弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2009年7月23日

手のひらのメモ

著者 夏樹 静子、 出版 文芸春秋

 この人の本は、いつ読んでも自然に無理なくすっと頭に入ってきます。うまいですね、筋の運びに不自然さがありません。日常のごくあたりまえの生活感覚にもとづいていますので、安心して筋を追うことができます。
 裁判員裁判に補充員として呼び出された主婦の「体験」が本になっています。もちろん、裁判員裁判は制度としては始まりましたが、実際の裁判は8月から9月にかけてスタートすることになります。
 福岡でも、9月から始まると聞いています。私も、ぜひ法廷で裁判員に向かって弁論してみたいと考えています。若い弁護士に負けないよう頑張るつもりです。でも、ちょっぴり心配ですので、若手と一緒にやるつもりです……。
 事件の罪名は保護責任者遺棄致死罪です。夫を亡くしたキャリアウーマンの女性が、ぜんそくの持病をもつ長男(6歳)を自宅において出かけて仕事をしていたところ、長男がぜんそく発作のために死亡していた。女性は仕事先からすぐに帰って医師に診てもらうべきであったのに放置していた、という事案です。
 弁護人は無罪を主張しています。当初、3日間の予定で始まったのに、予期せぬ目撃者が現れ、新しい証人として採用されたため、1日延びて4日間になります。そこで、延長出来ないという人の代わりに主人公が裁判員になるのです。
 法廷での証言のあと、評議が始まります。それは、毎日の裁判の終了時、休み時間にちょくちょくあり、そして、証人調べの終了後にまとまって議論します。
 主人公は、検察官と弁護人のそれぞれの主張を聞いて心が揺れ動きます。自分の体験を踏まえて考えようとするのですが、なかなか難しいのです。
 たとえば、弁護人は次のように主張しました。
「検事調書のなかで、被告人が『ご想像にお任せします』と答えていることを、検事はあたかも被告人が愛人との情交を認めた証拠のように述べた。しかし、検事の取り調べは、被疑者から望み通りの答えを引き出すまで、繰り返し執拗に問い続けるもの。被告人はついに根負けして、想像に任せると答えてしまった。ところが、検事の調書の中では、自分から答えたような形になってしまっている。このように、検事の調書とは、被疑者が自分で書くものではなく、検事が書いて読み聞かせるものであるということを、ぜひ覚えておいていただきたい」
 これは、本当にそのとおりなのですが、実際にはなかなか普通の市民に分かってもらえないところです。やっていない者がウソの自白なんてするはずがない。本当はやったから自白したのだろうという決めつけがなされます。
 裁判官は、評議にあたって次のように切り出しました。
「これからの評議では、まず検事の論告を検討の対象に据える。それに対して、弁護人の弁論をぶつけてみる。論告が証拠で裏付けられていれば、揺らぐことはないはずだ。論告が弁論によってぐらつくかどうか、意見を出し合って、一つ一つ論告を検証していきたい。
 論告が弁論によってもぐらつかなければ、被告は有罪。犯罪の重要な部分でぐらつけば無罪となる」
 ふむふむ、なるほど、そのとおりです。
「評議では乗り降り自由。一度、自分の意見を出しても、他の人の意見を聞いて、そちらのほうが正しいと判断したら、そちらに乗り換えてかまわない。いったん口に出した意見は変えられないということはない。自由に思ったことを言い合いたい。裁判官もあとで遠慮なく議論に参加していきたい」
 実際には、この本のようにうまく議論がかみあって進行するのか、心配なところもありますが、そこは、それこそ民主主義にとって大切な寛容の精神で臨みたいものです。
 なお、この本は福岡県弁護士会の船木誠一郎弁護士も監修しています。船木弁護士は、私の尊敬する刑事弁護の第一人者です。
 
(2009年5月刊。1524円+税)

