弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
司法
2021年6月 4日
「弁護士のしごと」
(霧山昴)
著者 永尾 広久 、 出版 しらぬひ新書
弁護士生活47年になる著者が、これまで扱ってきた事件などを広く市民に知ってもらおうと書いているシリーズ本で、これまで4冊が発刊されています。5冊目のサブタイトルは、「黙過できないときは先手必勝」。たしかに後手にまわると失地挽回は苦しいことが多いですよね。
いくつかのテーマごとに話はまとめられています。今回は、まずは「男と女の法律相談」。著者は20年以上も「商工新聞」で法律相談コーナーを担当しています。短いスペースで要領よく、しかも正確に回答するのは難しいけれど、なんとか続いているそうです。この分野は、弁護士にとって途切れることのない種(たね)になっているといいます。
著者のライフワークのひとつである労働災害をめぐる裁判が紹介されています。家屋の建築・解体現場での足場からの転落事故は重大な後遺障害をもたらすことがある。そんなときに元請会社の責任を問えるのか...。なんとか一定の賠償を勝ちとった話が紹介されていて、いくらか救われます。それにしても、脊髄を損傷した人の日常生活は本当に大変。家屋の改造、そして家族の付き添いなど...。
公事師(くじし)は江戸時代に活躍した、今でいう弁護士のような存在。江戸時代には、実は裁判に訴える人々は多く、公事師のいる公事宿(くじやど)は大いに繁盛していました。ええっ、そんな事実があったの...。しかも、訴状その実例が寺子屋の教材として子どもたちに教えこまれていたというのです。読み書きソロバンを教わった寺子屋の卒業生たちが公正な紛争の解決を求めて裁判所に駆け込む流れはとめられなかった。すると、裁判する側も、いい加減な対応は許されなかった。そんなことをしたら、自分たちの存在意義をなくしてしまうから。なので、当局は、必死で両者の顔を絶つ解決を目ざした、というのが実情だというのです。
そして、最高裁判所がなぜ「サイテー裁判所」と言われることがあるのか...。弁護士会の役員になるには、どんな苦労が必要なのか...。部外者からは分かりにくい当事者の「告白」が満載のシリーズになっています。
興味をもった人は、しらぬひの会(0944-52-6144)へFAXで申し込んだらよいことを紹介します。
(2021年5月刊。税込500円)
2021年6月 2日
福岡県弁護士会報(第30号)
(霧山昴)
著者 会報編集室、 出版 福岡県弁護士会
弁護士にとってきわめて大切な弁護士自治については、他の論稿とは異って対話形式で展開しています。とても重要なテーマが、大変わかりやすいものになっています。
まずは、弁護士自治は戦後に苦闘の末に認められたということが紹介されています。
イソ弁:え?弁護士自治って司法制度ができたときから認められていたものじゃないんですか。
ボス弁:とんでもない。わが国で弁護士自治が認められたのは、司法の歴史の中でも最 近の話だよ。
戦後も、すんなり認められたわけではなく、依然として裁判所の監督下に置こうという動きがあったのでした。
ボス弁:先達の奮闘にもかかわらず、残念ながら結局は、弁護士自治は戦後の1949 (昭和24)年の現行弁護士法の成立によってようやく獲得されたといえる。しかし、その成立過程も極めて厳しいものだったんだ。
姉弁:当初は弁護士に関する事項も最高裁判所が規則を定めることになっていたのよ。
イソ弁:ええっ、そうだったんですか。
ボス弁:裁判所法要綱案でも、弁護士や弁護士会の監督は裁判所が行うという案が作成されていた。
弁護士の人数が増えていること、会費が高いなかで、会員の意識が多様化していることも紹介されています。
姉弁:ちなみに、1998(平成10)年の福岡県弁護士会の会員は527名だったけれど、2020(令和2)年の会員数は1377名よ。実に2.6倍になっているわ。
日弁連の会費年額18万円を含めた年間総額でいうと、高いところでは100万円を超える会もある一方、安いところではその半額以下にとどまる会もあるのよね。
イギリスで、弁護士会が自治権を失ってしまったという衝撃的な事実が紹介されています。日本も他山の石とすべきものと思われます。
ボス弁:イギリスでは、弁護士会は、人事権、規則制定権、予算編成権の独立をいずれも奪われ、自治権を失ったと評価されているよ。
イソ弁:イギリスで弁護士自治が奪われた背景にはどのような事情があったのですか。
ボス弁:イギリスの弁護士自治の崩壊は、「英国病」といわれた長い閉塞状態を打破するためにサッチャー政権、ブレア政権の強い意志で進められたといわれている。
イソ弁:日本の場合は、ときの政権が弁護士会に対して直接圧力をかけてくるという可能性は低いですよね。
姉弁:油断は禁物よ。弁護士自治を確立する歴史にあったように、権力側が活動を妨げようとすれば、それは可能だ...。
司法修習生の給費支給がいったん停止されましたが、弁護士会の粘り強い活動によって、ほぼ復活させることができたことも紹介されています。
ボス弁:実に7年の歳月をかけて弁護士会、日弁連を挙げて取り組み、遂に市民、社会からも共感を得ることができた。
姉弁:その結実が2017(平成29)年の修習給付金制度ですね。
以上のように、弁護士自治は昔からあって当然というのではなく、まさしく「油断は禁物」という状況にあることが語られています。ぜひ本文を手にとってお読みください。
2021年6月 1日
俺の上には空がある広い空が
(霧山昴)
著者 桜井 昌司 、 出版 マガジンハウス
1967年8月、茨城県の利根町で62歳の男性が殺され預金が奪われた。強盗殺人事件。布川(ふかわ)事件と呼ばれるのは、その男性の自宅のあった地名から。
