弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2009年11月 4日

水神(上・下)

著者 帚木 蓬生、 出版 新潮社

 いやあ、実にすごいです。読み始めて2日のうちに、一気に読了しました。いつもの車中読書ですが、まったく外界の雑音が耳に入ってきませんでした。いつのまにか終点の駅についています。もちろん、あいまに仕事はしたのですが、読みかけていますから、次の展開が気になってしかたありませんでした。
 著者の本はかなり読んでいますが、これは筑後川につくられた大石堰が舞台ですから、余計に身近な話として、ぐいぐい作品の情景に引きずり込まれました。なにしろ、その情景描写が細やかなのです。まるで眼前に筑後川がながれ、にもかかわらず、田圃には水が流れないため日照りで百姓は食い詰めてしまう様子が生々しく、迫真の筆致で描かれます。
 筑後川から日がな一日、ずっと2人一組の人力で水をくみ上げる作業をする片足の悪い百姓が登場し、その愛犬ゴンが動き回ります。そして、下級奉行が村々を見て廻り、ついには大石堰のためにわが身をささげてしまうのです。すごいです。涙がにじみ出ます
 筑後川周辺の利水のために、5人の庄屋が久留米・有馬藩主に対して堰の構築を嘆願します。その財政的裏付けは、自分たち庄屋の自己負担。万一、失敗したら、5人の庄屋は財産没収ではすみません。はりつけ死罪です。現に工事が始まったとき、失敗に備えてはりつけのための処刑台が5本、近くにこれ見よがしに建てられたのです。
 反対する庄屋もいました。ひどい妨害にもめげず、自分の全財産を投げうって、工事着工を実現していくのです。著者の筆致はよどみなく、タンタンタンと、陣太鼓の音まで聞こえてきそうです。こんな良質な小説を読むと、心のなかまで清々しくなります。
「大石堰の方で、狼煙(のろし)があがったぞ」誰かが叫んだ。頭を巡らすと、白い煙が少しかしぎながら青い空に吸い寄せられていくのが見えた。
「いよいよ、水が来るぞ」別の村人が声を上げる。
 「水が来たぞ」村の方で何人もが叫んでいる。水路に沿って駆け出した若者もいたが、すぐに走りやめる。代わりに吠えながら猛然と走りだしたのはゴンだった。水は真新しい溝渠の中を波頭を立てて迫っていた。黒々とした流れの先端に、白い波しぶきが見えた。ゴンはさらに吠えかかろうとしたが、かなわぬと見て尾を巻いて駆け戻ってくる。
龍だ、と助左衛門(五庄屋の一人)は思った。龍が頭を高く、あるいは低くして、白髭をひくつかせて攻め寄って来る。誰もが立ち上がり、水路に吸い寄せられたときには、龍の頭はもう十数間先に走り去り、今は黒々としてうねる背中がみえるだけだ。しかもその龍の背は、側壁を削るかのように膨らみ、ある所では杭に当たって白いしぶきを上げた。
「子供には気をつけろ」伊八が叫んでいる。次兵衛と志をが三人の子供の手を引いている後ろで、次兵衛の母親が手を合わせていた。目を閉じ、念仏のようなものを唱えている。
 すごい描写ですよね。堰が出来て、水門が開けられてやってきた水流が龍のように躍動している様子をしっかりと思い浮かべることができます。これからも、たくさん書いてください。
 11月28日(土)午後3時から、北九州の厚生年金会館で帚木氏に今度は精神科医として依存症について講演していただくことになっています(入場料500円。全国クレサラ対協のHPを参照してください)。
 私は、今から大いに楽しみにしています。
 この筑後川の堰渠を構造するについては、長い歴史があったようです。『久留米市史』第2巻735頁から30頁ほど詳細な経過が述べられています。
 寛文3年(1663年)に大干ばつで作物が全滅状態となったため、五庄屋が誓詞血判して藩庁へ出願したこと、反対運動が起きたこと、夜間に提灯をともして土地の高低を測量したこと、失敗したら磔(はりつけ)の刑に処することになって、工事開始の直後に5つの磔台が建てられたこと、藩営事業として正式に工事が始まり、工事は人夫1万5千人によって2ヶ月間で無事に完成したことなどが記述されています。