2009年7月16日

隠された光

著者 堺 弘毅、 出版 治安維持法犠牲者国賠同盟福岡

 戦前の福岡で、治安維持法によって逮捕され、その日のうちに虐殺されるなど、犠牲となった人々の足跡を丹念にたどった労作です。2段組450頁もの大作であり、決して読みやすい本ではありませんが、そこで紹介される特高警察による弾圧は凄惨ですし、非道、あまりにもむごいと言うほかありません。
 特高が踏み込んだ家の2階から飛び降り、脊髄骨折したためまもなく死亡してしまった24歳の女性の話は泣けます。
 北海道出身の西田信春という共産党九州地方委員長は、小林多喜二と同じく、逮捕された1933年2月11日、その日の深夜までに殺されていたのです。久留米駅で逮捕されて福岡まで連行され、福岡警察署で拷問によって深夜までに殺されてしまいました。そして、九州大学法医学教室で解剖され、遺骨は福岡市内の無縁墓地に葬られたのです。この2月11日には九州では50人もの人々が裁判にかけられたのでした。
 西田信春については、一高、東大で一緒にボート部に所属し、寮の同室で生活もともにした大槻文平が次のように追悼しています。この人は、日経連会長でもありましたから、まさに財界の中枢にいた人です。
 彼(西田信春)は、決してでしゃばらない、はにかみ屋であったが、芯の強い、しかも誠実な努力家だった。日本社会の混迷期にあって、純でいちずな社会変革への熱情が彼を犠牲者として終わらせるに至ったのは、残念な限りである。
 いま、ペシャワール会の現地代表として活躍している中村哲氏のお父さん(中村勉氏)も紹介されています。
 中村勉氏は、給仕として働いていたところ、その英才を電力学会の鬼と呼ばれた松永安左衛門に認められて給費生として福岡工業学校に入学し、さらには早稲田大学に入学して再び若松に戻って、火野葦平と交流を深めていた。同時に左翼運動にも力を入れ、指導的立場にいた。しかし、昭和7年の2.24事件で逮捕され、懲役2年、猶予5年の判決を受けた。
 この紹介文を読んで、私は中村哲医師の不屈の心意気のルーツを思い知った気がしました。
 実は、この本には、私が生意気盛りの中学生のころ、半ば馬鹿にし、半ば畏敬の念を払っていた理科の教師も登場するのです。鍋田惣一という人です。その息子は、私の同級生でした。
 自分という存在を知るためには、歴史を振り返ることが大切だということを実感させられる本でした。
 青森に10年ぶりに行ってきました。私が大学1年生のときに出会ったサークル仲間がいるのです。今回は畑仕事仲間の人たちと一緒に陶芸家宅(ととろ工房)で会食しました。陶芸家の先生は食事までつくれるのです。最後は自らの手打ちソバでした。楽しく歓談することができました。
 サークル仲間の畑も見せてもらいました。黄色と橙色のアリストロメリアの花がたくさん咲いていました。私も花だけでなく、野菜にも再挑戦してみようという気が起きました。
 
(2009年4月刊。2300円+税)

2009年7月14日

長沼事件、平賀書簡、35年目の証言

著者 福島 重雄・水島 朝穂・大出 良知、 出版 日本評論社
 司法分野の本を読んで、久々に心の震えがしばらく止まらないほど感動しました。実にすばらしい本です。35年前の福島裁判長の日記が公開されていますが、実に素直に気負いの感じられる書きぶりであり、畏敬の念に打たれました。
 この本がなにより画期的なのは、長沼事件で、自衛隊は憲法9条2項が禁止する「戦力」にあたるから違憲だと判決した、福島裁判長の当時の日記が公開されていることです。
 「今までの裁判所は、なんだかんだと言いながら、自衛隊の憲法9条問題を避けてきた。だが、いつかはどこかで、誰かがやらなければならない問題である。……夕方、一人、役所の裏門を出る。孤独な闘いが裁判官の心を揺さぶる。平和と民主主義への闘いが」
 「今日は会議室を使って起案した。それにしても、この事件で感じたことは、いかに裁判官が憲法論をやるのを恐れるのか、憲法について判断するのを回避したがるか、ということ。それにしても陪席諸君は意気地がない。もっと勇気をもたなければ、これからの裁判所を背負ってはいけない。やや失望した」
 「正邪は歴史のみが、これを言うことを得る。俺は、ただ自らが正しいと信ずる道にしたがって進むのみである。人を気にするな」
 判決後の日記に福島裁判長はこう書いた。
 「人生を賭しての頑張りであった。人、男として生まれたからには、何か一つ世に残り、歴史に刻み込まれる仕事をしたいものである。法律家としての、裁判官としての私にとっては、まさにそれがこれであった。それを無事に終えられて、なにより幸せであった。
 歴史は流れる。国民は、人民は、平和を求める。歴史は流れる。希望の灯は次第に明るくなる」
 福島裁判長は、このとき42歳。実は、海軍兵学校を卒業している(78期)。306分隊に所属し、今ではハウステンボスになっている長崎県の針尾島に配属されていた。306分隊の同期が毎年集まる会合には欠かさず出席し、最後には海軍の旗を掲げて軍歌を歌う。そんな元軍人が、自衛隊は違憲だという判決を下したのです。すごいことです。
 福島裁判長は、24人もの証人を採用した。そのなかには、遠藤三郎という元陸軍中将がいた。陸軍士官学校長もつとめたが、反骨の軍人であり、戦後は日中友好と反戦運動に関わった。遠藤元中将は、参謀本部で作戦計画の立案に関与した経験から、日本は領土を守るという発想は初めからなく、常に戦場を外地に求めていたと証言した。
 源田実・元空幕長は、正直に、自衛隊の能力ではアメリカ軍の基地を守ることしかできないと述べた。アメリカ軍は日本を守る能力はあっても意思はなく、自衛隊は日本を守る意思はあっても能力はない、ということです。
 平賀書簡の実態が、いかにひどい裁判干渉であったか、唖然とさせられました。
 札幌地裁の平賀所長から、所長室に5回も6日も呼ばれて、「この事件は重要案件だから慎重に審理しろ」と繰り返し言われた。その上の手紙である。決定そして判決の内容を知っての「慎重に」ということは、国を負かすなというに等しい。
 所長室に入って福島裁判官がソファに座ると、その真横に平賀所長が座り、左肩を自分の肩でグッ、グッと押しながら、「ねえねえ、きみ、慎重にね」と言ったというのです。想像するだけでも気味悪い光景ですよね。
 この平賀書簡について、札幌地裁では緊急の裁判官会議が開かれます。なんと、土曜日の午後1時に始まり、夜中の午前0時までかかっています。40人もの裁判官が出席しての会議でした。結論は、平賀所長に対し口頭による厳重注意処分でした。
ところが、平賀書簡がマスコミに報道されると、自民党の側から猛烈な巻き返しが始まります。結局、国会の裁判官訴追委員会では、平賀所長については何ら非違は認められないとして、訴追しない決定がなされたのに対して、福島裁判長のほうは訴追猶予処分となったのです。いやはや、とんだ茶番劇ですね。白を黒と言いくるめるような決定だとしか言いようがありません。
 それにしても、最近の名古屋高裁判決でイラクへの自衛隊派遣が憲法違反であると明確に弾劾されたのは胸のすく快挙でしたが、それを契機として長沼事件の意義が再び脚光を浴びるなか、福島裁判長(今は富山県で弁護士)が元気に社会に向かって発信されていることを知って、私まで元気が湧いてきました。やはり、やるべきとき、言うべきときには、きちんと言動で示すべきなのですね。そして、今が、そのときだという気がしてなりません。
(2009年5月刊。2700円+税)