犯人として、10月に利根町出身の2人の不良青年(20歳と21歳)が逮捕された。窃盗容疑での別件逮捕。警察は2人の若者を「お前は人殺しだ。認めなければ助からない」と責め立てて、ついに2人とも自らの犯行だと認めて「自白」する。
2人と事件をむすびつける物証は何もなく、目撃者も当初はこの2人とは違うといっていたし、現場の毛髪も2人のものではなかった。しかし、検察庁は自白調書をもとに起訴した。裁判所は「やっていない者が自白できるはずがない」として有罪(無期懲役)。高裁も最高裁も一新有罪を是認し、2人は、ついに刑務所へ。29年間、2人は刑務所の中。そして、仮出所後に申立した第二次再審請求が認められて、完全無罪。事件発生から43年がたっていた。
事件が起きた1967年(昭和42年)というと、私が上京して大学1年生(18歳)の秋のことです。貧乏な寮生でしたが、10月ころは試験あとの秋休みで寮生仲間の故郷の長野へ遊びに行っていました。同時に、セツルメント活動にも本格的に身をいれていたころのことになります。
著者は自由を縛られた刑務所の中で、20代を失い、30代を失った。
人間の心をも断ち切る刑務所の中で、母も失い、父も失い、何もできないままに、ひたすら耐え続ける歳月。
裁判のたびに誤判が重ねられて、それでも本人はやめるわけにはいかない。
20歳の秋に始まり、64歳の初夏に終わった冤罪との闘い。43年7ヶ月に及んだ歳月は、まったく無駄な時間ではなかった。自分にとって必要な時間だった。
20歳のころ、著者は意思が弱くて、怠け者で、小悪党のような生活をしていた。
なぜ、無実の人が嘘の自白をしてしまったのか...。当事者になると、それは意外に簡単だった。「やった」と認めた以上は「知らない」とは言えないため、事実の記憶を、日付や時間を事件にあわせて置き換え、嘘を重ねていく。
最初は、「おまえが犯人だ」と責められる目の前の苦痛から逃れたかった。そのうえ、杉山が犯人だと思わされたので、自分の無実は証明されると楽観視があった。警察に戻されると、今後は「死刑」と脅された。そして、後任の検事から「救ってやりようがない」と言われた。ここまでくると、嘘でも「やった」と言ってしまった自分のほうが悪いという気持ちになった。せめて死刑にだけはなりたくなかった。まさか嘘の自白で無期懲役の有罪が確定するとは思わなかった。こんなメカニズムがあるのですね...。
警察は犯人と疑いはじめたら最後、話を聞く耳をもたない。人間は、自分の話を聞いてもらえると思うから話ができる。何を話しても否定され、責められたら、人間は弱いもので心が折れてしまう。警察・検察・裁判所の過ちによって冤罪にされたが、そもそも冤罪を招いたのは自分自身だ。疑われるような生活をしていた自分が悪い。逮捕のきっかけをつくったのは自分なので、誰も責めないし、誰も恨んでいない。
刑務所は不自由が原則だった。自由が許されたのは、考えることだけだった。著者は詩を書き、作詞作曲に励んだ。そのことを自分の生きた証(あか)しにしようと思った。
刑務所は寒さも熱さも敵だ。でも、本当に大変なのは、人間関係だ。もめごとは尽きなかった。刑務所ではケンカ両成敗だ。片方だけを処罰すると遺恨を生んで、さらに深刻なもめごとに発展する恐れがあるから...。下手に仲裁して、ケンカ沙汰になったら、仲裁者も無事ではすまない。そこに意地の悪い刑務官が加わると、ますます面倒なことになった。
靴を縫う仕事を内職でした。1足250円で、月に1万2000円にもなった。10年続けて100万円をこえるお金をもつことができた。
社会に戻ってしたいことの一つが、闇の中を歩くこと。これには驚きました。というのは、拘置所にも刑務所にも闇がない。夜になっても、常に監視する常夜灯がついているからなのです。そして、2011年に四国巡礼を始めた。
著者の歌を聞いたことはありませんが、その話は間近で聞いたことがありました。長い辛い獄中生活の割には、明るくて前向きの生き方をしているんだなと感じました。
この本を読んで、一層その感を深くしました。ご一読をおすすめします。
(2021年4月刊。税込1540円)
2021年5月27日
司法はこれでいいのか
(霧山昴)
著者 23期弁護士ネットワーク 、 出版 現代書館
1971年4月5日午前10時40分、23期司法修習生の修了式が司法研修所の大講堂で始まった。守田直所長の開会の式辞が始まろうとしたとき、阪口徳雄クラス委員会委員長が自席で起立挙手して発言を求めた。そして檀上の守田所長に近づき、演壇のマイクを手にもって、「任官不採用者に10分だけ話をさせてあげてほしい」と言った。守田所長は黙って降壇し、自席に戻る。すると司会の中島事務局長が「終了式を終了しまーす」と宣言。開始宣言から終了宣言まで、わずか1分15秒間のこと。
ところが、この阪口委員長に対して、その夜8時半すぎ、司法修習生を罷免するという書面が交付された。罷免理由について、最高裁の矢口洪一・人事局長は国会において、「制止をきかず約10分間混乱させ、式を続行不能にした」と説明した。500人もの司法修習生の目前で起きたことがまったく事実がねじ曲げられたのだ。
司法研修所の教官たち(50人ほど)は、式のあと長時間の会議での議論を経て無記名投票したが、「罷免」という結論ではなかった。にもかかわらず、矢口人事局長の誤った報告をもとに「罷免」の結論がまもなく出され、本人に伝えられた。
驚くべき展開というほかありません。この4月5日の罷免は、その直前の3月に熊本地裁の宮本康昭判事補が青法協会員であることを理由として(当局は認めていませんが...)、再任拒否があったことに直結しています。いえ、それだけではなく、裁判官の採用拒否がずっと続いていたこととも関連しています。
