弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2011年7月 5日

証拠改竄

著者    朝日新聞取材班  、 出版   朝日新聞出版

 検察官が被告人に有利な重要証拠を隠すというのは古くからありました。松川事件の諏訪メモが有名です。しかし、被告人を不利にするため、証拠をいじって不利なものにする(改ざんする)というのは、初めて聞いたとき、まさかそこまで・・・と信じられませんでした。弁護士生活38年になる私自身もいつのまにか法曹一家意識に毒されてしまっていたのですね。大いに反省させられました。警察も検察も我が身の保身のためなら平気で証拠をつくりかえてしまう。これは古今東西、どこにでもある、ありふれた話なのです。そんな権力の不正とたたかうために私たち弁護士が憲法上の存在として位置づけられているわけなのです。申し訳ありませんが、久しぶりに弁護士の責務の原点にまで思いを至らせました。
 それにしても大阪地検の特捜部の対応はお粗末でしたね。前田検事の証拠改ざんを容認したかどうかはともかくとして(起訴された特捜部長は刑事責任を争っています)、それを聞知した時点で公表し、被告人に対して謝罪すべきは当然でしょう。その時点までに、特捜部内で大激論になったとされていますので、そのとき臭いものに蓋をしてしまった上層部の責任は重大ではないでしょうか。
 本件の発覚する端著はご多聞にもれず、内部告発でした。やっぱり、これだけひどいことが起きると、闇から闇に始末するのは許せないと思う人が出てくるものなのですよね。それにしてもフロッピーディスクで改ざんの立証が出来てよかったですね。客観的な裏付けがないと、問題があいまいにされてしまう危険が大いにありますからね・・・。
 検察用語でフタをするというのは、対多者に都合の悪い調書をつくっておいて、裏切ったら暴露するぞ、別件で逮捕するぞと脅しの道具に使うこと。なーるほど、それも駆け引きの道具なのですね。
 大阪地検特捜部の主任検事は、検事や検察事務官からの捜査報告書や供述調書など、担当する事件すべての証拠に目を通す。特捜部長よりも事件の構図を詳しく把握し、権限はなくても捜査を実質的に指摘していると言える。
 フォレンジック調査。コンピュータに関する犯罪があったとき、電子的記録を分析し、データ上で起きたことの証拠を集める調査技術のこと。不正アクセスの痕跡を探ったり、破壊・消去されたデータを復元したりすることから、電子記録に対する鑑識作業とも言われる。費用は1件あたり数十万円から100万円ほど。本件では20万円かかった。
 事件の容疑者や参考人から重要な供述を引き出すことを「割る」と検察では呼ぶ。それに長けた検事は「割り屋」と呼ばれる。
 関西検察。大阪高検が管轄する近畿2府4県を中心に、大阪高検と各地検を軸に、異動をくり返してキャリアを積んでいく検事たちが築く人的ネットワークのことをさす。関西検察に対して、関東検察という言い方はしない。関西検察の幹部たちは、大阪地検特捜部に配属された経験をもつ検事が多い。特捜部は関西検察にとって、いわば母胎のような組織だ。
 検察の底知れぬ腐敗が暴かれた事件を追った迫真の本です。
(2011年3月刊。1400円+税)