2009年7月11日

法律相談のための中国語ノート

著者 宇都宮 英人、 出版 林田印刷

 これはすごい。心底、そう思いました。著者は私と同世代、福岡市内で活躍しているベテラン弁護士です。京大空手部で主将をつとめていた猛者だなんてとても信じられない優男(やさおとこ)です。でも、今でも日の里団地で子どもたちを中心とした空手サークルを主宰しているのです。いつぞや、結婚式で空手の型を演じてくれましたが、さすがに見事に決まっていました。身体がぶれないのです。
 そんな著者は、これまた見かけによらない語学の天才なのです。以前、一緒に中国領事館を訪問したことがありますが、そのとき中国語を苦もなく話をしているのを、私など呆気にとられて眺めていました。
 その著者が、今度は中国人が日本で法律相談をするとき、どんなことを訊いてくるのか、それにどう回答したらいいのか、例文をあげて中国語表現を併記した本を作ったのです。まことに実践的な本です。たとえば次のような例文が紹介されています。
 Q,離婚したら在留資格はどうなりますか。日本にそのまま住み続けることができますか。
 A,離婚したら、配偶者という在留資格を失います。ですが、子の親権を取得して一緒に生活していたら、定住者の在留資格を取得できます。
 A,中国人の夫婦であっても、日本の裁判所に離婚訴訟を起こすことができます。ただし、裁判所は、離婚の成立や効果について、中国の法律によって判断を下します。
 著者は、弁護士活動の中の得意分野の一つとして、高齢者・障がい者問題も扱っていますので、その分野の問答もあります。
 たとえば、「合理的配慮をしないことも差別である」という文章は、実は、中国語表現では、「合理的な便利さの提供を拒絶する」となるといいます。これは視点の違いから来ているのではないかと著者は指摘しています。なるほど、と改めて感心してしまいました。
 私も、外国人と結婚した夫婦の破綻後の子どもの親権などをめぐる相談を受けることがあります。この本は、それが中国人だったらどのように言ったらよいのか、分かりやすい例文と中国語が併記されていますので、すぐに使える実践的な手引書です。
 福岡を拠点として、中国語の同時通訳者として活躍中の張愛氏が監修していますので、一段と安心して使える本になっています。ぜひ、みなさん手にとって見てください。なお、この本は、単行本としては著者の3冊目となります。
 
(2009年6月刊。1260円+税)