(2009年8月刊。1500円+税)

2009年10月29日

弁護士のマインド

著者 田中 宏、 出版 弘文堂

 私もよく知っている札幌の熱血弁護士が法科大学院で院生を相手に、弁護士とは何かを熱く語った講義内容を本にしたものです。いやはや、さすがによく勉強しています。感心しました。
 弁護士が知っておくべき法曹倫理が、過去の歴史を踏まえて具体的に語られています。あげられている実例が、すさまじいのです。
 六本木ヒルズに事務所を構えていた国際弁護士は、証券会社に130億円以上の損害をあたえて失踪し、いまもって行方不明だといいます。奈良の弁護士が10億円もの横領で懲役6年4ヶ月の実刑。山梨県弁護士会の元会長は、2億円の横領で懲役6年の実刑。
 事件屋みたいな人物と提携して債務整理に弁護士名義を貸して懲戒処分を受けた弁護士は、60代(68人のうち33人)、70代(11人)、80代(2人)、90代(2人)と高齢者が多い。弁護士経験25年以上が53人もいます。そして、再犯率は高く、半分近くが再犯し、3回も4回も懲戒処分を受けた弁護士が12人もいる。
 うへーっ、実にあきれてしまいます。著者はアメリカのアンビュランス・チェーサーを情けない限りだと非難しています。先日、私の読んだアメリカの弁護士は、いいじゃないですか、それで保険会社の横暴が止められるのであれば、と語っていました。なるほど、それにも一理ありますよね。
 弁護士の報酬については、弁護士会の報酬規定が独占禁止法違反に該当するという指摘を受けたことから廃止され、今や自由契約となっています。そうはいっても、裁判に経験のない一般市民の便宜のため、報酬の目安を示すためのアンケート調査を実施し、その回答を集約して、コメントをつけた簡単なリーフレットを作っています。私は、その作成に8年ほども関わっています。かつては、報酬契約書を取り交わすことは全くありませんでしたが、今では、取り交わさないことが特殊な状況にあります。
 弁護士をめぐる状況について論じるなら、やや観点は異なりますが、弁護士業務妨害も触れてほしかったと思いました。大阪の弁護士だったと思いますが、ちょっとした「ミス」から脅迫されるようになり、その支払いのために横領を重ねていたという事件がありました。横領の原因が「ミス」であり、それをネタに脅しをかけてくる「依頼者」も存在するという現実があります。弁護士の職業が生易しいものではないことを、多くの法科大学院生に知ってほしいと思いました。
 それにしても、400頁ほどの本に、法曹倫理をよくぞコンパクトにまとめていただきました。ありがとうございます。今後ますますのご活躍を祈念します。
 著者は、良い弁護士になるためには、謙虚な人、誠実な人、器の大きい人、そして努力し続けることを心がけることだと強調しています。私も同感です

 対馬に行ってきました。5月に全島を真っ白に染めるというヒトツバタゴは葉を落していました。
 宗家の墓所に参りましたが、お寺の裏山のようなところに階段が一直線に続いています。樹齢1000年という大きな杉の木が3本たっていました。
 武家屋敷跡の石壁が見事でした。町のあちこちに残っています。
 夜は海に漁火が見えました。イカ釣り船の集漁灯です。半月が皓々と輝き、そのすぐ下に金星が見えました。
 壱岐は何度か行きましたが、対馬は初めてでした。ニホンミツバチのハチミツを一瓶(3000円)おみやげに買って帰りました。
 
(2009年10月刊。2800円+税)

