 祐美 ほか 、 出版 現代人文社

 大崎事件で再審開始決定を取り消した最高裁はひどかったですね。許せないと私も思いました。担当していた鴨志田弁護士は、一時は責任をとって自死することまで考えたそうです。早まらなくて本当に良かったです。今や日弁連あげて再審法改正に向かって全力をあげていますが、本当にいいことだと思います。
 この本で、またまた、いくつか発見しました。
 その一は、道路交通法違反事件で、441人について再審開始が決定されたこと。これは自動速度違反取締装置の誤操作があったとして、検察官が再審請求し、それが認められたというものです。そんなことがあったなんて、私はまったく知りませんでした。
 2017年から2021年までの5年間に再審事件の手続を終えた人が13人いて、この全員が無罪になっています。有名な松橋事件、湖東事件といった殺人事件があります。そして、商標法違反事件まであります。
 その二は、再審には2つの型があり、ファルト型再審は偽証拠型再審。ここでは、証拠の偽造・変造などが確定判決によって証明されていなければならなかった。このハードルは、きわめて高い。もう一つは、ノヴァ型再審で、こちらは「新証拠」を必要とする。でも、現実には、こちらのノヴァ型再審が大部分を占めている。新証拠は「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」でなければならない。
 その三は、韓国で現職の女性検察官が果敢に内部告発したこと、それは、検察幹部の告発でもありましたので、その地位が危いところでした。
 再審開始決定に検察官の異議申立を認めるわけにはいきません。開始決定は、あくまで審理を開始するだけのことなのです。始まった再審で検察官は自分の主張を述べる機会が十分に確保されているのですから...。
(2023年7月刊。2400円+税)

2023年9月 5日

評伝・弁護士・近内金光


(霧山昴)
著者 田中 徹歩 、 出版 日本評論社

 栃木県に生まれ、京都帝大を卒業後、農民組合の顧問弁護士として活発に活動していたところ、「3.15事件」で逮捕され、懲役6年の実刑となり、刑務所に収監された。獄中で発病し、弁護士資格を剝奪され、1938(昭和13)年に病死。享年43歳。
 近内(こんない)弁護士の歩みを、同じく栃木県出身の著者が丹念にたどった本です。
「これほど純粋無垢な男は見たことがない」
「典型的な革命的弁護士」
「栃木弁まる出しの弁論は、熱と力に充ち、いささかの虚飾なく、冗説なく、一言一句、相手方の肺腑(はいふ)をえぐる鋭さがあり、裁判長や相手方弁護士を狼狽(ろうばい)させた。農民にとっては、実に小気味よく、思わず嘆声をあげ、随喜の涙さえ流した」
「弁護士というより、闘士として尊敬されていた」
「包容力があり、芯に強いものをもっていた」
近内は二高に合格したあと、さらに翌年(1918年)、第一希望の一高に合格して入学した。1918年というと、前年(1917年)にロシア革命が起こり、7月には富山などで米騒動が起きていた。そして、翌1919年3月、朝鮮では三・一独立運動、5月に中国で五・四運動が発生した。まさに世界が激動するなかで一高生活を送ったわけです。
また、1918年12月には、東大新人会が結成された。1918年9月には原敬内閣が誕生してもいる。
近内と同じく一高に進学した学友の顔ぶれを紹介しよう。いずれも有名人ばかりだ...。吉野源三郎(「君たちはどう生きるか」)、松田二郎、村山知義、前沢忠成、戸坂潤、など...。そして、近内たちの前後には、尾崎秀実、宮沢俊義、清宮四郎、小岩井浄などがいる。いやあ、驚くほど、そうそうたる顔ぶれです。
近内は一高では柔道部に入った。柔道二段の腕前だった。
近内は、1921(大正10)年3月、一高を卒業し、4月、京都帝大の法学部仏法科に入学した。
京都帝大の学生のころ、近内は目覚め、社会主義への関心を持つようになった。
近内は一高そして京都帝大に在籍した6年間、フランス語も勉強した。モンテスキューの「法の精神」やシェイエスの「第三身分とは何か」を一生懸命に翻訳した。
近内は1925(大正14)年12月、司法試験に合格した。
このころ、弁護士が急増していた。1915(大正4)年の弁護士数は2500人もいなかったのに、10年後には5700人になり、1930年には6600人になった。弁護士人口が急速に増加していった。このころも「弁護士窮乏」論が出ています。
そして、1921(大正10)年に自由法曹団が誕生した。同じく、翌年(1922年)7月、共産党が結成された。
このころ、大阪は、人口211万5千人で、200万人の東京を上回る、日本一の大工業都市だった。
近内が弁護士として活動したのは27歳から30歳までのわずか2年4ヶ月のみ。近内は、信念にもとづき、妥協を排し、まっすぐに主張を貫く姿勢で弁護活動を展開した。野性横溢(おういつ)、叛骨(はんこつ)稜々(りょうりょう)という言葉は那須(栃木県)の地に生まれ、農民魂を忘れることがなかった近内の真髄を表している。
1926(大正15)年1月の「京都学連」事件は完全な当局によるデッチあげ事件(冤罪事件)で、近内は、その学生たちの弁護人となった。この事件の被告人には、鈴木安蔵(憲法学者)や、岩田義道などがいる。
近内は、日本農民組合の顧問弁護士として全国各地で多発していた小作争議の現場に出かけていって、農民支援の活動を展開していった。
まだ30歳の若者が、「父の如く慕われている」「トナリのオヤジ」として親しまれた。
裁判所は昔も今も、大地主や資本家の味方で、小作人の味方は決してしない。
近内は、争点を拡げたりして一見無駄に見える時間の使い方をしていた。それによって、小作人は少しでも長く耕作できるからだ。
今日の公職業法には重大な制約が二つあります。小選挙区制と戸別訪問の禁止です。「二大政党」なんて、まったくの幻です。
この本で、著者は、高額(2000円)の供託金制度も問題にしています。まったくもって同感です。もう一つは小選挙区制です。
労働農民党の40人の立候補のうちの30人は自由法曹団員だった。そして、うち11人は日本共産党の党員だった。
近内も労農党から立候補したが、見事に落選した。この選挙では、無産政党の3人が当選できた。山本宣治のほか水谷長三郎(京都一区)がいた。
近内弁護士について、初めて詳しく知ることができました。ちょっと高額な本なので、全国の図書館に備えてもらって、借り出して読んでみてください。
(2023年8月刊。6300円+税)