2009年7月 5日

司法改革の時代

著者 但木 敬一、 出版 中公新書ラクレ

 検事総長が語る検察40年。これがサブ・タイトルの本です。
 検事総長にまで上り詰めた著者ですから、きっと幼いころから神童と認められていたと思っていると、本人が書いたところでは、東大に合格できたのも、司法試験に1回落ちただけで受かったのも、周囲は驚き、不思議がったというのです。これって本当でしょうか。
 検察の現場も体験していますが、法務省の立法に関与することが多く、弁護士会とも折衝を重ねて、相互に信頼をかちえていたようです。人柄もあるのでしょうね。
 今も、アメリカからの外弁の完全自由化(たとえば、今は外弁と日本人弁護士との混合法人を認めろと要求されています)が課題となっていますが、ともかく、外国人弁護士が日本でも活動できるような幕開けを認めたのは、著者が法務省の司法法制調査部に在職中のことでした。
 アメリカの外圧はすさまじいので、外国弁護士が認められたのは仕方のないことだと思います。もちろん、なんでもアメリカの言いなりにはなりたくないのは、一日本人として、今も変わりませんが……。
 ハンセン病国賠訴訟で画期的な国敗訴の判決が熊本地裁で出たときには、法務大臣官房長として著者は控訴断念の方向で導いたようです。この決断は、きわめて政治的なものでしたが、これは私も正しかったと思います。
 この本の後半は、江戸時代から今日に至る日本人の法意識に触れる内容となっています。ただ、そのなかで、「島原の乱以降、反乱という名に値するような暴動や内戦は影を潜める。民衆の側は統治には関心をもつこともなく、むしろ生活を楽しみ、文化を発達させる」としているのは、残念ながら著者の勉強不足としか言いようがありません。
 私は、この書評コーナーで何回も紹介していますが、江戸時代の農民は大一揆を全国的に何回も起こしており、それは政権交代を迫るものでもあったのです。まさか一揆を「暴動や内戦」ではないとしているということもないでしょうから、著者は間違っていると言わざるを得ません。残念至極です。
 たとえば、西南戦争そして勝った官軍側に起きた竹橋事件(騒動)を知れば、日本の民衆に権力への異議申立をする伝統が脈々と生き続けていることは明らかです。むしろ、最近の日本で少なくなっているだけだと私は思います。それだって、いつ再燃しないとも限りません。私が大学に入ったころ(もう40年以上前のことですが…)、「最近の学生はおとなし過ぎて、つまらん」とよく言われていました。しかし、その翌年から、全国的に大学紛争(学園闘争)の嵐が吹き荒れたのです。その後、再び沈静化して今日に至っているわけですが…。
 このような弱点はある本ですが、全体として、さすが検事総長として権力機構のトップに立つだけのことはあると思わせる視野の広さを感じさせます。

 
(2009年5月刊。760円+税)

2009年7月 1日

強者の論理に負けないで

著者 辻 公雄、 出版 せせらぎ出版

 大阪の名物弁護士の著作です。私より先輩の弁護士ではありますが、まだそれほど高齢でもないのに、早くも「弁護士としての最終楽章もかなり終りに近づいている」として「人生の最後に感じたことを綴ってみた」とあります。いえ、いえ、それは早すぎます。もっともっと元気にご活躍ください。
 著者の辻弁護士は、私の知る限り3つの分野で大変有名です。
第一は、オンブズマン活動です。私自身も及ばずながら地元のオンブズマン活動に関わり、この30年来、一貫して住民訴訟に関わってきました(今も2件の住民訴訟を追行中です)。辻弁護士は、大阪でオンブズマン活動を先進的にすすめてきましたが、なんと、市長(どうやら太平光代助役の推薦のようです。太平助役とは、『だからあなたも生き抜いて』の著者として有名な、元ヤクザの妻だった弁護士です)から頼まれて、大阪市政の調査委員に就任し、引き続きコンプライアンス委員会の委員長になったというのです。すごいですね。
 公益通報が年に700件近く寄せられているそうです。内部から600件、外部から100件という割合です。それを丹念に聞き取り、市の行政に反映させているというのです。そういえば、私の敬愛する弁護士が、この4月から札幌市のオンブズマンになって、週3回も市役所に詰めて、市民などからの苦情を聴いているということです。これって大変なことですよね。残念なことに、福岡では、そんな活動が進められているという話は聞かれません。
 オンブズマンについて、改革派知事として有名だった橋本大二郎氏(高知県)は、敵だが、必要な敵だ、と述べた。浅野史郎氏(宮城県)は、うるさい敵、必要な敵、素敵な仲間と評した。ホント、そのとおりです。
 その二は、弁護士費用を裁判に敗訴したものに一律に負担させようという案をつぶした立役者だということです。日本の訴訟費用はアメリカなどに比べると、大変高くなっています。これは、明治の初めごろ、あまりに裁判が多いので、その抑圧策として貼用印紙制度が導入されたことの名残です。アメリカからの外圧によって、高額訴訟の方はかなり低額になりました。それでも、裁判に負けたら相手方の訴訟費用まで負担させられるということになったら、今よりさらに裁判を利用する人が減ってしまうでしょう。日弁連は全力で反対運動を展開し、結局、つぶしてしまいました。その運動の中心メンバーが辻弁護士でした。お疲れ様です。
 その三は、憲法訴訟、たとえばイラク派遣差止訴訟などでの活躍です。大阪では勝訴できませんでしたが、あの名古屋高裁のイラクへの自衛隊派遣は違憲だとする画期的な判決を得る原動力になりました。
 このように、いくつもの分野で素晴らしい活動をしてきた辻弁護士に対して、私は大いに敬意を表します。ただし、辻弁護士の司法改革への評価には、にわかに賛同しがたい異論があります。ちょっと、それはないでしょう、という感じです。
 司法改革、とくに人数問題を中心になって進めたのは、左翼の人の一部と、これに同調した企業派の弁護士だった。
 人数が増えても今までどおり正義感のある弁護士が増えていく考えたことに誤りがある。弁護士の社会正義没頭論は、一種の超人思想である。
 ここらあたりになると、私にはとても理解できず、賛同しがたいものです。まだまだ多くの国民にとって、弁護士は足りないと考えるべきではないかと私は今も本気で考えています。
 