2009年10月21日

日本の殺人

著者 河合 幹雄、 出版 ちくま新書

 こんな本を読むと、学者ってホント偉大な存在だ、とつくづくそう思います。だって、目をそむけたくなるような凄惨ないし残虐な殺人現場の写真を自分は見て、それを読者には示さず、殺人犯の処遇を読者に考えてもらうわけなんです。その大変な仕事に対して、ご苦労さまと心より労をねぎらいたくなります。
 殺人犯が社会復帰することについて、著者は次のようなたとえをあげています。
 毒蛇も熊も蜂も、毎年、何人もの人間の生命を奪う恐ろしい存在である。しかし、これらの生きものは同じ世界に人間と共存している。
 悪者だからといって、人間をせん滅できないからオリに入れておくという考えから、アメリカでは200万人もの人が刑務所に閉じ込められている。日本では、せいぜい10万人である。
 死刑に犯罪を抑止する効果のないことは実証されている。そうなんですよね。でも、案外このことは知られていません。
 日本では、犯罪への対処として、一部の人々ががんばる一方、残りの一般市民は何も知らずに安心してきた。その仕組みが、もはや維持できなくなっている。少し真剣に考えたら、犯罪者には厳罰でいいという単純な発想だけでは、いずれ刑務所を出てきて、一般市民と共存していくしかないことを考えていないことに気づくはずだ……。
 他人におまかせしてしまうと、楽ではある。しかし、裁判員になったとき、多くの人々がしっかり社会を支えていることを法廷で確認でき、実感できたら、それだけでも大きな意味がある。そして、悩み迷うことが人生を生きることであり、社会参加そのものなのだ……。
 いやあ、実に見事な指摘です。感心します。
 日本には、強盗殺人で無期懲役になったが、仮釈放されている人々が数百人おり、その人々が事件を起こしていないという奇跡的な現象がある。うむむ、そうだったんですね。
 日本で実質的な殺人は、年間800件くらい。そして、日本の殺人事件の典型は心中である。そして殺人事件のうち、半分近くが親族による犯行である。そういえば、福岡の裁判員裁判の第2号となった久留米の殺人事件も、父親が息子を殺した事件でした。
 年間200人も被害者のいる配偶者殺しのなかでは、病気が原因で自殺を企図したものが大半。男女の心中で片方が生き残ったケースでは、心中の失敗というより、もともと片方は死ぬ気はなく、相手の心中物語に引きずられたが、最後の瞬間になってようやく逃れたと理解できる。
 うへーっ、そういうことなんですね……。
 殺人事件をお酒のせいにするのは無理であり、もともと凶暴な人間が犯人である。
 銃の保持率でいうと、国民皆兵のスイスは高いが、銃による殺人事件はアメリカと比べて大幅に少ない。つまり、アメリカの殺人事件の多さを銃のせいにするのは、基本的な誤りである。
 日本の夜道が安全であることは、強姦の統計で分かる。事件が少ないし、その発生場所は住宅内が半分を占め、路上は14%に過ぎない。もちろん、届け出のない事件もあるが、それにしても日本が年2000件の届け出であるのに対して、アメリカでは20万件、つまり100倍にもなっている。
 1980年代以降の15年間に、夫に殺された妻は15人、妻に殺された夫は26人、それまでと逆転している。妻が加害者の30件のうち、25件について共犯者がいる。
 統合失調症の人のうち、9割以上は犯罪と無縁の人々である。精神病を犯罪の原因とすることは、科学的には否定されている。
 日本では殺人事件の大半は家族が犯人である。
 捜査本部が設置される事件は、全国に年間100~150件。そのうち数十件で死体が隠ぺいされている。そして、平均して6ヶ月で8割が解決している。
 刑務所は、犯罪の学校の機能を果たしている結果がある。
 刑務所で殺人犯は、もっとも手のかからない、問題の少ない人たちだと刑務官は体験を通して語る。
 大多数の国で死刑は実施されていない。死刑を執行しているのは、中国、アメリカ、そして日本くらいのもの。EUでも世論は死刑廃止に反対しているが、死刑は執行されていないし、死刑制度の廃止がEU加盟の条件となっている。
 本当に悪い奴は死刑にならない。
 わずか260頁ほどの薄っぺらな新書版ですが、ずしりと重たく感じる本でした。一読を強くおすすめします。
 
(2009年6月刊。780円+税)