2023年8月25日

世間と人間


(霧山昴)
著者 三淵 忠彦 、 出版 鉄筆

 初代の最高裁判所長官だった著者によるエッセーの復刻版です。
 最高裁長官というと、今ではかの田中耕太郎をすぐに連想ゲームのように思い出します。
 砂川事件の最高裁判決を書くとき、実質的な当事者であるメリカ政府を代表する駐日大使に評議の秘密を意図的に洩らしていたどころか、そのうえアメリカ政府の指示するとおりに判決をまとめていったという許しがたい男です。
 ですから、私は、こんな砂川事件の最高裁判決は先例としての価値はまったくないと考えています。ところが、今でも自民党やそれに追随する御用学者のなかに、砂川事件の最高裁判決を引用して議論する人がいます。まさしく「サイテー」な連中です。
 ということを吐き出してしまい、ここで息を整えて、初代長官のエッセーに戻ります。
 片山哲・社会党政権で任命されたこともあったのでしょうが、著者の立場はすこぶるリベラルです。ぶれがありません。
 厳刑酷罰論というのは、いつの時代にも存在する、珍しくもない議論だ。つまり、悪いことをした奴は厳しく処罰すべきで、どしどし死刑にしたほうが良いとする意見です。
 でも、待ったと、著者は言います。厳刑酷罰でもって、犯罪をなくすことはできない。世の中が治まらないと、犯罪は多くなる。生活が安定しないと、犯罪が増えるのは当然のこと。だから、人々が安楽に生活し、文化的な生活を楽しめるようにする政治を実現するのが先決だ。こう著者はいうのです。まったくもって同感です。異議ありません。
 東京高裁管内の地裁部長会同が開かれたときのこと。会議の最中に、高裁長官に小声で耳打ちする者がいた。そのとき、高裁長官は、大きな声で、こう言った。
「裁判所には秘密はない。また、あるべきはずがない。列席の判事諸君に聞かせてならないようなことは、私は聞きたくない。また、聞く必要がない」
その場の全員が、これを聞いて驚いた。それは、そうでしょう。今や、裁判所は秘密だらけになってしまっています。かつてあった裁判官会議なんて開かれていませんし、自由闊達で討議する雰囲気なんて、とっくに喪われてしまいました。残念なことです。上からの裁判官の評価は、まるで闇の中にあります。
「裁判所は公明正大なところで、そこには秘密の存在を許さない」
こんなことを今の裁判官は一人として考えていないと私は確信しています。残念ながら、ですが...。
江戸時代末期の川路聖謨(としあきら)は、部下に対して、大事な事件をよく調べるように注意するよう、こう言った。
「これは急ぎの御用だから、ゆっくりやってくれ」
急ぎの御用を急がせると、それを担当した人は、急ぐためにあわてふためいて、しばしばやり直しを繰り返して、かえって仕事が遅延することがある。静かに心を落ち着けて、ゆっくり取りかかると、やり直しを繰り返すことはなく、仕事はかえってはかどるものなのだ。うむむ、なーるほど、そういうもなんですよね、たしかに...。
徳川二代将軍の秀忠は、あるとき、裁判において、「ろくを裁かねばならない」と言った。この「ろく」とは何か...。「ろくでなし」の「ろく」だろう。つまり、「正しい」というほどの意味。
訴訟に負けた人の生活ができなくなるようでは困るので、生活ができるようにする必要があるということ...。たしかに、私人間同士の一般民事事件においては、双方の生活が成り立つように配慮する必要がある、私は、いつも痛感しています。
著者は最高裁長官になったとき、公邸に入居できるよう整うまで、小田原から毎日、電車で通勤したそうです。そのとき67歳の著者のため、他の乗客が当番で著者のために電車で座れるように席を確保してくれていたとのこと。信じられません...。
私の同期(26期)も最高裁長官をつとめましたが、引退後は、いったい何をしているのでしょうか。あまり自主規制せず、市民の前に顔を出してもいいように思うのですが...。
(2023年5月刊。2800円+税)

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