弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
司法
2011年11月 4日
もっと論理的な文章を書く
著者 木山 泰嗣 、 出版 実務教育出版
裁判官に読んでもらう書面(訴状や準備書面)は、やはり論理的でありたいものです。この本で著者が強調していることは、私の頭の中にすーっと入ってきました。まさしく論理的な文章でした。やはり、ときどきはこういう基本的なことに目を向けて意識的に努力することが必要なのですよね。
論理的な文章とは何か、その一般的な定義はない。要は分かりやすい文章であり、整理された文章であること。
論理的な文章とは、ものごとがきちんと整理され、検討すべき問題がひとつひとつ順序立てられたうえで、明快に、かつ、矛盾なくしるされた文章である。
論理的な文章の最大のメリットは、説得力があること。論理は、感情を正当化する手段である。明快であるということは、一読してすぐに論旨がはっきりするという意味。すらすら読めて、すぐに理解できる文章のことである。
自己矛盾があると、一挙に論理性はなくなってしまう。
重複を避け、「前述のとおり」を使う。また、書くべき要素が多いときには、「次のとおり」を使う。
文書を書く前には、メモを書いて整理をしておくこと。
文章を書く方法として、先に見出し、小見出しのタイトルを構成段階で決めてしまい、そこに肉付けとして、ひとつひとつ文章を書いていくやり方がある。
私も、大見出し、小見出しを必ずつけるようにしています。
段落にある最初の1行目は、1マスあけをする。これによって文章をパッと見たときに、すっきりした印象を与え、効果的である。
まとまりのある文章であっても、適度に改行していくことが必要である。「である調」と「ですます調」は、いったん選択したからには、その文章では一貫して使い続けること。
文章を書き始める前に、あらかじめ結論を決めておく。書きながら書く内容や結論を考えると、おかしなことになる。これは本当にそうです。自由作文や小説なら、書いていくうちにどんどん発想がふくらんでいって、書いている本人までもが、どんな結末になるのか予測がつかないということがあります。それはそれで楽しい作業です。ところが、準備書面などは、そうはいきません。はじめから結論ないし目標を定めておかなければなりません。
選択した、印象に残りやすいキーワードは、統一して使い続けること。
自分の考えを述べるときには、必ず論拠を示すこと。そして、論拠を示すのは自分の考えを述べたあとにする。この順番が逆だと読んだ人は、その学者の考えをただ引用してマネしただけだと受けとってしまう。
著者は年間400冊の本を読まれるそうです。私は、久しく年間500冊の単行本を読んでいます。今年も10月半ばで400冊を突破しました。読書ノートを書いていますので、間違いありません。
本を読んでいると憂さを忘れますし、頭の中が絶えず新鮮な刺激にみちてきます。
(2011年9月刊。1300円+税)
2011年10月20日
2円で刑務所、5億で執行猶予
著者 浜井 浩一 、 出版 光文社新書
高松で開かれたシンポジウムで著者の話を聞きました。まことに明快な問題提起がなされ、聞いているうちに日頃の胸のもやもやがすっきり解消されていく思いでした。
日本は、他人(ひと)は殺されないが、自分自身を殺す人の多い国である。日本では年間600人が殺人や傷害事件で殺害されている。この数字は年々、減少傾向にある。そして、ほかの先進国諸国に比べると、かなり低い。これに対して、日本の自殺者は年間3万人をこえている。
治安が悪化したと感じたり、厳罰化が望ましいと思っている人は同時に、若者が嫌いだという共通点がある。
統計上の日本の治安には、自転車盗の動向が大きく影響している。暴力犯罪という視点からみると、日本は世界でもっとも安全な国である。
