弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2012年10月16日

勝つまでたたかう

著者   馬奈木昭雄弁護士古希記念出版会 、 出版   花伝社 

 久留米で古希を迎えた馬奈木昭雄弁護士に寄せた論稿集です。馬奈木イズムというネーミングには少々ひっかかりましたが、馬奈木弁護士の果たした成果は大きく、その取組には大いに学ぶところがあります。550頁、4200円という大作ですので、ずしりと重たく、若手には腰が引けるかもしれませんが、ぜひ馬奈木弁護士が到達した頂に挑戦してほしいと思います。
 まずは馬奈木弁護士の問題提起を紹介します。これは20年前の文章です。
同じ問題を抱えた人々が無数に存在している課題であれば(さらに言えば、その提起に取り組むことを存立目的としている大衆団体が、すでに大衆を組織して存在しているのであれば)、その人々から原告団をつくりあげていく運動に取り組むことは、困難ではあっても不可能ではない。しかも、すでに存立している大衆団体にとっては、同時に自分の団体を拡大し強化していく運動にもなる。
 なるほど、なるほどと思いました。さすが水俣病をはじめとする数多くの公害裁判をたたかってきた経験からの確信が伝わってきます。
 篠原義仁弁護士、現在の自由法曹団長であり、私の直接の先輩弁護士でもあります、は馬奈木語録について、次のように解説しています。
 「私たちは絶対負けない。なぜなら、勝つまでたたかうからだ」という馬奈木弁護士の言葉は、たとえば有明訴訟でいうと民事差止裁判をやって敗訴したら、行政処分の取消訴訟を、開発のための公金違法支出差止の監査請求そして住民訴訟をやる、仮処分も事訴も。原告団も地域ごとに、そして、一陣だけでなく、二陣、三陣訴訟もやる。多角的に重層的に、戦いを組織する。そして、運動で相手を追い込んでいくということ。
 敗訴すると、運動に悲壮感が生まれ、団結上も問題が生まれる。それでも「訓練された団結」を維持し、たたかい抜くためには、運動の中心、とりわけ弁護団への厚い信頼が絶対的に要求される。馬奈木弁護士には、強い信念を基礎に、厚い信頼を集める人柄、人間性が基本にあり、それは実践力に裏うちされている。たたかいの源は人間力、実践力で、馬奈木語録のなかに秘められた真意を汲みとることが重要だ。
 大阪の村松昭夫弁護士は、2011年から司法の場で吹き荒れている逆風について、次のように指摘しています。
 これらの不当判決の根底に流れているのは、国民の生命や健康を守るべき国の責務について、限りなくこれを後方に追いやり、ごく例外的な場合にしか国の責任を認めない。そのいっぽうで、被害発生の責任を労働者や零細業者、患者らのいわゆる「自己責任」に押しつけるという行政追随、被害切り捨ての思想である。その背景には、国の責任を広く認めると、国の財政が破綻するという「財政危機論」を口実にした、国による司法への「脅し」がある。
 さらに、久保井摂弁護士は次のように書いています。
被害者自身が被害を語る意味・・・。被害者であって、顔を上げ、名乗って、訴える正当な資格のある、人権の享有を許された権利主体なのだという確信こそが、その人らしく生きることを可能にする。
 被害を語るためには、自身の置かれた状況を権利侵書として言語化することが必要であり、その前提として、自己の権利を知る必要がある。
 筑豊じん肺訴訟原告弁護団長をつとめた故松本洋一弁護士の作成した陳述書は、ひと味ちがった。一人称で書かれていたが、聞き取りの場である居宅の光景、語り手や家族の姿を、観察者松本洋一の視線で再現する常体の文章が挿入されていた、それは、読みながら、部屋のたたずまい、明暗、室温、そこに漂う匂いまでよみがえる気のする、五感に訴える叙述だった。
 堀良一弁護士の次の指摘は、いつもながら秀逸です。
 運動の議論に時間をさかない弁護団なんて、ろくでもないに決まっている。
 注意しなければならないのは、日常業務に引きずられて何か裁判ですべてが解決するかのように思いがちな人々の幻想にきっぱりと釘を刺さなかったり、当事者や支援者それぞれの紛争解決に向けた役割と行動を提起しなかったり、裁判闘争を対裁判所だけの取り組みに矮小化したりすることだ。裁判の果たす役割と可能性が目の前にある社会的紛争を解決するための戦略と戦術のなかに正しく位置づけられはじめて、裁判闘争は紛争解決の真の力たりうる。
 まず、状況をきちんと分析する。歴史的、全体的にどこから来て、どこへ向かおうとしているのか。現在の観点からだけではなく、過去の観点から、未来の観点から事実にもとづいて正確に把握する。
 次に、何を目標として現在を変革するのか、しなければならないのか。そのゴールを明確にすることだ。社会的紛争を解決するというのは、現状を変革することに他ならない。そして、目標は人々に希望を与えるものでなくてはならない。
 そのうえで、目標に行き着くための課題を抽出し、それぞれの課題を達成するための行動計画を明確にする。それぞれの課題と行動は分かりやすく、たたかいの経過に応じて臨機応変に具体化しなければならない。行動計画は、どう動けばいいのか瞬時にイメージできるものでなくてはならない。それぞれの課題と行動計画は、相互に有機的に結びついて、目標達成の確信と、目標達成に向けた人々のエネルギーを沸き立たせ、それぞれの人々が目標に向けて、主人公としてやりがいを持ちうるものにしなければならない。
このほか、馬奈木語録をいくつか紹介します。
 弁護士は料理人であり、裁判官はこれを味わい、評価する人。うまい料理をつくらなければ、ダメ。
裁判官は何も知らないと思ってかからなければダメ。
善良だけで相手方にしてやられるような弁護士は、依頼者からみると悪徳弁護士といわれても仕方がない。
 専門弁護士といわれるためには、法律家の前ではなく、その分野の専門家の前で講演したり、学会誌に論文が掲載されるようにならないといけない。
 馬奈木弁護士の今後ますますの活躍を心より祈念します。
(2012年10月刊。4000円+税)

