弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
司法
2023年7月12日
扉をひらく
(霧山昴)
著者 村山 晃 、 出版 かもがわ出版
京都の村山晃弁護士(以下、旧知の間柄なので「村山さん」と呼びます)が弁護士生活50年をふり返った貴重な記録集です。
村山さんは法廷で訴訟指揮をする弁護士だ。法廷で裁判官の仕切りが悪いと、あれこれ裁判官に注文をつけて進行を早めたり、相手方弁護士に「もっと早くできるでしょう」などと言ったりする。
村山さんは、証人尋問の異議の出し方も独特。処分取り消しを求める裁判で、本人への反対尋問で相手方弁護士が、「あなたは処分される理由はまったくないと考えているんですか?」と訊いたとき、村山さんは、「異議あり」とも言わずに大きな声でこう言った。
「私だって、あなただって、裁判官だって、みんな課題を抱えているんですよ。それが当たり前じゃないですか。そんな質問がありますか」と、相手の弁護士をたしなめ、本人のピンチを救った。いやあ、これはすごいです。私は、とても真似できません。
弁護士は、その言葉どおり、弁論で人々の権利を護(まも)るのを職責とする。だから、誰にでも理解できるコトバ、できるだけ短いコトバ、核心をついたコトバで、裁判官や相手方、当事者やサポーターに語りかけて理解させる必要がある。なので、できるかぎり原稿を読まず、話す相手の顔を見て、その反応を確かめながら、自分のコトバで語りかけるように努めている。語りかけは、相手の心に届かなければ意味はない。
過労死事件は、高裁で逆転勝訴するという法則がある。こんなフレーズがあるそうです。実際、一審で労働者側が敗訴した事件を関西では高裁で何件も逆転勝訴したようです。もちろん、こんな「法則」があるからといって、村山さんたちが手を抜いたのではありません。一身とは別の攻め口を考え、実行し、詰めていった成果です。
この本を読んでいて、もっとも驚かされたのは、民事の一審判決の言い渡しのとき、裁判官が主文を後回しにして、理由を述べはじめた事件があったというくだりです。刑事の死刑判決では、死刑にするという主文を読み上げたら、理由は被告人は卒倒するだろうし、マスコミも傍聴人も判決理由なんてまともに聞かないだろうから、判決理由を述べたあと、死刑宣告の主文を読みあげるという確立した慣行があります。ところが、行政処分取消を求める民事裁判で同じことがなされたというのです。そんなこと聞いたこともありませんでした。判決を書いた裁判官からすると、それだけ、みんなに理由こそ聞いてほしかったのでしょう。それほど心血そそいだ苦心の判決だったわけです。やはり裁判官の感性を揺さぶることが、いかに大切かを物語ってあまりあります。
関西電力を被告とする人権侵害事件は、1971年に裁判が始まり、1995年に最高裁で労働者側の勝訴が確定するという、24年間もの長期裁判でした。ところが、この本で元原告団長は、「無我夢中で取り組み、あっという間の24年でした」と語っています。どんなに大変で苦労した事件であっても、終わってしまえば、振り返ったら、「あっという間」の出来事になってしまうものなんですよね...。
この裁判では会社(関西重力)が共産党員だとみなした社員を徹底して監視し、差別していたのですが、あるとき、その詳細を記述した「マル秘」の労務管理資料が差別されている側に渡ったのでした。それでも会社側は、ノラリクラリと差別の合理性を立証しようとしたため、こんな長期間の裁判になってしまったのです。
同じような思想差別撤回を求める裁判では、原告団は、ジュネーブの国連人権委員会にまで出かけています。その結果、国連は、日本の外務省を通じて、大企業に対して差別の改善を求める指導をしたとのこと。こんな国際的な取り組みも必要なのですね...。
そして、支援活動のため、東京から新幹線で車両1両を貸し切って駆けつけてくれる仲間たちがいたといいます。すばらしいことですよね、お互い元気が出ますよね。
関電本社を包囲する抗議集会は、1996年5月に始まったときは1000人ほどだった。それが9月には5000人にまで増え、その後、1997年も1998年も5000人は下まわらなかった。そして、ついに1999年9月には6000人もの大集会になったのでした。要請署名も実に25万筆が集まりました。
そんな大々的な取り組みが効を奏して、関電に差別を是正させ、12億円もの和解金を支払わせることができました。みんなみんな、本当によくがんばったのですね。村山さんは、その勢いをつくる中心的な役割を担ったのです。すごいことです。
喜寿(77歳)を迎えた村山さんは、今も現役の弁護士として元気一杯。子ども3人の子育ては配偶者のがんばりのようですが、孫が7人というのですから、幸せなものです。
そして、47都道府県で行っていないエリアは存在しません(これは私も同じです)。しかも、海外旅行で行った先はなんと41ヶ国にのぼるとのこと。これはうらやましい限りです。私は14ヶ国かな。私は少しだけフランス語ができますから、フランスには何回も行きましたが...。うらやましい限りです。
村山さんの50年間の弁護士生活で、こんなすごいことをやってきたんだと改めて襟を正して村山さんを見直した次第です。
著者から贈呈していただきました。ありがとうございます。
(2023年6月刊。1650円)
先日受験したフランス語検定試験(1級)の結果が分かりました。150点満点のところ、56点です。もちろん不合格。4割に届きませんでした。恥ずかしながら、実は自己採点では71点だったのです。今回は少し良かったと慢心していたのですが...。こんなに差が出たのは、仏作文と書き取りの自己評価が大甘すぎたということです。反省するしかありません。トホホ...。それでも、毎朝、NHKフランス語の聞き取り、書き取りは続けています。
2023年7月 6日
あなた、それでも裁判官?