日本で殺人が最も多かったのは、映画『3丁目の夕日』や『となりのトトロ』の部隊となった1950年代後半、昭和30年代前半である。昭和30年代は、ささいな理由での一家皆殺し事件が多かった。経済的に余裕がなく、社会全体にゆとりがなかった。日本において、家族殺は全体の4割を占める伝統的な殺人の形態であった。昔は良かったとは必ずしも言えないのですよね。
現代社会の方が教育に対する家庭内の関与は充実してきている。
少年による殺人は減少し、非行にピークは14歳から16歳に上昇している。
60歳以上の高齢層においてのみ検挙人員が増加している。高齢者が犯罪を起こしやすく、また警察に検挙されやすいことを示している。
1980年代には、万引きは少年の犯罪だった。しかし、2006年に高齢者の比率が30%をこえ、少年を上回った。今や、万引きは高齢者の犯罪といってよい。
監視カメラは、駐車場での車上狙いなどの防止には一定の効果があっても、路上や公共交通機関などでの犯罪、そして暴力犯罪には、ほとんど効果が認められない。また、軍隊的な規律が非行を防止することもない。
警察に検挙される日本人は200万人。そのうち受刑者となるのは3万人である。
受刑者の4割が、窃盗・詐欺であり、そのなかには、被害額1000円以下の万引きや無銭飲食が多くふくまれている。
一度負け組になると、条件がより悪化するため、刑務所を出所したあと再犯を繰り返し、累犯者として、さらに不利な扱いを受けることになる。
今の日本社会に必要なのは、少額の無銭飲食や万引き犯が実刑にならないような、支援の仕組みである。
私も、まったく同感です。そんな「犯罪」で刑務所に送って隔離するなんて、まさしく税金のムダづかいそのものです。それよりも、よほど福祉政策を充実させたほうが安上がりです。社会に余裕がなくなり、高齢や障害によって一般人と異なり言動をする人々を不気味な不審者として排除すれば、その人の居場所は刑務所しかない。刑務所には自由も快適さもないが、たらいまわしも、餓えも、身分差別もない。社会が思いやりと寛容さを失い、排他的になるほど、刑務所に社会的弱者といわれる人が集まることになる。刑務所は社会の思いやり度をはかるバロメーターである。
受刑者は決して私たちとは異質なモンスターなんかではない。私たちだって、仕事を失ったり、家族・友人を失えば、同じような境遇になりうる。今の日本社会が人々を犯罪や刑務所へと追いやっているという現実を、自分自身の問題として考えることが必要なのだ。
本当にそのとおりだと私も思います。わずか1000円前後の万引き、タクシーの無賃乗車、無銭飲食のために懲役1年とか2年の実刑判決が下されるというのを、私も何度となく体験しています。むなしさに胸がかきむしられます。これは社会全体で考えるべき問題です。刑務所に隔離しておけばいいというものではまったくありません。すっきり明快な問題提起の本ですので、ぜひご一読ください。
(2009年10月刊。760円+税)
2011年8月21日
想定外シナリオと危機管理
著者 久保利 英明 、 出版 商事法務
企業法務の第一人者として名高い著者は、全農全国中央会や原発被害を受けた農家の代理人として東電との交渉にあたっているとのことです。
著者は、本件は、東電対国民の事件であり、自分は生産者と消費者である国民の側に立つと宣言した。すなわち、福島原発事件は、東電が真面目にリスクと向きあい、時代の変化に応じたリスクマネジメントを採用していれば、防げたという意味で人災であり、東電の責任である。本件については、東電や原子力安全保安院には予見可能性も回避可能性も認められ、巨大津波の影響ではなく、さまざまな人災の集合として重大な注意義務違反が認められる。
東電の想定は考えられないほど甘いものであり、それに対して運転許可を与えてきた保安院など政府の対応は国民の安全を軽視したものであった。東電も国も、最悪事態を想定し、そこで発生する過酷事故対策マニュアルを用意する義務を怠った。
福島第一原発だけで合計5000本もの高温の燃料棒が浸かっている。原子力発電とは、サイクルが完結していないものであり、それを安価、経済的と説明してきたことの説明責任も問われる。