任官拒否は23期から7人、その前の22期で3人、24期3人、25期2人、26期2人、27期4人、28期3人、29期3人、30期2人、31期5人、少しとんで34期2人、35期5人、39期3人、総数53人にものぼった。
私は、この53人の人たちが裁判官になっていたら、その後の日本の裁判所は今とはまったく雰囲気が違うのではないかと確信しています。要するに、自由にモノが言える雰囲気です。
23期で裁判官となり、定年直前に福岡高裁の裁判長(部総括)をつとめた森野俊彦弁護士の体験記が出色です。
森野さんは、裁判官時代、裁判官会議でしばしば発言した。他の裁判官が沈黙しているのを見て、「このような重大問題で何もしゃべらず黙っているのはおかしい」と一席ぶった。すると、翌日、裁判長から「きのう会議で熱弁をふるったそうだね」と揶揄されたとのこと。
そして高裁長官たちから、「おまえはまだお尻が青い...」と言われた(青法協の青のことです)。それでも森野さんはめげずにがんばったわけですが、たいていの人はやはり心が折れてしまいますよね。実際、23期の裁判官でこの本に登場しているのは森野さん一人です。ことほどさように今に尾を引いているのです。
この本を読んで救われるのは、罷免された阪口修習生が2年遅れで罷免を取り消されて弁護士となり、大阪で今も元気に大活躍していることも書かれていることです。
私が司法研修所に入所したのは、23期の修了式のあった翌年でした。守田所長に草場良八事務局長でした。私もクラス委員の一人として研修所側との交渉の場に出席したことがありますが、草場事務局長の、いかにも官僚然として横柄な態度が強く印象に残っています。そのとき私は何も発言していないと思いますが、草場事務局長からすると、今どきの修習生は先輩に対する口にきき方も知らない、生意気な連中ばかりだと内心きっと思っていただろうとも思います。まったくそのとおりです。私は23歳、怖いもの知らずの年頃ですし、東大闘争をふくめた学園闘争を多かれ少なかれ経験していましたので、多少のことには動じないだけの度胸もありましたので...。
この本には、その後の23期の弁護士たちの縦横無尽の大活躍ぶりが語られています。まさしく、「花も嵐もある23期生」です。タイトルにある、司法はこれでよいのかという問いかけに対しては、これでよいはずはないと私は答えます。
(2021年4月刊。税込2200円)
2021年5月20日
「弁護士の平成」(会報30号)
(霧山昴)
著者 会報編集室 、 出版 福岡県弁護士会
福岡県弁護士会の国際的活動の取り組み状況と課題が詳しく紹介されています。その読みどころを独断と偏見をもって紹介します。
まず、韓国の釜山弁護士会、中国の大連弁護士会との定期的交流です。
1990年3月23日、福岡のホテルニューオータニにおいて双方会員80名と多くの来賓も招いたなかで「交流に関する合意書」が署名された。全国で2番目の先進的なことであったため、メディアにも大きく報道された。その後、両会は毎年の相互訪問を現在まで継続してきた。1999年から2005年までは、毎年それぞれが相手会を訪問するという年2回の交流だったが、それ以降は、毎年交代で一方のみが相手会を訪問するという、年1回の交流となった。裁判所、検察庁、法律事務所、司法関係機関、民間企業等を訪問したあと、テーマを決めて発表と討論を行い、夜は晩餐会。翌日は、公式観光。討論会のテーマは、法曹人口問題や法科大学院制度といった政策的な問題から、裁判員裁判や取り調べの可視化といった実務的問題まで、幅広い分野にわたっている。友好協定締結記念式典で近江会長が「交流のキーワードは人権」と述べたとおり、人権問題に関するテーマも多い。
2010年2月、大連市律師協会から18名を迎えて、福岡ニューオータニにて盛大に調印式が行われた。そして、毎年交代で一方が相手会を訪問するという、年1回の交流が現在まで続いている。
続いて、留学生を受け入れていること。1994年度、九州大学大学院法学研究科は、すべての授業を英語で教える「国際経済ビジネス法コース」(LLMコース)を開設した。それ以来、毎年10名から15名のLLMコースの留学生を、2月下旬から3月上旬の2週間にわたって受け入れてきた。ところが、2001(平成13)年度、九州大学大学院法学研究科は、日本政府(文部科学省)の国費外国人留学生制度である「ヤング・リーダーズ・プログラム」(YLP)法律コースの留学生を受け入れることとなった。この法律コースは日本で唯一九州大学のみが受け入れている。このコースに在籍している留学生は、アジア各国の将来のリーダーとして活躍が期待されている若手の法律家(弁護士、裁判官、検察官、官僚等)である。そこで当会は、この年度以降は、YLPプログラムの学生を対象とすることとした。
次は、通訳人協力会を発足させ、それを維持運営していること。当会は1992年7月に、「通訳協力会」を発足させた。発足当初から、対応言語40ヶ国にのぼる合計100人以上の通訳人の登録を得た。2020年10月の対応言語は36ヶ国、登録通訳人数はちょうど300人にのぼっている。
そして、外国人法律相談。福岡市は、1989年4月にオープンした天神イムズビルの8階に事務所「レインボープラザ」を開設して、外国人に対する情報提供事業を行うようになった。ここに当会は弁護士を派遣して法律相談に応じている。毎月2回3枠ずつの相談なので、年間で約70枠。まだまだ年間相談件数が少ない。