(霧山昴)
著者 中村 久瑠美 、 出版 論創社
このタイトルから、敗訴判決をもらった弁護士が、判決を書いた裁判官が初歩的な事実認定ないし法律判断を誤ったことへの批判だと想像しました。50年近い弁護士生活のなかで、何度も何度も、裁判官の間違った判決に泣かされてきました。もちろん、法律構成や判断については私のほうが裁判官に教えられることは多々ありました。そのときは、ありがたく感謝しました。そうではなくて、事実判断のレベルで、基本的な常識に欠けるレベルでの誤りをしているとしか思えない判決に何度も何度も接しました。そして、高裁で、その点を指摘しても、ほとんどの高裁の裁判官はことなかれ主義で、仲間としての裁判官をかばい、書きやすい判決に流れていく気がしてなりませんでした。あと、行政に弱いのは、ほとんどの裁判官に言えることです。まさしく、三権分立を担っているという裁判官の気概を感じたことは残念ながら皆無と言って言い過ぎではありません。
私が裁判官評価アンケートに長く積極的に関わっているのは、この状況を少しでも改善したい、そのためには出来るだけ状況認識を多くの弁護士の共通のものにしたいという思いからです。
前置きが長くなりましたが、この本のタイトルは、そんなものとは無縁です。つまりは、DV夫が裁判官だったということです。東大卒の自称エリート裁判官が、自宅では新婚の妻に文字どおり身体的暴力を働き、また精神的なDVを繰り返していたというのです。
知的で議論好き、博学でちょっとニトルなところのある男。しかし、その夫は妻に対して平気で暴力を振るう男でもあった。新婚旅行から帰ったその晩から、妻は夫の激しい殴打にあった。殴打ばかりではない。突き飛ばされ、足蹴にもされた。
妻はいつからかサングラスが手放せなくなった。夫は、かんしゃくを起こすと、決まって妻の顔を殴った。目のまわりや頬はアザとハレが絶えなかった。それを隠すため、いつもサングラスをかけていた。ところが、夫は、他人の前ではやたらと社交的に愛想をふりまき、気をつかい、まさに「気配りの人」のように見せる。ところが、自宅では、絶望的な不機嫌さ、身も凍りつきそうな冷酷な態度だった。
人前と妻の前でのご機嫌が天と地ほども変わった。妻は常に夫の機嫌を損ねないように気をつかい、かゆいところはここかあそこかと手をさしのべ、一から十まで世話を焼き、「殿よ、殿よ」とあがめていないと夫の暴力を防ぐことはできなかった。
なぜ、そんな夫と妻が我慢していたのか...。暴力がおさまったあと、夫はまるで手のひらを返したように優しくなって、妻にベタベタしてしまうから。これで妻は、機嫌を直して、自分が悪かった、もっと夫に気に入られるようにしようと反省するのだった。これは「虐待のサイクル」といって、多くのDV加害者に通じるパターン(サイクル)だ。
「オレほどの頭があり、仕事ができる男は日本中にいない。おまえはオレが仕事しやすいような最高の環境をつくらなきゃいかんのよ。ご主人が判決書きに忙しいときは、書き終えるまで何時間でも官舎のまわりを赤ん坊を背負って、ぐるぐる回り続けるのが普通なんだぜ...」
いやあ、信じられませんね、こんなセリフを吐くだなんて...。
「あなた、それでも裁判官?」
「ああ、オレは裁判官さ。書記官たちに聞いてみろ。オレくらい被告人の人権を考えている裁判官はいないって、誰もが言うぞ...」
1年半もの交渉のあげく、慰謝料200万円、子の養育費は月2万円で協議離婚が成立した。その裁判官の月給は10万円の時代だった。まあ、それでも離婚して(できて)よかったですね。
そして、著者が司法試験に合格して30期の司法修習生になったとき、司法研修所の教官たちは、女性修習生にこう言い放った。
「男が生命をかけている司法界に、女の進出を許してなるものか」
「娘さんが司法試験に合格して親は嘆いたでしょう」
「女なんかに、裁判は分かりませんよ」
信じられない暴言です。でも、これらは当時の裁判官たちのホンネだったことは間違いありません。さてさて、今はどうなんでしょうか...。
初版は2009年で、10年以上たっての再版の本を読みました。いやはや驚くべき内容でした。
(2020年7月刊。2200円)
2023年6月29日