謝罪するのは社長でなければならない。これがなされなければ何一つ始まらない。真摯な謝罪の意思を社長が表明したうえで、その後の会見は担当役員(総勢3人以内)で行うことを明示する。
被害者への謝罪はできるだけ低い姿勢で、目線をすりあわせるコミュニケーションが必要である。説明は定性的でなく定量的に、具体的かつ論理的に、また平易に述べる。
記者会見終了のタイミングは難しい。概ね1時間がすぎたころ、一瞬発言がとぎれたタイミングをすかさず、「それでは本日のところは、この程度とさせていただきます」とびしっと締め、出席者は全員が素早く起立して淡々と一礼し、特設した退場口から引き上げる。
お詫びの礼は、長めに5秒。一斉にお辞儀をし、一斉に顔を起こす。服装もクールビズはやめ、ダークスーツで、前のボタンをかけ、白いYシャツに地味なネクタイをキッチリ締めておく。汗を拭いたり、眼鏡をずらしたりなどの動作はしない。カメラの前で絵になってしまうから。
さすがは長らく企業法務を手がけてきた弁護士らしく実践的かつ説得力があります。東電だけではなく、一般に企業の不祥事対応としても役立つ書物だと思いながら読みました。
(2011年6月刊。1600円+税)
2011年7月 7日
セカンド・チャンス
著者 セカンドチャンス 編 、 出版 新科学出版社
いい本です。読んでいて、心がじわんと温まってきました。だって、少年院を出て立派に自信を持って人生を歩いている人たちが、こんなにいるって。うれしいじゃありませんか。
立ち直った元犯罪者と、まだ現役の犯罪者の話すことの違いは、3点にある。
第1. 本物の私は磨けば光るダイヤモンドの原石であるという発見をしていること。
第2. 自らの運命を支配できるという楽観主義に立っていること。
第3. 社会、とりわけ次の世代にお返しをしたい、貢献したいという気持ちをもっていること。
これって、大切なことですよね。どうせ自分はダメな存在なんだと、つくづく自らを卑下して、足を一歩前へ踏み出すことのできない若者がなんと多いことでしょう・・・。
少年院を出て通信制の高校を卒業。そして社会人推薦で大学の夜間部に入学した人がいます。そして、大学では犯罪社会学の授業を受けたのです。少年院を出て、今は牧師になっている人がいる。少年院を出て、ブラジルに行って新聞記者になった人がいる。少年院を出て、ダルクの職員をしている人がいる。
少年院で働いていた人が代表をしているのがセカンドチャンスなんだ。すごいことですね。こんなネットワークが日本全国に広がるといいですね。
元レディース総長だった女性の体験談も壮絶です。12歳でセックスした。タバコを吸った。13歳で万引した。シンナーを吸った。15歳の総長。雑誌に取り上げられて、絶好調だった。少年院を出てもとの仲間に会ったとき、リンチされた。
「みんな、お前のことをねたんでいたんだよ」
「てめーだけ雑誌に取りあげられて、さぞかし、いい気分だっただろう」
そして今、34歳。4人の子の母親。同じく13歳でセックスし、風俗嬢になり、少年院を出たあと大検をとって2年間のアメリカ生活。そして今は大学生という女性も登場します。
周りに認められたいという思いをセックスでなんとか埋めようとした。身体を求められているということは自分が必要とされているということだって思い、「13歳」というブランドを武器に、どんどん自分の身体を大人に委ねていった。
お金を手にするたびに、自分にはこれだけの価値があるって、どこか満たされた気持ちになっていた。これって錯覚なんですよね。それに気がつくまでに時間がかかることとは思いますが・・・・。
少年院を出た16~17%が少年院に再入し、10年以内に2割弱が刑務所に入っている。このことは少年院で身につけたことが良好な社会生活を保障するわけではないことを意味している。非行少年が社会でやり直すことの難しさを示している。しかし、逆に8割は、それなりに社会で生活していることも見落としてはならない。これは、すごいこと。