(2009年3月刊。2000円+税)

2009年6月24日

裁判員制度と報道

著者 土屋 美明、 出版 花伝社

 ジャーナリストの立場で、一貫して裁判員制度に関わってきた著者が、自戒の念をこめて報道の在り方について整理し問題提起しています。次々と出版していく著者のバイタリティーには改めて感銘を受けました。
 国民が司法に参加する意味は主として三つある。第一に、国民の間に主権者としての意識が育っていくこと。第二に、自ら犯罪を裁くという体験を通じて国民に法的な意識が高まることが期待できること。第三に、これまでプロの法曹によって動かされてきた司法に国民の常識・感覚が生かされ、司法が国民に身近な存在に変わること。
 アメリカの新聞社では、経営権と編集権は区別され、経営者は編集に口出しできない慣行がある。しかし、日本では編集権は経営権に従属している。取締役会など、経営管理者の意向に従わなければならない構造ができている。それで、日本には自由なジャーナリストとしての職業観が育たず、また、現場記者の発言権が弱い状況を生み出している。
 日本には、EUから強く廃止を求められている記者クラブという制度があり、その結果、日本の新聞はどれをを読んでも変わり映えのしない記事が載っていて、画一性が強すぎる。記者クラブも最近は、かなり開放度がすすんだとは思いますが…。
 そして、メディア・スクラム(集団的過熱取材)という現象がある。大きな事件や事故が起きると、その当事者や関係者のもとへ多数のメディアが殺到し、それらの人々のプライバシーを不当に侵害し、社会生活を妨げ、あるいは多大な苦痛を与える状況を作り出してしまう。そうなんです。しかも、一過性の集中豪雨型の報道です。後追いの報道がサッパリありません。
 アメリカには、国民の中に、刑事裁判は常に正しいとは限らず、不公正なものでもあり得るという一種の皮膚感覚がある。アメリカの陪審制度は、国家権力は時に市民的自由を侵す危険性があるという裁判への不信感を背景にもっている。では、日本では、どうか?
 マスコミは、事件についての加害者報道に関し、前科・前歴は抑制的に扱う、事件や疑惑との極めて密接な関連性、読者の理解に不可欠で報道すべき特段の事情がある、必要最小限度の範囲という条件を課している。
 具体的には、情報の出所を示す。弁護側への取材につとめ、その言い分を報道し、できるだけ対等な報道を心がける。被疑者・弁護側の言い分を安易に批判・弾劾しない。しかし、弁護士のなかにも、情報提供に消極的な姿勢を見せる人がかなりいる。ただ、これには法律改正によって、開示証拠の目的外使用を処罰する規定が置かれたことも影響している。
 著者は、メディアも『真相解明幻想』から卒業することを提唱しています。
刑事事件の捜査・裁判は、刑事訴訟法のルールに従い、その限りで被疑者・被告人の犯行を立証する手続にすぎない。刑事裁判には、もともと限界がある。捜査当局による真相解明に期待しすぎると、かえって検察主導の司法を容認することになりかねない。かといって、裁判官の訴訟指揮による真相解明を期待するのも、被告人の起訴事実の有無を判断するという刑事訴訟法本来の趣旨から少し外れてしまう。真相解明は、刑事事件の法廷とは別の場で行うものと考えるべきではないか。
 著者の最後の指摘が私には強く印象に残りました。ともあれ、マスコミ報道の洪水のなかで、市民参加型の裁判員裁判がやがて実際にスタートします。私は、ぜひ成功させ、刑事手続きの画期的改善につなげていきたいと考えています。たとえば、被疑者段階の取り調べ過程を全部、録画するのです。これによって、弁護人は無用の争点にしばられることが少なくなると思います。司法改革が全面的改悪だというのは、いくらなんでも大げさすぎると私は考えています。