2011年6月30日

刑務所のいま

著者   日弁連   、 出版   ぎょうせい

 受刑者の処遇と更生について、日弁連拘禁制度改革実現本部がまとめた分かりやすい170頁余の冊子です。
 日本の刑務所のなかが実際にどのように運営されているのか、それは諸外国とどこが違うのか、コンパクトによくまとめられています。
刑務所の収容数のピークは2006年で8万1000人。2009年は少し減って7万5000人。
無期懲役は、今では運営上、死ぬまで刑務所を出られない終身刑化しつつある。
 日本は刑務所職員の1人あたり4.5人の受刑者をかかえている。これは、過剰収容のアメリカでさえ1人あたり3人、ドイツやフランスでは2人、イギリスでは1.5人というのに比べて、明らかに多すぎる。日本の刑務所の労働条件は、きわめて過酷である。
 今の世の中、厳罰化を求める声がかまびすしいのですが、収容所を増やせば刑務所の職員も増やさなくてはいけません。ところが、もう一方で公務員を減らせという圧力もかかっています。これでは、まともな矯正教育を保障することは出来ません。
 出所後5年以内の再犯率は50%。受刑者の4分の1を占める薬物事犯(女性では40%をこえる)の再犯率は年々ふえている。彼らは薬物依存症という病気にかかっている。
3割の再犯者によって6割の犯罪がなされている現実がある。だから、犯罪対策としては、とりわけ再犯防止対策が重要である。
 刑務所内で収容者が働いても、その賃金は月4200円が平均。この金額は日給ではなく、あくまで月給である。異常に低いものです。ですから、刑務所を出るときの所持金は平均4万3000円でしかない。
 アメリカの刑務所の収容者は230万人。ところが、20年前の1992年には130万人だったので、20年足らずで受刑者は2倍になったわけである。これだけ多いと、アメリカでは収容者を対象としたビジネスが成り立っているというのも、よく理解できます。
 収容者の高齢化がすすんでいる。60歳台では6年前の10%未満が12%超へ、70歳台では2%強が3%強へと、受刑者に占める割合も実人員も増えている。
高齢者が増えると、医療費もかさむ。全国の刑務所の医療関連予算は、2005年に30億円だったのが、2009年度には49億円になった。
刑務所も拘置所も収容者の高齢化には頭を悩ませており、専門の介護職が必要だと指摘されているようです。やはり刑務所の実情をふまえた量刑が必要です。市民が刑務所を訪問できるようになっているそうです。もっと交流する必要がありますよね。
(2011年5月刊。1714円+税)

2011年6月 2日

裁判を住民とともに

著者    板井 優  、 出版   熊本日日新聞社

 私と同世代の熊本の活躍している弁護士の半生記です。ええっ、早くも自伝なんか出したの・・・、と驚いていましたところ、地元新聞(熊日新聞)が45回にわたって「私を語る」という連載記事をまとめた本でした。それにしても、たいした人物です。こんなに社会的影響のある事件で勝ち続けているなんて・・・。改めて見直しましたよ。
 沖縄出身です。幼いころはナナワラバー(沖縄弁で悪ガキ)と呼ばれていたそうです。今を知る私なんかも、いやはや、さもありなんと、妙に納得したことでした。
 一般民事事件で相手方となったことがありますが、著者のもつド迫力に、私の依頼者は恐れをなしていました・・・。
 著者の両親は沖縄出身ですが、終戦直前に沖縄を離れていて助かり、大阪で結婚し、戦後、沖縄に戻って著者が生まれたのでした。ですから、私と同じくベビーブーム、団塊世代ということになります。
たくましい母親の姿には圧倒されました。土木所を営む父親が気の優しさから保証倒れで差押えされるのを見て、自ら合名会社を設立し、経営の実権を夫から奪って、オート三輪を乗りまわして会社を切り盛りしていたのです。日本の女性は昔から気丈なんですよね・・・。これは何も沖縄に限りません。私の家でも似たようなものです。小売酒屋を営んでいましたが、亭主(父)は酒・ビールの配達に出かけ、母ちゃん(母)が財布をしっかり握っていました。
 沖縄の激戦地でシュガーローフのすぐ近くで育ったとのこと。この『沖縄シュガーローフの戦い』は以前に紹介しました(光人社)。
 小学校は1クラス60人の21クラス、中学校は1クラス60人の18クラスだった。私の場合は、小学校は1クラス50人の4クラス、中学校は1クラス55人の13クラスでした。沖縄のほうがはるかに多いですね。
首里高校2年生のときに生徒会長になったそうですが、私も同じく県立高校で生徒会長(総代と呼んでいました)になりました。何ほどのこともした覚えはありませんが、他校訪問と称して四国や広島の高校まで泊まりがけで出かけたこと、役員になって先輩たちと楽しい関係が出来たことだけは良い思い出として残っています。
著者の場合は、国費で日本留学(大学入学)したのでした。ええーっ、という感じですが、まだ当時の沖縄はアメリカ軍の支配下にあって日本に返還されていなかったのです。
 著者は熊本大学に入り、そこで、今の奥様(医師)にめぐりあいました。弁護士になってから、水俣に法律事務所を開設し、水俣病訴訟を第一線で担いました。9年近い水俣での活動は大変だったようです。それでも、アメリカやギリシャ、そしてブラジルのアマゾン川にまで行って日本の水俣病問題を訴えたのです。すばらしい行動力です。そして、大変な努力のなかで水俣病の全面勝訴判決を勝ちとっていったのでした。
 また、税理士会の政治献金問題訴訟(牛島訴訟)にも関わり、見事な判決を引き出しました。この判決は憲法判例百選に搭載され、司法試験問題にまでなったというのですから、本当に大きな意義をもつものでした。
 ハンセン病訴訟でも実に画期的な勝訴判決を得ています。熊本にある菊池恵楓園があるのに、福岡で提訴する動きがあったそうです。やはり、地元の裁判所でないとダメだと主張して熊本で裁判はすすめられ、裁判官の良心を握り動かすことができたのでした。
川辺川ダム問題にも取り組みました。熊本地裁で敗訴したものの、福岡高裁で逆転勝訴しました。流域2000人の農家の調査をやり遂げたということです。その馬力のすごさには頭が下がります。
 以上で100頁たらずです。あと300頁は、著者の論文集が話を補充するものとして搭載されています。関心のある部分を読めば、さらに理解が深まります。
 板井先生、これからもますます元気でご活躍ください。
(2011年3月刊。2000円+税)

