弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2008年10月26日

駆け抜けた人生

著者:松本 洋一、 発行:記念誌刊行委員会

 10月半ばの土曜日、室見川ほとりの小料理屋で、故松本洋一弁護士をしのぶ会が開かれました。よく晴れた秋の日の昼下がりです。故人の遺影を前に、故人をさかなにして大いに談笑しました。ともかく「大勢集まってワイワイガヤガヤ陽気に」やることが、故人のもっとも喜ぶところだということで、参加者一同、何の異議もありません。この日は、とりわけ故人と同じ法律事務所で働いていた島内正人弁護士の独演会のようなものでした。私も久しぶりに涙が出てくるほど腹を抱えて何度も笑ってしまいました。きっと故人も「おまえら、どうしようもないやっちゃのー」と苦笑していることでしょう。ゴメンなさい!
 この本は、1991年10月21日に亡くなった故松本洋一弁護士をしのんで、翌1992年10月に発刊されています。私は、しのぶ会に向けて読み直したのです。
 以下、故松本弁護士を、生前のように松本さんと呼ばせていただきます。
 松本さんは、炭鉱で掘進夫として3年間働いた経験があります。朝鮮から引き揚げて18歳から21歳までのことです。そのあと九大法学部に入り、卒業後に福岡市役所につとめたあと、司法試験に合格します。修習13期でしたが、病気のため14期として卒業します。福岡第一法律事務所に入り、三池争議のほか、下筌ダム事件などを担当します。蜂の巣砦の攻防戦に弁護士として参加し、身体を持ち上げられて排除された経験があります。
松本さんは、今ではまったく信じられないことですが、北九州(当時は小倉)部会長に3度立候補して、ついに当選できませんでした。革新系ということで、保守系ボスの指示によってそのたびに対立候補が出てきました。3回目は、ついに同数まで追い上げたのですが、同数のときには年齢の上の者を当選者とするという、かつて自分が幹事として作った規約で敗れてしまいました。
 また、53歳のときに、北九州市長選挙に革新統一候補として立ち、接戦となりましたが、当選できませんでした。その次の選挙にも出ましたが、やはり当選には至りませんでした。
私が松本さんと一緒の弁護団になったのは、三井山野鉱ガス爆発の損害賠償請求訴訟事件です。松本さんは団長でした。このとき、松本さんは、遺族・原告団に対して「この裁判は3年で終わらせる」と約束しました。ええっ、そんなこと言っていいのかしらん。私は正直言って心配しました。しかし、本当にそうなったのです。団長としての松本さんのがんばりは、相当なものがありました。ともかく、豪快にして細心なのです。そして、弁護団会議は楽しいの一言でした。弁護団合宿のとき、みんなで映画『男はつらいよ』を見に行ったら、泊まった旅館と同じ名前のオンボロホテルが出てきて、大笑いしたこともありました。
 松本さんの会社側証人に対する反対尋問は、硬軟とりまぜ、緩急よろしく、ツボをおさえた見事なものでした。私など、ひらすら感心して見ておりました。
 松本さんは、61歳で早々と亡くなってしまいました。いやはや、本当に惜しい人を亡くしてしまったものです。16年前の本ですが、紹介するに値すると思って書きました。 
(1992年10月刊。非売品)