立ち直った人のストーリーには共通点が3つある。
一つは、生育過程で家庭あるいは学校から十分な保護や支援を受けていないことが非行の遠因となっている。ある意味で過酷な運命の被害者だったのが、ある時点で自分の人生の主人公となっている。
二つ目に、人との関係性、あるいは運命といった大きな流れに自分が生かされていることの気付きと感謝がある。
三つ目に、自分にできることで社会に役立ちたい。非行から立ち直った経験を生かして、立ち直り途上にある後輩を助けることが自分の努めであり、もっとも自信を持って自分にできることだと考えていること。
このようなセカンドチャンスです。これからも元気でがんばってくださいね。応援しています。
(2011年1月刊。1500円+税)
2011年7月 5日
証拠改竄
著者 朝日新聞取材班 、 出版 朝日新聞出版
検察官が被告人に有利な重要証拠を隠すというのは古くからありました。松川事件の諏訪メモが有名です。しかし、被告人を不利にするため、証拠をいじって不利なものにする(改ざんする)というのは、初めて聞いたとき、まさかそこまで・・・と信じられませんでした。弁護士生活38年になる私自身もいつのまにか法曹一家意識に毒されてしまっていたのですね。大いに反省させられました。警察も検察も我が身の保身のためなら平気で証拠をつくりかえてしまう。これは古今東西、どこにでもある、ありふれた話なのです。そんな権力の不正とたたかうために私たち弁護士が憲法上の存在として位置づけられているわけなのです。申し訳ありませんが、久しぶりに弁護士の責務の原点にまで思いを至らせました。
それにしても大阪地検の特捜部の対応はお粗末でしたね。前田検事の証拠改ざんを容認したかどうかはともかくとして(起訴された特捜部長は刑事責任を争っています)、それを聞知した時点で公表し、被告人に対して謝罪すべきは当然でしょう。その時点までに、特捜部内で大激論になったとされていますので、そのとき臭いものに蓋をしてしまった上層部の責任は重大ではないでしょうか。
本件の発覚する端著はご多聞にもれず、内部告発でした。やっぱり、これだけひどいことが起きると、闇から闇に始末するのは許せないと思う人が出てくるものなのですよね。それにしてもフロッピーディスクで改ざんの立証が出来てよかったですね。客観的な裏付けがないと、問題があいまいにされてしまう危険が大いにありますからね・・・。
検察用語でフタをするというのは、対多者に都合の悪い調書をつくっておいて、裏切ったら暴露するぞ、別件で逮捕するぞと脅しの道具に使うこと。なーるほど、それも駆け引きの道具なのですね。
大阪地検特捜部の主任検事は、検事や検察事務官からの捜査報告書や供述調書など、担当する事件すべての証拠に目を通す。特捜部長よりも事件の構図を詳しく把握し、権限はなくても捜査を実質的に指摘していると言える。
フォレンジック調査。コンピュータに関する犯罪があったとき、電子的記録を分析し、データ上で起きたことの証拠を集める調査技術のこと。不正アクセスの痕跡を探ったり、破壊・消去されたデータを復元したりすることから、電子記録に対する鑑識作業とも言われる。費用は1件あたり数十万円から100万円ほど。本件では20万円かかった。
事件の容疑者や参考人から重要な供述を引き出すことを「割る」と検察では呼ぶ。それに長けた検事は「割り屋」と呼ばれる。
関西検察。大阪高検が管轄する近畿2府4県を中心に、大阪高検と各地検を軸に、異動をくり返してキャリアを積んでいく検事たちが築く人的ネットワークのことをさす。関西検察に対して、関東検察という言い方はしない。関西検察の幹部たちは、大阪地検特捜部に配属された経験をもつ検事が多い。特捜部は関西検察にとって、いわば母胎のような組織だ。
検察の底知れぬ腐敗が暴かれた事件を追った迫真の本です。
(2011年3月刊。1400円+税)
2011年6月30日
刑務所のいま