2011年5月24日

弁護士を生きるパートⅡ

著者    北海道弁護士会連合会 、 出版   民事法研究会

お待たせしました。弁護士を生きるパートⅠは福岡県弁護士会の編集によるものですが、今度のパートⅡは北海道の弁護士たちが登場します。南と北が出そろいましたので、次は中部か近畿あたりがいいですね。
北海道だけあって、南の九州ではとても考えられない弁護士像も紹介されています。
まず、トップバッターは、半農半弁で暮らす女性弁護士です。大阪から移り住み、馬を飼って乗馬を楽しんでいる弁護士がいることは知っていましたが、新聞記者をやめて農業で生きる決意した夫とともに北海道に移り住み、1年の半分だけ弁護士として活動している女性の弁護士がいるなんて、驚きました。しかも、さすが北海道の冬は厳しくて農作業が出来ないため、弁護士業務は11月から雪の溶ける4月までの半年間のみ、5月から10月までは弁護士業務をほとんどお休みしているというのです。依頼者にも、そのことをあらかじめ了解してもらって受任しているそうです。だから、法律事務所の看板も依頼者にしかわからないほど小さい。なーるほど、ですね。ただし、「のんびりした半農半弁生活」とはまったくかけ離れていて、気軽に進める気にはなれないとのこと。まあ、それでも、広い北海道の大地の一角で有機栽培に挑戦し、ファームレストランを維持するとは、たいしたものです。
二番手に登場してくる佐々木秀典弁護士は私が駆け出しの弁護士のころに東京で青法協の議長として活躍していました。故郷の旭川に戻って自民党代議士だった父親の後を継いで社会党の代議士になり、国会でも活躍しました。金大中氏が韓国のKCIAに東京から拉致されて殺害されようとしたとき、人身保護法による救済を東京地裁に申立したとのこと。最高裁は同法22条による自主処理権限で韓国大使館に金大中氏の存否を照会する処置をとった。このことは、アメリカの圧力とあわせて金大中氏の生命を救ったのです。のちに大統領になった金大中氏からとても感謝されたというのも当然ですね。
三番手の中村元弥弁護士は元裁判官。『こんな日弁連にだれがした?』という本を意識して、「左翼系」ではない元「世間知らずの判事補」として司法の現状を批判的に解説しているのも面白いところです。私自身は、そもそも「左翼系」とかというレッテルを貼って弁護士会を面白おかしく書こうとする『こんな・・・』の視点自体が根本的な弱点をもっていると考えています。
以下、いろんな分野における弁護士の活動が紹介されているのですが、福岡とは違って本人の書きおろしのため、学術的かもしれませんが、読みものとしての面白さに欠けるという難点があります。やはり、福岡のように本人に若手弁護士の前で語らせ、その面白さをキープしつつ、編集者のコンセプトをふまえて本人が手を入れていくという作業にしたら、もっと読みやすい本になったのではないかと思いました。
(2011年3月刊。2200円+税)