また、最近、収容された外国人への援助として、2016年6月から、「入管相談弁護士制度」を発足させた。被収容者が、福岡入管職員に弁護士に相談したい旨を申し出ると、福岡入管が氏名などの必要事項を記載した相談申込書を弁護士会天神センターにファックスし、当会職員が、対応弁護士名簿にしたがって事件を配点する。担当することになった弁護士は、原則として48時間以内に福岡入管へ面会に行くというシステムだ。
2011年4月に「国際取引プロジェクトチーム」を発足させた。2012年4月からは、中小企業支援センター委員会の有志も加わり、名称を「中小企業海外展開法的支援プロジェクトチーム」と改め、対外的活動にも力を入れている。
課題としては、現在まで、国際人権・人道問題に関するシンポジウムを単発的にいくつか開催しただけで、継続的取組みが出来ているとはいえない。国際人権・人道法は、さまざまな分野にわたっており、今後、「国際人権法・人道法に関する活動」をどうするのかが課題となっている。
2021年5月14日
「弁護士の平成」(会報30号)
(霧山昴)
著者 会報編集室 、 出版 福岡県弁護士会
今回は福岡県弁護士会の充実した研修制度の特色と課題について、その一部を紹介します。ぜひ、会報30号の本文を読んでください。
まずは、新人ゼミです。これは、2010(平成22)年から、「新規登録会員が増加し、各会員間の繋がりが希薄になっている状況において、少人数でのゼミを行うことにより縦と横の繋がりを作り、新人弁護士の孤立化を防ぐ」という趣旨で、弁護士1年目の会員を対象として実施しているものです。
愛知県弁護士会が新規登録弁護士に対するチューター制度を導入し、経験弁護士が新規登録弁護士に対して、ゼミ形式によって弁護士の心構えや事件処理の基本等を教授する勉強会を行っているのを知り、当会も同様のものとして導入しました。
新規登録弁護士の登録数の増加を背景に、新規登録弁護士の就職難が問題化し、いわゆる即独弁護士やノキ弁と呼ばれる、経験弁護士から指導を受けることが困難となった新規登録弁護士が生じていたことから、弁護士会として新規登録弁護士に対する指導を強化するのが目的です。
つまり、新人ゼミの大きな目的は、新人弁護士に対してゼミを実施することで講師の先輩弁護士や同期との人間関係の構築にありますから、新人ゼミ実施後には講師を含めた懇親会という名の飲み会が毎回実施されています(コロナ禍によって変化あり)。このようにして、経験弁護士と新規登録弁護士との「縦のつながり」、あるいは新規登録弁護士同士の「横のつながり」を構築するための契機とする意味合いで行われているわけです。
新人ゼミは、毎年4月から12月まで概ね毎月1回(60分程度)の頻度で開催する義務研修です。新人ゼミの回数は年間9回が予定され、そのうち6回以上出席しなければ、義務研修である新人ゼミを履行したとは認められません。欠席回数が2回以上になった新人会員に対しては研修委員長名義で注意文書を出します。2010(平成22)年から新人ゼミを実施していて、ほとんどの新人会員が新人ゼミに毎回出席し、新人ゼミの出席率はきわめて高く(コロナ禍の前まで)、新人会員にも大変好評です。
当会では高度専門分野研修も実施しています。研修委員会で直接担当している研修だけでなく、消費者委員会、刑事弁護委員会、倒産委員会、高齢者委員会、子どもの権利委員会等の各委員会が講演などを通じて専門的な研修を実施していますが、交通事故委員会においては、「交通事故賠償法ゼミ」という少人数のゼミを実施し、若手会員への交通事故分野の積極的な研修が実施されています。また、労働ゼミもあります。
そこで、課題となるのは、専門分野登録弁護士制度です。これは、弁護士に相談したくても、どの弁護士に依頼すれば良いのか分からない人々が適任の弁護士を容易に探せるようにするために、一定の専門分野(当初はパイロット分野として①離婚・親権、②相続・遺言、③交通事故、④医療過誤、⑤労働事件の5分野)について、専門分野登録弁護士としての登録を認める制度です。この制度は、登録要件として一定の実務経験があることと一定時間の専門分野研修の受講を要件とします。
日本においては、弁護士を利用する国民の意見として、個々の弁護士がどのような分野を専門としているかなど、弁護士の専門分野に関する情報があまりに少なく、専門分野の弁護士へのアクセスがしにくいという不満があります。
そこで、日弁連の弁護士業務改革委員会は、2011(平成23)年10月に専門分野登録制度の推進をすべく提言したのですが、日弁連理事会で「時期尚早」の結論となり、現時点において、日弁連自体で「専門」性を付与する制度は当面できない状況です。
弁護士会は2000(平成12)年に広告を自由化しましたが、「○○専門弁護士」と専門性を表示する広告は誤った広告の懸念があるから望ましくないと日弁連は広告ガイドラインで定めているため、専門性の広告表示は事実上禁じられています。しかし、その結果、弁護士についての情報が不十分で、弁護士に対するアクセス障害が生じているという利用者からの不満の声は無視できません。
そこで、大阪弁護士会は、「分野別登録弁護士制度」として、離婚・相続・交通事故・労働の4つをパイロット分野として指定し、2019(平成31)年4月から施行しています。ただ、この制度に登録している弁護士は比較的少なく、社会においてもこの制度の周知徹底がなされているとは言い難い状況です。
今後、弁護士人口もますます増加するとともに、弁護士における業務も医師などと同様に専門化が進んでいくでしょう。たとえば、LACの普及・拡大とともに、弁護士会における専門登録弁護士制度やそれに類する分野別登録制度などの制度の導入を検討せざるをえない日がそう遠くない日にやってくると考えられます。