著者 日弁連 、 出版 ぎょうせい
受刑者の処遇と更生について、日弁連拘禁制度改革実現本部がまとめた分かりやすい170頁余の冊子です。
日本の刑務所のなかが実際にどのように運営されているのか、それは諸外国とどこが違うのか、コンパクトによくまとめられています。
刑務所の収容数のピークは2006年で8万1000人。2009年は少し減って7万5000人。
無期懲役は、今では運営上、死ぬまで刑務所を出られない終身刑化しつつある。
日本は刑務所職員の1人あたり4.5人の受刑者をかかえている。これは、過剰収容のアメリカでさえ1人あたり3人、ドイツやフランスでは2人、イギリスでは1.5人というのに比べて、明らかに多すぎる。日本の刑務所の労働条件は、きわめて過酷である。
今の世の中、厳罰化を求める声がかまびすしいのですが、収容所を増やせば刑務所の職員も増やさなくてはいけません。ところが、もう一方で公務員を減らせという圧力もかかっています。これでは、まともな矯正教育を保障することは出来ません。
出所後5年以内の再犯率は50%。受刑者の4分の1を占める薬物事犯(女性では40%をこえる)の再犯率は年々ふえている。彼らは薬物依存症という病気にかかっている。
3割の再犯者によって6割の犯罪がなされている現実がある。だから、犯罪対策としては、とりわけ再犯防止対策が重要である。
刑務所内で収容者が働いても、その賃金は月4200円が平均。この金額は日給ではなく、あくまで月給である。異常に低いものです。ですから、刑務所を出るときの所持金は平均4万3000円でしかない。
アメリカの刑務所の収容者は230万人。ところが、20年前の1992年には130万人だったので、20年足らずで受刑者は2倍になったわけである。これだけ多いと、アメリカでは収容者を対象としたビジネスが成り立っているというのも、よく理解できます。
収容者の高齢化がすすんでいる。60歳台では6年前の10%未満が12%超へ、70歳台では2%強が3%強へと、受刑者に占める割合も実人員も増えている。
高齢者が増えると、医療費もかさむ。全国の刑務所の医療関連予算は、2005年に30億円だったのが、2009年度には49億円になった。
刑務所も拘置所も収容者の高齢化には頭を悩ませており、専門の介護職が必要だと指摘されているようです。やはり刑務所の実情をふまえた量刑が必要です。市民が刑務所を訪問できるようになっているそうです。もっと交流する必要がありますよね。
(2011年5月刊。1714円+税)
2011年6月 2日
裁判を住民とともに
著者 板井 優 、 出版 熊本日日新聞社
私と同世代の熊本の活躍している弁護士の半生記です。ええっ、早くも自伝なんか出したの・・・、と驚いていましたところ、地元新聞(熊日新聞)が45回にわたって「私を語る」という連載記事をまとめた本でした。それにしても、たいした人物です。こんなに社会的影響のある事件で勝ち続けているなんて・・・。改めて見直しましたよ。
沖縄出身です。幼いころはナナワラバー(沖縄弁で悪ガキ)と呼ばれていたそうです。今を知る私なんかも、いやはや、さもありなんと、妙に納得したことでした。
一般民事事件で相手方となったことがありますが、著者のもつド迫力に、私の依頼者は恐れをなしていました・・・。
著者の両親は沖縄出身ですが、終戦直前に沖縄を離れていて助かり、大阪で結婚し、戦後、沖縄に戻って著者が生まれたのでした。ですから、私と同じくベビーブーム、団塊世代ということになります。
たくましい母親の姿には圧倒されました。土木所を営む父親が気の優しさから保証倒れで差押えされるのを見て、自ら合名会社を設立し、経営の実権を夫から奪って、オート三輪を乗りまわして会社を切り盛りしていたのです。日本の女性は昔から気丈なんですよね・・・。これは何も沖縄に限りません。私の家でも似たようなものです。小売酒屋を営んでいましたが、亭主(父)は酒・ビールの配達に出かけ、母ちゃん(母)が財布をしっかり握っていました。