2009年9月24日

最高裁判所は変わったか

著者 滝井 繁男、 出版 岩波書店

 2002年から2006年までの4年間、最高裁判所の判事だった著者が体験をふまえて最高裁の現状を報告しています。弁護士界の中に「過払いバブル」というべき現象が起きていますが、著者は貸金業者の超高金利は支払った債務者へ返すべきだという最高裁判決をリードしました。
 体験記なので語り尽くすというわけにはいかないのでしょうが、それなりに最高裁の内情が伝わってきて一気に面白く読めました。
 最高裁判事になるには、4人の弁護士枠の場合、弁護士会内の推薦手続を経なければなりません。今のところ、一人の例外を除いて東京と大阪で独占しているという問題点があります。
 アメリカみたいに50代で斬新な考えを持った人が最高裁判事になっても良さそうですが、みんな60歳すぎの人ばかりです。それでも、弁護士枠はそれなりに内部手続がありますが、行政や学者の枠となると、まさに当局側による一本釣りでしかありません。
 いま、行政出身の最高裁判事の一人(女性)は大牟田出身です。少しは庶民感覚を持っていることに期待したいものですが…。
 最高裁が国会の定めた法令を違憲としたのは、過去に8件のみ。ただそのうち3件までは2001年以降に出ている。
 最高裁に持ち込まれる民事・上告事件は、年間7000件近い。そのため、一つの小法廷で扱うのも2000件をこえる。このほかに抗告事件もある。
 最高裁には調査官がいて、報告書が作られる。最高裁判事はまず調査官報告書を読む。そのうえで上告理由書を読み検討し必要なときには記録にあたる。
 最高裁の判事が審議するのは、週に1回か2回。小法廷ごとに異なる定例日に開かれる。調査官も同席するが、求められたときのみ発言する。
 主任裁判官は事件ごとに機械的に決まっている。審議室で取り扱うのは、1回3~5件。
 最高裁の法廷で弁論があるのは原判決が変更されるときだという慣例が確立しています。しかし、それは昭和40年代まではなかったということです。
 私も、一般民事事件で2度、最高裁の法廷に立ちました。通行権と交通事故でした。この2件ともなぜ負かされるのか納得できませんでしたので、当日、口頭弁論してみました。書いたものを読み上げるだけの弁護士が多いそうですが、そんなことはしませんでした。とはいっても、話した内容に自信があったわけでもありません。私は法廷で話しながら判事たちの反応をうかがいましたが、悲しいかな何の手応えもありませんでした。ああ、単なるセレモニーなんだなと実感して、悲しくなりました。そのとき大学生として東京にいた息子と娘を傍聴させていましたので、親としては良かったのですが……。
 著者は何回か印象に残る弁論を耳にしたそうです。ともかく、法廷で書いたものを読み上げるだけなんて、最低です。やっぱり聞かせる工夫は必要だと思います。
 刑事事件について、下級審の記録を読んで次のような印象を持ったそうです。
 裁判所には、罪を犯した者は逃してはならないという気持ちが根底に強いのではないか。果たして疑わしきは被告人の利益にという鉄則を考慮していたのか疑わせるものがある…。うむむ、なるほど、これは私の日頃の実感でもあります。
 裁判員裁判に反対する意見の多くは市民を入れることに反対するというものです。しかし、先ほどのような意識の裁判官に全部任せていいものでしょうか。それよりよほど裁判とは無縁だったフツーの市民を交えて議論した方がいいと私は思います。
 このところ、最高裁は利息制限法に絡むものばかりでなく、いろいろ画期的な判決を出して世間の耳目を集めています。かえって、下級審の方が旧態依然の判決を出して失望させることも多いのです。
 司法改革論議に個々の最高裁判事はまったく関与していないというのは、気になりました。
 4年間お疲れ様でした。ぜひ今後ともお元気にご活躍下さい。
(2009年7月刊。2800円+税

