弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2011年3月 8日

冤罪をつくる検察、それを支える裁判所

著者  里見 繁 、  出版 インパクト出版社
 冤罪をつくり出した裁判官たちが実名をあげて厳しく批判されています。裁判官は弁明せず、という法格言がありますが、なるほど明らかに誤った判決を下した裁判官については、民事上の賠償責任を争うかどうかは別として、それなりの責任追及がなされて然るべきだと思いました。裁判官だって聖域ではない。間違えば厳しく糾弾され、ときには一般市民から弾劾もされるというのは必要なことなのでしょうね。
 著者は民間放送のテレビ報道記者を長くしていて、今では大学教授です。本書では9件の冤罪事件が取り上げられていますが、うち1件を除いて季刊雑誌『冤罪ファイル』で連載されていたものです。
 この9件の冤罪事件を通じて、冤罪は偶発的なミスとか裁判官や検察官の個人的な資質から生まれるのではなく、日本の司法制度そのものに冤罪を生みやすい土壌、もっと言えば構造的な欠陥があり、それがこれほど多くの冤罪を生み出す契機になっていると考えざるを得ない。
裁判官がミスを犯す大きな理由の一つは忙しすぎること。また、厳しい管理体制の中におかれ、出世競争の厳しさは検事の世界以上だ。出世の決め手となる成績は、一にも二にも事件の処理件数ではかられる。どんなに分厚い裁判記録も裁判官にとっては、たまった仕事の一つにすぎない。
 能力主義が能率主義にすり替わり、それが昇進に直結している。独立しているはずの裁判官が厳しい出世競争の中でサラリーマン化してしまい、倫理も正義もかえりみるひまがない。
 日本のマスコミでタブーとなっているのは三つある。天皇制、部落問題そして裁判所。あらゆる職業のなかで、裁判官だけはマスコミが自由に取材することのできない唯一の集団である。
 高橋省吾、田村眞、中島真一郎の3人の裁判官は、結局、医学鑑定書を理解することができなかった。長井秀典裁判長、伊藤寛樹裁判官、山口哲也裁判官は本当に刑事裁判の基本を理解しているのか、と批判されている。
 山室恵裁判官は痴漢冤罪事件で懲役1年6ヶ月の実刑判決を言い渡した。
このように実名をあげての批判ですから、名指しされた裁判官たちも反論ができればしてほしいものだと読みながら思ったことでした。でもこれって、やっぱり難しいというか、不可能なことなのでしょうね。今、それに代わるものとして裁判官評価システムがあります。10年ごとの再任時期に限られますが、このとき広く市民から裁判官としてふさわしいかどうか、意見を集めることに一応なっています。もっとも、この手続について市民への広報はまったくなされていません。私は広く知らせるべきだと前から言っているのですが・・・。
(2010年12月刊。2000円+税)

2011年3月 2日

冤罪の軌跡

著者  井上 安正 、  出版 新潮新書
 事件が起きたのは、今からもう60年以上も前のことです。1949年(昭和24年)8月でした。弘前大学医学部教授夫人が就寝中に殺されてしまったのです。犯人はなかなか捕まりませんでした。やがて、近所の警察官志望の青年が逮捕されました。事件のあと警察官まがいの行動をしていたことから、逆に不審人物とされたのです。とても不幸なことでした。
 有名な弘前大学教授夫人殺害事件について、当時、マスコミの一員として関わった著者が新しい視点で事実を再発掘して紹介しています。
それにしても、真犯人が名乗り出ているのに、その「自白」を疑わしいとした裁判官がいたというのには、驚きというより呆れてしまいます。そんな節穴の裁判官は過去だけでなく、現在もいることでしょうね。信頼できる裁判官がいることは私も大勢知っていますが、逆に、話にならないくらいにひどい裁判官にも何回となくぶちあたりました。決して絶望しているわけではありませんが、裁判官は間違わないというのは単なる幻想だというのは日頃の私の実感です。
 この事件では幸い真犯人が名乗り出たから、無実の人が救われたわけです。逆にいうと、真犯人が名乗り出なかったら、濡れ衣は恐らく晴れないまま死に至ったことでしょうね。それこそ、まさに無念の死でしょう。
 その冤罪の根拠となったのは、高名な古畑東大教授の鑑定書ですし、その「材料」を提供した警察です。なにしろ返り血を浴びたはずのシャツに、当初はなかった血痕があとになって出てくる「怪」がありました。そうまでしても、警察は「犯人検挙」の実績をあげたいのですね・・・。
 古畑教授は、法医学は社会の治安維持のための公安医学であると高言していた。ええーっ、そんな馬鹿な、と思いました。同じ法医学者でも、本村教授は、法医学は無実の者が処罰されることのないようにする学問だと言い切ります。まさにそのとおりだと私は思います。
 世の中は本当に怖いことだらけですね。殺してもいないのに殺人罪で有罪となったという人が日本でもアメリカでも何十人もいて、刑死させられた人も多いというのですからね・・・。
 