いなべんの哲学(第8、9巻)
(霧山昴)
著者 千田 實 、 出版 (株)MJM
80歳になった著者が50年間の弁護士生活を振り返った、含蓄あふれる小冊子シリーズです。著者は「生涯100冊発刊」の目標を立てて、なんと、それを達成し、ついに140冊になったとのこと。すごいです。
読むと、今すぐに始めたほうが良いことがいくつも指摘されています。たとえば...、明日から徹底してやるより、少しでもよいから今すぐにやることが大切。気がついたらすぐやるほうが実行しやすいし、効果があがる。
失敗のない人生は、目的を果たそうとしなかった人生だったということ。失敗のない人生なんて、それこそ失敗だ。つまり、何か目的をもって生きようとしなかった人生なんてつまらない、ということ。これまた、激しく同感です。
著者の哲学の根本は、人生は楽しめばよい、つまり面白く生きるということ。
著者は弁護士として生きているうちに、「人生は、刑に服しているのではないか」と思うようになったとのこと。いや、それではいかん。60歳を過ぎたころから、「人生を刑務所からパラダイス(楽園)に変えてやると決心したとのこと。つまらないことにこだわり、すったもんだを繰り返してきた60年間は、身も心もすり減らしてしまった。これからは、ものごとにこだわらず、青空道中を生き(生き)たいと考えた。
煩悩(ぼんのう)は、生きるためのエネルギー源。
離婚問題を弁護士として扱い、解決するうえで一番気をつかうのは、困る人が出ないようにすること。もっとも困る人が出るのは戦争。戦争は絶対にしてはならない。戦争こそ紛争の代表。紛争は避けるのが利口。
たとえ正義でも戦争は大嫌い。正義のための戦争より、不正義でも平和がいい。
正義のための戦争なんかしてはいけない。戦争とは、人殺し。
戦争に勝つために巨額のお金を費やし、戦争を増強するより、戦争にならないように知恵を出したほうがいい。
戦争をしなければ、戦力は不要。不要な戦力に巨額の予算を投じる国や政治家には、もっとよい気づかいをしてほしい。
ステルス戦闘機やミサイルにお金をつかう前に、原発(原子力発電所)の安全を確保することに、もっと気をつかうべき。
まったくもって、著者の指摘するとおりです。本当に、自民・公明そして維新は根本的に間違っています。
ミンミンと泣く総理蝉(ぜみ)、
民を忘れ 飴(アメ)にすり寄る
兵隊 蟻(アリ)にす
国民を苦しめ、アメリカにすり寄るばかりの小泉そしてアベ首相を皮肉っています。憲法9条と日本の平和を守らなければいけません。
「経済力向上」「戦力増強」「富国強兵」をスローガンにかかげて欲望の衝空を激化させる政治家はより、欲望の衝空を避ける工夫をしてほしい。
著者は、その経験上、持てる欲は少なくても、捨てることの効果は絶大だと強調しています。これまた、まったく同感です。
著者は今、80歳。これだけの著書を書けるだけ元気一杯。でも、60代で大病をし、入院して臨死経験もしているし、厳しい食事制限(カロリー制限、塩分制限)も長らくしています。だから、著者は、人生には明日の保障はないのだから、人生は、今の一瞬を、まわりの人と一緒に楽しみ尽くすのみだと強調するのです。
教えられることの多い冊子2冊をまとめて紹介させていただきました。
(2022年4月刊。1100円)
2023年6月14日
平和憲法をつくった男、鈴木義男
(霧山昴)
著者 仁昌寺 正一 、 出版 筑摩書房
「ギダンさん」と呼ばれる、福島県出身の法学者、弁護士そして政治家がいて、戦後、日本国憲法の成立する過程で第9条に「平和」の文言を加え、また、25条の生存権の追加に大きな役割を果たしたというのです。恥ずかしながら、まったく知りませんでした。
私はどちらも視ていませんが、NHKは2017年のNHKスペシャルで「憲法70年、『平和国家』はこうして生まれた」で鈴木義男の「平和」条項挿入への関与を取りあげ、また2020年のETV特集「義男(ギダン)さんと憲法誕生」でも、鈴木義男が憲法制定過程で大きな役割を果たしたことを紹介したとのこと。いやはや、知らないことは世の中に、こんなに多いのですね...。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する(憲法25条1項)は、本当に大切な権利です。自民・公明そして維新は「憲法改正」に必死ですが、その前に政党がやるべきなのは、この憲法25条を現実のものにすることです。