2012年10月 3日

ワンランク上の説得スキル

著者   小山 斎 、 出版   文芸社  

 著者には申し訳ありませんが、読む前はまったく期待していませんでした。ですから、得意とする飛ばし読みでもしようかと思って読みはじめたのです。ところが案に相違して、これがすこぶる面白く、かつ、実務的にも役立ち、また、反省させられもする本でした。
 著者は大学に入るため肺結核と診断されます。そのとき19歳、母や弟たちを捨てて、大学に向かった。すぐサナトリウムに入らないと死ぬと医者から言われていたのに、なんと長生きしたのでした。
 この本には、説得の見本ないし材料としていろんな本が紹介されています。「走れメロス」もその一つです。教科書に出ていましたよね。さらに、芥川龍之介の「羅生門」が登場します。黒澤明監督の有名な映画にもなった話です。いろんなストーリー展開が矛盾する形で展開します。まさに真相は「薮の中」です。次に、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」です。これは、私はまったく知らない話でした。続いて登場するのは、森鴎外の「高瀬舟」。ここでは、弟を殺してしまったのか、自殺の手助けをしただけなのかが問われています。難しい問いかけです。
 人が相手から受けとる情報は、外見やボディランゲージが55%、声の調子が38%。言葉はわずか7%にすぎない。顔の表情が一番であり、やはり目がものを言う。
 コミュニケーションは、人を動かす力である。相手に共感、納得してもらったうえで、相手に自ら動いてもらう力なのだ。
 聴き方には次の4原則がある。1つ、目を見る。2つ、ほほえむ。3つ、うなずく。4つ、相槌をうつ。聴き方には、3つの方法がある。1つ、受け身で聴く。2つ、答えつつ聴く。3つ、積極的に聴く。 
 人間の脳が一番喜ぶのは、他人とのコミュニケーションである。そのなかでも、目と目が合うことが一番うれしいこと。脳が喜ぶとは、脳の中でドーパミンが放出されること。
 説得するときの6つのマジック。その1、会ってすぐに相手の名前を呼ぶ。その2、聴くとき、話すとき、体を少し乗り出す。その3、ほほ笑む。その4、相手に対して相手に対して気づかいを示す。その5、楽観的に、前向きであること。その6、相手を尊敬する。
 依頼者との打合せが終わるころ、雑談に入って、話の主導権を依頼者に渡す。すると、それまでと反対になって、二人の関係は対等になる。すると、依頼者は笑顔で帰っていく。
説得したい相手が怒っているときは、どうしたらよいか?冷静にふるまい、おどろきの表情も見せない。その怒りの原因がこちらにあるときは、心から、すぐに謝罪する。理不尽な挑発のときには、反発も反撃もせず、冷静さを保つ。そして、相手の立場を知り、相手の視点で、ともに考えて問題を解決したいという姿勢を示す。相手の挑発は、いずれ収まる。コーヒーブレイクをとる。場所を変える。
勉強になりました。著者の若いときのご苦労がしっかり生かされ、教訓化されているところは、さすがだと感嘆しました。
(2012年1月刊。1100円+税)