(2011年1月刊。700円+税)

2011年2月15日

国民のための刑事法学

著者  中田 直人 、  出版 新日本出版社
 
 戦前、戦後の司法制度の歩みがよく分かる本です。
 戦前の日本では、検事のほうが裁判官よりも実質的な地位は高かった。裁判官の人事権を握っているのは司法省である。だから、裁判官から検事になって司法省に役人として勤めるほうが出世は早かった。司法大臣の中には検事総長出身者がたくさんいた。しかし、裁判官出身者は一人もいない。裁判官は検察官出身者によって握られていた。
 日本の裁判所の中には、戦前もそのような司法省支配による裁判のあり方に抵抗し、裁判官の独立をかち取る必要があると考えて研究していたグループがあった。これが「さつき会」である。戦後、HGQのオプラー法制司法課長は「さつき会」の人たちと接触しながら司法制度の改革をすすめようとした。しかし、オプラー課長は「さつき会」の力を過信していた。「さつき会」は非公然のグループであって、当時の裁判官たちの広い支持を得ていなかった。むしろ、裁判官層は猛烈に反発した。
「さつき会」がかついだ細野長良・大審院院長に対しては猛烈な反発があり、細野氏は戦後の最高裁判事の推薦名簿にも載せられなかった。このとき、反対派は謀略的なニセ電報まで打って細野氏とその一派を引きずりおろした。そのなかで三淵忠彦という初代の最高裁長官は選ばれ、司法省の役人の経験者が最高裁事務総局に流れ込んでいった。
最高裁事務総局が今日に至るまで全国の裁判官の人事を統制しています。配置から給料から、すべてを決めて一元支配しているというのも恐ろしいことです。
 もっとも、最近では、あまりに統制が効きすぎて、現場の裁判官たちが自分の頭で考えなくなってしまったという反省も出ているようです。ですから、むしろ最高裁判決の方が時代の流れに敏感な、大胆判決を出すことも数多く見受けられます。
 裁判は公正であるという幻想が、裁判の作用をいっそう狭いものにしようとする。これらが相互に影響しあって、裁判官が真実と正義の要求に目を向けることを妨げる。世論を作り出すことは、この妨げをまず除去することである。しかし、世論は、やがて裁判官を動かす主要な要素に転化する。
個々の裁判官は、大衆運動なんかには影響されないぞ、自分の知恵と学識と両親によって判断したんだと、個人的な意識のうえでは、それなりに自負しているに違いない。裁判官の置かれている現実世界の広さ(むしろ狭さ)に目を向けたい。大衆的裁判闘争こそが、そうした現実世界を変革する。大衆的裁判闘争は、世論を新たにつくり出す以外に公正な結果を得ることができないという客観的情勢があるとき初めて必要となり、また可能となる。裁判闘争はすべて大衆運動に訴えるべきものでもなく、また、そのように発展するものでもない。大衆的裁判闘争は、裁判所を物理的に包囲したり、裁判官個々に威圧を加えたりはしない。
裁判官も人間である。人間を動かす力は、人間による人間としての批判である。裁判官の弱さ、その世間の狭さによって、裁判における予断と偏見が生まれる。
裁判官だけでなく、どんな人でも、自分のやろうとしていることについて多くの人が関心を寄せていることを感じると必ず、これは一生懸命にやろう、誰からもケチをつけられないよう、批判に耐えられるようなしっかりしたことをやろうと思う。これは人間の心理として当然のこと。たくさんの投書が裁判所に届き、書記官がもってくる。ほとんど読まない。それでも、なるほど、これだけ関心を持たれているんだったら、きちっとしっかりした裁判をしなきゃだめだという気持ちになる。そんなプラスの効果をもっている。
誤った判決をだす裁判闘争のなかで署名を広く集める運動の意義は決して小さくないことが分かります。
メーデー事件、松川事件、狭山事件などの戦後の裁判史上あまりにも有名な事件の弁護人としての活動、さらには公安警察のスパイ行動を裁く裁判にも触れられていて、大いに学べる本となっています。若手弁護士の皆さんにとくに一読をおすすめします。
(2011年1月刊。4000円+税)