沖縄の激戦地でシュガーローフのすぐ近くで育ったとのこと。この『沖縄シュガーローフの戦い』は以前に紹介しました(光人社)。
小学校は1クラス60人の21クラス、中学校は1クラス60人の18クラスだった。私の場合は、小学校は1クラス50人の4クラス、中学校は1クラス55人の13クラスでした。沖縄のほうがはるかに多いですね。
首里高校2年生のときに生徒会長になったそうですが、私も同じく県立高校で生徒会長(総代と呼んでいました)になりました。何ほどのこともした覚えはありませんが、他校訪問と称して四国や広島の高校まで泊まりがけで出かけたこと、役員になって先輩たちと楽しい関係が出来たことだけは良い思い出として残っています。
著者の場合は、国費で日本留学(大学入学)したのでした。ええーっ、という感じですが、まだ当時の沖縄はアメリカ軍の支配下にあって日本に返還されていなかったのです。
著者は熊本大学に入り、そこで、今の奥様(医師)にめぐりあいました。弁護士になってから、水俣に法律事務所を開設し、水俣病訴訟を第一線で担いました。9年近い水俣での活動は大変だったようです。それでも、アメリカやギリシャ、そしてブラジルのアマゾン川にまで行って日本の水俣病問題を訴えたのです。すばらしい行動力です。そして、大変な努力のなかで水俣病の全面勝訴判決を勝ちとっていったのでした。
また、税理士会の政治献金問題訴訟(牛島訴訟)にも関わり、見事な判決を引き出しました。この判決は憲法判例百選に搭載され、司法試験問題にまでなったというのですから、本当に大きな意義をもつものでした。
ハンセン病訴訟でも実に画期的な勝訴判決を得ています。熊本にある菊池恵楓園があるのに、福岡で提訴する動きがあったそうです。やはり、地元の裁判所でないとダメだと主張して熊本で裁判はすすめられ、裁判官の良心を握り動かすことができたのでした。
川辺川ダム問題にも取り組みました。熊本地裁で敗訴したものの、福岡高裁で逆転勝訴しました。流域2000人の農家の調査をやり遂げたということです。その馬力のすごさには頭が下がります。
以上で100頁たらずです。あと300頁は、著者の論文集が話を補充するものとして搭載されています。関心のある部分を読めば、さらに理解が深まります。
板井先生、これからもますます元気でご活躍ください。
(2011年3月刊。2000円+税)
2011年5月24日
弁護士を生きるパートⅡ
著者 北海道弁護士会連合会 、 出版 民事法研究会
お待たせしました。弁護士を生きるパートⅠは福岡県弁護士会の編集によるものですが、今度のパートⅡは北海道の弁護士たちが登場します。南と北が出そろいましたので、次は中部か近畿あたりがいいですね。
北海道だけあって、南の九州ではとても考えられない弁護士像も紹介されています。
まず、トップバッターは、半農半弁で暮らす女性弁護士です。大阪から移り住み、馬を飼って乗馬を楽しんでいる弁護士がいることは知っていましたが、新聞記者をやめて農業で生きる決意した夫とともに北海道に移り住み、1年の半分だけ弁護士として活動している女性の弁護士がいるなんて、驚きました。しかも、さすが北海道の冬は厳しくて農作業が出来ないため、弁護士業務は11月から雪の溶ける4月までの半年間のみ、5月から10月までは弁護士業務をほとんどお休みしているというのです。依頼者にも、そのことをあらかじめ了解してもらって受任しているそうです。だから、法律事務所の看板も依頼者にしかわからないほど小さい。なーるほど、ですね。ただし、「のんびりした半農半弁生活」とはまったくかけ離れていて、気軽に進める気にはなれないとのこと。まあ、それでも、広い北海道の大地の一角で有機栽培に挑戦し、ファームレストランを維持するとは、たいしたものです。