2012年9月28日

ある心臓外科医の裁判

著者   大川 真郎 、 出版   日本評論社  

 ある心臓外科医が手術ミスをした。執刀医の教授を部下の医師が内部告発して、そのことが明らかになった。当然のことながら遺族は怒り、損害賠償を請求するとともに刑事告訴した。さらに、週刊誌が取りあげ、テレビや新聞も大々的に取りあげるに至った。
 無能な執刀医はそれまでにも幾多の医療ミスをしていたし、手術の前にすべき患者の診察もせずに執刀し、患者の死後、遺族への説明もせずに逃げまわった。
 このような報道はよくあるパターンです。ところが、これがまったく事実無根だったら、どうでしょうか・・・。
 この本は、8年がかりで執刀医にミスはなかった、かえって内部告発した医師のほうが無能であって、まかされた術後管理が悪かったために患者を死なせたのであり、しかも、その医師は別の病院でも医療過誤で訴えらたことがあって、裁判で訴えられて責任を認められていたということまで明らかにしています。
とても大変な裁判だったと思いますが、著者は同じ事務所の坂本団弁護士とともに、その困難な課題をやり遂げたのです。さすがです。
 週刊誌に対する名誉毀損の損害賠償請求にも教授は勝訴します。慰謝料500万円のほか、謝罪文を命じる判決でした。出版社側が控訴し、高裁で和解が成立しました。和解は慰謝料400万円のほか、謝罪広告を週刊誌にのせろという内容です。金額は相応のものと思いますが、問題は謝罪広告です。
 教授の名誉を侵害する記事が3頁にわたって大きく取り上げられていたのに対して、謝罪広告のほうは5年後に最終1頁5段の最下段に小さく載っただけ。これでは、誰も気がつかないようなものでしかありません。やられ損ですよね・・・。
そして、「内部告発」した医師を教授は訴え、勝訴しました。610万円を支払えという判決ですので、すごいと思います。
 ところが、その後、教授が医学専門誌に実名で部下の医師を批判した部分については行き過ぎだと最高裁が判断し、その部分の170万円が差し引かれることになってしまいました。
 さらに教授は、遺族側の弁護士について弁護士へ懲戒請求します。弁護士は代理人であるとしても、遺族の虚偽告訴という違法行為は抑止すべき義務があるというものです。
この点、なるほど代理人弁護士に問題がなかったわけではないと私も思いますが、懲戒相当と言えるかまでは疑問です。結局、弁護士会も懲戒不相当としました。
そして、最高裁は、教授がチーム医療の総責任者であるから患者・家族に対して直接説明すべき義務があるかどうかについて、教授に逆転勝訴の判決を下したのでした。
要するに、説明義務があるといっても、それは総責任者たる教授が自らするまでのことではなく、主治医が十分に説明していれば足りるというものです。これは至極あたりまえの判断だと思いました。
いずれにしても、部下の医師が自らの失敗を上司になすりつけようとして「内部告発」したということです。悪徳、無能医師というレッテルをマスコミによって貼られたとき。それを間違いだと証明することの大変さがよくよく伝わってくる本です。
 そして、それに8年近くもかかったことのもつ重味をしみじみと感じたことでした。
 著者は、日弁連事務総長もつとめた有能かつ識実あふれる人柄の弁護士です。本書を読んで、ますます畏敬の念を深めました。ますますのご活躍、そして後進へのご指導を引き続きよろしくお願いします。
(2012年9月刊。1700円+税)

2012年9月19日

子どもの連れ去り問題

著者    コリン・P・ジョーンズ 、 出版    平凡新書 

 日本は、子どもの拉致大国である。のっけから衝撃的に断定されていて、ええっ、そんな・・・、まさか・・・と、つい思ってしまいます。
 本来は子どもを守るはずの裁判所が、そのつもりはないかもしれないが、離婚事件等における裁判運用で、子どもの連れ去り、親子の引き離しを助長し、場合によっては肯定までする。一種の「拉致司法」が形成されているのではないか。海外では既に、日本は「子どもの連れ去り大国、拉致大国」であるという評価が定着している。
 自分の子どもでも、連れ去ることが犯罪になることがある。保育園の近くで2歳の長男を別居中の妻から奪おうとして逮捕された日本人の父親に対して、未成年略取及び誘拐罪の適用が肯定された(最高裁2005年12月6日決定)。
 2009年度、全国の家裁に6349件の面接交渉を求める申立があった。また、同じく1224件の子どもの引き渡しを求める申立があった。
 日本には、子どもの引き渡しの強制執行について具体的に規定している法律はない。実務では、民事執行法169条(動産の引き渡しの強制執行)の類推適応で対応している。要するに、子どもを椦券や絵画のようなモノに準じて強制執行手続を行う。
自分の意思能力がはっきりしている、ある程度の年齢以上の子どもについては直接強制ができない。だから、子どもが何歳までであれば実力でモノのように直接強制ができるのかと議論されている。そのとき、幼児であれば問題ないというのが大方の見解である。
 したがって、最終的に実力行使をするかどうかの判断をするのは執行官であり、執行官が直接強制をあきらめてしまえば、それで終わりだ。地裁に申立された合計25件の子どもの引き渡し直接請求事件のうち、6件が執行不能で終わった。
 日本には、人身保護法という素晴らしい法律がある。
私も20年以上も前になりますが、この人身保護法にもとづいて別れた夫に拉致された子どもを取り戻したことがあります。でも、その後、あまりこの法律は使われなくなったと聞いていました。ところが、この人身保護法が最近になって見直されているようなのです。
 ところで、今話題のハーグ条約です。ハーグ条約によると、子どもの連れ去りが不当であるときには、子どもを速やかに常居所国への返還を命じなければならない。
 日本は、まだハーグ条約を締結(加盟)していないが、もし締結したとしても、その履行の確保は依然として大きな問題である。
 アメリカ人の弁護士で、今は同志社大学教授である著者からの鋭い指摘には考えさせるところが多々ありました。
(2011年3月刊。820円+税)
東京の孫に初めて会ってきました。初めは誰だろう、この人は・・・と不思議そうな顔をして私を眺めていましたが、やっぱり知らない人だと、泣き顔になり、泣き出してしまいました。でも、私が気になるようで、じっと見ています。そのうち、慣れてきて、ついには私の膝の上に抱かれても泣かなくなりました。
 まだ声が出ません。もう少しすると笑い声を上げるようになるのでしょう。そしたら、もっと可愛くなります。
 まだ上手にハイハイは出来ませんが、床の上を動いていきます。そして、自分の両足の親指を口に入れてしゃぶります。本当に関節が柔らかいのに驚きます。腕が身体と反対の方向になっても折れもせず、平気です。
 やがて、2時間もすると、眠たくなってきたのでしょう。気嫌が少し悪くなってきました。それでも母親に抱かれると安心して泣くわけでもありません。
 こうやって生命が続いていくのかと思うと、本当に愛おしい思いです。平和で安全・安心な社会を、この孫のためにも残したいと思ったことでした。