2011年2月 5日

労働の人間化とディーセント・ワーク

著者  牛久保  秀樹、    かもがわ出版 
 
 ディーセント・ワークという言葉は耳新しく、まだ聞き慣れません。ディーセント・ワークについて、この本では、人間らしい労働と訳すことを提案しています。ディーセントというのは、こざっぱりとしたという感じの言葉です。
 著者は日本の労働事件をたくさんあつかうなかでILO(国際労働機関)の果たしている大きな役割に注目し、ジュネーブの本部へ何度も足を運んだのでした。九州大学の吾郷真一教授はILOで働いたこともある人物で、そのすすめもあったということです。実は、著者も吾郷教授も、そして私もみんな大学の同級生なのです。そして、著者は1968年に始まる東大闘争で活躍したヒーローです。私などは、いつも著者のアジ演説を聞いて、すごいなすごいなと励まされていた一兵卒でした。
 吾郷教授は、日本の弁護士は、もっと国際法を勉強しないとだめだと叱っているということです。そうなんでしょうね。でも、語学力のなさからつい国際法を敬遠してしまうのです。
 天下の野村證券が社員の女性差別をして裁判になったとき、日本での裁判と同じく影響力を持ったのがスウェーデンにあるGESという投資適格情報提供会社であった。この会社は、裁判所で判決が出て、ILOから是正勧告が出ているのに野村證券はそれを守っていない。そんな会社は投資不適格であるというレポートを全世界に公表した。つまり、国際基準を守らない企業は投資先としても不適格だとしたのである。
 なーるほど、ですね。日本では天下の野村證券であっても、国際的には違法なことを平気でやり通す横暴な企業の一つに過ぎないと判定したわけです。痛快ですね。
著者は日本における労働の意義がおとしこめられていることを鋭く告発しています。この社会の未来を担う若者たちにこそ労働が魅力あるものに、人生をかけるためにふさわしいものとならなければならないと力説しています。まったく同感です。
 私の事務所で働いている30代の女性が、こんどの一斉地方選挙に立候補することになりました。彼女は法律事務所で働きながら、弱い人たちの支えになればと思って一生懸命にがんばってきたが、さらに飛躍してがんばりたいという決意を語ってくれました。私も精一杯に応援するつもりです。若者が働くことに意義を感じることの出来ない社会では、日本に未来はありません。私の好きな言葉は、未来は青年のものというものです。久しぶりに20代の熱き血潮をも思い出させてくれる本でした。
 この本には、このほかフランスやスイスなど、ILO訪問のあいまに訪問した観光地の紹介も載っていて、楽しく読みました。幸い私の行ったところも多く、アヌシーなど再訪したいと思うところもたくさん登場しています。
(2007年3月刊。1800円+税)