2008年8月19日

破産者オウム真理教

著者:阿部三郎、出版社:朝日新聞出版
 今から、もう20年近くも前のことになるかと思うと、感慨深いものがあります。
 1989年11月4日、横浜の坂本堤弁護士(33歳)とその奥さん(29歳)と長男(1歳)がオウム真理教に虐殺されてしまいました。真犯人はなかなか判明せず、「神隠し」にあったような状況が続きました。私も、坂本弁護士一家の住んでいた横浜市磯子区のアパートを日弁連の理事の一人として現地を見に行ってきました。このとき、占い師というのは、本当にあてにならない存在だということを実感したものです。誰ひとりとして犯人がオウム真理教であること、既に全員が殺害されていること、3人の遺体は分散して山中に埋められていることを当てることはできませんでした。
 この本は、そんな殺人者集団であるオウム真理教に破産管財人として関わった弁護士の体験記です。私も弁護士として、大いに勉強になりました。それにしても、こんな犯罪者集団に今なお「信者」がいて、活発に活動しているという世の中の不可思議さに、驚きを禁じえません。いったい、世の中って、どうなっているんでしょうか・・・。これって、冤罪でもなければ、国家権力による不当弾圧事件でもないと私は確信しています。
 東京の公証役場事務長拉致事件が起きたのは1995年2月末。事務長の妹がオウム真理教の信者であり、逃げ出したために、その所在を聞き出すために拉致されて麻酔薬を注射され、翌日には死亡した。そして遺体は上九一色村内の教団施設で焼却されていた。
 そして翌3月の20日に、地下鉄サリン事件が発生する。私も月に1度以上は東京の地下鉄を利用していますが、霞ヶ関駅で化学兵器による無差別テロ事件が起きたのです。12人の死者と5500人のサリン中毒症の被害者が出ました。
 破産管財人を引き受けたのは、元日弁連会長。もちろん一人ではやれません。有能な弁護士補佐として、東京・大阪の4人の弁護士を常置代理人として選任しました。
 ところが、破産管財人事務所探しで難航する。それはそうでしょうね。誰だってそんなことに事務所を貸したくありませんよね。せっかくいい物件が見つかっても、全面ガラス張りだったりして、安全性の確保に難点があったりします。
 そして管財人の身辺警護のため、自宅には24時間丸ごとの警備体制がしかれるのです。外に2人、内に2人の警察官が常駐するというのですから、大変です。これが3年も続いたのです。いやあ、本当に大変なことですね。
 オウム真理教の破産申立は、はじめは被害者側がしました。しかし、それでは、破産宣告後に必要となる莫大な費用の負担が難しい。そこで、国が別に破産申立を行い、管財業務に必要な費用の多くは、国の納める予納金でまかなうことにした。いやあ、なるほど、こういう方法があったのですね・・・。なにしろ、1ヶ所の警備費用だけで月に30万円、宣告後1年間に概算4412万円というのですから、国の支援なしには、とうていできないことです。
 オウム真理教の建物の解体費用について、危険施設の解体は自衛隊の訓練になるという理屈から、自衛隊の予算から出してもらったとのこと。なーるほど、ですね。
 さらに、オウム真理教の被害者救済のため、一般的な基金をつくって、寄付の受け皿をつくったり、また、一般債権者には被害者への配当率を高めるために残債権の譲渡をしてもらったりという工夫もなされています。こうやって、被害者への配当率は37%近くにまでなったのです。
 12年間に及んだ大変な管財業務を1冊の本にコンパクトに要領よくまとめて紹介していただきました。いろいろ勉強になりました。感謝します。
(2008年6月刊。2400円+税)

2008年8月12日

冤罪を追え

著者:朝日新聞鹿児島総局、出版社:朝日新聞出版
 鹿児島で起きた志布志事件は単純な「冤罪」事件ではない。警察官(やり手と評判の警部補と署長)が無実の人に初めからありもしない「犯罪」(買収)を押しつけてデッチ上げたものだ。捜査当局が誤って罪のない人を有罪にしてしまったという「冤罪」事件とは違って、故意犯であり、悪質きわまりない。
 そこで著者は「虚罪」という言葉をつかおうとします。でも、私には、こんなときに「虚罪」というのは胸にピンときません。これって、まさに警察官の犯罪、国家権力の濫用罪そのものではありませんか。こんなとき、「虚罪」というのは、むしろあいまいな言い方に聞こえてしまいます。
 この本を読んだ私がもっとも驚いたのは、朝日新聞に対して志布志事件はおかしい、デッチ上げ事件だと内部告発していた警察官が複数いたという事実です。やはり、警察官にも正義感を失っていない人がいたのですね。こういう人がいたから、警察組織の巨悪をいささかなりともチェックできたわけです。その内部告発の勇気を私は大いにほめたたえたいと思います。
 志布志事件では、13人が公選法違反で起訴された。中山県議(当時。そして、今、再び県議)を当選させるために4回の買収会合を開いて計191万円が配られたという容疑である。被告たちは長く勾留された。最長395日間(中山県議)、最短でも87日間。
 「お前を死刑にしてやる」
 「認めれば、すぐにここから出れる」
 「認めないと地獄に行く」
 これは取調べにあたった刑事のセリフ。家宅捜索はのべ50回以上。ところが、買収の物的証拠は出てこなかった。志布志では、「うそつきは警察のはじまり」とまで言われるようになった。あちゃー、こんなことを言われるようになったら、日本の警察はガタガタと崩れてしまいますよね。
 鹿児島県警は本部9階に「公判対策室」をかまえた。担当した特捜班長など捜査の中心人物たちが裁判対策のために集められた。
 ところが、地検と県警とが裁判対策のために会合を重ねていたときの協議会議事録が朝日新聞の手に渡ったのです。それほど正義に反したひどい協議内容だったということです。検事が裁判維持で頭をかかえていたことがよく分かります。
 捜査官が取調べのとき小票(こひょう)というものをつくっていたことを私も初めて知りました。それなりに長い刑事弁護人としてのキャリアがある私でも知らないし、見たこともないものです。事実を争うような事件では、私も、この小票を出すように検察官に要求してみようかと思います。
 それにしても、志布志事件は「踏み字」といい、捜査官が闇の中で勝手放題のことをしてしまうことの恐ろしさを実感させられます。そのためにも取調の全課程を録画する必要があるというのは、よく分かります。
(2008年5月刊。1500円+税)