2011年4月15日

労役でムショに行ってきた

著者  森  史之助     、 出版  彩図社   
 
 罰金を支払えないときには労役場で働かされます。その状況をレポートしてくれる本です。著者は酒気帯びでつかまり、罰金25万円を命じられます。1日5000円として50日間の労役場留置です。著者は、川越少年刑務所に収容されました。収容されるとき、タバコや危険物を持ち込もうとしていないか調べるため、お尻の穴を両手で広げて見せなくてはいけません。
ペニスは異物を埋め込んでいないか、埋め込んでいるとしたら何個かを調べる。
刑務官は、労役場留置の人間に対しては、何かと「独房行きだぞ。一人は寂しいぞ」と脅す。それしかない。労役には、そもそも仮釈放という制度がない。相当な規則違反をしても、懲罰を受けたものはいない。
 労役場留置の多数派は、飲酒がらみの道交法違反である。労役受刑者は、寝るのも作業するのも、朝から晩まで24時間を雑居房の中で過ごす。くさいメシといっても、メシ自体は臭くない。そうではなく、臭い場所でメシを食わなければいけないのである。
著者に充てがわれた作業は、紙袋にヒモを通すこと。ショッピングバックの製造の一過程である。ノルマはなく、何かやっていないと6時間がたたないので、ひたすら手を動かす。完全週休2日制。しかし、土日も働いている計算としてカウントされる。これだけでも労役は、軽作業をさせることより留置することに重きを置いていることが分かる。
 
 1日5000円換算の仕事をしているから、何ももらえないかと思うと、1日40円の「給料」をもらえる。1日8時間、ショッピングバック800個にひもを通して40円がもらえる。
 1日5000円の罰金を免除してもらって、3食付で、40円がもらえる。では、ここにまた入りたいと思うかというと、みんなNOという。そりゃあ、そうですね。自由がありませんからね。
 土日の休みの日(免業日)は、昼食を終えると(午睡)の時間がある。夕食まで横になっていい。著者は免業日には、合わせて16時間も布団に入って、なかで過ごしたといいます。
雑居房には時計がない。労役受刑者は、一日の行程のすべてが時間によって管理されているのに、時計を見ることができない。その必要もないからだ。
労役場留置の貴重な体験記として一読をおすすめします。
 
(2011年1月刊。619円+税)

2011年3月29日

企業法務と組織内弁護士の実務

著者  東弁研修センター委員会、    出版  ぎょうせい
 
 私は、分類されるとマチ弁護士になるのでしょう。いわゆる労働弁護士(労弁)を目ざしたような気もしますが、労働事件はほとんど依頼されることがありませんでしたので、労弁ではありません。草の根民主主義を大切にしたいと考えてきましたから、自分としては民主的弁護士(民弁)と言いたいのですが、民弁といっても韓国と違って定着した呼び方ではありませんので、しっくりきません。仕事の大半は多重債務をふくめた消費者被害を扱うものですから、やっぱりマチ弁としか言いようがありません。だから、企業法務なんか、あんたには関係ないでしょうと言われると、実はそうではないのです。マチ弁は、実のところ、零細な中小企業を主たる依頼者としています。だから、いわゆる企業法務ではないのですが、スケールを何桁も小さくした企業法務を扱うのは主要な日常業務の一つなのです。その意味で、この本は私にとっても大変勉強になりました。
 契約書の作成と審査にあたっての大切な視点として、2つあげられる。一つは、契約書において依頼者の利益が確保されていること。二つは、リスクの回避がきちんとできること。契約条項が明確になっていることは第三者によって検討が可能であること、そして、当事者間による契約条項の内容の共通認識である。
 契約条項において、文章で権利・義務の主体を表示するときには、受動態ではなくて、できるだけ能動態をつかうことが重要である。
 リスクの回避には3段階ある。まず、リスクを指摘する。そして、次に、そのリスクを取れるリスクか取れないリスクかを評価する。さらに、そのまま受けとめるか、軽減するか対応する。この指摘、評価、対応という3段階をふんでリスクを検討する。
 法律事務所の弁護士と企業内の弁護士との違いの一番大きいのは、リスク評価に対する対応だ。企業内弁護士は、企業の一員として、ある程度はビジネスに関与して責任を負う。だから、リスクを指摘するだけではなく、この中で取れるリスク、取れないリスクをイニシアチブをもって指摘する。リスクがあるからNOというのは簡単だが、それはダメ。リスク回避の観点から、ビジネスを動かすためにはどうしたらいいのかを考えていく必要がある。企業法務部は、建設的な提言をする必要がある。そのためには、ビジネスに対する共感が大切だ。
 法務部のコメントは、こうすればビジネスは動きますよと、ビジネス部門を法的に武装してあげるものでなければいけない。ビジネスに対する共感を持ち、ビジネスを円滑に進め、そしてそこから発生する法的なリスクをいかに回避するか、ビジネス部内の人たちと協力し合うことが必要である。
 マスコミとの対応では、マスコミに迎合せよということではない。正しくマスコミをリードするのも危機管理の一つなのだ。
 危機管理の実務は三つある。一つは、被害を最小限に食い止める。二つは、自浄作用を働かせる。三つは、プロセスを社会に示す。説明責任は会社内だけでなく、社会に示して完結するもの。
 不祥事は厳罰に処するというポリシーを経営者が日ごろ口にしていると、現場はまず隠そうとする。そういう企業文化が必ず生まれる。そうではなくて、不祥事があったら、いち早く報告させる。過ちを速く報告したら、1点加点してやるくらいの組織体制が必要だ。もともと大した不祥事でないものを、役員の事後対応のまずさから大きいニュースバリューのものに育てあげていくことがある。それが、役員の善管注意義弱違反である。
 拙速な公表は、たしかにまずい。しかし、分かっている事実と分かっていない事実とをきちんと区別してプレス・リリースするのはとても大切なこと。これは鉄則である。取締役会で法務部が議論をリードするのは危険なこと。
 企業が自浄作用を働かさないと外圧がかかる。外圧とはマスコミ、捜査当局、監督当局そして行政だ。危機管理コンサルタントは、おじぎの仕方、派手なネクタイはいけない、金ピカの腕時計ははずせとか、小手先のテクニックを使いたがる。しかし、結局のところ、会社がどういう姿勢で、何をしてきたかが勝負どころだ。
 マスコミは、相手が期待する以上の情報を提供しないと、何日も記事を書きつづける。
 こんな研修だったら、還暦を過ぎた私でも、今からでも受けてみたいなと思うほど、内容の濃い本でした。
(2011年1月刊。2095円+税)