2012年9月13日

集団訴訟・実務マニュアル

著者   古賀 克重 、 出版   日本評論社  

 日本のこれまでの大型訴訟をざっと概観し、弁護団事務局長をつとめた経験から集団訴訟をすすめていくときの実務マニュアルを大公開した本です。とても役に立つ本だと思いました。
 集団訴訟は被害に始まり、被害に終わると言われる。そして、弁護士は、集団訴訟においては、一般には好ましくないとされている、原告の掘り起こしをすすんですることになる。
 集団訴訟においては、被害者がいかに声をあげるか、そして一つに結束できるかが勝敗を分ける。多数の被害者が割れていては国を追い込むことは困難を伴う。1割にも満たない原告数では、裁判所の理解はおろか、社会の支持が得られない。一定の地域で被害が多発しているときには、その多発地区に入り込み、弁護団が訴訟説明会を重ねる。
 しかし、掘り起こしは困難をきわめることが多い。なぜなら、プライバシーが守られにくく、提訴したことが知られると非難されたりするからである。
被害の回復は、弁護団から勝ちとるものではなく、被害を受けた原告自らが主体となって勝ちとるもの。弁護士、弁護団は、原告に寄り添い、原告一人ひとりが被害を回復させる道を自らの足で歩み出すことに手をさしのべることが役割だ。
 被害者運動の主体性と統一性を追求する。主人公は原告、弁護団はサポーターとの基本認識をもちながら、専門家としての役割を果たすことが必要だ。
原告がインターネットで情報を発信するときには、弁護団としてもプライバシー保護を入念にチェックする必要がある。また、発信する情報は戦略的に選択すべきである。情報は被告の国や企業も見る可能性があることを念頭においてコントロールしておく。
プライバシー確保の必要性の高い訴訟では、匿名(原告番号制)ですすめる。裁判所と十分に協議しておくし、閲覧制限の申立もしておく。事件が終結したときにも、閲覧制限の申立をする。
訴訟救助の申立をして、訴状の貼用印紙を貼らないですますことがある。裁判所に対して、訴状送達を先行させる扱いを申し入れる。
集団訴訟であっても3年以内に解決までいった実績がある。そのためには、原告側が常に訴訟をリードしていく必要がある。原告側の立証計画を早目に立てて、裁判所にそれを採用させて訴訟を進行させていく。
 弁護団として裁判を勝ち抜くには、1回1回の法廷のすべての場面で被告側を圧倒し、常に原告が優位に立つように努力する。これは、口で言うのは優しくても、現実には大変なことですよね。
 準備書面は長いものより短ければ短いほどいいというのが原則である。たしかにそうなんですけれど、実際には長大論文になっているのが多いですよね。
 原告本人尋問のときには、原告の心の奥底から自然と噴き出る感情の発露としての言葉が求められる。
集団訴訟において、判決を求めるのが、和解による最終判決をめざすのかは、一番重たい選択と言える。これは一般事件においても共通する難問です。
先行した集団訴訟についてもよく調べてあることに感嘆しながら読みすすめていきました。今後ますますの著者の活躍を心より期待します。
(2009年8月刊。2300円+税)