公事宿の研究

著者:瀧川政次郎、出版社:早稲田大学比較法研究所
 1959年に出版された本です。古本屋で入手しました。江戸時代の公事宿について研究した古典的な本です。本好きの私は、古書目録もみていますし、東京・神田の古本屋街もたまに歩いています。本が手に入らないときには、インターネットで古本として注文して入手することも多くなりました。
 江戸時代の公事宿は、公事訴訟人の依頼に応じて、訴状その他の訴訟に必要な書類を代書し、目安裏判のもらい受け、裏判消し等の訴訟手続を代行するのみならず、奉行所の命を受けて訴状の送達を行い、宿預けとなった訴訟当事者および訴訟関係人の身柄を預かるなど、公務の一端を負担していた。公事宿の制度は、江戸時代の司法制度の一翼をなしていたのである。
 公事宿には、訴訟に必要な諸書類の雛形が備え付けられてあり、公事宿の下代(げだい)などは、それによって書類を勘造していた。
 江戸時代、訴訟というのは、まだ相手方の立ち向かわない訴えであり、公事というのは対決する相手のいる訴訟事件である。訴訟には、また訴願の意もあった。
 江戸時代の訴訟は、これを出入物(でいりもの)と吟味物(ぎんみもの)との2つに大別することができる。出入物というのは、訴訟人(原告)が目安(訴状)をもって相手方(被告)を訴え、奉行(裁判官)がこれに裏書(裏判ともいう)を記載して相手方を白洲(法廷)に召喚し、返答書(答弁書)を提出せしめて対決(口頭弁論)、糺(ただし。審理)を行い、そのあと裁許(判決)を与える手続による訴訟のこと。
 吟味物というのは、捕方(警吏)の手で召捕(逮捕)り、あるいは奉行所の差紙(召喚状)をもって人を召喚して吟味(審問)する手続による訴訟。
 つまり、出入物は前代における雑訴であって、およそ今日の民事訴訟であり、吟味物は前代の検断沙汰であって、およそ今日の刑事訴訟事件である。
 吟味物は、国の治安に関するものなので、代人はまったく許されない。したがって、日本には江戸時代まで弁護人は存在しませんでした。ところが、出入物には、代人も許され、その資格は問われませんでした。
 公事宿は出入宿(でいりやど)とも呼ばれた。公事宿の主人・下代は吟味物には手を出しませんでした。公事宿の主人・下代は、江戸中期以降は、江戸幕府に公認された公事師である。公事宿は、公事宿仲ヶ間を組織し、その営業権を守るとともに、幕府の御用をつとめた。
 明治5年、代言人制度が制定されたとき、公事宿の主人・下代はおおむね代言人となった。江戸時代の庶民は、決して裁判所や訴訟を忌み嫌ってはいなかった。それどころか、裁判所を人民の最後の拠り所と信頼して、ことあればこれを裁判所に訴え出て、その裁決を仰いだ。裁判所(奉行所)といっても、行政と司法は一体であった。
 奉行所・評定所の開廷日には、訴訟公事は大変繁忙しており、想像を上まわる。腰かけるところがなく、外にもたくさんの人がつめかけた。早朝から300人もの人が殺到している。このように描かれているのです。
 まことに、実のところ、日本人ほど、昔から裁判(訴訟沙汰)が好きな民衆はいないのです。例の憲法17条の「和をもって貴しとなす」というのも、それほど裁判に訴える人が当時いたので、ほどほどにしなさいと聖徳太子が説教したというのが学説です。
 この本には、公事宿に関する古川柳がいくつも紹介されています。それほど江戸時代の庶民にとって公事宿と裁判は身近なものであったわけです。
 諸国から草鞋(わらじ)踏み込む 馬喰町
 馬喰町 人の喧嘩で蔵を建て
 馬喰町 諸国の理非の寄る所
 鷺と烏と泊まっている 馬喰町
 これらは公事宿の多い馬喰町についての古川柳です。
 ところが、公事宿の本場は、丸の内に近い神田日本橋区内にあったそうです。
 江戸の公事宿は200軒ほどあった。1軒の公事宿が2人の下代を置いていたとすれば、江戸で訴訟の世話をして生活している人が500人ほどであったということになる。
 江戸の公事宿は本来が旅館業者であり、大坂の公事宿は本来が金貸し(高利貸)である。
 江戸時代の裁判所の事物管轄は複雑だったので、どこに訴えたらよいのか、簡単には分からない。そこで、公事師が必要となった。
 幕府当局は、人民が訴訟手続に通暁して「公事馴」するのは健訴の風を助長するものとして、法律知識の普及を欲しなかった。だから、一般庶民は、法律を知っていても、奉行所に出頭したとき、法律のことはまったく知らないという顔をしているように装うようにしていた。
 実のところ、かなり詳しく法律のことを知っていたことが、この本によってよく分かります。日本人は昔から、それほどバカではなかったのですよね。
(1959年12月刊。300円)