2009年9月 4日

やつらはどこから

著者 髙木 國雄、 出版 作品社

 うむむ、これはよくできた小説だ。思わず、唸ってしまいました。情景描写といい、筋の運びといい、とにかく冴えわたっています。感心、感嘆。私もこんな小説を書きたいと思いました。オビの文句を紹介します。まったく異存ありません。
 中学生の息子を襲う恐喝といじめ。税理士の父親への無法な強請り、たかり。現代日本に生起する荒廃の日常を活写する、現職弁護士による異色の小説集。
 6つの独立した短編集から成る本です。私より6歳年長の東京の弁護士です。
 あとがきによると、文芸同人誌に発表した11篇のうちの6篇に、少しだけ加筆・修正したものだということです。
 慌ただしく動き回ることと、その目的を精一杯果たしたいと焦燥に駆られる日常に、突然訪れたものであったからこそ、予期しない感動が鮮明だったのかもしれない。
 感動の本体は、人の言動であったり、ある物事自体であったりしたが、いったん確かに見聞し体験して触れたと思ったその中身は、時の経過とともに薄らいで、いつの間にか消えていった。それでも、書き進むという作業を繰り返す中でのほんのたまに、心の裡に感動の一部がよみがえったと思える瞬間があった。そのわずかな一時だけは、書くという手の作業が感動を確かに言葉に結びつけている、といった思いになれた。
 しかし、そんな充実した思いも長くは続かない。振り返ってみると、相変わらず馴れになってしまった、とりとめのない物事に埋没して動き回る日々を過ごしてきた。
 銀行の支店長に騙されて企業が倒産。DV夫から逃れようとする妻。頼まれて借金とり退治に精を出す坊さん。交通事故の真相を究明しようとするけれど、警察はそんなことにかまってくれない。
 他者をいじめる本性を持つのは、大人、子どもを問わず、狙う相手を探している。誰でもいわけではない、犠牲者は選別している。その選別のとっかかりとして、小出しに相手をつつき、叩いて、様子をうかがう。不条理な暴力や要求に断固として反発し抗議する相手方であれば踏み込めないのであって、反撃が弱く、態度があいまいな場合に限って、暴力はエスカレートする。つまり、いじめが本格化する。
 子ども社会で不条理な虐待を避けるには、その始期にはっきり反撃する態度、つまり仕掛けられたケンカへ正面からかみつき払い落す姿勢を身に着けているかどうかがポイント。いじめにあった子どもに共通するものは、最初の、いじめが始まるときに断固とした反発・反撃がまったくない、ということ。うむむ、なるほど、そういうことなんですね。
 ただ弁護士を長くやっていれば、立派な小説をかけるということではありません。やはり日常不断の研ぎ澄まされた感性が必要のようです。
 サンモリッツの3日目の夕食は、町の中心部にある広場に面した「ステファニィ」というレストランでとりました。店の外のテラス席です。メニューを眺めていると、日本語のもありますよと声がかかり、すぐに持ってきてくれました。
 魚は、舌ビラメのグリエ、そして肉は仔牛のチューリッヒ風というホワイトソースのたっぷりかかったものを注文しました。あと、サラダです。イタリアのワインを注文したら、カラフで持ってきましょうか、とボーイさんが言ってくれたので、お願いしました。
 観光客が広場をゾロゾロ歩いているのを見ながら、そして見られながら食事をするのです。虫は飛んできません。涼しいというより、少し寒さを感じるほどですので、イタリアの赤ワインを飲んで身体を温めました。
 子どもを連れた家族連れで、テーブルはどんどん埋まっていきます。日本人の大家族もやってきましたが、外のテーブルは満席なので、店内に案内をされました。広場に面した端のテーブルに中高年の日本人おじさん2人組も座りました。サンモリッツはどこでも日本人をよく見かけます。
 ワインを味わいつつ、道行く人を眺めながらゆったりと過ごしました。日本でこんな夕食をとることはありません。
 
(2005年1月刊。1500円+税)