2012年9月 8日

ルポ・出所者の現実

著者    斉藤 充功 、 出版    平凡社新書 

 悪いことした奴は刑務所に入れておけ。
 これが多くの人の素朴な思いでしょう。では、どんな人が「悪いこと」をしているのか、その「悪いこと」って何なのか、入れておかれる刑務所ってどんなところなのか、世間の人はあまりにも知らなすぎるように思います。
 もちろん、私だって刑務所生活を十分に知っているとは言えません。それでも、刑務所も拘置所も何回となくなかに入って見学しましたし、収容された体験者から話を聞き、さらに体験談をいくつも読んでいますので、少しばかりは分かっているつもりなのです(つもりだけではありますが・・・)。
 統計によれば、再犯率は1999年以降、30%台で推移していたが、2008年には40%をこえた。とりわけ窃盗と覚醒剤の再犯率は50%をこえている。窃盗がもっとも再犯率が高く、その動機は「生活の困窮が」7割を占めている。
栃木県大田原市にある黒羽(くろばね)刑務所は関東圏最大級の初犯刑務所。
 黒羽刑務所は独居房が1000を超える。日本で一番独居の多い刑務所。独居房でテレビを見られるのは2時間のみ。雑居房だと、8時間も見られる。そして、雑居房では本や雑誌のまわし読みもできる。
 刑務所の収容者一人にかかる費用は年46万円。全国に7万人の受刑者がいるので年間経費は321億円になる。
刑務所の世界では、服役することを「アカ落ち」という。刑務所に垢を落としにいく」という意味のようだ。
収容者同士のトラブルの原因になるのは「ペラ」。ペラとは、しゃべり屋のこと。つまり、口の軽い人間のこと。また、「空気屋」と呼ばれる仕掛人もいる。悪口を言って、ケンカするように仕向ける人のこと。
オヤジのズケをよくする。オヤジとは担当職員、ズケとは面倒みのこと。
 高松刑務所では700人の受刑者で年間3億1000万円の売り上げがある。全国の刑務所で、受刑者の生活費として180億円がかかっている。そして、受刑者が稼ぎ出したのは157億円。つまり、受刑者は、生活費の8割以上を自前で稼ぎ出している。決してムダメシを食べているのではない。作業報奨金は、月に1人平均4200円ほどでしかない。
 1989年には1万人いなかった65歳以上の検挙数が2008年には、その5倍強の4万9000人近くにまで増えた。高齢受刑者の犯罪の特徴は窃盗が50.6%と多いが、そのほとんどが無銭飲食や万引きなどの軽微な犯罪である。老人受刑者は全受刑者の3%(2092人)となった。そこで、広島、高松、大分の刑務所には高齢受刑者専用棟がある。老人介護専門職が必要とされているのも当然ですね。
2008年の外国人検挙数は23,202人で、とりわけ凶悪化した侵入盗が増えている。外国人の受刑者は1,502人(2009年)。受刑者の出身地は、中国、ブラジル、イラン、韓国、朝鮮、ベトナム、フィリピン、台湾となっている。
 美称社会復帰促進センターは刑務所だが、国の職員123人に対して、民間職員が220人いて、男子500人、女子500人のスーパー受刑者をみている。
 刑務所の体験者は次のように語る。刑務所は犯罪学校と言われるが、まさしくそのとおり。初犯刑務所も、戦果のオンパレード。話は成功談ばかりで、失敗の話を聞くことがない。
 出所してきた人が、社会で自立するのは決して容易なことではない。本人の自覚や攻勢意欲だけでは解決できない問題点があまりに多い。仮出所者がやる気を出して本気で更生する。その気持ちに火をつけてやるのが地域社会の人々だ。しかし、現実は、なかなか、それがうまくいかない。
 この現実は、弁護士だけでなく多くの人が知っておくべきものだと思います。
(2010年11月刊。740円+税)

2012年8月31日

弁護士たちの国鉄闘争

著者    刊行委員会 、 出版    岡田尚法律事務所 

 JRの前は日本国有鉄道でした。そこには国労という強大な労働組合があったのです。その国労つぶしのための高等戦術が国鉄の民営・分割でした。
 私が大学生のころには、日本でも、労働者も学生も、なにかといえばストライキをして、街頭でデモ行進していました。今や、ストライキという言葉は死語と化してしまいました。デモ行進も滅多にお目にかかりません。首相官邸の周辺を何万人の市民が取り囲んでも、テレビや大新聞はまったく報道しませんので、デモや集会までもが日本ではないも同然になってしまいました。
 この本は、国労つぶしに抗して闘った国労、そして争議団を支えていた弁護士たちの奮闘記が集められています。私の同期、同世代が何人もいますが、弁護士になって5ヵ月から取り組み、今では弁護私生活30年をすぎたと語る人までいます。それほど長期の集団的なたたかいでした。したがって、この本を通じて、日本社会の一断面を認識することができます。また、読んで面白い本です。
 弁護士は、権利闘争において脇役であり、サポーターであり、アドバイザーであるが、国鉄闘争においては、弁護士に闘争への参加意識は強かった。『弁護士たちの国鉄闘争』という本書のタイトルには、その思いが込められている。
 昔の京都地労委の驚くべき審理状況が報告されています。なんと、証人尋問の途中であっても、証人も代理人もタバコを吸うことができて、そのため、JP側代理人もタイミングをはずされることがあった。信じられない光景です。
国鉄・JR側の法務課に裁判官出身の専門家(江見弘武)がいて、労務対策の抜け道を指南していたという指摘を読んで、私は許せないことだと思いました。
 裁判でたたかうか、地労委でたたかうかという選択を迫られたとき、神奈川の弁護団は体験にもとづき地労委を舞台としてたたかうべきだと主張し、議論をリードしていったようです。なるほど、さすがだと思いました。
 地労委の救済命令は柔軟で裁量性があるからです。私も神奈川県で弁護士生活をスタートさせたとき、同期の岡田弁護士に頼み込んで地労委の審問にかかわらせてもらいました。福岡に戻ってきてから地労委にかかわったことは残念ながら一度もありません。
裁判所で争うことは、「敵の土俵」で戦うようなものだ。不当労働行為の救済機関として労働委員会があるのだから、この土俵に敵(国鉄・JR)を引っぱり込んで勝利を勝ちとろうと神奈川の弁護団はこぞって主張した。
 刑事裁判では、あくまでも証拠と論理に基づいて事実を究明し、事件の本質を明らかにすることが大切である。これを十分に行わず、単に被告人の人間像を描くことのみに力を注ぐことは、お涙ちょうだい式の人情論か、せいぜい情状論でしかないだろう。
 検察側が提出したテープをよく聞くと、「奴らにやらせるようにしむけますから、よってたかって現認して」とあった。同じ国鉄の労働者を「奴ら」と呼んだうえで、謀略をこらしていたのだ。そして、この助役が隠し取りしていた録音テープのなかに、この場面が録音されているのを発見したのは、あのオウムに殺された阪本堤弁護士でした。
坂本弁護士と最後に会っていた岡田弁護士は、坂本さちよさんの依頼で変わり果てた坂本弁護士の遺体と対面します。すると、そこには5年10ヵ月も山の中に埋められていたけれど、変わらぬ坂本弁護士の身体だったというのです。オウムの連中は、本当にむごいことをしたものです。許せません。坂本弁護士の無念さは、いかばかりだったでしょうか。
 国労組合員の採用差別事件で東京高裁の村上敬一裁判長は、「分割民営化という国是に反対したのだから、差別されて当然」という判決を下した。とんでもない裁判官です。今、この人は、どこで何をしているのでしょうか・・・。国是だったら、何でも許されるのですか。裁判所は一体、何をするところなんですか。そもそも国是とは何なのですか・・・。
JR東海の葛西敬之会長の尋問を担当した加藤要介弁護士は尋問の準備の過程で緊張のあまりに眠れなくなり、ワインを1日1~2本明けても、1日3時間以上は眠れず、苦しい思いをした。尋問が終わってからも2週間ほどなお緊張が解けずに苦労した。大変なプレッシャーだったことがよく伝わってきます。それにしても、ワインを毎晩1~2本とはよくぞ飲んだものですね。私なんか、せいぜい2晩に1本ですし、それも滅多にしません。
 国鉄改革は、中曽根康弘の企画・立案にもとづくもの。その実行上の戦略は元大本営参謀の瀬島龍三の作戦による。現場指揮官として葛西が辣腕を振るい、その法律顧問は裁判所から出港していた江見武弘が担当した。
 江見武弘は、「団交については、方針を変えることを前提に交渉する必要はない。聞き流しておけば足りる」と助言し、国労との国交をまったく形骸化させた。
 400頁もの部厚い証言集ですが、とても読みごたえがありました。国鉄闘争のみならず、戦後日本の労働運動に関心のある人には必読の文献だと思います。
(2012年4月刊。非売品)