2011年1月25日

一見落着、再び

著者 稲田 寛、    出版 中央大学出版部
 元日弁連事務総長だった著者によるエッセイです。先輩弁護士の話は、いつ聞いても(読んでも)参考になります。
 市役所の相談窓口で法律相続を受けるとき、著者は、しばらくは口をはさまずに耳を傾けるようにしているとのこと。なかなか本題に入らない人については、「途中で口をはさむようですが、今日は何を一番お聞きになりたくて見えられたのですか」と質問して、話を本題にもっていけるように誘導する。冒頭から相続内容や結論を探ろうとして質問を重ねてみると、萎縮してしまい、十分に話が聞き出せないおそれがある。うむむ、これは私にはなかなか出来ないことです。気の短い私は単刀直入、ずばり質問ことが多くて、自分でもああしまったなとか、反省することも多いのです。ただ、市役所の職員が事前に質問内容を聞きとってくれているときには、すごくはかどります。30分という制限の中で、著者のような対応をするのは、決して容易なことではありません。
著者は1994年(平成6年)に土屋公献会長の下で、日弁連事務総長に就任します。 横浜で坂本堤弁護士一家がオウム真理教によって殺害されましたが、まだ真相が究明さていないときのことです。土屋会長をはじめとする日弁連執行部は、横浜市内にあった坂本弁護士宅を訪問調査しました。私も、このとき、日弁連理事の一人として参加しました。どこにでもあるような普通のアパートの2階が坂本弁護士宅でした。その室内にオウム真理教のバッジが見つかったのですが、警察は犯人をオウム真理教ではなくて、「過激派の内ゲバ」では・・・、なんてとんでもないことを言うばかりでした。
司法試験の改革が議論されていました。このころの合格者は700人でした。丙案という、合格者の3割は3年内の受験者とするという、大変いびつな制度が試行されていたころのことです。
12月21日に日弁連は臨時総会を開きます。荒れる総会が予測され、それを心配したグループが執行部案とは別の議案である関連決議案を総会にはかったのです。今後5年間は800人の合格者とするというものでした。この関連決議案は圧倒的多数の賛成によって可決されましたが、執行部案も6対4で辛じて可決、承認されました。このときの総会を陰謀があったという本(『こんな日弁連に誰がした』)が出ていますが、この本を読んでも、この総会で陰謀があったなどとはとても思えません。私自身も、この12月21日の総会に出席していたとばかりに思っていましたが、当時の日誌をみてみると出席はしていませんでした。しかし、いずれにしても陰謀論は単なるタメにする議論にすぎず、根拠はないと私は思います。要は、現状維持ではなく大幅増員容認へ舵を切っていった(まだまだ、その後も会内では激しい抵抗が続いていましたが)総会の一つだとみるべきだと私は考えています。
大変読みやすく、しかも味わい深い内容でしたから、一気に読み通しました。
(2010年10月刊。1900円+税)

日曜日の午前中、フランス語の口頭試問を受けました。3分前に2問を知らされ、うち1問について3分間スピーチをします。今回の1問は、日本の自殺者が年に3万人をこえていることをどう考えているか、というものでしたから、迷うことなく、こちらを選択しました。といっても、フランス語で話すのですから大変です。いくつかの理由があることを話しはじめたのですが、なかなかうまくいきませんでした。そのあと、に、試験官と問答します。フラ為すでも自殺者は増えているような話が出ていました。
 この試験にむけて、朝晩、フランス語をずっと勉強しました。今回はともかく話さなければいけませんので、いくつか文章を暗唱するよう努めました。試験官の前に出ると、頭の中が真っ白になって、簡単な単語すら出てこないようになるからです。
 わずか10分間の試験なのですが、終わったときには何だか人生の重大事をやり遂げたという疲労感がありました。今回はペーパーテストの成績が悪くなかったので、恐らく最終合格していると思います……。

2010年12月28日

長崎年金二重課税事件~間違ごぅとっとは正さんといかんたい!

税理士江﨑鶴男著  清文社  2010年


今年7月6日、最高裁第3小法廷で「年金型生命保険金の受給権に相続税を課税した上で、更に個別の年金に所得税を課税した更正処分が法の禁止する二重課税に当たるものとして、その更正処分を取り消す」旨の判決が出された。


著者は、平成14年分の所得税の確定申告から始まり、更正処分、異議申立て、裁決を経て、長崎地裁の勝訴判決、福岡高裁の敗訴判決、そして今回の最高裁の逆転勝訴判決に至るまでの長い道のりを納税者と共に闘いぬいた税理士である。私もまた、その闘いに共感し、支援者として訴訟に参加した。著者は、判決宣告から5か月を経て、その闘いを振り返り、本書を上梓した。


考えてみれば、税務訴訟とは不思議な法分野である。弁護士からは「私は税法は苦手だから」と敬遠され、税理士からも「私は裁判を知らないから」と敬遠される、いわば鬼っ子である。勝訴率が低いことの一因も、この辺りにあるのであろう。このことは、本裁判の主任弁護士として活躍された当会の丸山隆寛弁護士も、本書の巻頭言で「エアポケット」という言葉を用いて、同趣旨のことを述べられている。私たち弁護士が、正しい課税のために税務訴訟を勝ち抜くためには、税理士との共同作業が必要であるとの思いは深い。