(2009年5月刊。2000円+税)

2009年6月 9日

平和的生存権と生存権がつながる日

著者 毛利 正道、 出版 合同出版

 著者は私と同世代の長野の弁護士です。平和運動に挺身し、ブログなどでも積極的に情報を発信しています。そんな著者の熱意にこたえたいと思って、この本を紹介します。
 2008年4月17日。名古屋高等裁判所が自衛隊のイラク派兵を憲法違反だと断罪したとき、その法廷に著者は代理人席ではなく、当事者としていたのです。さぞかし感動・感激の一瞬だったろうと思います。
 名古屋高裁判決の画期的な意義が、著者自身の言葉で実に分かりやすく語られています。著者の父は寺の住職でしたが、応召して中国戦線に軍曹として従軍しました。しかし、帰国してからは「何人もの人を死なせてきた」というくらいで、ほとんど戦争の実像を語らなかったようです。それだけ重い荷物だったのでしょう。
 いま、子どもたちが18歳になると、自衛隊への入隊を勧誘するハガキがどっと送られてくる。就職難ですから、自衛隊にでも入ろうかと思う子どもも多いようです。
 一般の自衛隊員の自殺率は38.6(10万人あたりの自殺者数)であり、イラク帰還自衛隊員の自殺率は、その2.2倍となっている。自衛隊員の自殺率は、男性公務員の1.3倍、アメリカ兵の3.1倍である。
 アメリカでは自殺率は意外に低いが、実数で見ると年間3万人なので、日本と同じ自殺者数となっている。ちなみに、アメリカには肥満が原因による死者が年間40万人もいる。アメリカで肥満は貧困の象徴なのである。
 名古屋高裁判決は次のような憲法判断を示しました。
 現在、イラクにおいて行われている航空自衛隊の空輸活動は、政府と同じ憲法解釈に立ち、イラク特措法を合憲とした場合であっても、武力行使を禁止したイラク特措法2条2項、活動地域を非戦闘地域に限定した同条3項に違反し、かつ、憲法9条1項に違反する活動を含んでいる。そうなんです。まったく、そのとおりです。そして、原告になった人々について、次のように温かい目で見ています。
 そこに込められた切実な思いは、平和憲法下の日本国民として共感すべき部分が多く含まれているということができ、決して間接民主制下における政治的敗者の個人的な憤慨、不快感または挫折感等にすぎないなどと評価されるべきものではない。
 著者は、この判決の価値として、立法行政府の重要施策に正面から司法判断を加えたことにあるとしていますが、まったく同感です。これまで三権分立という建前が、ほとんど生かされることのない司法の消極的な姿勢は、なんのために司法があるのかという疑問を広く抱かせてきましたが、名古屋高裁判決は、それを大きく打ち破ったのです。
 そして、この判断は、単なる「傍論」だとして軽んじていけないことは言うまでもありません。当時の福田康夫首相の談話は、根本的に間違っています。

 クレジット・サラ金被害者の九州ブロック交流集会が長崎でありましたので出かけてきました。この集会は、年に一回、「しっかり学び、元気に生きよう」をモットーとして、九州各県をまわりながら開かれていますが、今年で22回目です。初めのころは50人ほどのこじんまりした集会でしたが、いまでは300人もの人が参加する大集会となっています。長崎氏の田上市長が来賓挨拶してくれました。
 長崎の原弁護士は、これまでの2回の長崎集会では現地実行委員会の中心人物としてになってきてくれましたが、今回は弁護士会長として来賓挨拶をしました。
 パネルディスカッションのなかで、五島市の消費相談の課長さんたちのDVDが紹介され、女装までしての寸劇が演じられました。その熱演ぶりは大受けでした。
 懇親会のとき、久しぶりに堀江ひとみさんにお会いしました。前の長崎集会のときには、ういういしい市会議員としての参加でしたが、今回はたくましさを感じる堂々たる県会議員としての参加です。その活躍ぶりは新聞でもよく拝見していました。美人のほまれ高い堀江さんに再会できたうれしさから、思わず2度も握手を求めてしまいました。
 
(2009年3月刊。1500円+税)