司法権の独立、三権分立の点で意味のある、天皇が最高裁長官を任命するという憲法6条2項の修正にも鈴木義男が提案し、結論をリードしたとのこと、すごいことです。
鈴木義男は戦前、学者を辞めたあと弁護士になったが、そのとき、鈴木自身は賛同しないマルクス主義の立場をとる学者・知識人が被告人となった治安維持法違反の弁護活動もしています。これまた、すばらしいことです。
鈴木義男の父・義一は、キリスト教的人道主義の立場から明治末の社会主義者であり、幸徳秋水とも親交があり、警察の尾行・監視つきの生活だった。
鈴木義男は東北帝大の法学部教授のとき、大学での軍事教育に反対する論陣を張って当局からにらまれた。文部省が1926年9月に作成した「左傾教授」のリストに名前があげられている。ひょっとして今の文科省も、こんなリストをつくっているのでは...、ちょっと心配になりますよね。
鈴木義男は、「すいかのように外観は青くても、中味は赤い」と河北新報で評された(1926年9月20日)。
鈴木義男は宮本百合子の弁護人もつとめ、その生活も支援したとのことです。
日本敗戦後のまもなく(1947年6月)誕生した社会党の片山内閣で、鈴木義男は法務総裁(法務大臣)になった。
日本国憲法について、単純にアメリカによる押しつけ憲法だとする人が、今も少なくありませんが、憲法制定国会では真剣な議論があり、それなりに修正されたことを改めて知ることのできる本でもありました。
(2023年1月刊。1800円+税)
2023年6月 9日
元ヤクザ弁護士
(霧山昴)
著者 諸橋 仁智 、 出版 彩図社
タイトルからして、とても本当のことだとは思えませんが、実際に東京で弁護士として活動している著者は、若いころヤクザの世界に身を置き、覚せい剤中毒そして密売していたので、逮捕され刑事裁判も受けたのです。そのとき、裁判官から、法廷で「きみなら司法試験は受かると思うので、がんばりなさい」と励まされたそうです。いい裁判官にあたりましたね。
表紙に現在の精気あふれる顔写真と、ヤクザ時代の怖い顔を対比させています。本文を読むと、なるほど、同じ人間がこんなに違う、変われるものなのかを実感させてくれます。
元ヤクザといっても、その前は福島県いわき市一番の進学校(高校)で、成績優秀者に入っていたのです。つまり、基礎学力はしっかり身についていたということです。これがないと、いくらがんばっても、司法試験に合格するのは決して容易なことではありません。小学校や中学校の勉強を馬鹿にしてはいけないのです。
では、なぜ、そんな成績優秀者がグレてヤクザになったのか...。
著者は継続力がなく、他人(ひと)に流されやすいのが欠点。コツコツ努力する継続力が欠けていた。
私は、自分でもそれほど能力があるとは考えていませんが、このコツコツ、あきもせず継続して努力する根気良さがあるので、幾多の難試験も幸いパスすることができました。
著者は、上京して覚せい剤、大麻に手を出しました。そして、麻雀が好きで、雀荘に入りびたりの生活を送るようになったのです。
ギャンブルで時間と体力を浪費したから、当然、大学受験には失敗し、二浪となります。ヤクザのアニキにあこがれ、刺青を背中に入れました。シャブ(覚せい剤)だけでなく、ヤミ金で働くようになります。東京・神田のヤミ金です。
ここで、しつこさがあれば、たいがいのことはうまくいく。これを身につけた。まあ、ヤミ金で悪いことをしただけでなく、いいことも身につけたということなんでしょうね...。
著者は38歳で弁護士になり、現在46歳。事件処理はともかくとして、仕事をとってくる能力はひけをとらないと自負している。もちろん、昔のヤクザ稼業の人脈には頼らない。
著者は、大平光代弁護士の本を読んで発奮した。
まず宅建試験を目ざし、次に司法書士試験に合格した。そして、司法試験も一発合格です。すごいですね...。
そのコツは、朝型の生活リズムを崩さない。ケータイをもたない。東京の仲間に連絡しない。麻雀などギャンブルをしない。これを自分のルールとした。執行猶予の判決をもらって7年間かけて司法試験に合格した。いやはや、すごいことです。