2008年8月 1日

性犯罪被害にあうということ

著者:小林美佳、出版社:朝日新聞出版
 読んでいるうちに思わず粛然とした思いになり、襟をただされ、背筋の伸びる思いがしました。若い女性の悲痛な叫びが私の心にもいくらかは届いた気がします。
 24歳の夏、私は見知らぬ男2人にレイプされた。道を聞かれ、教えようと近づいたところを、車内に引きずりこまれた。犯人はいまも、誰だか分からない。
 その夜から、私は生まれ変わったと思って過ごし、放たれた矢のように、何かに向かって飛び出した。
 この本は、このような書き出しから始まります。レイプされてからの著者の痛ましいばかりの変わりようが、淡々と描写されていきます。何回となく吐き気を催したという記述があり、読んでいる私のほうまで気が重くなり、胸に重たいしこりを感じました。
 警察に届けに行き、警察官から被害者としての取り調べを受けたとき、著者は被害の事実をありのまま語ることができませんでした。
 事実と嘘が、めちゃくちゃだった。聞いて助けてほしい気持ちと、知られたくない、離したくない、思い出したくない気持ちがまざり、中途半端な証言になってしまっていた。警察とよりは他人に対する防衛本能、拒否感は自然に芽生えていた。
 たとえ相手が警察とはいえ、初対面の人をいきなり信用することができなかったのかもしれない。冷静に、いま起こったことの順を追って話せるほど気持ちも落ち着いていなかった。自分さえ、夢だと言い聞かせていたのだから。
 著者は、事件後、職場を欠勤も遅刻もしなかった。そのとき、事件のことを隠すことや言えないことへの疑問や反感、悔しさがあり、事件そのものを偽って伝えることに抵抗があった。どこまでを他人に話し、どこからを隠したらよいのか判断がつかず、本当は誰かの口から休む理由を伝えてほしかった。毎日の生活は、いつもと変わらない日常をこなすことで精一杯だった。仕事や社会生活など、周りに他人がいて事件のことを公言できない場での私の生活は、何かあったと悟られないように過ごし、それまでと変わらないように見えていたはずだ。しかし、一人の時間には、それまでと同じ生活はまったくできなくなっていた。
 食べることも忘れてしまう日々が続いた。ひと月で13キロも体重が落ちた。そもそも、生きる気力を失った人間が、食べようと思うわけがない。辛くて食べられないのではなく、食べる必要がなかった。だから、お腹も減らなかった。昼休みは飲み物を片手に、一時間、ずっと歩き続けていた。
 セックスで理性が外れることが、とても怖かった。自分の快楽だけのために時間を過ごしている人のために、苦痛に耐えさせられることがとても悔しかった。うむむ、なるほど、この表現って、なんとなく分かりますね。
 カウンセリングは、決して弱い人が行くところではない。自分の考えや気持ちに気づきはじめた人が、他人に合わせることに違和感をもちはじめたとき、その違和感を取り除く方法を見つけに行く。カウンセリングは、そんな場である。
 人が人を裏切った瞬間が、とても汚いものに思えて寂しいし、悲しかった。加害者が著者に手をかけた瞬間は、加害者が道を教えようとした著者の信頼や親切を裏切った瞬間なのだ。その一瞬の信頼を裏切られたときのショックは大きかった。
 著者の顔写真が表紙にのっています。いかにも寂しげです。信頼を裏切られた思いを今も重くひきずっている表情です。
 忘れることのできる体験ではないと思いますが、ぜひ前を向いて生きていってほしい。私は心からそう思います。それにしても、恐らく私とほとんど同じ世代であろう父親の対応が残念でなりませんでした。子どもにもっと寄りそう柔軟性があっても良かったのでは・・・、そう思いました。私も、あまり偉そうなことは言えませんけれども。
(2008年4月刊。1200円+税)