私どもは、最高裁に本件を上告した時、実質論に立脚すれば必ず最高裁は応えるであろうと思いつつ、他方でルールなき実質論は法的安定性を害することも懸念し、どのようなルールを最高裁に提示すべきかで大いに悩んだ。そして率直に申すならば、私どもは、二重課税の是非を判断するための明確なルールを最高裁に提示するには至らなかった。この辺りの悩みは弁護士に特有のものであり、江崎税理士たちは「必ず勝てる」とひどく楽観的であったことが印象に残る。


良い風が吹き始めたのは、上告後、金子宏東京大学名誉教授から、本件について現在価値の概念を持ち込み、「運用益から切り離された元本部分に対する課税は二重課税に当たるであろう」とのご意見をいただいた時期からである。金子教授の意見は明確なルールの提示であり、結局は最高裁もこのルールを採用した。


上告審の弁論で思い出に残る場面がある。それは江崎税理士が居並ぶ最高裁判事の前に「私は煙草を吸う。現在の課税の実務と高裁の判決は、私が一箱の煙草を買う時に税金を課し、更に私が一本の煙草を吸う時に税金を課すことを認めるものにほかならない。このような不当な実務と判決は、断固是正されなければならない」と口頭弁論を行ったことである。これは比喩であるが、本件の本質を射抜いている。


さて本書は、以上のような7年間にわたる闘いを納税者である未亡人と共に闘った税理士の自分史であるが、さまざまな苦労が描かれているものの、そこに一貫して流れている論調は、「間違ごぅとっとは正さんといかんたい!」という至って素朴な副題に見られる、ひどく明るい楽観主義である。訴額わずか2万円の訴訟を支えてきたのは、このような素朴な正義感なのであろう。


私たち弁護士は正義を実現するためにこの職業を選んだはずであるが、現実社会の中のさまざまな壁に阻まれて正義を貫くことに苦痛と苦労を感じ、時に正義に懐疑心を抱く。しかし、このような壁を打ち破る最大の原動力は、その正義感そのものであることを、本書とその著者の闘いに見たと思うのである。

弁護士業務改革

 著者 日弁連業革シンポ運営委員会、 弘文堂 出版 
 
 昨年(2009年)、松山で開かれた第16回弁護士業務改革シンポに私も参加しましたが、この本には、5つの分科会での議論状況が大変要領よく、読みやすい形でまとめられています。今後の法律事務所の運営を考えるうえで、大変参考になる本だと思います。
私の事務所にもホームページ(HP)があり、市民向けの広告宣伝につとめているつもりですが、そのときに悩ましいのが専門分野を表示したいのに出来ないことです。日弁連には専門認定システムがまだありません。
 アメリカのカリフォルニア州弁護士会には22万人の弁護士がいて、16万人が実働している。平均年齢47歳、6万人以上は単独もしくは小規模の事務所に所属している。カリフォルニアの専門認定弁護士制度は1972年に始まった。当初は、刑事法、税務、労災そして次に家族法が加わった。一般市民にもっとも身近な法分野から始まったわけである。現在、4153人の専門認定弁護士がいる。圧倒的に多いのが一つだけ認定をもらっている弁護士である。
 専門認定を受けるためには5年の実務経験がいり、同業者からの評価も認定要件となっている。再認定の要件は、5年ごとに継続的に専門分野で仕事していること、1年間に15時間、5年で60時間の継続教育を受けることなどである。専門認定を受けた弁護士は、それまでより20%も報酬が上がった。
4千人というのは意外に少ないと思いましたし、一つだけというのにも驚きました。認定要件も同業者からの評価がいるなど厳しいと思います。
日本では、弁護士人口が増大するなかで、弁護士複数の事務所も増えています。2008年時点では、2人に1人の弁護士が2人から10人の事務所に所属する。
 それによって、分野のバラエティーが増し、仕事の効率が良くなり、その結果として弁護士のクオリティーが向上する。事件の過誤を防止し、案件を多角的に検討することができる。また、ブランドイメージとなって、信用力が強まる。
 弁護士の競争が激化していくとき、それに勝ち抜く手段は専門化である。
事務所の経営形態が実にさまざまであることが紹介されています。私の目を魅いたのは、弁護士が共同で受任するとき、その事件を受けた弁護士が報酬の3割をまずもらい、残りの7割を事件にかけた時間の割合で分けるというシステムをとっているところがあるというものです。
うむむ、これって案外、合理的なシステムなのかもしれないと思いました。
毎朝9時から全員でミーティングをしている事務所。週に1回は夜6時半から9時まで、事務所で食事つき、アルコール抜きで事務所(弁護士)会議をやっているところ。パートナーが月2回集まり、ランチを食べながら経営会議をしていところ。ベテラン弁護士が事務局長となり、事務員の側に事務局次長を1人おいて、指揮命令系統の簡素化を図ってるところなど、さまざまな工夫がされています。私の事務所でも、事務員をふくめた所員全員の事務所会議のほか、弁護士だけの昼食会をもっています。日程調整が容易でないのが悩みです。
フランスでは、弁護士はスペシャリストである前に、ゼネラリストでなくてはならないと強調されているそうです。たしかに、専門性は必要ですが、その前に弁護士としての基本的資質を身につけておく必要があるということでしょう。これから弁護士と法律事務所のあり方を考えるうえで必読の文献だと確信します。 
(2010年12月刊。3800円+税)