読んでいて元気の湧いてくる本でした。人間はやはり変わることができるのですね...。
(2023年6月刊。1540円)
2023年6月 7日
「弁護士をめざす君へ、弁護士になった君たちへ」
(霧山昴)
著者 草刈 鋭市 、 出版 とりい書房
福岡の出身で今は東京で弁護士をしている著者が、40年間の弁護士生活を踏まえて、弁護士としていかに生きるべきかを問いかけている本です。かなり正直に告白しているところもあり、著者より少しだけ経験の長い私にも共感できるところが多々ありました。
巻頭言で驚いたのは、「私の弁護士生活はまだ終わっていないし、否むしろ、これから弁護士としての生き方を変えていきたいと考えている」とあるところです。もはや私には、今さら「弁護士としての生き方を変え」たいとは思いません。もう、そんな時間的余裕はないと自覚しています。これまでどおりのことをやっていく、むしろ少しずつ扱う仕事の分野を狭め、弁護士としての時間も削っていくつもりです。
著者は、弁護士ほど難しい商売はないと言います。これは、どうでしょうか...。
裁判官、検察官は一部のエリート以外は屈折した人生を送るのに比して、弁護士は成功者か落伍者かの区別は容易ではない。この点は、やや異論があります。私の同期は、すでに最高裁長官も検事総長も輩出していますが、いずれも退官後は、大変な「重圧」を受けていると見聞しています。私のように、自由に事件を選択して受任できませんし、法廷に出ることもありえません。私的な会合には出席しているのでしょうが、公の席への参加も容易ではないでしょう。エリートをきわめるというのも、きっと、とんだ重荷を背負うものなんですよね...。
若いうちは、多方面の相談、事件を受けて経験と知識を身につけるべき。お金を稼ぐのはそれから(そのあと)でもよい。これは、まったく同感です。初めから分不相応の高給取りだなんて人生を間違う危険があります。初めのうちは「搾取されている」と実感しているくらいで良いと思います。それより何より、仕事の面白さ、そして多くの人に感謝され、喜ばれていることを実感する(できる)ことが大切だと思います。
弁護士としての活動の幅を広げるのは人脈の多さ、多様さ。それがお金を稼ぐことにつながる。これにも異論はありません。
著者は、人脈づくりには2種類あり、自然にできてくるものと、意図的につくり出すものの二つがあり、バランスよく形成したいとしています。なーるほど、ですね。地方の小都市、つまり「弁護士過疎地」で活動している私は、自然にできてくる人脈だけで、それこそ十分すぎるほどでした。
弁護士として、まめに記録の整理をすべきだという著者の提案には大賛成です。著者は80冊もの著者があるとのことです(私もハウツーものや旅行記をふくめ、自費出版もあわせて50冊ほど出版しています)が、これは、折にふれて事件などのファイルを整理し、分類しているからできたことです。私は高校生のときから、テストが近づくと机のまわりを整理して、身辺とともに頭をすっきりさせるのを習慣としてきました。
著者の訴訟の勝率が優に5割をこえ、3分の2もこえているとのこと。まあ、私も客観的には、そうかもしれませんが、手痛い敗訴、とうてい納得できない敗訴を何度となく味わいましたので、勝訴5割以上なんて、とても言いたくありません。なかでも、全力を傾けた住民訴訟は連戦連敗でした。これが、私にとって裁判官不信の最大の原因になっています。強いもの(行政)には、とことん弱い、これが裁判官だと身にしみました。
弁護士は、信頼者・相談者の長話を嫌うというのは、私にもあてはまります。私の短所の一つがそこにあります。なので、私は調停委員にはなりたくありません(幸い、お呼びもかかりませんでした)。
弁護士は、世の中の事象のほんのわずかなことしか知らない。これは、まったくそのとおりです。でも、私はそれを自覚しているからこそ、依頼者の仕事の実際を根ほり葉ほり聞いて、耳学問につとめるようにしています。
私の『弁護士のしごと』(花伝社)とあわせて、広く読まれてほしい本です。
(2023年4月刊。650円)
2023年6月 6日
塀の中のおばあさん