2009年8月21日

社長解任

著者 大塚 和成・寺田 昌弘、 出版 毎日新聞社

 株主パワーの衝撃、というサブタイトルのついた本です。経験豊富な中堅弁護士による実践を踏まえた解説ですので、面白く読めて大変勉強にもなりました。
 上場企業の社長が、いわゆるモノ言う株主からの圧力によって株主総会の決議でクビになる例が多発している。株主によって社長がクビになる時代が到来した。しかも、投資ファンド株主である。
 なぜ、そんなことが起こるのか?
①大幅な営業不振、②有効な対策を取らない、経営者としての能力の欠如、③株主軽視の姿勢。
 アデランス、シャルレ、すかいらーく、日本精密、テークスグループなどの実例が分析されています。
 株主構成が変化している。不特定多数の株主投資家の手に渡った。投資家の多くは、株式市場から利益(リターン)を挙げることを目的として投資している。だから、もちつもたれつ、お互いさま、という意識に乏しい。ファンド株主は、モノ言う株主である。
 結論として、買収防衛策やホワイトナイト、非上場化には一定の効用はあるものの、社長がクビになることを絶対に防げるわけではない。
 買収防衛策の本来的目的は、時間稼ぎと情報の引き出しにあり、効用もその点に限られる。
 議決権行使書面と委任状とでは、前後を問わず、常に委任状が有効である。
 金券と引き換えに委任状を得ようとする行為は、会社法に反する。会社法120条1項は、株式会社は、何人に対しても、株主の権利の行使に関し、財産上の利益の供与をしてはならないと規定している。
 うーん、ちっとも知りませんでした。少しだけ賢くなりました。

(2009年6月刊。952円+税)

2009年8月 9日

家族

著者 小杉健治、出版社 双葉社

 5月にTBS「月曜ゴールデン」で放映された裁判員裁判をめぐる法廷ミステリー番組のもとになった本です。市民向けの法律講座でこのテレビドラマを上映しました。なかなかよく出来ていて、思わずもらい涙が浮かんだところで打ち切られて解説が始まりました。だから、その結末はどうなったのか気にしていたところ、この原作本に出会ったのでした。
 認知症になった母親が殺され、第一発見者の長男が犯人と疑われて、マスコミ攻勢にさらされます。ところが、真犯人が別にいることが判明し、マスコミは手のひらを返したように昨日まで犯人扱いをしていた長男を悲劇のヒーローに仕立てあげるのです。
 たしかに、マスコミの過熱報道は困ったものですよね。
 裁判員となった市民への悪影響を少しでも少なくするため、弁護人のほうも、従来のようにマスコミ取材拒否一辺倒ではうまくないという議論が大勢を占めつつあります。悩ましいところですが、被告人の利益を第一義に考えると、たしかにマスコミからの取材拒否だけでいいとは思われません。
 この事件を担当する弁護士は裁判員裁判に懐疑的であり、また裁判前整理手続にも疑問をもっていた。裁判官、検察官、弁護人の三者で法廷の争点となるべきことが決められてしまうからだ。ちなみに、この裁判前整理手続には希望したら被告人も参加できます。ですから、「事前に被告人抜きで」と書いてあるところ(60頁)は、不正確な表現です。
 裁判員として選ばれた市民の反応がよく描けています。ヒマをもて余しているような人たちだけで6人の裁判員が占められてしまったら困ります。やはり、多様な市民の生きた感覚を刑事裁判にも反映させようというわけですから、忙しくてたまらないという人にもぜひ登場してもらう必要があります。そのとき、単に忙しいからといって審理があまりに簡単化させられたらうまくありません。
 この本が類書になくて違っているのは、素人の裁判員が証人調べのときなどに積極的に質問をくり出していたことです。
 女性の裁判員が法廷で質問をはじめたところ、裁判官があとで叱ります。
 裁判員の一人が叫びます。「我々を選んだのは、そっちですよ。はじめから法律知識は必要ないと言われているのに、ちょっと質問するとケチをつけられる。あくまで一般の感覚で裁判にのぞんでいるのに・・・」
 裁判員が思うように質問させてもらえないようなら帰ると怒り出すのです。あれあれ、大変なことになったものです。
 なるほど、たしかに、裁判員が、ある意味でトンチンカンな質問をすることは大いにありえます。それを必要ないからと裁判官が制止して切って捨てたりしたら、裁判員裁判はまったくのお飾りとなってしまうでしょうね。難しいところですが。考えるべき点であることは間違いありません。
 なかなかよく出来たドラマだと感心しました。
(2009年5月刊。1600円+税)