2010年12月13日

最高裁判所は変わったか

滝井繁男「最高裁判所は変わったか~一裁判官の自己検証~」 2009年 岩波書店


今年7月7日、最高裁第3小法廷は「嫡出でない子の相続分は、嫡出子の相続分の2分の1とする」旨の民法900条4号の規定に従って決定された遺産分割審判が違憲だとして特別抗告された事件を、大法廷に回付した。周知のとおり平成7年7月5日の大法廷決定では、「本件規定は、合理的理由のない差別とはいえず、憲法14条1項に反するものとはいえない。」と判示された。もっとも、この決定には5裁判官の反対意見があった。


このような経緯から察すると、今回は第3小法廷で「違憲説」が多数を占め、裁判官会議でも「この時期にこの事件について最高裁の見解を示す必要がある」という意見が多数を占めたのであろうと想像される。そこで、前に学会から最高裁に入った団藤重光の著書を読んだことに引き続き、比較的最近弁護士会から最高裁に入った著者の著書を読んでみることとしたのである。


予想通り、著書には「さし当り、国民の間で見解のわかれる問題について近いうちに改めて判断が迫られることになるであろうと思われるのは、非嫡出子の相続分が嫡出子の半分となっている民法900条の規定ではないだろうか。」との問題提起の一文があった。著者は、この問題についての私見を明らかにしていないが、どうやら違憲と考えているような書きっぷりである。


著者は、上述の問題のごとき個別の問題を紹介しつつも、最高裁の果たすべき役割を強く訴えている。すなわち、最高裁が①憲法裁判所の役割、②通常事件の最終審の役割、③司法行政の最高機関の役割を持つことを前提として、上告事件・上告受理申立事件の激増により、憲法裁判所としての役割が十分に果たされていないのではないかと憂いている。例えば、著者は、先例となる大法廷判決を引用して「その趣旨に徴して合憲であることは明らかである。」と論ずる小法廷判決が少なからず見られることを指摘し、憲法判断を回避する傾向があることを率直に認めている。そして憲法裁判所としての役割を重視すべきことを提言している。


さてわが身を振り返り、どうか。たしかに私も上告や上告受理申立てを濫発しており、著者の指摘が身にしみる。しかし、司法手続の利用者の立場からは、「第一審、控訴審の判断が誤っていたとしても、最後は最高裁が救ってくれる」という希望があるからこそ、通常事件の最終審としての最高裁に期待するところが多大なのである。そして実際に最高裁は、下級審では決して見られないような新しい判断を示すことがよくある。私どもはそのような最高裁の良識を信じて、最高裁の扉をたたくのである。


そもそも現行憲法下の最高裁は、旧憲法時代に通常事件の最終審であった大審院の役割と、違憲立法審査権を有するアメリカ連邦裁判所の役割を共に担うものとして設計されており、その意味で責任過多なのではないかとの根源的な疑問が感じられる。このような憲法の二重性格は、大陸法の要素と英米法の要素を相備えている刑事訴訟法の二重性格とも共通している。わが国法体系のねじれは、このようにときどき顔を現わす。