(霧山昴)
著者 猪熊 律子 、 出版 角川 新書
日本全国に女性刑務所は11。近くは佐賀県鳥栖市に麓(ふもと)刑務所がある。
2020年の新しい受刑者は1万6620人。男性1万4850人、女性1770人。5年連続で戦後最少を更新。戦後、最多は7万727人(1948年)。平成時代の最多は3万3032人(2006年)。男性は著しく減少したが、女性は高止まりの傾向にある。
入所受刑者全体の中で女性は10.6%、2020年に初めて10%を超えた。1946年には2.5%、1989年には4.2%。65歳以上の高齢女性は、1989年の1.9%が、今や19%と10倍に増えた。男性は65歳以上は12.2%。女性全体で最多年齢は40代で26.1%。
女性受刑者の犯罪は、窃盗46.7%、覚せい剤取締法違反が35.7%。
窃盗は、「万引き」が多い。刑務所は今や福祉施設化している。
受刑のうち暴力団関係者は、30年前の1990年には4人に1人(24.7%)だったが、今では25人に1人(4.2%)。
2020年に検察庁が受理した80万人のうち起訴されたのは25万人で、裁判所で有罪判決を受けたのは22万人。そのうち刑務所に入ったのは1万7千人。
刑務所は朝6時半に起床し、午後9時に消灯。刑務作業は、平日のみで、土日は自室で過ごす。部屋にはテレビがある。しかし、24時間、監視され、自由もプライバシーもない。
管理され続けると、自分の頭で考えるのを、やめてしまう。
「刑務所にいるほうが気持ちがすごく楽」
「社会にいたら独りでポツンとしている。刑務所だと刑務官から声をかけてもらえる」
繰り返し刑務所に来る受刑者が多い。負の回転扉という。刑を終えて社会復帰しようにも戻るべき家がない、出迎えてくれる人もいないという高齢者が多い。
名古屋にある笠松刑務所は官民協働型の刑務所。370人の入所者が5つの寮に分かれて暮らす。65歳以上の割合は2割、最高齢は87歳。
炊事係の確保に苦労している。体力を要する仕事に耐えられない収容者が多いからだ。受刑者のなかに認知症の疑いのある人が今や14%にまで増えている。
刑務所での生活費は被収容者あたり1日2200円、年間80万円、このほか、職員の人件費や施設運営費まで含めると、収容者1人あたり年間450万円になる。
人口10万人あたりの刑務所収容者は、アメリカの505人に対して、日本は36人。OECDのうち最も少ない。
起訴猶予、執行猶予制度のおかげ。問題解決能力が低く、自分を大切にする自尊感情も低い。一人の人間として尊重された経験が少ないから、自分も他人に対してどう接してよいか分からず、どうされたいかも分からない。高齢者に冷たい日本社会が刑務所に閉じ込めているのですね...。状況は深刻です。
(2023年3月刊。940円+税)
2023年6月 2日
「負けへんで!」
(霧山昴)
著者 山岸 忍 、 出版 文芸春秋
東証一部上場企業(プレサンス)の社長が横領罪で逮捕され、長い苦難のたたかいの末に無罪判決を勝ち取った。検察は控訴することなく、一審で無罪が確定した事件を当の本人が逮捕されてから保釈されるまでの心の葛藤をリアルに明らかにしています。それは「負けへんで!」というタイトルに反して、もう負けそう、どないかして、という悲鳴の叫び声に充ち満ちています。なるほど、8ヶ月も勾留生活が続いたら、誰だって心が折れそうになるよね、そう思わせる手記になっています。
著者は大企業の社長でしたから、弁護団を次々に拡充していくことができ、まさしく最強の弁護団チームを確保できました。国選弁護人では、とても無理なことです。国選弁護人は原則として1人ですし、特別チームをつくることが認められても、オウム事件のときでも5人も6人もついていたとは思えません...。
否認事件なので、弁護人は黙秘をすすめる。しかし、著者は「何にも悪いことしていない」「そんな卑怯なことはしたくない」「潔白だから、黙秘なんて卑怯なことをする必要はない」と、断乎として主張し、弁護人と衝突した。ここは、やはり弁護人の言うとおりに黙秘すべきなのです。黙秘は卑怯どころか、勇気あるたたかいなのです。
ちゃんと説明したら、検察官も本当のことを分かってもらえる。これは、まったくの幻想、つまり誤解なのです。