最後に、研修制度のIT化があります。すでにライブ研修の充実はすすんでいます。日弁連では、2003(平成15)年から、特別研修として、最新の法改正や弁護士実務に関するものを中心に年間500講座程度の研修会を実施しています。特別研修は、東京の主会場において実施する研修の模様を、通信衛星を利用したライブ中継により全国の弁護士会と弁護士会支部に配信しています。これにより、全国の会員の研修受講機会が飛躍的に向上しました。また、インターネットに繋がるパソコンがあれば、いつでも、どこでも研修の受講ができるサービスとして、日弁連は2007(平成19)年からeラーニング研修を導入しています。
2021年5月13日
再任拒否と司法改革
(霧山昴)
著者 宮本 康昭 ・ 大出 良知 、 出版 日本評論社
宮本康昭氏が裁判官として再任拒否されたのは50年も前のこと。古い話で、現在とはまったく関係ないかと思うと、実は裁判所のなかでは今も明らかに尾を引いている。そして、何より問題なのは、当の裁判官たちに、その自覚がほとんどまったくないということ。残念な限りです。
全体として裁判官は、これまでのいろいろな統制や教育が効いていて、優しくなっている。骨太に自己主張するとか、場合によっては抵抗するとか、そういう姿勢がみられない。
青法協裁判官部会とその後身の如月(きさらぎ)会もなければ裁判官懇話会もないので、個々の裁判官のなかに、裁判官の独立や思想・良心の自由を守っていく、拠(よ)って立つところがなくなり、部内で声を上げる力が出しにくくなっているのではないか。
裁判官の意識と行動について、統制策がかなり効いた。裁判官一人ひとりがおとなしくなった。裁判官魂(たましい)を持てなくなった。裁判官の独立についての明確な認識もなく、行政官化し、またサラリーマン化している。
裁判所は、なかでは裁判官を全人格的に支配する。強権発動しなくても、うまく囲い込んでいける。弁護士会とは、うまく折り合いのつくところは、つけていこうといって、うまくやる。
このように裁判官の意識が変わっていくと、青法協の裁判官は浮いてしまって、仲間が増えない。
裁判官たちは腑抜けになってしまった。司法制度改革のなかで、司法官僚制は昔のまま温存され、根本的なメスが入りませんでした。その結果、「腑抜け」の裁判官だらけになってしまったのですが、本人たちにはまったくその自覚がないというのが恐ろしいです。
司法官僚制が残ったのは、最高裁の抵抗が執拗で、かつ、すさまじいものだったから。
これを市民の側が打ち破ることができませんでした。法曹一元制度、つまり裁判官になる前に必ず弁護士経験を要するという制度にすべきなのです。すでに韓国は、それに踏みきりました。
宮本氏が裁判官だったころ、同期裁判官の半分近くが青法協の会員でした。最高裁の局付き判事補の多くも会員だったのです。それが切り崩しにあって、350人いた会員が1年で200人にまで減ってしまいました。説得、泣き落とし、酒食の饗応、ポストをちらつかせての誘惑、不利益処遇を示唆しての脅し、あらゆる手段が使われたのです。いやはや、そんなことが裁判所内で横行していたのですね...。そして、それを実行した人、また、それにこたえてしまった人が、今度は一転して青法協攻撃をする側にまわったりしたわけです。今、裁判所のトップにいる裁判官たちは、その系統で養成されてきた人たちなので、「腑抜け」になるのも、ある意味では残念ながら当然です。
この本を読んで面白いと思ったのは、関係者のほとんどが実名で登場するところです。思わせぶりな匿名がないので、読んでいてスッキリ感があります。ああ、この人は、こんなことをしたのか、言っていたのか、よく分かります。といっても、私自身が、この本に出てくる裁判官個人を知っているということは、ほとんどありません。
著者は、再任拒否にあったあと、簡裁判事を2年つとめたうえで、東京で弁護士となり、日弁連で司法改革運動の中心人物として、推進の原動力となり、大いに力を発揮しました。中坊公平・元日弁連会長の評価も面白いです。中坊元会長は司法改革は何も知らなかった。そして、間違ったことを高言して周囲を困らせることもあった。しかし、その突破力は偉大なものがあった...。まったくそのとおりでしょうね。
そして、司法改革についても、著者は前向きの積極評価をしています。私も同じ意見です。民事法律扶助は年3億円の枠を長くこえることができなかったが、今では法テラスへ327億円も支出されている。私の事務所でも法テラスの依存度はかなり高いです。そして、被疑者国選弁護、裁判員裁判、裁判官の再任審査制度の新設など、司法制度改革は大きく前進したことは間違いありません。
そして、弁護士が増えたことによって(今は全国に4万人)、一時的には需要が減少したように見えていても、弁護士が増えてアクセス可能性が増大すれば、将来的に需要が大幅に喚起される可能性はあるとしています。これまた同感です。
あとがきを読むと、本書はかなり難産だったようですが、ようやく日の目を見た結果、とてもいい本が出来あがりました。
著者の今後ますますのご活躍を心より祈念します。本屋に注文していたのですが、それが届くより早く著者から贈呈していただきました。ありがとうございます。
(2021年4月刊。税込2200円)
2021年5月 7日
「弁護士の平成」(会報第30号)
(霧山昴)
著者 会報編集室 、 出版 福岡県弁護士会
法曹養成制度
法曹養成制度については、この分野に一貫して関与してきた牟田哲朗弁護士が改革の歩みと今後の課題を紹介しています。
法科大学院は失敗だった、失敗したと簡単に決めつけてすむ問題ではありません。新しく「法曹コース」が始まるとのことですので、次世代の法曹をどのように養成していくのか、現状をきちんと認識したうえで大いに議論したいものです。あわせて、予備試験というバイパスのあり方についても再考すべきではないでしょうか・・・。