2011年3月24日

日本国憲法の旅

著者  藤森 研、    出版  花伝社
この本の序文(はじめに)に著者は次のように書いています。日本国憲法の大切さを自分の仕事と生活のなかで実感したというのはすごいですよね。弁護士をしていても、憲法を日頃意識するのは、実は私にしてもそんなに多くはないのです。反省させられました。
この35年間、新聞記者として事件や司法、教育、労働、戦後処理、ハンセン病、メディア問題などを取材した。その時々の課題を追う社会部記者の暮らしのなかで、いつもどこかで気になっていたのは、私の場合は、日本国憲法だったように思う。
著者は大学時代に、小林直樹教授の憲法ゼミに所属していたとのことです。そして、今は新聞社を退職して、専修大学で学生を教えています。
日露戦争のとき、与謝野晶子が「きみ死にたまうことなかれ」と反戦詩を発表したのは有名ですが、その前に、ロシアの文豪トルストイもイギリスで同じような反戦の論文を発表していました。いったい、晶子はトルストイの論文を読んでいたのか。著者は読んでいたと断言しています。時期として矛盾しないし、内容に類似性があるということが根拠になっています。実は、私は別の本でも、このことを追跡しているのを読んだばかりですので、著者の考えに同感です。
そして、晶子が日露戦争のあと、変節したのかと問いかけています。晶子は満州旅行に出かけたとき、ちょうど奉天で日本軍による張作霖爆殺事件に遭遇したのでした。この事件は、当時の日本では満州某重大事件として真相が秘匿されていましたから、晶子が真相を知っても、その考えを発表することはできなかったでしょう。
軍隊を持たないコスタリカにも著者は行って現地で取材を重ねました。モンヘ元大統領は次のように語ったそうです。
私たちは軍隊を持っていないだけに、どんな小さな紛争も看過せずに調停と仲介を通じて、積極的に平和をつくり上げていく。私たちの中立主義はイデオロギー的な立場で唱えているのではなく、人間の自由と人権を守る方向で考えている。アメリカは複雑な国だ。ペンタゴン(国防総省)やタカ派は反対であっても、アメリカ議会は我々の立場を承認する方向にあった。
そして、コスタリカでも注目すべきは選挙です。サッカーと選挙は国民的な祭典である。投票日直前になると、全国一斉に禁酒となる。過熱によるケンカの予防のため。ただし、これはコスタリカだけではなく、他の多くのラテンアメリカの国と同じ。そして、子ども選挙が行われている。高校生たちが企画・運営し、10歳前後の子どもたちが大人と同じように本物そっくりの投票箱に投票用紙を入れる。こうやって、子どもたちは民主主義とは何かを体験し、学んでいく。実践的な公民・政治教育が盛んにすすめられている。いやあ、これっていいことですね。日本で政治に無関心な人が多いのは、子どものとき学校できちんと教えられていないことにもよりますよね。
 コスタリカ政府がアメリカのイラク侵攻を始めたのを支持する声明を出したとき、一人の法学部生が憲法に反対すると提訴した。そして、最高裁は政府によるアメリカ支持の声明を違法とし、その声明の取り消しを命じる判決を出した。
 うむむ、これってなかなかすごいことですね。こうやって憲法をつかい、定着させていくわけですね。日本では、その点の努力がまだまだ弱いですよね。
 著者は本の最後を次のように締めくくっています。これまた、とても大切な言葉だと思いました。
 日本国憲法を世界に活かしていく歩みは可能だと思う。望めば、その歩みに直接かかわることもできる国に暮らしていることを、恵まれたことだと私は感じる。
 実は、著者は私と同じころ大学(駒場)にいたのでした。学生のころは面識がありませんでしたが、今では年賀状などをやりとりする関係にありますので、この本も贈呈していただきました。ありがとうございました。じっくりと読むに価する本だと思います。 
(2011年1月刊。1800円+税)