さて私が近時注目している最高裁継属中の事件は
①上述の非嫡出子の相続差別の事件
②衆議院の一票の格差の事件
③海の中道の交通事故の事件
である。①と②は憲法14条の判断に踏み込むであろう。③は憲法31条の判断に踏み込むのであろうか、それとも事実認定の問題として処理するにとどまるのであろうか。


最高裁の役割をいろいろ考えさせてくれる一冊であった。

2010年12月10日

名もなき受刑者たちへ

 著者 本間 龍、 宝島文庫 出版 
 
 日本の刑務所人口が高齢化し、福祉行政の一部と化している実情が哀愁ただようタッチで描かれている佳作です。著者は、栃木県の黒羽刑務所に収監されていました。
黒羽刑務所には関東圏最大の初犯刑務所で1700人の受刑者がいる。
 日本には77の刑務所があり、7万5千人の受刑者がいる。初犯で刑期が8年以下だと初犯刑務所、強盗などの重罪犯、再犯者、暴力団関係者は累犯刑務所に入れられる。毎年3万人の入出所がある。
 刑務所には年齢制限がないので、相当な高齢者も入ってくる。近年は、高齢者の犯罪が激増し、60歳以上の高齢受刑者は2割に近い。
刑務所に働く1万7千人の刑務官のうちキャリア以外はほとんど高卒である。
 独居房は3畳。雑居房だと15畳ほどの部屋に9人以上が詰め込まれる。狭いし、プライバシーもない。医療も十分な水準にない。刑務所生活は決して楽なものではない。
 刑務所内で一番怖いのは同囚といざこざをおこして懲罰を食らうこと。過密状態の雑居にいたら、その危険性は高まる。ここでのケンカは、両成敗が原則なので、一方的に売られたケンカであっても、自分にも懲罰される可能性は高い。1回でも懲罰になると、等級が下がり、仮釈放も遠ざかる。
 刑務所にいる受刑者には、生まれてこのかた他人(ひと)に褒められたことがないという人が非常に多い。いろんな事情で子どものときから、いつも馬鹿にされ、叱られ、けなされているうちに粗野で凶暴になり、いつしか道を誤ってしまう。
 1960年代にアメリカの刑務所では暴動が頻発した。その原因の多くが食事のひどさにあった。そこで刑務所では食事だけは継続的に最重要改善項目になっている。3食合計で1日のカロリーは、主食が1600キロカロリー、副食が1000キロカロリーの合計2600カロリーと定められている。副食の予算は一日500円。だから、けっこう美味しくて栄養効果のある食事になっている。
 刑務所での医療は健康保険が効かないが、すべて無料。医療予算は年36億円、年々増加している。2007年度の新受刑者3万450人のうち、いわゆる正常な人とのボーダーラインIQ69以下の人が6720人、さらに知能の低いテスト不能者も1605人いた。
 つまり、刑務所に入る3割に知的障害の可能性がある。
年間3万人の出所の半分1万5千人は満期出所である。
 福祉から切り捨てられた触法障害者や認知症高齢者などの人々を、刑務所が塀の中で守ってやっているのが今の日本社会の実態である。うむむ、なんとなんと、そういうことでしたか・・・・。  
 一人の受刑者にかかる予算は年間300万円。これに、逮捕から裁判、それに至るまでの勾留費用をふくめると、一人あたり年1000万円ほどかかっている計算である。
 うへーっ、そ、そうなんですよね。刑務所のなかは、外の実社会の本質をうつし出す社会的な鏡をなしているという印象を受けました。
 こんな刑務所のなかで著者は精一杯、高齢受刑者の面倒をみていました。頭の下がる努力です。刑務所のなかの実情はもっと広く世間に知られるべきですね。
 同じような体験記である山本譲司元衆議院議員による『獄窓記』(ポプラ社)にも感銘を受けましたが、本書も一読をおすすめします。 
(2010年11月刊。457円+税)