法科大学院
「2004(平成16)年4月に68校、翌年に6校の合計74校の法科大学院が24都道府県に開校した。2004(平成16)年の入学者数合計は5767人(定員5590人)であり、そのうち、未修者が3417人(59.3%)、非法学部卒業者が1988人(34.5%)、社会人が2792人(48.8%)で、医師や公認会計士等の有資格者も入学していた。
福岡では九州大学、福岡大学、西南学院大学、久留米大学の4校、九弁連管内では熊本大学、鹿児島大学、琉球大学の3校が開校し、2004(平成16)年の7校の総定員は330人(福岡240人)、入学者数は314人(福岡219人)であった」(112頁)
新司法試験の合格者
「2006(平成18)年から新司法試験が始まった。初年度は、既修者のみ2091人が受験して合格者1009人(合格率48.25%)、翌2007(平成19)年は未修者も受験して4607人が受験し、合格者1851人(合格率40.18%)であった。
2008(平成20)年から合格者は2000人台になった。・・・・2010年からの司法試験合格者3000人は見送られ、2014(平成26)年からは1800人台、2016(平成28)年からは1500人台に減少され、また、2012(平成24)年からは予備試験合格者も司法試験受験をするようになったので、法科大学院終了者の司法試験合格率は2009(平成21)年から20%台になった。
そのためか、法科大学院への入学志望者数も4万人台から1万人台になり、入学者も2006(平成18)年の最大5784人が2011(平成23)年には3620人に減少した。他方、予備試験受験者は、2011年の6477人が2014年からは1万人を超え、予備試験合格者の司法試験合格者も2012(平成22)年の58人が2014年には163人、2016年には235人と増えていき、2018(平成30)年には336人、2019(平成31)年には315人になった」(112頁)
合格率
「2005(平成17)年から2014(平成26)年度までの直近10年間の修了者は3万8771人、合格者は1万9745人なので、この10年間の修了者の累積合格率は50.9%。また、直近の2014年修了者の累積合格率は、57.4%。そのうち、既修者は、70.0%であるが、未修者
41.1%である。
したがって、司法試験の合格率に関しては、既修者は審議会意見書が基本点とした約7~8割を実現しているので目標達成である」(114頁)
「予備試験が、法科大学院を中核とする『プロセス』による法曹養成のバイパスとなったため、司法試験予備校は盛況である。予備試験合格者の司法試験合格率が80%前後であるのに対し、予備試験自体の合格率は4%前後と抑制されている」(114頁)
新しい「法曹コース」
「2020(令和2)年から『法曹コース』を開始し、2023(令和5)年から『法科大学院在学中受験』を実施することとした。
これは、法曹資格を得るには、現状では、大学4年、法科大学院既修2年、司法修習1年で、最短でも7年8カ月を要するので、これを6年に短縮して時間的・経済的負担を軽減して、法曹志望者を増やし、予備試験志向者を法科大学院に入学させようとするものである。
『法曹コース』は、法学部を設置する大学が法科大学院と連携して、法科大学院既修者コースと一貫的に接続する教育課程『法曹コース』を編成し、学部3年終了時に早期卒業して法科大学院既修者コースに入学する『3+2』の精度である」(114頁)
ロースクール生と九弁連
「九弁連管内弁護士会に登録した新60~62期生274人中の100人(36.4%)が管内法科大学院修了生であり、同100人は弁護士登録した管内法科大学院修了生127人の78.7%である。・・・・2015(平成27)年から久留米、鹿児島、熊本、西南学院大学法科大学院が、順次、募集停止になった」(118頁)
弁護士会の責務
「審議会意見書から20年、法大学院設立から17年経過したが、法科大学院を中核とした『プロセルによる法曹養成』は未だ完成せず、『点のみによる選抜』から脱却できずに多くの課題を抱えている。
しかし、弁護士会・弁護士が、あるべき次世代の弁護士・法曹を養成することは、弁護士・弁護士会の当然の責務である。したがって、福岡県弁護士会においても、法曹養成を法務省や最高裁に一任することなく、日弁連にも一任することなく、地域の弁護士・弁護士会の責務として、地域のために、また地域から全国に広がる有意な法曹を養成していく道を見付けていく必要があり、そのことが法曹の多様性の拡大につながると考える」(120頁)
2021年4月28日
「弁護士の平成」(会報30号)
(霧山昴)
著者 会報編集室 、 出版 福岡県弁護士会
今回は法律相談センターの設立とその後の展開、そして現状について、会報30号の読みどころ(勘所)を紹介します。
街中(まちなか)の天神センター
いまでは天神の繁華街に弁護士会の法律相談センターがあっても何ら不思議なことではなく、当然と受けとめられています。ところが実は、1985(昭和60)年に天神センターを開設したのは弁護士会として大変勇気のいる決断でした。もちろん、たちまち市民に広く利用され、すっかり定着しています。市民に喜ばれると同時に、弁護士にとっても(とりわけ若手にとって)、事件を受任できる貴重な場となりました。
残念なことに、最近は弁護士会による相談件数は減少傾向にあります。