2009年5月21日

国策捜査

著者 青木 理、 出版 金曜日

 特捜検察が捜査に乗り出して世を騒がせた事件を「国策捜査」と冷笑的に評することが珍しくなくなってきた。
 今も多くの人は特捜検察に「巨悪摘発」の期待を寄せ、新聞やテレビをはじめとする大手メディアも、その捜査に喝采を浴びせる。その結果、特捜検察による捜査は「絶対正義」かのような装いをまとい、冷静な分析・批判はかき消されがちだ。しかし、その捜査も内実を一皮めくってみれば、実のところ矛盾と不公平が渦を巻いている。
 近年の裁判は、検察捜査をただ追認するだけだ。検察の動きを冷静に分析し報道してチェック機能の一端を果たすべきメディアの惨状は語るまでもない。もともと捜査当局べったりの習性に染まった日本の大手メディアは、特捜検察が動き出すや否や、その尻馬に乗ってターゲットを一方的に糾弾し、ときに狂乱ともいえるような報道を繰り広げ、世論を煽る。
 宗像紀夫氏(元東京地検特捜部長)は、次のように書いている。
 「犯罪捜査は、もちろん人格的に優れた、そして十分な経験を積んだものが行うべき仕事だと思われるが、現実にはそうではない。経験も浅く、人を説得する十分な技術もない者が、ただ相手を怒鳴りつけて力で相手をねじ伏せるというケースも少なくない。参考人を調べるときも、逮捕できるんだと脅して捜査官側の意向にそう供述を求め、体験もしていない、記憶に反する内容の調書が作成されたという報告もしばしば聞かれる。嘆かわしいことだ」
 結局、供述調書というのは捜査側の作った作文である。それを読んでいる限りは非常につじつまが合う、すきのないものになっている。キレイに書いた作文は、素直に頭に入ってくる。
 検察は嘘をつかないが、被告人は嘘をつくと考えるのが、現在の刑事司法である。
 弁護人が取り調べ中に会えるのは、一日に何分間というようなわずかな時間でしかない。そのときに無味乾燥な事件の話しかできない。ところが、検事のほうは朝から晩まで連日、取り調べしてさまざま話をする。外界と遮断された人間は、近くにいる人間にだんだんと情が移っていくものだ。すると、検事の方が自分の良き理解者のように思えてくるようになる。これも取り調べのテクニックの一つなのである。
 日本の刑事司法の問題点を「国策捜査」の被害にあったと訴える有名人の人たちの体験談をもとにしていますので、その真偽はともかくとしても、訴える力があり、共感を呼びます。

 秋田に行ってきました。
 夕方、川反という一番の夜の街を歩きました。よさそうな郷土料理店がないかなと思いながらぐるっと回ったのです。夜が早かったせいもあるのでしょうか、あまり人通りもなく、客引きの男女が目立ちます。
 一件の小料理店の玄関の雰囲気が良かったので、ついふらふらと入りました。テーブルに座って料理を注文すると、なんだか前にきたことのある店のような気がします。メニューに書かれている店の名前に見覚えがあります。美味しい秋田料理をいくつも単品で注文しました。
 ハタハタのすしは絶品でした。そして、ガッコです。こりこりとした歯ごたえがあり、塩味もほどほどで下になじみます。そうです。やっぱりここは、20年以上も前に秋田の弁護士に連れられて入った有名な店でした。ホテルに帰ってガイドブックを見てみると、そこにもちゃんと載っていました。店の名前は「お多福」と言います。偶然の一致でした。 
(2008年5月刊。1500円+税)