2008年7月25日

死刑

著者:森 達也、出版社:朝日出版社
 死刑判決が急増している。2006年の1年間に出た死刑判決は、44件。地裁13人、高裁15人、最高裁16人。1980年以降、もっとも多い。地裁での死刑判決は3倍にも増加している。
 アメリカでは死刑の執行は、通常、金曜日の午前2時。その週の火曜日に死刑囚は執行室隣の監房に移される。区画内は自由に出入りできるし、外部への電話も自由。処刑の日時は死刑囚の家族にも連絡され、最後の面会がある。
 処刑の立会人は16人。公的立会人4人に加え、被害者遺族や死刑囚の親族の立会も可能。メディア関係者5人の枠もある。
 日本では死刑存置の声が急増している。死刑廃止6%に比べて、81%。「どんな場合でも死刑廃止という意見に賛成か!」と問われると、賛成は16%弱で、反対は66%強である。日本は少し異常としか言いようがない。
 すでに世界では死刑廃止が大勢である。死刑廃止国133ヶ国に対して死刑を実施する国は半数以下の64ヶ国。アジアと中東とアフリカの一部でしかない。ヨーロッパはみな死刑を廃止した。EU加盟の前提になっている。
 カナダでは1975年に死刑を廃止してから、殺人事件が大幅に減少したというデータを政府が発表した。私も、この説です。死刑がなくなれば、かえって治安は良くなるのです。死刑を存続させているアメリカなんて治安が悪化する一方なのです。
 死刑になりたいから人を殺す。犯罪大国でもあるアメリカでは、そんな実例がいくつもある。そうなんです。先日の秋葉原の連続殺傷事件もそうだったと思います。
 私は誰がなんといっても死刑廃止派です。国家が人間を殺すなんて許されません。もちろん、人が人を殺すのを許すつもりはありません。でも、単純な報復主義がはびこる社会は悪い方向にすすむだけだと確信しています。カナダの実例があるわけです。
 死刑について考えさせてくれるいい本だと思います。
 今の法務大臣は私とまったく同世代です。これまで既に13人の死刑囚を処刑してしまいました。私は、せめて死刑執行を停止して、もっと真剣にそもそも犯罪をなくすにはどうしたらよいのか、報復主義を横行させていいのか、被害感情優先でいいのか、正面から社会全体で議論すべきだと考えています。目には目を、歯には歯を、では決して安心して生活できる社会を築いていけない、これは35年間の弁護士生活を通じた実感です。
(2008年1月刊。1600円+税)

2008年7月24日

いつか春が

著者:副島健一郎、出版社:不知火書房
 佐賀市農協の組合長が背任罪で逮捕され、てっきりいつものような「汚職」事件かと思っていたら、なんと無罪となり、無罪が確定したというのに驚いた記憶があります。この本は、その組合長の実子による無罪判決を得るまでの苦難の日々を再現しています。
 それにしても、取調べにあたった検察官の脅迫と悪口雑言はひど過ぎます。いったい検察庁はどんな内部教育をしているのでしょうか。大いなる疑問を感じてしまいました。「拷問」をするのは警官ばかりではないという典型的見本でもあります。そして、裁判官が、検察官の脅迫言動をきちんと認定して、その検察官が作成した調書を任意性なしとして排除したことを読んで救われた気がしました。これで裁判所が検察官をかばったら、日本の司法は、もうどうしようもないとしか言いようがありません。
 検事は立ったままいきなり右手を頭上に上げた。
 「何をーっ、こん畜生」
 次の瞬間、「ぶち殺すぞおーーー」という怒声とともに、右手の手刀が目の前に振り下ろされた。
 バンッ!
 机が壊れるのでは、と思うほどの大きな音が炸裂した。
 「この野郎、検察をなめるなっ!」
 「お前には第二弾、第三弾があるんだぞ!」
 検事の怒声は止まず、再び手刀が振り下ろされた。バンッ!
 「嘘をつくなー!こん畜生、ぶち殺してやるーっ!」
 ドーン。今度は机がガタンと鳴って大きく動いた。
 検事の怒声は止まず、気が狂ったかのような大声でわめき続けた。
 「法廷には、お前の家族も来るぞ。組合員も来るぞ。裁判官も言われるぞ。検察は闘うぞ。誰がお前の言うことなど信じるか!」
 「この野郎!ぶっ殺すぞー!」
 「なめるな、この野郎!嘘つくな、殺すぞー!」
 「この野郎、顔を上げんか!顔を上げろっ!ぶち殺すぞ!」
 「この野郎、否認するのかっ!こん畜生!」
 バンッ!
 「この野郎っ、署名せんかーっ!署名しろーっ!」
 「こん畜生っ!否認するのか。刑務所にぶち込むぞー!」
 署名したあと、組合長は皮肉のつもりで、「完璧ですね」と言った。
 いやあ、まさかの言葉のオンパレードです。
 ところが、この検事は法廷で次のように述べて、暴言を吐いたことを認めたのです。
 「いや、腹立ったんで、ふざけんなこの野郎、ぶっ殺すぞ、お前、と、こう言ったわけです」
 ええーっ、「ぶっ殺すぞ、お前」と言ったことを検察からの主尋問で早くも認めてしまいました。これにはさすがに驚きます。否認して、ノラリクラリ戦法をとらなかった(とれなかった)わけなのです。
 そして、圧巻なのは、被告人がこの取調べ検事に質問するということで対決した場面です。さすがに迫力がありますよ。当の本人が再現したわけですからね。
 裁判所は、この検事調べのあと、「調書は検察官が威迫して自白を迫ったもので、証拠能力が認められないので、検察官のつくった調書は証拠としてすべて不採用とする」と決定しました。
 この本には、突然、被告人の家族とされて、社会から切り捨てられていく苦悩、被告人の精神的かっとう、そしてマスコミの警察情報たれ流し報道など、さまざまな問題点も紹介されています。惜しむらくは、弁護人の活躍ぶりにも、もう少し焦点をあてていただけたら、同じ弁護士として、うれしいんですが・・・。被告人と家族を支えて立派に弁護活動をやり通した日野・山口両弁護士に敬意を表します。
 夏の朝は目が覚めるのも早くなります。あたりが明るくなると、蝉が鳴き出す前に小鳥たちのさえずりが聞こえてきます。小鳥の名前が分からないのが残念ですが、澄んだ鳴き声が聞こえてくると、心も安まります。午前7時になると、シャンソンが鳴り出します。10分ほどフランス語の聴きとりを兼ねて耳を澄まし、やおら起き上がります。
(2008年6月刊。1785円)