「センター全体の相談件数は、2007(平成19)年度に2万件を超えたのをピークに(総件数2万787件、うち一般相談9522件、多重債務相談1万1265件)、徐々に減少し、2014(平成26)年度には1万件を割り込んだ(総件数9677件、うち一般相談7737件、多重債務相談1940件)。2016(平成28)年度から2019(令和元)年度は、8000台後半を推移してい」(133頁)ます。
この「相談件数減少の要因としては、第一に、多重債務相談(過払含む)の減少が大きい。第二に、2000(平成12)年10月の弁護士広告の解禁に伴い、各法律事務所が徐々に広告を充実させてきたことや、2006(平成18)年からの新司法試験開始にともない、弁護士数が大幅に増加してきたことにより、相談者が、センターではなく、直接、各法律事務所に相談するようになったことが考えられる。第三に、法テラスが、2006年10月から業務を開始し、相談者が、法テラスで相談をするようになったことも要因と考えられ」(同)るとしています。
チケット制・無料相談
弁護士会は、天神センターのほか、弁護士会館でも法律相談を受けていますが、あわせて自治体の窓口で相談を受ける派遣相談も実施しています。特筆すべきなのは、チケット制の法律相談です。
「自治体との連携方法には、大別すると、派遣相談とチケット制法律相談の2種類ある。・・・自治体の市民相談窓口と法律相談センターを結びつけるチケット制を導入している。
チケット制とは、自治体が当会との間で有償の法律相談委託契約を締結し、その住民が、自治体の相談窓口で上記委託契約に基づき発行されるチケット(弁護士会無料相談紹介状)を受け取り、最寄りの法律相談センターに提出することで、無料で相談が受けられるようにするもの。近時は、自治体のみならず、その関連団体との間でもチケット制が導入されている。
1955(平成7)年、最初に上記制度の委託契約を締結した鞍手郡宮田町(現・宮若市)にちなんで『宮田町方式』と呼称されることもある。
2020(令和2)年3月末現在、全県で24の自治体と関連団体との間で、チケット制が導入されている」(129~130頁)
また、「分野を限定して、無料相談を導入している。チケット制による無料相談も含めると、福岡部会の法律相談センターにおける相談の約72%が無料相談となっている。・・・当会は、相談料を全面無料とはせず、原則法律相談が有償であるとの前提に立ち、必要に応じて個別に議論した上で、無料化する政策をとっている。
時宜に応じて社会的に必要とされる無料相談を実施することにより、相談件数の増加につながっており、むしろ司法アクセスの充実のためには有意義であると評価している。今後も全面無料化は実施せず、一般相談は有料のまま法律相談センターを運営していく方針である」(126頁)としています。
独立採算・一般会計への繰入れ
当会の法律相談センターは、とりわけ天神センターが弁護士会活動の前進に大きく寄与してきたことに大きな特徴があります。
「特別会計の主な収入は、法律相談センターでの相談を受任の契機としたときの事務負担金、有料相談収入、自治体等からの委託相談収入、日弁連のひまわり基金等からの補助金収入である。
各部会のセンター特別会計は、福岡県弁護士会費を収入源とする一般会計からの繰入れがなされていない。逆に、各センター特別会計は、県弁の一般会計に繰入れを行っている。2019年度の実績は、3812万円(天神)、1161万円(北九州)、342万円(久留米)、203万円(飯塚)である。天神からの繰入れの内訳は、人件費が2800万円、広報活動費が480万円等となっている。また、北九州は北九州部会の会館建設特別会計に120万円を、久留米は筑後部会の一般会計に400万円を繰り入れている。
法律相談センターは、そのセンターの賃借料や会員の相談報酬の運営費用を、センターの法律相談事業にもとづく収入でまかなっており、会員の弁護士会会費をその財源とはしておらず、自立採算で運営されている。
なお、このような一般会計からの繰り入れがない体制を取っている単位会は全国的には多くはない」(126頁)
久留米での法相センターの開設
久留米の裁判所の隣に大きなマンション(パークノヴァ)が建ち、そこに弁護士会(久留米部会。当時)は法律相談センターを開設することになりました。「筑後部会の歩み」(439頁~)は、次のように記述しています。
「市民向けの有料法律相談を実施することに対しては、部会員から、弁護士が市役所の無料相談とは別に有料の法律相談をするのは、個々の弁護士と利害が相反し、弁護士の経営権を侵害するのではないか、との反対意見が出された。また、弁護士会の有料相談に市民にニーズがあるか疑問があるとの意見も出された。ランニングコストの支出を不安視する意見も出された。
そこで、部会において、有料法律相談開設に関する丁寧な議論を重ね、また、収支に関する手堅いシュミレーションを行うことにより、パークノヴァを取得して、久留米に法律相談センターを開設することへの合意形成をすすめていった。部会ならではの丁寧な議論を経て、1992(平成4)年6月29日の部会集会にて購入・開設が承認された」(442頁)
「オープンして3ヶ月間の実績をみると、相談者は1月3人を上回り、1日47人。必要経費を差し引いても収益があがり、上々のスタートとなった。
その後も相談件数は年500件台から2008(平成20)年には2200件と大きく増え、事務手数料収入は順調に伸びていった。このように相談件数も順調に増え、事務手数料は大きく伸びて部会財政を支えると同時に、部会員の経営安定に大きく寄与した」(444頁)
ここで、「丁寧な議論」というのは、いったい何だったのか、第一稿がシュミレーションとあわせて詳しいので紹介します。