2012年8月30日

対米従属の正体

著者    末浪 靖司 、 出版    高文研 

 驚き、かつ呆れ、ついには背筋の凍る思いをしました。
 最高裁長官が大法廷に従属中の事件について、一方当事者でもあるアメリカ大使に評議内容を漏らしていたのです。なんということでしょうか。もちろん、古い話ではありますがアメリカ公文書館で公開されている米国側資料に明記されていた事実です。ときの最高裁長官は田中耕太郎、1959年11月のことです。
この田中耕太郎の行為はもちろん罷免事由に該当します。今からでも遅くないと思います。叙勲を取り消し、最高裁は弾劾相当であったことを明確にして、一切の顕賞措置を撤回したうえ、もし顔写真等を飾っていたら、直ちに最高裁の建物から撤去すべきです。
田中耕太郎・最高裁長官がマッカーサー駐日大使と会ったのは、砂川事件について大法廷が審理している最中のことです。そこでは、アメリカ軍の日本駐留は憲法違反だという一審の伊達判決を受けて、違憲か合憲かを審理中でした。
 マッカーサー大使は、伊達判決の翌日に藤山愛一郎外相と密談して、最高裁に跳躍上告することを勧めた。そのうえで1959年4月22日に田中耕太郎最高裁判官と会った。そのとき、田中長官、時期はまだ決まっていないが、来年の初めまでには判決を出せるようにしたいと述べたうえで次のように語った。
できれば、裁判官全員が一致して適切で現実的な基盤に立って事件に取り組むことが重要だ。最高裁の裁判官の幾人かは手続き上の観点から事件にアプローチしているが、他の裁判官は法律上の観点からみており、また他の裁判官は憲法上の観点から問題を考えていることを示唆した。
 重要なのは、15人の最高裁判事のうち、できるだけ多くの裁判官が憲法問題にかかわって裁定することだと考えているという印象を与えた。
 これはマッカーサー大使が、アメリカの国務長官あての電報に記載されていることなのです。評議の秘密を一方当事者に洩らすなんて、およそ裁判官にあるまじき行為です。古い話だとすませていいことだとはとても思えません。ひどすぎます。
ところで、アメリカ政府が長官と直接接触する機会をどうやってつくったのかまで明らかにされています。ロックフェラー財団が日本の最高裁に法律書を寄贈することにして、最高裁は駐日大使を贈呈式に招待したのです。こうやって表向きの口実をつかって、裏では裁判の内情を知らせ「意見交換」したというわけなのです。涙がこぼれ落ちてくるほど情けない話でもあります。最高裁長官の椅子って、こんなにも軽いものだったんですね、トホホ・・・・。
 次に最高裁長官になった横田喜三郎も同じようなものでした。東大教授だったころは、外国の軍隊を日本に駐留させることは憲法9条に反するとしていたのに、突如としてアメリカ軍の基地は日本にとって戦力となるものではないから合憲だと言いはじめ、そのことがアメリカから高く評価されて最高裁長官になることができた。うへーっ、なんとおぞましいことでしょう・・・。
アメリカ兵が日本国内で刑事犯罪をおかしても、その大半は処罰されません。日本は主権国としての刑罰権を行使しない(できない)のです。ところが、それは1960年代までは必ずそうとばかりは言えませんでした。原則として、当然、日本の主権、統治権下にあり、日本の法令が適用されるということだったのです。それが、次第にアメリカの言いなりなっていくのでした。まさに逆コースですよね。
 今回のオスプレイにしてもそうですね。アメリカ軍の言いなりで、日本政府は何も言わない(言えない)なんて、情けない限りです。これで愛国心教育を国民に押し付けようというのですから、どこか間違っていますよね。
 為政者たる者、愛するに足る国づくりを本気でしてほしいものです。自らの努力を怠っていながら、国民にばかり押しつけるなんて、間違っています。広く読まれてほしい、画期的な本です。
(2012年6月刊。2200円+税)