2008年7月16日

ネゴ・スキル

著者:弁護士・三四郎、出版社:文芸社
 私は相手方との交渉がいつまでたっても苦手です。タフ・ネゴシエーターと呼ばれる人たちの縦横無尽の駆け引きを、いつもうらやましく思いながら眺めています。私の交渉のやり方は、ひたすら誠意を尽くすということです。もちろん、これでうまくいくこともあるわけです。でも、そんなことでは解決しないことも多いのです。
 ちなみに、私は、商品を値切って買うことも好きではありません。定価で買うか、買わないか、です。そんなつまらないことで、精力を無駄につかいたくないという気分です。ですから、たいてい、あとになって後悔しないように何も買いません。海外旅行に出かけたときも、食事は別として、買い物にお金をかけることは絶対にしません。記念になる小物を買うだけです。家の中には必要最小限のものさえあればよいのです(もちろん、たくさんの本に囲まれて・・・)。
 相手から脅されたとき、どうするか。まず、心を強くもつ。人は交渉相手の手強さを過大評価するものだ。冷静になり、簡単には引き下がらないと決意する。そのうえで、相手に向かって「脅しはなしにしましょう」と静かに告げる。すると、たいてい相手は脅しをやめてしまう。
 それでも脅しが続いたときには、相手の話を黙って聞き続ける。そのうち、だんたん言葉の勢いがなくなり、とうとう脅しの理由を説明しはじめ、ポロリと自分の弱点をもらす。そこで出番が来る。怒る気持ちは分かる。脅しのようなことは今後やめよう。そう言って休憩をとる。コーヒーとクッキーを出す。雑談をし、ジョークを飛ばす。すでに、相手には当初の勢いはなくなっているはずだ。
 脅しが本物か、ブラフかを見定めるのが必要。それには質問をする。質問を繰り返しながら、相手の表情、態度を見る。答え方と声のトーンを聞く。経験を積んだら見抜くことができる。ブラフは軽くあしらい、軽くいなす。
 手強いとみた相手との本格的な交渉は2人でやることだ。脅しに対抗するとっておきの手は、聞こえないふりをする、おバカなふりをすること。
 聴き方の4原則は、第1に、相手の目を見る。第2に、微笑む。微笑みは、相手を受け入れているというサインである。第3に、うなずく。これは話を聴いているというサインだ。第4に、相槌をうつ。これで話の流れをよくする。聴くとは、忍耐でもある。
 相手を説得しようとするときには、相手の言葉をつかう。人は、他人の言葉よりも、自分自身の言葉によって説得されるものだ。
 人は対面する相手の顔から55%、声から38%、そして言葉から7%の割合で情報をつかむ。
 嘘をつくとき、人は手を隠す。手の動きから心を読まれるのを恐れるから。嘘をつくとき、人は手で顔をさわる。嘘を隠そうと思って、口を押さえているのだ。嘘をつくとき、人は何度も姿勢を変える。この場から早く逃げ出したいという無意識の欲求がそうさせる。嘘をつくとき、人は目だけで笑う。不安を隠すためだ。
 嘘をつくとき、男性は視線をそらす。女性は相手を凝視する。男は、嘘をつく罪悪感にさいなまれて視線をはずす。女性は嘘がバレたかバレなかったかを確認しようとする。
 上手に交渉を締めくくる方法がある。相手を評価し、ほめること。相手がプロであっても。勝ってもうれしい顔を見せず、相手が負けていても勝利感を分け与える。
 交渉下手の私にとって、すごく勉強になりました。
 先日の仏検(一級)の結果が届きました。これまでで最低の34点でした(120点満点)。昨年は45点でしたし、その前には70点とったこともありました(合格点は90点以上)ので、受け初めて10年以上になりますが、最悪です。体調が不良だったという言い訳はしません。頭の中がフランス語モードになっていなかったとしか言いようがありません。やはり1ヶ月以上前から試験に向けて頭のなかを切り換える。具体的には朝晩、フランス語を聞いて書く。過去問にあたる。こんなことを怠ったからです。
 8月にフランスへ行く予定ですので、いささか心配になる結果でしたが、臆することなくフランス語を話してくるつもりです。
(2008年3月刊。1200円+税)