二番手に登場してくる佐々木秀典弁護士は私が駆け出しの弁護士のころに東京で青法協の議長として活躍していました。故郷の旭川に戻って自民党代議士だった父親の後を継いで社会党の代議士になり、国会でも活躍しました。金大中氏が韓国のKCIAに東京から拉致されて殺害されようとしたとき、人身保護法による救済を東京地裁に申立したとのこと。最高裁は同法22条による自主処理権限で韓国大使館に金大中氏の存否を照会する処置をとった。このことは、アメリカの圧力とあわせて金大中氏の生命を救ったのです。のちに大統領になった金大中氏からとても感謝されたというのも当然ですね。
三番手の中村元弥弁護士は元裁判官。『こんな日弁連にだれがした?』という本を意識して、「左翼系」ではない元「世間知らずの判事補」として司法の現状を批判的に解説しているのも面白いところです。私自身は、そもそも「左翼系」とかというレッテルを貼って弁護士会を面白おかしく書こうとする『こんな・・・』の視点自体が根本的な弱点をもっていると考えています。
以下、いろんな分野における弁護士の活動が紹介されているのですが、福岡とは違って本人の書きおろしのため、学術的かもしれませんが、読みものとしての面白さに欠けるという難点があります。やはり、福岡のように本人に若手弁護士の前で語らせ、その面白さをキープしつつ、編集者のコンセプトをふまえて本人が手を入れていくという作業にしたら、もっと読みやすい本になったのではないかと思いました。
(2011年3月刊。2200円+税)
2011年4月15日
労役でムショに行ってきた
著者 森 史之助 、 出版 彩図社
罰金を支払えないときには労役場で働かされます。その状況をレポートしてくれる本です。著者は酒気帯びでつかまり、罰金25万円を命じられます。1日5000円として50日間の労役場留置です。著者は、川越少年刑務所に収容されました。収容されるとき、タバコや危険物を持ち込もうとしていないか調べるため、お尻の穴を両手で広げて見せなくてはいけません。
ペニスは異物を埋め込んでいないか、埋め込んでいるとしたら何個かを調べる。
刑務官は、労役場留置の人間に対しては、何かと「独房行きだぞ。一人は寂しいぞ」と脅す。それしかない。労役には、そもそも仮釈放という制度がない。相当な規則違反をしても、懲罰を受けたものはいない。
労役場留置の多数派は、飲酒がらみの道交法違反である。労役受刑者は、寝るのも作業するのも、朝から晩まで24時間を雑居房の中で過ごす。くさいメシといっても、メシ自体は臭くない。そうではなく、臭い場所でメシを食わなければいけないのである。
著者に充てがわれた作業は、紙袋にヒモを通すこと。ショッピングバックの製造の一過程である。ノルマはなく、何かやっていないと6時間がたたないので、ひたすら手を動かす。完全週休2日制。しかし、土日も働いている計算としてカウントされる。これだけでも労役は、軽作業をさせることより留置することに重きを置いていることが分かる。
1日5000円換算の仕事をしているから、何ももらえないかと思うと、1日40円の「給料」をもらえる。1日8時間、ショッピングバック800個にひもを通して40円がもらえる。
1日5000円の罰金を免除してもらって、3食付で、40円がもらえる。では、ここにまた入りたいと思うかというと、みんなNOという。そりゃあ、そうですね。自由がありませんからね。
土日の休みの日(免業日)は、昼食を終えると(午睡)の時間がある。夕食まで横になっていい。著者は免業日には、合わせて16時間も布団に入って、なかで過ごしたといいます。
雑居房には時計がない。労役受刑者は、一日の行程のすべてが時間によって管理されているのに、時計を見ることができない。その必要もないからだ。
労役場留置の貴重な体験記として一読をおすすめします。
(2011年1月刊。619円+税)
2011年3月29日
企業法務と組織内弁護士の実務
著者 東弁研修センター委員会、 出版 ぎょうせい