検察官は一体となって被疑者・被告人を有罪としようとがんばります。検察の威信をかけるのです。
著者は警察の留置場ではなく、拘置所に入れられ、そこの取調室で検事の取り調べを受けた。
突然、世間から隔離され、毎日ひとりの人間だけに問い詰められる。恐怖と絶望にさいなまれる状況で、狭い空間のなか膨大な時間をともにする検察官は「神」のような存在に肥大化していくのです。
著者は山口智子検事だけが頼りに思えた。山口検事と話をしている間だけ、ホッとできた。心にしみ入る孤独から救ってくれたのは山口検事だけだった。いやはや、なんという間違いでしょう。
否認事件で保釈が認められるのは難しい。ゴーン事件では保釈中に逃亡してしまったことから、裁判所も容易には保釈を認めない。そこで、弁護団は6度目の請求のとき保釈の許可条件を工夫した。ケータイの使用期限、自宅に監視カメラ、弁護人の事務所への出頭、そして銀行預金の支払い停止。
最後の条件は、大金を持って外国へ逃亡することのないようにするためのもの。さすが大企業の社長となると、違うものです。結果として、ついに7億円の保証金で保釈が認められました。
この事件では検察官による取調状況が録音・録画されています。そして、ついに法廷の一部で、その録画部分が再現されたのでした。録画の画面では、取調官の顔は見れない。私は、まだ体験したことがありません。
閉じ込められた状態で長時間の取調べが続くので、そのなかで検事の言うことに「違います」と反論し続けるには、すさまじい気力と根気がいる。
刑事弁護人として名高い秋田真仁弁護士は、反対尋問というのは「寸止めして逃げる」が鉄則だと強調している。まったく、そのとおりです。攻めすぎると、相手に言い訳させてしまう。弁解の言葉を引き出させることになってしまう。
でも、刑事弁護では、攻めるものではない。論破することが目的ではない。お客さまを論破しようとするのは、間違い。刑事裁判は、あくまで減点主義。相手をやっつけてやろうなどと考えないこと。
大阪地検特捜部が無理な見込み捜査をして起訴したというのが、この本を読んだ感想です。村木事件もそうでしたよね。映画『ウィニー』もそうでした。この事件で少しは改められたのでしょうか...。実際のところ、検察が反省したとは、とても期待できません。
(2023年5月刊。1700円+税)
2023年5月17日
地方弁護士の役割と在り方(第1巻)
(霧山昴)
著者 千田 實 、 出版 エムジェエム出版部
田舎弁護士(いなべん)を自称する岩手県一関市で活動している若者が80歳になって刊行した記念本の4冊目。
若者は60歳から70歳までの10年間に10回をこえる手術を繰り返し、週3回の人工透析、妻から腎臓の移植を受けて健常者に近い状態に戻れたとのこと。それだけでもすごいことですね。
ちょっとマネできないのが月に1回の事務所便り(「的外」まとはずれ)です。送付先は1000人をこえ、この32年間、一度も休んでいないそうなのです。10年間の闘病生活中も発行していたというのですから、まさしく超人的です。
手持ち事件は常時300件、ピーク時には500件。1日10件をこえる裁判を予定していて、訟廷日誌には用紙を張り足していた。そして、裁判所も盛岡、花巻、気仙沼、仙台など...。1日に4ヶ所の裁判所を駆け回ることも珍しくなかった。私も若いときがんばってましたが、これほどではありません。
こんな働き過ぎで著者は身体をこわし、糖尿病、高血圧症、そして慢性腎不全症となり人工透析を受けるようになった。
事務員はいつも10人ほどいた(今は7人)。
30年ほど前(1990年)、一関市内の弁護士は4人、今は9人。岩手県弁護士会は44人が102人となった。ところが、人口は気仙沼市は30年前に10万人だったのが、今では6万人を下回っている。裁判件数も当然のことながら減少した。
そこで、田舎弁護士(いなべん)は提唱する。
地方弁護士は裁判事件だけにとどまっていてはダメ。新たな仕事を開拓しなければいけない。たとえば、地方弁護士は家庭医的存在とならなければならない。
地方弁護士は本当に人好きにならなければならない。人好きになれば、自然に優しい顔になる。