2008年7月 9日

市民と司法の架け橋を目ざして

著者:本林 徹(編)、出版社:日本評論社
 日本司法支援センター(法テラス)のスタッフ弁護士は現在100人ほどが全国で活躍しています。2006年10月の第1期生は24人。そのうち13人が手記を載せています。それがすごいんです。若さ一杯でがんばっています。心から拍手を送ります。
 埼玉の法テラスで活動している谷口太規弁護士は先日、福岡でも講演しましたが、聴いた福岡の弁護士は口々に感動した、実にいい仕事をしていると評価していました。
 埼玉は東京のすぐ近く。弁護士も400人からいる。しかし、そこでも十分なリーガルアクセスは保障されていない。そこで、谷口弁護士は、ケースワーカーとともに、ホームレスの人たちの自立支援宿泊施設へ無料法律相談会に出かけた。すごいことです。むかし、私の学生のころ、セツルメント法律相談部が似たような活動をしていました。今は、それを税金をつかって弁護士がやっているのです。
 ホームレスになった原因が借金をかかえていることにあった人の相談を受け、谷口弁護士が計算してみたら、なんと800万円もの過払いだったことが判明し、東北にいる妻子のいるところに戻ることができた、なんて話も紹介されています。
 もう一つは、高齢者の問題です。父親の年金を精神的な病いをもつ娘がつかいこんでいたというケースです。いやはや、こんなときには弁護士ひとりではどうしようもありませんよね。みんな年齢(とし)をとっていくわけですけど、年寄りに冷たい社会ですね。
 壱岐の浦崎寛泰弁護士も頑張っています。
 ある寒い冬の土曜日の早朝、携帯電話で目が覚めた。土日、祝日にかかわらず、365日「当番」弁護士だ。呼ばれたら当番弁護士として出動せざるをえない。ひき逃げで捕まった若い女性。身に覚えはなく、すぐに釈放された。しかし、マスコミに報道されたら職を失う危険は強い。そこで、地元マスコミにFAXを送って、事情を話す。なんとか実名報道をくい止め、失職を免れることができた。
 な、なーるほど、ですね。やっぱり離島にも身近な弁護士が必要だということがよく分かります。浦崎弁護士は1年半で450件の相談を受け、うち250件は多重債務にかかわるもの。壱岐では、多重債務と弁護士がイメージとして結びついていなかった。まあ、これは全国どこでも、ほとんど同じことなのでしょう・・・。
 高知県須崎市にある法テラスで働く山口剛史弁護士の話もすごいのです。一家4人全員に知的障害が認められ、周囲からいいカモにされてきた。この状況をネットワークによって、なんとか救済できたといいます。
 支援を必要とする人は、地域で孤立している。家族と公的機関のほかには支援者がいないというのが残念ながら地方の実情である。山口弁護士は、このように指摘しています。うむむ、たしかにそうなのです。
 人口6万人の佐渡島に弁護士が1人しかいなかった。2人目の弁護士となったスタッフ弁護士は富田さとこ弁護士。開設して1年たって、相談を受けるのは3週間待ちの状態。だから仕事の優先順位をつけざるをえない。第一に借金、第二に高齢者。いやあ、これって、よく分かります。ホント、そうなんですよね。たしかにこの順番でしょうね。
 鹿児島の鹿屋にできた法テラスの藤井靖志弁護士は1年間に811件の相談を受け、 334件を受任した。今も月に40件の相談、15件を受任している。すごーい。すごいです。よくまわりますね。身体をこわさないようにしてくださいね。
 鳥取県の倉吉市の5人目の弁護士となった一藤剛志弁護士も似たような状況です。1年間に受けた相談が350件。債務整理が6割、離婚・相続などの家事が2割。受任したのは150件。シングルマザーにからむ事件が多いという特徴がある。
 一藤弁護士は自己破産事件で私と同じやり方をしているようです。つまり、自己破産の申立自体は可能でも、その後の収入を確保できる見通しが立たないうちは、申立てを先延ばしにして依頼者の生活状況を見守ったほうがよい場合がある。そうなんです。自己破産申立は早ければいいというのは幻想でしかありません。私は、以前から、それを「一丁あがり方式」と呼んで揶揄してきました。
 旭川の神山昌子弁護士は暴力団が背後にいる事件の処理の難しさを強調しています。そうなんです。これは実に難しいのです。一体、なんのために何をやったのか、あとで苦い思いをすることもしばしばです。それにしても、旭山動物園で有名な旭川に暴力団が根づいているというのは意外でした。旭川って何か利権があるのでしょうか・・・?
 京都の藤浦龍治弁護士の取り組みには頭が下がりました。刑務所まで出かけて、出張法律相談をし、受任して成果をあげているというのです。
 また、埼玉の村木一郎弁護士が国選刑事専門弁護士としてがんばっている状況も紹介されています。なんと、毎月10件というペースで国選弁護事件を引き受けて担当しているというのです。信じられません。
 茨城県下妻市の萩原慎二弁護士も常時10件ほどの国選弁護事件を抱えているが、そのうち4件は外国人が被告人だということです。その苦労たるや、莫大なものがあると思います。
 こうやって法テラスのスタッフ弁護士の奮闘記を読むと、法テラスが法務省のまわし者だなどと非難する人に、ぜひ実情を知ってほしいとつくづく思ったことでした。
 とてもいい本です。弁護士の原点を教えてくれました。ありがとうございます。
(2008年6月刊。1500円+税)