私は、分類されるとマチ弁護士になるのでしょう。いわゆる労働弁護士(労弁)を目ざしたような気もしますが、労働事件はほとんど依頼されることがありませんでしたので、労弁ではありません。草の根民主主義を大切にしたいと考えてきましたから、自分としては民主的弁護士(民弁)と言いたいのですが、民弁といっても韓国と違って定着した呼び方ではありませんので、しっくりきません。仕事の大半は多重債務をふくめた消費者被害を扱うものですから、やっぱりマチ弁としか言いようがありません。だから、企業法務なんか、あんたには関係ないでしょうと言われると、実はそうではないのです。マチ弁は、実のところ、零細な中小企業を主たる依頼者としています。だから、いわゆる企業法務ではないのですが、スケールを何桁も小さくした企業法務を扱うのは主要な日常業務の一つなのです。その意味で、この本は私にとっても大変勉強になりました。
契約書の作成と審査にあたっての大切な視点として、2つあげられる。一つは、契約書において依頼者の利益が確保されていること。二つは、リスクの回避がきちんとできること。契約条項が明確になっていることは第三者によって検討が可能であること、そして、当事者間による契約条項の内容の共通認識である。
契約条項において、文章で権利・義務の主体を表示するときには、受動態ではなくて、できるだけ能動態をつかうことが重要である。
リスクの回避には3段階ある。まず、リスクを指摘する。そして、次に、そのリスクを取れるリスクか取れないリスクかを評価する。さらに、そのまま受けとめるか、軽減するか対応する。この指摘、評価、対応という3段階をふんでリスクを検討する。
法律事務所の弁護士と企業内の弁護士との違いの一番大きいのは、リスク評価に対する対応だ。企業内弁護士は、企業の一員として、ある程度はビジネスに関与して責任を負う。だから、リスクを指摘するだけではなく、この中で取れるリスク、取れないリスクをイニシアチブをもって指摘する。リスクがあるからNOというのは簡単だが、それはダメ。リスク回避の観点から、ビジネスを動かすためにはどうしたらいいのかを考えていく必要がある。企業法務部は、建設的な提言をする必要がある。そのためには、ビジネスに対する共感が大切だ。
法務部のコメントは、こうすればビジネスは動きますよと、ビジネス部門を法的に武装してあげるものでなければいけない。ビジネスに対する共感を持ち、ビジネスを円滑に進め、そしてそこから発生する法的なリスクをいかに回避するか、ビジネス部内の人たちと協力し合うことが必要である。
マスコミとの対応では、マスコミに迎合せよということではない。正しくマスコミをリードするのも危機管理の一つなのだ。
危機管理の実務は三つある。一つは、被害を最小限に食い止める。二つは、自浄作用を働かせる。三つは、プロセスを社会に示す。説明責任は会社内だけでなく、社会に示して完結するもの。
不祥事は厳罰に処するというポリシーを経営者が日ごろ口にしていると、現場はまず隠そうとする。そういう企業文化が必ず生まれる。そうではなくて、不祥事があったら、いち早く報告させる。過ちを速く報告したら、1点加点してやるくらいの組織体制が必要だ。もともと大した不祥事でないものを、役員の事後対応のまずさから大きいニュースバリューのものに育てあげていくことがある。それが、役員の善管注意義弱違反である。
拙速な公表は、たしかにまずい。しかし、分かっている事実と分かっていない事実とをきちんと区別してプレス・リリースするのはとても大切なこと。これは鉄則である。取締役会で法務部が議論をリードするのは危険なこと。
企業が自浄作用を働かさないと外圧がかかる。外圧とはマスコミ、捜査当局、監督当局そして行政だ。危機管理コンサルタントは、おじぎの仕方、派手なネクタイはいけない、金ピカの腕時計ははずせとか、小手先のテクニックを使いたがる。しかし、結局のところ、会社がどういう姿勢で、何をしてきたかが勝負どころだ。
マスコミは、相手が期待する以上の情報を提供しないと、何日も記事を書きつづける。
こんな研修だったら、還暦を過ぎた私でも、今からでも受けてみたいなと思うほど、内容の濃い本でした。
(2011年1月刊。2095円+税)