「天神センターが1985(昭和60)年11月にスタートしていて、このころは天神センターはすっかり軌道に乗っていたから、1992年度の森竹彦会長以下の県弁執行部は法律相談センターの全県展開を志向していた。そのとき、福岡地裁久留米支部に隣接して大きなマンション(パークノヴァ)が建つことになった。そこに弁護士会が一室を購入して久留米にも天神センターのような市民向けの有料法律相談の場を確保しようという話がもちあがった。
これに対しては、長老会員の一部に強烈な拒否反応があった。弁護士が市役所の無料相談とは別に有料の法律相談をするのは、個々の弁護士と利害が相反し、弁護士の経営権を侵害するもの、弁護士の領域を荒らすものだという理念的な反発があった。また、弁護士会の有料相談にそれほど市民のニーズがあるとは思えないから、失敗するのは必至だ。失敗したとき、その損害は誰がいったい弁償するのか、久留米部会には賠償する資力はない。部会長として責任とれるのかと厳しく追及する長老会員がいた。1日1人か2人しか相談者がない状態が長期に続き、ランニングコストも出なかったり、年間300万円もの赤字が出たら、マンションの維持は無理という意見も出された。
そこで、法律相談センターの開設を推進する側は、県弁執行部の強力な応援を得て天神センターの成功している実績をふまえて、理念的に個々の弁護士の経営に資するものであること、これらをあわせると、まちがいなく採算があうことのシュミレーションを重ねていった。
パークノヴァについては、8.3坪(1440万円)と14.42坪(2310万円)の2部屋の選択が可能だった。そして、控室がある14.2坪を選択することになった。すると、諸費用を考えて2500万円を必要とする。当時の久留米部会には、そのような資産はまったくない。では、どうするか。県弁執行部は天神センターの運営実績に絶対の自信をもっていたことから、当会が天神センター会計から拠出した2500万円を久留米部会に『貸し付ける』ことにしたらよいということになった。そこで永尾部会長名で『確認書』という1992(平成4)年8月11日付の借用証が作成・差し入れられた。
シュミレーションは手堅くやる必要がある。1日3件、月に66件、そのうちの1割の6.6件を弁護士が受任するとして、天神センターの実績から弁護士会が個々の受任弁護士から受けとる事務手数料を1件2万8000円とすると、収入合計は51万4800円となる。これに対して担当弁護士に支払う日当などで48万4000円の支出があるから、差引の収益は3万8000円となる。福岡部会員が相談を担当するときの旅費は福岡部会で負担するなどの工夫も考えられ、月13万円の『収益』予想で落ち着いた。なんといっても天神センターに実績があることは重みがある。次第に、長老会員の反発・心配の声は小さくなっていった。
パークノヴァを取得して、久留米に法律相談センターを開設することについては、1992年5月より正式に議論を開始し、6月29日の部会集会で購入・開設が承認された」
この第一稿がボツとされたのは、2500万円を借り受けたときの「確認書」が、果たして借用証なのか、また2500万円は完済されたのかという議論が以前から続いていて、疑問が解消されたとは言えないことから、「寝た子を起こさない」という「配慮」からでした。
しかし、パークノヴァ購入資金として2500万円を久留米部会が当会から「借金」したこと、そして「完済」したかは別として、毎年「返済」していったことは部会の予算・決算にも明記されている、間違いない事実です。まったく秘密の話ではありません。臭いものにフタをするようにして、あったことをなかったかのようにしてしまう発想はいただけません(この点については、会誌の450頁に小さく注記されてはいます)。
2021年4月24日
弁護士になりたいあなたへⅢ
(霧山昴)
著者 青法協弁学合同部会 、 出版 花伝社
青年弁護士たちが、これから弁護士を目ざしてみようかなと少しでも考えている人に向けて、自分のやっていること、どうして弁護士になったのか、熱く語っている本です。
登場する弁護士は60期から71期までの10人。弁護団に入って活動している弁護士は、その事件の意義と自分の立ち位置を紹介しています。たとえば、原発問題、消費者問題。
仕事のコツはリズムづくりと飲みにケーション。
弁護士になる人は、自分で自分を管理できる能力が必要。自分で時間をコントロールできない人は、この業界にいると、体調を崩してしまうかもしれない。
弁護士にとって時間のつかい方は、とても大切です。いつもいつも気を張りつめておくわけにはいきません。どこかで、ふっと気を抜く必要があります。
「お金はあとからついてくる」という考えは、今は通じないと厳しく批判されています。もらえるところからはもらって、社会に還元するところはする。このように意識してコントロールすべきだというのです。この点、私にも異論はありません。
弁護士の仕事を天職だと思い、毎日、楽しんでやれていると言い切る喜久山大貴弁護士(69期)には、強く共感します。そうです。仕事は楽しみながら、少し余裕をもって毎日したいものです。
お笑い芸人になれたらいいなと思っている橋本祐樹弁護士(64期)は、ライブイベントで替え歌を披露しています。すごいです。
もう一人、藤塚雄大弁護士(横浜・68期)も、弁護士芸人としても活動しているとのこと。これまた、すごいですね。うらやましいです。ステージやユーチューブで披露しています。ネタを考え、電車のなかでもぶつぶつ練習しているそうです。
いやはや、人権派弁護士って、こんなに幅が広いんですね。今では企業法務分野にばかり目が向いている学生が多いような気がしますが、やはり世の中は広いのです。困っている大勢の人々に手を差しのべる弁護士がもっともっと増えてほしいと思わせる、元気のでる本です。
(2020年8月刊。税込1650円)