2010年11月18日

刑務所の中の中学校

 著者 角谷 敏夫、 しなのき書房 出版 
 
 読んでいるうちに胸がきゅんと締めつけられ、心臓が燃えたち、目から涙があふれ出て止まらなくなりました。
「きみの田舎では、正月にはどんな料理を食べますか?」
「帰ったことがないから、分からない」
子どものころの正月の話をする生徒は誰もいない。年賀状を出すところもなければ、年賀状が来ることもない。小学校も満足に通っていない。中学校は中退した。そんな彼らが、今、刑務所にいながら中学校の勉強を必死になってするのです。人間って、本当に変わるものなんですよね。この本には、いくつもの感動があります。
 自分はどんな存在なのかな。何のために生きているのかな。なぜ本を読んだり、勉強したりするのか、本当にそんなことが生きるうえで必要なのか・・・・。そんな疑問を胸に抱いている若い人には絶好の本です。
 最近、テレビの番組にもなったようですね。私は観ていませんが・・・・。テレビ映像もいいでしょうが、この学校で30年間も実際に教えていた人の書いた本を読むのもいいものですよ。人間って、まだまだ捨てたものじゃないと実感させてくれ、明日に生きる力を分け与えてくれます。
 長野県松本市立旭町中学校の桐分校は、全国で唯一の刑務所の中にある中学校。松本少年刑務所のなかにあり、そして中学校ではあるが、そこに学ぶ生徒は未成年とは限らない。それどころか60歳をはるかに超える生徒までいる。
桐分校のスタートは1955年(昭和30年)のこと。以来、55回生までの卒業生が691人いる。ここは全国の義務教育未終了の受刑者の中から希望者を募集する。そして、中学校の第三学年に編入学させる。1年間の勉強で卒業が認定されると、卒業証書が渡される。この間、刑務作業は免除される。
この中学校では大変な猛勉強をします。1年間で中学3年間分の勉強をするのですから、大変です。朝は8時から夕方4時半まで、1日7時間の授業を受けます。夜は10時まで勉強します。なんと1日10時間の勉強です。そして、夏休みも冬休みもありません。英語ももちろんあります。教師は、教員免許をもった法務教官7人と旭町中学校の教諭1人があたります。
生徒は、年齢にかかわらず、詰襟の学生服、夏はワイシャツ。入学者は、このところ減ってきて、1年に7~8人くらい。年齢は、17歳から67歳まで。このところ日本人だけでなく、外国人受刑者も増えてきた。入るためには面接を受ける。そのとき重視されるのは学力ではなく、本人の勉学意欲の確認。しかし、意思がないという生徒を説得することもある。うむむ、すごいですね・・・・。
入学式の当日から授業は始まる。教科書は中学3年生用のものが無償で配布される。
梅雨が明けるまで、なんとか持ちこたえられれば、1学期が乗り越えられる。そうすると、翌年3月の卒業までたどり着ける。6月には中間テスト、工場対抗ソフトボール大会。7月には七夕、8月にはプールで水泳。9月には運動会がある。そして、10月には遠足まであるのです。しかも、手錠も捕縄もなく・・・・。付き添いの職員が緊張する一日です。遠足は、決して事前には知らされません。当日の朝、初めて知らされます。朝、机の上にブレザー、スラックスそしてネクタイが並べられ、朝食のあと、今日は遠足だと告げられるのです。そして引率の教師が宣言します。
 「今日、ぼくは手錠も捕縄も持っていきません。ただ一つの武器を持っていきます。それは『信頼』です」
 いやあ、すごい言葉ですね。胸がじーんとしてきます。そして、なんと、開所以来、一度も逃走事故はないのです。すごいですよね。うれしくなります。
 2月の遠足は本校にあたる旭町中学校を訪問します。音楽交流授業で本校の中学生たちと心を通いあわせるのです。いいですね・・・・。
 そして、3月。あっというまに一年間がたち、卒業式を迎えます。卒業したら、クラス会や同窓会もありません。しかし、やがて卒業生がこの桐分校に誇らしげにやって来ることがあるのです。これって、うれしいですよね。
 桐分校は犯罪の道から更生の道への架け橋である。桐分校には、学びと教育と人間の原点がある。そうですよね。一人でも多くの人に、この本が読まれることを心から願います。とりわけ若い人々に・・・・。著者は私と同じ団塊世代です。お疲れさまでした。今後とも、お元気にご活躍ください。
 
(2009年2月刊。1600円+税)

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