2009年5月12日

民事訴訟・執行・破産の近現代史

著者 園尾 隆司、 出版 弘文堂

 本書は、法律実務家(現職の裁判官)による法律実務家(とりわけ弁護士)のための日本近現代民事法制史である。
 著者が冒頭にこのように喝破していますが、まさにそのとおりです。ほとんど類書はないと思いますし、何より体系的な法制史であり、また、いま活動している私たちの実務にも大いに役立つ内容となっています。私など、いやあ、そういうことだったのかと、何度もうなずいてしまったことでした。
 アメリカに留学した経験があり、最高裁の事務総局に在職中に何回となく民事関連の立法に関与した著者ならではの豊富な経験に裏打ちされていますので、とても実践的な内容です。この本に書かれていることの一部が判例タイムズで連載されていましたが、それはほんの一部でしかなく、全体を知るためには、この本は必読文献です。
 日本法制史で近現代を語るためには、明治から出発することはできません。江戸時代の法制度は明治時代にしっかりと生きており、それが今日なお尾を引いているのです。私も、江戸時代の法制史を少しだけですが勉強したことがありますので、その点は実感としてよく分かります。江戸時代の法制度というのは、信じられないことかもしれませんが、今の日本にも生きている部分があるのです。著者は次のように言っています。
 明治初期の裁判を理解するには、まず、江戸時代の裁判がどうであったかを知る必要がある。江戸時代の裁判についての正確な知識は、明治以降の裁判手続を理解する上で不可欠なのである。
 江戸時代の裁判制度そして裁判手続は完成度の高いものであったため、明治政府は明治初めには徳川幕府の法令をそのまま借用して国家統治を図っていた。明治政府が新しく法体系を整備をしたあとも、現在に至るまで、江戸時代の法制度と裁判手続は、さまざまな形で影響を及ぼしつづけている。
 江戸時代には、困難・重要事件は、幕府評定所の評議によって決定しており、評定所は将軍の直轄機関であるがために、最高位の意思決定をすることができた。裁判機関の最終判断は、他の行政機関の判断に優先した。
 ところが、明治政府においては、裁判機関の判断が他の行政機関の判断に優先することはなかった。そこで、明治政府は、江戸時代の判例を法源として認めながら、明治以降の判例には法源としての効力を認めなかった。
 静岡県にある徳川幕府による葵文庫を引き継いだ国書館には、2100冊の洋書がある。そのうち、もっとも多いのはフランス語の本、次いで、オランダ語の本、その次が英語の本である。
 ええーっ、なんでフランス語が断トツに多いんでしょうか。オー、ラ、ラーです。不思議ですし、フランス語を勉強している身としてはうれしい限りです。
 明治はじめまで、司法省の西欧情報はフランスに偏っていた。
江戸時代の民事訴訟は、刑事訴訟と区別されておらず、同一の手続で運営されていた。訴訟手続きでは刑事訴訟は優位であり、民事訴訟の過程で刑罰に触れる事実が出てくると、職権で刑事訴訟に移行する。
 明治政府(司法省)は、明治8年、勧解制度を創設した。訴訟になる前に勧解(和解、つまり話し合い)を推奨した。その結果、明治10年には申立件数が年間60万件を超えた。明治16年には、なんと100万件を超えてしまった。ところが、明治19年に勧解吏が創設されると、急激に減り、明治23年には年30万件台となった。いやあ、それにしても、当時の人口(3300万人くらいでしょうか?)を考えても信じられないほどの多さですね。
 資料篇を除いた本分だけでも310頁もあり、微に入り細をうがった内容であり、とても為になる法制史となっています。ただ、私にはいくつかの点でひっかかりましたので、次にそれを紹介します。
まず、村役人については、藩の指名によると断言されています。私も最近まで当然そうだろうと思っていましたが、村役人については、全国的にも公選制であったところが多いようです。
 江戸の庶民が訴訟好きだったかという点について、著者は「軽々に結論付けることはできない」として、消極に解しているように思われます。しかし、私は日本人は十七条憲法の昔から、案外、訴訟好きだったのではないかなと、35年以上の弁護士経験を通じても実感しています。著者の文献目録には登場していませんが、『世事見聞録』などを読むと、それがよく伝わってきます。少なくとも、昔から日本人は裁判が嫌いだったという俗説は成り立たないことを認めてほしかったと思いました。そして、この関係では、あとで佐賀の乱を起こして刑死させられた江藤新平が、国家賠償請求訴訟を認めたことから行政訴訟が増えたということも聞いていますので、その点についても触れてほしかったと思います。明治政府は裁判件数が急増したことへの対処策として、貼用印紙額を大幅に引き上げたといいます。裁判の原告になるには、多額の印紙をはらなくてはいけないことが今の日本で訴訟を抑制することになっていると思います。
分散(今の自己破産)の濫用があったかどうかについても、著者は「考えにくい」としています。しかし、井原西鶴の本に紹介されているような濫用事例は、やはりあったのではないかと私は現代における体験もふまえて、考えています。
 いずれにしても、大変な力作です。明日の実務にすぐに役立つ本ではありませんが、実務をすすめる上で、考えるヒントが満載の本だということは間違いありません。少々、値は張りますが、大いに一読の価値のある本です。
 日曜日に梅の実ちぎりをしました。紅梅の方にはまったく見が付いていませんでしたが、白梅はたくさん緑みどりした実がなっていました。一つ一つ手でもいでいったのですが、緑葉の陰に隠れるようにしていますので、取りこぼしがあったかもれません。たちまち小さなザル一杯になりました。あとで数えてみると、60個もありました。これで梅ジュースを作ります。たっぷりのハチミツにつけると、美味しいジュースになります。
 隣にスモークツリーが輝くばかりの赤い葉と花をつけています。フワフワとしていて、まるで煙というかもや(スモーク)が木にかかったようです。
 ヤマボウシが白い花をつけ、新緑の中に存在を誇示しています。
(2009年4月刊。6000円+税)

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