2012年8月24日

日本近現代史のなかの救援運動

著者   山田 善二郎 、 出版    学習の友社 

 交通事故のひき逃げを疑われている人から相談を受けて、警察をそんなに信用しすぎてはいけません、ときに罪なき人を警察官は有罪にしてしまうことだってあるのですからねと助言することがあります。すると、警察官がひどいことをするなんて、今の今まで思ってもみませんでしたという反応がかえってきます。警察は正義を実現するところ、悪い人を捕まえるところという思い込みをほとんどの市民が思っています。私だって、弁護士になる前は、もちろん、そう思っていました。でも、弁護士になってからは、警察はときとしてとんでもない間違いをおかし、そのことに気がついても容易に誤りを認めようとしない鉄面皮のところがあると考えています。
 ですから、ぬれぎぬ(冤罪)で泣く人が生まれます。そのときに役立つのが国民救援会です。私も、救援会には少しだけ関わっています。この本は救援会の会長をつとめた著者が戦後日本の救援運動が果たしてきた役割をざっと紹介してくれるものです。著者自身が戦後まもなくの冤罪事件で、「犯人」の逃亡を手助けしてアメリカ軍からにらまれたという体験の持ち主です。そして、その事件のあとは、ずっと救援運動に関わってきました。
 最近有名なのは、布川(ふかわ)事件、そして、その前の足利事件です。いずれも再審で無罪となりました。それに至るまでの苦労がなんと長く困難だったことか・・・。救援会が無罪を獲得するのに大きく下支えをしました。
 それはともかく、2001年にパソコンから流出した愛媛県警察本部の被疑者取り調べ要領の一部を次に紹介します。
○粘りと執念をもって「絶対に落とす」という気迫が必要。調べ官の「絶対に落とす」という、自信と執念にみちた気迫が必要である。
○ 調べ室に入ったら、自供させるまで出るな。
被疑者の言うことが正しいのではないかという疑問を持ったり、調べが行き詰まったりすると逃げ出したくなるが、そのときに調べ室から出たら負け。お互いに苦しいのだから、逃げたら絶対ダメ。
○ 取り調べ中は被疑者から目を離すな。取り調べは被疑者の目を見て調べよ。絶対に目をそらすな。相手を呑んでかかれ。呑まれたら負け。
○ 被疑者はできる限り取調室に出せ。自供しないからといって留置場から出さなかったら、よけい話さない。
どんな被疑者でも、話をしているうちに読めてくるし、被疑者も打ちとけてくるので、できる限り多く接すること。否認被疑者は、朝から晩まで取調室に出して調べよ。

戦前、13歳の少女が、与謝野晶子の『みだれ髪』(歌集)を買って寄宿舎に置いていたところ、特高警察に知られて拷問されたというケースが紹介されています。その少女は、拷問されたあと帰されて寄宿舎の寮長に「茶わんいじほうって何のこと?」と尋ねたそうです。治安維持法という悪法も知らない13歳の少女を拷問していたぶった特高警察の非道さに思わず涙が抑えきれませんでした。
 また、戦後の一大謀略事件として有名な松川事件の起きた直後、「米日反動の陰謀だ」とか言葉だけ激烈に訴えても、誰の心にも動かさなかった。そうではなくて、具体的な事実と、率直な心情を自分自身の言葉で語りはじめたとき、広津和郎をはじめとする世間の人々の心に訴えが届いた。
 これは、今に生かされるべき教訓ですよね。
 日本民主主義がどの程度根づいていると言えるのか、この救援運動の歴史を知らずして語ることはできないと私は確信しています。
(2012年6月刊。1429円+税)