2009年8月 1日

裁くのは僕たちだ

著者 水原 秀策、 出版 東京創元社

 裁判員裁判がいよいよ始まります。なんと、裁判員が買収攻勢にあうのです。法廷が終わって、自宅に帰るまでをずっと尾行されていました。フツーの市民ですから、何の警戒心もなく、スーパーに寄り道するくらいで自宅に直行しますから、すぐに素性は分かってしまいます。そこに、「あいつを無罪にしてくれたら500万円やる。今すぐに300万円、成果が出たら200万円」、こんな声がかかったとしたら、どうでしょう。アメでだめなら、ムチもあります。
 「被告には有罪だ。死刑にしろ。死刑に出来なくても、出来る限り重い刑にしろ。さもないと、ただではおかんぞ」
 こんなアメとムチが裁判員に襲いかかったとき、裁判員のみんながすぐに裁判所か警察に届け出をしてくれたらいいのですが、どうするでしょうか……?
 この本は、『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した人が書いています。なるほど、こんな誘惑(アメ)と危険(ムチ)があるのか、と改めて自覚させられました。
 裁判員選任手続のとき、裁判長が「テレビや新聞を見てもいいけれど、それによってこの裁判について予断を持たないようにしてください」と訓示した。もちろん、そんなことは無理だ。有罪が確定的であるかのような報道に繰り返し接していたら、影響を受けないはずがない。それは裁判長だって同じこと。いかにも、「とりあえず訓示はしました」という、いいわけ用の言葉と態度だった。なーるほど、そうも言えるのですね……。
 この本の主人公は、学習塾のチェーン店の責任者をしていますので、個人塾の実態についても語られています。本筋ではありませんが、面白い指摘です。
 個人塾というシステムは、ほとんどの子どもにとって成績を伸ばすのには向いていない。伸びるのは最初の2か月のみであって、あとはぱったり止まってしまう。競争のない所に成長はない。これは人類普遍の法則である。そのくせ、個人塾は授業料が高い。
 個人塾に求められるのは、成績の向上ではなく、安心である。親にとって子どもは自分の大切なペットなのだから。
 なーるほど、そういうことなんですかね……。
 この本の最後のナゾ解き部分は、私にはとてもついていけないと思いました。あまりに著者の都合にあわせているような、無理を感じました。
 ただ、裁判員裁判が始まり、いろんな市民が参加して、2時間も3時間も真面目に討議するというのは大変なことだろうと推察します。その予行演習の一つに、この本はなるのかなと思いました。
 
(2009年5月刊。1500円+税)