2011年3月13日

税務調査の奥の奥

著者  清家 裕 ・竹内 克謹、  出版  西日本出版社   
 
 3月の確定申告期に備えて、久しぶりに税務調査について勉強してみました。元税務署の調査官による面白い裏話も盛りだくさんの本です。
 税務署は税理士をコンピューターにデーターを入力して体系的に評価するシステムをつくっている。ペケの多い顧問先をたくさんもっている税理士にはマークがついている。
 脇の甘い税理士が山ほどいるので、税務署の側では「困ったときには○○税理士を狙おう」と言っている。つまり狙われた税理士の関与先を調査すると、たくさん税金がとれるというわけです。
 質問顛末書は書く(サインする)必要はなく、また、書いてはいけないもの。確認書に名前を書いてしまっても取り戻せる。間違ったことを書いていたときには、そう書いて改めて提出すればいい。
 税務署の調査官時代、1件あたりの調査日数は2~3日程度であった。お土産を用意している納税者は税務署にとっては、税金を取りやすい「いいお客さん」に該当する。だからそこへ出かけることになる。一度でも「お土産」を渡すと、税務署はその会社について、「調査すれば何か出そうな会社」という烙印を押し、3年に1回必ず調査が入ることになりかねない。
調査官が会社にやってきたとき、必要な帳簿や書類は、調査官が求めてから提出・開示するのが鉄則である。
 調査官がトイレに行くときも、案内を兼ねて同行する。調査官から名刺を受け取ったあと、身分証明書の呈示を求め、それをメモに書き写す。ともかく、それだけ落ち着いて対応すること。
テープレコーダー(ICレコーダー)やビデオ、カメラを用意しておく。
帳簿書類の持ち帰りを受任する義務はない。
調査官は、狙いのない世間話はしない。優秀なベテラン調査官ほど、世間話が上手だった。
質問顛末書は、調査官が納税者に「不正の意図があった」ことの証明にし、重加算税をかける意図で書かせようとするので、絶対に書いてはいけない。重加算税は35~40%である。ふむふむ、なーるほど。そう思って読了しました。
それにしても、いいかげんな税理士も多いようなので、税理士えらびは大切です。まあ、これは私たち弁護士についても言えることですが・・・・。
(2010年10月刊。1500円+税)