2012年8月22日

薬害肝炎・裁判史

著者    薬害肝炎全国弁護団 、 出版   日本評論社  

 薬害肝炎に取り組んだ福岡の弁護師団から贈呈されました。560頁もの分厚い本ですし、私自身が関わった裁判ではないので、少しばかり気が重たかったのですが(なにしろ手にとると、ずしりと重くて、とてもカバンに入れて持ち運びながら読む気にはなれません)、せめて、弁護団の苦労話を語った座談会だけでも読んでみようと思ったのです。ですから、この本を通読したわけではありません。でも、私が読んでも大変勉強になるところが多々ありました。
 弁護士、とりわけ若手弁護士のモチベーションをいかに高めるか。これには、事件に対するモチベーションの問題と組織の中で働くことのモチベーションを高めることの2つがある。新人弁護士だからといって、事務的な雑用だけをやらせるのではなく、責任のある仕事をできる限り頼んで、その責任ある仕事が成果として見える、そんな仕事を若手弁護士にどう割り振るかに苦心した。
 弁護士としては、訴訟活動を抜きにして、モチベーションを維持するのは難しい。また、地元の被害者の救済があるので、地元提訴は有効だ。これが、東京・大阪の訴訟の応援だけだと難しい。5地裁で提訴したのは、非常に有効だった。
 大型集団訴訟は、特許事件のように、東京と大阪だけに絞り込むべきではないかという極端な意見もあるが、全国に被害者が散在している事件では、それはありえない。
 東京地裁だと扉が大きく開かれないが、関門海峡を越えると治外法権になるとか、法が違うとか、いろいろ言われるように、驚きの連続だった。
 福岡では扉が広く、原告弁護団側から裁判所にどんどん働きかけができて、争点を設定して訴訟進行の主導権をとっていけた。
 先発組がぽろぽろと負けたあとで、後発組がきちんとした戦略を立ててやっても、その問題について既に負け判決が出ているなかで勝っていくのはものすごく困難だ。
 新しい集団訴訟で勝つというのは、理屈だけではできない。被害をきちんと伝えて、「原告を勝たせなければ」と裁判官に思わせるには、多様な力がいる。言いたいことを言い、証拠さえ出せば勝ち判決がころがり込んでくるという甘い見通しではダメ。この裁判官に、勝判決を絶対に書かせる、そのための戦略と力量と意欲が必要。
 目標は、社会における誤った政策を変えること。そのための手段として裁判を使う。負けては何にもならない。たくさん裁判があればよいというのは、50年前の発想。
東京では22人の原告全員の本人尋問はできなかった。しかし、東京以外は、原告全員について本人尋問した。九州は18人、大阪は13人、名護屋は9人、仙台は6人だった。
被告となった国は、関門海峡を越えた福岡では勝てそうにない。大阪もどうも風向きが怪しい。そこで、東京に集中して、東京で勝とうという戦略を、途中からとったと思われる。
 国は、各地の弁護団の弱い分野を意識して証拠を立てた可能性がある。九州は有効性が強くて、重篤性がいくらか弱い。そこで、国は重篤性についての証人を九州で申請した。
5地裁に提訴すると、同一争点に関する証人尋問を5回も行うことになりかねない。そこで、争点一つにつき、原被告とも証人1人を選抜し、それを各地で分散しながら立証していく計画を立てた。
 また、中間的に提出した統一準備書面はすごく効率があった。
 集団訴訟の勝訴判決は、被害の重大性を直視した裁判官によって、ある程度の飛躍がないと書けない。
 薬害肝炎については2002年10月に東京・大阪で提訴してから、2007年12月の政治判決まで5年かかった。しかし、5地裁判決がそろってからは、わずか4ヵ月で解決した。しかも、東京地裁判決直後の官邸入りから9ヵ月で解決したのは、かなりハイスピードの解決だった。
大阪地裁のときも福岡地裁のときも、判決が出た時点で国会は閉会中だった。つまり、司法判断をテコにして政治問題化していくときの、その舞台が用意されていなかった。
 裁判所は、大規模訴訟については4年以内でおさめる、裁判迅速化法も受けて4年内に解決するために計画審理をする方針をとっている。しかし、薬害肝炎のような薬害訴訟を2年で終わらせようとすると、弊害のほうが大きくなる危険がある。
5地裁のどの裁判長も、自ら指揮をとってこの問題を和解で解決しようというそぶりがまったく見られなかった。だから、わざわざ裁判所に、判決の前に和解勧告してほしいと言いに行く動機がもてなかった。
薬害肝炎訴訟において、仙台地裁では国が勝ったけれど、これは使えない勝訴判決だった。最悪の勝ち方をしてしまった。
 国はいくつ負けても、一つ勝てば責任を否定して解決を遅らせるので原告はすべて勝たなければならないという教訓があるのも事実だ。
 原告になった人は、匿名から実名になったときに、自分の問題としてやっていかざるをえない立場に立たされ、どんどん成長していった。
 新しい課題は、いつも若手、新人弁護士が切り開いていくものだ。裁判戦略は法的責任を明確にすること。訴訟の重要性を改めて認識することだ。
 被害に始まり、被害に終わる。弁護団は国民に共感を広げ、裁判所に共感を広げ、政治の舞台に共感を広げていく。その共感が広がれば、その先に勝利は約束される。逆を言うと、苦しいときには共感が広がっていないということ。薬害肝炎でも、試行錯誤しながら結果的に勝てた。
 なかなか味わい深い統括の言葉だと受けとめました。
 福岡の八尋光秀、浦田秀徳、古賀克重弁護士が、裁判でも本のなかでも大活躍していて、うれしくもあり心強い限りでした。
(2012年1月刊。4000円+税)

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