地方弁護士は、住民があっさりと相談できるようなムードをつくらなければならない。住民が気軽に相談できるように自分を磨いておかなければならない、物事の道理をわきまえ、正しく判断し、適切に処理する能力をもつ知恵者を地方住民は求めている。これなんかは、大都市に住む住民だって同じでしょう...。
一緒に悩み、一緒に考えてくれる弁護士を住民は求めている。これも、田舎弁護士に限りませんよね。
地方弁護士は、人間が幸せに生きていくうえで必要なことの全面にわたって知恵を提供することを仕事とすべきだ。まったくそのとおりだと私も思いますが、これまた、「いなべん」だけでなく、あらゆる弁護士にとって求められているものと思います。
私は「政治改革」も「郵政改革」もまったくの間違いだったと今も考えています。小選挙区制導入なんて、ひどい政治をもたらしただけです。大阪の「維新政治」は、そのひどい政治のミニ版を再現しています。許せません。そして「郵政改革」。郵便配達がひどく遅れていて、法律事務所の業務遂行に支障をもたらしています。あと、国鉄の解体・民営化もひどい間違いでした。
自民・公明の政権って、本当に悪政のかぎりを尽くしていますが、それも投票率が4割程度しかない現状が支えています。有権者のみんなが投票所に足を運べば(期日前でもかまいませんが...)、自民・公明そして維新のごまかし、冷たい政治にストップをかけることができます。あきらめたら、世の中は悪くなるばかりなんです。
「司法改革」については異論もありますが、貴重な提言がたくさんある小冊子です。
(2023年4月刊。1650円)
2023年5月15日
近代日本における勧解・調停
(霧山昴)
著者 林 真貴子 、 出版 大阪大学出版会
明治時代、日本人は今では信じられないほど臆せず裁判を利用していました。なので、日本人は昔から裁判が嫌いだったなんていう俗説はまったくの間違いなのです。法社会学者として高名な川島武宣は私が大学に入ってからすぐに知り、とても尊敬する学者ですが、同じような過ちをおかしています。
日本の裁判制度は明治に入ってフランスやドイツの法伸を直輸入していて、江戸時代までの裁判手続とは縁もゆかりもないというのも不正確のようです。
この本では、明治期の法制度について、江戸時代的要素の強い連続面もあり、西洋由来の法制度という断絶面とは、ウラとオモテとして、同時に存在していたとされています。私も同感です。
勧解は、明治期に導入されたもので、区裁判所(治安裁判所)において裁判官が紛争解決を勧める制度。非常によく利用された。勧解は本人出頭が原則で訴状や証拠書類を必要とせず、口頭で申立できた。費用は実費で(安いということ)、敗訴者負担もない。法律にこだわらす、実情に応じた解決が目ざされた。
勧解は1875(明治8)年8月から、東京で、次に12月から全国で行われた。
勧解を担当したのは原則として判事補。そして、本人訴訟が原則だったが、実は、代言人などが代理人をつとめていた。勧解での代理を業とする人々までいた。
私は本書を読むまで、勧解ができたので裁判が多かったと思い込んでいましたが、実は、裁判が急激に増加したことから、その対処策として勧解が導入されたのでした。原因と結果が真逆というわけです。この勧解は、フランスの勧解制度を制度に継受したもの。
勧解は、商事にかかり急速を要する案件と諸官庁に対する事件は除外された。なーるほど、ですね。
勧解制度は、1875(明治8)年に成立し、1891の民事訴訟法の施行とともに消滅した。
労働紛争において勧解の利用率は高かった。使用者側からは、職場から逃げ出した労働者を連れ戻そうとした。労働者側からは、不払い賃金を請求した。
使用者側から雇人を取り戻す裁判が次々に提起されたが、その多く、約半数は請求が棄却された。また、債務者側に有利な借金整理案が示されていたようです。ちっとも知りませんでした。
債務者からの申立は審理期間が短く、調停の成功率は8割近いほど高かった。
勧解は非常によく利用された制度であり、この制度は急激に増加した裁判件数の軽減を狙ったもの。
とても実証的な記述のオンパレードでした。明治初~中期の日本の裁判制度の運用状況を知ることができ、大変面白く読み通しました。
(2022年10月刊。6400円+税)