2008年7月 4日

裁判員制度が始まる

著者:土屋美明、出版社:花伝社
 もともと社会の病理を映し出すのが犯罪なのだから、新しい制度に変わったからといって、刑事裁判が、突然、夢のようなバラ色になるはずもない。日本国憲法との整合性に疑問をなげかける違憲論、刑事手続の重大な欠陥を指摘する反対論が根強く聞かれるのも、ある意味では当然だ。制度の行く末には、大きな期待とともに、懸念も抱かざるをえない。
 法学部出身で共同通信の論説委員をつとめる著者の指摘は、なるほどと思います。
 今なぜ、一般国民を引っぱり出す面倒な新しい司法制度を始めることになったのか。それは日本国憲法に主権が国民に存すると明記し、立法・行政・司法という国家の三つの権力のうち、司法だけには主権者であるはずの国民の本格的な参加がなかった。司法が国民参加と縁遠くて、果たして国民主権の国家と言えるだろうか。主権者であるはずの国民が、実は、ほとんど主権者らしくふるまえない状況がこれからも続いていって良いのか。日本の社会に、自分の住む社会のあり方を他人まかせにすることなく、自らすすんで公共の利益のために奉仕する精神がもっと育ってほしいものだ。
 刑事裁判への国民参加は、世界80ヶ国で行われている。日本の裁判はイタリアの重罪院と同じ構成。つまり、裁判官3人と裁判員(市民)6人。フランスの重罪院は裁判官3人に参審員9人だ。そうなんです。市民の司法参加は欧米ではあたりまえのことなんです。 裁判員裁判の対象事件は、強盗致傷(1110件)、殺人、放火、強姦致死傷、危険運転致死などで全体の3%、3629件になる(現在におきかえると)。
 市民が裁判員にあたる割合は、毎年2800人に1人程度。
 戦前の日本でも欧米のような陪審裁判があっていた。1923年に成立した陪審法によって、1928年から1943年に停止されるまで、全国で484件、年平均30件の陪審裁判があっていた。このように刑事司法への国民参加は、既に日本でも戦前の陪審裁判の経験がある。昭和の人々にできたことが、今の日本人にできないわけがない。日本人は、思慮深く、遠慮がちだが、まじめで優しい国民性だ。裁判員制度もきっとうまくいくはずである。
 市民が裁判員に選ばれると、その法的地位は公務員になるので、職務に関して金品を受けとると、収賄罪が成立する。
 日本では控訴審には裁判員が関与することはない。フランスでは重罪院の判決に対する控訴審については、別の重罪院が参審員を9人から3人ふやして12人とする。
 著者は裁判員裁判に反対する意見について、次のように批判しています。
 裁判員裁判を延期あるいは廃止して残るものは何か。それは、これまで多くの法曹関係者と市民が批判してきた従来の刑事裁判そのものではないか。議論の出発点として、これまでの刑事司法があまりに技巧的で精緻にすぎ、どこの国でも、こんな裁判はしていないという事実があった。
 私は著者の真面目な人柄と豊かな見識を高く評価しています。なるほど、と思わせる指摘です。少しダブリがあったり、市民向けの本だとしたら不要ではないかと思われる記述もありました。それでも、全体としては裁判員裁判をとても分かりやすく解説した本です。
(2008年6月刊。2000円+税)

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