2009年7月31日

雪冤

著者 大門 剛明、 出版 角川書店

 横溝正史ミステリ大賞の受賞作だということですが、なるほど、ぐいぐいと惹きつけられます。神戸からの帰りの新幹線で一心不乱に読みふけりました。
 ミステリー小説ですし、犯人捜しは、いくつものドンデン返しがあって、意外な結末を迎えるのです。したがって、粗筋を紹介するのもやめておきます。ともかく、日本の死刑制度を考えさせる一作であることは間違いありません。
 ただ、最後の謎ときの段階に至って、やや落としどころが乱暴ではなかったかと気になりました。最後まで読者を謎ときに惹きつけ、その期待を裏切らず、また意外性を持たせるというのは、とにかく至難の業だとつくづく思います。
 この本は、司法試験に苦労して合格した人が出てきたり、61歳で弁護士稼業をやめた人が出てきたり、かなり弁護士業界の内幕を知っていないと描けないような状況描写がいくつもあります。もし著者自体がその位置にいないのであれば、かなり弁護士に取材を重ねたことでしょうね。
舞台は京都です。鴨川にホームレスがいて、同志社大学やら龍谷大学の学生たちも登場してきます。殺人罪で死刑囚となった息子をもつ61歳の弁護士が、主人公のような存在で登場します。
 最近、凶悪犯罪を犯した死刑だ、すぐに死刑にしろという風潮が強まっていますが、私はそれはとても危険だと考えています。この本では、死刑執行ボタンを押す国民を抽選によって有権者から選んだらどうかという案が真面目に提案されています。死刑制度を存置するというのなら、他人にやらせずに、自分が死刑執行ボタンを押し、人間が死んでいく姿を見届けさせるべきだというのです。実際には無理なことでしょうが、それを嫌がるようだったら、死刑制度について簡単に賛成してほしくないというのは、私の率直な気持ちでもあります。
 ミステリ大賞の選書の評が最後にのっていますが、さすがに、なるほどと思う評です。
 最後のどんでん返しの連続が逆効果としか思えなかった(北村薫)。
 多少の無理筋を押してでも、最後の最後までどんでん返しを出そうとする本格ミステリ的結構に作者の心意気が感じられた(綾辻行人)。
 まことに、ミステリー小説を書くというのは難しい人生の作業だと思います。つくづくそう思いながら、私も及ばずながら似たような小説に挑戦中なのです。乞う、ご期待です。
 
(2009年5月刊。1500円+税)

2009年7月26日

「稼げる」弁護士になる方法

著者 鳥飼 重和、 出版 すばる舎リンゲージ

 タイトルからは、なんだかエゲツない稼ぎ方のノウハウでも書かれているのかと勘ぐってしまいますが、実際に読んでみると、きわめてまともなことが淡々と書かれています。
 これで、オビにあるように「今の年収を10倍にするのは容易」と言われると、私には、その気がありませんが、ええっ、そ、そうなの…と、腰が引けてしまいます。
 著者は、独立して3年目で年収が1億円の大台に乗り、6年目で年収から経費を差し引いた所得も1億円を超えたそうです。東京で、これだけのことを実現したというのは、やはり、すごいことだと田舎の弁護士として思います。日経新聞の弁護士ランキングに4年連続で登場し、今や所属弁護士が27人もいる東京の法律事務所の所長というのですから、たいしたものです。
 そんな著者は、なんと私と同世代、つまり団塊の世代でした。なんだか、私と雲泥の差がありそうです。ところが、そんな著者なのに弁護士になるのに時間がかかり、落ちこぼれだったといいます。司法試験に通算18連敗。合格したのは39歳のとき。これまた、すごい記録です。
 新しい分野を開拓していけば、仕事はたくさんある。現状を振りと考えるか、チャンスと考えるか、その違いは大きい。
 人の悩みを解決して、なおかつ自分も元気になれる。こんなにすばらしい仕事はなかなかない。いくらお金になる仕事であっても、社会の役にたち、しかも社会から評価されなければ意味がない。弁護士は、やりがいのある仕事だ。
 知恵と信用。この2つが弁護士の最大経営資源である。
 よい仕事をして、社会に貢献できれば、お金があとからついてくる、はじめからお金を追い求めるのは、本末転倒だ。
 タイトルにある「稼げる」ことは、あくまでも結果であって、理想や目的ではない。弁護士の仕事の理想は、社会の役に立つこと、困っているひとを助けること、つまり、社会正義の実現にある。この理想を追求していくと、自然にお金が付いてきて、稼げる弁護士になる。
 弁護士のつとめは依頼者と一緒に悩むことではなく、その悩みを解決すること。そのため常に冷静な目で問題に取り組む必要がある。
 1週間に1度、頭をリセットする時間を持つ方が良い。頭の中を真っ白にすると、新たな活力がみなぎってくる。遊ぶときは、仕事を忘れて、頭の中を真っ白にする。すると、ストレスが発散して、元気な自分が戻ってくる。
 なかなかいいことが書いてあります。これで年収が10倍になるとは思えませんが、前向きになるのは間違いないと、私も思います。その意味で、若手弁護士だけでなく、弁護士以外の人が読んでも面白く役に立つ本です。
 
(2009年4月刊。1500円+税)

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