2011年3月 8日

冤罪をつくる検察、それを支える裁判所

著者  里見 繁 、  出版 インパクト出版社
 冤罪をつくり出した裁判官たちが実名をあげて厳しく批判されています。裁判官は弁明せず、という法格言がありますが、なるほど明らかに誤った判決を下した裁判官については、民事上の賠償責任を争うかどうかは別として、それなりの責任追及がなされて然るべきだと思いました。裁判官だって聖域ではない。間違えば厳しく糾弾され、ときには一般市民から弾劾もされるというのは必要なことなのでしょうね。
 著者は民間放送のテレビ報道記者を長くしていて、今では大学教授です。本書では9件の冤罪事件が取り上げられていますが、うち1件を除いて季刊雑誌『冤罪ファイル』で連載されていたものです。
 この9件の冤罪事件を通じて、冤罪は偶発的なミスとか裁判官や検察官の個人的な資質から生まれるのではなく、日本の司法制度そのものに冤罪を生みやすい土壌、もっと言えば構造的な欠陥があり、それがこれほど多くの冤罪を生み出す契機になっていると考えざるを得ない。
裁判官がミスを犯す大きな理由の一つは忙しすぎること。また、厳しい管理体制の中におかれ、出世競争の厳しさは検事の世界以上だ。出世の決め手となる成績は、一にも二にも事件の処理件数ではかられる。どんなに分厚い裁判記録も裁判官にとっては、たまった仕事の一つにすぎない。
 能力主義が能率主義にすり替わり、それが昇進に直結している。独立しているはずの裁判官が厳しい出世競争の中でサラリーマン化してしまい、倫理も正義もかえりみるひまがない。
 日本のマスコミでタブーとなっているのは三つある。天皇制、部落問題そして裁判所。あらゆる職業のなかで、裁判官だけはマスコミが自由に取材することのできない唯一の集団である。
 高橋省吾、田村眞、中島真一郎の3人の裁判官は、結局、医学鑑定書を理解することができなかった。長井秀典裁判長、伊藤寛樹裁判官、山口哲也裁判官は本当に刑事裁判の基本を理解しているのか、と批判されている。
 山室恵裁判官は痴漢冤罪事件で懲役1年6ヶ月の実刑判決を言い渡した。
このように実名をあげての批判ですから、名指しされた裁判官たちも反論ができればしてほしいものだと読みながら思ったことでした。でもこれって、やっぱり難しいというか、不可能なことなのでしょうね。今、それに代わるものとして裁判官評価システムがあります。10年ごとの再任時期に限られますが、このとき広く市民から裁判官としてふさわしいかどうか、意見を集めることに一応なっています。もっとも、この手続について市民への広報はまったくなされていません。私は広く知らせるべきだと前から言っているのですが・・・。
(2010年12月刊。2000円+税)

2011年3月 2日

冤罪の軌跡

著者  井上 安正 、  出版 新潮新書
 事件が起きたのは、今からもう60年以上も前のことです。1949年(昭和24年)8月でした。弘前大学医学部教授夫人が就寝中に殺されてしまったのです。犯人はなかなか捕まりませんでした。やがて、近所の警察官志望の青年が逮捕されました。事件のあと警察官まがいの行動をしていたことから、逆に不審人物とされたのです。とても不幸なことでした。
 有名な弘前大学教授夫人殺害事件について、当時、マスコミの一員として関わった著者が新しい視点で事実を再発掘して紹介しています。
それにしても、真犯人が名乗り出ているのに、その「自白」を疑わしいとした裁判官がいたというのには、驚きというより呆れてしまいます。そんな節穴の裁判官は過去だけでなく、現在もいることでしょうね。信頼できる裁判官がいることは私も大勢知っていますが、逆に、話にならないくらいにひどい裁判官にも何回となくぶちあたりました。決して絶望しているわけではありませんが、裁判官は間違わないというのは単なる幻想だというのは日頃の私の実感です。
 この事件では幸い真犯人が名乗り出たから、無実の人が救われたわけです。逆にいうと、真犯人が名乗り出なかったら、濡れ衣は恐らく晴れないまま死に至ったことでしょうね。それこそ、まさに無念の死でしょう。
 その冤罪の根拠となったのは、高名な古畑東大教授の鑑定書ですし、その「材料」を提供した警察です。なにしろ返り血を浴びたはずのシャツに、当初はなかった血痕があとになって出てくる「怪」がありました。そうまでしても、警察は「犯人検挙」の実績をあげたいのですね・・・。
 古畑教授は、法医学は社会の治安維持のための公安医学であると高言していた。ええーっ、そんな馬鹿な、と思いました。同じ法医学者でも、本村教授は、法医学は無実の者が処罰されることのないようにする学問だと言い切ります。まさにそのとおりだと私は思います。
 世の中は本当に怖いことだらけですね。殺してもいないのに殺人罪で有罪となったという人が日本でもアメリカでも何十人もいて、刑死させられた人も多いというのですからね・・・。
 
(2011年1月刊。700円+税)

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